初の本格DAオートピストル 「リトル トム」

 「Waffen Revue」24号に、初のDA/SAオートピストルとも言われる「リトル トム」に関する記事が掲載されていました。


セルフローディングピストル リトル トム

前文

 第一次大戦の直前および後の時代、まさに見極めがつかないほど多数のポケットピストルが開発されたが、これらはしばしば相互にほとんど差異がなかった(頑住吉注:大部分がブローニング系コピーまたは亜流)。しかしどのような、真の(あるいは多くのうわべだけのものも)改良、または興味深い細目を設計者が思いつくことができたかを知るために、これに詳しく取り組み、その構造を正確に研究する苦労の価値があると思わせるいくつかの銃もあった。

 「リトル トム」ピストルはそのような対象物であると思われる。この銃は口径6.35mm仕様で、そして少数は7.65mmブローニング仕様でも作られた。この銃は「ダブルアクショントリガーを装備し、小口径6.35mm」というわずかなセルフローディングピストルの1つであるが、その最初の銃でもあるらしい。

 この銃はウィーン近郊のModling(頑住吉注:「o」はウムラウト)にいたAlois Tomischkaによって設計され、「ウィーン銃器工場」によって生産された。Tomischka(チェコの表記方法では「Tomiska」 頑住吉注:意味も発音も全然知りませんが、「s」の上には小さなvみたいなものが付属しています)は1867年2月13日にPardubitzで生まれ、第一次大戦前はウィーンで銃器工として働いていた。戦後彼はPilsen(Plzen 頑住吉注:「n」の上にも小さなvが付属しています)に移転し、そこで彼のピストルを自分の小さな会社内で製造した。これらは左のグリップパネルに、Wiener Waffen Fabrik(頑住吉注:「ウィーン銃器工場」)の紋章の代わりに、Alois Tomiskaを意味する組み合わせ文字を持っていた。Tomischkaは後にCeska zbrojovka(頑住吉注:「C」の上に小さなv、「a」の上に小さなダッシュみたいなものが付属しています。要するにCZです)で設計者として働き、1946年12月29日にプラハで死んだ。

 パテント書類から見て取れるように、Tomischkaのダブルアクショントリガー付きセルフローディングピストルに関する研究は少なくとも1908年までさかのぼる。1909年2月23日におけるドイツパテントナンバー218897(補遺を見よ)は、すでに「リトル トム」との基本構造上の大きな類似性を示している構造に関するものである。それは閉鎖スプリングがバレルに巻かれているだけで、ダブルアクション設備は原理上すでにリトル トムと一致している。

説明

 リトル トムは非常に扁平な作りのハンディなポケットピストルである。主にオーストリア、チェコスロバキアで、しかしドイツ国内でも普及した。しかしこの銃はダブルアクショントリガーという際立った長所とならんで、欠点もしくは珍奇な点も持っている。これに関しては構造に関する記述の中で詳しく取り組むつもりである。

 このピストルの加工グレードは良好であるが、他のオーストリアの銃器工場で製造された手で持って撃つ銃およびハンドガン一般の中でたいていがそうであるように絶対的にファーストクラスのマテリアルが使われているのではないような印象を受ける。例えばその閉鎖スプリングにかなりよれた印象を与えられるリトル トムがしばしば見られる。

 いつ大量生産が始まり、またそれがいつ中止されたのかは残念ながら確実性をもって確認することができない。「ピストーレン アトラス」(頑住吉注:詳しくは不明ですが「ガン・ダイジェスト」のような書籍らしいです)では3つの型の6.35mm口径銃が紹介されているが、外形の取るに足りない細部が異なっているだけで、構造や作動する個別部品は3つ全てで一致している。

構造の説明

 リトル トムピストルは固定バレルを伴うロックのないスプリング・重量閉鎖機構を持つ。この「固定」という呼び名はセルフローディング銃においては常に機能だけに関係しており、バレルが差し込まれているのか、あるいはねじ込まれているのか、また取り外せるのか、あるいはできないのかは、ロックのある閉鎖機構を伴う発射時に動くバレルの場合とは異なり全く重要ではない。

 人は確認作業の最初の試みの際に等しくこのピストルの特殊性を確認する。マガジンは慣れているようにグリップフレーム下から引き抜くことはできず、閉鎖機構を後方に引いてロックした際にのみ上に取り出すことができる。まずこの特異な性質は2つの長所を持つ。第1に、マガジンを抜く際に恐れられる予期しない「突然の発射」を引き起こす可能性のある、弾薬がチャンバー内に忘れられたままになるという事態が決して起こらない。第2にそれよりは小さい長所だがマガジンキャッチが不完全にロックされていた際、マガジンが下に脱落する可能性がない。しかしノーマルな、上級者が計算した銃の操作の中では、この配置は2つの長所を相殺する大きな非快適性をもたらすだけである。だからこれが後に他のピストルによって使われることもほとんどなかったのであろう。ただ、Dormus、フロンマー、マンリッヒャー、モーゼル、ロス ステアーのような非常に初期のセルフローディングピストルは上から装填したが、たいていはストリップクリップを用いてだった。

 つまりマガジン交換のためには安全確認されたピストルの閉鎖機構を、セーフティレバーがスライドの前の刻み目内にロックされるまで、完全に後方に引かなくてはならない。

 その後マガジンキャッチをいくらか後方に押し、指先をマガジン底部に当ててマガジンを上に押す。これで持ち上がったマガジンは完全に引き抜かれ、新しいマガジンが再び上から挿入され、マガジンキャッチが再びロックされるまで完全に下に押し込まれる。マガジンを上で良好につかめるように(これも太い指では困難)下からいっぱいに押し込むことは、太い指、または手袋を使ってでは非常に困難である。
 
 セーフティ解除した際、スライドは前方に急速に動き、同時に最初の弾薬をチャンバーに運ぶ。

 スイングレバー式セーフティの操作は銃がコックされた際でもデコックされた際でも可能である。セーフティは左のグリップパネルの前に位置し、トリガーをブロックする。このセーフティはV字型のワイヤースプリングとごく小さな長方形のかんぬきによってレスト位置に保持されている。このピストルはセーフティをかけた状態でも装填およびコックができる。

 この銃は外装ハンマーを持ち、その滑り止めミゾのある頭部はスライド上端からわずかに突き出しているだけであり、親指でかろうじてコックできる。これは7.65mm口径銃ではスライドのくぼみ状削り加工によってより良く行える。トリガーによるコック(ダブルアクション)はトリガー抵抗が大きく上昇するにもかかわらずほとんどより快適である(頑住吉注:シングルアクションはそれくらいやりにくい、ということでしょう)。

 閉鎖スプリングはバレル下に位置し、その誘導バーでトリガーを押し、これによりトリガーを前の位置に押している。トリガーは上部にフライス加工されたツメを持ち、このツメはハンマーと常に結合されているコックバーをトリガーを引いた際前方に連れていき、そしてこれによりハンマーはコックされる。ハンマーはレスト用刻み目を持たず、常に打撃スプリングの圧力下にある。

 コック用レストはコックバーによって形作られている。このコックバーはその歯状部分が、ネジ止めされて動かないトラップフック上に位置している。トリガー、コックバー、トラップフックは互いに同調するので、トリガーの操作時に連れて行かれたバーはトラップフック上で持ち上げられ、そしてその前部の「連れて行くフック」はトリガーストローク終了直前にトリガーツメから滑ってそれ、これによりハンマーは解放され、レスト刻み目内に位置できる前にダウンしたハンマーによって再び引っ込められる。

 シングルアクションの場合発火機構部品の運動の経過は次のようになる。手でコックされたハンマーはバーを、そのレスト歯がトラップフックの前に位置するまで前方に押し動かす。同時にバーの水平の「あやつる角」が、可動式のトリガーレバーの範囲内に来る。

 トリガーはダブルアクションでもシングルアクションでも常に同じ基本位置にある! シングルアクションのケースではこれに対応する大きな空走距離があるだけである。つまり慣れているリボルバーのトリガーや、たとえばワルサーのトリガーもそうであるような後方の仕事位置とは異なる。この状態でトリガーが操作されると、可動式のトリガーツメがバーを少し持ち上げ、バーはトラップフックから滑ってそれ、ハンマーをダウンさせる。

 トリガーが引かれ続けているので(時間が短いため実際上全ての射撃後こうなる)、バーは(後退した閉鎖機構によってコックされた)ハンマーによって再びコックレスト内に位置させられる。固定されているトリガーツメおよび可動式のトリガーレバーはこの際無力状態でコックバーと干渉せず、これによりダブル発射妨げのための究極的に確実なディスコネクトが完成される。トリガーを放して初めてレバーは再びバーの機能角の下に位置し、次の発射が準備される。バーはスリムな板バネ(フレーム内に圧入されている)によって常に下に押され、干渉状態が維持される。バーはコックレストの前に休みレストとしての第2の刻み目を持ち、これがハンマーをファイアリングピンから約3mmの所で押し留める。しかしコックされた銃を危険なくハンマーをスリップさせずに押し留めることによってデコックするのは全く簡単なこととは言えない。



レスト位置にある発火機構部品の位置関係。トリガーはコックバーを動かし始めている。(頑住吉注:aの部分でトリガー上部のツメがコックバー先端下部のフックをひっかけており、トリガーを引いて行くとコックバーは前進し、ハンマーは起きていきます。なお、トリガーを引く前、bの部分でトラップフックがコックバーの「休みレスト」をひっかけているので、例えば銃を落としてハンマーが後方から叩かれても理論上暴発は起きないはずです)



トリガーがダブルアクションで作動中。コックバーはトリガーのツメから滑って逸れる直前。(頑住吉注:コックバーは板バネで常に下に押されており、コックバーとトリガーの関係だけではレットオフしません。そこでとラップフックの斜面にコックバー下部の斜面が乗り上げることによって一定以上トリガーを引くとコックバー前部が上昇し、レットオフするようになっています)



ハンマーはダウンしている。トリガーはまだ引かれており、コックバーはトラップフックの上に接している。(頑住吉注:撃発の瞬間です)



ハンマーはコックされ、コックバーはコックレスト内に位置している。トリガーはフリーである。(頑住吉注:SAでトリガーを引く前です。コックバーは矢印部でトラップフックにひっかけられています。通常のDA/SAにおけるSAとは異なり、トリガーは後退せずDAと同じ位置にあります)



トリガーが引かれ、レバーがコックバーを持ち上げている。コックバーはトラップフックから滑って逸れる直前である。(頑住吉注:トリガーに付属している可動式レバーが矢印b部分においてコックバー前部を持ち上げ、矢印a部分でのトラップフックとのかみ合いが外れようとしています。何故か図がありませんが、この後いったんハンマーダウンと連動して後退したコックバーはブローバックしたスライドによってハンマーが起こされることによって再び前進します。このときコックバーは可動式のレバーを前に押し倒し、再びトラップフックにひっかかってハンマーはコック状態で停止し、トリガーを緩めるとレバーはパチンとコックバーの下に入り込み、1つ上の図の状態に戻るわけです)

 ファイアリングピンは弱い押しバネによって常に閉鎖機構の包底面の後ろに押され、ダウンしたハンマーによって前方へと急速に動かされる。

 発火機構メカニズムは右側が除去可能なプレートによってカバーされている。閉鎖機構部品右面にはスプリングのテンションがかけられたエキストラクターが存在し、フレーム内にスプリングのテンションがかけられて収納されているエジェクターと共に空薬莢を右上に投げ出す。サイト設備は7.65mmモデルの場合のみ存在する。

 マガジンはノーマルな棒状マガジンとして真鍮薄板から作られている。この真鍮製マガジンはいくらか見慣れない感じだが、疑いなくオリジナルの製造品であって器用なコレクターが趣味で作ったものではない。ただしスチール薄板製のリトル トム用マガジンも存在する。

 グリップパネルはプラスチックからプレスされるか木製かである。左のパネルはメーカーのマークを持ち(たいていはWWFの組み合わせ文字)、右には斜めの文字「リトル トム」を持つ。だが「ピストーレン アトラス」内の写真によれば「リトル トム」および会社の紋章が他のサイドにある銃も存在する。

 刻印は(たいていそうであるように)いろいろであり、例えばある銃ではスライド左サイドには試射マークと「22」を伴う「WIENER WAFFENFABRIK」の刻印がある。「22」は確実に製造年1922年のことである。Tomischkaの製造によるピストルはスライドに「ALOIS TOMISKA-PLZEN-PATENT LITTLE TOM 6.35mm(.25)」の刻印がある(頑住吉注:黄文字の上には小さなvが付属しています)。

 スライド右には製造ナンバーが刻印されている。これはバレル固定レールの下側にも見られる。さらにフレーム前端閉鎖スプリング下にフルナンバーが刻印されている。工場ナンバーの末尾3数字はさらにコックバー内側およびハンマーにも刻印されている。ファイアリングピンとエキストラクターには末尾の数字のみ刻印されている。

このピストルの分解

 まず銃が装填されていないことを確認し、その後セーフティレバーがかみ合い、後部位置で固定されるまで閉鎖機構を後方に引く。前述のようにこの時マガジンを上へと取り除く。

 この結果バレルは簡単に完全に後方に押し動かされ、上に外される。バレルはその下サイドのアリミゾ形状にフライス加工されたレールを使って、フレームの適合するノッチ内にさらなる固定手段なしに押し込まれている。

 ちなみにこのことは、薬莢とチャンバーの摩擦が大きすぎて動きが悪い時、状況によってはバレルが約5mmマガジンがあるストッパー位置まで一緒に後退させられるという結果を持つ。バレルは前方に急速に動いた閉鎖機構によって再びその正しい位置まで押されるが、これは理想的なことではない。

 

(頑住吉注:マガジンがないとバレルはこのように後方にスライドして上に抜くことができます)

 ここで閉鎖機構を手で固定し、セーフティレバーを回して戻し、閉鎖機構を前方に滑らせ、前方に抜き取る。閉鎖スプリングはその誘導ボルトとともに同様に前方に抜き取れる。

 これによりピストルは一般的な手入れやクリーニングのために充分分解されたはずである。しかし情熱的なコレクターは少なくとも入手後、たいてい銃を完全に分解するものである。

 次に右のカバープレートを2本の保持ネジを抜いて上にずらして外す。これはネジ止めされているグリップパネルを外さなくても行える。グリップパネルの下にはどうせ興味深いものは見られない。

 これでトリガーが簡単にその軸から抜き取れ、この時スプリングや他の小部品を失うことを懸念する必要はない(トリガーは閉鎖スプリングによって動かされるだけである)。

 可動式のトリガーレバーはそのピンを使ってトリガー上部に差し込まれている。しかし取り去る時、付属のごく小さな押しバネに注意しなくてはならない。

 コックバーはハンマーにひっかけられている。しかしそれ用のフレームに圧入されている板バネはいかなるケースでも取り外すべきではない。完璧な再固定には困難が待ち受けているからである!

 ハンマーはその軸を叩き出した後に取り除ける。打撃スプリングはフレームに差し込まれているだけで、その機能する方の端部にキノコ状の押す部品(頑住吉注:プランジャー)を搭載している。

 エジェクターも同様に円筒状ピンで保持され、フレーム内に入れられた細い押しバネを持っている。

 コックバー用のトラップフックはネジ止めされており、右のグリップパネル取り去り後に外すことができる。

 ファイアリングピンを取り外せるようにするためには、まずエキストラクターをその軸ピンの叩き出しによって外す必要がある。エキストラクターの突起部がファイアリングピンの切り欠き内に突き出し、これによりファイアリングピンの脱落が防がれているからである。エキストラクターの短いアーム(回転ポイントの後方)下、閉鎖機構部品の穴ぐり内にはごくごく小さな押しバネがあり、紛失してしまいがちである! これでファイアリングピンはその押しバネごと引き抜ける。

 セーフティの取り外しのためには、V字型のワイヤースプリング左側をフレーム内にひっかけ、レスト小プレートを上に押し動かすだけでよい。その後セーフティは引き抜くことができる。マガジンキャッチの軸はグリップパネルを外した時だけマガジンキャッチ分解のために押して抜くことができる。

 マガジンは普通通りフォーロワを下に押し、フォーロワスプリングを3か所に差し込んだピンによってブロックすることで分解できる。
これでリトル トムは残らず分解されたはずである。



 組み立ては常にそうであるように逆の順序で行われる。この際次の点に特に注意する。

 マガジンのフォーロワスプリングは当然その一番外の端部が前方に向くよう差し込まねばならない(頑住吉注:上の図のように入れなければならず、スプリングの前後を逆にしてはいけない、ということです)。

 マガジンキャッチの組み込みはその押しバネを傾かせずに慎重に入れなければならない。このスプリングは縦横がほとんど同じ寸法なので困難な場合がある。

 セーフティ組み込みの際、レスト小プレートのV字型切り欠きを上(スプリング側)に向けてそれ用のアリミゾに押し込み、ワイヤースプリングを押し込む。

 ファイアリングピンは、その切り欠きがエキストラクターに向くように入れる(こうでないとまったく作業が進まない)。

 ちなみに(頑住吉注:リトル トムの)全ての銃の全ての押しバネは、単にはさんで切っただけで、曲げられた巻き部分を持たず、組み込みの際は追加的摩擦を妨げるため、角のシャープさが少ない、または平滑な端部を可動部品に当てる。より良いクオリティの銃の押しバネは曲げられた端部を持つ(頑住吉注: http://www.tokaibane.com/tech/tech_info.html ここの下の方にあるイラストで言うと、たいていの銃に使われているコイルスプリングは「クローズドエンド 無研削」という端部を持つはずですが、「リトル トム」は「オープンエンド 無研削」という、単に切っただけという頑住吉製品並みの(笑)端部になっていたというわけです)。

 エキストラクターおよび可動式トリガーレバー用の押しバネは、両者ほとんど同じ寸法を持つが、取り違えてはいけない

 コックバーを入れる際、カバープレートを取り付ける前にバーが完全にフレームの削り加工部内に位置し、トリガーレバーが妨げられずに動けることを確認する。

 閉鎖機構部品をかぶせる際、閉鎖機構を妨げないためにエジェクターを指で下に押す必要がある。

 最後にバレルとマガジンを入れる。

まとめ

 リトル トムは人を興奮させるようなピストルではないし、どこでも公用銃として採用されていないが、そのコンセプトによって興味深いコレクション対象物であり、すでに第一次大戦前から1920年代まで作られ、同じ時代の残りのポケットピストルとはいくつかの興味深いディテールが異なっている。とにかくこの銃は個別の、そして詳細な観察の価値がある開発研究の結果である。

リトル トムの主要な寸法

口径 6.36mm(および7.65mm)
銃身長 59mm*
ライフリングの数 6条
ライフリングの方向
全長 115.2mm*
全高 83mm*
全幅 20mm*
セーフティ スイングレバーが左面に
マガジンキャパシティ 6発
空マガジン込み重量 360g

*寸法は型によって狭い範囲で変化する。ここではウィーン銃器工場製のオリジナル品、シリアルナンバー12900を測定した。

補遺


 1909年2月23日のドイツパテントナンバー218897は、1908年3月7日のオーストリアにおける申請と関係しており、ダブルアクション設備を主な内容として持つ。このピストルの外形はリトル トムと大幅に一致している。しかしここではまだ下から挿入されるマガジンが話題になっている。ここでは打撃スプリングもまだダイレクトにハンマーにではなく、コックバーの突起部に触れている。

 ここでは休みレストおよびコックレストは2種類の構造要素から形作られており、より詳しく言えば休みレストは打撃スプリング誘導ボルトの頭にフライス加工され、一方コックレストはフレームに加工されている。実際のリトル トムで使われた両レストの型(固定したレバーとコックバーの2つの刻み)は公差上の理由から決定的により好都合である。

 閉鎖スプリングはパテント図面によればバレルに巻かれており、見る限りではフレームと解除不能に結合されている。



(頑住吉注:これがそのパテント図面の一部です)

 1910年10月15日のパテントナンバー252942はアリミゾを用いてのバレル固定に与えられた。この本質はノッチの前部がふさがれ、バレルがさらなる固定要素なしに収納され、後方に引くことができることである。この解決法はリトル トムの場合にも使われた。

 1917年5月27日のパテントナンバー316069は、優先順位が先のAlois TomischkaとCamillo Frankの共同で、1917年4月2日のオーストリアにおける申請に基づいて請求されたものであり、ダブルアクショントリガーの構造が記述されていた。これはリトル トムで具体化されなかったが、発展開発物と見なすことができる。

 この場合コックバーはハンマーと結合されておらず、ハンマーに回転可能に収納されているレスト部品に加工されている。この構造の長所は、ダウンするハンマーがコックバーの追加的質量によって負荷がかけられず、すなわちハンマーが「より速くなる」ところにある。

 入手しやすさ上の理由からここでは皇帝の特許局および帝国特許局のドイツパテント書類のみ扱った。


 この銃は「初のDA/SAオートピストル」として「Faustfeuerwaffen」などに関連して今まで何度か取り上げてきましたが、トリガーメカ以外にもいろいろ変わった特徴があることが分かりました。

 この銃に関連するパテントが初めて申請されたのは1908年3月7日のことで、文中では「Tomischkaのダブルアクショントリガー付きセルフローディングピストルに関する研究は少なくとも1908年までさかのぼる」とされていますが、常識的に考えて彼が基本的な構想を得たのは1907年以前だったはずです。この頃オーストリアではセミダブルアクションのロス・ステアーM1907が登場し、またコルトポケットのFN版でありより登場が早かったM1906も登場しています。まだまだピストルデザインの基本が固まっていない試行錯誤期であり、その当時にDA/SAモデルを作ったTomischkaの先見性はたいしたものです。ただ、実際にこの銃がいつ登場したのかは不明とされています。「Waustfeuerwaffen」の記述では、「1908年頃Alois Tomischka(Tomischkaとは小さなトム、すなわちリトルトム)によって設計された。第一次大戦が生産開始を遅らせ、この結果1920年になって初めて、Camillo FrankおよびTomischkaによって設立されたウィーン銃器工場でリトルトムと名付けられたこのピストルの生産が口径6.35および7.65mm仕様で開始できた」とされています。一方今回の記述では時期は不明ながら第一次大戦(1914〜18)前に生産開始されていたことは確実とされています。また戦前はウィーンで銃器工として働き、戦後自分の会社をPilsen(頑住吉注:オーストリアではなくチェコの都市)に移ってそこでリトル トムの生産を再開したとされています。ウィーン時代の銃のグリップには「WWF」(ウィーン銃器工場)の組み合わせ文字があり、Pilsenでの製品には「AT」(Alois Tomiska)の組み合わせ文字があります。ただ写真を見ると前者の方がずっと多いようです。ただし、「例えばある銃ではスライド左サイドには試射マークと「22」を伴う「WIENER WAFFENFABRIK」の刻印がある。「22」は確実に製造年1922年のことである」とされているわけですから、「ウィーン銃器工場」が第一次大戦後数年たってもまだリトル トムを生産していたことは間違いないはずです。生産終了の時期に関しても正確には不明とされていますが、「Faustfeuerwaffen」では1929年、つまりワルサーPP登場と同年のことであるとされています。

 マガジンも通常のボックスマガジンに近いものを上から出し入れするという他に例を見ないものですし、リコイルスプリングがトリガースプリングを兼ねるデザインも非常に珍しいものです。バレルが前方には動かないよう固定されている一方後方には自由に動けるというのも奇妙な特徴です。弾丸がバレルを通過する時、バレルは抜弾抗力によって前方に強く引かれますが、後方向きの強い力はかからないからこれでいいのだ、ということなんでしょう。しかし、ショートリコイルというシステムが成立する以上、弾丸がバレルを出た直後には反動によってバレルに後退する力がかかるはずです。これを止めるのがマガジンだけ、しかもこのマガジンは真鍮製、というデザインでは、やがてマガジンが変形してしまわないでしょうか。

 今回分かったように、リトル トムは歴史的に大きな意義のある、注目すべきピストルではあるものの、あまり完成度の高い銃ではなかったようです。第二次大戦終戦の少し後に死んだTomischkaは、やがてDA/SAピストルがハンドガンの主流となって自分のピストルが元祖と呼ばれるようになることを予想したでしょうか。まあ少なくとも彼に影響を受けた結果大成功を収めたと思われるワルサーが、やがて時代の要求から、リトル トムに近い、つまりSAでもトリガーが後退せず大きな空走距離を持つアンチストレストリガーと呼ばれるものを送り出すようになることを予測しなかったことは間違いありません。










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