軍への大量装備に至らなかった対戦車兵器

 一種の「歴史秘話」ものの記事でしょうか。

http://military.china.com/history4/62/20150331/19449411.html


忘れられた「対装甲の尖兵」:4種の国産兵個人対戦車武器

我が国の兵個人対戦車武器というと、相当に多くの軍事愛好家は多くの名を挙げることができ、例えば56式、69式ロケットランチャー、PF89使い捨て対戦車ロケットランチャー‥‥こうした著名な武器は部隊に大規模装備され、あるものは何度もの局地戦争に参加し、祖国のために赫赫たる戦功を立てたことがある。しかし、こうした「スター」の他、我が国の兵個人対戦車武器発展史上にはさらに次のようないくつかの機種が出現したことがある。それらは研究開発成功後あるいは種々の原因ゆえに部隊に装備されず、あるいは少数装備後またひっそりと現役から退き、技術的蓄えとなった。今日、我々は歴史の霧を払い、こうしたほとんど忘れ去られた「対装甲の尖兵」を見てみよう。

背景

1950年代から70年代、世界各国の戦車・装甲車両は急速に発展し、装甲目標の防御能力は日増しに強化された。しかも、各国の装甲部隊戦力建設が加速するにつれ、戦場の装甲目標の密度が非常に大きく増加した。歩兵にとって、伝統的な対戦車武器、例えば大型対戦車砲、無反動砲などは数が少なすぎるため、すでに大規模な戦争の中での対装甲作戦の需要を満足させられなかった。このため、兵個人が操作する対戦車武器を研究開発し、戦場における対装甲火力密度を増加させることが各国の共通認識となった。当時、大量の兵個人対戦車武器が各国の軍隊に出現しかつ装備され、典型的なものにはアメリカのM72対戦車ロケットランチャー、ベルギーの60mm対戦車ライフルグレネードなどがあった。こうした武器に共通した特徴は兵個人が使用し、編成を占めないことで(頑住吉注:この用語はこの兵器専任の兵が操作するのではなく歩兵など他の任務メインの兵で操作できることを指すようです)、1人1人の兵士全てに戦車・装甲車両と交戦する能力を持たせ、非常に大きく戦場での対戦車火力密度を高めた。一方我が国もライフルグレネードや兵個人ロケット領域での研究が非常に活発だった。特に1960年代後期にソ連との関係が空前の緊張を示し、ソ連の我が国に対する大規模侵入発動を防止するため、対戦車作戦が史上前例のない高さに置かれ、一度は陸軍歩兵の主要な作戦任務にさえなった。科研部門は多くの新製品を登場させ、その中のいくつかは大規模な生産や装備に投入されたが、技術的原因により大規模装備され得ず、歴史の塵に埋もれたものもいくつかあった。

67式ライフルグレネード

1960年代初期、ライフルグレネードはコストが低廉、編成を占めず、また威力が比較的大きいため、一度は非常に流行の対戦車武器となった。この潮流に影響され、1963年に我が国も対戦車ライフルグレネードの研究開発に着手した。1964年に作戦使用性能と戦術技術指標の論証が完成した。1965年初め、正式に工程研究開発に入った。1967年になって正式な製品ができた。機種名は「1967年式対戦車ライフルグレネード」、略称「67式ライフルグレネード」と定められた。

これは我が国の建国後自ら研究開発を行った初の対戦車ライフルグレネードで、基本的な戦術目標は各種装甲戦闘車両、装甲兵員輸送車、小型、中型戦車の破壊で、各種火力ポイントや構築物も打撃できるというものだった。基本諸元は次の通りである。最大直径70mm、全長412mm、全体重量800g、初速42m/s、直射距離50m、装甲貫通威力30度で170mm、発射方式には空砲弾による発射を使用し、グレネード自体の他、これとセットされるアクセサリーには専用の銃口発射具とストックに装着する緩衝ゴムパッドがあった。

このグレネードは主に戦闘部、信管、尾管の三大部分からなり、構造が比較的簡単で、レイアウトが合理的で、精度と威力がいずれも比較的理想的だった。設計のディテールから見ると、このグレネードの弾頭には滑り防止カバーの設計が採用され、跳弾により機能しないことが防止され、着弾と発火の安定性が高められている。炸薬のカバーには壁の厚さが一定でない設計が採用され、加えて弧型の本体設計と装薬があり、炸薬の爆発エネルギーの利用率が高められている。尾管の内径は21.5mmで、発射時はライフルあるいはサブマシンガンの銃口に外径21.5mmの専用発射具を加えて空砲弾で発射する必要があった。

正式定型後、このグレネードは一部の部隊の試用のために支給された。試用の過程で部隊は主に4点の不満な部分を挙げた。1つ目は後座エネルギーが過大なことで、測量すると後座エネルギーは135〜190ジュールにも達し、非常に大きく普通の人が受け入れられる極限を超過していた。絶対多数の兵士は発射時の非常に大きな後座力に耐えられないとした。実は、これは当時の大威力ライフルグレネード共通の問題だった。2つ目は射程が短すぎることだった。直射距離は50mしかなく、射手は非常に大きな危険を冒して目標までの距離50m以内まで接近してやっと射撃ができるのだった。これは戦場では自殺と同じだった。しかも射手が目標から近すぎるため、発射後に爆発によって生じる破片や爆風によって殺傷される危険があった。3つ目はアクセサリーが多すぎ、射手は自らが本来携帯する武器や装具の他、さらに追加で専用の発射具、空砲弾、照準具、ゴムのショルダーパッドを携帯する必要があり、非常に不便だった。4つ目は信管が槍-1式触発信管で、セーフティがなく、安全性が比較的劣ることだった。当時の条件下ではこうした問題を解決できなかったため、67式ライフルグレネードは短期間の試験装備後すぐ慌ただしく装備から外され、技術的蓄えに回された。

こうではあったが、67式ライフルグレネードは多くのディテール上やはり成功しており、例えば前述の厚みを変化させた装薬の形のカバーの構造、滑り防止キャップなどで、いずれも以後のライフルグレネード研究開発のために経験を提供した。

(頑住吉注:これより2ページ目)

70式62mm兵個人ロケットランチャー

1960〜70年代、米軍はベトナムの戦場でM72対戦車ロケットランチャーを大量に使用した。我が国の科研人員はベトナムの戦場で鹵獲されたこの武器を研究した後、その軽便で巧妙な設計に感服した。このロケットランチャーはインナー・アウターパイプ設計、引き出し式構造を採用していた。アウターパイプはグラスファイバーにエポキシ樹脂をしみこませて焼いて作られ、インナーパイプは高強度アルミ合金で製造されていた。携帯状態の時、インナーパイプはアウターパイプ内面に重なっており、全長が比較的短く、携帯に便利である。発射時はインナーパイプを引き出し、照準具を立てるだけで即発射できる。発射完了後はロケットランチャーを即捨て去り、軽便な使い捨て武器だった。我が国の科研人員は賛嘆のあまり、類似の武器をも研究開発し、1970年に定型に至り、「1970年式62mm兵個人ロケット」と命名した。この武器の発射筒の全長は842mmで、包装筒ドッキング後の全長は1200mm、ロケット弾の初速は126m/s、重量1.18kg、ロケットランチャー(発射筒と包装筒含む)を加えた総重量は3.2kg、直射距離150m、装甲貫通威力は65度で100mmだった。

70式62mm兵個人ロケットはいくつかのM72ロケットランチャーの設計理念を参考にしており、すなわち編成を占めないロケット式使い捨て対戦車武器であるが、具体的な設計は全て独立して完成されたものである。当時国内のアルミ合金材料は比較的欠乏しており、主に飛行機製造に用いられていた。飛行機の材料を奪わないため、70式兵個人ロケットの発射筒とロケット包装筒には全てグラスファイバー材料での製造が採用され、重量も軽減したしアルミ材料も節約した。しかも当時の国情ゆえに、我々はより多くの有用な部品が繰り返し使用できることを希望し、このため70式兵個人ロケットは内外筒引き出し式の設計を採用せず、前後の筒をドッキングさせる構造を採用した。前の筒は発射筒で、それにはピストルグリップ、発射機構、簡易照準具があり、後ろの筒はロケットの包装筒だった。使用時は後ろの筒を前の筒の尾部にドッキングさせ、照準具を立てれば即発射できた。発射方式には電気点火が採用され、発射後後ろの筒は捨ててしまい、改めて新たな後ろの筒をねじって取り付けて再度発射することもできる。

この武器はロケット弾の設計にも比較的特色がある。当時我が国には理想的な燃焼速度の高い火薬がなかったため(アメリカのM72対戦車ロケットランチャーが採用するM1火薬は燃焼速度が40m/sに達し、一方我が国は最も良い火薬の燃焼速度でも25m/sしかなかった)、ロケット弾が筒を出た後、一部の火薬の燃焼が終わらず、後方に噴射される火炎が射手を火傷させる可能性があった。この問題の解決のため、設計者はブラシ式固体ロケットエンジンを採用し、火薬顆粒の表面積を増加させ、燃焼速度を高め、また適当に発射筒を延長し、成功裏に後方に噴射される火炎が人を傷つける問題を解決した。この弾の尾翼には折り畳み式ブレード型の設計が採用され、飛行時に受ける風の影響が非常に小さく、3〜4級の風では直射距離内で射手はいかなる修正もせずに目標に命中させられる。

70式兵個人ロケットは定型後すぐに一部部隊の試用に投入され、普遍的に反応は比較的よかった。だがこのロケットのエンジンはスーパーハードアルミ合金を採用しており、当時の国の有色金属精錬工業は充分な材料を提供することができず、このため部隊に大量装備することはできなかった。1974年になって、科研人員はロケットエンジンの材料をアルミ合金からスチール合金に改め、かつ発射器の設計を改修し、元々存在した発射器の信頼性が低い問題を解決した。改良後の武器は「70-1式62mm兵個人ロケット」と命名され、ついに大量生産され部隊の使用のため装備された。

(頑住吉注:これより3ページ目)

79式70mm手持ち対戦車ロケット

これまでに紹介した何種かの武器とは異なり、79式70mm手持ち対戦車ロケットには実戦経験がある、かつて海外援助の武器輸出としてカンボジアの戦場で使用された。この武器は全体重量1.66kg、発射筒の内径70mm、全長426mm、全体重量0.516kgである(頑住吉注:意味不明です)。ロケット弾の最大直径は70mm、全長420mm、全体重量1.144kg、初速52m/s、直射距離100m、最大射程250m、垂直の装甲に対する貫通威力100mmである。

この対戦車ロケットは使い捨てで編成を占めない武器である。主に軽装甲目標および250m以内の火力ポイントおよび野戦構築物の破壊に用い、敵生体戦力も殺傷できる。この武器は一体式発射筒、簡易屈折照準具および殺傷/装甲貫通両用ロケット弾からなる。発射筒は前が大きくて後ろが小さく、外形はまるで大きな懐中電灯のようである。前半部分にはフロントサイト、照準具ベース、屈折式光学照準具が装備されている。光学照準具は照準具ベースに挿入され、平時は発射筒上に折り畳まれ、使用時は反時計方向に45度回転させて起こすと、スプリングの作用の下に自動的に固定ミゾにはまる。後ろの筒は前の筒に比べ細く、この上には撃発機ベースがあり、発射機構が装着できる。雨水や塵芥が発射筒に進入するのを防止するため、平時撃発機構はゴムカバーで覆われ、筒の前後には湿気防止カバーがある。

ロケット弾は戦闘部、安定装置、エンジンからなる。安定装置はロケットエンジン尾部に装備された6枚の薄い金属片の尾翼で、平時は発射筒内に巻かれた状態で置かれ、発射筒を飛んで離れた後、自身の弾力に頼って展開する。ロケットエンジンは連結ネジによって戦闘部と相互につながっている。この連結ネジはロケットエンジンと戦闘部を連結する部品でもあるし、またエンジンの点火機構でもあり、これにはさらにプライマー、点火薬カバー、炎の逆流を防ぐ板、固定ピンが装備される。

79式手持ち対戦車ロケットの発射方式は比較的独特で、それは肩に担いでの発射でもなければ、脇の下に挟んでの発射でもなく、手で握って後ろを横に向けて平らに伸ばし、筒の先端を前に向けて発射する(頑住吉注:よく分かりませんが、次ページの画像はこの兵器の発射時のポーズです)。発射前に射手は照準具を起こし、撃発機をオンにし、筒上の屈折照準具を用いて目標を照準した後で撃発機を押し、ロケット弾が射出される。79式手持ち対戦車ロケットは体積が小さく精巧、重量が軽い、携帯に便利というメリットを持っていたが、威力が小さすぎたため部隊に装備されることはなかった。

(頑住吉注:4ページ目)

80式対戦車手榴弾

1970年代、ソ連装甲部隊の大規模侵入に防備するため、軍は威力が比較的大きい新型対戦車手榴弾の設計の必要性を提出し、これは大量に部隊装備できる、一種の群衆性対戦車武器としてのものだった。1974年に某国営兵器工場が「新型対戦車手榴弾」の研究開発任務を与えられ、同年年末にサンプル機の研究開発に成功した。「文化大革命」の影響により、その後の研究開発作業の進展は決してスムーズではなく、サンプル機の研究開発中に出現したいくつかの改良や最適化を必要とする問題にはずっと完全な解決が得られず、主要な戦術、技術指標は終始最終的に確定することがなかった。1977年5月になって、新型対戦車手榴弾の主要な戦術、技術要求がやっと正式に確定した。主要な指標は以下の通りである。全体重量は1kg以下、全長320mm以下、直径57mm以下、装甲貫通威力30度で200mm、全方向で起爆する信管を採用し、全体が密封され湿気を防ぎ、勤務処理が安全で信頼性が高く、長期保存でき、構造がコンパクトで、戦闘使用に便利であり、外形が美しく、工程性がよく、生産動員に適する。

工場は確定した戦術、技術指標を根拠に研究開発、試験作業を全面的に展開し、何度もの試験を経て設計方案に対し何度かの改修と最適化を経させ、同年11月に正式に工場鑑定試験を完成させた。1979年6月、国家標的場の厳格な試験審査をパスし、1980年3月に部隊使用試験をパスし、最終的に「1980年式対戦車手榴弾」、略称「80式対戦車手榴弾」と命名された。この手榴弾の主な戦術用途は防御、襲撃、待ち伏せ戦闘の中で、敵戦車、装甲車両、野戦構築物などの目標の破壊に用いるというものだった。また倉庫、装甲防御のない軍用車両、燃料輸送パイプラインの破壊、戦車後方の生体目標の殺傷もできた。この手榴弾の最大直径は75mmで、全体重量は1kg、全長330mm、本体の形状は円柱形で、殻体の材料は薄い金属板で、本体重量は678g、投擲距離は17〜35m、機械式触発信管を配備し、信管の手を離れてからの安全距離は4m、セーフティ解除距離は10m、TNT/ RDX混合炸薬が装填され、メイン薬柱の重量は390g、サブ薬柱の重量は52g、普通のローラー圧延スチール装甲板の貫通厚は30度で200mmである。

この手榴弾全体は本体、柄、信管という3つの部分からなり、本体は殻体、メイン薬柱、サブ薬柱、炸薬の形のカバー、風帽、連結体などからなる。この手榴弾の信管は比較的複雑で、着発機構、セーフティ機構、定向装置(頑住吉注:成形炸薬なので先が先になって飛んで命中する必要があり、空中姿勢を安定させる装置でしょう)、勤務セーフティ装置、重複装定機構からなり、いずれも柄の中に装備されている。柄と連結ベースの間には密封〜と防粘〜(頑住吉注:日本語にない漢字でクッション、下敷きなどの意)が追加装備され、かつセーフティリングを用いて固定され、密封湿気防止の作用も果たすし、勤務セーフティも構成し、手榴弾の勤務処理の中での安全性を保証している。重複装定機構は柄の突起、握片支耳(頑住吉注:「握片」は柄付き手榴弾を発火させる小片などを指し、「支耳」は支持突起でしょうか)、セーフティピンからなり、作用はセーフティピンを抜いたが投擲のチャンスを失した手榴弾に改めてセーフティ状態を回復させることである。

使用時、右手で柄とセーフティ握片を握り、左手でセーフティリングとセーフティピンを抜き去った後、目標に対し力を入れて投げる。手を離れた後、柄とセーフティ握片は離脱スプリングと伸展スプリングの作用の下に脱落し、安定用尾翼が自動的に開き、セーフティ機構が解除され、全体が撃発待機状態を呈し、目標への衝突後、内部のスチールボールが転がり落ち、ファイアリングピンをリリースし、ファイアリングピンが雷管を突き、手榴弾を起爆させる。手榴弾本体内部の円錐型の装薬は爆発し金属射流を生じさせ目標の装甲を貫通する。

この手榴弾は部隊の試用を経たが、その評価は決して高くなかった。まず重すぎた。1kgの重量は身体強壮な戦士でも35m前後投擲できるだけで、一般の兵士はさらに短かった。このように近い距離での投擲で戦闘の需要を満足させるのは非常に難しかった。まだある問題は威力が小さいことで、この手榴弾の理論上の装甲貫通厚は30度で200mmだったが、実際の使用の中では往々にしてこの点が達成されず、新型メインバトルタンクに対応するには意気込みに力が追いつかないというやつだった。しかもこの2点の不足はまた相互に矛盾するもので、もし威力を増大すれば必然的に重量が増え、そうなれば投擲距離不足の問題をさらに悪化させるだろう。実は、対戦車手榴弾は人力に頼って投擲するため、威力不足は不可避であり、向上の余地は非常に限られている。これは何故各国がもはや対戦車手榴弾を開発していないかの原因でもある。このため80式対戦車手榴弾は短期間の試験装備後すぐに退役し、現在部隊はもはやすでに使用していない。(編集/弓鳴)


 何年か前にイラクでゲリラが使用するソ連系の対戦車手榴弾が米軍の比較的軽装甲の車両やソフトスキンの車両に大きな被害を出して問題になりましたが、最後の対戦車手榴弾はこれに近いもののようです。正規軍には向かなくてもゲリラ戦には有効という場合もあるということで、それは他の3種にも言えることでしょう。



























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