火炎放射器(頑住吉注:「Flammenwerfer」の「Werfer」はグレネードランチャーや迫撃砲にも使われる「投射器」といった意味の単語です。 http://www.lexikon-der-wehrmacht.de/Waffen/flammenwerfer.htm )

 1934年に採用された火炎放射器34は36kgの重量を持つ、兵1人で運用するための兵器だった。両方の容器内に11.8リットルの炎オイルナンバー19と圧縮窒素ガスが入れられ、携行された。この火炎放射器は1941年まで製造された。

 火炎放射器34は、もはや21.8kgの重さしか持たない火炎放射器40小型によって交換された。しかしこの重量節約は炎オイルストックの7.5リットルへの削減という代償を払って購われたものだった。その上両容器はリング状に互いの中に配置されているだけだった。

 次の発展開発品は22kgの重量を持つ重火炎放射器41だった。オイルストックは7リットルで、圧力手段としては水素が使われた。しかしこの器具は東前線の寒い地域では非常に故障を起こしやすく、このため改良されたスチール弾薬つき火炎放射器41によって交換された。この重量18kgの器具は追加的に10個の点火弾薬を伴うマガジン1個を持っていた。この場合も炎オイルストックは7リットルで、射程は30mだった。これはナチ・ドイツの制式火炎放射器となったが、輸出もされたし、あるいは警察や消防隊のような文民の官庁に譲り渡された(頑住吉注:ええっ? 火炎放射器を持った消防隊なんて「人蛇大戦・蛇」の中だけじゃないの? と思ったんですが…)。後者は火炎放射器を、重爆撃後に死体を焼却するために使用した。

 火炎放射器43は火炎放射器41の改良型として意図され、いまや9リットルの炎オイルを持ったが、24kgと非常に重かった。射程は40mだった。

 これに対し火炎放射器44はいまや14kgしかなく、ただし炎オイルストックは4リットルに圧縮されていた。射程は28mだった。

 防御火炎放射器42は固定して設置された兵器だった。タンクは30リットルの炎オイルを含み、これは火炎放射3秒、射程50mのために充分なものだった。この火炎放射器は自軍の前線の前に埋められ、「つまづくワイヤー」あるいは「引くワイヤー」によって作動した。

 突撃火炎放射器46は1944年10月からの遅い時期の開発品だった。これは突撃部隊および空挺部隊用に特別に開発されたものだった。この火炎放射器は長さ600mm、直径70mm、重量3.6kgだった。0.5秒持続する火炎放射は射程30mを持っていた。

 要塞火炎放射器は炎オイルストック50uを持ち(頑住吉注:リットルの間違いでしょう)、射程は50mだった。

 この他SS独自の開発品があったが、これはサンプルしか製造されなかった。

 1945年4月1日までの最重要の放射器の生産量は次の通りである。

1941 1942 1943 1944 1945
火炎放射器41 - 2764 11480 44280 5760
防御火炎放射器 - 19890 27869 4162 -
火炎放射器46 - - - 11500 19200

 火炎放射器34のタンクの配置の説明はこれではよく分かりませんが、他の資料によれば浮き輪のようなドーナッツ型のタンクの穴の中に小さなドーナッツ型のタンクがある形だそうです。

 防御火炎放射器というのは「エイリアン2」のセントリー(歩哨)ガンの最も原始的なものとでも言いますか(余計分かりにくい?)、要するにワイヤーを張っておいて敵がそれに引っかかると炎を放射してそのあたりを焼き尽くすという一種のトラップですな。

 突撃火炎放射器というのはパイプ状の携帯しやすい簡易火炎放射器で、パンツァーファウストの火炎放射器版みたいなものだったらしいんですが、残念ながら画像は見つかりませんでした。

 ドイツ軍の火炎放射器に関してはこんなページが見つかりました。

http://www.waffenhq.de/infanterie/flammenwerfer41.html

http://www.wwiirelics.com/weapons3.htm

 前者は http://www.waffenhq.de/index1024.html ここがトップページですが、このサイトには非常に興味深い兵器の解説ページがたくさんあり、そのうちここの内容も紹介したいと思います。











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