ドイツにおける軍用アルミ製薬莢の研究

 「DWJ」2004年8月号に、過去においてドイツで試みられた軍用アルミ製薬莢に関する記事が掲載されていました。


ドイツの弾薬薬莢を軽金属製とする試み

フライ級

すでにカイゼルの(頑住吉注:帝政)時代から、兵士の弾薬ストックを軽金属製薬莢によって約30%増大することが望まれていた。しかしそれが野戦で使用可能になるまでにそれから50年かかった。それはもはや実戦投入されていない。

 火器の採用以来、個々の射手の火力を高める軍の努力が価値を持った。このため、まず最初に前装銃から後装銃への発展が導かれ、ついでセミ、フルオート連発銃への改良が行われた(頑住吉注:ドイツ人らしくもないえらくおおざっぱな記述ですが、本筋とは直接関係ないんでいいことにしましょう)。だが、世代を重ねるごとに上昇する弾薬消費は、射手が携行する弾薬の重量によって制限を受けた。この結果として軽くて携行しやすい弾薬が試みられた。そのコンベンショナルな方法は、ありふれた口径あるいは薬莢長の削減であった。当然最適なのは薬莢の完全な放棄(最近初めて具体化したケースレスカートリッジ)、またはそれを特別に軽量な金属で作ることであった。この方向性における最初の試みは、マグデブルグのポルテ社が、当時まだ産業に使用可能となってさほど間がなかったアルミニウムを使って1896年に実施した(頑住吉注:初の本格アサルトライフル弾薬である7.92mmx33を開発したのも、初の対戦車ライフル弾薬である13mmx92を開発したのもポルテ社です)。この試みでは、スチールの底部分とアルミニウムの前部を持つ2ピース弾薬88を得たに過ぎなかった。ポルテ社はこれによりほぼ10gの重量削減を達成した。だが両部分の結合は、すでに存在した2ピース弾薬M. 71 2 A/C同様、非常に信頼性が高いとは言えなかった。
 ついで、19世紀から20世紀に移る頃、弾薬産業によりベルリンに弾薬の科学-技術的研究のためのセンターが設立され、アルミニウム薬莢の実現性が綿密に検討された。彼らはこの枠組みの中で、射撃後に薬莢を銃から引き出せることを保証するための充分な強靭さが証明された合金であるジュラルミンを開発した。ほぼ同時期にこの素材はイギリスでも開発された。
 だが、まず最初に分かちがたい問題が明らかになった。それは火薬に残された湿気によって真鍮製プライマーと薬莢のアルミニウムの間に生じる腐食であり、そして薬莢表面の酸化傾向だった。数年以上の在庫テストは、薬莢が完全に崩壊する可能性を示した。射撃時にはしばしばプライマー領域から後方が焼け切れる現象も起こった。これにより射手は危険にさらされ、銃は破壊され、そして薬莢切れや「底部もぎ取れ」も起こった(頑住吉注:前者は薬莢が途中で千切れる現象、後者はリム部が千切れる現象を指すようですが、日本語や英語では特に区別しないことが多いようです)。
 第一次大戦時に生じた戦闘用航空機は、始めはまだ比較的弱いエンジンが装備されており、乗組員と機関銃とならんで制限された弾薬ストックしか搭載できなかった。そこで真鍮薬莢を持つ「S-弾薬」の代替となる、アルミニウム製薬莢を持つ弾薬が提供された。この場合重量削減は30%になった。真鍮薬莢を持つ「S-弾薬」1発の重量は23.85gであり、アルミ薬莢を持つ弾薬は17.85gだった。「sS-弾薬」1発の重量は26.2gであり、アルミ薬莢を持つ弾薬は20.2gだった(頑住吉注:「S-弾薬」、「sS-弾薬」というのは航空機銃弾薬の種類でしょうが具体的内容は不明です)。真鍮薬莢は10gであり、アルミ薬莢は4gだった。前述の困難のため、さらに努力が行われた。
 陸軍兵器省(Heereswaffenamt)は1929年頃、第一次大戦中の銅不足を覚えていたマグデブルグのポルテ社とTreuenbrietzenのKopp社にアルミニウム薬莢、そしてまたスチールまたは真鍮とのコンビネーションの実現性について研究させた。これは高い工具の磨耗を引き起こすスチール薬莢に対し、より簡単に製造できるものでもあった。だが、この試みは都合のよい結果に至らなかった。
 1935年以後の再軍備の進行中にニュールンベルグのRWS社はアルミニウムの問題に取り組んだ。RWSは1939年頃、腐食防止に適した表面コーティングであるEloxierenを見いだした。これはまたアルミ製薬莢と真鍮製プライマーの間の腐食も防ぐものだった。薬莢は500度の熱処理によって焼き入れ(硬化)された。底部の肉厚化は「もぎ取れ」に対抗するよう作用した。火薬スペースの減少に伴う発射薬の2.2g減は性能に本質的な影響は及ぼさなかった。当時のサンプルにはリム部に刻印がないものと、「P151S136」という刻印があるものがある。
 RWSが使用したアルミニウムはHydronaliumと呼ばれた。この開発のたどったその後の運命については知られていない。さらに言及すれば、旧独軍の信号弾薬は1935年頃からアルミニウム薬莢で製造された。
 彼自身陸軍兵器省で働いていたOtto Morawietzは、1973年に「携帯火器と機関銃」の中で、アルミニウム薬莢の「sS-弾薬」(その由来については述べられていない)が1941年に多くの部隊で20万発テストされ、完全に満足な結果を得たとレポートしている。しかし1942年、大量生産着手の直前にこれは全てのアルミニウムを自分のために押さえた航空省によって阻まれた。(頑住吉注:航空機に大量のアルミニウムが必要なことはご存知の通りで、優先順位や他の素材での代替の容易さを考えればまあ妥当だったんではないでしょうか)。
 「sS-弾薬」では、重量削減の値は20%だった。1944年における年間生産50億発の場合3万トンのマテリアルが節約できたことになる。9mmおよび20mm薬莢も成功裏にテストされたとされているが、これらももはや量産には移行しなかった。
 1つのテストシリーズ内でいろいろなリム部刻印が見られる。これらはリム部刻印として12時方向に大文字の「T」、および6時方向におそらくテストシリーズの記号と思われるものが続いており、この点では個々の薬莢は細かいディテールが異なっている。「T」はTroisdorf所在のダイナマイト株式会社の旧独軍コードである可能性がある。当時薬莢製造ではスイスとの結びつきもあったが、Thuner(頑住吉注:スイス、ベルン州の都市)製の可能性は除外される。そこでは薬莢マテリアルとして真鍮とスチールのみが使われていたし、「T」は12時方向にはなかった。
 今日、軍およびスポーツ領域ではいろいろな弾薬が提供されている。そこでは重量削減よりむしろ経済的視点がより大きな役割を演じている。


 ごく一部ながらアルミ製薬莢があるのは知っていましたが、この記事の内容は知らないことばかりでした。

 兵士の携行弾薬を増やすために(理由はそれだけではありませんが)、ナチ・ドイツはそれまでのフルサイズライフル弾薬の口径をそのままに弾丸や薬莢を短くした短小弾薬7.92mmx33を開発しました。現在でも世界的に広く使用されているAK用7.62mmx39はこの流れをくむものです。アメリカはさらに口径も小さくした5.56mmx45を主力としました。そしてこの流れの延長線上にダイナマイトノーベル社らがケースレス弾薬を試作したわけです。
 資料としてよく使用しているドイツの本「H&K」には、1人の兵士が携行できる弾薬の目安が掲載されています。1人の兵士が携行できる重量を7.35kgとした場合、第二次大戦時に主流だったフルサイズ弾薬群より薬莢が短いものの定義的にはフルサイズである7.62mmx51の場合、G3A3と装填した20発、予備マガジン4個の計100発、5.56mmx45の場合、M16A2と装填した30発、予備マガジン7個の計240発、4.73mmケースレス弾薬の場合、G11と銃に搭載した90発、予備クリップ28個の計510発になるということです。
 このように、歴史的に兵士の火力を増大するために弾薬重量の削減が試みられてきたわけですが、過去においてドイツで試みられたアルミ製薬莢もこうした意図だったということです。

 ジュラルミンという素材が薬莢用に(これも理由はそれだけではないようですが)開発されたものだというのも意外でしたし、第一次大戦時にまだ搭載能力が貧弱だった航空機用にアルミ薬莢が試みられたというのも全く知りませんでした。

 アルミ薬莢には弾薬重量を削減できるという大きなメリットがある反面、腐食や発射時の破損が生じやすいという大きな問題点もあったわけです。特に発生すると分解して専用工具で除去するまで銃が全く使用不能になってしまう薬莢切れ事故は、戦闘中に起こると致命的です。こうした問題点を解決しようとコーティングや熱処理などを行えばコストが上がって生産性が落ちますし、特に弱い底部の肉を厚くして補強すれば当然重量削減の幅が小さくなり、また充填できる発射薬が減少してしまいます。また、ここでは触れられていませんが、外力によって薬莢が変形しやすく、銃の作動不良につながりやすいという問題もあったのではないでしょうか。

 この記事によれば実用上の問題点は第二次大戦当時すでに解決されていたということです。ただ、おそらく主に底部の補強のためでしょうが、第一次大戦時に試みられたものは30パーセントの重量削減に成功していたのに対し、20%になってしまったということです。

 現在でももちろんやろうと思えば軍用のアルミ製薬莢は可能なはずです。しかし主にコスト面で実際にはあまり使用されていないということのようです。ただ、演習用のブランク弾の中にはアルミ製のものが比較的多いようです。これは圧力が実弾ほど上がらないので破損問題が起こりにくいため、またもし起こっても重大事態にはならないためでしょう。民間用にもごく一部アルミ製薬莢があるようですが、民間では重量が重大な問題になるほど大量の弾薬を携行して長時間徒歩で移動するといった使用は少ないと思われます。メリットが少ないからこそあまり普及していないんでしょう。

 ちなみに普通薬莢のリム部の刻印はぐるっと回るように刻印されていますから12時方向も何もありません。どういうことだと疑問に思われたかもしれませんが、



 要するにこういう感じで刻印されているということです。「T」は共通ですが、「M」にあたる部分には他に「A」「J」「L」「N」などが見られます。ちなみ本文には明記されていませんがキャプションには8x57IS、すなわちいわゆる8mmモーゼルであると書いてあります。














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