侵入路:エネルギー伝達

 「DWJ」2004年6月号に掲載された、Dr.Beat Kneubuehlによる連載の7回目の内容です。


シリーズ:効力と危険性の間 その7

侵入路:エネルギー伝達


効力と効果を正確に峻別して把握することが、効力を量的に計測することにつながる。この際、独自の特徴的コースを持つ各弾丸独自の機能が明らかになる。これを助けにして、いろいろな弾丸効果の問題を客観的に議論することを可能にする基礎が作られる。


 ある弾丸の効力を言い表す特有の大きさは、そのルートの各位置で失われ、そしてこれにより弾丸を取り巻く組織に伝達されるエネルギーである。この数値は、5月号で示されたように、ルート単位ごとのエネルギー、すなわち「ジュール/cm」で計測される。ある位置で多くのエネルギーが組織に伝達されれば、それはより少ないエネルギー伝達よりも重い損傷の可能性を持つということである。逆にわずかなエネルギー伝達は、非常に弱い損傷の可能性を持つということである。
 ある弾丸の効力を数値化できるという事実は、古い、そしていまだ未解決である弾丸の効果に関する問題を再び取り上げ、従来より決定的に感情の入る余地の少ない、新しい議論への道を開く。

国際的協定
 残念なことだが、人類の歴史は常に繰り返される戦争によって特徴づけられている。しかし、世紀の進行の中での次第に高まる銃器の技術的進歩は、2つの人道主義的原則を導いた。これは今日までの全ての国家間の戦争指揮に関する国際的協定および協約の根拠となったものである。まずこれに該当するのが手段に関する「均衡性」である。これは敵を傷つけるために使用する手段の選択権に拘束を受けない戦争指揮者はいないということである。2番目の原則は、敵に及ぼす効果に関する「均衡性」である。すなわち、不必要な苦しみを与えることは避けるということだ。
 この知られた原則に関わる今日の一例は、対人地雷に関する新しい国際協約である。対人地雷はその広い普及(世界中に1億をはるかに越える対人地雷が敷設されている)から、もはやその手段としての「不均衡性」を離れては議論できない。対人地雷が生じさせる傷もまた、その効果が「不均衡」であり、不必要な苦しみを生じさせるのである。
 「不必要な苦しみ」という概念は、現に通用している道徳やモラルに直接的に非常に強く依存しており、そしてこのため広い解釈の余地が許されている。
 軍用ロングアームの領域では、今日依然として以下の協定が有効である(ただし、ハンドガンも明文的に除外はされていない)。

1868年から発効したサンクトペテルスブルグ宣言。この中では署名した国は(人間の体に侵入することによって)爆発する可能性のある、あるいは焼夷材を含む弾丸を放棄する義務を負うとされている。
 
1899年のハーグ協約。この中では条約を締結した国の軍隊による、「人体内部で容易に拡張する、または平面的圧力を加える弾丸、およびハードなジャケットを持ちながらそのジャケットがコアを完全に覆っていない、または切れ目が備えられている弾丸」の使用が禁じられている(いわゆる「ダムダム弾」の禁止)。

1907年のハーグ陸戦規則。この中では「不必要な苦しみを引き起こすのに適した銃、弾丸、物質の使用」が禁止されている(頑住吉注:直訳すると「適した」または「ふさわしい」という言葉が使われており、日本語としては違和感がありますが、あえてそのままにしました)。

 今日の知識をもって、両方とも弾丸構造について記述した最初の2つの協定を分析することにより、人体への侵入直後から非常に多くのエネルギーを伝達する、すなわち侵入から短距離で高い効力がある弾丸全般が禁止されていることに気付く(5月号の写真3およびグラフ4参照)。後になって初めて大きな効力が伸長するフルメタルジャケット弾は常に許容されている(5月号写真1およびグラフ2参照)。
 「不必要な苦しみ」という概念とともに、この脈絡は今、以下のように再構築される。腕、または脚に禁止された弾丸が命中すると、骨が非常に大きく破壊される。これにより(戦争の状況下では)高い確率でその腕または脚を切断しなくてはならなくなる。それゆえ、この場合も地雷と同じように決定的な、そして一生涯の被害が予想される。これに対し、腕または脚にフルメタルジャケット弾が命中した場合、切断という結果が導かれるのはきわめてまれなことにすぎない。
 写真1は骨に似たプラスチックパイプを使用した実験的シミュレーションにより、フルメタルジャケット弾とソフトポイント弾の骨への命中結果の差を示したものである。

侵入ルートとエネルギー伝達
 ある弾丸の効力が量的に決定されるという事実は、今新たな可能性をもたらす。それは、「人体内部で簡単に拡張する、または平面的圧力を加える弾丸」「不必要な苦しみを引き起こす弾丸」といったような概念を避け、測定可能な判断基準と交換するという可能性である。すなわち、未来において改定される協定の文面は以下のような内容となることが考えられる。「最初のxcmの侵入ルートにおいてyジュール/cmを越えるエネルギーを伝達する弾丸は禁止」。このようなシミュレーションによって定義できる判断基準を使えば、各弾丸が対応する協定を満たすか否かが、その設計とは無関係に検査できる。
 当然、そのような定式化は議論を呼ばずにはいないだろう。とりわけ、両方の数値「x」「y」の決定は必然的に軍による必要性と道徳的願望の間のきわどい綱渡りになる。だが、決定にあたっては傷弾道学の実験的シミュレーションが助けとなり得る。今日では回復できない骨の損傷を導くエネルギー伝達の限界値の決定が可能となっているのである(写真1参照)。

いわゆる警察弾薬
 この他の問題として、しばしば非常に感情的となる議論は、警察の使用するハンドガン弾薬領域において行われる。このシリーズの最初の寄稿で指摘した(2003年12月号参照)ミュンヘンにおける大事件は、従来普通だったフルメタルジャケット弾が、侵入孔のコースによっていかに異なる効果となる可能性があるか、ということを端的に示した。この結果、「正当な銃器使用による弾丸が犯人に命中するだけでなく、同じ射撃によって無関係な人物をも傷つける」ということを避ける、警察用としての変形弾薬の評価がさらに高まった。
 このような弾丸の採用に対する決定的な障害は、ハンドガン用変形弾がしばしば(誤って!)いわゆる「ダムダム弾」と同一視されることである。「ダムダム弾」とは正確には19世紀の終わりにインドで、イギリス軍がライフル用に開発した、そして1899年と1907年における両ハーグ協定のきっかけとなったものである。
 ある弾丸の効力は数値としてとらえ、そして表現されるものだから、これにより両者の関係に関する2つの重要な事実が得られる。
 マズルエネルギー500〜600ジュール周辺のハンドガン用変形弾薬は、ロングアーム用のいわゆる「ダムダム弾」より決定的に少ない傷害ポテンシャルを持つ。両者を同一視することは許されない。ロングアーム用変形弾(「ダムダム弾」に似た弾丸)の効力機能と、典型的な(警察)ハンドガン用変形弾のそれが互いに対極に位置することはグラフ2によって証明される(頑住吉注:ソフトポイントライフル弾は深度8cmくらいがピークで200ジュール以上のエネルギーを伝達しており、9mmパラベラム変形弾は深度4cmくらいがピークで50ジュール強のエネルギーを伝達しています。)。
 同じ重量の弾丸の場合、基準値として明示される効力機能の助けをもって初めて、警察の必要と、そして過度の損傷の回避の両立が可能になる。
 すなわち、一方では最小の効力が要求される。これは、命中した犯人の体から出て行った弾丸がその上大きな損傷を引き起こしてはならない、という意味である。しかし他方では最大の効力が確約できなければならない。破壊ポテンシャルが必要上制限されているにもかかわらずである。大きな効力によって変形弾薬には(適切な命中点と侵入孔を前提とする)より高い阻止可能性が期待される。だが、これを過信した結果裏切られてはいけない。ハンドガンを持った決然たる攻撃者の全てを確実に阻止することは不可能なのである。
 弾丸の効力だけでなく、命中点と侵入孔のコースもまたまさに決定的な要素であるということは重要である。攻撃者へのたった1つの命中点および侵入穴が、意図した任務の直接の達成をもたらす可能性もあるし、これに対しわずかに命中点がずれただけでほとんど効果が示されないこともある。命中点と侵入孔のコースは効果を決定するにあたって弾丸の効力と同じくらい重要である。同じ侵入孔のコースおよび同じ命中時点でのエネルギー量によって、異論に反して変形弾はフルメタルジャケット弾より重い損傷をもたらす。そして変形弾は充分な効力を持ちながら無関係な人間を危険にさらす可能性を除去する可能性を持つ。

設計と効果
 弾丸の効果の分析と、その4分割、すなわち「弾丸の効力」「命中点と侵入孔のコース」「弾丸を受ける人の体格と肉体的コンディション」(頑住吉注:って、3つだけじゃん。「その1」の内容からして「弾丸を受ける人の精神的コンディション」が抜けてるんじゃないでしょうかね)は、国際協定や警察武装の枠組みを弾丸の効果との関係で議論することが無駄だということを示す。というわけは、弾丸の設計者は4つの部分のうち、弾丸の効力にしか影響を及ぼせないからだ。そういうわけで、弾丸への要求を定式化した理性的なものでも(望む効果に関するものも、そして人道的な見地からのものも)、やはり結局は効力を制限するという形で現れる。今日の技術的可能性は、効力の条件をあらかじめ規定し、その後で弾丸を設計することをたやすく可能にした。


 軍用として、いわゆる「ダムダム弾」が禁止されているということはご存知だと思います。しかしこれは弾丸の設計上の制限であり、抜け穴や不合理と思われる部分もあります。協約の趣旨からすれば禁止されていてもおかしくない鉛弾を使用するショットガン、比較的浅い深度で大きく変形する旧ソ連・現ロシアの5.45mmx39、侵入直後に転倒して大きなエネルギーを伝達するP90用の5.7mmx28などは許されています。ちなみに「コンバットショットガン」の項目で登場した第一次大戦時の「ショットガンは最近結ばれた協約に違反するし不要な苦しみを与える武器である」とするドイツの抗議に対するアメリカの回答、「ショットガンは何百年も前から慣用的に使用されている陸戦兵器であり、ドイツの抗議は理解できない」は論理としてまるでかみあっておらず、例えばこういうのをDr.Beat Kneubuehlは感情に基く議論というんでしょう。「ホローポイント弾」の項目に、先端内部に柔らかい樹脂を内蔵した「エクスパンシブフルメタルジャケット」というのが登場しましたが、これは許されるんでしょうか。「容易に拡張する」という理由でダメだというなら、その樹脂を徐々に堅くしていったら一体どこでOKになるんでしょうか。まして「不必要な苦しみを引き起こすのに適した」なんていうのはあまりに漠然としすぎています。
 そこでDr.Beat Kneubuehlは(これを越えると骨に回復不能の損傷を与えることが実験的に明らかであるという理由で)「最初のxcmの侵入ルートにおいてyジュール/cmを越えるエネルギーを伝達する弾丸は禁止」といったような、検証可能で感情の入る余地のない基準に変えるべきだと主張しているわけで、これはきわめて合理的だと思います。これが実現すれば、場合によっては上にあげた3種の弾薬の一部は禁止されるかもしれず(おそらくショットガンは少なくとも近距離で腕や足に命中した場合骨に回復不能の損傷を与えるでしょう)、また逆にハンドガン用ホローポイント弾の多くは明確に解禁されることになるはずです。

 次に取り上げられているのは警察用ハンドガン弾薬です。ハンドガン用とライフル用の変形弾は実際に似たものですから当然と言えば当然ですが、あまりはっきり区別されないことが多いわけです。私もはっきり分けて考えてはいませんでした。しかし、Dr.Beat Kneubuehlの考えによれば効力とはエネルギー伝達であり、両者のエネルギー伝達は数値上全く異なるのだから同一視してはならず、しかも警察用としてフルメタルジャケット弾を使うと無関係な人にまで危険が及ぶ可能性が高くなるのだから変形弾を使うべきだ、というわけです。軍の使用なら発砲する先にはたいてい敵しかいませんからあまり問題になりませんが、警察の使用では戦場と違って周囲に無関係な人がいるケースが多いからなおさらということでしょう。実際ドイツでは何度も触れたミュンヘンでの事件をきっかけに警察用として変形弾が使用されるようになり、また民間でも解禁されたわけです。この過程ではやはり「警察が非人道的なダムダム弾を使用するとはけしからん」という感情的な反発があったようです。また、別の記事によればスイスでは今その議論の最中らしいです。「MENの新弾薬」の項目で、「クイックディフェンス2」という弾薬が登場しました。ここには「フルメタルジャケットより高いエネルギー伝達を希望するが、口径の数値を越えての変形は許容しないという顧客の希望に応じて特別に開発されたものである。この方式の弾丸構造は、わずかな国、例えばオランダなどで使用されているだけだ」という記述がありました。要するに命中するとすぼまった先端部が弾丸の直径まで拡張して(そしてそれ以上は拡張せず)円筒形のような形になるものです。「わずかな国」とはいいながら、わざわざこうしたバリエーションを作ってネット上でも宣伝しているところを見ると、ある程度の需要はあるんでしょう。この弾薬はおそらくこれが警察用として最適だと思っている顧客ではなく、「ダムダム弾を使っている」という批判を受けるのを避けたい顧客のための、いわば妥協案と思われます。
 私はよく知りませんけど日本でもいまだフルメタルジャケット弾を使っているんではないでしょうか。だとしたら使用例が少ないから実際に起きていないだけで、潜在的には一般市民の巻き添え死の危険は大きいことになります。しかしもし変形弾を使ったら「警察が非人道的なダムダム弾を使用し始めた」という批判をする人が登場することは容易に想像つきますよね。

 さて、ちょっと今回の話からは離れ、前回疑問に思った「エネルギー量が同じ場合何故重い弾の方が強い反動を感じるのか」という問題に触れます。
 この連載で以前「運動量」という物理学用語が登場しました。「運動量」は質量×速度で算出されます。要するに速度に比例するわけですね。一方エネルギーはこれと異なり速度の自乗に比例しますから、同じエネルギー量の場合重い弾の方が大きな「運動量」を持つことになります。
 例えとして「カートリッジスオブザワールド」からデータを引用します。115グレイン(7.45g)、初速1250ft/s(381m/s)の9mmパラベラムと、230グレイン(14.9g)、初速875ft/s(266m/s)の.45ACPはほぼ同じエネルギー量(9mmパラベラムの方がやや大きい)になっています。しかし、これを「運動量」で比較すると.45ACPの方が1.4倍になります。
 発射される弾丸と、その反動で後方に動く銃は「作用反作用の法則」により同じ「運動量」を持つことになります。そして「運動量保存の法則」により、射手と銃の重量が同じである場合、1.4倍の「運動量」を反動として受け止めた手は1.4倍の速度で後方に動かされることになります。こういう理由で同じエネルギー量でも重い弾の方が強い反動を感じるわけです。ちなみに「銃が軽いとより強い反動を感じる」というのも、同じ「運動量」なら銃が軽い方がより高速で後方に動かされることになるからだ、ということで説明できます。
 9mmパラベラムと.45ACPは(もちろん両者とも大きな幅がありますが)同程度のエネルギー量です。しかし「運動量」は.45ACPの方が明らかに大きいわけです。そして「運動量保存の法則」により、.45ACPの方が射手が大きな反動を感じるだけでなく、命中によって敵の体内の組織のより大きな重量が、より高速で向こう側へと動かされることになるはずです。
 Hatcherがエネルギーをベースとする「ストッピングパワー」を、「運動量」をベースとする「レラティブストッピングパワー」に変えたのは、どうやら「多くの人の体験からして重い弾の方が大きな効果が現われる場合が多いように思われる」ことが、このように「運動量」を使えば説明できると思ったからのようです。そしてDr.Beat Kneubuehlがこの連載の1回を割いて「弾丸の効力は『運動量』によるのではない」ことを力説したのはこうした説を否定するためだったようです。

 しかし、Dr.Beat Kneubuehlの、「弾丸の『運動量』によって敵を押しとどめることは不可能である」という主張には全面的に賛成できますが、「『運動量』の大きい弾丸の方が命中によって敵の体内の組織のより大きな重量が、より高速で向こう側へと動かされる」ことは理屈からして確かであるはずなのに、これが効力と無関係だというのはちょっと理解しにくいところです。普通に考えればこれにより撃たれた人がより大きな苦痛を感じ、より早く行動不能になる可能性は充分にありそうに思われます。
 しかし、弾丸による組織の破壊はエネルギーによって起こり、エネルギー伝達が多い方が大きな破壊を起こし、(他の条件にもよるが)大きな効果を発揮する可能性が高くなるのだ、という主張も理路整然としていて反駁しがたいものがあります。それに先の仮説が正しいとするならエネルギー量が同じでも「運動量」の大きい弾丸をグリセリン石鹸に撃ち込めば、「運動量」の少ない弾丸より奥行き方向に大きな破壊が及びそうに思いますが、そういう事実はないようですし。

 そもそも、「重い弾丸の方が高い効果を発揮する可能性が高い」というのは統計的に裏付けられる話なんでしょうか。私はいろいろなケースを読んで、確かにそういう傾向があるような気がしましたし、多くの実戦経験を持つアメリカのプロフェッショナルの多くもそう感じているわけです。しかし、膨大な実例の統計をとった結果そんな傾向はなく、.45ACPは最も頻繁に過大評価される弾薬である、とする専門書もあるそうです。科学的には否定されているのに、多くの人が「血液型で性格が分かる」と実感しているという実例もあります。この場合は多くの人が正確に、充分なサンプル数の統計を取ったりせず先入観をもって実例にあたり、血液型性格判断に適合するケースを見ると「やっぱり」とその実感を強め、反するケースを見ると「これは例外」として無視してしまう、ということが一つの原因になっているようです。.45ACPと9mmの効果の比較でもそういうことはあるかもしれません。そしてそういうバイアスのかかった情報を机上で読んでいるに過ぎない私もその影響を受けずにはいられないはずです。
 また、血液型性格判断のケースでは、それを信じることによって結果的に本当にそんな性格に変わっていってしまうという例も明らかに見られるということです。ちょっと違いますけど「みんなが信じることで本当にそうなってしまう」というのは.45ACPと9mmの場合もあるかもしれません。Dr.Beat Kneubuehlはこの連載の1回目に「射手が発砲を決断するタイミング、そしてその際の精神的コンディションは命中点の位置に影響する。銃が不十分な効果しか挙げ得なかった実例の分析からは、非常に多くの例において、弾丸の効力が不足していたことが原因ではなく、射手が精神的負荷を受けていたこと、そしてそれによって正しくないタイミングで発砲を決断したことが失敗を招いたのである、ということが分かる。」と書いています。つまり、射手が「俺は.ストッピングパワーの絶大な45ACPの銃を持っているんだ」という自信を持っている場合と、「上の決定で9mmパラベラムの銃に変えさせられたけどこんなので本当に大丈夫なのか」と不安を持っている場合とでは効力が同じでも効果が異なることがありうるのではないかということです。そしてこれは限られたケースですが、撃たれる側が「敵が大口径の銃を持っている」「大口径の銃で撃たれた」と意識することが「精神的コンディション」に影響することも考えられます。というわけで、Dr.Beat Kneubuehlの考えが全面的に正しいかもしれないと揺れる頑住吉もおります(笑)。

 またしても「しかし」ですが、もしDr.Beat Kneubuehlの考えが正しいとするなら、原則として弾丸は軽ければ軽いほどよいということにならないでしょうか。同じエネルギーが伝達されれば同じ効力は得られるわけですし、同じエネルギーなら弾丸が軽ければ軽いほど「運動量」が小さくなって反動が軽くなり、正確で速い連射が可能になるわけですから。「アクション4」の重量が通常より軽い6.1gであるのはあるいはこういう理由もあるのかもしれません。「アクション4」の場合はハードターゲットに対する貫通力や強化ガラス貫通後の弾道などという要求もあってこの程度が理想的だということになったのかもしれませんが、例えばこういう弾丸はどうでしょうか。1円玉をガチャンと9mmパラベラムの形にプレスしたような、重量1gのペラペラの弾丸です。計算上これを1040m/sに加速すれば上で挙げた7.45g、381m/sの9mmパラベラムと同等のエネルギー量になり、かつ約37%の「運動量」しかないことになります。反動は極端に軽くなって撃ちやすくなり、また後退の「運動量」がここまで軽くなれば単純なストレートブローバックで撃てるかもしれません。1040m/sというライフル弾としても異常な超高速はあまりに非現実的だというなら、2g、735m/sでもいいでしょう。Dr.Beat Kneubuehlの考えが正しければ遠距離射撃やハードターゲットを想定しない個人のセルフディフェンスならこれで充分ということにならないでしょうか。ではどうしてこういう弾薬はないんでしょうか。もしこんな弾を作ったら本当に充分な効力が得られるんでしょうか。

 とりとめもなく書いてきましたが、というわけで正直私にはドイツで認められているDr.Beat Kneubuehlのより論理的に思える考えが本当に正しいのか、いまだに判断がつきません。





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