中国がレオパルドIIを導入する可能性があった?
「歴史秘話」ものの記事です。
http://military.china.com/important/11132797/20160425/22510685.html
歴史のすれ違い もうちょっとで中国軍入りしていたドイツのレオパルド2メインバトルタンク
(頑住吉注:原ページのここにある画像のキャプションです。「中国戦車の体には実はドイツ系戦車の濃厚な面影がある。」)
ドイツのレオパルド2メインバトルタンクと言えば、知らぬ人はいないと言うことができる。レオパルド2ファミリーは長期にわたり世界10大メインバトルタンクランキングのNo.1を占拠してもおり、ドイツの精巧な製作の卓越した代表である。思いもよらなかったのは、この西側世界で最も強大なメインバトルタンクが40年前に研究開発が成功したばかりの時、もうちょっとで中国に導入され中国陸軍の主戦装備になっていたことである。日本の著名な戦争幻想小説「ミンスク出撃」の中で、中国軍が装備するレオパルド2メインバトルタンクは三北の防衛線上でソ連の強大な装甲の洪水のような流れを全力で迎撃した。小説家の自由奔放な考え方とは異なるが、中国陸軍は確かにかつてレオパルド2メインバトルタンク導入の事項を真面目に考慮したことがある。これは当時のソ連系戦車をもって装備の主体としていた中国の軍隊では非常に珍しいことと言えるが、レオパルド2戦車の印影は正真正銘中国のメインバトルタンクの発展に非常に深く影響したのである。
1970年代末期、中央は全世界戦略の形勢に対し新たな判断をなし、一定程度上過去の「大いにやる、早くやる、核戦争をやる」の戦備思想を改変し、継続して着実に「二弾一星」(頑住吉注:ミサイル、核爆弾、人工衛星)工程に代表される戦略力量建設を推進するのと同時に、主要な精力を通常兵器の発展という方向に転じた。1977年9月18日、中国共産党中央、中央軍事委員会、中央専門家委員会は、力量を集中し、重点を突出させ、大きな力を入れて大陸間弾道ミサイル、潜水艦対地ミサイル、通信衛星の研究開発、試験をしっかりと行う「三抓」任務(頑住吉注:「抓」が「しっかりと行う」にあたる語です)を決定し、国防先端技術の新たな突破を勝ち取ろうとした。同年12月、国務院、中央軍事委員会はまた武器装備発展は「通常兵器をもって主とする」の決策をなし、「三抓」任務を急ぎ完成させるのと同時に、徐々に重点を通常武器装備の完備された体系化という問題の解決の上に転じ、かつ新型武器装備研究開発の歩みを加速することを要求した。
(頑住吉注:これより2ページ目。画像のキャプションは「1960年代末、ソ連の極東地域における気迫に満ちて人に迫るポーズに直面し、中国に生産できるものにはまだ59/69戦車しかなかった」です。)
当時解放軍陸軍の主戦兵器の発展は非常に困難な状況で、対戦車および対空武器装備が欠乏し、制圧火砲の機動性は劣り、主要な突撃力量としての戦車、装甲車両の発展もまた深刻に停滞し立ち後れ、米ソ英独など世界先進水準との隔たりは顕著だった。この大きな背景の下、中央軍事委員会は時勢をよく調べて状況判断し、陸軍武器装備をこの時の通常武器装備発展の重点に列することを決定し、現有装備の欠けている部分をしっかり補うのと同時に、早急に必要でしかも欠乏もしている対戦車武器と野戦防空武器の研究開発を加速し、制圧武器の威力と機動性を高め、さらに一歩戦車の突撃能力を強化することを要求した。
(頑住吉注:これより3ページ目。画像のキャプションは「中国第2世代戦車のかつての努力 122中型戦車(上)、704中型戦車(下)は最終的に相次いで中止された。」です。)
具体的に戦車というこの問題に至り中央軍事委員会は、努力して現役戦車および装甲車両を改良向上するのと同時に、火力、防御力が強く、機動性能がよい新世代メインバトルタンクを急ぎ研究開発することを明確に要求した。当時の国防工業事務室、国防科学委員会と五機部(頑住吉注:「中華人民共和国第五機械工業部」、別名兵器工業部)は積極的に各種ルートを通じ、国外から先進技術を導入し、部隊に装備されている59、69式戦車の性能を元々の1960年代初期の水準から、1970年代の水準に高めさせ、かつ外国の先進技術の吸収、消化により、さらに一歩自ら研究開発する起点を高め、新世代メインバトルタンク研究開発のために準備を整えた。
59式戦車は研究開発、生産の相当に長い時間内ずっと改良がなく、対ベトナム自衛反撃戦で多くの問題を暴露した。旧式戦車を不断に改良する過程の中でも、先進的な戦車技術を積極的に導入しようとした。
第2世代メインバトルタンク開発の過程の中では、異なる意見の論争があったことがある。「現代中国の国防科学技術事業」という本の記載によれば、当時「ある人は世界で最も先進的な戦車の作図コピー生産を起点とし、世界先進水準に飛躍的に追いつくことを主張した。またある人は中国の国情から出発し、自力更生を基礎に、選択的に各国の戦車の長所を広く取り入れ、某いくつかの必要なカギとなる重要技術を導入し、徐々に世界先進水準に肉薄する必要がある、と考えた。」 最後に、この本はさらに「中央軍事委員会は後者の意見に賛成した」と指摘する。ここでのいわゆる世界で最も先進的な戦車とはすなわち著名な西ドイツの「レオパルド」2メインバトルタンクである。
(頑住吉注:これより4ページ目。画像のキャプションは「中国の新世代戦車が当初参考にした原型は長年来安定して戦車ランキング第一位の席次に座るドイツの『レオパルド』2メインバトルタンクだった。」です。)
1970年代末期、かつて雄大な志に満ちた第2世代メインバトルタンク「122工程」は多くのボトルネックとなる問題を解決できないため失敗をもって終わりを告げるしかなかった。1978年4月、国防工業事務室、国防科学委員会、五機部は山西大同で「七八四」会議を開き、新たな第2世代戦車研究開発方案を討論した。会議は第2世代メインバトルタンクは当時すでに研究開発が終わりに近づいていた西ドイツの「レオパルド」2メインバトルタンクを起点として研究開発することを決定した。当時は中米雪解けの旅(頑住吉注:ニクソン訪中)の後で、中国はアメリカをトップとするNATOとごく安定してソ連に対抗する準盟友関係となり、そしてNATOの中で最も犀利な装甲突撃兵器はまさに西ドイツが間もなく1979年に生産に投入する「レオパルド」2メインバトルタンクだった。
(頑住吉注:原ページのここにある画像のキャプションです。「レオパルド2戦車の生産作業場」)
ドイツ本土の装甲部隊装備の数には限りがあるため、当時クラウス・マッフェイ社は積極的に「レオパルド」2メインバトルタンクの海外市場を開拓展開しつつあった。オランダ、スイスが後に装備した「レオパルド」2メインバトルタンクはこの時期に発注した商品に他ならず、このため中国軍が投げ出したこの大きなケーキに対し、クラウス・マッフェイ社はやはり非常に重視した。当時、アメリカを含む西側諸国も「レオパルド」2メインバトルタンクが中国に定住し、もってソ連の鉄甲の洪水のような流れの圧力を分担することを歓迎した。当時日本の著名な幻想小説「ミンスク出撃」の中には中国陸軍が「レオパルド」2メインバトルタンクを使用して三北平原で中国に侵入したソ連戦車部隊に進んで反撃する場面がある。
(頑住吉注:これより5ページ目)
かの年代、120mm大威力スムーズボア砲を装備したレオパルド2戦車は中国が買える最も先進的なメインバトルタンクだった。当時アメリカのM1メインバトルタンクはまだ原型車の段階にあり、装備していたのはまだ105mm火砲だったことを知る必要がある。
だが実際には、製品の購入も「レオパルド」2というこのドイツの精巧の作のライセンス生産も、当時の中国のやりくりが苦しい軍事費支出、およびソ連式戦車製造業いずれに対しても想像できないものと言えた。加えて中国というようなこの大国の陸軍が自らの装甲の鉄拳を他人の掌握コントロールに委ねることは決してできず、だからこそ中央軍事委員会の最終的な、カギとなる重要技術を吸収し、国産メインバトルタンクを開発するという決定があったのである。
(頑住吉注:原ページのここにある画像のキャプションです。「中国の新世代メインバトルタンク発展の過程の中で出現した1224サンプル車。溶接砲塔、自動装填装置、西側の動力室、ハンドルによる操作などの新技術を採用した。」)
当然中国とドイツの協力はやはり中国にいくつかの非常に重要なカギとなるものを残し、例えばドイツのMB8V331TC41型ディーゼルエンジンや補助システムで、これを基礎に中国第3世代メインバトルタンクの動力パッケージが研究開発された。あの時こうしたものは全てまだ事前研究段階にあり、新第2世代メインバトルタンクと呼ばれた。
(頑住吉注:これより6ページ目。画像のキャプションは「レオパルド2メインバトルタンクの一体動力室は中国技術人員に大いに視野を広げさせ、このためわざわざドイツからMB8V331TC41型ディーゼルエンジン動力システムを導入した。」です。)
新第2世代メインバトルタンクの研究開発作業は盛んに行われ、相次いで多種の用途でそれぞれ異なるサンプル車が出現し、多くの素晴らしい成果も出た。例えば1979年3月、工場と科研院所は協同で難関を攻略し、国産動力室を装備した、複合装甲構造を持つ溶接砲塔、砲塔後部自動装填装置、全く新しいシャーシを装備した1224戦車論証性シャーシ試験車の研究開発に成功し、主に導入したドイツのMB8V331TC41型ディーゼルエンジンと補助システムを審査し、および新型走行システムを審査し、全体レイアウトと全車の性能は、後にZF-3000変速ボックスやハンドル操作コントロールを装備したBK1850戦車サンプル車に発展し、かつ最終的にこのエンジンに対するコピー生産と完備は、99式戦車に搭載される150HBシステムエンジンとなった。
1981年1月、また1226戦車試験サンプル車の組立に成功し、8V165エンジンを装備し、初めて動力伝動装置縦置き、かつ全体の吊しての組み込みを実現した。7月、また1両の1226F戦車試験サンプル車が生産ラインを降り、これは12V150型エンジンを採用し、これらの車両はいずれも120mmスムーズボア戦車砲を採用し、かつ徹甲弾、成形炸薬弾、榴弾を配備した。多くの新技術を使用する条件下で、こうしたサンプル車の研究開発はいまだかつてなかった成功を取得したと言うべきで、この段階の部品やカギとなる重要技術の研究開発は百花繚乱の良好な局面を呈し、戦車技術の発展や技術的蓄えに新たな実践と累積を持たせ、いくつかの科研試験の成果は69-IIなどの戦車の研究開発や改装の上に応用された。
(頑住吉注:これより7ページ目。画像のキャプションは「某工場の前で記念撮影された1226サンプル車の歴史的写真。背後にあるのはまさに手を背にし江山を俯瞰する毛沢東主席の彫像で、中国兵器工業の勇気を奮っての前進を指導している。このサンプル車は8V165型エンジンを装備し、初めて動力伝動装置の縦置きと全体の吊しての組み込みを実現し、伝統的な半球型砲塔を採用しているため、3発弾式自動装填装置を採用している。」です。)
最後に、絶対に穏当な形式をもってZTZ80メインバトルタンクが研究開発された。この戦車は最終的にWZ122の正式工場コードナンバーを冠され、これを基礎に部隊の過渡的使用に供する第2世代メインバトルタンクが迅速に研究開発され、かつ精力をより急迫した第3世代メインバトルタンクの研究開発の中に投入した。これは空軍が当時、創新性の精神を持つ殲ー9戦闘機を放棄し、相対的に保守的な殲ー8戦闘機を選択する決定をしたのと同工異曲の意味がある。この後、80式「風暴」/85式に代表される第2世代メインバトルタンクの特徴を持つ新世代輸出メインバトルタンクが中国で相次いで登場し、徐々に外国軍の試験場に向かい、かつ輸出を国内販売に転じる方式をもって国産メインバトルタンクのさらなる一歩の発展を促進し、最終的に豊富で素晴らしい成果を出し、中国のレオパルドの威名を綴った。
私も当時中国に侵入したソ連軍に中国軍が対抗し、日本の義勇兵が参加するなんていう仮想戦争小説を読んだ覚えがありますが、随分時代が変わったもんです。天安門事件によって導入できなくなった兵器はいろいろありますが、レオパルドIIに関してはそういった理由ではなく、まるごと導入するのは総合的に得策ではないと判断されたということのようですね。