弾丸のエネルギーと効力

「効果と効力」「弾丸の運動量と効力」に続く、「DWJ」2004年2月号に掲載された「弾丸のエネルギーと効力」と題する記事の内容です。


シリーズ:効力と危険性の間 その3

弾丸のエネルギーと効力

弾丸には人間を押しとどめる力も、ひっくりかえす力もない。それにもかかわらず弾丸が効果的であり、危険であるのは何故だろうか? 適切な判断基準の研究は、ここで弾丸のエネルギーの考察に至る。この考察により、「危険である」ことと「効果的である」ことの間には大きな差があることもまた明らかとなる。

 物質に穴を開け、破壊し、押しのけることは、(物理学上の)仕事によってのみ可能である。周知のように、仕事とは、ある方向に力が使われることである。そして人間の体に対して仕事が行われるためにはエネルギーの存在が必要である。周知のように、エネルギーとは仕事を行う能力のことである。
 したがって、ある弾丸の効力や危険性を計るために、エネルギーを通じて考えることが必要となることは明らかである。以下この視点から考えてみよう。

「危険でない」は危険
 「危険であること」の判断基準は、常に「危険でないこと」の判断基準でもある。何故ならそれは「危険であること」と「危険でないこと」の境界を決定することだからである。
 「危険であること」の境界と解釈できる、ある法的なエネルギーの限界値がドイツの銃器法の中にある。そこでは、自由に購入できる銃のマズルエネルギーが、最大7.5ジュールと定められている。言うまでもなく、法律の条文では「危険である」「危険でない」という言い方はされていないが、これは容易に「マズルエネルギー7.5ジュール未満の銃は危険でない」と解釈できる。しかしこの基準を満たした空気銃(初速で言えば175m/sまで)によって多数の事故(死亡事故さえ)が発生していることで、「マズルエネルギー7.5ジュール未満の銃は危険でない」が誤りであることは証明されている。
 マズルエネルギーがたった0.4ジュール程度しかない、いわゆる「メカニカル ソフト エア」銃でも、不治の目の障害を引き起こす可能性があるのだから、これは一般的なイメージとして存在する定義からして明らかに「危険である」と言うことができる。これは、効力(危険性)の判断基準としてエネルギーの境界を使うことは明らかにふさわしくないということの最初の間接証拠である。

軍における効力の判断基準
 軍事の分野では、弾丸のエネルギーに基づいた効力の判断基準は、100年以上前から知られている。これはまず緊急時によりよい「効果がある」弾薬を開発する時の判定に使われた。
 普通軍事上の効力の判断基準は、以下の3つのグループに分類される。

1、貫通力による判断基準。ある飛翔体(弾丸または破片)が、「効果的」であるか判断するにあたり、充分な運動エネルギーがあるかを、あらかじめ基準として定められた厚さのある素材を貫通するかによって判定する。
2、エネルギーによる判断基準。人間を直ちに戦闘不能にするのに充分な、飛翔体が持つべき最小の運動エネルギーを定める。
3、確率による判断基準。飛翔体が特定のエネルギーを持って人間を戦闘から離脱させる確率を定める。

貫通力に基づく効力の判断基準
 ある堅い素材を貫通するかどうかによる効力の判断基準はチェックが非常に容易である。だからこの判断基準は好んで行われ、また広く普及した。通常入手しやすい素材が使われ、ある程度良好な判定結果を簡単に得ることができる。たいてい、厚さ20〜40mmのモミまたはトウヒの板、および厚さ1〜3mmの鉄またはアルミニウムの板が使われる。木材には内部に異質な構造(年輪)があり、また密度、水分含有率など物理的性質によって弾丸に強くブレーキをかける能力があるのでテスト素材に向いている。
 ドイツ軍では、例えばある飛翔体が人間に対して「効果的」というのは、亜鉛メッキした厚さ1.5mmの鉄板(St.37、ドイツ工業規格17100)を貫通する場合であるとされる。直径7mmの鉄球がこれを行うには約80ジュールを必要とする。球の直径が変わればもっと多いエネルギーを必要とし、あるいは少ないエネルギーしか必要としない。貫通に必要な最低限のエネルギーが直径(および弾丸のいろいろな性質)によって変化するという事実は、実験用素材が変わっても同じだ。効力(または「危険であること」)の判断基準としてエネルギーを使うことは、それにふさわしい口径を前提として定めないかぎり実効性が疑わしい。

エネルギーに基礎を置く効力の判断基準
 ある兵士を戦闘から離脱させる(「to put a man out of combat」)のに必要とされる運動エネルギー量は、普通「Casualty Criterion」(傷害基準)と呼ばれる。これは飛翔体の効力をエネルギーによって測る最も直接的な方法である。
 エネルギーに基礎を置く効力の判断基準のうち、歴史的に最も古いものは、Rhoneが1906年に確立したドイツのものらしい。彼の研究により、質量12.5gの球状鉛弾は、その速度112m/s(80ジュール)において重大な傷を負わせる力を持ちうるということが示された。アメリカ人のGurneyは1940年代、50mgから30gまでという制限つきだが、80ジュールを判断基準とすることの有効性を証明した。この80ジュールという判断基準は、のちにNATOにも引き継がれた。今日では広く普及し、特に砲弾などの破片が人間に効力を持つかどうかの判断基準として多用されている。
 現在までにいろいろな国でこの種のエネルギーによる判断基準が同じように次々確立された。
よく知られた判断基準を挙げると、

フランス 40ジュール
ドイツ 80ジュール
(1906年Rohneが確立)
アメリカ 80ジュール
(1944年Gurneyが確立)
スイス 150ジュール
(1975年まで。それ以後は80ジュールに変更された。)
ロシア 240ジュール
となる。

 地理的に、西から東に行くにつれて数値が増大していることは注目に値する。エネルギーによる判断基準は経度を測るものさしになるなどという冗談もあるくらいだ。しかし、言うまでもなく東に行くにつれて兵士の「耐弾性」が向上するなどということはあるわけがないのであり、これを論拠としてエネルギーによる判断基準の不合理が論じられたことがかつて何回もある。
 それに加え、「効力を持つ」エネルギーの最低の数値を挙げるということは、ある大きな危険をはらんでいる。遺憾なことに、この数値を下回る飛翔体は「効力を持たない」、したがって「危険性がない」とされる誤解がしばしば起こるのである。この誤りは致命的である。「危険性がある」ことと「効力がある」ことの判断基準はそれぞれ全く別であり、ある弾丸が充分な効力を持たないのに、(非常に)危険であるという広い範囲が存在する。「効力が不充分である」ことは決して「危険性がない」ことを意味しないのだ。
 軍事上の効力の判断基準として第三に考えられるのは、可能性の計算に基礎を置くものだが、これについては次号以後に言及する。
 前回、弾丸の運動量は効力の判定に使用するのにふさわしくないということを詳しく述べた。そして今回述べたように、エネルギーもまた単独では判断基準にふさわしくない。
 それでも弾丸のエネルギーに基礎を置く小火器のための効力の判断基準は多数存在している。

効力に関する初期の記述
 20世紀初頭、すでに弾丸の効力を、「組織内部の弾道に沿ってどれだけのエネルギーを発散する能力を持つか」に関連づけて論じた人がいたという事実は注目に値する。1908年、ロンドンの王立陸軍医科大学、軍外科学教授だったC.G.Spencerは「Gunshot Wounds」(銃創)という本を出版した。その中に「The Wounding Power of Bullets(弾丸の傷を作る力)」という題の章がある。この中で彼は以下のように書いている。

(略)ある弾丸の傷を作る効果は、以下の要因に依存している。
1、そのエネルギー
2、命中によってそのエネルギーが
(Dr.Beat Kneubuehl注:組織を破壊するという)仕事に変わりやすいかどうか。

1、に関しては、エネルギー(仕事をする能力)は次の数式で表わされる。
E = 1 / 2 x M x V2
Eは弾丸のエネルギー、Mは弾丸の質量、Vは命中時点での弾丸の速度を示す。
(略)
2、に関しては、以下の点に依存して決定される。
@弾丸の横断面積。これが大きいほど、組織を通過する際により大きな仕事をする。したがって弾丸の直径が小さくなれば、その傷を作る力も小さくなる(Dr.Beat Kneubuehl注:これはもちろん弾丸の質量が一定の場合である)。
A弾丸が変形、または破砕によって横断面積を拡大する傾向。命中によって拡張する弾丸は、変形しない弾丸よりはるかに重い傷を作る。小口径の弾丸が使われ始めたとき(Dr.Beat Kneubuehl注:当時ライフル弾の10mmから7mmへの口径縮小が行われていた。)その「ストッピングパワー」が不足であることが明らかとなった。これは敵を阻止するには軽すぎる傷しか作り得ないという意味である。このため、さまざまな形状の弾丸が開発された。それらは命中によってできるだけ大きく拡張し、それによってより重い傷を作るようになっている。
 このような変形弾はしばしば誤って「炸裂弾」と呼ばれるので、ハーグ協定で禁止されてしまい、これ以上議論する必要がなくなった。もはやハンティングにしか使えないからである。
B弾丸が受ける抵抗。これはエネルギー量決定に重要である。組織による抵抗が充分に大きければ、弾丸はエネルギーを使い切って停止する。一方抵抗が小さく、エネルギーを使い切る前に貫通してしまえばその分エネルギーは無駄になる。(略)


 C.G.Spencerによる、エネルギーの組織への伝達(エネルギーそのものではなく)という視点に基づく効力に関する見解は絶対的にモダンなキャラクターを持つものだった。それにもかかわらず、その後数十年、くりかえし全エネルギー量によって弾丸の効力を測定しようとする判断基準が現れ続けた。


 前の2回に比べると、全体として何が言いたいのかつかみにくいですが、核心となるのは「弾丸の効力を判定するためにはそのエネルギー量自体ではなく、いかにそのエネルギーが組織に伝達されるかが重要である」ということですね。それ以外はまあ枝葉と言っていいでしょう。
 今回はまあつけ加えて言いたいことは特にありません。第1回目には「充分な効力のある弾丸を正確に命中させても効果が現れるとはかぎらない」と主張し、第2回目には「弾丸の運動量で人間を倒すことは不可能である」と主張し、今回は「エネルギー量だけで弾丸の効力は測れない」と主張し、なんだかこの人の話は不可知論じみているような気がするんですが、ちょっと気になったのは途中で出てくる「確率に基く効力判定」です。少なくとも私はこういうものは全然知りません。これについては今後(次回かどうかは分かりません)触れるようですが、ひょっとして「弾丸の効果の発現には不確定要素が多いので確率で論じるしかない」という方向に進むのかもしれません。
 ところで、執筆者であるDr.Beat Kneubuehlのこれまでの議論によれば、弾丸の効力は「弾丸のエネルギー量と、それが体内のコースに沿っていかに伝達されるか」によって決まる、ということのようです。となれば、「重く、遅く、しかし抵抗によって減速しにくい弾」と、「軽く、速く、しかし抵抗によって減速しやすい弾」が、計算上同じエネルギー量であり、同じ点に命中し、同じコースをたどって同じ位置で停止した場合、同程度の効力になるはずです。しかし、いろいろな資料を見ていると、この場合重い弾の方が大きな効果が得られる可能性が高いように思えるんです。今後Dr.Beat Kneubuehlはこういう点に言及してくれるでしょうか。




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