コルトM1878水平2連ショットガン

 「Visier」2005年6月号に、たぶんあまり知られていないと思われる西部開拓時代のコルト製水平2連ショットガンのレプリカに関する記事が掲載されていました。ただし、最も興味深かったのは銃そのものではなく、この銃の背景にいたサミュエル コルトの息子の人物像でした。


ダブルの遊び

イタリアから新しい「御者ショットガン」がやってきた。その歴史的原型は西部で最も有名なリボルバーと同じメーカー由来である。‥‥すなわちコルト。


の名前だと誤解を生じやすい。すなわち、Neustadtの会社Hauck&Weberが2005年初め、イタリアのChaparral Arms(CA)が作った新しいウェスタンシューティング用のコルトレプリカを予告したとき、VISIERチーム内の全員が反射的にシングルアクションリボルバーを想像した。だが、名ライフルスミスKai Hauckはすぐにその誤った推測を正した。 「違う違う。それはモデル1878ショットガンの模造品だ」

歴史的に
 コルトの息子Caldwell(囲み記事参照)のイニシアチブの下に1878年から1889年まで製造された口径10番および12番のこのモデルは、アメリカのアンティークガン専門家Norm Flaydermanが詳細に述べているように、単にこのリボルバーメーカー初の中折れ式水平2連ショットガンというだけではない。すなわち、「熱狂者たちはコルトM1878をアメリカ史にかつて存在した中で質的に最も高い価値のある散弾銃と見なしている。この銃はわずかではない数が今日もなお実用されている。モダンな弾薬は(弱いロードでさえ)推奨できないにもかかわらず。」

 長いことレプリカメーカーはこのモデルをあえて無視していた。今、同時に2つのメーカーが模造品作りという賭けに出た。カリフォルニアのThomas YuのTTNインターナショナルInc.社はその銃を極東で製造させ、非常にお買い得な価格を期待させている。より正確には言うことができない。Yuは先のIWAでまだ(頑住吉注:ドイツへの)輸入業者を探している段階だったからである。これと違って最も安価なCAのレプリカは539ユーロである。輸入業者のHauck&Weberは口径12番のこのショットガンをシュツットガルトのIWB以来販売している。VISIERのテスト用に取り置いた2挺を除いて。

外観チェック
 外観からすれば、ウェスタンファンはCAショットガンを歓迎してもよい。赤茶色の色調を持つラッカー仕上げのストックはきれいな仕事がなされ、ケースハードゥン仕上げのレシーバーおよびバレルにきちんとフィットさせてある。レシーバーとバレルのブルーイングはディープな黒色ではなく、ブルーグレーの光沢を放っている。19世紀のスタイルに一致するかのようにである。しかしこのコピー品はコスト上の理由でオリジナルから逸脱している。オリジナルは原材料がベルギーに由来する、茶色またはブルー染めされたダマスカス鋼銃身を持っていた。

 技術およびデザインに関してもChaparral Armsは原型を大幅に手本にしている。この銃は原型のように中折れ(頑住吉注:直訳すれば傾斜バレル)システム、ダブルトリガー、Wesley Richards風「Top-LKever」オープン梃子、そしてパテントの取得されたロック金具で固定されたくちばし型フォアストックを持つハンマー式ダブルショットガンである。CA M1878のストックはピストルグリップつきで(頑住吉注:以前にも出てきましたが、ドイツ語ではロングアームのピストルグリップつきという表現を広く使うようで、この銃の場合も普通これは日本語ではピストルグリップつきとは言わないだろうという形状です)、ケースハードゥン仕上げのBaskule(頑住吉注:「u」はウムラウト。何と説明したらいいんでしょうねこれは。フリントロック、パーカッション単発ピストル、ライフルなどで、木製のフレーム、というのも変ですが、そんな部分の側面にプレート状の金属パーツがはめこんであって、そこにサイドハンマーやら板バネやらの発火システムが組み込まれているスタイルってあるじゃないですか。ああいうハンマー等のの付属した金属パーツのことです。この銃の場合は左右に1つずつあるわけです)は原型に忠実な形状になっている。閉鎖はPurdeyダブルフックによって行われる。そしてウェスタンシューティング用のショットガンとしてふさわしいように、このコルトの模造品は「Coach gun」(御者ショットガン)としての508mm、つまり20インチのバレルペアを示している。これによりそれでもその寸法はコルトがM1878として製造した最も短いバージョンよりもいくらか長い結果になっている。その銃身長は18インチだった。しかしコルトM1878のスタンダードは28〜32インチだった。純技術的に、CA M1878は1点のみによってオリジナルから逸脱している。すなわちそのエキストラクターは、2本の平行に重なり合って配置されたバーではなく、1本のバー上を前後にすべる。

機能テスト
 これに関しては充分でないと非難されるべき点はない。この銃は良好に設置されたトップレバーのおかげで親指を痛めることなく快適にオープンできる。そしてバレルは充分大きく折れ、これにより指は弾薬をあちこち探ることなくなめらかに、また簡単にチャンバー内に押し入れることができる。両ハンマーはその高く突き出、軽く内側に傾いたスパーのおかげで、親指により同時に捕らえ、快適にともに後方へ引くことができ、これは非常に良好なフィーリングである。この結果使用者は競技において銃をコックするのに必要な時間を最小に短縮できる。この2連銃のトリガーはなめらかに、きれいに作動し、確実に、1発の不発もなく発火させた。ただし、この銃は強く肩に当てることが望ましい。さもないと鉄製のバットプレートが強烈な打撃を与えるからである。全てをひっくるめて、CA M1878は非常に良好に機能する。‥‥1つの問題を除いては。

ひっかかる薬莢
 小さな問題ではあるが、テスト者が詰め込んだ弾薬は発射後ほとんど1発もチャンバーから滑り出てこなかった。力強く銃にはずみをつけて重力を助けた場合も同様である。この小さな問題は、競技においては重大な結果を伴う。ウェスタンシューティングはエジェクターを排除しており、爪によって薬莢を引っ張り出していたらベストの経過タイムの妨げになるからである(頑住吉注:説明が簡単すぎてよく分からんのですが、たぶん「開拓時代にはまだ水平2連ショットガンにはエジェクターがないのが普通であった。このためウェスタンシューティングにおいてはリアリティを出すためこの種の銃のエジェクター装備が禁止されている。だから銃を折ってマズルを上にしたときスムーズに薬莢が抜け落ちてくれないと1つずつ手で引き抜かねばならず、タイムの上で不利になる」、ということだと思います)。これを防ぐため、アメリカの一流選手はこの領域(頑住吉注:チャンバー内)を徹底的に磨かせている。この場合油脂や研磨ペーストの助けを借りるだけでなく、すべすべに磨き、前後にこするのである。鏡面状の平滑さを持つチャンバーも、現実に全ての弾薬メーカーの全ての薬莢が助力なしに抜け落ちることの保証にはならない。だが、それはひっかかりの数を劇的に減らし、そしてなめらかに推移する弾薬種類を早く突き止めることを可能にする。Kai Hauckはこれに関し次のように言う。 「我々の全てのショットガンは研磨されたチャンバーつきで即刻来る」(頑住吉注:たぶんこの点はすぐ改良される、ということだと思います)

終わりに差し引き決算
 Chaparral ArmsのM1878は良好に製造されたショットガンであり、ウェスタンシーン用として、視覚的に、価格的に、そして実用上魅力的な品である。この銃はメーカーと輸入業者(あるいはどちらか)がチャンバーをさらに注意深く研磨したとき、このスポーツ種類に最適に向く。このレプリカは最初の一歩にすぎない。Kai HauckKarl-Georg Weber(頑住吉注:カールとゲオルグのウェベル兄弟? たぶんこの3人がHauck&Weber社の中心メンバーなんでしょう)はさらにバリエーション展開することを予定している。さらなるCAショットガンが続く予定であり、1種類は(頑住吉注:ケースハードゥンではなく)ブルーイングの機関部を持ち、他のバージョンはチェッカリングを持ち、他は(頑住吉注:ラッカー仕上げではなく)オイル仕上げのストックを持つ。これでも充分ではない。輸入業者Hauck&Weberはリボルバーの古典コルトSAA M1873のバーズヘッドグリップを装備した模造品も予定している。だが、このプファルツの会社は夏にクライマックスを予告している。すなわちラージフレームのウィンチェスター手動連発銃M1876の世界最初のレプリカである(頑住吉注:トイガンも複数あって皆さんご存知のレバーアクションライフルM1873をより長い弾薬用にラージフレーム化したものらしいです)。

生涯ろくでなし(囲み記事)
 サミュエル コルトではなく、その息子Caldwell Hart Colt(1858〜94)が、このコネチカットの工場がダブルバレル後装ロングアームの製造に取り組むべきであるというアイデアに至った。このことは、この息子が父同様会社の運命に強く関わっていたことを想像させる。だが、事実は反対である。パパコルトが放蕩と仕事を両立させていた一方、大きな口髭を生やしたDandy Caldwell “Collie”Coltは道楽者に該当した。彼の時間は特にハンティング、フィッシング、そしてセーリングに費やされていた。このパーティライオン(頑住吉注:辞書に載っていませんけどまあ意味は大体想像つきますわな)は「The Dauntless」(ドイツ語で言えば「怖いもの知らず」、「Umbezahmbare」 頑住吉注:後者は適訳が浮かばないんですが、「抑えがたい」が名詞化したものです。あまり関係ありませんけど、ドーントレスと言えば、第二次大戦中の米軍の急降下爆撃機が有名ですね)という名前の1艘のヨットを持っていた。その上ではクルーの他にいつも何人かの尻軽女がはしゃぎまわっていた。そしてCollie Coltのイメージは「女たらし」にぴったりで、ヨットの3つの信号砲は「金髪」、「黒髪」、「赤毛」という名だった。彼は当時アメリカ最大の「ヨットマン」の1人に該当した。彼が過度の飲酒のせいで一度ならずレガッタに負けたにしてもである。彼のファミリー企業への関心は露骨に高価な銃のコレクションのみに限られていた。コルトの専門家R.L.Wilsonによれば、彼は特にこの会社で製造されたモデルの全てから1挺所有することを重んじた。彼は自分の趣味だけを理由に、父の工場(頑住吉注:もう死んでますけど)で英国スタイルの水平2連ショットガンおよびダブルライフルを作らせるというアイデアに立ち至ったのである。ハンマータイプのショットガンM1878はきっちり23000挺をもって、それでもより大きな成功に満足した。これに対し、1879年から製造された、ケースハードゥンのサイドハンマー発火機構、ダブルトリガー、繊細な木目のストックを持つダブルライフルは約40挺を越えなかった。‥‥15年以上の間にである。「コルトのダブルバレルライフル」は今日もっともひっぱりだこのアメリカのコレクター銃に数えられている。これは不思議ではない。アメリカ人は決してこのライフル様式に関しイギリス人と情熱を共有していないからである(頑住吉注:H&Hなどビッグゲーム、猛獣狩り用の高級ダブルライフルはアメリカ人でなくイギリス人が好むものだ、ということです)。彼らはこれの代わりに単発のブロック閉鎖機構を持つライフル、あるいは手動連発銃を優遇した。そういうわけで、コルトはかつて19世紀中、高級なダブルライフルを言うに値する数だけ生産した唯一のアメリカの大手銃器メーカーでもあり続けた。頬当てのないストック、チェッカリングのある品、ストレートのバットプレートが示すように、その単純さはコルト工場がM1878からデザインを分岐させたためである。この事実(頑住吉注:ダブルライフルを専用にデザインせず、用途の異なるショットガンから流用したシンプルなものにしたこと)は、コルト工場がこのライフルをコルトジュニアの希望のみによって生産していたことをある程度物語っている。この銃はたいてい彼の友人仲間内に分けられた。Caldwell Coltがひょっとして実業家になれたかどうかは全く想像がつくことである。だが、彼はフロリダ海岸からの航海中に扁桃腺炎で、35歳にしてすでに死んだ。


 言うまでもなくこの銃が作られたのはM1877ライトニングと同時代です。「Visier」に掲載されたライトニングに関する記事でも、コルトが死に際に何を言ったか、それが後のコルト社にどんな影響を残したのかといった実に興味深いエピソードに言及されていましたが、この記事にも全く知らなかった事実があり、なかなか面白かったです。ボルトアクションライフルを発明したドライゼの息子は人格に問題があったらしいものの才能はあり、大きな発明も成し遂げていましたが、コルトの息子は単なる道楽者で、会社にとっても偉大な創業者の息子であるが故に発言力だけはあるという困った存在だったようです。まあ現代の日本にもよくあるたぐいの話ですな。

http://www.cowboyactionshooting.com/pages/1878SXSArticle.htm

 このメーカーの製品はネット上に見つからなかったんですが、これはちょっとだけ触れられている同じ銃を再現したライバル製品の紹介ページです。まあこの銃自体はどうということはないですね。





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