ミグの名誉総設計師ベリヤコフ、95歳の誕生日目前に死去

 ミグ設計局の創設直後から参加していた人だったそうです。

http://military.china.com/news2/569/20140303/18370615.html


ミグー29戦闘機の父死去 その作品は中国の軍事工業に深遠な影響

(頑住吉注:原ページのここにある画像のキャプションです。「『ミグ』飛行機の名誉総設計師ロスジスラフ ベリヤコフ」)

傑出した飛行機設計師で、「ミグ」飛行機の名誉総設計師のロスジスラフ ベリヤコフが3月1日に死去し、3月4日の95歳の誕生日を待つことはできなかった。「ロシアの声」の報道によれば、ベリヤコフのあらゆる仕事の経歴は「ミグ」飛行機と切り離せない。彼の指導の下、ソ連の著名な系列の戦闘機が研究開発された。「ミグー27」戦闘爆撃機、「ミグー21」、「ミグー23」、「ミグー25」戦闘機の各種改良型、「ミグー29」前線小型戦闘機、世界に2つとない「ミグー31」迎撃戦闘機など一連の新型機であり、第5世代戦闘機の試作機も含まれる。

若き英雄

ベリヤコフは1919年3月にウラジミール州ムロムで生まれ、1941年にモスクワ航空学院を卒業し、卒業後彼は直ちに成立してたった2年にも満たないミコヤン・グレビッチ設計局に加入して航空工程設計業務を担当した。仕事の中でのパフォーマンスが出色だったため、若きベリヤコフはソ連の著名な飛行機設計師アルチョーム ミコヤンによって才能を認められ、彼本人も1944年にソ連共産党に加入した。

1962年、ベリヤコフはミコヤンの第一助手に任命された。グレビッチが引退し、1970年12月にミコヤンが死去した後、ベリヤコフはやはり理の当然にミグ設計局の総設計師になった。仕事の期間、ベリヤコフは自ら参加して、ミグー21、ミグー23、ミグー25、ミグー27、ミグー29、ミグー31、ミグーAT、ミグMFI(ミグー1.44)などを含む多種の戦闘機、練習機を設計し、ミグ系列の飛行機は一大ファミリーともなり、全世界での保有数は6万機を超えた。ベリヤコフ本人も1971年にソ連社会主義労働英雄の称号を獲得し、かつ3つのソ連最高勲章であるレーニン勲章を獲得した。

作品の影響は大

提示しておくに値するのは、ベリヤコフがかつて設計に参加したミグー21戦闘機が最終的に1つの時代の古典となったことで、この戦闘機およびその改良型は全部で10,000機余り生産され、装備数最多の第2世代戦闘機であり、現在少なくともまだ20カ国の空軍が依然使用している。ベリヤコフが設計に参加したこの作品は中国軍事工業に対する影響も深遠で、中国軍事工業体系がミグー21を基礎に設計、生産した殲ー7、殲ー8系列戦闘機はかつて中国空軍の支柱たる戦力だった。殲ー7はさらに多くの国に販売され、今に至るも依然中国などの国の空軍で就役している。

第5世代機初飛行

ソ連解体後、「ショック療法」を行った新ロシア経済は急速に下り坂になり、元々多士済々だったミコヤン・グレビッチ設計局にも中核たる人員が大量に流出する状況が出現し、かつては飛行機設計の仕事に従事することを渇望していた若者も次々に離れてゆき、設計局には深刻な高齢化現象が出現した。加えてミグー23、ミグー29など設計局の「目玉商品」が湾岸の戦場、エチオピア・エリトリアの戦場、コソボの戦場でのパフォーマンスが良くなく、またロシア海軍固定翼艦載機の発注が失われ、中国の市場もスホーイ設計局によって奪い去られ、設計局の経営状況と評判もこのため泣きっ面に蜂の状況だった。ベリヤコフは1999年にかつて感嘆した。「ほとんどあらゆる人が我々に対し礼儀正しくしてみせるが、我々が問題(頑住吉注:新型機の開発の?)を提出した時、誰が我々の提案を聞き入れただろうか? 国家に強大な工業と軍隊ができるまで、我々は拳骨で机を叩くことしかできない。誰も我々に仕事はさせてくれない!」 (頑住吉注:この部分くだけた話し言葉になっているので訳にちょっと自信ないです。)

このような状況下で、年取ったベリヤコフは依然業務のポストをがんばって続け、歯を食いしばって2000年に技術レベルが第5世代に相当するミグMFI(ミグー1.44)技術検証機の初飛行を実現させた。惜しいことにベリヤコフ個人の努力もロシア工業体系の没落する趨勢を挽回することはできず、ミグMFI戦闘機計画も最終的に経済など各種の原因ゆえに夭折した。

晩年のベリヤコフは非常な困難に直面していたが、彼の成就はそれでも国際航空界の公認を得ており、生前かつてモスクワ航空学院と北京大学の名誉教授、イギリス王立航空学会名誉会員に選ばれた。彼の名前はアメリカ国立航空宇宙博物館の著名人館の壁にも記入されている。


 去年年末に亡くなったカラシニコフは同じ1919年の11月生まれで、第二次大戦を目撃し、その後歴史的に有名な兵器を作り出した設計者が相次いで死去したことになります。



























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