第一次世界大戦におけるドイツのハンドグレネード その1

 「Waffen Revue」30号に、第一次世界大戦で使用されたドイツ軍のハンドグレネードに関する記事が掲載されていました。ハンドグレネードの起源から始まり、プロトタイプや珍しいタイプまで含めた詳細な記事で、非常に長いので2回に分けて紹介します。


第一次世界大戦におけるドイツのハンドグレネード

歴史上の物たち
 Casimir Simienowiczによる1676年の書物「完全な砲-Feuerwerck(頑住吉注:「Feuer」は英語のファイアーですが、後半の単語は辞書に載っていません)技およびライフル名工の技」によれば、いわゆるハンドグレネードはすでに16世紀に使われていた(もっと早くからさえ使われていたらしい)。それはアップル型グレネードに似た球であり、「Granatieren」、後には「Grenadieren」(頑住吉注:手榴弾を投擲する兵のことのようです)から敵の前線内に投擲された。両方の名称は今日まで維持されている。「Grenadiere」という名称が今日いくらか逸脱した意味を持っているにもかかわらずである(頑住吉注:語源は手榴弾兵だが、現在この語は歩兵を意味している、ということのようです)。

 このハンドグレネードはガラス、真鍮、鉄製の球で、木製のものさえあった。これを火薬と、時によっては鉛球、鉄あるいは石片を満たし、信管によって点火した。

 当時まだ多種多様な点火システムが知られていなかったので、単純に1片の火縄が使われた。これは当時すでに一種の遅延信管の役目さえ果すことができた。

 図1は、例えば火薬で満たされた中空の鉄球からなるハンドグレネードを表現している。中央には開口があり、ここに穴を備えた信管が差し込まれた。この状態で信管内には1片の火縄が差し込まれ、その前端には鉛球が固定されていた。信管の上部は1片の木でカバーされ、小さな柘植の木の小枝が投擲後の安定用に備えられていた。

 ハンドグレネードを投げたいときは、火縄に点火し(つまり炎を上げずに赤く燃えるようにし)、その際火縄はまだグレネード本体の外側にあった。投擲時、鉛球は信管内を下に向けて滑り(遠心力)、燃える火縄を内部に引き込んだ。火の粉が信管の開口からグレネード本体内に入り、火薬に点火し、このときグレネードを炸裂させた。

(頑住吉注:これがそのハンドグレネードです。ただこの説明にはちょっと疑問があります。この説明の通りなら、投擲時に図の下が先になるように投げる必要があるだけで、飛行中、あるいは着弾時にどちらが先になっていても爆発しますから尾翼のような役割を果す小枝が必要とは思えず、また飛行中に爆発する可能性も高いように思えます。小枝によって図の下部が常に先になって飛ぶようにし、着弾時の慣性によって鉛球が内部に引き込まれて爆発する、最も原始的な着発信管だったのではないでしょうか)

 当然すでに当時多数のバリエーションが存在した。その中には燃える火縄が単純に開口から突き出し、投擲後特定の時間後に(火縄の燃える端部が火薬スペースに達したとき)火薬に点火するものもあった。つまり、数百年後にもまだ同じ方法が使われていた遅延信管がすでに知られていたのである。

 特に包囲攻撃でもそうだったように野戦でもこうしたハンドグレネードは大きな役割を演じた。それは30年戦争(頑住吉注:1618〜1648 http://www.tm-a.co.jp/cityInfo/Dic_German/GERdic/30nensensou.html )の間も同じだった。我々はトルコによるウィーン包囲(頑住吉注:1529年および1683年 http://www.tabiken.com/history/doc/B/B285C200.HTM )の際のハンドグレネードの使用を聞いている。1700年頃にはハンドグレネード投擲手、グレネード兵はヨーロッパにおける陸軍の規定通りの構成要素だった。18世紀終わり頃には野戦陸軍からハンドグレネードの実際上の使用がなくなったにしろ、「Grenadiere」(頑住吉注:「グレネード兵」、転じて歩兵)の名は部隊内に生き続けた。1904年の日露戦争(頑住吉注:以前も書きましたがドイツ語では「ロシア-日本戦争」)は近代におけるハンドグレネードの使用を再び活気付け、そしてドイツの「Friedensrustung」(頑住吉注:「u」はウムラウト。辞書に載っていませんが、「平和」+「軍備」)は工兵の手にするハンドグレネードを要塞戦用としても再び予定した。

手投げ榴散弾グレネード
 1907年2月14日、ハンブルグのFritz Gunder Hubert Richter(頑住吉注:最初の「u」はウムラウト)社は、ナンバーDRP(頑住吉注:ドイツ帝国パテント?)202 485の下に「着発信管を持つハンドグレネード」のパテントを与えられた。

 このハンドグレネード(写真2および3)は真鍮パイプからなり、中には炸薬が入れられていた。前部には着発信管が、そして後部には房つきのロープが取り付けられ、これが投擲時に安定を保証し、グレネードが常に頭で衝突し、信管が効果を表わすよう配慮されていた。

 前から1/4の位置にはマッシブな鉄製のミゾつき破片形成部分が取り付けられ、これがパイプの爆発時の破片効果を決定的に高めた。
   
(頑住吉注:左が全体像、右は断面図と携帯方法を示した図です。ペンについているようなクリップが付属し、ベルトに挟んで携帯できたわけですね。ちなみに着発信管の構造や安全装置の解除方法などについては触れられていません)

 この「手投げ榴散弾グレネード」(後にそう名付けられた)は1907年12月にイギリスで、多くの国のエキスパートたち(その中にはドイツ大使もいた)の前で実用的に実演され、大きな反響をも見出した。ドイツで拡大されたテストが続いて行われ、このハンドグレネードをドイツ陸軍にも採用することが熟考された。我々の手元にあるこのテストに関するレポートからは、このハンドグレネードが事実採用もされたのかどうかを見て取ることができない。このハンドグレネードを持ったドイツ兵の写真が手元にあるにしてもである。

 興味深いことに、1913年にはイギリスのMartin Haleの発明が披露されているが、このグレネードはここで示された1907年製のものに、破片形成部分や「あやつる尾」を含めて全ての細目が似ている。(頑住吉注: http://members.lycos.nl/lexpev/experiences.html 上から4つめの「No. 2  Mk1」がそれですが、確かにそっくりです)。

 このハンドグレネードは177.3mmの長さ、41.3mmの直径、628gの重量をを持っていた。

第一次大戦におけるドイツのハンドグレネード
 第一次大戦は非常に急速に純粋な「塹壕戦争」あるいは「陣地戦争」に発展した。敵はしばしば何mも離れていない塹壕内にいた。自軍の砲兵はもはや敵の最も前の塹壕に、自軍の最も前の塹壕にも同様に命中させることなしに砲火を浴びせることができなかった。しかし歩兵は敵の塹壕に上から落とすための曲射を必要とした。このため歩兵は工兵の指導の下、応急の小型炸裂体および投擲体を作った。これはまず第一には手で投げることのできるものだった。

 例えば空の缶詰の缶を炸薬、蹄鉄用の釘、小さな鉄片で満たし、「Schlagbrett」(頑住吉注:辞書に載っていませんが「打撃」+「板」)に似た木に針金で固定し、遅延信管と「Phosphorknoph」(頑住吉注:これも辞書に載っていませんが「燐」+「ボタン」)を備え、マッチかタバコで点火した後、手で投げた! あるいはいわゆる爆発ハンドグレネード(ラスクハンドグレネード)が作られた。この場合四角い箱に入れた非常に強力な炸薬が板の上に固定された。最も原始的な手段を使い、自分で発明したさまざまな構造が部隊内で試験的に使用された。しかし前線の応急の手段をもってしては当然完全な価値のある兵器を作ることはできず、そしてしばしば彼が投げようとする敵よりも投擲者にとって危険だった。

 すでに平時において工兵の手による要塞戦用に想定され、そして野戦部隊に支給された最初のハンドグレネードは球状ハンドグレネード(頑住吉注:「Kugelhandgranate」)だった。これは円盤ハンドグレネード(頑住吉注:「Diskushandgranate」)(着発信管を持つ「亀ハンドグレネード」 頑住吉注:「Schidhandgranate」)の多くの構造と同様に、依然としてかなりの欠点を持っていた(貯蔵性の乏しさ、非常に多い不発、一部は投擲のためには大きすぎる重量、扱いにくさ、100mまでも飛ぶ破片による周囲の味方に対する危険)。その後いわゆる卵型ハンドグレネード(頑住吉注:「Eihandgranate」)(外表面が平滑、そしてその後リブがつけられた)が攻撃用として決定的に有用であることが明らかになった。最終的にイギリスのハンドグレネードを模倣した柄つきハンドグレネード(頑住吉注:「Stielhandgranate」)が目的にかなっているとされるまでである。このハンドグレネードは戦争中まだ何回か改良され、歩兵の手によって戦争終結まで使用され、たいていの兵器が真価を示した。敵の塹壕および擂鉢状陣地の攻撃や突破口を開く際の特殊な戦闘行動が生じた。例えば1つのいわゆる「Stosstrupp」(頑住吉注:辞書には「コマンド部隊」、「攻撃部隊」などとありますが、成り立ちからして英語のショックトループに当たる語なのではないかと思います)内部に何人かの兵を「投擲手」(頑住吉注:「Werfer」)(遠距離投擲手と近距離投擲手)と決め、それにハンドグレネードを持った「運搬手」(頑住吉注:「Trager」 「a」はウムラウト)およびライフル、カービン、ピストルを持った「安全確保手」(頑住吉注:「Sicherer」)を随伴させることによってである。投擲手と運搬手はハンドグレネードを首から吊った袋に入れて携帯し、運搬手はさらにその上そのような袋を手に持った。だが、ハンドグレネードに革ベルトへの吊り下げ用フックを取り付ける携帯方法が普通だった。短いサーベル、ナイフ、短剣、鋭利にしたスコップ、信号用の照明ピストル、初期には塹壕盾、マシンガン用防盾、完全装甲(防御塹壕装甲。ただしこれはフィールドでは使用不能だった 頑住吉注:「防御塹壕装甲」=「Schutzengrabenpanzer」・「u」はウムラウト・は辞書に載っておらず、検索しても何もヒットしませんが、たぶん中世の甲冑に近い防具ではないかと思います)さえもがこうした近接戦闘者の装備を補った。

 ハンドグレネードの重要性が認められていたことは、1917および1918年には複数月にわたる大規模戦闘の間に西部戦線だけでほとんど100万発のあらゆる種類のハンドグレネードと投擲弾(つまり公式に採用されたものと自作のもの)が毎月使用されたというレポートから明らかである。採用されたハンドグレネードの自国製造品は外国製に負けていなかった印象である。1916年秋には毎月600万発、1917年夏には毎月800万発さえもが、そして1918年春には600万発が製造された。その数が1918年秋に毎月200万発に低下するまで(頑住吉注:第一次大戦は1918年11月に終了しており、この頃はすでに物資や労働力の不足で生産力が落ちていたようです)。

 我々はこれから個々の方式に取り組み、「Waffen Revue」の弾薬コレクションから撮影された全てのオリジナル品の写真を示したい。

球状ハンドグレネード
 1916年の公式な指示を以下のように引用する。

 この球状ハンドグレネードは歩兵および工兵の近接戦闘兵器、主に対突撃防御用として役立つ。これは使用準備完了状態で約750gの重量があり、ケース、装薬、信管からなる。鋳鉄から作られたケースは直径8cm、壁の厚さは8mmである。内外は黒く塗装され、信管ねじ込み用のメネジつき口穴を持つ。

 このハンドグレネードは燃焼信管および着発信管付きで使用できる。装薬は50gのライフル用炸裂弾火薬、あるいは爆発力の強い爆薬である。爆発の際は60以上の破片が生じ、100mの距離まで飛び、10mの距離ではなお2cm厚の松板を貫通する。

1.燃焼信管とともに(図4)
 この燃焼信管は、摩擦点火装置と約5秒の燃焼時間の点火紐を持つ真鍮パイプである。「摩擦するもの」
(頑住吉注:「Reiber」)を信管から引き抜くことによって摩擦点火薬に点火され、これによって生じたガスが排気管を通って外部に達する。このためこの開口を体に向けないよう注意すること。このガスが火傷を引き起こすからである。その後点火は遅延燃焼薬で延長され、5秒燃焼した後に端部にある穴から吹き出た2本の炎によって炸薬が爆発に導かれる。燃焼信管の頭部は異なる幅で赤く塗装されている。より狭い赤い帯は燃焼時間5秒、より幅広い(約1cm)それは7秒をマーキングしている。

(頑住吉注:ワイヤー状の「摩擦するもの」を引き抜くとマッチのように摩擦で点火され、「点火紐」が燃え進んで炸薬に点火されるというごく簡単な構造です。「摩擦するもの」を固定する安全装置のようなものは見当たらず、基本的に使用前に信管をねじこんですぐ使うというものだったようです)

「もぎ取る設備」だけによる取り扱い
 閉鎖ネジを取り去った後、信管をねじ込む(慎重に、間を置かず)。このネジ部に火薬があってはならない。燃焼信管は乾燥状態に保つ。「もぎ取る設備」(カラビナフックつきベルト)を左手で持ち、グレネードを右手でつかみ、カラビナフックを燃焼信管のリングにひっかける。短く力強い引きによって「摩擦するもの」は信管から引き抜かれ、グレネードはターゲットに向かって飛ぶ。

 投擲後、すぐ完全に体を遮蔽する。

 ベルトの代わりに釘や強い紐も使える。
(頑住吉注:このハンドグレネードは、「摩擦するもの」を引き抜いてから投げるのではなく、「摩擦するもの」を紐などでひっかけた状態で投げ、自動的に抜けるようにしたということです。対戦車成型炸薬手榴弾「パンツァーウルフミーネ」の方法とやや似ていますね)

 球状ハンドグレネード用に特別に設計されたキャリングフレームもある。これはグレネードを革ベルトに固定するのにも、投擲時の「もぎ取る設備」としても同時に役立つ。

キャリングフレームでの取り扱い
 爆発可能にした後のグレネードをキャリングフレーム内に再び固定する。使用時はベルトを解き、グレネードを下に引き抜くことによって燃焼信管に点火し、グレネードを投げる。

(頑住吉注:これがキャリングフレームです。これは信管をねじ込む前で、ネジ穴はネジでふさがれています。いったんグレネードを外してネジを抜き、ここに信管をねじ込み、ここは説明がありませんがたぶんチェーンにつながったフックを「摩擦するもの」のリングにかけてグレネードを再びセットするんでしょう。グレネードを保持しているベルトを解いてグレネードを下に引くとフックにつながった「摩擦するもの」は引き抜かれてグレネードに点火され、すぐ投げるわけです)

2.着発信管(薄板製漏斗)とともに
 このグレネードを着発信管つきで使うときは、同様にすぐ使用できる。必要なのはワイヤーリングセーフティを取り除くだけである。ワイヤーリング除去の後、着発信管を投げる手でグレネード本体に固く保持し、これにより球状セーフティの早すぎるセーフティ解除を防ぐ。空中で初めて漏斗は自動的に離れ、これによりグレネードは後の衝突の際の爆発能力ができる
(頑住吉注:引用はここで終わっています。着発信管の説明はこれだけで、図や写真も一切なく、どういうものなのかほとんど分かりません)。

 この球状ハンドグレネードの投射距離を高めるため、ライフルグレネードに似てライフルから射撃され(写真7左)、また射撃架台(写真7右)から発射されることさえあった。このためには棒つきのグレネードキャリアがバレル内に差し込まれた。燃焼信管の引きはカラビナフックつきの紐が行った。30〜50度の仰角をつけた場合、射程は125〜195mに達した。
 
(頑住吉注:ライフルグレネード発射時は反動が大きくなるので左のようにバットプレートを接地させるか、右のようにスプリングによる緩衝装置つきの架台に乗せて発射されました。いずれの場合も「摩擦するもの」を紐でつなぎ、発射の瞬間に引き抜かれて点火する仕組みでした)

 ゼンマイ仕掛けでスイッチオンする試みもなされたが、非常に短時間で中止された。この信管は部隊において賛同を得られなかったからである。このグレネードはあまりにもしばしば経過をたどらないゼンマイ仕掛けによって再びドイツ側前線内に投げ返され、そこで自軍の兵員にかなりの損害を引き起こした。

新型球状ハンドグレネード
 従来の球状ハンドグレネードの約70〜80の小さな破片への分解は有利でないことが明らかになった。つまりこの型では凹凸が変更され、その後はより少数の、しかしその代わりより大きな破片を生じた(写真8および9)。
 
 新型球状ハンドグレネードはその点火システムは最初の型と似ており、充填剤と寸法は全く同じだった。

 だが、根本的に変更された凹凸の配置が判別法として理解される。これによって生じた大きな破片は、軽装甲にさえ効果的であることが意図された。このハンドグレネードがいわゆるタンクの登場に際して初めて出現したことから、この遭遇が全くの偶然ではないという推測が浮かぶ。

 新型球状ハンドグレネードも「引きベルト」付きで革ベルト上で携帯され、同じ方法で扱われた。「引きベルト」はハンドグレネードを放した後、手に留まり、損傷しなかったため、繰り返し使われた。

円盤ハンドグレネード プロトタイプ
 1911年4月25日付でハンブルグ所在の「Dynamit−Aktien−Gesellschaft」社(かつてのAlfred Nobel & Co)はナンバーDRP 252 561の下に「円盤形状のハンドグレネード」のパテントを与えられた。

 この文章は次のような内容だった。

 知られているレンズ型ハンドグレネードは欠点を抱えている。それは人間の腕力によって制限された投擲距離の場合、投擲者が後方効果によって危険にさらされることである。この発明はこの問題をできるだけ完全に排除することを意図している。この目的のため、そのシャープにされた縁のおかげで空気抵抗が特別良好に克服されたフラットなレンズ型の中空弾(図1)が、2つの厚い、互いに適合した金属の皿(1)から組み立ててある。この皿は簡単に、リベット(2)のみで結合されている。このリベット結合は熱加工を使わない方法で、適合するヤットコで行われる。点火は任意の方法で行える。例えば図では燃焼信管つきグレネードが表現されている。この場合点火は知られた方法で1本の遅延点火紐(3)で行われる。この遅延点火紐は小さな端部(4)が露出しているのを除き、ハンドグレネードに内蔵されている。この点火紐のグレネードへの内蔵自体が、他の場合あり得る敵によるもぎ取りを阻む。点火が行われた後、円盤型グレネードは投擲され、この結果シャープなサイドを前、そして後にしてまっすぐに飛行する。後方効果をほとんど排除するため、弾丸ケースの皿は充分な粘り強さを持ったマテリアルの場合、比較的ルーズに互いに結合される。そのためこのグレネードは所定の炸薬の配置により強力なサイド方向の効果をもって炸裂する。場合によってはこれに内蔵された炸裂部品も加わるかもしれない。簡単に考えて、この際飛行する円盤型グレネードの大きな横断面が垂直に、あるいは他の傾きを持ち、あるいは地面に全く垂直に飛行するかどうかはどうでもいいことであることが分かる。実地によって証明されているように、全てのケースにおいて飛び戻ってくる破片による投擲者の危険は等しくありそうもない。図1、2による型の形状の場合、点火紐の内部における端部には炸裂カプセル(5)が固定されている。点火紐の燃焼は炸裂カプセルの爆発の誘引となり、これにより炸薬が爆発する。点火紐の外部の端は、任意の設備の点火紐点火器によって点火される。例えばマッチの点火部を備えた点火紐の頭部4に、燐摩擦面の摩擦によって点火する。そのような摩擦面は全てのハンドグレネードの外部表面にあるので、使用者はハンドグレネードを他のもので擦って点火できる。(頑住吉注:点火紐の端部がマッチの頭のようになっており、ボディーに擦り板が備えられているので、端部を他のハンドグレネードのボディーの擦り板に擦って点火できる、ということのようです)「擦る頭部」(4)は、それに固く巻かれた布テープによって損傷から守られている。布テープはワニス様のものでハンドグレネードの両ケースサイドに貼り付けられている。弾体の炸薬には任意の爆発力の強い爆発物が使われる。トリニトロトルエン(頑住吉注:TNT)の使用が有利である。大量の炸薬を使った円盤型ハンドグレネードの場合、炸裂カプセルを炸薬から分け、使用の少し前になって初めて入れることが推奨される。図3はそのような型の形式の例を示している。2は例えば真鍮製の貫通したパイプである。このパイプは使用の少し前になって初めて炸裂カプセル(4)が固定されたねじ込みの炸裂カプセルネジ(3)を受け入れる。炸裂カプセルの後方は、針部品(5)受け入れのためパイプの内径が狭くなっている。針部品は発射薬(6)の助けで点火剤内に撃ち込まれ、これによって爆発を引き起こす。発射薬(6)は特定の速度で燃焼する燃焼装置(7)によって点火される。燃焼装置は点火剤(8)を持っている。カバーネジ(9)を抜いた後、点火剤の頭部は露出し、燐摩擦面上の摩擦あるいは他の方法で点火される。

(頑住吉注:図1、2の型は単なる導火線が燃え進んで点火される単なる爆弾が円盤型のケース内に収まっているだけです。基本的に横方向にしか破片が飛ばないというのは、図1のように立てた状態で飛ばし、爆発すると、2枚の皿状ケースが比較的ルーズに結合されているだけなので、左右方向に破片が飛び、手前にはあまり戻ってこないということらしいです。円盤が傾斜している場合、敵への効果が減殺されることはあってもやはり手前には戻って来ない、手前に大量に戻ってくるのは図2のような状態で爆発した場合だが、こんな形で飛ぶことはありえない、というわけです。図3の方は遅延点火装置の先に銃の発射薬のようなものがあり、これによって発射されたファイアリングピンが「炸裂カプセル」に命中して発火させるという面倒な方法です。これは単に「炸裂カプセル」を簡単に着脱するためのシステムで、3のキャップ状ネジの先に4の「炸裂カプセル」が付属したような状態のものを別に保管しておき、使用前にねじ込むわけです。「炸裂カプセル」周囲の真鍮パイプの肉が薄くなっているのは、「炸裂カプセル」の炸裂で破れ、炸薬に点火するためです)

円盤型ハンドグレネード15
 この円盤型ハンドグレネードのプロトタイプに基き、最終的に独自の形式の形成物が作られた。これは「円盤型ハンドグレネード15」(あるいは「1915」)として採用され、兵士たちの間では「亀型ハンドグレネード」(頑住吉注:「Schildkrotenhandgranate」。「o」はウムラウト)と呼ばれた。

 これに関しても公式な指示を次のように引用することができる。

 この円盤型ハンドグレネードは固い物体への衝突の際に炸裂し(着発点火)大きな横方向への破片効果を持つ。攻撃用兵器としても防御兵器としても使われる。特に敵の陣地内への投擲に適している。距離40mまでは手で投げることができ、それを越えると投擲マシンが使われる(頑住吉注:これが具体的にどういうものかについては触れられていません)。このグレネードの場合注意すべきなのは、投擲時、常にシャープな角を地面に向けなければならないことである。つまり、このグレネードは例えば円盤標的(頑住吉注:辞書に載っていませんが、たぶんクレーのことだと思います)のように地面に水平に投げられるのではない。

 この円盤型ハンドグレネードは2枚のフラットなケース、信管、炸薬からなっている。爆発の際70〜90の破片に分解する両ケースは鉄板製で、縁で固く互いに結合されている。鉄製のものも軽金属製のものもある信管は6本のアームを持つ金属ケースからなっている。

 アームは中央で星型に集り(点火星)、その端部はネジによって閉鎖されている。このアームのうち4つには点火ボルトがある。この点火ボルトは中央に向かってプライマーを備えている。このプライマーの全てに対し、ケースの中央に位置している針十字の先端がある。5番目のアームは炸裂カプセルの受け入れに役立ち、「S」で印をつけられた閉鎖ネジで閉鎖されている。6番目のアームは安全棒の受け入れに役立つ。この安全棒はフォーク型に針十字をグリップし、4つの点火ボルトの針十字方向への運動を妨げている。このアームは1本の割りピンによって安全ピンキャップを通してロックされている。これにより安全棒の脱落が妨げられている(安全棒セーフティ)。装薬は約130gの爆発力の強い爆薬からなり、2つの布袋内に収納されている。不運なケースを防ぐため、グレネードと炸裂カプセルを分けることが推奨される。そういうわけで、使用者はグレネードを自分で爆発可能状態にすることを強いられる。

 取り扱い:「S」の表示がなされた閉鎖キャップをねじって外す。炸裂カプセルを入れる。閉鎖キャップを再びねじって取り付ける。

 安全棒セーフティ上のリングを倒し、割りピンを引き抜き、安全ピンキャップを外す。

 安全棒の早すぎる脱落を防ぐために人差し指を安全棒に置き、グレネードを右手で投げる。

 鋭利な角は地面に向けなくてはならない。

 投擲後、すぐに体を遮蔽する!

  投擲時、遠心力によって安全棒は飛び出てくる。これによりグレネードはセーフティ解除される。衝突時、点火ボルトのうち1本がそれに向けられている針に打ち付けられ、プライマーに点火し、そしてこれにより炸裂カプセルと装薬に点火する。破片は両サイドに飛ぶ。それは約105度の開き角の円錐を形作り、破片が前あるいは後ろに落下するのはときたまだけである。


 長所は、全ての着発信管を持つハンドグレネードの場合のように、敵が再び投げ返しに使用することができないことだった。これは早すぎる投射が行われた燃焼信管式ハンドグレネードの場合には簡単に行えた。使用者は多数のこのハンドグレネードを携帯食袋内に、そして残りをバッグに収納することができ、そしてこれ用の多数の袋が付属した特殊なベルトさえ存在した。このハンドグレネードは運搬に危険がなく、投擲準備が早く、大きな投擲距離を持ち、味方部隊への危険がほとんどなかった。

 装薬は20gの「Fullpulver 02」(頑住吉注:前の「u」はウムラウト。TNTのこと?)からなり、重量は375g、直径はこれも80mmだった。

 直径100mm、そして180mmのものさえあったとされる。
 
(頑住吉注:左がこの「円盤型ハンドグレネード15」の写真で、右が構造図です。構造図の左側に即して補足説明します。使用するにはまず一番下のネジを外し、その上の黒っぽい「炸裂カプセル」を入れ、これが脱落しないようにネジを元通り締めこみます。次に上のキャップを止めている割りピン、すなわち安全ピンを引き抜き、キャップを外し、これは捨てます。ここまでで説明した垂直の2本のアームを除く斜めの4本のアーム内には「点火ボルト」が入っています。これは単に重りになる丸棒の先にプライマーがついているだけのものです。中央にはそれぞれのプライマーに向けられた4本のファイアリングピン、「点火星」がありますが、「点火ボルト」は垂直のアーム内2/3程度に内蔵されている「安全棒」があるうちはこれに阻まれてファイアリングピン方向には動けません。このハンドグレネードをフリスビーのように水平にではなく、車輪のように垂直にして回転させながら投げます。すると中心より上に偏って挿入されている安全棒は遠心力で飛び出します。しかし飛行中は「点火ボルト」はこれも遠心力で中心のファイアリングピンから遠ざけられています。着地すると最も上になっている「点火ボルト」が慣性でファイアリングピンに打ちつけられ、プライマーが発火、爆発となるわけです。)


 ドイツのハンドグレネードに関してはこんなページがありました。今回紹介した新旧の球状ハンドグレネード、円盤型ハンドグレネードの鮮明なカラー写真もあります。

http://members.lycos.nl/lexpev/studies.html

 第一次世界大戦の兵器というのは第二次世界大戦のそれより人気がないと思われますが、ハンドグレネードに関してはまだ試行錯誤の時期だけに非常に面白い試みがあったのがお分かりいただけるはずです。特に現在は全く廃れている円盤型ハンドグレネードは非常に興味深い存在です。日本軍では九九式破甲爆雷に「スッポン」とか「亀の子」とかいうあだ名がついていたようですが、ドイツ軍でも円盤型ハンドグレネードに「亀型ハンドグレネード」という似たあだ名がついていたのも面白いですね。

 今回紹介したものは着発式、摩擦点火式であり、第二次大戦以後主流である打撃点火→遅延→爆発、というタイプはありません。次に紹介する予定の後半ではこうした点火方式のメリット、デメリットにも触れられているようです。












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