モーゼル対戦車ライフル 後編


第一次世界大戦におけるモーゼルの13mm対戦車ライフル その2

 我々には、T-ゲベールの記述に取り組む前にまだ述べておかなければならないことがある。それは、これまでに3種類の異なるバリエーションが確認されているということである。変更の理由は残念ながら知られていない。よりよい判別のため、我々はこの記事の中でそれらをa、b、c型としてマーキングしている。だがこれはオフィシャルな慣習とは一致していない。

 ここでさらに、参考文献内でモデル名称M17(注文が与えられた年号による)、M18(採用年による)が見つかる件についても確認しておく。だが、手元にある全てのオリジナル証拠書類の中で、この銃は常に「タンクゲベール」、または「T-ゲベール」、または「対タンク防御ゲベール」として、いかなるモデル名称の追加もなく記載されている。

a) この型は最も頻繁に見つかる。この銃はボルト右サイドに3つの可視の負担軽減穴があるのが分かる(写真2を見よ 頑住吉注:これはボルトの組み込み、閉鎖状態でエジェクションポート内前端近くに見えるボルトに、小さな穴が3つ見えることを指しています)。

b) この型の場合、写真2および13でよく分かるように負担軽減穴はない。その上このバリエーションでは同様に写真2および13でよく分かるようにトリガーがきつく前方にカーブしている。

c) この型では1つの負担軽減穴だけが外部から可視である。

 一見するとこのT-ゲベールは、単にピストルグリップがつけ加えられた、拡大されたゲベール98のように見える。事実モーゼルのスタッフもグランドコンセプトにおいてそれまでに多くのプルーフを受けてきたG98のそれを維持していた。ボルトのシステムでも、単により大きい弾薬と決定的に強い発射時の圧力に適合させるために、多くの変更を加える必要はなかった。

 この銃が手動連発銃ではなく単発銃として設計されたことに関し、どんな視点が決定的となったのかは完全には明らかでない。確かなのは、もしそうしたならば連発設備およびマガジンの製造はより費用と資材、そして時間を要求しただろうことである。実際終戦頃に行われたようにであるが、そういったものはそうこうするうちに非常に乏しくなっていた。同じ理由から、床尾キャップやボルト分解用プレス板のつけ加えも断念されたらしい。

 ボルトは98系システムに非常に似ている。だが弾薬の発射時における巨大な圧力に耐えるため、前部の閉鎖用突起ペアに加えてさらに後部にも閉鎖のためそれ(頑住吉注:2個の閉鎖用突起)が備えられた。その上レシーバー後部には切り欠きが設けられ、そこに銃の閉鎖時ボルトハンドルがかみ合い、そしてこれによりさらにボルトはその位置に固定された(頑住吉注:ボルトハンドルを下げるとレシーバーのくぼみに入り、ロッキングの助けになるということです)。この切り欠きは写真7および11で特別によく見ることができる。

 円筒形のボルト前部内には、スプリングのテンションがかけられたエキストラクターが内蔵され、このエキストラクターはブリーチ前面の切り欠きによって誘導され、ここから突き出た。写真13で特別によく見えるようにである。ブリーチ前面の反対側にはエジェクター用のノッチがあり、ボルトをいっぱいに後方に引いたときエジェクターはここを通ってボルト上を滑り、薬莢底部に当たってこの結果薬莢を投げ出した。(頑住吉注:あまりにもキリが悪いので変更しましたが、実際の記事はここで第1部と2部が分かれています)

 セーフティ、ファイアリングピン、ファイアリングピンスプリングで構成された発火機構とその機能はG98のそれに似ている。このためここでは特別な説明は放棄できる。

 T-ゲベールの発火機構で個別性として言及されなければならないのは、aおよびc型でいわゆる負担軽減穴が備えられており、一方b型にはないということである。a型ではこの穴が3つボルトの右前部に見られる。一方c型では1個だけが外部から可視である。残念ながらこの型に関しては細目が不明なので、さらなる穴があるのか、またどこにあるのか言うことができない(頑住吉注:写真資料しかないので、エジェクションポート内に穴が見えないことは確かだが、隠れている場所にあるかないか、ある場合どこにいくつあるか不明だということです)。

 a型には(頑住吉注:エジェクションポートからは見えない)さらなる1個の穴が前の閉鎖用突起に(写真15)、1個がボルトの反対側に、1個がレシーバーにある。この穴は万一プライマーあるいは薬莢が裂けたとき後方に噴出するガスを別の方向に、そして外に導くために備えられたものである。

 トリガーはG98に似ている。aおよびc型では、G98の場合のような形状である一方、b型では写真2で明らかに見えるように下部が強く前方に曲がっている。

 バレルがねじ込まれているレシーバー前端部は特別に強く作られている。その上部にはメーカーのマーク、いわゆるモーゼルバナー(頑住吉注:「Mauser-Banner」)と1918年という製造年がある(写真7および28)。

 カーブサイト(頑住吉注:タンジェントサイト)は50mごとのスライダーのためのレストと、1〜5、つまり100〜500mの目盛マーキングを備えている。Dachフロントサイト(頑住吉注:「Dach」は「屋根」などの意味がある単語ですが、「Dachフロントサイト」の定義は不明です)はマズルの上にある。照準長は835mmで、銃身長は1000mmである。

 ストックはいろいろな型で見つかる。1つの型ではバットストック下部が他のストック部に接着されているが(写真1)、両者が一体で作られているものもある(写真13およびB)。両方のケースともさらに追加のピストルグリップがストックに設けられている。

 ストックの前端部にはリングがある。これは一方ではストックをバレルと結束し、他方では下部にプレートを備え、ここに「射撃支え」(頑住吉注:バイポッド、トライポッドなど)が回転可能にかぶせられる。

 前述のように1918年3月の「暫定的取扱説明書」によれば射撃架台としてはマシンガン用バイポッド(MG08/15のものと思われる)、マシンガン用トライポッド、あるいはマシンガン用補助銃架が選択可能で使用されたしかし時間の経過の中でさらにバイポッドが加わったようで、この場合マシンガン用トライポッドは使用してはならないことになったらしい。

 写真Aと5には本来予定されていたMG08のバイポッドが見られる(頑住吉注: http://www.mg0815.com/ こんなのです)。このバイポッドが実戦使用において真価を示さなかった(地面に沈み込んでしまったため)後、新型が導入された。これは特に写真1、3、4、5でよく見ることができる。ずっと安定性の高い脚と、先端の上のより大きい皿状部分が分かる。これによりこの支えは重いT-ゲベールに特に射撃時に確実なホールドを与えることに適していた。この型はさらに、脚を後方に斜めに立てることもできた。

初速790m/s、初活力1670mkgの際のT-ゲベールの射撃結果一覧表から、次の数値が読み取れる。

距離(m) 発射角(度) 落下角(度) 飛行時間(秒) 速度(m/s) 速度残存率(%) エネルギー(mkg) エネルギー残存率(%) 頂点の高さ(m)
100 0/2/45 0/2/50 0.13 769 97 1582 95 0.02
200 0/5/35 0/5/50 0.26 748 95 1497 90 0.08
300 0/8/30 0/9/00 0.39 727 92 1414 85 0.18
400 0/11/30 0/12/15 0.53 706 89 1334 80 0.33
500 0/14/25 0/15/50 0.67 685 87 1256 75 0.54
600 0/18/00 0/19/35 0.82 664 84 1180 71 0.82
700 0/21/25 0/23/35 0.97 643 81 1106 66 1.19
800 0/25/00 0/28/05 1.12 623 79 1039 62 1.61
900 0/28/45 0/32/50 1.28 603 76 973 58 2.10
1000 0/32/40 0/38/10 1.44 583 74 910 54 2.68
1100 0/36/55 0/43/50 1.61 563 71 848 51 3.36
1200 0/41/15 0/50/20 1.79 544 69 792 47 4.15
1300 0/45/50 0/57/10 1.98 525 66 738 44 5.05
1400 0/50/40 1/5/00 2.17 507 64 688 41 6.07
1500 0/55/40 1/13/45 2.37 489 62 640 38 7.21
1600 1/1/10 1/23/05 2.58 471 60 594 36 8.49
1700 1/6/40 1/33/30 2.80 453 57 549 33 9.95
1800 1/12/25 1/44/30 3.03 436 55 509 30 11.58
1900 1/18/20 1/56/10 3.26 420 53 472 28 13.44
2000 1/25/15 2/9/10 3.50 405 51 439 26 15.58

注釈
:発射角および落下角はそれぞれ、度/分/秒のように表示してある。(頑住吉注:要するに、「距離1kmの場合、0.3240度の仰角で発射され、0.3810度の俯角で着弾する。発射から着弾までは1.44秒要する。着弾時の速度は583m/sである。着弾時のエネルギーは910mkgである。その弾道の最も高いポイントは発射点と着弾点を結んだ直線から2.68mの高さのところにある。」ということです。なお、速度およびエネルギーの残存率はオリジナルにはなく私が加えたものです。私はドイツ人みたいに緻密ではないので小数点以下は四捨五入しています。理論上発射角と落下角は同じはずではないかと思うんですが、実際には多少違うようです。また速度は一定のパーセンテージで低下するのに対し、エネルギーの低下率は距離が離れる、というか速度が低下するにつれてゆるやかになる傾向があることが分かります。いずれにせよこのような重い弾でも空気抵抗による速度、エネルギーの低下は意外に大きいという印象を受けました。)

 次の射撃結果表は1919年8月に(頑住吉注:戦後ですね)D.W.M.の「Konigswusterhausen」(頑住吉注:「o」はウムラウト。地名らしいです)射撃場所で実施された試射に基いている。その際の空気の重量は1.225kg/cbm(頑住吉注:立方メートル)に達していた。

 射撃正確性はそのつど10発発射して計測している。

距離(m) 100%散布界(高さ・cm) 100%散布界(幅・cm) 50%散布界(高さ・cm) 50%散布界(幅・cm)
300 40 39 14 12
600 62 65 15 23
900 90 80 27 23
900 112 80 42 26
1200 170 155 54 48
1200 130 120 31 39

 この表から分かるように、テスト者はできるだけ正確な平均値を求めるため、距離900および1200mにおいて2回の射撃を試みている(頑住吉注:要するに例えば距離300mでは直径40cmの円内に全弾命中し、10発撃てば5発は14cmの円内に命中する、ということです)。

 貫通成績としては次の数値が達成された。

距離(m) 貫通成績(mm)
250m 25mm
380m 24mm
560m 22mm
755m 20mm
960m 18mm
1180m 16mm
1420m 14mm
1700m 12mm
2000m 10mm

 使用のためベストのクオリティの特殊なスチール板が用意された。残念ながら剛性は書かれていない。このためこの数値は単に参考数値とのみ見なすことができる。

 T-ゲベールは500mまでのサイトしか持たないため、それを越える距離の数値は理論的に算出されたものと見なされる。

テクニカルデータ
名称:タンクゲベール
使用:第一次世界大戦における対戦車防御
メーカー:オベルンドルフのモーゼル工場
口径:13mm
弾薬:13mmx92HR
全長:1700mm
銃身長:1000mm
ライフリングの数:4条
全体重量:16.5kg
システム:シングルローダー
マガジン:なし
閉鎖機構:シリンダー閉鎖機構
ロッキング:固定式回転突起が2個がレシーバー前部で、2個がレシーバー後部で閉鎖を行う。
サイト:100〜500mのカーブサイト。U字型リアサイト。Dachフロントサイト。
照準長:835mm
セーフティ:G98のようなレバーセーフティ
初速:790m/s
初活力:1670mkg

(頑住吉注:T-ゲベールに関する記事はここで終わっており、以後の弾薬に関する記事は連続しているものの別の記事扱いで掲載されています。)

第一次世界大戦におけるモーゼルの13mmタンクゲベール用弾薬
 
 第一次世界大戦における13mmタンクゲベール用弾薬の記述の際には、いくつかの困難が浮上する。それは次のようなことである。

1.我々がタンクゲベールに関する記事で明らかにしたように、この銃は第一次大戦後もReichswehr(頑住吉注:1921〜35年のドイツ国防軍)にまだ在庫として届け出られていた。

2.この口径の弾薬は、薬莢が変更されていたものの、ナチ・ドイツ軍においてもまだ練習用バレルを装備したパンツァービュクゼ38用に使われていた。

3.1918年における使用された弾薬の正確な記述はこれまで浮上していない。

 我々がタンクゲベールに関する記事の中で詳述したように、この銃用にハードコア、曳光、焼夷弾薬が存在したことだけは確かである。しかしありうるいろいろな弾薬の特徴、例えば「Ringfuge」(頑住吉注:辞書に載っていませんが、「リング」+「継ぎ目」です。プライマーの周囲にラッカーを塗って湿気の侵入を防いでいる弾薬ってあるじゃないですか。Ringfugeとはどうもあれのことらしく、あの色を変えることで弾薬の種類の識別目印にもなるようにしたらしいです。後でまた出てきますんで覚えておいて下さい)に関しては現代の参考文献内で意見が分かれている。現存する弾薬のうち若干は出土品由来のものである。(頑住吉注:1918年に土に埋もれ、今初めて発掘されたものなら考証上の問題はないが)他の場合は、そのマーキングが後から打たれたものでないかどうか断言することができない。いわゆる「コレクター」の実際においては、それを特別に特徴ある品として高価に金に換えることを可能にするため、彼らの弾薬に事後に手を加えることがあることは理解できる。だからまじめなコレクターや研究者はこれだけですでに懐疑的で居続けなければならないのである。

 薬莢(弾丸ではない)の製造日付は底部刻印で確かめることができる(まだ判読できる場合には)。より困難なのは写真やスケッチしかない場合である。

 例えばErdmannは彼の1919年の著作「銃器実習」の中で、この弾薬の特殊弾頭について記述を行っている。だが、Lippertによるその図がどの程度まで本当に信頼できるのかは断言できない。それにしたがえば、両弾薬、つまり曳光弾および燐弾にはそれぞれ2つの異なる型があったようである(図1)。

 この薬莢は一般に13mmx92Rと呼ばれている。しかしこれは完全に正しくはない。この薬莢には突き出たリムの上側に、さらにエキストラクターミゾ(ノッチ)があるからである。この弾薬は本来「セミリム」と見なさねばならず、それにより13mmx92HRと呼ばれることになる。リムドとセミリムドの薬莢の間の違いに関しては、イギリス製ライフル弾薬(リムド)とタンクゲベール用弾薬(セミリムド)の間の大きな違いを示した写真2に見ることができる。

 このタンクゲベール用のいろいろな弾薬を比較した場合、寸法における差(特に弾丸)を確認することができる。全ての弾薬は単独でタンクゲベールに装填しなければならないので、(頑住吉注:弾丸の長さ上の多少の)逸脱は役割を演じない。だがこれが製造上の理由によるのか、あるいは特別な理由があるのかは、残念ながら言うことができない。薬莢にも差を確認できる。ある実際の薬莢の長さは91.8mmであり、直径に関しては次の平均値が生じる。リム23.0mm、エキストラクターミゾ19.8mm、この上側のボディー部20.7mm、ショルダー部18.6mm、ネック部14.55mm。

 1918年に50挺が完成できたがもはや実戦に登場しなかったTuFマシンガンから等しい弾薬が発射されたが、ひょっとするとごく小さな差の原因はそこにあるのかもしれない。

後の製造
 我々がT-ゲベールに関する記事でレポートしたように、本来禁止されていたにもかかわらず、1925年12月21日のReichswehrにはまだ804挺のT-ゲベールがあった。このためにさらに弾薬が作られ、またこのための底部刻印が打たれたか、そういう場合もあったのかは、確認できていない。

 パンツァービュクゼ38用の弾薬は外見が全く異なる。この銃用にはいわゆる「弾薬318」が作られ、その薬莢はT-ゲベール用と似た底部を持っているものの、より深いエキストラクターミゾを備え、いくらか延長され、前に行くほど細くされている。7.9mm弾がセットできるようにである。奇妙なことに、この銃用に口径13mmの練習バレルも導入された。このバレル用には、いまやリムレスとなった「弾薬318」が13mm弾を受け入れのため変更されていた。何故少なくとも当初において、練習射撃用として完全に異なる口径と、必然的に異なる成績を持つバレルが作られたのかは説明できない。例えばもしパンツァービュクゼ38の真正のバレルをいたわりたいと思ったならば、前もってバレルに対するより小さい負荷を持つ適した弾丸を作らなければならなかったはずである。そう、これは事実後になされている。

 戦後の参考文献内ではしばしば、戦前にハードコア弾と刺激物が充填された弾丸を持つ本来の口径を秘密にしておくために13mmバレルが採用されたと主張されている。これがどの程度事実と合ったもっともな説明であるかは、これまで証明され得ていない。

 我々は1939年8月31日の指令、D111/1「練習バレルと空砲器具を持つパンツァービュクゼ38」の中に13mm練習バレルに関する最初のオフィシャルな記述を見出す。

 次に、1939年12月16日におけるOKHの指令(Ch H Rust u. BdE 頑住吉注:「u」はウムラウト)の中における1939年12月21日の34r−In2(IVb)「全陸軍への通知」内で、「パンツァービュクゼ38の試射」が公表されているのを見出す。ここでは次のような試射について述べられている。

a) バレル318を持つPz.B.38を使って3発実施しなければならない。その際この3発は直径10cmの円内に着弾しなければならない。
b) 13mmバレルを持つPz.B.38の場合は5発発射しなければならない。これは16cmの円内に着弾しなければならない。
(頑住吉注:この「試射」はメーカーの出荷時の品質テストのことを言っているのかとも思いましたが、軍の指令として出されている以上兵の技能テストのことでしょう。距離が書かれていませんがたぶん100mだと思います。いずれにせよ13mmより7.92mmの方が命中精度がかなり高かったことは確かなようです)

 1940年4月25日におけるD111/2「バレル318を持つ対戦車防御銃38、操作および取り扱い説明に関する記述」の中では、13mm練習バレルについて言及されていない。「Pz.B.38の試射」のための命令に関する、印刷物ナンバー5136 40 2 Cの付帯条項1の中で初めて、両バレルについて言及されている。

 1940年9月6日になって初めて、パンツァービュクゼ38用両口径弾薬の採用が公表された。つまりこの時点では両口径が練習射撃用として予定されていたのである。後のパンツァービュクゼ39用としては13mm練習バレルはもはや予定されていなかった。

 1941年11月3日付けの教育図表UT400/3、「Handfeuerwaffen(頑住吉注:手で持って撃つ銃)、マシンガンおよびパンツァービュクゼ用弾薬-対戦車防御銃38および39用弾薬」(頑住吉注:前者の中に後者の項目があるということでしょう)の中には口径318(頑住吉注:7.92mm)の弾薬のみが写真掲載されている。口径13mmの弾薬の掲載はない。

 1940年9月16日におけるOKHチーフH Rust(頑住吉注:「u」はウムラウト)の命令、およびBdE,Nr.2727/40gAHA/JnZには次のような文面がある。

Pz.B用弾薬採用の件

以下が採用された
1)弾薬318
2)弾薬318Ub.
(頑住吉注:「U」はウムラウト。練習の略)
3)試射
(頑住吉注:Anschuss)弾薬318
4)試射
(頑住吉注:Beschuss。どう違うのか不明です)弾薬318
5)空砲弾薬318
6)演習弾薬318
7)工具弾薬318
8)13mm弾薬I.S.
9)13mm弾薬I.S.L'spur
(頑住吉注:曳光弾の略)
10)13mm空砲弾薬
11)13mm演習弾薬
12)13mm工具弾薬

全般
1)について。
 装甲貫徹用弾薬としての弾薬318は口径7.92mmのs.m.K.H Rs. L'spur弾を持つ。この弾薬は装甲されたターゲットの射撃のみを想定している。

2)〜4)について
 弾薬318Ub.、Anschuss弾薬318、Beschuss弾薬318は練習目的または銃のAnschuss、Beschussのみに使用され、このためには特別な貫通成績は必要ないので、ノーマルなs.S弾薬が与えられている。

5)について
 空砲弾薬318用には木製弾丸33が使われる。空砲弾薬318を使った射撃の際の安全限界は25mである。

6)について
 この特殊な318弾薬は黒色のプラスチックに包まれたスチールシャフトつきのスチール板からなる。弾薬底部はプライマーの位置に穴を持ち、ファイアリングピンの損傷を防止する
(頑住吉注:図や写真がないのでよく分かりませんが、スチールプレス板とスチール棒を芯にしたプラスチック製ダミー弾薬であり、演習時に装填して空撃ちするのではないかと思います)

7)について
 この工具弾薬は銃器名工器具として想定されている。この弾薬は完全に非実弾である。弾薬底部に6)と同じ穴を持つ
(頑住吉注:これはさっぱり分かりません。軍におけるガンスミスが銃の調子を見るために使うものでしょうか)

8)〜12)について
 13mm弾薬I.S.およびI.S.L'spurは練習目的でPz.B.38に13mm練習バレルを装備する場合を想定している。これらの弾薬は外見上そのより大きな口径で弾薬318と異なっている。
 13mm空砲弾薬は空砲弾薬器具Pl13を装着したPz.B.38からのみ発射してよい。
 13mm空砲弾薬を使った射撃の際の安全限界は25mである。

梱包
 弾薬は以下のように梱包される。

a) 1)および9)
 5発が「Faltschachtel」
(頑住吉注:折り曲げて組み立てる紙箱のことらしいです)318の中に。50個のフルに詰めたFaltschachtel318が空気を通さない弾薬ケースの中に。

b) 2)〜8)および10)〜12)
 5発が「Faltschachtel」318の中に。50個のフルに詰めたFaltschachtel318が空気を通さない弾薬ケース88の中に。

 弾薬318をフルに詰めた弾薬容器の重量は33.2kgである。


 添付物の中ではさらに以下の詳しい説明がなされている。

1)の弾薬
目印:弾丸はトムバック(頑住吉注:真鍮系合金)メッキされている。弾丸先端は10mmにわたって黒く着色されている。Ringfugeは赤。

2)の318Ub弾薬
目印:弾丸はトムバックメッキ。Ringfugeは緑。
コメント:例外的ケースのみにおいて、13mm練習バレル(8および9使用のため)もしくは空砲弾薬器具Pl 13(10使用のため)使用時は使用不能。

3)のAnschuss弾薬318
目印:弾丸はトムバックメッキ。5mmの幅広い着色帯が弾薬底部上にある。これはプライマーも覆っている。

4)のBeschuss弾薬318
目印:弾丸はトムバックメッキ。弾丸先端は10mmにわたって緑に着色されている。Ringfugeは緑。

5)の空砲弾薬318

目印:赤の木製弾丸。
コメント:2)と同じ。

6)の演習弾薬318
目印:スチール製底部と黒色のプラスチックジャケット

7)の工具弾薬318
目印:弾薬全体がクロームメッキ。直径3mmの貫通穴がそれぞれ2個、2列で計4個薬莢にある。穴は互いに90度ずらされ、弾薬底部から14.5mmおよび23mmの場所にある。

8)の軽量尖頭弾つき13mm弾薬

目印:弾丸はトムバックメッキ。弾薬底部上に緑の着色帯。

9)の曳光弾機能のある軽量尖頭弾つき13mm弾薬
目印:弾丸はトムバックメッキ。弾丸先端は10mmにわたって黒色に着色されている。弾薬底部上に緑の着色帯。
コメント:13mm練習バレル使用時。

10)の13mm空砲弾薬
目印:赤の木製弾丸。
コメント:13mm練習バレルおよび空砲弾薬器具Pl13使用時。

11)の演習弾薬
目印スチール製底部と黒色のプラスチックジャケット
コメント:13mm練習バレル使用時

12)の13mm工具弾薬

目印:7)と同じ
コメント:13mm練習バレル使用時。

使用
ナンバー1)〜7)はPz.B.38およびPz.B.39.
ナンバー8)〜12)はPz.B.38.

 この指示、Az.74a geh. AHA/Fz In V aは陸軍武装のチーフおよび補充部隊司令官から、ナンバー16 648/40geh.の下に1940年9月23日に砲兵コマンドおよび砲兵監査に公示された。

 この指示から読み取れるように、パンツァービュクゼ38の場合、13mm練習バレルの使用のためには特別の弾薬が作られた。ナンバー8)〜12)で挙げられた全ての弾薬が存在した当時、T-ゲベールはすでに使用されていなかった。これには費用がかかったわけで、第二次大戦勃発当時、13mm弾薬はまだ役立ち得ると信じられていたらしい。


 この銃は史上初の戦車の脅威にあわてて大急ぎで作ったものであり、歩兵用ライフルをそのまま拡大したような、構造的には特別注目すべき点のない銃です。ですから細部の説明にはそれほど興味を引かれませんでしたが、弾道や実射性能に関する詳細なデータは興味深かったです。

 弾薬に関する記事はなんと言うか、「第一次世界大戦におけるモーゼルの13mmタンクゲベール用弾薬」というタイトルと内容が全然合っていない変な記事でした。お読みの通り大部分は第二次大戦におけるパンツァービュクゼ38用の弾薬に関する内容です。ただ、私はパンツァービュクゼ38用に13mm練習バレルなるものがあり、13mm弾も発射できたことは全く知らなかったので情報として価値はあったと思います。モーゼル対戦車ライフル用の弾薬が捨てるには惜しいほど残っていたから新型の銃にも使えるようにした、というならまだ分かりますが、お読みの通り両弾薬には互換性はなく、そういう意味ではありません。(ほぼ)同一の銃から発射する場合、弾丸の運動量が大きい方が反動が大きいはずで、本来の実戦用より反動のきつい練習弾薬というのは確かに奇妙です。弾道も大きく違いますから少なくとも一定以上の遠距離では練習にならないはずですし、銃への負担も大きく、軽い7.92mm弾用に設計された銃からあまり多数撃つと早くガタが来ることにもつながるでしょう(歩兵銃から多数のライフルグレネードを撃つと銃が痛むようなものです)。13mm弾薬クラスの大きな薬莢から7.92mm弾を発射することで超高速とし、弾頭内に催涙ガスのカプセルを仕込んで貫通後に敵戦車の車内に放出するという特殊な弾薬の秘密を守るため、普通の13mm対戦車ライフルであるかのように見せかけようとした、という説明にはある程度説得力があります。しかしそれなら1939年12月のOKH指令で、7.92mm弾の3発に対し、5発の試射が義務付けられていることが説明できません。個人的には戦車相手にはあまりに小口径である7.92mm弾に対する反対意見が根強く、実戦で問題が出たらすぐ13mmに切り替えられるようにし、表向き練習用ということにしたのではとも思いますが、実際はどうだったんでしょうか。いずれにせよ第二次大戦ではドイツのものも、似たコンセプトのポーランドのものも、口径7.92mmの対戦車ライフルは戦車の装甲強化についていけずに対戦車用としては早期に脱落し(まあポーランドはあっという間に負けてしまったのでついていくも何もないですが、鹵獲兵器を多用したドイツ軍でもあまり盛んに使われた様子はないようです)、しかも小口径過ぎるため対物ライフルとしてのメリットもさほどないため結局あまり役に立たなかったようです。

 

 








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