中ロ戦車の半世紀にわたる因縁

 直接的じゃないですけどこれも戦車競技関連です。

http://military.china.com/history4/62/20140818/18715983.html


中ロ戦車半世紀の「恩讐録」:96戦車、かつてT-72AVを撃破

(頑住吉注:原ページのここにある画像のキャプションです。「資料画像:スーダンが使用する96戦車。スーダンの戦場は96式とT-72に真剣勝負の機会を与えた。」)

T-72の震撼と夭折の122プロジェクト

1973年、T-72戦車の生産が開始された。この戦車はT-64に比べコストがより低く、信頼性がより良く、かつ性能上これと近かった。ひとたび登場するや、この戦車はすぐ西側世界の普遍的な恐慌を引き起こし、特にその装備数はすぐに人を瞠目させ舌を巻かせる程度に到達した。

1970年代後期から、この人を恐怖させる戦車は極東のソ連軍で就役に入った。当時解放軍の主力対戦車武器はまだ85mmおよび100mm対戦車砲、69式ロケットランチャーなどで、これらの武器はいずれも正面からT-72戦車を貫通することができなかった。当時部隊では一度、「我が軍の歩兵の現在唯一有効なT-72戦車を打撃する武器は8kg炸薬包だ」との噂が聞かれた。これにより、中国とT-72戦車の物語が始まった。

ソ連軍が大喜びでT-72を生産している時、中国はまだ努力して1世代前の59式戦車の生産を拡大していた。この作業も決して容易に完成するものでなかったにしてもである。当時国内で自ら設計を行った「122プロジェクト」中戦車は技術が先進的過ぎたために夭折した。69式戦車の性能は予期の水準に到達せず、部隊の悪評は潮の如しで、ごく少数だけが装備された。

神秘の「64式戦車」の影響

1980年代初め、ルーマニアの軍事代表団が訪中し、思いもよらないプレゼントを持ってきた。1両のまあたらしいT-72Mメインバトルタンクである。これはソ連の輸出型T-72メインバトルタンクで、ソ連軍が1979年に装備を開始したT-72Aと同列には語れなかったが、当時の中国にとっては、これはまさに雪の中の炭火の贈り物そのものだった。交換として、中国はルーマニアに向けワンセットの先進的なプラズマ吹き付け塗装工程設備を提供し、これは戦車のエンジン部分の部品の寿命を大幅に延長できるものだった。

中国は厳かに重々しくこの戦車に特別なコードネームをつけ、もってその真の身分を覆い隠した。これこそ「64式戦車」である。

この戦車に対し詳しい研究を行った後、中国は決して簡単にこれをそっくり真似たわけではなかった。その作用はむしろ中国の第2世代戦車の発展の路線を明らかに示したことだった。T-72に似たトーションバー式懸架システムを採用した1225サンプル車は解放軍に歓迎され、後に88式メインバトルタンクに発展した。つまり今日の96式戦車の前身である。

「スーパードリーパートン」がもたらした「再度の震撼」

88式戦車が解放軍に正式加入した時はすでに1980年代後期で、この時赤の広場の閲兵式に出現したT-72Bは再度他国に「T-72の恐怖、さらに相手の装甲を打ち抜けない恥辱」を思い起こさせた。その砲塔内には鋼板、チタン合金、アルミ合金、ゴムなどの材料を積層して構成された複合装甲が装備され、その砲塔を見たところ無比に巨大にさせ、西側からふざけて「スーパードリーパートン」(アメリカの女性スター。グラマーで有名。ソ連のT-72Aは砲塔が比較的大きいため「ドリーパートン」と呼ばれていた)と呼ばれた。これと同時期のT-80Uに採用されたセラミック複合装甲とは同列に論じられないが、それでも当時NATOや中国軍の手中の攻撃の主力だった105mm戦車砲に自分の能力不足を嘆かせるに足りた。

また、車体の重量が増加したため、T-72Bの動力システムも改善され、この戦車は新たな840馬力エンジンを装備し、かつダブルの側面の遊星歯車変速ボックスを採用し、機動性能を当時としては超越的な程度にまで到達させていた。ソ連軍はまだ充分満足せず、またT-72B戦車に反応装甲を装備し、もって対戦車ミサイルに対抗する能力を高めた。こうしてこの今日までずっとロシア軍の主力装備であるT-72BV戦車が誕生した。それらの「戦車両項目」競技の中での大車輪のパフォーマンスから見て、機動性能だけを論じれば、これは依然相当に強大な戦車である。

だが幸運なことに、閲兵場のT-72Bは中国軍に非常に大きな震撼を与えたが、この震撼はソ連解体までずっと国境線上にまで延伸することはなかった。ソ連解体前でも、駐極東ソ連軍はこの戦車を大量装備することはなかったのである。ソ連解体後、中国は一定数の元ソ連が装備した戦車を獲得して研究を行い、これにはT-72BVとT-80Uが含まれた。中国はT-80Uの正面装甲の価格(1ブロックの装甲が59式戦車の価格に相当)と性能に驚愕すると同時に、T-72Bの相対的に廉価でしかも高性能な設計に対しても相当に素晴らしいと思った。ある程度上、T-72B戦車の比較的旧式な戦車を基礎に先進的な技術を採用し、設計し直すという思想は中国の88式戦車に対する改良にも影響した。ソ連戦車のハイローミックスの設計思想も同様に中国に対する影響が深遠だった。

性相近し、習い相遠しの「兄弟」

(頑住吉注:変なとこで切れてますがこれより2ページ目)

中国の96式戦車は基本的に当時パキスタンのために研究開発した85-IIAP戦車を換骨奪胎したものである。当時まさに研究開発中だった99式戦車と比べると、96式は我が軍の「低ランク」戦車に属し、設計上廉価と大量生産能力が強調されている。この戦車は重点的に火力と防御性能を強調し、特にこの戦車が配備する国産125mm主砲と尾翼で安定する細長いサボ付き徹甲弾はT-72Bの装備に比べずっと先進的だった。96式は重量が増加していたが、行動システムに対しては決して大きな改良は行われず、その伝動システムは比較的立ち後れ、エンジンの出力も730馬力に留まっていた。

96式とT-72Bの差異は主に中国とソ連の戦車に対する異なる要求に基づいている。ソ連はT-72BVの戦車の洪水が勇躍邁進し、一路イギリス海峡まで突進し、途中ではできる限り全く停車しないことを要求した。一方中国は96式戦車に本国の領土の上で敵の戦車の洪水に抵抗することを要求し、このため決して特別に機動性は要求しなかったが、火砲の威力と戦車自体の防御力に対してはより高い要求があった(頑住吉注:たぶん低ランク戦車は機動性を優先して攻撃力、防御力をある程度犠牲にしてもよいという要求の方が作りやすく、この要求には本来的にやや無理があったのではという気がしますが)。

21世紀になり、96式はすでに解放軍装甲部隊の主力装備になり、世界先進レベルを追いかけるため、中国は96に対しグレードアップを行った。これこそ96A式戦車である。96Aの改良の重点はさらに一歩火力と防御力を強化したことで、この戦車は99式戦車と同等の上反式火力コントロールシステムを装備し、付加装甲を装備した。戦闘重量が増加したため、設計人員はこの戦車のために800馬力のエンジンを装備し、かつダブルの側面の遊星変速ボックスに換装した。改良後、その機動性能はT-72BVと基本的に似たレベルになった。

T-72の悔しいかつての出来事

T-72戦車の技術性能は先進的だが、今日国際市場での名声は相当良くなく、これはその実戦でのパフォーマンスと関係がある。

T-72戦車の生産は1971年から連綿と今日に至るまで続いているため、そのサブタイプは非常に多く、生産国も少なくない。戦争中のパフォーマンスも当然まちまちである。

冷戦時代、T-72戦車の最も有名な実戦の記録はレバノンにおけるもので、この戦車は見たところ全く目を引かない105mm砲によって貫通された(頑住吉注:イスラエルは120mm戦車砲が先進国で普及しつつある時期、「地球上のいかなる戦車も105mm砲で撃ち抜いて見せる」というようなことを言っていたようです。予言が実現したのか、この実績によってこういう発言が出たのかは分かりませんけど)。このことは当時の西側を欣喜雀躍させ、「T-72が戦勝しないことはあり得ないとの神話がついに打ち破られたぞ」と歓呼させた。このことはT-72M戦車の防御力、火力コントロールシステムと徹甲弾がすでに時代遅れになったことを説明していた。

ソ連はこの状況に照準を合わせ、輸出に提供されたT-72M1戦車に後で16mm鋼板を追加し、これは当時の西側の105mm砲では貫通し難くさせることができ、同時に火力コントロールシステムもある程度改善された。

1991年の湾岸戦争では、アメリカのM1A1(HA)戦車の劣化ウラン装甲と劣化ウラン徹甲弾に直面し、火力コントロールシステムがベルギー製品に改められていた以外T-72M1とほとんど違わないイラクの「バビロンのライオン」(イラクの当時最も良いT-72改良型戦車)には全く勝算がなかった。

湾岸戦争中のイラクのT-72が砲塔を吹き飛ばされた画像はこの戦車のイメージを一夜にして崩壊させた。全西側世界をがたがたと震えさせた感覚はたちまち遙か彼方へと飛び去った。ロシアはこれは「モンキーバージョン」の敗北に過ぎないと説明したが、明らかに無力だった。

続いて旧ユーゴスラビア地域で戦乱が勃発し、セルビアとクロアチアの軍事衝突の中で、セルビア軍は多数のT-72戦車のコピー生産型M-84を動員した。クロアチアの複雑な山地における作戦の中で、歩兵から離れて敵の領域に深く入り込んだセルビア軍戦車は悲惨、重大な損失をこうむった。クロアチアはできる限りセルビア軍の戦車を鹵獲するため、少なからぬ特殊戦術を採用し、例えばわざわざ20mmスナイパーライフルを製造して宿営中の戦車の視察窓を打撃した。すると遅れず修繕できない戦車は放棄される可能性があった(頑住吉注:これのことですね)。戦争中セルビアは少なくとも100両余りのM-84を損失した。

セルビアのM-84が山地のゲリラ戦の中で悲惨、重大な損失をこうむった後、ロシア自身のT-80、T-64、T-72Bがまた1996年に集団でチェチェン戦争に参加した。自信満々のロシア人はこの戦車によってロシア軍の輝かしい名声を見せつけることをひたすら期待した。だが結果としてグロズヌイの大通りでぼうぼうと燃えるロシア軍戦車の残骸がまた彼らを失望させた。だが公平に論ずるならば、チェチェン戦争中のロシア軍戦車の損失は主に技術的原因ではなく、ロシア軍兵士の士気と訓練の問題だった。だが名声というこのしろものは、大部分の時詳細を考慮しないものである。

T-72の名声が地に落ちた後、ロシアは直ちに最新型T-72系列をT-90と改名し、もってこれは新型戦車なのだと明示し(確かにこの戦車はT-72Bに比べ飛躍的進歩があった)、継続してセールスした。他方では改良型T-72Mの方案をプッシュした。だが惜しいことにロシアがセールスする改良方案は「手堅」過ぎ、装甲、エンジンから火力コントロールシステムまで全面的に更新され、コストが高すぎ、大部分の国には受け入れられなかった。逆に東欧や西側の国がプッシュした単に火力コントロールシステムを交換しただけの多くの改良型方案(例えばポーランドのPT-91、イスラエルがグルジアの改良を助けたT-72SIMなど)は廉価なためすこぶる歓迎を受けた。

T-72の名声が地に落ちたことは中国戦車のために広い市場の空間を提供した。96式およびその近親はすでに現在世界の戦車市場のゆっくりと上る明星となっている。今まで、中国の96式ファミリーのメンバーであるMBT2000、VT-1、VT-1Aなどのタイプの戦車はすでにバングラディシュ、パキスタン、モロッコ、ミャンマーなどの国に輸出されている。またさらに96Aと同じ付加装甲を採用したVT-2戦車、技術が全面的にグレードアップされ、性能が99式戦車に近づいたVT-4型戦車などがある。

96ファミリーとロシア戦車ファミリーの初の勝負はパキスタンの新型戦車選択購入過程の中でだった。当時ウクライナのT-80UDと中国のMBT-2000が競争に参加し、1,200馬力の6TDディーゼルエンジンを使用するT-80UDは砂漠の中でのパフォーマンスが出色で、一方MBT-2000の機動性は何とか満足できるものだった。パキスタンは喜んでT-80UDを購入し、もってインドが買ったT-90S戦車に対抗した。しかし、あまり時間がたたないうちにパキスタンは、T-80UDは機動性は出色だが徹甲弾の威力は非常に疑わしく、中国が生産する徹甲弾とは全く同列に論じられないことに気付いた。しかも当初における設計の制約のため、T-80に直接中国の砲弾を使用させることもできなかった。さらに加えてウクライナが後に提供した第2ロットの溶接砲塔を採用したT-80UD戦車の製造の質はパキスタンサイドの予期に全く符合しなかった。最終的にパキスタンはまた改めて中国のMBT-2000を選択し、ウクライナの6TDエンジンを装備しただけで非常に良い効果を取得した(頑住吉注:インドが戦車競技に参加した中国の96Aは1200馬力にパワーアップされていると主張したようですが、真偽はともかく可能ではあるようです)。中国のVT-1A戦車も6TDエンジンを採用した。後に中国に出力がより大きい新型ディーゼルエンジンが出現すると、またさらに一歩中国戦車の技術的優勢が拡大し、パキスタンももはやその他の戦車を考慮しなくなった。言うまでもなく、ロシア製戦車の名声もこの過程でまた打撃を受けた。

(頑住吉注:3ページ目)

一方96式が取得した初の実戦の戦果はスーダンにおいてだった。‥‥当然この情報は広範に伝播しているが権威ある筋の事実確認は得ておらず、我々は今お話を語るに過ぎない。

外国メディアの報道によれば、スーダンのダルフールにおける衝突の中で、南スーダンおよびスーダン軍はいずれも少なからぬ旧式戦車を投入し、損失も少なくなかった。「週刊ジェーン安全保障業務」の報道によれば、装甲部隊の装備を改善するため、スーダンは国営石油会社の40%の株式所有権を用いて中国から一連の先進武器を購入した。現在装備されているものには85-IIM(MBT-2000かもしれない)戦車と96式戦車があり、数は数十〜200両という説がある。一方これに比べ南スーダンは買った戦車はやや少ないが、テンションは低くなかった。まず西側メディアが伝えた情報は、彼らはケニアからT-72B戦車を獲得したとし(ケニアには決してこの種の戦車はないのだが)、後にまた実際上10両のウクライナのT-72AV戦車が事実確認を得た。あらゆる隙を狙う西側記者はすぐにこれらの戦車がウクライナで船積みされ、海上を輸送され、港について船から降ろされ、トレーラーに乗せられて前線に運ばれ、トレーラーから離れ、戦場に進入して作戦命令を待つまでの全過程のクリアな写真を撮影した。これら「コンタクト1」型爆発装甲が装備された戦車には高い期待が寄せられ、中国の96式戦車と勝負しようとしていた。

その後、中国のいとこ(頑住吉注:中国と関係が深いスーダンのことのようです)の面前でこれらT-72AVは正真正銘の「恥辱ショー」を演じた。現在撮影されている画像から見て、それらは全軍壊滅した可能性が高く、メディアのレンズに出現するのは少なくとも4両である。国内メディアが伝える「96式によって撃破された」残骸の写真は見たところむしろ航空爆弾によっててっぺんを破壊されたようで、頭上から足下まで貫通され、全体が爆発して部品に帰った状態である(スーダン空軍の主力は中国の強-5攻撃機である)。だが別の何両かの誘爆した弾薬が砲塔を吹き飛ばした残骸は見たところ戦車戦の中で命中弾を受け撃破された様子により符合する。

この「恥辱のショー」はT-72A戦車の名声、元々まだあった安価な優勢の力を借りて新たな市場を探し出す希望を破壊した。理論的に言って、この戦車は大部分の第2世代メインバトルタンクに直面しても優勢があるのだが、この時の事件後それらはロシアとウクライナの倉庫と露天の堆積場の中で錆を生じさせる続けるしかなかった。もしロシアが「1アメリカドルでも売る」と提案しても、買いたい人はいなかった。

「戦車両項目」は最後のブランドの勢いづけ

だがロシアはまだ1枚カードを出していなかった。これこそT-72B戦車である。このT-72ファミリーのハイエンド機種は最近名声がある程度再び上昇している。主に去年からこの戦車が軍事援助として大量にシリアに提供され、しかもシリア内戦の中でのパフォーマンスがなかなかだからである。少なからぬ画像やビデオは、この戦車が多くの機種の西側が製造した対戦車ミサイルを防御でき、しかも市街戦の中で非常に頑丈で耐性が強いことをはっきり示している。

ソ連時代に生産されたT-72B戦車の数は5,000両前後の可能性があり、一方ロシアが現在装備するのは2,000両に満たない数でしかない。残りのT-72Bは当然輸出に使用することができた。

去年から、ロシアはそのT-72B3改良型戦車の宣伝を開始した。これはT-72B戦車を基礎に火力コントロールシステムを改良し、かつ「コンタクト5」爆発装甲の改良方案に換装し、相対的に言って価格が低廉である。ロシア軍自ら過渡的な装備として使用するのに適するだけでなく、対外販売にも適している。

用意は全て調ったが、規模盛大なセールス会だけが欠けていた。もし可能なら、かつてT-72Aを痛打した96式戦車も引っ張ってきて展示販売会の「比較組」にしたら最も好ましい。

「戦車両項目」はこの時に突然出現した。招待された国のリストを見てみよ。見渡す限り潜在的ユーザーではないか。

インドは自らT-72M戦車を生産する能力を持つ。実際には「組立」がより適切と言うべきだが。これらの旧式戦車は近代化改良を行うことを非常に必要としている。

ベネズエラはロシアのT-72B1V戦車を購入済みだが、装備する反応装甲と火力コントロールシステムの性能は並で、グレードアップ改良を行うことを考慮する可能性がある。

アンゴラは少なからぬT-72M戦車を装備しているが、もはやグレードアップ改良しないと走ることもできない。

クウェートはユーゴスラビアのM-84戦車を装備しており、これらの戦車は湾岸戦争に参加したことがあるが、クェートは近年来これらの戦車を交換することを考慮しており、伝聞によれば中国のVT-4戦車はまさにこの市場に照準を合わせて研究開発されたのである。だがもしクウェートがコストを考慮したら、これらの戦車に対し改良を行う可能性もある。

セルビアは大量のM-84戦車を装備しているが、とっくに時代遅れで、自ら改良を行う努力は決して成功していないようだ。

アルメニア、ベラルーシ、カザフスタン、キルギススタンはいずれも少数のT-72戦車を装備している。

モンゴルは‥‥いかなる商業展示会でもいつもいささか財力が弱く、やってきていくらかの便宜が得られないかどうか見てみる観衆である。

さらに競技前の準備を見てみよう。あらゆる競技参加選手はロシアのウラル戦車工場にやってきて2週間学習したが、主要な学習内容はT-72B3戦車の先進的な性能である‥‥これはまさに宣伝の勢いづけではないか?

この商業味が充足したセールス会において、ロシア自らの専業「戦車競技用車」T-72B3Mは人を驚きいぶかしがらせる速度をもって会場中を飛び回り、一方96Aはやや鈍重なのが目立った。だが競技の成績から見て、中国は戦車クルーの超越的に高い操縦の技巧に頼ってほどほどの成績を取得した。これはすでに全く容易でないことである。それにもかかわらずこの競技場で96Aが出力:重量比最小の戦車だということを知る必要がある。だがT-72系列の飛んだり跳ねたりのパフォーマンスに比べると、96Aはずっと平穏で、このことは96Aの懸架システムがいささかより先進的なのだろうということを示している。

だが、走るのが充分早くないけれども、射撃項目の中で96Aはそれでも全競技場のあらゆる戦車を超える水準を示した。同時にその徹甲弾の威力と防御力もやはり同じ場のあらゆる競技選手をも超えている。当然あなたはこのことを競技の中から見いだすことはできないが。1回の競技に頼ってT-72の「一撃にも耐えない」の汚名を返上しようというのも、おそらくそんなに簡単ではない。

最後のお話

当然、ロシアは現在主要な精力をT-90系列戦車に注いでいる。その最も先進的なT-90AM、T-90SM戦車は技術上から言えば中国の99式戦車に比べいくらも立ち後れていないように見える。ただ、ロシア軍自身さえもこれらの戦車を装備することに何の興味もない。彼らの計画はまず手元のT-72戦車に近代化改装を行って一時の必要に応じ、最新の「艦隊」戦車の研究開発完成を待ってさらに装備を交換することのようだ。このためT-90AMおよびT-90SM戦車も対外販売に用いるという概念の車両に過ぎない。だがそれらの非常に高い製造コストをもってすれば、ロシア戦車の伝統的ユーザーが考慮することはあり得ないはずである。軍事チャンネル


 ふむふむとなかなか興味深く読んでいたんですが、「もし可能なら、かつてT-72Aを痛打した96式戦車も引っ張ってきて展示販売会の『比較組』にしたら最も好ましい」という記述を読んでずっこけました。余りにもお粗末な陰謀論と言わざるを得ません。4月13日のコラムで紹介した記事には、96A、あるいは59式魔改造バージョンを出せ、「これなら負けても恥にならず、勝てば儲けものだ」という意見があるが、専門家は「99A2、あるいは輸出型MBT3000を派遣して出馬させるべきであり、それでこそ勝算が最大になる」と言っている、という記述がありました。またロシアを除く参加国11か国のうち10カ国までが選択したのと同様、中国もロシアが提供した戦車を使用するという選択肢も当然あったわけで、その中から自由意思で96Aを選んだのは中国自身です。「招待された国のリストを見てみよ。見渡す限り潜在的ユーザーではないか」というのもおかしな話で、NATO加盟国も含めたくさんの国が招待されていたが、現在の国際情勢から結果的にロシアと近しい国しか参加せず、そういった国はたいていロシアの戦車を使っているというだけの話です。この分では中国とロシアの戦車の実力比較にも相当強いバイアスがかかっていそうですね。



















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