イギリス軍用.455リボルバー

 先日、イギリス軍用の.38リボルバーに関する記事を紹介しましたが、同じ「Visier」の2005年2月号には.455リボルバーに関する記事が掲載されていました。読んでみたんですが、こちらの記事はリロードや現代のマッチで使う際の話などが中心で、ちょっと期待はずれでした。ここでは囲み記事として紹介されていた.455弾薬および各銃に関する説明と実射性能に関するデータのみお伝えします。


455ウェブリーMk.T〜Mk.Y
 イギリス人は1892年に.455弾薬をその最初のバリエーションで制式化した。その正確な名称はもはや弾薬の紙箱上にはほとんど適さない(頑住吉注:長すぎるということです)。すなわち、「Cartridge, Small Arms, Ball, Pistol, Webley(MarkT), also Enfield」である。その265グレイン鉛弾は18.0グレインの黒色火薬によりすでに当時約208m/sに加速した。初期の煙の少ない発射薬であるコルダイトによる試みは、薬莢長の問題を明らかにした。1898年、弾薬はコルダイト仕様の「Mk.U」に変更された。その際薬莢長は今日でもなお普通である寸法、約19.5mmに縮小した。しかし成績も低下した。Mk.Uは4インチバレルのウェブリーから発射されて173m/sにしか達しなかった。「ストッピングパワー」を上げるため、ほとんど同時に218グレインのホローポイント弾を持つ「Mk.V」(200m/s)が採用された。このMk.Vはその弾丸ゆえに国際的協定に違反した。そして1900年7月にはすでに使用が禁止されざるを得なかった。Mk.Uは制式に留まった。1909年、「Royal Laboratories」はMk.Wを登場させた。そのほとんど円筒形の、ワッドカッターに似た222グレイン弾は同様に200m/sをもたらし、ハーグ陸戦規則の法的枠組み内に留まっていた。Mk.Uは旧式化したと説明され、更新された。1912年、Mk.W弾薬は鉛とスズの弾丸から鉛-アンチモニー合金に変更された。すなわちこれがMk.Xである。1914年、Mk.Xはその先端が平らな弾丸により、旧式化したMk.Uよりも再装填に時間がかかることがテストにより示された。再びMk.Uが「新しく」採用された。第一次大戦後、この弾薬はコルダイトからニトロセルロースに切り替えられたことを示す「z」の底部刻印が加えられただけで生産され続けた。1939年における鉛弾からジャケット弾への変換によりMk.Yとなった。制式弾薬.455の歴史は1946年になって初めて終わった。今回はこの弾薬が最終的に旧式化したと説明されたときにである。


S&W .44ハンドエジェクター、.455
 S&Wは1915年以後、イギリスに伝説的な「トリプルロック」を供給した。これは極度にコストのかかる3箇所のシリンダーロックを持つリボルバーである。この6連発銃は民間用としては「.44ハンドエジェクター ファーストモデル」という名だった。イギリス人はこの「.455」の刻印をバレルに持つ、今や帰化が許されたヤンキーを、「Pistol, Smith & Wesson .455, with 6 1/2“ barrel, MarkT,1915」と呼んだ。このトリプルロックは(本来民間マーケット用のつもりだったため)、高い光沢を持つブルーブラックのブルーイングを見せていた。この場合イギリス人はシックなフィニッシュも、戦闘において不都合な(汚れに敏感なため)エジェクターケースを伴うトリプルロックシステムも望んでいなかった。メーカーが製品をイギリス人の希望に応じて単純化するまで、この王国はこのS&W製デラックスリボルバーを必要に迫られて5000挺買い取った。S&Wは戦争の日常に適合したバリエーションであるMk.Uを65,000挺以上製造した。Mk.Uは第3のロック要素が欠けているだけでなく、エジェクターロッドのカバーも欠けていた。生産の経過の中でMk.Uからは高度な輝きのフィニッシュも除かれ、後にはより単純なブルーイングとなった。平均以上に良好に維持されたMarkTは1000ユーロという「音速の壁」を急速に越える。それに対しいくらかシンプルなMk.Uは良好なコンディションでもたった400〜800ユーロの価格である。

S&W ハンドエジェクター ファーストモデル .455

弾丸:メーカー・重量・タイプ 発射薬:メーカー・重量・タイプ グルーピング(mm) 初速(m/s) 薬莢のメーカー
H&N 200grs SWCHS .454 Hadgdon 5.0grs Titegroup 84 256 Fiocchi
H&N 250grs KSHS .454 Alliant 5.0grs Unique 45 213 M&S
H&N 250grs KSHS .454 Hadgdon 5.0grs Titegroup 55 237 Fiocchi
H&N 250grs KSHS .454 Vihtavuori 6.0grs N340 62 230 M&S
WM-Bullets 260grs LFN .454 Accurate 6.2grs No.5 58 214 Fiocchi
WM-Bullets 260grs LFN .454 Vihtavuori 5.6grs N340 65 241 Fiocchi


ウェブリーMk.T〜Y
 本来イギリス用に(そしてイギリス国内で)製造されたウェブリーリボルバーは、.455リボルバー群の中で価格的に中位を占めている。これらはたいていスペイン製S&Wコピーより高価であるが、これらよりより良好に加工されてもいる。しかしウェブリーは平和状況下で生産されたアメリカ製モデルの繊細な加工スタンダードには達しない。シューター用には特にウェブリーバリエーションのうちMk.X(6インチバレル)およびMk.Yがうってつけである。Mk.Yは歴史的に軍用ウェブリーリボルバーという鎖の最後の節を形作っており、約230,000挺が製造された。価格は非常に良好な銃の場合約350〜450ユーロである。構造が同じリボルバーでもウェブリーの代わりに「エンフィールド」の刻印が見られるものはいくらか価格が高くなるはずである。第一次大戦後、War Departmentは長年にわたるウェブリーとの共同事業の解約を通告し、エンフィールドが製造を引き継いだ。しかし約27,000挺の「Enfield, Pistol, Revolver, B.L., .455 MarkY,1919」が1927年頃までに製造されただけだった。ウェブリーMk.X(6インチバージョン)のフォームで部隊に達した銃はさらに少なかった。すなわち、1915年にイギリス人は4インチバレルのMk.Xから6インチバレルのMk.Yに切り換えた。だが生産の都合上フレーム製造とバレル製造が同調しなかった。即座にMk.Yのバレルの余剰在庫が、手持ちのMk.Xのフレームにマウントされた。この結果、ハイブリッドとして比較的レアなMk.Xの6インチバリエーション(あるいは見方次第ではウェブリーMk.Y)が約20,000挺生じた。この雑種はコンディション次第で400〜600ユーロの価格である。

ウェブリーMk.Y .455

弾丸:メーカー・重量・タイプ 発射薬:メーカー・重量・タイプ グルーピング(mm) 初速(m/s) 薬莢のメーカー
H&N 200grs HPHS .452 Hadgdon 4.5grs Titegroup 67 195 Fiocchi
Laue 200grs LRN .451 Hadgdon 4.5grs Titegroup 46 207 Fiocchi
H&N 230grs KSHS .451 Accurate 5.7grs No.5 53 186 M&S
Fiocchi 265grs LRN ファクトリー弾薬 86 181 Fiocchi
WN-Bullets 265grs LRN .451 Alliant 4.5grs Unique 56 177 Fiocchi

ウェブリーMk.X(6インチ) .455

弾丸:メーカー・重量・タイプ 発射薬:メーカー・重量・タイプ グルーピング(mm) 初速(m/s) 薬莢のメーカー
H&N 200grs HPHS .452 Hadgdon 4.5grs Titegroup 52 192 Fiocchi
Laue 200grs LRN .451 Hadgdon 4.5grs Titegroup 80 205 Fiocchi
H&N 230grs KSHS .451 Accurate 5.7grs No.5 57 187 M&S
Fiocchi 265grs LRN ファクトリー弾薬 72 182 Fiocchi
WN-Bullets 265grs LRN .451 Alliant 4.5grs Unique 54 177 Fiocchi


コルトニューサービス
 コルトもイギリスの購入申請に直面してほとんど全てに応じることができた。「安さ」以外は。S&Wの場合と似て、War Departmentは同様にコルトの「ニューサービス」を、まず最初にはブルーブラックの高い輝きのあるブルーイング仕様で購入した。1916年以後になって初めて、このハートフォードの銃器メーカーはコスト上有利なバージョンを生産した。これはマットの表面フィニッシュによって最初の供給物と異なっていた。コルトニューサービス.455の銃身長は139mm(5と1/2インチ)だった。スプリングフィールドのライバルと似て、高い輝きのブルーイングが施されたコルトニューサービス.455は、後の生産物である数が多い、しかしマットブルーイングが施された戦友と比べて明らかに高い価格を達成する。希望者は前者に600〜1000ユーロ以上を、後者には500〜900ユーロをしぶしぶ払う。

コルトニューサービス .455

弾丸:メーカー・重量・タイプ 発射薬:メーカー・重量・タイプ グルーピング(mm) 初速(m/s) 薬莢のメーカー
H&N 200grs SWCHS .454 Hadgdon 5.0grs Titegroup 80 275 Fiocchi
H&N 250grs KSHS .454 Alliant 5.0grs Unique 116 203 M&S
H&N 250grs KSHS .454 Hadgdon 5.0grs Titegroup 50 242 Fiocchi
H&N 250grs KSHS .454 Vihtavuori 6.0grs N340 112 233 M&S
WM-Bullets 260grs LFN .454 Accurate 6.2grs No.5 61 218 Fiocchi
WM-Bullets 260grs LFN .454 Vihtavuori 5.6grs N340 70 256 Fiocchi


.455口径「Eibar」
 イギリスのリボルバー調達政策の「南の軸」に関心を持つ人は、ほとんど全ての取引所で「Pistol, Old Pattern, 5“Barrel No.1 MarkT,1915」という選択を見つける(Mk.Uは異なるグリップパネルを持つだけ)。こうした古いピストルの背後には、スペインの銃器の中心地Eibarに所在するいくつかのメーカーのリボルバーが隠れている。これらは質的に(たいてい)何とか受け入れられるレベルの、すでに第一次世界大戦中には旧式化していたS&Wリボルバー(.44ダブルアクションファーストモデル)のコピーである。アメリカの手本品の元々の設計は1881年の日付である。写真のサンプルはTrocaola Aranzabal社由来である。このスペイン製リボルバーはコルトおよびS&Wのアメリカ製ピンチヒッターとは異なり、決して制式化されず、急場しのぎの銃として導入された。そういうわけで、全てのスペイン製品には検査刻印が見られない。それにもかかわらず、イギリス人は終戦の後でもこのスペイン製回転ピストルと分かれなかった。第二次大戦中でもなお、祖国連合の島部においては兵がそうこうするうちにすでに博物館がふさわしいこの銃で武装していた。.455口径「Eibarリボルバー」は200から350ユーロの間である。

Trocaola Aranzabal .455

弾丸:メーカー・重量・タイプ 発射薬:メーカー・重量・タイプ グルーピング(mm) 初速(m/s) 薬莢のメーカー
H&N 200grs HPHS .452 Hadgdon 4.5grs Titegroup 55 198 Fiocchi
Laue 200grs LRN .451 Hadgdon 4.5grs Titegroup 72 216 Fiocchi
H&N 230grs KSHS .451 Accurate 5.7grs No.5 67 177 M&S
Fiocchi 265grs LRN ファクトリー弾薬 67 183 Fiocchi
WN-Bullets 265grs LRN .451 Alliant 4.5grs Unique 117 180 Fiocchi

略称/注釈:H&NはHaendler und Natermann。WM-BulletsはWilli Mintert。Fiocchi製薬莢を使用した弾薬にはCCI500プライマーを使用。M&S製薬莢を使用した弾薬にはFederal150LPSを使用。ウェブリーとTrocaolaのグルーピングは25m、シッティング、依託射撃、各5発で測定。S&Wとコルトのグルーピングはランサムレスト、6発撃ってそのつどスイングアウト後の最初の1発を除外。


 最初に出てきた.455弾薬の歴史は興味深かったんですが、説明が簡単すぎてどうも解せない点があります。Mk.Tは黒色火薬仕様であり、発射薬をコルダイトに変えたとき薬莢長の問題が起きたというので、初期の無煙(ドイツ人は正確に「煙の弱い」と表現していますが)火薬のパワーが低くて長さが足りなくなったのかと思ったら、逆に短縮されたとされています。まあ確かに無煙火薬の方が一般に少量で済むので、黒色火薬時代のリボルバーカートリッジ用薬莢にめいっぱい無煙火薬をチャージして異常にハイパワーな弾薬を作ることも可能だったりしますね。この場合の薬莢長の問題というのは、薬莢内の無駄なスペースが多すぎて圧力が上がりにくいということだったんでしょう。しかし薬莢を短縮した結果パワーが落ちてしまったというのはどういうことなんでしょうか。どのくらい短縮したのか書いてありませんが、パワーが足りなくなったのなら短縮幅を減らしてその分大量の発射薬を入れればいいだけではないんでしょうか。短縮した薬莢をいったん採用してしまったので簡単には変えられなかったということなんでしょうか。どうもよく分かりません。イギリスがいったんこのパワー不足をハーグ陸戦規則に明らかに違反するホローポイント弾を持つ弾薬(Mk.V)で補おうとしたというのは全く知りませんでしたが、これはどう考えても無理な手法でしょう。次にワッドカッターのような円筒形の弾丸を持つ弾薬(Mk.W)が採用されましたが、先のすぼまった弾丸よりチャンバーに入れにくくて再装填に時間がかかるというのは当然のことです。紆余曲折を経て結局パワー不足のMK.Uを使用し続けるはめになったわけです。再装填の問題が明らかになったのが1914年、パワー不足とされたMk.Uに復帰したのがいつなのかは明記されていませんが同年か直後のことでしょう。一方銃の方が4インチから6インチに変えられたのは1915年とされ、あるいは銃身長を伸ばすことでパワーを補おうとしたのかも知れません。しかしデータを見る限り4インチも6インチも初速はほとんど変わりませんね。なお、先日紹介した記事の通り、イギリスは第一次大戦後、.380リボルバーを採用します。これに使われる弾薬は口径は.455より小さく、初速は同程度というものです。.455Mk.Uですらパワー不足だったというのにどうしてこんな選択になったのか、やはりよく分かりません。

 .380リボルバーに関してはイギリス製よりアメリカからレンドリースされた銃の方が数が多かったわけですが、.455リボルバーに関してはS&Wが約7万挺、ウェブリーがMk.Yだけで23万挺ですから(コルトやスペイン製は数が明記されていませんが)、国産が圧倒的に多かったのは間違いないでしょう。

 実射性能に関しては、やはり中折れ式リボルバーであるにもかかわらずウェブリーの命中精度が意外にいいことと、粗悪品のようなイメージのあるスペイン製コピーの命中精度も決して悪くないことが目につきます。






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