サベージネービーリボルバー

 「Visier」2005年4月号に、きわめて特殊なメカを持つ南北戦争当時の銃、サベージネービーリボルバーに関する記事が掲載されていました。この銃は日本では全然無名なので、まずどういう銃か見ていただいた方がいいと思います。

http://coolgunsite.com/pistols/savage1861/usarevpage_savage.htm

http://www.sharpsburg-arsenal.com/Revolvers/Savage_Navy_/savage_navy_.html 

http://armscollectors.com/mgs/savage_north.htm

 意外にもアメリカではある程度有名な銃のようで、ネット上には「Visier」の記事とも合わせるとモデルアップが可能なくらいの情報量があります。まあ日本における日野式のように、あくまで珍銃として有名なんでしょうが。

 トリガーの他にレバーがありますが、この先端のリングに中指を入れて保持します。まず中指でこのレバーを後退させるとシリンダーが回転すると同時にハンマーがコックされます。レバーを戻し、続いてトリガーを引くとハンマーが倒れて発射します。ハンマーを親指で起こすSAリボルバーより速射でき、DAリボルバーより命中精度が高いというのがセールスポイントだったと思われます。


Fingerarbeit(頑住吉注:「指の作業」といったところでしょうか。ご存じの方も多いでしょうがドイツ語のarbeitは日本語化した「アルバイト」とは違い仕事全般を指しますが、「骨折り」といった意味もあり、この場合指が疲れるような大変な操作を強いられる銃、といったニュアンスもあるのかも知れません)

サミュエル コルトは今日まで使われているパーカッションリボルバーのものさしを設定した。だが、コレクターのみでなく、他の構造に熱中した人もいた。


のKasselの銃器市場において、訪問者たちはある良好に維持されたSavage-Northリボルバーに感嘆することができた。そのブルーイングと傷ひとつないグリップは、すぐにその回転ピストルがレプリカであることを明らかにした。だが、この品は全くの新品ではないと現場でJacobi社はカウンター越しに語った。すなわち、25年前にある1個人がこのレバーアクション銃を苦労して作ったのである。…純粋に南北戦争の銃に向けた情熱から。

 だが、人々はそのようなレプリカを決してシューティングレンジで見たことはなかった。というのは、その歴史をはらんだ銃を模造したメーカーはなかったからである。オリジナルもまたレアである。南北戦争にもかかわらず、コネチカット州Middletownの「Savage Rovolving Fire-Arms Company」は当時、大きな儲けを得ることができなかった。これは構造と関係がある。しかし今日、このSavage-Northモデルはコレクター界において間違いなく成功している(頑住吉注:このモデルは複数ですからこの個人による手作りの一点物レプリカではなくオリジナルを指しています。要するにレアであるがゆえに多くのコレクターが欲しがる、という程度の意味だと思います)。

Ugly Duck
 つまり醜いアヒルと、多くの専門家はこのSavage Navyとも言う.36口径リボルバーを呼ぶ。だが、オリジナルは安いものではない。例えばアメリカの会社Sharpsburg Arsenal(頑住吉注: http://www.sharpsburg-arsenal.com/Revolvers/revolvers.html ちなみに冒頭に挙げたページのうち2番目はこの会社によるこの銃の紹介ページです)は初期の、良好に維持されたシリアルナンバー110を持つモデルの代価に4295ドル要求している。この値段は1863系Starr Arms SA Armyリボルバー(頑住吉注: http://armscollectors.com/mgs/starr_revolvers_week_3.htm )、またはWhitney Navyリボルバー(頑住吉注: http://www.jlkstamps.com/guns/whitney.htm )でも覚悟しなくてはならない。しかしこれはずっと大きいシリアルナンバーにおいてである。価値はもちろんコンディションだけに依存するわけではなく、それとともに軍事的影響度や技術的重要性も価格に反映する。そしてこの点ではSavage-North構造はなにがしかの貢献をしているのである(頑住吉注:どうもこの部分、前半では高いと言い、後半では相対的に安いと言い、それをつなぐ言葉が見当たらず変です。まあ、高価ではあるが、シリアルナンバーの若い個体でのことだし、例に挙げた他のリボルバーは軍事的、技術的にたいした意味がなく、シリアルナンバーが大きくても同じような値段だからサベージネービーは異常に高いわけではない、といった意味でいいんだろうと思います)。

全てはグリップの中
 1856年、Henry NorthはUSパテントナンバー15144の中で、「膝関節」機構の使用を保護されることができた。これは、これを使ってリボルバーのシリンダーを縦方向の回転経過の中で動かすことを可能にするものだった(頑住吉注、こう書くとわけが分かりませんが、要するに機関部内に膝関節状のジョイント、要するにトグルジョイントに近いものがあり、これに連動してシリンダーを回すというだけのことです。で、ここでは触れられていませんが、このジョイントは指で動かすレバーと連動して動き、さらにこのジョイントとシリンダーハンドが連動しているわけです。後端を支点に前端が上下動するほぼ水平に設置されたシリンダーハンドは、イーサン・アレンのペッパーボックスのそれとよく似ています)。Northは彼のリボルバーを前後動するシリンダーによってガスシールされるように作った。メインスプリング前に配置された、フレームにネジ止めされた板バネが、シリンダーを回転後にバレルに向かって押した。トリガー後方のリング状レバーがシリンダーを回し、同時にハンマーをコックした。コック作業は銃を握る手の中指に委ねられた。

 ワシントンの兵器廠では、このSavage Navyのさきがけであるモデル「フィギュア8」が非常に評判になった(頑住吉注:この銃は手持ちの資料には写真があるんですが、ネット上には見つかりませんでした。)。この名前は、この6連発回転ピストルのトリガーとコッキングレバーが8の字を形作っていたことからつけられた。新兵器のテストを担当していたBell少佐は非常に高い評価を与えた。「この銃が製造され、そしてそれによってその構造が完璧になった時は、その後のテストは確実にこれがベストのリボルバーであるということを示すだろう」。すでに1857年、国防省は100挺のフィギュア8リボルバーを注文し、そして1年後海軍も300挺を注文した。1859年8月以後、独自に設立したSavage Revolving Fire-Armsが、重役Edward Savageの指揮下で生産を引き継いだ。

 1859年1月18日、そして1860年5月15日、2つのさらなるパテントがこの発明を保護した。「弾丸プレス」(頑住吉注:英語ではラムロッドと呼ばれる、シリンダー前面からテコの原理を使って弾丸を圧入する部品です)の変更を除き、内部構造はそのままだった。だが、外的には2つの目立つ改良があった。すなわち、フィギュア8に続くSavage Navyモデルでは、大きなグリップ後部のスパーが小さなふくらみに小型化されていた。その上、Savage Navyモデルでは、このバージョンを特徴づける巨大なトリガーガードが加わっていた。

ベストのリボルバー?
 新しい会社、革新的な、パテントで保護された製品、高評価のテストレポート、そして戦争。何故約2万より多くないSavage Navyリボルバーしか生じなかったのかが疑問である。というのは、サミュエル コルトのモデルと比較して、このレバーアクション銃には小さな光しか当たらなかったからである。このリボルバー部門の世界チャンピオンは、その最も成功したモデル1860アーミー(頑住吉注: http://www.coolgunsite.com/pistols/colt1860/usarevpage_m1860.htm )を10倍以上も販売した。そしてライバルのレミントンは北部諸州において、そのM1863(頑住吉注: http://www.sharpsburg-arsenal.com/Revolvers/Remington_Army_H_/remington_army_h_.html )を13万挺弱売りさばいた。膝関節とコッキングレバーを伴うアイデアはそんなに良くなかったのだろうか?

 ともかくこのパーカッションリボルバーが操作において少なくとも慣れを必要とすることが示された。というのは、中指はコッキング後の射撃時コッキングレバーに留まり、2本の指だけがグリップを握った。フィギュア8モデルのグリップ後部のスパーは明らかに充分な安定性をもたらさなかった。後継者のSavage Navyでは、トリガーガード下に位置する小指で支えることを期待していたという。だが、7と1/8インチバレルつきSavageモデルM1860は、約1530gの重量があった。コッキングレバーに追加の指を沿えての速射は不可能だった。連発操作時、銃はターゲットをそれた。中指が強い力を費やさねばならなかったからである。この責任はシリンダー軸に巻かれていたスプリングにあった。このスプリングは、さらなる回転の前にシリンダーをバレルから遠ざけるものだった。回転後、膝関節がシリンダーを再びバレルに向けて押した。これにより(頑住吉注:膝関節を介してシリンダーを前に押す)板バネはシリンダー軸に巻かれたスプリングより大きな力を必要とすることになった。そして中指は各コッキング経過においてこれを克服しなければならなかった。

 だが、この痙攣を起こしそうな指の作業(頑住吉注:タイトルの言葉です)は当時テスト者を不快にさせなかった。すでにフィギュア8モデルのテスト時、ワシントンの海軍造船所の指揮官John A.Dahlgren将軍はこれに関し、単にドライにメモしていた。「職務経験を通じてできるだけよく確認することが可能である」(頑住吉注:いまいちよく分かりません。慣れれば問題ない、程度の意味でしょうか)。ボストンの海軍造船所にいた「軍備のためのアシスタントディレクター」(頑住吉注:無理に直訳しましたが、どういうポストなのかよく分かりません)ToreeもSavage Navyのこのバージョンを「非常に高性能」と評価した。しかしDahlgren将軍は後にこれとは異なる欠陥を聞かされねばならなかった。すなわち、タイミングの悪いコッキングはシリンダーをオーバーランさせたのである。ハンマーはパーカッションキャップの横を打撃し、永続する損傷を受けた。結果としてニューヨークの海軍造船所は1863年11月、すでに228挺の使用不能なサベージリボルバーを帳簿に記帳していた。

自己負担で
 アメリカ合衆国(頑住吉注:北部の)政府は南北戦争開始に際してそのようなデリケートさにかまっていられなかった。銃器の需要は莫大だった。海軍だけでなく、陸軍も注文を行った。サベージリボルバーは戦争中イリノイ、カンサス、ケンタッキー、ミズーリ、ニューヨーク、オハイオ、ペンシルバニア、ウィスコンシン、バーモント各州の騎兵連隊によって使用された。同様に1861年、マサチューセッツ州が285挺を購入した。

 だが、サベージによる販売においては中指による連発操作以上に支障があった。会社内での権限の混乱、そして納入トラブルが販売数を圧迫したのである。同社はサベージリボルバーを直接海軍および陸軍に販売しただけでなく、銃器商を通じても販売した。そしてこれが時折トラブルを引き起こした。Edward Savageは1861年9月、兵器廠のJames Ripley将軍から1挺あたり20ドルで5千挺のリボルバーの注文を得ることに成功した。しかしサベージは知らなかった。たった4日前、彼の会社は銃器商Thomas Dyerに1挺あたり2ドル高い価格で兵器廠にリボルバーを販売する約束をさせていたのである。サベージはそれを聞いたとき、こちらも同じ額にするよう望んだ。だが彼は社の財務チーフJames Wheelockから、すでに金を受け取っていることを聞かされた。そのため両者の差額は改善されなかった。

 少なくとも納期は30日遅れていた。このためRipley将軍は注文をキャンセルさせた。そして5日後、将軍はDyerと契約を結んだ。…5千挺以上のリボルバー購入の。この際Ripley将軍はサベージネービーを良い銃とは見なしていなかった。彼の意見はこうだった。「緊急事態向けのみのことである」。遅れた供給の後で、兵器廠はさらなる5千挺の注文の破棄を通告し、値下げ価格の19ドルで再び話しに乗った。社は金を失った。

価値の崩壊
 部隊に届いた銃は、あらゆる欠点にもかかわらず真価を示した。北軍の騎兵だけでなく、南軍もこのレバーアクション銃の勝利を賞賛した。シャープス、Merill、スミスカービンとSavage−Northリボルバーで武装した第7バージニア騎兵隊は(頑住吉注:バージニア州は南軍に属しました)、1863年、独立記念日の前日に北軍第6騎兵隊を打ち負かした(頑住吉注:うーん、当時の騎兵隊ですから比較的ハンドガンの重要性は高かったでしょうが、別にこの銃のおかげで勝てたわけではないでしょう)。第11テキサス大隊(頑住吉注:もちろんテキサスも南軍です)と第34、35バージニア大隊もサベージリボルバーを携行した。

 それでも終戦後、価値は下落した。兵士たちは8ドル払えばサベージリボルバーを家に持って帰ることが許された。1866年(頑住吉注:南北戦争終戦は1865年4月です)この銃は早くもたった1ドル50セントの値段になり、1875年には投売り価格の35〜58セントになった(頑住吉注:コルトSAA登場の2年後ですからそりゃこうでもしないと売れませんわな)。要するにサクセスストーリーではない。サベージは穴埋め役だったのである。

マーケットの隙間
 これはおそらく技術的観点から見てもあてはまる。設計の際Henry Northは何か解決策を見出す必要があった。ライバルのコルトは他人が彼のパテントを侵害したとき不快になった。彼は司法上の追訴をもって威嚇し、盗作品を「恐るべき駄作」と罵倒した。「銃の前より後ろにいる人を殺す」のにむしろ向いているというのである。コルトのパテントは1857年になって初めて失効した。そしてリボルバーを特徴づけていた、保護されたほとんど全ても。すなわちシリンダー後端にあるパーカッションキャップ(頑住吉注:パーカッションキャップがチャンバーの軸線を延長した後方にあるコルトのシステムは最も不発率が低かったのですが、パテントで保護されていたため、アレンのペッパーボックスも、このサベージリボルバーも、シリンダー周囲に設置していました)、トリガーとハンマーを結ぶバーも、シリンダーのロック、および回転のシステムも、シリンダー軸も、弾丸プレスも…(頑住吉注:何が言いたいのかいまいち分かりにくいです。サベージリボルバーの量産開始はコルトのパテントが切れた後ですから。たぶん開発時にはコルトのパテントが有効で、こういう苦しい逃げ方をする必要があったのだが、間もなくパテントは失効し、この銃は最初から一時の中継ぎ以上のものではありえない存在となった、というようなことでしょうか)。

  アメリカで当時リボルバーに関するパテントを申請したいと考える人は、何らかの相当にラジカルな新しさを必要とした。だが、コルトは特殊なコッキングレバーによって作動する、ガスシールリボルバーのパテントは持っていなかった。これに関し、リング状のレバーは全く新しいものではなかった。これはすでにボルカニックピストルにあった。

 現代のブラックパウダーシューターの中指がこの操作を行うことはありそうもない。(頑住吉注:1個人が趣味で1挺だけ手作りしたこの)レプリカは今後も例外に留まるのではないか。だが、サベージネービーの模造品は楽しみは保証する。1趣味人はこの模造された1点物に3ヶ月を要した。ちなみにこの銃はオリジナルおよびパテント図なしに作られた。趣味の工作家は寸法の記述のないイラストから個々のパーツを再設計した。情熱と創造性の限りを尽くし…(頑住吉注:プラ板やパテで作る頑住吉のガレージキットとは訳が違いますからこれは凄いですね)。

NorthからSavageへ(囲み記事)
 Henry S.NorthとEdward Savageが彼らのリボルバーの製造を始めたとき、彼らは裕福な境遇になることができた(頑住吉注:他では会社はさほど大きく儲からなかったと書いていますが、まあ決定的に矛盾はしないのでいいとしましょう)。すでに祖父のSimeon Northは、資金提供者であるJosiah Savageと「S.North Middletown Ct」を共同経営していた。公の注文が事業に活気を与えていた。すなわち、アメリカ政府は1799年から1828年までの間に5万挺のピストルをMiddletownに注文した。父の死後Edwardはこの会社への参与を引き継ぎ、この企業はこのとき「North&Savage」の商号を名乗ることになった。1852年、Simeon Northも死に、参与は息子のJamesに引き継がれた。Henry Northは社内で働いていたが、出資者ではなかった。彼はChauncy Skinnerとともに1852年型リボルバー銃のパテントを取得し、これが最初のフィギュア8パテントの元となった。1859年、同社は組織改変を行い、以後「Savage Revolving Fire−Arms Company」、略称「Savage R.F.A。Co.Middletown C.T.」と呼ばれた。ニューヨーク州Uticaの「Savage Repeating Arms Co.」と混同しないように(頑住吉注:後者はコルトガバメント採用時のライバル機種を作り、また現在も存続して前回の「.223ボルトアクションライフル比較テスト」で紹介された「12FVSS」を製造している会社で、設立は1894年です。両者は全く無関係だということです。)。R.F.A.はその名前にもかかわらず、リボルバー、そしてリボルビングライフルをも製造しただけでなく、5万2千挺以上のM1861スプリングフィールドライフルを製造した。同社は真の戦争の勝者ではなかった。1865年、同社は銃器製造を停止した。


 この銃の、「全てのメカが終わったその先にシリンダーがある」レイアウトは、どちらかというとシリンダー下にもメカが配置されている通常のリボルバーのそれより、むしろペッパーボックスに似ています。注釈で触れたようにメカも一部似ています。

 私はこれまで、この銃のシステムはコルトのパテントを避けるためだけのものかと思っていましたが、これを読んでどうもそれだけではなさそうだと思いました。何しろコルトのパテントが失効したのは1857年、この銃の原型が生まれたのは1856年、この銃が本格的に量産されたのは当然パテント失効後になっているからです。パテントが有効なうちでも、それに抵触する製品の設計、生産準備はできるはずで、このタイミングならわざわざまもなく訪れるパテント失効後に価値が下がってしまうと分かっている銃を開発はしないでしょう。最初の発想はパテントを避けるためのものだったかも知れませんが、その後、「これはコルトリボルバーより優れたものだ」、少なくとも「これはパテント失効後にも充分コルトリボルバーと競えるものだ」、という考えになったはずです。

 この銃の、発射自体はSAで行われるが、DAのような素早いコッキングを可能とする特殊なアイデアを盛り込み、その操作を銃を握った手のトリガーフィンガー以外の指に委ねるという性格、一時は一部の専門家にこれぞ理想のシステムと賞賛され、公用にも使用されたが、結局広く受け入れられることはなく一時の人気で終わったという境遇は、何だかH&K P7に似ていないでしょうか。個人的にはどちらも高いストレス下で生身の人間が使うにはやや無理のあるシステムのように思います。

 













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