エンフィールドNo.2 MarkT

 「Visier」2005年5月号に、エンフィールドNo.2 MarkTを中心とした.38口径ブリティッシュリボルバーに関する記事が掲載されていました。


この種の最後のもの

「歴史的公用リボルバーによる射撃」には「高くつく」というような響きがある。これは正しくない。例えば口径.380エンフィールド仕様のイギリス制式モデルはそれが正しくないことを立証している。そしてその上、豊富な、そしてさらにコスト上好都合なコレクションフィールドを形作っている。

器コレクターの夢は、「内容豊富」、「安価」、「歴史性豊かな」というものである。これは幻想に留まらねばならないものではなく、現実になりうる。このことは例えば最後のブリティッシュ制式リボルバーファミリーが見事にデモンストレーションし得ている。この.380エンフィールド弾薬仕様の回転ピストルの数は、全てをひっくるめて100万挺を越えている。良好に維持された銃は全ての銃器取引所でちょっと探せば見つかるし、その上200〜300ユーロという低い価格ですでに買える。このモデルおよびバリエーションの豊富さ、および付属品の豊かさに直面すると、全てのコレクターの心臓はより速く打つ。このリボルバー一族のためだけで、37のいろいろなホルスターが明らかになっている。生産者に関してもエンフィールド所在の国営企業ロイヤル スモールアームズ ファクトリー(R.S.A.F.)古くからの銃器メーカーであるウェブリー&スコット、Albion Motors社、そしてアメリカのリボルバースペシャリストS&Wが見出される。これでは充分でない。この分野のリボルバーには、スイングアウト式のものとブレイクオープンのものが属する。そしてDA/SAとダブルアクションオンリーが存在する。

歴史的雰囲気をこの古いイギリス製品は同様にたっぷり持ち合わせている。この銃が1920年代の終わり以来厳しい実戦使用下にあったからである。使用は全世界で行われ、最後の銃は1960年代になって初めて兵役不適格とされた。この.380制式リボルバーの始まりは、すでに1つの歴史を形作っていた(頑住吉注:興味深いエピソードを伴った、というような意味らしいです)。すなわち、この最後のイングリッシュ制式リボルバーのためのコンセプトは盗まれたものであり、そのために開発された「新しい」弾薬はすでに50歳だったのである。

 全世界が第一次大戦後の数年の間にセルフローディングピストルに鞍替えしたとき、イギリス人はまだ彼らの.455口径リボルバーに固執していた。だが、軍人たちは目に見えて、再三にわたって小口径バージョンを要求していた。未熟な新兵はより大きなバージョンを使う場合よりも、そのようなリボルバーを使った方がむしろ良好に命中させられるということがそれまでに確認されていたのである。この観点から1920年代半ばには早くも1つのニューモデルが生じた。‥‥ヨーロッパにおける最後のミリタリーリボルバーである。この、1927年に登場した「Pistol,Revolver,No.2 MarkT」という名の銃は、コレクターサークル内ではエンフィールドNo.2 Mk.Tとして知られている。一見するとこの銃は、1915年に採用されたウェブリー製ブレイクオープンリボルバー、.455仕様MarkYの、縮尺の正しいミニチュアであるかのような印象を与える。このNo.2は約1/3小さくなっており、またおよそ1/3軽くなっている。

エンフィールドウェブリー&スコット
 しかし専門家界もすでに当時、この新型が本当にエンフィールドに所在する国営のR.S.A.F.によって開発されたのかに関して疑いをさしはさんでいた。事実、イギリス国防省(「War Office」)の希望に向けた最初のインパルスはウェブリー&スコットから発せられていたのである(頑住吉注:要するに小口径リボルバーが欲しいという国防省の希望に最初に答えたのはウェブリー&スコットだったということです)。この工場は1921年、彼らのモデルVポケットリボルバーをベースとする試作リボルバーを製造した。これはモデルWとして知られており、5インチバレルを持つことによってベースから逸脱していた。そしていくつかの変更の後、検査委員会は大筋でこのリボルバーおよび「新しい」弾薬を承認した。ただ、この弾薬は異なる弾丸を備えた.38S&Wにすぎなかった。そしてこの弾薬はすでに1877年に存在していた。

 この試作リボルバーはエンフィールドのH.C.Boys大尉の元に到着した。は「Superintendent of Design」、つまりチーフ技術者だった(後に第二次大戦におけるパンツァービュクゼであるBoysアンチタンクライフルの設計者として知られることになる)。は製造コストを下げるため、ウェブリー&スコットモデルを単純化しなければならなかった。このためウェブリー&スコットは2挺の試作リボルバーの注文を手にした。これにおいてはこの工場が望まれた変更を尊重することが意図された。だが、ウェブリー&スコットのマネージャーは後に、政権の代表者が彼らの開発に関する賠償を行うことの確認をした。すなわち、少々の変更を加えただけのリボルバーが、1923年の初めに突然、H.C.Boys大尉の設計プランによる「エンフィールド.380試作型」とされたのである。

 ウェブリー&スコットは感情を害したが、長年にわたる政権との共同作業に基いて心配はせず、追加のプロトタイプを製造した。テストはさらなる変更のために1927年まで延びた。このときになって初めて、この工場の経営陣は、国自身のエンフィールド銃器工場彼らの会社に注文を与えることを全く考えていないことを知った。40年にわたるWar Officeウェブリー&スコットの共同作業の終わりは、長い争いを不可避とし、そしてこの企業は合計1200ポンドを手にした。すなわち「No.2リボルバーの開発に際し、ウェブリー&スコットによって行われた支援のため」 (頑住吉注:説明不足でよく分からんのですが、たぶん、「ウェブリー&スコットの発案による小口径リボルバーを受け入れ、長期にわたって注文をつけて改良型の試作もさせたのに、最終的にそれを独自開発品と称して国営工場エンフィールドで生産し、当然生産時には受注できると思っていたウェブリー&スコットに発注しなかった。このため両者の長年にわたる協力関係は終わり、ウェブリー&スコットを訴えた。判決は、ウェブリー&スコットに開発協力費として1200ポンド払うべしというものだった」ということでしょう。当時の貨幣価値とか分かりませんけど、たぶん1200ポンドはウェブリー&スコットが新しい軍制式リボルバーを膨大に生産する際に見込んでいた利益からすれば微々たるものだったはずです。また当時のイギリス政府が一体何を考えて長年軍制式サイドアーム製造によって貢献してきたウェブリー&スコットにそんな仕打ちをしたのかはこれを読む限り全く不明です)

 新リボルバーの生産は1929年に始まり、生産数はR.S.A.F.のみで140,000挺の領域に達した。第二次大戦中、Albion-Motors工場が「wartime contractor」(頑住吉注:「戦時契約者」)として加わり、ライセンスのもとに約33,000挺の.380リボルバーを生産した。この銃は公式な命名法では「Pistol, Revolver, No.2 MarkT」と言った(ちなみに、「ナンバー1」は.38口径の試験モデルではなく、1920〜26年頃、R.S.A.F.でも作られた当時のウェブリーMk.Yがエンフィールド「No.1 Mk.Y」と名付けられたものである 頑住吉注:結果としてできた銃が「マーク2」ならば、試作段階のものが「マーク1」だろうと想像されそうだが、実はそうではなく、先代制式リボルバーである.455版ウェブリーリボルバーのエンフィールドが作ったバージョンを指す、ということです)

古い弾薬、新しい名前
 このリボルバーのために選ばれた.38S&W仕様の弾薬は、重量200グレインの鉛ラウンドノーズ弾を得、そしてこのため長ったらしい名称を得た。すなわち、「Cartridge, Small Arms, Ball, Revolver, .380-in. for No.2 Revolver」、短くは.380エンフィールドである。

 この鉛ラウンドノーズ弾を持つ弾薬は、ハーグ陸戦規則の要求に基いて、何年か後にはすでに中止され、そして1937年以後は練習目的のみにさらに使用された。.380エンフィールドの新しいロードは、178グレインのフルメタルジャケット弾つきで登場した。

 この弾薬は.38口径エンフィールドにおいて特徴的な現象をも引き起こした。この銃の場合、フロントサイトがバレル中央にはなく、いくらか左、あるいは右にずれているのが見出される。兵士たちに大きすぎる狙点変更を要求することなしに、弾薬による逸脱を防ぐためには、フロントサイトのずれは0.02インチ、つまりたっぷり0.5mmになる。その上多くのエンフィールドは左右調節のできるリアサイトを持っている。‥‥これを使って公用リボルバー種目で射撃したい今日の所有者には実用的である。 (頑住吉注:弾薬のせいで左右に着弾点がずれるなんてことがありうるんでしょうか。銃、特にバレルのせいではないのかという気がしますが)

スパーあり、またはなし
 だが、ここでNo.2MarkTを手に入れる人が常に気をつけるべきことがある。それはハンマースパーがあり、シングルアクションで撃てるかどうかである。というのは、第二次大戦中特に戦車部隊においてハンマースパーが邪魔になった。彼らはこの銃をしばしばホルスターに入れてではなく、オーバーオールのポケットに入れて携帯したからである。

 この結果がNo.2MarkT*(頑住吉注:最後の印は本当は突出が5本で、「〜乗」のように上に小さく表示されています)である。この星印はスパーおよび第二のハンマーレストのない純ダブルアクションリボルバーをマーキングしている(頑住吉注:「第二のハンマーレスト」というのはシングルアクション用ノッチのことでしょう。つまりトリガーを引いて少し起きたハンマーを無理に指でいっぱいにコックしてもシングルアクション位置で止まらないということです。マルシンのはどうなってますかね)。そしてこの銃のトリガープルの重さは、むしろがさつなメカニズムに慣れた軍の射手が有用と見なすレベルをさえたいていはるかに越えた位置にあった。これに対しDA/SAバージョンは違った。すなわち、こちらの銃の場合トリガープルはSA時約2200〜2500gであり、これによりアーミーリボルバーとしては実に低かった。トリガーは非常にきれいに、停滞なくレストから作動するので、この銃はミリタリースポーツ射撃に良好に適する。

 それではウェブリー&スコットMk.Wはどうなったのか? このメーカーはこのリボルバーを、政権との取引関係の終わり以後、「ミリタリー&ポリス モデル(Mk.W).380」として民間マーケット向けに生産した。当初お役御免になったこの会社だったが、1940年以後、第二次世界大戦に伴って再びの注文を受けることになった。ウェブリー&スコットは部隊に、ひっくるめて約125,000挺を供給した(頑住吉注:「じゃあウェブリー&スコットはいつつぶれたんだろう。戦後すぐか、それとも少したってからなのか」と疑問に思い、検索してびっくりしました。 http://www.webley.co.uk/ まだ現存してます。ただし火器の生産は1979年に止め、現在は主にエアライフル、エアピストルを作っているということです)。

 ウェブリー&スコットMk.WはエンフィールドNo.2Mk.Tとわずかしか違わなかったので、両タイプはしばしば互いに混同される。黒色のグリップ上にある大きな「Webley」の文字列が初心者を苦境から助けて乗り越えさせる。グリップには傾斜のよりゆるやかな角部が見出されるが、主な違いはサイドプレートがないことに求められる(頑住吉注:前者に関しては、ハンマー後方からグリップ背面につながるフレームのラインが、ウェブリーは比較的なだらかな曲線になっており、エンフィールドにはほとんど直角の突出部があるということを指しています)。すなわち、ウェブリーでは発火機構パーツがフレームのスリットを通ってマウントされる(頑住吉注:要するにコルトSAAみたいな感じですね)。ウェブリーの固定式半円フロントサイトとネジ止めされたトリガーガードを挙げれば、エンフィールドとのさらなる差はすでに終わりである。

海外から来た.380口径
 だが、全てのイギリスの.380仕様公用リボルバーのうち最大の部分(頑住吉注:ドイツ語では「獅子の分け前」という面白い言い回しが使われます)は、自国からではなく、先の大戦の間に「レンドリース」協定の枠組み内でアメリカから来た。これらはS&Wによって製造されたものである。イギリスへの供給は1940年にはすでに始まり、そして終戦までに750,000挺を超えた。最初のリボルバーはまだ第一次世界大戦中のもののように繊細で高い光沢のある平和時のフィニッシュで大きな池を越えて到着した(頑住吉注:「大きな池」って何のことだろうと思いましたが、これは大西洋を指す慣用表現だそうです)。だがS&Wは1941年の終わり以後(頑住吉注:日本との開戦直後からということになりますね)この銃をマットフィニッシュとし、少し後にはコストのかかるチェッカリング入りグリップも断念した(頑住吉注:写真ではスムーズな木製グリップになっています)。シリアルナンバーの前の大文字「V」のため、この型は「ビクトリーモデル」と呼ばれた。だが、単純化されたグリップパネルと粗いフィニッシュを持つものも含め、.38S&W仕様で製造されたのは、古いリボルバーの古典ミリタリー&ポリスのバリエーションだけである(頑住吉注:S&Wが英国式のブレイクオープンリボルバーを作って供給したわけではないということです)。そしてこの「人気の衰えない流行品」(頑住吉注:「エバーグリーン」という言葉が使われています)は今日もなおほとんど変わらずに製造されている。‥‥ただし5インチではなく4インチのバレルつきで、「モデル10」の名の下にである。

リロードの実際
 このイギリス製リボルバーに属する弾薬は、重い200グレイン弾を使って50ヤードで約570フィート/秒をもたらす。つまりおよそ170m/sである。弾丸は銃口では約630f/s、およそ190m/s、そしてエネルギーほぼ240ジュールに達する。本来の弾薬.38S&Wはまだ生産状態にあり、目下メーカーとしてレミントンとCBCが考慮に入る。これらの弾薬が工場を出たてで提供されるのはときどきだけだが、その代わり個々の取り扱い商においてよりしばしば古い残り在庫が見出される。

 27条爆発物法規の許可を持つシューターには問題が少なく、.38S&Wはロードしやすい弾薬である。もしすでに9mmルガーや.38スペシャルで経験を積んでいる人は、.38S&W弾薬の薬莢を除き、さらなる材料なしで間に合う。(頑住吉注:この後リロードに関する細かい記述が続きますが、知識不足でよく理解できないので残念ながらここまでにしておきます。)

S&W ミリタリー&ポリス(ビクトリーモデル).38S&W

弾丸:メーカー、重量、タイプ 発射薬:メーカー、重量、タイプ グルーピング(mm) 初速(m/s)
H&N 127grs HSKS .357 Alliant 2.8grs Bullseye 56 217
H&N 147grs HSKS .357 Hodgdon 3.0grs HP 38 33 200
H&N 147grs HSKS .357 Alliant 2.3grs Bullseye 32 181
H&N 158grs HSKS .357 Hodgdon 2.6grs HP 38 50 193
WM 158grs LRN .357 Alliant 2.4grs Unique 38 197
WM 158grs LRN .357 Alliant 2.3grs Bullseye 30 176
Win 158grs JSP .357 Alliant 2.5grs Unique 45 181

エンフィールドNo.2 MarkT.38S&W仕様

弾丸:メーカー、重量、タイプ 発射薬:メーカー、重量、タイプ グルーピング(mm) 初速(m/s)
H&N 127grs HSKS .357 Alliant 2.8grs Bullseye 65 212
H&N 147grs HSKS .357 Hodgdon 3.0grs HP 38 47 194
H&N 147grs HSKS .357 Alliant 2.3grs Bullseye 56 176
H&N 158grs HSKS .357 Hodgdon 2.6grs HP 38 41 188
WM 158grs LRN .357 Alliant 2.4grs Unique 50 194
WM 158grs LRN .357 Alliant 2.3grs Bullseye 48 175
Win 158grs JSP .357 Alliant 2.5grs Unique 56 177

ウェブリー&スコットMarkW .38S&W仕様

弾丸:メーカー、重量、タイプ 発射薬:メーカー、重量、タイプ グルーピング(mm) 初速(m/s)
H&N 127grs HSKS .357 Alliant 2.8grs Bullseye 55 209
H&N 147grs HSKS .357 Hodgdon 3.0grs HP 38 70 194
H&N 147grs HSKS .357 Alliant 2.3grs Bullseye 61 173
H&N 158grs HSKS .357 Hodgdon 2.6grs HP 38 43 185
WM 158grs LRN .357 Alliant 2.4grs Unique 53 193
WM 158grs LRN .357 Alliant 2.3grs Bullseye 59 176
Win 158grs JSP .357 Alliant 2.5grs Unique 71 175

注釈/略号:H&NはHaendler&Natermann。HSKSはハイスピードで円錐の先端が平らになった形状。WMはWilli Mintert Bullets。LRNは鉛ラウンドノーズ。JSPはジャケットソフトポイント。全ての弾丸は直径.357。全ての弾薬は新品のラプア製薬莢とウィンチェスター製スモールピストルプライマーを使用。グルーピングは25mからシッティング、レスト、5発で計測。ただしS&Wは除く。この銃は10発、ランサムレストで。


 私はこの辺の知識が乏しかったんで、非常に勉強になりました。

●この銃は元々ウェブリーが開発したものであり、それを国営企業のエンフィールドが「盗んだ」。
●この銃の開発者と称された人物はボーイス対戦車ライフルの開発者と同一人物である。
●この銃用の弾薬は基本的に.38S&Wと同一である。
●この銃は着弾が左右にずれるくせがあり、サイトを調整しなくてはならない。
●DA/SAモデルのトリガープルは軍用としてはいいものだが、DAオンリーモデルはどうしようもなく重い。
●第二次大戦中のイギリス軍用ハンドガンといえばこの銃を想像するが、実はアメリカからレンドリースされたS&Wミリタリーポリスの.38S&Wバージョンの方が数が圧倒的に多かった。
●ウェブリーにもこの銃と酷似したモデルがあり、第二次大戦中はそれも軍に供給された。

 といった事実等は恥ずかしながら全然知りませんでした。

 先日紹介したS&WニューモデルNo,3の記事で、この銃が現在の基準で評価しても非常に優秀な命中精度であることから、一般にブレイクオープンリボルバーは命中精度上不利とされるが、必ずしもそうとは限らないようだ、ということを書きました。今回の2種のブレイクオープン銃も非常に優秀と言っていい結果です。理由は不明ですがこれらは手持ちのレスト射撃、一方S&Wはランサムレストと条件が異なりますが、それを差し引けば両者の命中精度はほぼ同等のようです。


 ちなみに、アメリカ軍は19世紀末にSAA用.45ロングコルト弾薬の使用をやめて.38ロングコルト弾薬を採用しました(1892〜1911)。ご存知の通りこの結果アメリカ軍は特に植民地における現地人の反抗を鎮圧する際、ストッピングパワーが足りないことを痛感して.45口径に回帰しています。これは一般に、「小口径ハンドガン弾薬はストッピングパワーが低い」ことを示す実例とされますが、「効力とはエネルギー伝達である」と考えるドイツ人はもちろんこれに同意しません。以前読んだ文には、「.38ロングコルト弾薬の初速は.45ロングコルト弾薬と同程度であり、小口径高速化してエネルギー量を確保せず、単に小口径化しただけだったから効力が不足したのである。したがって効力不足を小口径の責任に帰すのは不当であり、真の問題はエネルギー量不足だったのである。実際低初速、すなわち低エネルギー量で知られるイギリスの.455弾薬では効力が不足する実例があった。」旨の記述がありました。これには一理も二理もあります。まあ今回はこれがテーマではないのでこの問題には深入りしません。疑問なのは、アメリカ軍における実例を知っていたはずなのに、何故イギリス軍は.38ロングコルトよりもさらに低威力の.38S&Wを採用したのか、また、当時アメリカ以上の植民地を持ち、現地人の抵抗にあうことも多かったはずのイギリスにおいてこの銃、弾薬の威力不足が深刻だったという話をあまり聞かないのは何故なのか、という点です。今回の記事にもこの弾薬が軍用としてあまりに低威力であるとか、実際将兵が効力不足に悩まされたといった記述は全くありませんでした。

 
 エンフィールドに関しては昔からモデルガン化されているので皆さんもよくご存知でしょうが、「ウェブリー&スコットMk.W」に関しては私同様あまり知らないという方が多いと思います。

http://taka25th.cathand.com/newpage50.htm

 ここは日本語のサイトですが、この銃について非常に詳しく取り上げられています。

2006年1月1日追加

 その後「Visier」公式サイトにこんな速報が出ました。


ウェブリー&スコット有限会社に「素晴らしいクリスマスプレゼント」なし 2005年12月28日付

この伝統的な会社は破綻の200年以上前に設立された

 目下破産管財人が新聞広告によってこのバーミンガムに定住する会社の購入者を探しているにもかかわらず、これまでに救いの見込みはない。それゆえウェブリー&スコット有限会社はクリスマス前にまずその門を閉ざした。同様に隣接する、そしてワールドワイドに誇りとされたVenomカスタムショップもである(これは特にエアライフルシューターが彼らの銃のチューニングのために訪れたところだ)。ウェブリー社は1790年に初めて言及され
(頑住吉注:史料に登場する、という意味でしょう)、まず最初には他の銃器会社用の部品を作った。そして1897年に合併してウェブリー&スコットとなった。19世紀にはこの社は特に大口径リボルバーによって有名になった(頑住吉注:この後「イギリス帝国のピ−スメーカー」、「Webley-Green」、「Royal Irish Constabulary Revolver」、「Boxer」、「British Bulldog」といった有名なリボルバーの名称、別名、評価と思われるものが列記されていますが、相互の関係がよく分からないので省略します)。1979年以来この会社はもっぱら圧縮空気銃の製造に携わっていた。何年か前からは外国製エアライフルの輸入と転売も行っていた。ジャーナリズムの説明はこの没落の複合的原因を「政権のアンチ銃器パラノイア、引き続いた法改正、ジャーナリズムにおける銃器に関するネガティブな報道、そして全般的経済的危機」としている。銃器アクセサリー、輸入エアライフル、ターゲットスコープ、交換パーツを販売する取り扱い会社ウェブリー&スコット インターナショナルは今後もなお活動する(‥‥我々の考えるところでは‥‥)


 事実上伝統のリボルバーメーカーとは全くの別物になっていたようではありますが、ちょっと寂しい気がします。









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