九七式自動砲

 旧日本軍の銃器に関する評論です。

http://www.bingxian.net/jsls/20140504/12037.html


日本の九七式20mm対戦車ライフル:ノモンハンの戦いに対し全く作用せず

(頑住吉注:原ページのここにある画像のキャプションです。「当時の日本歩兵学校が行う九七式対戦車ライフルの使用訓練。この銃は後部携行架を取り外すことが必須で、その後やっと射撃操作ができる。」)

対戦車ライフルの短い運命

第一次大戦の期間、ドイツは13mm口径のモーゼルM1918対戦車ライフルを装備し、その装甲貫通能力は当時の戦車に対し、実際の脅威を確かに構成した。対戦車ライフルの運用は世界各国の重視を引き起こし、このため第二次大戦直前から中期の期間、対戦車ライフルはさらに一歩の発展を達成し、全体性能は不断に向上し、かつ2種の異なる設計模式が出現した。すなわち、第1種目は伝統的小銃の口径を保持するが、長銃身を採用し、薬莢の長さと装薬の量を増加し、もってさらなる高初速とこれによりもたらされる装甲貫通能力を獲得するもの(頑住吉注:ポーランド、ドイツにこの種のものがありました)。もう1種類はより大きな口径、甚だしきに至っては小口径高射砲弾薬を採用する、銃と砲の間の対戦車武器である。大口径対戦車ライフルの弾頭の速度残存能力はより強く、しかも弾頭の種類が比較的多く、異なる目標に対応する柔軟性が比較的高いが、欠点は武器システム全体の重量、銃口騒音、後座力がいずれも比較的大きく、携帯や使用が前者ほど便利でないことだった。九七式対戦車ライフルは大口径対戦車ライフルで、20mm口径を採用した。このような口径は銃と砲の間で、その発射時の後座力の大きさは考えれば分かる(頑住吉注:両者の中間であるソ連の14.5mm、イギリスの13.9mmなんてのもあり、日本も13mmの対戦車ライフルを試作したことがあります)。

対戦車ライフルは当初戦車目標に対応する時、確かに一定の作用を発揮した。だが戦車の装甲が日増しに厚くなるにつれ、対戦車ライフルの威力ははっきりと不足し、そこでこの種の武器はすぐに歴史の舞台から退出し、銃器史上をあわただしく過ぎ去った客となった。日本の九七式対戦車ライフルの運命もまたかくのごとしで、来るのも去るのもあわただしく、生産数や現存する数は非常に少なく、外界にはごく少なくしか知られていない。だがこの武器からは当時の日本軍国主義が世界の武器発展に着目し、不断に新型武器を登場させることを極力図ったことを見いだすこともできる。ここで、我々はこの武器に対し提示と解剖分析をする。

九七式の由来および名称に関する迷い

九七式対戦車ライフルの研究開発は、非常に大きな程度上、当時のソ連の強大な装甲戦力専門に照準を合わせたものだった。

日本は明治維新の後、対外拡張の道を行き始めた。そして極東に重要な影響力を持つ帝政ロシアおよび後のソ連は、ずっと日本が苦心惨憺して防備する主要な相手だった。1904〜1905年の日露戦争中、日本は悲惨、重大な代価をもって勝利を取得し、ロシアの朝鮮および中国東北の種々の特権を獲得した。この時の軍事的冒険の成功は、日本の食欲の不断の拡大を刺激した。1931年、関東軍は「九・一八事変」(頑住吉注:「満州事変」)を計画、実施し、さらには徐々に東北全域を占領していった。翌年3月、日本によって作られた傀儡政権の偽「満州国」が登場し、実際には日本はすでに東北三省を支配し、かつこれを基地として中国に対する侵略を継続していった。ソ連は日本がこの機を借りて北進するのを心配し、大規模な部隊を移動、集結させて極東に駐留させ、日本軍の攻撃に防備することも行った。日本はずっとソ連の極東における強大な装甲集群に対し心の中に恐怖があったが、自身の装甲部隊、航空部隊、砲兵の戦力は相対的に薄弱で、加えて中国侵略戦争が一段と力を入れて行われつつあり、このため日本はソ連に対してずっと守勢にあった。当時日本はすでに秘密のルートを通じて(頑住吉注:ゾルゲとか?)ソ連が新型対戦車ライフルを研究開発中との情報を知っていた。これに対抗するため、同時に第一線の歩兵に大威力の武器を加え、もって適時に装甲車両に対し有効な攻撃を行うのに便とするため、昭和10年(1935年)6月から、日本陸軍技術部は新型対戦車ライフルの研究開発に着手した。

日本は新たな銃の研究開発時、威力を主要な位置に置き、このため口径の選択を非常に重視した。得た情報はソ連が研究開発中の対戦車武器の口径は20mmだと言明していたため、威力の上でこれと同等になり得るため、日本も新たな口径を20mmと定め、かつ専用に20mmx124新弾薬を研究開発した。だが彼らが知らなかったのは、日本人の情報ルートが信頼できないものだったか、それともソ連人が事前にニセ情報を散布したか、ソ連が定型に至らせた対戦車ライフルが最終的に新開発の14.5mmx115弾薬を採用したことだった。この弾薬は戦後新興の大口径機関銃弾薬となった。

日本の20mm口径対戦車ライフルは一段と力を入れて研究開発中だった。1935年12月20日、日本陸軍技術部は小倉兵器工場に2挺のサンプル銃を試作することを要求し、このうち第1挺目のサンプル銃は翌年3月に完成した。だが新たな武器の技術指標はずっと遅れて1937年7月になってやっと最終的に確定した。この期間、当初の設計に対し何度もの修正や反復しての検証が行われた。最終的に新たな銃は日本陸軍歩兵学校と騎兵学校で実用性試験を行うことが要求され、かつ上申を経て臨時制式兵器と定められた(すなわち一部の戦争の期間において試験を経て軍の許可を獲得し制式兵器に列せられるもので、量産には投入されるが装備範囲は比較的小さく、戦争時期の特殊な産物である)。試験は1938年2月に終わり、この銃は実用に適する製品と考えられ、かつできる限り早い配備が要求された。この対戦車ライフルの研究開発が完了した時期は1937年で、日本の紀元によれば神武天皇紀元2597年で、このためこの銃の機種名は九七式と定められた。研究開発過程全体は2年前後で、進度は相当に速く、これは日本軍の切迫した心情を反映したものでもあった。

九七式対戦車ライフルの口径はすでに歩兵が携行できる武器の極限に達しており、銃・砲という2つの武器の臨界点上に位置した。長期にわたり、この武器を結局のところ銃と評価すべきなのか、それとも砲と評価するのかに関し、意見は決して統一されていない。少なくとも日本サイドではこれを1人で操作する小型火砲として扱い、日本文の資料の中ではずっとこれを「九七式自動砲」と称している。佐山二郎著の「陸軍兵器徹底研究 火砲入門」の中では、九七式は「機関銃と似た機構を採用した歩兵用火砲」と呼ばれている。具体的な分類の中では、この武器を戦車防御砲、すなわち今日言うところの対戦車砲の一種に含めている。

明治維新開始から第二次大戦集結まで、日本陸軍が装備した火砲の中で、九七式と称するものには少なくとも7種類があった。口径と種類はそれぞれ全て異なり、例えば試製九七式歩兵連隊砲(75mm)、九七式戦車砲(57mm)、九七式曲射歩兵砲(81mm)、九七式軽迫撃砲(90.5mm)、九七式中迫撃砲(150.5mm)であり、九七式自動砲と同じく戦車防御砲に含められたものにはさらにもう1種類試製九七式と呼ばれる火砲があり、その口径は47mmだった。一方口径20mmの火砲と称するものにも3種あり、九七式自動砲以外にさらに九八式および二式高射機関砲があって、このうち九八式はまさに九七式を基礎に発展してできたものであるが、弾薬の種類は百式曳光自爆榴弾と五式曳光榴弾に改められていた。実は、九七式は銃器により似ている。この武器は1人によって操作され、複数人で携行でき、構造上小銃のいくつかの特徴を持っており、用途や威力レベルから見ても対戦車ライフルに似ており、このため国内の資料の中ではずっとこれを九七式対戦車ライフルと称しており、本文もこの言い方をそのまま用いる。

九七式の構造を解剖分析

九七式対戦車ライフルはガスオペレーション式自動原理を採用し、オープンボルトファイアで、1人によって操作使用され、7発のダブルカアラムダブルフィードのストレートマガジン給弾で、照準具は機械式で、照尺上の射程は1,000mである。この銃の実際の発射速度は毎分7〜12発で、初速は750m/s、戦闘全備重量は59kg、350mの距離で30mm厚の鋼板を貫通でき、700mの距離では20mm厚の鋼板を貫通できる。銃全体はバレルユニット、レシーバーユニット、自動機構ユニット、復帰機構ユニット、ストックユニット、マガジンの6大部分からなる。

バレルユニット

バレルユニットにはバレル、消炎制退器、ガス導入リング、ガス導入パイプ、ピストンシリンダー、バレル連結ジャケットなどが含まれる。

バレル全体の外径は一定ではなく、段階状の円柱体を呈し、全長は1,250mmである。消炎制退器は楕円の鳥籠状で、上部には均等に8つの楕円形の排気口があり、下方にはなく、このため火薬ガスは消炎器下方により大きな衝撃力を発生させ、マズルジャンプを抑制する助けになり、同時に前部内壁全体に作用する衝撃力は制退作用を引き起こす。

消炎制退器はネジを利用してマズルにねじ込まれ、かつピンによって固定されている。

ガス導入リングには当時決してよく見るものではなかったステンレス鋼材料での製造が採用され、もって錆を防止し、同時により良く火薬ガスの焼蝕や衝撃を受け入れることができる。

ガス導入パイプは1本の細長い丸い管で、変形を防止するため、その中部にバレルと相互に連なる支えのリング状部分が追加されている。この部分は固定作用だけ果たし、それ自体は決して火薬ガスを受けず、このためその肉厚は比較的薄い。

その他のガスオペレーション式武器と異なるのは、この銃が単一のガス導入パイプ、ダブルのピストンという構造を採用していることで、火薬ガスはガス導入パイプを通過し、ピストンシリンダー前部固定リングを経た後、それぞれバレル下方の左右2つのピストンシリンダーに進入し、さらにはピストン/ボルトキャリアを押し動かし、後ろに向けて運動させる。ピストンシリンダー後部固定リングはバレル後端に取り付けられ、外径は前部固定リングに似ており、異なるのは幅がより狭いことである。

バレル連結ジャケット後部外縁上には多くの断隔螺が加工され、レシーバー前部のバレル取り付け穴内の断隔螺と組み合わさってバレルをレシーバー前部に固定する。

レシーバーユニット

レシーバーユニットは銃全体で体積と重量が最大の機械加工部品で、ソリッドのスチール材からフライス盤で切削加工されてできており、外径は比較的複雑で、加工は面倒である。レシーバー全体は大正十一年式軽機関銃の設計に似ており、異なるのは九七式対戦車ライフルのレシーバー前部には比較的長いバレルと組み合わさる部分があり、レシーバー頂部のボックスマガジンによる給弾方式が採用されていることである。レシーバー前部の断面は「品」字型で、上部の比較的太い組み合わせ穴内部には断隔螺があって、バレル連結ジャケット外部の断隔螺と相互にかみ合い、バレルをレシーバー上に固定することができる。レシーバー前部下方には左右対称に2つのより小さい穴が分布し、ピストンシリンダーの挿入に用いられる。放熱面積を増大し、同時にレシーバーの重量を軽減するため、レシーバー前部外表面には8本の弧型のミゾが加工されている。

レシーバー後部の断面は長方形に近く、中部の頂端にはマガジン挿入口が設計され、挿入口の片側には折りたたみ可能な鋼板プレス成形の防塵蓋が装備され、平時マガジンを挿入していない時はこの蓋を閉鎖し、もって汚物の進入を防止する。マガジン挿入口後部には厚い鋼板をプレス成形したマガジンキャッチがあり、マガジンを挿入するとこれが自動的に持ち上がり、これを押し下げると即マガジンが取り外せる。マガジンキャッチ後方のレシーバー上面には小倉兵器工場のマーク、「九七式」の文字、3桁の銃器ナンバーと年号が刻印されている。

レシーバー頂部後端にはボルトを固定する突起が設けられ、下向きに回転させることができ、ボルトを後方の射撃準備位置にロックするのに用い、セーフティの作用を果たす。レシーバー左側にはコッキングハンドルの誘導ためのT字型スリットが加工されている。泥や沙などの雑物がこのスリットから進入してレシーバー内部を汚染しないように、スリット後方にもスチール板をプレスして作った防塵カバーがあり、平時はスプリングの力で下向きにスリットにかぶさっており、使用時は防塵カバーを開く。レシーバー下部には比較的大きなエジェクションポートが開けられている。レシーバー中部両側にはそれぞれ1つ特別に厚みが加えられた部分があり、内部には左右対称にロッキングブロックを支える部分が装備されている。このように設計した原因は、九七式は十一年式軽機関銃、九二式重機関銃同様、やはりボルト上のロッキングブロックがレシーバー内で上下垂直運動することに頼って閉鎖、開鎖の動作を完成するが、レシーバー内壁両側とロッキングブロックが接触する閉鎖面は加工が非常に難しく、このため先に単独で加工した部品をさらにレシーバーに取り付けるという変則的方法を採用したためである。

(頑住吉注:これより3ページ目)

自動機構ユニット

自動機構ユニットは主にピストン、ボルトキャリア、ボルト、ロッキングブロック、ファイアリングピンからなる。左右のピストン後部は空洞のパイプ状構造で、内部にはリコイルスプリングが収容され、ダブルのガイドロッドに相当する。このような設計は自動機構の平穏な運動に便利で、射撃精度を向上させられる。ボルトキャリア後上部にはロッキングブロックの上下運動をコントロールする開鎖、閉鎖斜面があり、頂部にはボルトをひっかける斜面があり、ボルトキャリア右面のセーフティレバーによってボルトキャリアを撃発待機位置にロックできる。ボルトキャリア下部にはボルトをひっかける切り欠きがあり、シアとコンビネーションしての撃発待機状態形成に用いる。

ボルトは比較的短い四角いブロック状で、後部にはロッキングブロックと組み合わさるガイドのミゾがあり、前部には凹んだ包底面がある。その下部にはエキストラクターが装備され、上部にはエジェクターが入るミゾがあり、レシーバー頂部に固定されたエジェクターはこのミゾを通じて薬莢底部上を打撃し、もってエキストラクターを支点として空薬莢はレシーバー下部のエジェクションポートから放り出される。ボルト下部左右にはそれぞれ1つ対称の突起があり、突起の後部はロッキングブロックと組み合わさる閉鎖面である。ロッキングブロックの下降時、ボルトはレシーバー左右両側のロッキングブロックの支えに支持され、もって閉鎖状態を形成する。

ロッキングブロックは一体で加工された部品であり、形状は複雑で、中間の前部にはボルト後部に連結するガイドのミゾがあり、後ろ下部には内側に向け窪んだ斜面が加工され、ボルトキャリア上の開鎖、閉鎖斜面とコンビネーションしてロッキングブロックを垂直運動させ、開鎖、閉鎖の動作を完成する。

この中のファイアリングピンは九二式重機関銃のそれに似た一体式構造で、比較的太くて丈夫であり、ファイアリングスプリングはなく、ボルトキャリア上のハンマーが復帰しきる時の運動エネルギーに頼って打撃と連動する。ボルトキャリアが後ろに向け運動する時、ボルトキャリア上のファイアリングピンセーフティ斜面はファイアリングピン後部の直径が比較的大きい円錐部分の斜面とコンビネーションして強制的にファイアリングピンを一定の距離後方に引いて動かし、これによってファイアリングピンセーフティを形成する。ボルトキャリアが不完全閉鎖になりさえすれば、ファイアリングピンは弾薬を撃発できなくなる。

復座機構ユニット

復座機構ユニットはリコイルスプリング、銃尾座、銃尾座固定ピンからなる。

リコイルスプリングは単一のワイヤーによるコイルスプリングで、ピストン内部に挿入されているため全長は比較的長い。銃尾座は一体の機械加工部品で、中間には左右に貫通した比較的径の大きな穴があり、銃尾座固定ピンはこの穴を貫通して銃尾座をレシーバー尾部に固定している。この銃には独立した駐退機構があるので、銃尾座内には単独の緩衝機構はなく、構造は比較的簡単である。銃尾座固定ピンは円柱形で、片方のヘッドは比較的太くなっているので、周囲には網状の滑り止めがある。この固定ピンは右から左に向けてレシーバー尾部に挿入されており、比較的太い一端は外部に留まる。

ストックユニット

ストックユニットは比較的複雑で、主にストック、緩衝機ユニット、照準システム、バイポッド、グリップ/発射機構ユニット、後部支持板からなる。ストックユニット上部には縦方向に沿ってレシーバーと組み合わさるガイドレールのミゾが加工され、銃本体をストックユニット上でガイドレールに沿って前後運動させるのに用い、かつ緩衝機内部のコイルスプリングを圧縮することによって後座力を顕著に低下させる。

九七式戦車ライフルのストックの外形は九七式車載機関銃に似ており、肩当て部位は外部が皮で覆われ、内部には緩衝材料が充填されている。ストック頂部には肩当ての板が装備され、射撃時上向きに起こすことができ、射手の体を支える作用を果たす。ストック前部にはチークピースが装備され、一方において射手が照準する時に頬を当てるのに便利で、また一方では射手の頭部が右に寄りすぎて後退してきたレシーバーにぶつかって怪我をするのを避ける。九七式対戦車ライフルのフロントサイトベース下方およびストック前方にはいずれも角型の連結座が溶接され、これには穴が開けられ、日本特有の前後の携行架が装備できる。この携行架はやや担架に似た弧型の取っ手があり、携行時はこの取っ手を持ち上げれば即OKである。類似の携行架は九二式重機関銃でも使用されたが、九七式の後ろの携行架は射撃前に取り外すことが必須で、さもないと射手は銃を構えて射撃することができない。

九七式対戦車ライフルは普通の機械照準具を採用している。マガジンがレシーバー頂部に設けられているため、射撃時照準線を遮らないように、この銃の照準具は銃本体左側にオフセットされて設置されている。フロントサイトベースは頂部に平面を帯びた弧型の突起で、両側には四角い穴を開けたガイドウィングが設置され、中間にはアリミゾを用いてフロントサイトが固定されている。フロントサイトの断面は三角形で、左右に移動できる。リアサイトはストックユニット後部左側に装備され、かつ外に向かって突起しており、基本的にレシーバー後端と同じ位置で、中間には照準に供することができるピープが加工され、右側の調節リングを回すことで左右に調節できる。

バイポッドは後ろ向きに折って収納でき、かつ高さが調節できる。バイポッドの底部にはスチール板をプレスして作った接地板が溶接され、地面との接触面積を増大し、もってバイポッドが軟らかい土、あるいは雪の中にはまりこむことを防止している。接地板上には4つの通気口が開けられ、もって湿って柔らかい地面に銃を置いた時、真空吸着作用によってバイポッドが持ち上げにくくなる結果がもたらされることを防止している。

グリップ/発射機構ユニットはストックユニットの下方に装備され、グリップの外形設計は比較的簡単だが、一体式の大型トリガーガードとトリガーが非常に人の注目を引く。前者の設計は寒冷な地域で厚い手袋をした時にも依然正常に使用できるためであり、一方後者はこの銃のトリガープルが非常に重いため、1本の指では引ききり難いからで、この比較的長いトリガーはグリップを握っている手の2〜3本の指を用いて引くことを確保できる。

後部接地板ユニットは九七式の非常に特別な設計の1つで、グリップ後方、ストック下部に装備され、後方に向け傾斜し、用途は射撃時銃本体後部を支え、さらに一歩銃本体を安定させる作用を果たすことである。接地板の回転座には前、中、後の3つの位置があり、前は前向きに傾斜し、中は垂直に下向きになり、後は後ろに向け傾斜する。一般には最後の位置が用いられ、前向きはグリップに干渉するため実際には定位置まで回転しない。

(頑住吉注:これより4ページ目)

マガジン

九七式対戦車ライフルはダブルカアラムダブルフィードマガジンによる給弾を採用し、マガジンはスチール板のプレス、溶接によって作られ、7発の弾薬が収容できる。このマガジンの体積、寸法は比較的大きく、平時は専用の携行箱内に入れて携帯するが、使用するのはやはり充分便利ではない。

九七式に使用された弾薬

九七式対戦車ライフルは専用に設計された20mmx124弾薬を使用し、常用されるものには九七式徹甲曳光弾、九八式ハイエクスプローシブ曳光榴弾、百式徹甲曳光弾、百式ハイエクスプローシブ自爆曳光榴弾および空砲弾薬、訓練用不活性弾薬など補助の弾薬種類があった。このうち九七式徹甲曳光弾、九八式ハイエクスプローシブ曳光榴弾は初期の弾薬種類で、前者は主に装甲および防護ある目標の射撃に用い、後者は主にソフトターゲットに対応した。

九七式徹甲曳光弾

この弾薬は運動エネルギー弾薬に属し、弾頭内には信管や炸薬は含まれない。弾頭は黒色だが、弾頭の円柱部分には1本の白色の帯があって識別マークとなっている。弾頭は弾頭本体、弾帯、曳光剤、底部ネジから構成される。弾頭本体は一体で回転加工された弧型で、底は平ら、先端は尖った形で、頭部の弧形の根部は前定心部に位置する(頑住吉注:いまいち分かりませんが、この弾はライフリングにかませることができない硬い材質なので後部の真鍮製「弾帯」でライフリングにかませますが、前部の中心出しは前端のテーパー部が始まるすぐ後ろの部分で行う、というようなことですかね)。真鍮の弾帯は弾頭後部の弾帯ミゾ内を包んでおり、弾帯の幅は5mmしかない。弾帯下部の弾頭本体の円柱部分にはもう1本弧型のミゾがあり、装着時薬莢のマウス部がこのミゾ内に圧入され、これにより抜弾抗力が上がる。弾頭底部には曳光剤の穴が開けられ、これにより曳光剤と点火剤が順に圧入される。底部ネジの中心には小さい穴があり、発射時に曳光剤が受ける衝撃を弱め、薬剤が破砕されることによって曳光剤の性能に影響することが防止される。

この弾薬はリムレスのボトルネック型真鍮製薬莢を採用し、専用のベルダン雷管が使用される。雷管は雷管ケース、雷管台、雷管キャップ、伝火薬、カバー箔からなる。雷管の撃発後、火炎が伝火穴を通過し、まず伝火薬に点火し、伝火薬の燃焼が火炎を生じさせ、カバー箔に点火し、かつさらに一歩発射薬に点火する。雷管キャップ、雷管ケース、薬莢の間はいずれもリング状リベット止めの方式で固定が強化され、発射時の脱落が防止される。

九八式ハイエクスプローシブ曳光榴弾

この弾薬は九七式対戦車ライフルに常用されたもう1種の弾薬である。その弾頭は弧形、底が平らな様式で、九三式瞬発小型信管、炸薬、弾頭本体からなる。弾頭本体は円柱形で、頭部には短い定心部が回転加工されている。真鍮の弾帯の幅は比較的狭く、弾帯下部の弾頭本体にはやはり弧型のクリンプミゾが回転加工されている。弾頭頭部には信管が装備され、上半分の空洞内に炸薬が装備され、下半分は曳光剤室である。曳光薬剤と点火剤が圧入され、底部は九七式徹甲曳光弾と似た底部ネジで締められている。弾頭本体は黒色で、定心部付近には1本の赤色の帯があり、弾頭本体の円柱部分中部にはさらに1本緑、黄色2本の色帯があり、上下2本の間には白色で「九八式」の文字が印刷されている。

九三式瞬発信管はセミセーフティ型小型信管で、一部の日本製対戦車砲、航空機関砲、高射砲の榴弾に用いられ、20mm榴弾では百式瞬発信管に取って代わられるまでずっと使用された。九三式瞬発信管は真鍮製で、上、下信管体という2つの部分に分かれ、この信管の特徴は構造が簡単で、自爆機能がないことである。

百式徹甲曳光弾

百式徹甲曳光弾の弾頭の材料は3種類に分かれる。1つ目は比較的柔らかく廉価な普通の鋼材製で、弾頭表面は弾帯と白色の文字を除き全部黒色である。2つ目は中硬度の鋼材製の弾頭で、一定の装甲貫通能力があるが、標準徹甲弾には及ばない。弾頭は同様に黒色で、弾頭本体の円柱部分の中間位置に1本の緑色の識別色帯があり、弾頭本体に印刷された文字も白色である。3つ目は硬度の高い鋼材製弾頭で、弾頭の材料は材質が比較的良い合金鋼で、かつ熱処理を経ており、装甲貫通能力が最も良い。その弾頭の円柱部分の中間位置には一体に連なった緑、白という2色の色帯があり、緑が上にある。弾頭本体表面には白色のペンキで「百式」などの文字が印刷されている。

1つ目は主に射撃訓練に用い、後の2つは作戦に用いられ、日本人の綿密な計算を充分に体現している。

百式ハイエクスプローシブ自爆曳光榴弾

百式ハイエクスプローシブ自爆曳光榴弾は弾頭が弧型の頭部、円柱体、底が平らな様式で、上から下にそれぞれ信管、弾頭本体、メイン装薬、自爆薬管、曳光剤、底部ネジからなる。弾頭本体上部には定心部が回転加工され、下部には比較的狭い真鍮の弾帯が装備され、弾帯下方にはクリンプミゾが設計されている。弾頭本体中間には自爆薬管を装備する穴のある隔壁が加工され、弾頭本体の空洞は上、下という2つの部分に分かれ、このうち上半分にはメイン装薬と信管が装備され、下半分には曳光剤が圧入されている。曳光剤の頂部と自爆薬管下部の伝火薬は接触しており、曳光剤底部は同様に底部ネジで締められている。

九七式徹甲曳光弾および九八式ハイエクスプローシブ曳光榴弾に比べ、百式ハイエクスプローシブ自爆曳光榴弾の曳光剤の装填はより多く、遠距離で依然曳光効果が維持できる。何故なら、この弾は曳光剤が頂部まで燃焼した後、自爆薬管に点火し、したがって弾頭を自爆させるのであり、もし曳光剤が少なすぎたら、弾頭が早すぎる炸裂を起こし、遠距離目標の射撃に不利だからである。

百式ハイエクスプローシブ自爆曳光榴弾の弾頭本体は黒色で、弾頭の定心部下方には1本の赤色の帯があり、弾頭本体の円柱部分中部には緑、黄色2色の色帯が各1本あり、このうち緑が上で、弾頭本体表面にはさらに白色の「百式」および年号などの文字が印刷されている。

この弾は百式瞬発非セーフティ型触発信管を使用し、体積が九三式信管よりさらに小さく、構造がより簡単で、同時に弾頭の自爆機能が加えられている。この信管頂部にはカバー箔があって密封され、弾頭が飛行時に雨の滴にぶつかるなどの原因で過早炸裂がもたらされることを防止している。、この信管のセーフティは完全に遠心力に頼って解除され、発射の瞬間弾頭は加速して前に向け飛行し、ファイアリングピンは下に向け運動し離心子を圧迫し、これにより銃身内セーフティが形成される。弾頭が銃身内から出ると、弾頭はもはや加速せず、慣性に頼って前に向け飛行し、ファイアリングピンはもはや離心子を圧迫せず、離心子は弾頭の回転が形成する遠心力の作用の下で離心子スプリングを圧縮し、さらにはファイアリングピンに対する制限を解除する。弾頭が目標にぶつかると、弾頭の尖った部分がまず破壊され、ファイアリングピンはファイアキャップを圧して刺し、最終的に弾頭を起爆させる。もし目標にぶつかることができなかったら、曳光剤が燃焼し終わった後弾頭本体中部の自爆薬管に点火し、さらには弾頭を爆発自壊させる。

(頑住吉注:原ページでは5ページ目の内容と6ページ目の内容が入れ替わっており、これより5ページ目を飛ばして6ページ目です)

これらの弾薬種類の他、九七式対戦車ライフルが使用した補助弾薬種類にはさらに、木質弾頭を装備した空砲弾薬、全体が回転加工で作られた不活性訓練弾薬が含まれるが、この種の弾薬は比較的少ししか見られない。

九七式の使用方式および実戦の経歴

九七式対戦車ライフルは使用時、まず発射陣地の選択と構築が必要である。しかる後に前後の携行架を取り外し、バイポッドと後部接地板を適した位置に調整し、かつ固定する。副射手は防塵カバーを開き、マガジンを挿入する。目標が出現すると、射手はリアサイトをセットし、かつコッキングハンドルを定位置まで引き、ボルトを発射準備位置に置き、目標を照準すれば即射撃が行える。

この銃はオープンボルトファイアである。トリガーを引くと、シアが押し下げられ、ボルトを解放し、ボルトは両側のリコイルスプリングに押し動かされて前向きに運動し、マガジンを通過する時に1発の新たな弾薬を押し出す。弾薬が完全にチャンバーに入り、ボルトが弾薬の尾部をしっかり押さえると運動は停止し、エキストラクターはリムを越え、薬莢を保持する。この時ボルトキャリアは前向きの運動を継続し、かつ閉鎖斜面の作用の下、徐々にロッキングブロックを持ち上げ、レシーバー内側左右のロッキングブロック受けに接触するとボルトをロックする。その後ボルトキャリアは比較的短いフリースストロークを終え、さらにはファイアリングピンを押し動かして雷管を撃発する。弾頭がバレルのガス導入穴を通過した時、一部分の火薬ガスがガス導入リングを経てガス導入管に進入し、かつ前部固定リングを経てそれぞれ左右のピストンシリンダー内に進入し、ピストン/ボルトキャリアを後ろに向け押し動かして運動させる。ボルトキャリアはまず比較的短いストロークを終え、同時にファイアリングピンをボルト内でやや後方に向け連動させ、その後ボルトキャリア上の開鎖斜面とロッキングブロック上の開鎖斜面の作用で、ロッキングブロックを徐々に下降させ、ロッキングブロック受けの閉鎖面との接触から離脱させ、開鎖の動作を完成させる。ボルトキャリアはロッキングブロックによってボルトを連動させて後方に向け運動させ、エジェクターを通過する時、エジェクターは薬莢のリムを打撃して薬莢を下部から放出する。ボルトキャリアがいっぱいまで後座すると、シアに保持され、射撃待機状態を呈する。トリガーを引くとこの動作が繰り返される。

九七式対戦車ライフルのストックユニット内には緩衝機が設計され、弾薬の撃発後、火薬ガスは弾頭の前進を押し動かすのと同時に、バレル/レシーバーユニットはストックユニット上で後方に向けスライドして緩衝スプリングを圧縮し、このようにして後座力を非常に大きく下げ、さらに加えて高い機能の銃口装置および後部接地板の応用があり、九七式対戦車ライフルの後座力は極めて大きく低下し、体格が普遍的に矮小な日本兵であっても自在にコントロールできる。

九七式対戦車ライフルは歩兵部隊の中で長距離輸送する時、3頭の馬が2挺の分解後のこの銃を乗せ、もう1頭の馬は140発の弾薬(20個のマガジンに装填して)を乗せた。騎兵部隊では2頭の馬でそれぞれ1挺のこの銃を乗せ、もう1頭の馬が140発の弾薬を乗せた。戦闘の過程では、1挺の全備状態の九七式対戦車ライフルは2〜4人の兵士によって携行架を用いて携帯され、1人は前、1人は後ろの2人で携帯もできるし、2人が前、2人が後ろの4人で携帯することもできた。標準的な1個戦闘分隊は9人で組成され、このうち4人は銃の携帯を担当し、他の4人はそれぞれ5つのマガジンを入れた弾薬箱を背負い、このうち1人はさらに三八式小銃1挺を携帯して自衛に用い、この他もう1人は射撃の指揮を担当し、かつ陣地構築に用いる工具を携帯する分隊長だった。この銃の設計の初志はソ連軍の装甲戦力からの防御に用いるというものだったため、主に寒い地帯での使用が考慮され、このためさらにこれとセットで前部携行架下部に取り付けるそりおよび雪上固定工具が研究開発されたが、実際の使用の中では決してしばしば見られるものではなかった。

九七式対戦車ライフルの生産は1938年から正式に開始され、当初は小倉兵器工場第二製作所で製造されたが、応用面が比較的狭いなどの原因により、その生産量は決して多くはなく、しかも1942年以後は生産量がさらに一歩減少した。九七式対戦車ライフルの総生産量はごく少なく、全部で約400挺しか製造されず、主に中国東北の日本軍部隊に装備され始めたが、実戦の記録は多くない。これは中国侵略戦争中、相手である中国軍の装備レベルが比較的低く、戦車や装甲車両の使用がごく少なく、九七式対戦車ライフルに腕の振るい場所が全くなかったからである。

ソ連軍との勝負の中で、特にノモンハンの戦役の中で、九七式対戦車ライフルのパフォーマンスは決して良くなかった。1939年5月および8月、日ソ双方はノモンハン地域で相次いで2回大規模な衝突を発生させた。ソ連軍は充分に砲兵と航空兵の優勢を発揮し、特に大量の装甲戦力を出動させ、軽装の歩兵がメインの日本軍に壊滅的打撃を与えた。8月20日の総攻撃だけでソ連軍は524両のBT系列およびT-26戦車を投入し、これとは別に装甲車385両があった。一方日本軍の各種戦車防御砲は40門しかなく、実戦での効果もごく限られていた。BT-5/BT-7戦車の装甲の厚さは10〜15mmしかなかったが、広い草原ではソ連軍の圧倒的な砲火の優勢に直面して、日本の射手は九七式対戦車ライフルの有効射程内で発砲する機会は全くいくらもなく、逆に歩兵、工兵が集束爆薬と火炎瓶を利用して行った近距離攻撃がソ連軍戦車にもたらした損失がよりいくらか大きかった。戦争後期、九七式対戦車ライフルはさらに少数が太平洋の島を守備する部隊に装備されたことがある。

同類武器との性能の対比および総合評価

第二次大戦終結までに世界で研究開発された兵個人の使用に供することのできる20mm口径の対戦車ライフルは決して多くはなく、スウェーデンのカール グスタフPVG M/42、フィンランドのラチL39、スイスのソロサーンS18-100/1000、ドイツがコピー生産、改良したS18-1100、および日本の九七式があった。このうちカール グスタフPVG M/42は無反動砲式の発射原理を採用し、単発の発射で、銃全体の構造は簡単で重量が比較的軽いが、九七式およびその他の対戦車ライフルと同一の類型には属さない)。

何種かの20mm口径対戦車ライフルを表にして対比すると、九七式の諸元は比較的バランスがとれ、寸法、銃全体の重量でも威力でも、いずれも中等レベルに属するということが分かる。だがもし当時ソ連軍が装備した2種の14.5mm対戦車ライフルと比較したならば、九七式の体積と重量はいずれもずっと大きく、同時に構造もより複雑だが、装甲貫通能力はソ連製の14.5mm炭化タングステン徹甲弾(100mで垂直の40mm鋼板を貫通でき、300mで垂直の35mm鋼板を貫通できる)に及ばない。だが九七式対戦車ライフルにはさらにハイエクスプローシブ榴弾が使用され、普通車両、軽装甲および防護なしの目標に対する殺傷効果方面で一定の優勢を占める。

(頑住吉注:これより戻って5ページ目)

何種かの同じ口径の対戦車ライフルの中で、九七式とS18-1000の構造は最も複雑で、一方L39は最も簡単である。だがL39は多くの穴のある制退消炎器を採用しているので、銃の全長が最長である。また、L39の銃本体はそれ自体にバイポッドとそりが付属し、雪の多い地域での使用に適する。そのバイポッドを下げればすぐ射撃が行え、バイポッドを折り、そりを下げればすぐ銃器を素早く移動できる。一方九七式対戦車ライフルは行軍から射撃状態に転じるのに必要なステップがより多く、準備時間が長すぎ、快速反応に不利で、占める編成人員もより多い。S18-100/1000はバイポッドと後部支持脚しか装備しておらず、射撃準備時間が比較的短く、ドイツが改良した後のS18-1100はさらにスコープを装備し、照準射撃がより迅速である。欠点は携行に不便なことだったが、この銃の一部は専用に設計された2輪銃架に取り付けられ、素早い移動の問題は解決されたが、体積、重量はさらに一歩増加し、歩兵に随伴しての戦闘には適さなかった。

全体的に言って、九七式対戦車ライフルの設計の優れた点には次のものが含まれる。1つは専門の後座緩衝装置があり、銃口制退消炎器と後部接地板の応用が加えられ、その後座力を減少でき、射撃が比較的安定している。2つ目は専用に設計されたリムレス弾薬で、リムの直径が比較的小さく、マガジン容量が大きく、装薬の量が多く、弾頭の種類が多く、異なる目標への対応に適する。だが、その欠点も全く明らかである。1つ目は銃全体の構造が複雑で、細かい部品の形状が特殊で、加工の量が大きく、コストが非常に高いことである。当時1挺の九七式対戦車ライフルの製造コストは6,400円で、一方三八式小銃はたった80円しか必要とせず、差は80倍近く、このため大量装備し難かった。2つ目は照準線が比較的短く、長時間の使用後容易に射撃の偏差がもたらされ、しかもフロントサイトベース、リアサイトが銃本体左側に突出し過ぎ、容易にぶつけて損壊する。3つ目はガス導入システムの構造が複雑で、調整が便利でなく、維持修繕、メンテナンスも非常に面倒である。4つ目は射手の訓練に対する要求が比較的高く、射撃前の陣地構築や銃の据え付けが比較的面倒で、素早く目標を捕捉するのに不利である。

第二次大戦終結後、20mm口径の対戦車ライフルは発展を完全に停止した。だが1990年代の大口径アンチマテリアルライフル勃興以後、少数の国がまた20mmアンチマテリアルライフルを研究開発した。12.7mm、14.5mm口径の同類武器に比べ、20mm口径は選択可能な弾薬の種類がより多く、目標に対する総合的な破壊効果も一段優れている。このうち比較的典型的なのはクロアチアのRT-20と南ア共和国のNTW20アンチマテリアルライフルである。両者はいずれも手動装填の単発武器に属し、前者は後方にガスを噴出する形式を採用して後座力を減少させる。ただし初速が低下する欠点がもたらされる。後者は高機能の銃口装置とロングストロークの後座緩衝装置に頼って後座力を低下させる。だがこの2種の武器の販売数と装備状況はいずれも決して理想的ではない。何故なら複雑な現代の戦場環境下では、20mmというこの口径クラスは終始体積が巨大、火力密度が低いという欠点から脱することができず、同時により多くのより良い武器がそれらに取って代わることができ、このため発展の前途の見通しは制限を受ける。

当時の時代背景と国力をもって、日本は2年余りの時間しか使わず、九七式対戦車ライフルおよびその弾薬を研究開発しており、工業的実力は軽視できない。しかも設計と加工の質は比較的高い。また、この銃の設計は決して他国の既存の設計をそっくり真似たものではなく、本国の実際の状況を根拠に、非常に多くの個性の要素を溶け込ませている。例えば緩衝機構および銃本体のフローティング設計(バレル/レシーバーユニットが一体で後座できる)など、いずれもすこぶる特色があり、かつ実際の効果を取得している。だがこのようであっても、その構造が複雑で、体積が比較的大きかったため、実戦での応用効果は良くなく、当時のソ連軍戦車に対してはいささか意気込みに力が追いつかず、このため歴史上にそそくさと表れては消えただけだった。


 まあ日本人が読んでもほぼ妥当な評価だと思います。ちなみに私は対戦車ライフルの最高傑作は以前モデルアップしたこともあるPTRD-1941だと思っています。

本題ではありませんが、カール グスタフPVG M/42というの、検索してみましたけど非常に面白い銃、というか20mm無反動砲ですね。無反動化するための火薬のロスを考えてか薬莢が大きいため、この形式にしては初速も高くて充分な威力がありそうです。形状的にも作りやすそうですし、昔なら作ってたかも。 

http://tonnel-ufo.ru/eanglish/weapon/antitank-rifle-carl-gustav-pvg-m-42.php

http://www.youtube.com/watch?v=yeFlsEqkSHo














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