台湾のアパッチ武装ヘリ墜落

 コラムでも触れましたが馬英九が試乗したこともあるアパッチが市街地に墜落して壊れました。

http://tuku.military.china.com/military/html/2014-04-28/223660_2486976.htm


アパッチ、墜落し真っ二つになる! 抗損壊能力は本当は強くない

2014年4月25日午前10時、1機の台湾軍が最も新しく受領したAH-64Eアパッチヘリが、機械故障らしく民家の最上階に墜落損壊した。週末の緊張した救援作業を経て、現在墜落損壊したアパッチはすでに最上階から吊り下ろされ、運び去られている。現場の画像から見て、事故を起こしたヘリの損傷は深刻で、機体はすでに二つに断たれており、その機体前部の窓は破砕され、機体下部はほとんど壊れてボロボロである。


 これは現場の画像集ですが、目茶目茶に壊れていてどう見ても廃品です。

 次にこの事故を評論した記事を紹介します。

http://military.china.com/news/568/20140428/18472252.html


台湾軍のアパッチ墜落を解読:飛行員の反応は遅く計器飛行を行うことはない 

台湾海ネット(ブログ)4月28日の情報(海峡導報記者 劉強) 台湾軍の1機の新たに購入したアパッチ攻撃ヘリが25日不時着損壊し、7億新台湾ドル余りの損失だけでなく、さらに4棟の民家に波及した。天文学的な価格で買ってきたアパッチは、戦力化から半年にならないが、その間にはさらに飛行停止されること2ヶ月で、何とすでに1機が失われ、台湾軍はすこぶる無力感を感じ、外界にもこれに対しすこぶる多くの疑義がある。正式な調査報告は短期間内には出せないが、台湾の軍事評論員田金麗(頑住吉注:女性です)は導報記者のインタビューを受けた時、今回の事故には非常に大きな人為的な過失の要素があり、台湾陸軍のヘリ戦闘訓練方面の不足が反映されている、と率直に言った。

「ガラスの曇り」の対応措置がなかったことが人を不可解にさせる

桃園竜潭に位置する台湾陸軍601旅団の1機のコードナンバー808の最新型AH-64Eアパッチ攻撃ヘリが、25日午前定例の滞空訓練を行っていた時、離陸後7分間で航路を迷い、基地から距離800mの竜潭郷中正路の民家の最上階に不時着を迫られ、機体は強烈な衝撃によって2つに断たれて全壊した。幸いなことは波及した4戸の民家に死傷者がなく、機上の正副パイロットが軽傷だったことである。

事故発生後、飛行員は「コックピットのガラスが曇って方位不明がもたらされた」と自称した。この事故原因に対し、少なからぬ軍事愛好家は不可解であると表明した。極めて先進的な攻撃ヘリとして、アパッチの風防ガラスには外部にワイパー、内部に導電性フィルムが配備され、充分な氷や霜を除き曇りを防ぐ機能が備えられ、当時イラクの砂嵐の中でも素晴らしい実戦パフォーマンスを見せた。だが今台湾で、何とガラスの曇りによってこんなに深刻な事故がもたらされたのであり、間違いなく非常に理解し難い。

副パイロット陳竜謙少佐(飛行時間1,247時間)の事故後の回想によれば、離陸後コックピットのガラスが曇り始めたため目視の方法がなくなり、このため努力して馬力を上げて上昇したが、この時目視できないまでに曇りが大きくなり、夜視機能を用いても機外の様子、一体自分がどこにいるのかを知る方法がなく、はっきり見えるようになるのを待っていた時、眼前はすでに1列の民家で、最終的にできるだけ飛行機の姿勢を水平にし、着陸の力を最低に減らし、最後には民家に不時着するしかなく、「一切は余りにも速く発生し、このような意外事の発生に対し申し訳なく感じる。」ということである。

実際には陳竜謙が当時演じたのは教官の役割で、事故発生時操縦を担当していたのは劉銘輝中佐(601旅団ヘリ攻撃大隊副大隊長)だった。劉銘輝も1,034時間の飛行経験を持っているが、アパッチで飛ぶのは初めてで、正真正銘のルーキーだった。田金麗は、コックピットのガラスが曇るのを発見したにもかかわらず、遅れず合理的な処理ができておらず、飛行員はアパッチの操縦に対し、依然相当にこなれておらず、訓練不足の問題があったことが見て取れる、と考える。

提示に値するのは、これはすでに劉銘輝にとって第2回目の墜落事故からの生還だということである。2011年12月12日、劉銘輝が教官の身分をもってコブラヘリを操縦していた時、着陸手順の処置が遅すぎたため、墜落のすぐ次の「ハードランディング」事故をかつてもたらし、かつこのため飛行停止半年の処分に遭っている(頑住吉注:下手な奴の飛行経験を長期間停止したら余計危ないのでは)。今回彼にまた「反応が遅く、処置が間に合わない」の問題があったのか否かは、依然後続の調査が待たれる。

プロの飛行員なのに計器飛行せず

「事故の画面を見て、我々はその場で呆然とし、あえて自分の目を信じなかった!」 田金麗は、事故発生時彼女もちょうどうまいこと桃園にいて、空軍、漢翔(台湾軍機メーカー)の友人と一緒にいた、と語る。彼女は、この種の事故は空軍が全く想像できないもので、別の言い方をすれば発生があり得ないものだ、と率直に言う。

田金麗は、空軍飛行員は全て熟練した計器飛行能力を持ち、主に劣悪な天候環境と夜間航行訓練に対応し、すなわち手を伸ばして5本の指が見えなくても軽易に飛行機に対するコントロールを失うことはない、と指摘する。何故なら空中を飛行している時、ある時には方向を迷うという問題が発生し、明らかに正常に水平飛行しているのに、誤って機の腹部が上を向いていると思い、このため飛行を調整する時にコントロールを失う可能性があるからだ。この種の方向を迷う錯覚を避けるためには、飛行員は自らに機載計器を信じることを強く迫り、計器の指示通りに飛行することが必須である。この方面において、台湾空軍は飛行員に対し非常に謹厳な訓練をしているが、陸軍航空特殊部隊では深刻に不足している。

いわゆる計器飛行(IFR)とは、完全に機上の計器の指示に頼って飛行機を操縦し、飛行機の状態を判断し、飛行機の位置を測定するのに近いものを指し、大陸では「儀表飛行」と称し、複雑な気象、夜間、海上飛行技術の基礎である。

この種の飛行模式下では、飛行員は直感で飛行状態を感じ取ることはできず、それぞれの計器もまた飛行状態の某1つのパラメータを反映できるだけであり、このため飛行員は各種の計器の位置およびその指示の特徴を熟知し、全面的合理的に注意力を分配することが必須である。計器飛行は目視飛行に比べ疲労しやすいにもかかわらず、飛行員が掌握することが必須の基本飛行操縦技術である。訓練の中で、学員はしばしばコックピットを暗くするカバーを用いて視線をコントロールし、計器の指示通り飛行機を操縦する技能を身につける。今回のアパッチ墜落事故の中で、台湾陸軍飛行員が見せたカギとなる重要な問題は、実は計器飛行能力がなく、目視に頼った飛行しかできないということに他ならず、これは平時の訓練と非常に大きな関係がある。

一方目視飛行が過度で、地平線に依存して飛行機の姿勢を把握していると、ひとたび突発的な曇りが発生して地平線が目視できなくなった時、飛行員の第1の反応は自らの感覚に頼って飛行機の姿勢を把握するというもので、このため非常に容易に「空間迷向」が発生し、明らかに飛行機が傾き、高度が急速に落ちている最中にもかかわらず、自分では飛行機が水平飛行し、高度が不変であると感じ、このことは往々にして機の墜落損壊をもたらすのである。

台湾陸軍には素人が玄人を指導するという問題がある

事故の責任追及に関し田金麗は、完全に飛行員のせいにすることはできない、とする。特に劉銘輝のように初めてアパッチで飛び、熟知しない計器のレイアウトに直面したのでは、これが計器飛行ができなかった重要な原因である可能性がある。

彼女は、今回の事故が反映している真の問題は、陸軍の素人が玄人を指導する現状だ、と考える。島内では、空軍の主管は全て飛行員出身で、甚だしきに至っては「政治戦将校は最高でも副主管しかできない」という不文律があり、飛行の専業を非常に強調している。これに比べ、陸軍航空特殊部隊は一定の規模のヘリ部隊はあるが、非常に多くの長官は飛行員出身ではなく、飛行業務に対し決してプロフェッショナルではなく、実際の戦闘訓練の中でごく容易に意外事がもたらされる。

また、アパッチは本来寒冷で乾燥した西欧の平原上で作戦するために設計されたものであるが、台湾は山が多く雨が多い湿潤な気候で、ヨーロッパ、アメリカ、甚だしきに至っては日本や韓国とも非常に大きな差異がある。1つの重要な差異は低空条件が複雑で、空気の流動が顕著なことである。田金麗は、アパッチが今回見せたガラスの曇りの問題は、アメリカサイドのこの種の気候に対する準備も不足だったことをはっきり示しており、目的性を持った訓練が欠けていた可能性が高い、と考える。


 初めて台湾に到着した時の記事では、飛行員はアメリカで訓練を修了した、とされていましたが、台湾で新たな飛行員を養成するに当たっては訓練内容が徹底されなかったんですかね。ともあれ中国は「抗損壊能力は本当は強くない」と言っていますけど、こんなに目茶目茶な壊れ方をしているにもかかわらず乗員2人とも軽傷というのはある意味アパッチの実力なのでは。














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