MAT49サブマシンガン

 マイナーなサブマシンガンシリーズまだ続きます。とは言っても今回は比較的メジャーに近い、しかし詳細な資料はなかなか見つかりにくいMAT49です。

法国MAT49沖鋒槍之路


フランスのMAT49サブマシンガンの路

(頑住吉注:原ページの最初の画像のキャプションです。「1970年代におけるMAT49サブマシンガンを手に持つフランス軍兵士」)

第二次大戦終結後、フランス陸軍の手にあったサブマシンガンはいわば「万国博覧会」と言えるものだった。同盟軍から友情をもって提供されたステン(イギリス)、トンプソン(アメリカ)、M3(アメリカ)もあれば、ベルギーのFNAB43(頑住吉注:元々はイタリア製でしたがベルギーのFNで作られ、ドイツやイタリアに供給されました。一部は何らかのルートでフランスに流入したんでしょう)、ドイツ製MP40、フランス陸軍が東南アジアで使っていたR5(ステンサブマシンガンのフランス版)、フランス製のMAS38もあった。武器の雑多さは銃の維持やメンテナンス上の面倒をもたらすだけでなく、さらに重要なのは事が国家の名誉にかかわることだった。そこでフランス陸軍は1つの緊急計画の実施に着手した。すなわちMAT49が誕生したのである。

(頑住吉注:原ページのここにある画像のキャプションです。「Merlin & Gerin 兵器工場が提出した、MAT49と共にトライアルに参加したMGD PM9折りたたみ式サブマシンガン。そのストック、マガジンハウジングはいずれも折りたためる」)

名誉のために生まれた

サブマシンガンの種類が雑多だという局面がもたらされたのは、明らかにフランスが第二次大戦中ほとんど戦わずに降伏したことと関係している。この角度から見ると、戦後さらにこうした多種多様な武器を使用し続けることは、決して後方勤務保障が面倒だというだけでなく、国家の名誉にかかわる大事だったのである。このため、第二次大戦の欧州戦が終結してすぐ、まだ硝煙が散り尽くさないうちに、フランス陸軍総司令部はその装備技術部に国産サブマシンガンの研究開発計画制定に責任を負うことを命じた。

1945年5月11日(ヨーロッパの戦場での勝利の3日後でもある)、フランス陸軍の新型サブマシンガンの研究開発計画は早くも正式に始動した。まず行われたのは弾薬の口径の選択だった。9mmパラべラム拳銃弾薬がその性能および生産量方面のメリットで勝っており、新型サブマシンガンの制式弾薬種類に選定された。この他、軍は新式サブマシンガンに対し、さらに多くの要求を提出した。例えばこの銃はストレートブローバック作動原理、オープンボルトファイア方式の採用が必須であり、「設計が簡単、コストが低廉、かつ大規模生産が容易等の特性を備える」ことだった。原型となる銃の選定テスト進行中、軍はさらにさらに具体的な要求を提出した。すなわちエジェクションポートにはカバーがあること、折りたたみ式(あるいは伸縮式)ストックを使用すること、マガジンハウジングが折りたためることである。こうした要求は全体としては過大なものとは言えないが、唯一理解しにくいのはフランス人が相当に折りたたみ式設計を偏愛していたことだ。マガジンハウジングにさえ「折りたたみ」を要求したのである。

1947年、フランスの3つの国営兵器工場がそれぞれ各自の設計した原型銃を提出した。国営Chatellerault兵器工場(MAC)は2種類の原型銃を提出した。すなわち金属製ストックを採用したMAC47と木製ストックを採用したMAC48C4である。国営Saint-Etienne兵器工場(MAS)の原型銃は鋳造レシーバーと木製ストックを採用していた。国営Manufacture Nationale d'Armes de Tulle 兵器工場(MAT)の原型銃は厚い鋼板をプレス成型した箱型レシーバー、金属の棒状伸縮ストックを使用した。1948年、これらの原型銃は東南アジアに駐留するフランス軍の試用のため支給された。これと同時にいくつかの兵器工場が提出した原型銃も選定テストに加わった。ホッチキス兵器工場のAMEサブマシンガンとMerlin & Gerin兵器工場のMGD PM9サブマシンガンなどである。実戦性能、製造技術、コスト等を含む多くの要素の総合的な考慮を経て、1949年6月、Manufacture Nationale d'Armes de Tulle 兵器工場が提出したサブマシンガンがフランス軍の制式武器となり、MAT49 9mmサブマシンガンと命名された。

(頑住吉注:原ページのここにある画像のキャプションです。「Chatellerault兵器工場がトライアルに提出した2種類のサブマシンガン。上が金属製ストックを採用したMAC47、下が木製ストックを採用したMAC48C4。」)

(頑住吉注:これより2ページ目)

MAT49の設計者はManufacture Nationale d'Armes de Tulle兵器工場の工場長DelamaireとシニアエンジニアのMonteilである。コストを下げるため、この銃は設計当初から大部分の部品に鋼板プレス加工技術を採用することが確定していた。この種の技術は第二次大戦後には難しい技術ではなかったが、当時のフランス人はまだこの種の加工技術に熟練し、掌握してはいなかった。幸いなことにドイツの敗戦が多くの武器工程技術人員の国外への流出をもたらし、フランスは容易に鋼板プレス技術に通暁したドイツの技師を見つけ出した。MAT49はドイツの工程技術人員の参与と技術論証を取り入れたものである。このため、この銃はある意味から言って、いささかドイツの血統を帯びたものと言える。

1950年1月、Manufacture Nationale d'Armes de Tulle兵器工場はMAT49の大量生産を開始し、その後Saint-Etienne兵器工場もこれに加わった。当初生産の進行度は遅かったが、技術工員の操作が徐々に熟練し、また製造過程が不断に簡略化されるにつれ、生産速度は加速し始めた。1952年になって、MAT49の生産能力は毎月4,600挺に安定し始め、後にはさらに月産10,000挺の規模に達した。同時に、それぞれのサブマシンガンの製造時間も当初の6時間から2時間に短縮された。生産過程でMAT49に対する改良も進行し続けた。こうした改良の目的はただ一つ、すなわち生産コスト節約に他ならなかった。

前述のように、2つの国営工場が共にMAT49を生産した。その中で、Manufacture Nationale d'Armes de Tulle兵器工場は1950年1月から1960年代中期までの期間に700,000挺を生産した。Saint-Etienne兵器工場は1950年5月から1954年11月4日までの期間だけ生産を行い、全部で125,143挺を生産した。

(頑住吉注:原ページのここにある1枚目の画像のキャプションです。「MAT49サブマシンガンの左側面図。ストック固定ボタンとストック上の窪みの組み合わせによってストックの長さが調節できる。画像のストックは中間位置にある。」 部品名称は上が「コッキングハンドル」、以下時計回りに「グリップセーフティ」、「ストック固定ボタン」、「マガジンハウジングロック解除金具」 2枚目の画像のキャプションです。「Saint-Etienne兵器工場が提出したMAS48サブマシンガン。木製ストックを採用している。」 フランス人にデザインセンスがないとは思えませんが、銃になると何故か皆微妙なものばかりで、この銃はもう本当に真面目にデザインする気があるのか疑いたくなるひどさです。)

(頑住吉注:これより3ページ目)

構造設計上の顕著な特徴

MAT49は設計構造上、独自のはっきりした特徴を備えている。

MAT49のレシーバー、バレルジャケットおよびマガジンハウジング等の部品にはいずれも金属プレス技術による加工が採用され、少数の部品しか切削加工を必要としない。この種の技術は生産コストおよび必要な金属材料を減少させるだけでなく、同時に生産時間も短縮し、メンテナンスや修理の時にもより便利である。

MAT49のレシーバーは外形が長方形の箱のようであり、レシーバーユニットは2つの対称なプレス金属板を溶接する方式で作ることが採用されている。レシーバー右側面前部にはエジェクションポートが設けられ、エジェクションポートにはスプリングで駆動する防塵カバーが付属している。防塵カバーは平時においては閉じて汚物がチャンバーに侵入することを防ぎ、ボルトの後退時には自動的に開いて薬莢の放出に便とする。コッキングハンドルはレシーバー左側に設けられ、外部に露出した部分はナットに似ている。銃身長は230mmで、大多数の銃器が右回りのライフリングを採用しているのと異なり、この銃のバレルは4条左回りのライフリングを採用し、ピッチは250mmで一回転である。バレルは穴の開いた散熱ジャケットに包まれている。

(頑住吉注:原ページのここにある画像のキャプションです。「MAT49サブマシンガン右側面図。ストックは完全に縮められ、マガジンハウジングも折りたたまれている」 部品名称は前が「ボルト」、後ろが「エジェクションポートカバー」です。)

この銃は包絡式ボルトを採用しており、そのボルトの構造は比較的特殊である。外形は直方体で、前端には突起した柱状のボルトヘッドがあり、ボルトヘッドには固定撃針が付属している。ボルトが前進しきった時、ボルトヘッドはバレル後端の凹部に入ってチャンバーを閉鎖する。弾薬に過早発火あるいは遅発の故障が発生した時、この種の包絡式ボルトはチャンバー破裂防止の作用をすることができる。

レシーバー同様、この銃のグリップ、発射機構ベース、マガジンハウジングにも2つのプレス金属板を溶接して作る方式が採用されている。グリップ後方にはグリップセーフティが設けられ、手でグリップを握った時、即セーフティが解除でき、これによりトリガーを引けば撃発が起こる。

前述のように、この銃のマガジンハウジングには折りたたみ式が採用されている。トリガーガード前下方のロックを押すと、マガジンハウジング/マガジンが前方に折りたたまれてバレル下方に達し、この時マガジンハウジングは給弾口を閉じて塵や埃の侵入を防止する。同時にボルトが前進しても弾薬を押してチャンバーに入れることができなくもする。射撃が必要な時は、マガジンハウジングおよびマガジンを後方に展開してバレルと垂直位置に至らせるだけでよい。この時マガジンおよびマガジンハウジングはフォアグリップとしても使用できる。マガジンには2種類の型があり、すなわち装弾数32発のダブルカアラム標準マガジンと、容量20発あるいは25発のシングルカアラムマガジンである(頑住吉注:32発ダブルカアラムマガジンより長いはずのシングルカアラムマガジンは一体何のためなのかと疑問に思いましたが、 http://en.wikipedia.org/wiki/MAT-49 英語版「Wikipedia」によれば砂漠用とされ、砂塵に強かったということでしょう)。

(頑住吉注:原ページのここにある画像のキャプションです。「フランス外人部隊(原文では法国外籍兵団)第2落下傘兵団の落下傘兵がMAT49サブマシンガンを手に持ち、アルジェリアのジャングルの中で休んでいる。(1958年撮影)」)

ストックは1本の比較的太いスチールワイヤーを折り曲げて作られ、レシーバー両側の保持ミゾ内をスライドできる。ストック固定ボタンとストックにある凹部の組み合わせにより、ストックの長さを調整できる。車両あるいは航空機等の交通手段に乗る時は、ストックを完全に縮めることができる。警備や儀式の場合はストックを中間位置に調節する。また射撃時はストックを完全に伸ばした状態に調節できるのである。

1962年以後、Manufacture Nationale d'Armes de Tulle兵器工場は生産と使用状況に基づき、MAT49の構造に再度改良を行った。主な改良点は、元々あったグリップセーフティを基礎に、トリガーセーフティを増設したことである。この種のトリガーセーフティを採用したMAT49のトリガー左側には全て五角星が刻印されている。構造上の改良の他に、1962年以後の生産分ではさらなる一歩の簡略化も行われた。バレルの放熱ジャケットとバレルの固定方式が、本来のスポット溶接からアーク溶接に改められ、コッキングハンドルも本来のナット状から、より簡単なフック状に改められた。

(頑住吉注:これより4ページ目)

MAT49およびその派生型の性能緒元

MAT49サブマシンガン MAT49/54サブマシンガン MAT54S.B.サブマシンガン
使用弾薬 9mmパラベラム弾薬 9mmパラベラム弾薬 9mmパラベラム弾薬
全長 720mm(ストック伸ばし)460mm(ストック縮め) 900mm 750mm
銃身長 230mm 365mm 230mm
全体重量 3.5s 3.95s 3.4s
マガジン装弾数 20/32発 32発 32発

銃に付属するいくつかのアクセサリー

MAT49のアクセサリーにはマガジンポウチ、スリングベルト、クリーニング工具袋(工具含む)が含まれる。このうちマガジンポウチには多種類の色や材質があり、標準の配置は革製の胸に掛けるマガジンポウチで、4個のマガジンが収納できる。異なる色のマガジンポウチは異なる兵種や部隊に使用された。茶褐色のマガジンポウチは陸軍と海軍の使用のために支給され、黒色のマガジンポウチは空軍に支給され、赤いマガジンポウチはアフリカ駐留部隊に支給され、白色のマガジンポウチは儀杖の場合の使用のために支給された。この他さらに降下兵や突撃部隊が使用する、5個のマガジンを収容できるショルダーバッグ型帆布製マガジンポウチがあり、携帯時に比較的快適だった(頑住吉注:前のページの外人部隊落下傘兵が身に着けているのがこれでしょう)。空軍は後にナイロン製で褐色のマガジンポウチも支給した。その規格は革製マガジンポウチと同じだった。

この種のマガジンポウチは携帯時、胸の前の比較的高い位置に掛けられ、実戦において比較的マガジンが取りやすかったが、携帯時は快適でなかった。

スリングベルトは革製で、その色はマガジンポウチと同じだった。クリーニング工具袋も革製で、内部にはクリーニング工具、潤滑油の缶、分解式クリーニングロッドがあった。

(頑住吉注:原ページのここにある画像のキャプションです。「MAT49の派生型であるMAT54S.B.サブマシンガン。固定式木製ストックを採用している。」 これは「MAT49/54」の誤りのようです。)

国内外の派生型

MAT49に関してはさらにパリ警察局の要求に基づき、MAT54(あるいはMAT49/54と呼ばれる)警察型が登場した。その主な特徴は固定式の木製ストックの採用、バレルが比較的長く、かつ全部が放熱ジャケットで覆われていること、2つのトリガーを持つこと(前のトリガーを引けばフルオート、後ろのトリガーを引けばフルオート)だった。MAT54にはショートバレル型もあり、MAT54S.B.と呼ばれた。この銃も固定式の木製ストックを採用しており、セミオート射撃のみでき、主に装甲部隊および刑務所の警備の使用のために支給された(頑住吉注:前出の英語版「Wikipedia」にもショートバレル型に関する言及はなく、検索しても見つかりませんでした。ショートバレル型と言ってもロングバレルのMAT49/54に対してであり、上の性能緒元によればノーマルなMAT49と同じ銃身長です。看守用は分かりますが装甲部隊にノーマルと同じ銃身長でストックが固定のこのタイプを支給したというのもちょっと解せません)。

さらにMATには国外にもいくつかの派生型があるが、その中で比較的有名なのはベトナムが生産した型である。ベトナムの抗フランス戦争終結後、ベトナム人民解放軍は鹵獲および接収の方法で大量のMAT49を獲得した。より入手しやすいソ連製弾薬を使用するため、ベトナムはこれらに改造を加えた。改造後のMAT49は7.62mmx25トカレフ拳銃弾薬を使用し、銃身長は270mmと、本来のバレルと比べて40mm長くなり、かつ発射速度も本来の毎分600発から毎分900発に増加していた。

(頑住吉注:原ページのここにある画像のキャプションです。「3種の異なるマガジンポウチ。左から右に、茶褐色の革製(陸軍および海軍が使用)、帆布製(航空降下兵が使用、ナイロン製(空軍が使用))」)

その足跡は多くの国に広がる

MAT49はかつてフランスによって広く使用され、ベトナムの抗フランス戦争、アルジェリア戦争、1956年のスエズ運河危機等の戦場では、いずれもこの銃の姿が見られた。

フランス軍内部ではこの銃は主に陸軍および海軍士官に装備され、また空軍では基本的に全面的に支給された。その外形がコンパクトで、火力が持続し、頑丈で耐久製が高いため、この銃は陸軍機械化部隊や空軍部隊に歓迎され、深く愛された。

本国の軍隊や外人部隊(頑住吉注:ここでは「外籍雇用兵団」)に装備された他に、旧フランス植民地にも多数が装備された。たとえばアルジェリア、ボリビア、カンボジア、コンゴ、ラオス、モロッコ、ベトナム等である。

1979年、Saint-Etienne兵器工場がFAMASアサルトライフルを登場させた後、MAT49の生産は終わりを告げた。

長所と短所が併存

MAT49は設計、性能いずれも十分に優秀だった。銃全体が堅固で耐久製が高く、かつ故障率が低く、もしストックを伸ばした状態であっても外形は十分コンパクトだった。マガジンハウジングを前方に折りたたんだ時は、携帯に有利なだけでなく、給弾できず暴発が避けられるという理由からも、そしてグリップに設置されたグリップセーフティとも合わせ、この銃に出色の安全性能を持たせている。この他、射撃時の銃全体のコントロール感が良く、バースト射撃時、距離50m前後の目標に対しても相当高い精度を有した。この意味からもMAT49が当時広く装備されたことを理解するのは難しくない。

ただし現在の目で見ると、MAT49は外形が粗削りで、特にその伸縮式バー状ストックは、肩に当てる部分が2本の鉄棒に過ぎず、緩衝パッドなどのような吸震装置が何もなく、肩付けしての射撃時は特別に不快である。このため技術の進歩および銃器設計観念の発展につれ、MAT49も不可避的に淘汰されたのである。


 この銃に関しては以前ここで触れたことがありますが、ずっと詳しい内容でした。MGDサブマシンガンについても触れたことがありますが、MAT49と競争試作されたものだったとは知りませんでした。すごく興味のあるMGDですが、競争に敗れた以上何らかの問題があったんでしょうか。あるいは実力的には互角で、コストが高いために選ばれなかったという可能性もあるでしょうが。










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