T-72の防御力

 以前紹介した、「ロシア、中国戦車の自動消火装置は劣る?」と関連する内容です。

http://military.china.com/history4/62/20131205/18197710.html


チェチェン戦争の中のT-72戦車:惨烈な市街戦の中で自らをプルーフ

(頑住吉注:原ページのここにある画像のキャプションです。「チェチェンにおける爆発式反応装甲を追加装備したT-72戦車群」)

ソ連解体後、T-72戦車は旧ソ連地域の各種の軍事衝突に参加し、まずナゴルノ・カラバフ、後にタジキスタンと、何度も自らの比較的高い戦闘能力と信頼性を証明した。だがチェチェン戦争の中では最も厳しい試練を受け、第一次チェチェン戦争では損失が悲惨、重大で、名声は地にまみれた。しかしT-72戦車は最終的にはやはり第2次チェチェン戦争で自らをプルーフしたのである。

第一次チェチェン戦争中:ロシア軍戦車は慌ただしく出陣した。戦車のアクティブ防護装置が欠乏し、武器装備、戦闘準備が不足し、戦車部隊の各軍区から補充されてきた一部の人員は養成訓練を受けておらず、甚だしきに至っては戦闘協調訓練を受けたことがなく、戦車兵と機械化歩兵の間の協同が欠乏し、また都市条件下での作戦で、相手は地形を熟知し、準備が充分で、装備が精良(大量の対戦車装備)で、充分に英気を養って疲れた敵の到来を待ったチェチェン不法武装分子だったため、ロシア軍は行動の初めに悲惨、重大な損失を受けた。1995年2月初め、戦事に参加した2,221両の装甲設備のうち225両が完全に破壊され、これには62両の戦車が含まれた。このうちほとんど半分は第131マイコープ旅団から来たものだった。当然、その他の部隊から来た戦車もあり、これには元々の駐屯地がエカテリンブルク市にあったウラル軍区機械化歩兵連隊戦車大隊があった。この大隊は1994年12月にグロズヌイを攻撃する時にやっとアクティブ防護システムを得たが、装着する時間がなかった。機械化歩兵連隊の行軍遅延の責任を引き受けたがる高級指揮官は1人もおらず、前進を停止して集中的にアクティブ防護装置を装備することができず、個別の防護設備が行軍途中の暫時休息時に装着された。結果として、市街戦の中で、この連隊の第436号T-72B戦車の側面が、屋内に隠れたチェチェン不法武装人員のSPG-9対戦車ロケット弾の命中を受け、装甲が貫通され、戦車内の弾薬が起爆し、戦車は爆発でほとんど粉々になり、1名の乗員がその場で爆死した(頑住吉注:それでは全員即死に決まっているのでは。表現がオーバーなのか、あるいは他は跡形もなくてその場での死亡確認ができなかったとかですかね)。

グロズヌイにおける戦闘の期間:武装分子は対戦車ロケットランチャーを使って少なくとも4つの方向からロシア軍戦車に向け同時に発砲した。この種の攻撃は致命的で、武装分子は最も有利な位置で攻撃を発動し、戦車の防御が最も薄弱な部位に狙いを定めた。例えば乗員室側面、砲塔頂部、ハッチの後面、戦車の側面と正面が装甲の薄弱な部位だった(頑住吉注:こう書いてあるんですが正面の防御が最も強いのは常識です)。ロシア軍に対する作戦の恐怖感を克服させるため、ドゥダイェフ(頑住吉注:チェチェン共和国初代大統領)は武装分子に戦闘前麻薬を吸わせ、麻薬の刺激の作用下で、熱狂した武装分子は掩体の中から直接飛び出してきて、進攻中の戦車に突進し、ロシア軍の小火器の正面からの掃射を無視し、撃ち倒されなかった者が勢いに乗じて正面から戦車を破壊した。1995年1月、第131マイコープ旅団独立戦車大隊第529号T-72B戦車は、同時に何発かのRPG-7、SPG-9ロケット弾の攻撃に遭い、戦車は緊急機動し、あらゆる武器を使用して武装分子に向け発砲、反撃した。車長チムバリュク中尉、エンジニア兼操縦手のフラドキン兵卒、照準手プジャノフ伍長は心を一つにして協力し、最終的に麻薬の刺激の下に凶猛に攻撃してくるチェチェン武装分子を殲滅し、成功裏に戦闘から離脱した。この戦車の車体、砲塔は全部で7発のSPG、RPGロケット弾の攻撃を受けていたが、いずれも装甲を貫通できなかった。

西側の戦車、装甲設備専門家はしばしば評論を発表し、ロシア製T-72戦車は着火を最も恐れ、戦車内部にちょっと火がつけばすぐ弾薬が爆発し、砲塔が爆砕され、戦車は廃棄処分となるだの何だのと言う。客観的に言えば、あらゆる戦車は火を恐れ、しかも戦車に限らず艦船、飛行機、自動車なども同様に火を恐れるのである。内部の弾薬が爆発する状況下では、T-72の砲塔は爆砕されるだろうが、アメリカのエイブラムス戦車でも同じことで、その場で動けず、車体は崩れ落ち、結果は全てこのようであり、戦車が回復することはできない。事実として、T-72戦車の内部着火も決して全てが戦車の廃棄処分をもたらしたわけではなく、チェチェン戦争中のある実例がそれを証明できる。

1995年1月、グロズヌイ市において、ウラル軍区機械化歩兵連隊の某戦車大隊の大隊長ゲチェリャン少佐の操縦するT-72B戦車が敵の攻撃に遭い、RPG-7ロケット弾が戦車右側の防護スクリーンのない部位に命中した。成形炸薬の噴流は装甲と右燃料タンクを貫通し、戦車内部の着火をもたらし、戦車は停止し、この時エンジンは依然作動中だった。少佐は他の乗員に戦車を離れるよう命令し、自分は戦車を野営地に向かわせ、応急設備を使用し、また水をかけることで戦車内部の火の勢いを鎮圧した。戦車内部の弾薬は大火によって炙られて赤熱し、砲弾、火薬は全て黒く変じたが、爆発しなかった。

(頑住吉注:これより2ページ目。画像のキャプションは「チェチェン戦争中のロシア軍のT-72戦車」です。)

第一次チェチェン戦争後期:アクティブ防護システムを装備し、戦車兵が装備を正確に使用できるようになると、ロシア軍戦車は戦闘任務執行時、もはやほとんど重大な損失をこうむることはなかった。

1996年3月、ゲイスカヤ村解放の時、およそ400名余りの装備精良なチェチェン武装分子が攻略し難い場所にこもって頑強に抵抗したが、結果的にウラル軍区某機械化歩兵連隊が派遣した一個戦車中隊がすぐに問題を解決した。この中隊のT-72Bは全部がアクティブ防護システムを装備済みで、機械化歩兵の戦闘の隊列の中で、武装分子の陣地から距離1,200mで、側面から進攻を発動した。武装分子は9M111「FAGOT」対戦車ミサイルの火力を使用してロシア軍戦車の進攻を撃退しようと企図し、全部で14発発射した。1両の戦車を同時に攻撃した2発のミサイルは目標に命中できず、戦車の乗員は成功裏に機動を実施して攻撃をかわし、12発のミサイルが目標に命中した。このうち1両の戦車は同時に4発のミサイルの命中を受けたが、乗員と戦車は深刻な損傷を受けず、依然戦闘力を保持し、突撃を継続した。この戦車上の高射機関銃の回転式銃架、TKN-3V車長観測儀は破壊された。その他の1〜2発の対戦車ミサイルの命中を受けた戦車が受けた損傷の状況は異なったが、いずれも深刻なものではなく、2両の戦車のキャタピラガード板上のフルセットの備品箱が損傷を受け、2両の戦車上の「ムーン-4」探照灯が破壊され、1両の戦車上の12.7mm「Utjos」NSVT高射機関銃の回転銃架が損傷を受けた。対戦車ミサイルの命中を受けたその他の戦車はアクティブ防護システムの部品が損傷を受けただけだった。1両の戦車のみ装甲を貫通されたが、これは主に武装分子のミサイル発射位置が比較的良かったためで、ミサイルは上から下向きに15〜20度の角度をもって戦車の照準手スペースそばの砲塔部分に命中し(頑住吉注:撃ち下ろす形のため傾斜した装甲に垂直に近い角度で命中した、ということでしょう)、成形炸薬の噴流は導線が損傷を受ける結果をもたらし、照準手アブラモフ上尉が軽傷を負った。これは主に後頭部に火傷と弾片による切り傷を受けたもので、導線が損傷を受け、火砲が進攻に参加できなくなったが、戦車は依然戦闘力を保持し、その他の武器を使用して任務執行を継続し、戦闘後に維持修繕に送られた。

1996年4月初め、ウラル軍区機械化歩兵連隊の1両のT-72B戦車は任務を執行し、山道上の武装分子の車列を殲滅していた。戦車は敵から3,600mの距離の戦闘位置から砲撃した。ほどなく、戦車の火砲の回転式給弾装置上の砲弾を撃ち終わり、もう1両の戦車が前にやって来て弾薬支援を提供し、ロシア軍が支援を行う戦車のエンジン伝動隔離コンパートメントから弾薬箱を下ろし、第1両目の戦車に積み込んでいる時、武装分子が1,900m離れたところから9M111対戦車ミサイル1発を発射し、これが弾薬箱に直接命中した。弾薬箱のそばにいた車長はその場で爆死し、一部の弾片は開かれたハッチから戦車内部に飛び込み、内部の着火、導線の損傷を引き起こした。戦車乗員は遅れず火災を消し止めた。対戦車ミサイルの爆発が生んだ成形炸薬の噴流は比較的強力だったが、弾薬の爆発を引き起こすことはできず、より多くの死傷はもたらされなかった。この実戦の事例は再度T-72戦車の比較的高い戦場での生存能力を証明した。

(頑住吉注:これより3ページ目。画像のキャプションは「チェチェンの戦場のT-72メインバトルタンク」です。)

第2次チェチェン戦争中:ロシア連邦部隊の戦車、装甲設備の損失は比較で言えば何倍も少なかった。まず大部分の将校に戦闘経験があり、乗員の養成訓練のレベルが向上していたおかげである。また、参戦各部隊にはっきりした協同組織があり、戦事に対し全方位の保障を提供した。戦車は正確な使用をされ、市街戦条件下での戦闘使用も非常に成功した。機械化歩兵部隊が攻撃を発起した時、戦車は火力支援を提供し、決定的作用を引き起こした。戦車の砲火が敵サイドの暴露した火力ポイントを殲滅した後、さらに歩兵が前進したのである。

1999年12月から2000年1月、ロシア軍第205独立機械化歩兵旅団独立機械化歩兵大隊の某戦車中隊はグロズヌイの古い工業区を解放する戦闘の中で、カギとなる重要な作用を果たした。戦車の機械化歩兵からの距離は50mにもならず、歩兵が側面および後方からロケット弾の殺傷を受けることを免れることを保障し、正面攻撃する戦車の火力は歩兵に対する危害を及ぼすこともなかった。グロズヌイを攻撃する戦闘の中で、この戦車中隊は1両の戦車だけチェチェン武装分子によって破壊されたが、その後最短の時間内に第205旅団の維持修理部隊によって修復された。戦闘中、この戦車はある小隊長の指揮下で大隊長の命令に違反して勝手に前面に飛び出し、武装分子が占拠する5階建てビルの下に止まり、武装分子は5階から直ちにこれに向け発砲し、何発かのロケット弾が戦車に命中し、放熱器と高射機関銃が損傷を受けた。戦車乗員は迅速に機動し、戦闘から離脱し、人員の死傷はなかった。1999年10月から2000年8月の期間、この戦車中隊では1人の死亡者もなく、1両の戦車が廃棄処分されることもなく、最終的にT-72戦車の比較的高い信頼性と戦場生存能力を証明したのである。


 本当に正しい戦史の紹介になっているか完全には信用できませんが、初期のT-72のもろさが現在までロシア系戦車への過度なあなどりを生んでいる可能性は警戒すべきでしょう。特に最後の事例は、ビルの上から戦車の本来弱点であるはずの上面に向け対戦車ロケット弾を発射して複数が命中し、死傷者を出さなかったというのは高く評価されるべきだと思われます。

















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