中国の対戦車ロケットランチャー発達史

 対空ミサイル、無反動砲に続き今回は対戦車ロケットランチャーの歴史です。

http://military.china.com/history4/62/20140103/18262991.html


中国の対戦車ロケットの発展:豊富な対戦車ロケットファミリーを形成

(頑住吉注:原ページのここにある画像のキャプションです。「対戦車ロケットは伝統的な対戦車兵器であり、第二次大戦中かつて重要な作用を発揮したことがある。現代の戦争の中で、対戦車ロケットは依然軽視できない重要な作用を発揮している。」)

51式90mmロケットランチャー

朝鮮戦争勃発時、我が軍には解放戦争時期に国民党軍から鹵獲した少量の歩兵用対戦車武器しかなかった。朝鮮戦争勃発後、潮のごとく湧き出てくる北朝鮮人民軍のT-34戦車に対応するため、米軍は前線部隊向けに一定数のM20型88.9mm対戦車ロケットランチャーを緊急輸送した。この携帯式対戦車ロケット武器は北朝鮮を侵略する米軍歩兵分隊に広範に装備され、T-34戦車の進攻を防ぎ止める中で相当に大きな作用を果たした。その後、我が人民志願軍が北朝鮮に赴いて参戦し、戦闘の中で一部のアメリカ製M20型ロケットランチャーを鹵獲した。当時我が軍歩兵の手中には充分な威力を持った対戦車武器がなく、トーチカを攻撃する時にも兵士が爆破機材を携帯して突撃するという原始的な方式を採用するしかなかった。だがアメリカ製ロケットの鹵獲は我が軍の焦眉の急を解決したと言えた。国内の軍事工業科研機関は危急存亡の際に命令を受け、1951年にアメリカ製M20ロケットランチャーを基礎に51式対戦車ロケットランチャーをコピーして作り出し、同年すぐに4,800門余り生産した。生産と計量の便のため、我が国がコピー生産した時、オリジナルのアメリカ製の88.9mm(3.5インチに相当)を90mmに改めた。

51式ロケットランチャーはアメリカのM20式88.9mmロケットランチャーをコピー生産した製品であり、1951年に生産に投入され、同年に4,800門余り生産され、志願軍部隊に装備された。我が国はコピー生産する時生産と計量の便のためオリジナルのアメリカ製の88.9mm(3.5インチに相当)を90mmに改めた。このロケットランチャーは円筒形パイプの発射筒を採用し、電池を発火電源として用い、反射式照準鏡を配備し、弾頭には成形炸薬を採用した。肩からの射撃がメインで、バイポッドが配されプローン射撃が行えた。

口径:90mm

全体重量:10kg

全長:1.45m

初速:106m/s

最大射程:785m

有効射程:100〜250m

装甲貫通厚度:120mm

(頑住吉注:これより2ページ目)

56式40mmロケットランチャー

56式40mmロケットランチャーはソ連のPNT-2型ロケットランチャーのコピー生産型である。1956年に定型に至り部隊に装備された。

このロケットランチャーは火薬燃焼後の噴射気体の反作用の運動量が弾頭に飛行するエネルギーを提供する方式を採用し、これには現代の意味でのロケットエンジンはなく、ロケットエンジンは発射筒自体で、火薬のパッケージは弾の尾部に固定され、筒口から発射筒に挿入され、撃発後火薬が燃焼し、火薬ガスは筒の尾部から高速で噴出し、その反作用の運動量が弾が飛行するためのエネルギーを獲得する(頑住吉注:要するに原理的には無反動砲に近いわけでしょう)。弾頭部は80mmの成形炸薬で、弾の尾部の棒状部分にはスプリング性のある金属片で作った安定翼が装備される。

このロケットランチャーは山地、ジャングルでの作戦に適用され、敵の堅固な掩体、戦車などの目標に対応できる。

改良型:56-1式

口径:40mm

全体重量:4.55kg

発射筒の重量:2.75kg

弾の重量:1.8kg

初速:84m/s

直射距離:100m

装甲貫通厚度:280mm/55度

(頑住吉注:これより3ページ目)

69式40mmロケットランチャー

56式40mmロケットランチャーの大量就役は我が軍歩兵のロケット兵器発展のために基礎を固めた。だがその装甲貫通威力は主に第二次大戦末期の戦車設計に照準を合わせていた。戦後に発展した第1世代メインバトルタンク、例えばT-62、M60、「レオパルド」1などに直面しては威力不足だった。これに対し、我が国はまた戦後にソ連が開発した第1世代対戦車ロケットランチャー、すなわち名声の高いRPG-7を参考にし、69式40mmロケットランチャーの研究開発に成功した。

56式ロケットランチャーに比べ、69式ロケットランチャーは昼間/赤外線夜視照準具を配備し、一定の風速(毎秒16m以内)がある、および夜間条件下での作戦能力が非常に大きく高まった。一方ロケット弾の射程、初速、装甲貫通威力などの方面の指標に関し、69式ロケットランチャーはいずれも56式ロケットランチャーよりずっと高い。提示に値するのは装甲貫通威力である。中ソの珍宝島衝突の中で我が軍が当時装備した56式ロケットランチャーはソ連のT-62戦車の砲塔と車体前面装甲を貫通することができなかった。最終的に、ソ連軍戦車が誤って地雷原に入り、キャタピラが破断した状況下で、やっと1両の比較的完備されたT-62戦車を鹵獲できた。もし当時我が軍が69式ロケットランチャーを装備していたら、その装甲貫通威力(150mm/60度)はT-62の車体前面装甲(100mm/60度)を貫通するに足り、ソ連軍の損失は1両のT-62と数両の装甲車にとどまるには程遠かったはずである。69式ロケットランチャーが大量に部隊装備された後、急速に56式ロケットランチャーに取って代わった。2種のロケットランチャーの口径がいずれも40mmなので、区別するため我が軍の将兵は56式ロケットランチャーを「老40」、一方69式ロケットランチャーは親しみを込めて「新40」と称した。69式ロケットランチャーが就役した年代はまさに中ソ関係が決裂し、ソ連軍の100万の装甲部隊が我が国の北方境界に兵を配置した時だった。ソ連解体後、かつてある関係者は次のように分析した。中ソ対峙の時期、ソ連がもし中国に対し、第二次大戦中に日本の関東軍を壊滅させたような方式の「装甲電撃戦」を発動しようとしたら、少なくとも80日の戦役準備期間を必要とした。このような長時間内の大規模部隊移動は必ず中国によって探知され、かつ一切の応戦措置が整えられたはずだ。このため、ソ連軍の中ソ国境への兵力配置は基本的に防御上の考慮から出たことで、当時国内でほしいままに誇大宣伝された「ソ連修正主義者が一段と力を入れて進攻出発陣地を構築中」というわけではなかったのである。こうではあるが、膨大なソ連戦車集群(ソ連駐アジア地域陸軍はかつてピーク期には1.4万両の戦車を装備し、このうち2/3以上は中ソ国境に配備された)の重圧の面前で、中国は止むを得ず可能な一切を尽くして自身の対戦車戦力を強化し、ほとんど全ての中国の武装力量がいかにして間近にいる「ソ連修正主義者の亀の甲羅」を貫き通すか研究していた。

この種の状況下で、我が軍歩兵の手中の廉価で信頼でき、大量に装備できる歩兵対戦車武器である69式ロケットランチャーの生産は高度に重視された。推測によれば、「新40」ロケット弾の生産量は数百万発にも達した。加えてその前に生産されたほとんど同様の数量の「老40」があり、中国軍の総人数400万人をもって計算すると、ほとんど1人1発のレベルに到達する! 当然、こんなに多くの69式ロケットランチャーとロケット弾は決して全部部隊に装備されたわけではなく、その中の相当の一部分は民兵の使用のために支給され、あるいは輸出され、正真正銘の「全民対戦車武器」となった。全軍の対戦車に関する厳しい形勢は我が軍の最も基本的な歩兵の編成である一個分隊の火力配置と戦術思想にも深刻に影響し、数量が充足した69式ロケットランチャーはさらに分隊に堅実な物質的基礎を提供した。当時我が軍歩兵分隊の武器は、2挺の56式自動小銃(それぞれ分隊長と副分隊長に属する)、および5挺の56式半自動小銃(1人1挺)の他、必ず2人編成の69式ロケットランチャー1チームがあり(ロケットランチャー1門と8発のロケット弾を配備)、世界でも稀に見る対戦車をメインとする歩兵分隊の火力配置を形成した。

69式ロケットランチャーの部隊装備後、それにセットされるロケット弾は訓練と実戦の中でいくつかの問題と欠点も暴露した。主に表れたのは以下のものである。弾頭の装薬が湿度が高く気温の高い環境下で容易に慢性的な分解を生じさせ、酸性の気体を放出し、弾本体の部品、電気回路に対し腐蝕をもたらし、ショートあるいは断線を形成し、信管の不発率が高めになる結果をもたらした。風による偏差が大きすぎ、偏差の修正が掌握し難い。装甲貫通威力が小さめである、など。以上3つの問題に対し、関係の研究開発、生産機関は多くの改良作業を行った。まず1970年代に酸性の値が低い新型装薬に変更し、不発率が高い問題は解決された。次に1983年に弾頭の装薬に対する改良設計が行われ、オリジナルの弾の重量を保持する状況下で大幅に装甲貫通威力が向上した。以上の改良を経て、I型破甲ロケット弾が設計定型に至った。

軍事工業部門はI型破甲ロケット弾に対し改良を継続し、弾の径を94mmにまで拡大し、重量は2.97kgまで増大し、威力は180mm/60度に達し得た。だがその速度はやや低下し、直射距離は200mにまで短縮した。新たな弾のメリットは威力が大幅に向上し、かつ依然オリジナルのロケットランチャーを用いて発射できることだったが、射程の表は修正が必要だった。新たな弾は定型後少数生産に投入され、これこそII型破甲ロケット弾である。1988年、III型破甲ロケット弾が定型に至った。これは国産の新たな歩兵対戦車ロケット弾頭を基礎に改良設計されたもので、弾の重量、初速、最大速度はI型と同じで、威力はII型と同じで、オリジナルのロケットランチャーと射程表がそのまま使えた。

69式ロケットランチャーの作戦用途を拡張展開するため、葉剣英元帥の提唱と配慮の下、軍事工業部門は1980年代中期にスチールボール殺傷ロケット弾の研究開発作業を開始し、1988年に設計定型を完成した。この弾は着地後跳ね返り装置によって1〜1.5mの高さに跳ね上がった後で信管が起爆し、弾は空中で爆発し、非常に大きく生体目標に対する殺傷効果が向上した。現在、PF89式ロケットランチャーに代表される新世代歩兵ロケットランチャーの就役につれ、69式ロケットランチャーは徐々に我が軍の第一線部隊からの退役を開始しており、第二線部隊、予備役、民兵に回されている。だが、我が国の北方工業社は69式ロケットランチャーを基礎に改良を継続し、近年来また国際兵器市場に向けて折り畳んで携帯できる2004型40mmロケットランチャーを登場させている。

70式62mm対戦車ロケット

ソ連製ロケットランチャーをコピー生産するのと同時に、我が国の軍事工業科研人員は1966年に歩兵用ロケット武器の自主研究開発を開始した。この武器システムは1970年に研究開発が成功し、70式62mm兵個人ロケットと命名された。70式ロケットランチャーはソ連式RPG-7ロケットランチャーの設計のスタイルを脱し、そのロケット弾包装筒は発射器の一部分を兼ね、製造コストが低廉で、使用後は即廃棄できた。その発射器、弾薬が1人で携帯できるなどの特徴は当時の「人民戦争」の要求により符合していた。

70式62mm兵個人対戦車ロケットは純ロケットシステムである。燃焼速度の高い火薬を採用しているため、ロケット弾の主動段階は発射筒内に制御され、発射時筒口からの火炎がない。ロケット弾は折り畳み式の刀型尾翼に頼って安定し、飛行時に受ける風の影響がごく小さく、3〜4級の風では直射距離内で射手はいかなる修正もしなくても目標に命中させられる。射撃前包装筒の前後のカバーを開き、前端から発射筒の尾部を挿入し、回転して定位置にすると、即確実に点火回路がつながる。撃発機構はグリップにあり、圧電式装置で、セーフティを解除し、トリガーを引いた時電気パルスが発生し、包装筒内に敷設された回路が点火具まで伝達し、点火薬およびエンジンの中の装薬に点火する。エンジン内のブラシ式装薬の燃焼には十何秒しか必要としない。エンジンは筒内で仕事を終え、ロケットは筒を出た後予定の弾道通りに目標に向かって飛ぶ。射撃後後部筒をひねって外し、次の射撃が行える(頑住吉注:発射筒内で燃焼を終えるのに燃焼に十何秒かかるという点が意味不明ですが)。

性能パラメータから見て、70式ロケットは射程が短く、装甲貫通威力が弱く、もしソ連のT-62戦車の砲塔の装甲が薄弱な側面、後部でも力不足が目立つ。まさにこうであるから、70式62mmロケットは量産後、部隊に大量装備されることはなく、主に輸出に用いられた。その後、我が国は70式ロケットを原型にして1984年にFHG84式ダブルバレル62mm兵個人ロケットの研究開発に成功した。このロケットは主に白燐焼夷弾を配備し、我が軍の化学防護部隊に装備され、化学兵器薬剤を消し去るのに用いられた(大多数の化学兵器は高温の燃焼を経ると分解して毒性を失う)。FHG84式ロケットには煙幕弾と空中炸裂スチールボール弾も配備され、通常作戦に用いられる。70式ロケットが我が国が自ら研究開発を行った歩兵ロケット武器の発端だとするならば、70mm手持ち式対戦車ロケット発射器は、この年代の最も中国の「全民対戦車戦」の特色を持つ兵個人武器である。69式および70式ロケットに比べ、70mm手持ち式対戦車ロケット発射器は戦闘重量がより軽く(1.66kg)、直射距離がより短く(60m)、使用がより簡便である(複雑な照準具を配備しておらず、多数の状況下でおおざっぱな射撃しかできない)。その装甲貫通威力(100mm/65度)はメインバトルタンクに対応するにはいささか困難があるが、軽装甲目標を破壊するには余裕綽々である。当時のソ連の主力歩兵戦闘車BMP-2を含む各種装甲車両は、いずれもこのロケットの一撃を防御できなかった。

(頑住吉注:5ページ目)

79式70mmミニ型対戦車ロケット

79式手持ちロケットは1979年に定型に至り、部隊に少数が装備され、また輸出に供された。この武器には正確な照準具がなく、概略的な照準しかできず、60m以内の軽装甲目標に対し射撃できる。

79式70mm手持ち対戦車ロケットには実戦経験がある。これはかつて対外援助製品とされ、カンボジアの戦場で用いられた。1980年代中期以後、また実戦の需要に基づいて何度もの改良が行われた。この武器は全体重量が1.66kg、発射筒の内径70mm、全長426mm、全体重量0.516kgである。ロケット弾の最大直径は70mm、全長420mm、全体重量1.144kg、初速52m/s、直射距離100m、最大射程250m、垂直装甲版の貫通威力は100mmである。

この対戦車ロケットは使い捨てで、編成を占める武器ではなく、主に近距離の中、小型戦車と各種装甲車両を破壊し、250m以内の火力ポイントや野戦構築物を破壊し、生体戦力を殺傷する。これは一体式発射筒、簡易屈折式光学照準具、殺傷/破甲両用ロケット弾からなる。発射筒には変性ポリカーボネートの射出成形が用いられ、前が大きく後ろが小さく、中間にはテーパー状の移行が採用されている。前筒の外径は70mmで(頑住吉注:いや内径70mmなわけだからそんなはずないでしょう)、上にはフロントサイト、照準具ベース、屈折式光学照準具がある。光学照準具は照準具ベースに挿入され、平時は発射筒上にたたまれており、使用時は起こして反時計方向に45度回転させると、立柱スプリングの作用で自動的にミゾ内にはまって位置決定される。後筒の外径は42mmで、上には撃発機ベースがあり、発射機構が装備できる。雨水、塵芥その他の雑物が発射筒に進入するのを防止するため、平時撃発機構はゴムカバーでふさがれている。筒の前後両端には湿気を防ぐカバーがある。

ロケット弾は弾頭部、安定装置、ロケットエンジンからなる。安定装置は6枚の薄い金属片の尾翼で、ロケットエンジンの尾部に装備され、平時は発射筒内に巻かれて収納されており、発射筒を離れると翼自体の弾性に頼って自ら開き、翼が展開すると直径は112〜116mmである。ロケットエンジンは連結ボルトによって弾頭と一体に連結される。この連結ボルトはロケットエンジンと弾頭の連結部品でもあり、またロケットエンジンの点火機構でもある。このボルトにはさらにプライマー、点火薬カバー、火の逆流を防ぐ板と位置決定ピンが装備される。組み立てられた手持ち式対戦車ロケットはそれぞれの筒に1発の弾を装備し、前後は密封カバーで密封され、発射時は照準具を起こし、撃発機をONにするだけでよい。

79式手持ち式対戦車ロケットは体積が小さい、重量が軽い、携帯に便利であるとの突出した特徴があるが、その欠点も同様に突出しており、それは直射距離が短すぎることに他ならず、このため部隊には装備されていない。

(頑住吉注:6ページ目)

PF89式80mm兵個人対戦車ロケット

月日が流れるにつれ、歴史の時計の針は戦々恐々と1970年代を過ぎた。中ソ国境両側には依然百万の大軍が陣を構えて対峙し、米ソは依然相互に核兵器を用いて相手方を地球上から抹殺すると叫んでいたが、世界の政治情勢には知らず知らずの間にいくつかの微妙な変化が発生していた。中国国内では成功裏に10年持続した文化大革命の動乱が終息し、「大いにやれ、早くやれ、核戦争をやれ」のスローガンは永遠の過去となった。「軍縮」の言葉がどんどん多く中国上層部指導者の口から出るようになった。同時に、中米が正常な外交関係を建立したことが象徴的に示すように、中国と西側の「氷河期」はすでに過去となり、双方の軍事技術交易の封鎖もすでに打破された。こうした変化は中国社会および軍事力建設に重大に影響するのと同時に、軍事工業科研人員の第2世代歩兵用ロケット武器の研究開発過程の中でもある程度体現された。

1980年代に入り、我が国が西側との軍事技術交流の中で最初に導入したのは一定数の対戦車武器だった。これにはフランスの「ガゼル」武装ヘリと共に我が国に輸出された「フルト」対戦車ミサイル(「紅箭」-8系列対戦車ミサイルコピー生産の原型)、イギリスのL7型105mmライフル戦車砲などが含まれた。こうした武器の技術の消化と吸収を通じて、国産新世代大型対戦車武器の性能は大幅に向上し、種類もまた多様化した。これにかんがみれば、我が軍の歩兵分隊はすでに継続して主力の対戦車任務を担う必要はない。また、大幅軍縮後、我が軍の歩兵分隊はこれまでに比べより良い多任務適応性を持つべきであるが、対戦車チームが2人の編成を占めることは、明らかに一定程度上歩兵分隊の火力密度を弱めていた。以上の種々のいずれもが新世代歩兵用ロケット武器の誕生を切迫して促した。1980年代中期から始まり、我が国の軍事工業科研人員は国産第二世代歩兵ロケット武器の研究開発に着手した。この歩兵用ロケット武器は国外の先進技術と70式ロケットの成熟した経験を吸収し、1989年にスムーズに定型に至り、PF89式兵個人対戦車ロケットと命名された。

PF89系列兵個人ロケットランチャーは使い捨ての携帯式対戦車ロケット発射システムで、このシステムは最初1984年に研究開発が開始され、1989年に設計定型に至り、1993年に生産定型に至り、かつ量産が開始されて部隊に装備された。第1のタイプは「PF89式兵個人対戦車ロケット」として定型に至り、コードナンバーは「PF89-80-1」で、「80単兵」と俗称される。この武器は編成を占めず、付加装備として歩兵に支給され、もって歩兵の対戦車火力密度および対戦車作戦能力を強化する。PF89対戦車ロケット研究開発成功後ほどなく、またこれを基礎に多用途ロケット弾の研究開発に成功し、新タイプとなって「PF89A式80mm兵個人多用途ロケット」と呼ばれた。最近また研究開発されて装甲貫通深度が向上した「PF89式兵個人ロケット1型破甲弾」となった。

(頑住吉注:7ページ目)

PF97式93mm雲爆ロケット

PF89式ロケットランチャーの研究開発成功は我が国の第2世代歩兵用ロケット武器の歴史の舞台への登場の幕を開けた。歩兵分隊の堅固な陣地攻撃の火力を増強するため、また1種の新型歩兵ロケット武器であるPF97式93mm雲爆弾ロケットが誕生した。以前のPF89式ロケットのその地で生まれその地で育った中国の特色と比べ、PF97式ロケットは充足したロシアの風情が充満し、そのコピー生産の原型はソ連のPRO-A式93mm雲爆弾ロケットである。

いわゆる雲爆弾は、空気燃料弾とも言い、その爆発の作用原理はその他の弾頭とは異なる。雲爆のメイン装薬は雲爆剤であって炸薬ではない。一定の起爆条件下で雲爆剤はまき散らされ、空気と混合して激烈な爆発を発生させ、雲霧爆轟と呼ばれる。雲霧爆轟の目標に対する破壊作用は主に爆轟が生む超高圧と温度場効果、および高温、高圧の爆轟の産物である浸食作用に頼る。雲霧爆轟は周囲の酸素を消耗するため、密閉空間内で人員の酸欠による窒息をもたらし、爆轟波は壁の間で反射して重なり、その超圧値は広い空間よりはるかに高くなり、このため雲爆弾の殺傷作用は密閉空間内で効果がより大きく、特に家屋建築物と掩体内の生体目標に適用される。

PF97式93mm兵個人雲爆ロケットは包装/発射筒、エンジン、弾丸、照準具、コンビネーションスリングベルトなどからなる。包装/発射筒は武器の外部包装でもあり、また撃発・発射装置でもある。筒本体は強化プラスチックで作られ、筒本体上には撃発機、セーフティ、グリップ、照準具、コンビネーションスリングベルト、点火器などが装備される。照準具および包装/発射筒は使い捨てである。

筆者の見たところ、PF97式ロケットの知名度は決して高くなく、映画やテレビに登場する率もごく少ないが、その出現は我が国の歩兵ロケット武器発展の大事件となるに足りる。作戦目的から見て、PF97式ロケットは我が国初の、最初から非装甲目標に照準を合わせて研究開発された歩兵用ロケット武器であり、我が国の歩兵ロケット武器が対戦車をメインとする固定観念の束縛から脱し、多用途、汎用化に向けて発展していることを示す。山地や都市など空間的に制限を受ける環境の中で、PF97式ロケットはちょうどよく雲爆弾の超強力な爆轟による殺傷力を発揮でき、特に対テロ作戦に適する。

我が軍のPF97式93mm兵個人雲爆ロケットはコピー生産された雲爆武器で、1996年にロシアの「カシミール-2」兵個人雲爆弾技術に対し国産化研究開発を行い、2000年に定型に至った。採用される材料および技術は全て国産化を実現しており、性能は完全に「カシミール-2」のレベルに到達し、しかもいくつかの技術指標は「カシミール-2」の指標要求を超えている。

(頑住吉注:8ページ目)

PF98式120mm対戦車ロケット

PF98式120mm対戦車ロケットは我が国が自主的に研究開発した新型対戦車武器であり、ひとたび出現するや各方面の重視を受けた。現在この武器はすでに部隊に配備され、その強大な装甲貫通威力と完備された火力コントロールシステムをもって中国の重火器の中で重要な地位を占めている。

「20年1振りの剣を磨く」の言葉を用いてPF98式120mm対戦車ロケットを形容したとしても恐らく決してオーバーではない。国外で100mmより大きい口径の大型対戦車ロケットの研究開発が始まったのは1980年代初めで、当時フランスが一連の大口径対戦車ロケットを登場させたが、大部分は重量超過などのために就役できなかった。この後、スウェーデンも1991年にAT-12T型120mm対戦車ロケットを登場させた。実は我が国が大口径大型対戦車ロケットの研究開発を展開したのは国外に比べ決して遅くなかったのだが、重量超過、射程、装甲貫通威力など技術問題での抵抗がすこぶる多く、1990年代に入ってからやっと正式に研究開発プロジェクトが立ち上げられたのである。

PF98式120mmロケットの技術的起点は高く、総合性能は優良で、設計上多くの新理論、新技術、新工程が採用されている。複合材料が使用され、武器の重量が非常に大きく軽減され、技術含有量の高い火力コントロールシステムは有効射程と反応速度を向上させている。タンデム弾頭技術が採用され、反応装甲を装備したNATOの大型三層ターゲットを有効に打ち抜くことができる。その総合性能は我が軍の現役装備の69式40mmロケットランチャーや89式兵個人ロケットランチャーをはるかに超え、ロシアのRPG-27式、ドイツの「パンツァーファウスト」系列、スウェーデンの「カールグスタフ」M3などのロケットもこれと同等に優れてはいない。その優良な性能は主に次のところに表れている。威力が大きく、装甲貫通厚度は800mmに達し得、有効に現代のメインバトルタンクを破壊できる。火力コントロールシステムが完備し、多種の天候の作戦に適応できる。有効射程が長く、800mに達する(破甲弾)。機動が敏捷で、操作が便利で、1人によって操作できるし、2人によって操作使用することもできる。性能が信頼でき、筒本体の前後に保護シールドが装備され、射手が火傷を免れるよう保護し、閉鎖機構には閉鎖挿入ピンがあり、大仰角射撃時にロケット弾が後ろに滑ることが防止できる。

PF98の発射システムは発射筒と発射架からなり、中隊用と大隊用の2種に分かれ、発射筒の寿命は200発を超える。中空の発射筒には薄い金属のライナーが採用され、ガラス繊維複合材料で包んで作られ、強度が高いだけでなく、有効に武器の重量を軽減している。さらに発射筒を反復使用できるようにさせ、資源の消耗を低下させている。大隊用対戦車ロケットランチャーにはさらに性能が先進的な簡易火力コントロールシステムが配備され、非常に大きく射撃反応速度を向上させている。したがって目標発見から発射完了まで10秒以内で即完成できる。2種の発射器は破甲弾と多用途ロケット弾を共用する。

発射時、後部筒が付属した破甲ロケット弾あるいは多用途弾を発射筒に入れ、閉鎖装置でこれをロックすると発火回路が自動的につながり、射手は目標照準後即撃発できる。撃発時、点火器が電流を発生させ、点火器に点火され、したがってロケットエンジンに点火される。火薬ガスの圧力が充分に大きくなった時、ロケット弾固定ピンが断ち切られ、ロケット弾は飛び出し始める。後ろの筒を取り外した後、即再度装填、発射できる。

前述のように、我が国の対戦車武器の威力は大幅に向上し、我が軍の歩兵分隊はすでに主力の対戦車任務を担う必要はない。こうである以上、我が国は何故さらにPF98といった種の大型歩兵対戦車武器を研究開発、装備する必要があるのだろうか? 実は、このロケット武器が分隊ではなく大隊と中隊に装備されることに注意しさえすれば、答えは自然に分かるのである。まず、PF98が中隊に支給されれば一部の65式82mm無反動砲に取って代わり、全中隊に2,000m以内の強大な堅固な陣地を攻撃する火力を提供することができ、かつ300m(中隊用82mm無反動砲の最大射程)〜2,000mまでの支援火力の空白を埋めることができる。次にPF98は大隊級の編成内では一部の「紅箭」-73対戦車ミサイルに取って代わることができる。M1A1、「レオパルド」2など国外の第3世代メインバトルタンクの全面就役と共に、「紅箭」-73を主力とする我が軍の大隊級歩兵対戦車火力は実際上すでに非常に大きく弱められている。「紅箭」-73の不断の改良にもかかわらず、その装甲貫通威力は国外の第3世代メインバトルタンクの正面装甲を貫通するには依然相当骨が折れる。このため、専門に第3世代メインバトルタンクに照準を合わせて設計されたPF98式ロケットは都合良く「紅箭」-73ミサイルの「黄金のパートナー」となるのである。

筆者の推測によれば、将来我が軍の歩兵大隊の対戦車作戦は以下の方式を採用する可能性がある。800〜3,000m内では「紅箭」-73をもって敵サイドのメインバトルタンクの後部、側面など薄弱な所を打撃する。800m以内に進入したら、PF98式ロケットランチャーが敵メインバトルタンクを迎撃する。当然、もしPF98と「紅箭」-8/9などより先進的な対戦車ミサイルがコンビネーションして作戦を行う、あるいは各タイプの装甲戦闘車両上に配備されたら、その威力はさらに一歩増強されることになる。また、武器装備体系から見て、PF98式120mmロケットランチャーの就役は我が軍の国外第3世代メインバトルタンクに照準を合わせた新世代の火力網を日増しに完備したものにさせる。すなわち、中距離(4,000〜5,000m)では「「紅箭」-8/9対戦車ミサイル、中距離(2,000m)では89式120mm自走対戦車砲、近距離(800m)ではPF98式120mmロケット、というものである。

PF98出現後、我が国の第2世代歩兵ロケット武器の陣容はすでに基本的に完備され、69式に代表される第1世代ロケット武器は徐々に装備から外されつつある。マイクロエレクトロニクス技術、夜視技術、廉価な弾薬の制御誘導技術の成熟と共に、我が国の第3世代歩兵ロケット式武器が全面的にマイクロコンピュータ火力コントロール化、全天候化、簡易制御誘導化を全面的に実現し、甚だしきに至ってはミサイルと結合して一種の新型歩兵ロケット武器体系を形成する可能性が高い、ということが予見できる。その時、歩兵ロケット武器というこの「兵士の手中の大砲」は新たな飛躍を生み、我が軍が現代の条件下での高度技術局地戦争に勝利するために強く有力な物質的基礎を提供することになる。


 「雲爆」はいわゆる燃料気化爆弾だと思いますが、このサイズで果たしてどの程度の威力があるのか、西側では少なくとも広く普及はしていないようなので非常に気になります。




















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