フリーゲルファウストB

 「DWJ」2004年7月号に、パンツァーファウストの対空版のような兵器であるフリーゲルファウストBに関する記事が掲載されていました。


フリーゲルファウストBはもはや連合軍の制空権を打ち破ることができなかった。

スターリングラード戦以後の年におけるドイツ軍の惨憺たる敗戦と、それに伴う大量の兵器の損失は、特に防空の分野にもはや埋めることのできない隙間を生じさせた。


空軍の圧倒的優勢はドイツ部隊が日中に移動することをほとんど不可能にした。ドイツ部隊は自前の防空手段をすでにほとんど持たなかったからである。戦闘の状況は部隊のさらなる投入や不可欠の補給物資を緊急に必要としたが、この際こうした増派、補給部隊は敵の低空飛行機(頑住吉注:「Tiefflieger」=「ディープに飛ぶもの」。要するに低空から地上攻撃を行う戦闘爆撃機等のことです)によって攻撃を受け、爆撃や機銃掃射で破壊され、結局壊滅させられると見込まれた。歩兵部隊だけではなく、組み立てられ、新しく装備されたばかりの戦車を装備した戦車部隊も、戦闘に全く参加しないまま早すぎる破滅を迎えることが多かった。
 ドイツの軍需工場は生産キャパシティと原材料不足により、従来兵器の代わりに作ることができる「即興兵器」を作らざるを得なかった。ドイツ軍はパンツァーファウストにより、物的、人的にはるかに劣勢のドイツ歩兵が手に1つの武器を与えられ、これによって攻撃してくる戦車から防御することを可能にするという、「戦車防御兵器」を得た。

戦場における防空の必要
 1944年、特に低空飛行機に対し、パンツァーファウストと似たような解決策を見出すことが必要になった。設計される兵器は単純で、少ないマンパワーで製造でき、少ない原材料しか消費しないものであることが望まれた。この新たな「フリーゲルファウスト」または「ルフトファウスト」の開発指示はライプチヒのHugo Schneider AG(「HASAG」)が受けた。HASAGの開発は、開発の調整を管轄していた「Waffenamt Prufabteilung 11」(「Wa Pruf《Bum》11」 頑住吉注「兵器庁 第11試験局」といったところでしょうか。「Pruf」の「u」はウムラウトです)との緊密な共同作業だった。「ルフトファウストA」と名付けられた最初のデザインは、口径2cmの4本のパイプを束にした、個人防空兵器だった。弾丸としては、19gの爆薬を内蔵した重さ90gの榴弾と、これがかぶさるロケット推進体が使われた。弾丸は一度の発射で4発が斉射され、最高速度は380m/sに達した(頑住吉注:徐々に加速するロケットなので初速はこれより遅いわけです)。

 テスト段階ですでにこの兵器の目標に対する不充分なカバー能力と、そしてより大きな散布が期待できないことが判明した。
 これを是正するため口径3cmのパイプを6本束ねた改良型が作られた。この弾薬には75gの爆薬を内蔵した重さ330gの3cm弾が使われたが、これはMK108航空機関砲のものだった(頑住吉注:大戦末期にMe262ジェット戦闘機などに搭載されてB17等重爆撃機攻撃に多用されたものです。製造が簡単で、口径の割に軽く、発射速度が速いという利点がある反面、初速が高速ピストル弾程度しかなく、射程が短く命中させるのが困難であるという欠点もありました)。しかしこのフリーゲルファウストもテスト局面を乗り越えることができず、却下された。
 さらなるフリーゲルファウストは3本のパイプを束ね、4609ロケット榴弾を斉射する「ハンドフェーン」となることが望まれた。4609ロケット榴弾はドイツ空軍が開発した口径73mm、全長330mmのライフリングによって安定させる機載ロケットであるRZ73の改良型だった。この弾丸は300gの爆薬を内蔵した重さ3.2kgのもので、最高速度は360m/sに達した。この兵器も研究、テスト段階を越えることはなかった。

フリーゲルファウストB最初のテスト
 設計者は結局フリーゲルファウストAを発展させることで成功を収めた。このタイプは9本のパイプを束にし、さらに1.5mに延長し、そして口径は2cmに戻っていた。9発の榴弾は0.2秒間隔の2回の斉射として発射され、500mの距離で命中サークルは直径約60mに達した。この兵器の重さはこれでも6.5kgしかなく、反動フリーで肩に乗せて撃つものだった。
 この「フリーゲルファウストB」または「ルフトファウストB」と名付けられた兵器は要求に合致し、すぐに少数が製造され、避けられない初期不良がまだ残っていたのに全速で部隊テストに送り出されることになった。実戦的な使用を通じて獲得された知識により、この兵器の設計の迅速な改良が可能になった。1945年始め新兵器は短い開発およびテスト時間を割いただけで、前段階部隊テストへの投入が行われた。

 だが、要求された大量生産にはもはや移行しなかった。絶え間ない連合軍の爆撃によってドイツ第3帝国のインフラと生産施設は大部分破壊されていたからである。1945年5月の敗戦はそれ以上の全てのプランを水の泡にした(頑住吉注:「あらすじ」終わり)

 1944年11月、陸軍軍備のチーフ(OKH、Chef H Rust 「u」はウムラウト)、SS上位グループ長(Obergruppenfuhrer 「u」はウムラウト)Juttner(「u」はウムラウト)、Beisswanger中将(同じくOKH 「a」はウムラウト)、Chef H Rust所属の大将、i,G.Diesing大佐の間で、ルフトファウストの開発と調達状況に関する協議が開催された。SS上位グループ長Juttnerは、ルフトファウストの開発およびその調整は従来どおり空軍が管轄し、即座に1万のルフトファウストシリーズ2(後にルフトファウストBまたはフリーゲルファウストBと名付けられる)を対応する弾薬とともに西部戦線における部隊大規模テストのために調達するという決定を下した。

部隊テストは1945年3月まで延期
 空軍による、このとき注文された1万の兵器の分配は以下のように決定された。6500が陸軍に、500が海軍小艦艇用に、そして3000が空軍に。だがこれは空軍が自由意志で決めることができた結果こうなったのではないと思われる。この件に関し、1944年11月7日にはすでにルフトファウストのゼロシリーズ(頑住吉注:たぶん量産試作型のことだと思います)を陸軍が発注したという事実が指摘され、空軍はこの権限移動を了承していたと解釈されるからだ。陸軍軍備のチーフは1944年11月7日、Wa Pruf11を通じ、ゼロシリーズの1万のルフトファウストBと4百万発の弾薬の注文をライプチヒのHASAGに与える旨文書で伝えた。弾薬の研究のため、Dessauの主要な弾薬施設が動員された。大量生産の決定はゼロシリーズの前線におけるテストの結果が出てから行われることになった。ゼロシリーズの分配は再び明確に定められた。陸軍は6500のルフトファウストと260万発の弾薬、空軍は3000のルフトファウストと120万発の弾薬、海軍は500のルフトファウストと20万発の弾薬を手に入れることが決定された。供給プランに関する実行報告は「兵器買い入れ庁」(Waffenabnahmeamt)を通じて1944年11月18日までに陸軍軍備のチーフ、SS上位グループ長Juttnerに対し行われた。
 陸軍参謀本部長のそばにいた歩兵大将らによる1944年11月17日の文書は、いかに急いで計画が進められたかを示している。

 計画された前線における大規模テスト実施のため、西部戦線における10箇所の作戦上の重点と、イタリアに投入されている複数の師団(この中には1戦車師団と1装甲歩兵師団がある)に各600のフリーゲルファウストを装備することが目的にかなっている。このような重点的配分は部隊テストのために必要不可欠である。フリーゲルファウストは大量に投入されて初めて成功可能性を持つからである。
 歩兵大将らの考えにより、装備の異なるいろいろな部隊が部隊テスト実施のために予定されなければならない。
 各師団につき600のフリーゲルファウストの装備は、各射手分隊および機関銃分隊、各重火器陣地、そして戦闘場所にそれぞれ1のフリーゲルファウストの装備を可能にする。残りは請求により師団の後方任務に使われる。師団内部における600のフリーゲルファウストの分配のためには以下の提案がなされた。各歩兵連隊に100、各砲兵連隊に100、連隊内の軽歩兵大隊に40、その他の連隊内部隊に各30、そして残りは後方任務」

 
 1944年11月18日土曜日、「主要砲兵中隊東」(Hauptbatterie Ost)のあるKummersdorfで、希望通り少人数の参加者の前でルフトファウストの実演が行われた。この実演に対する「書類に書き込んだメモ」は以下のような内容だった。

 それは始めて発表される。ルフトファウストBは9本の砲身からなり、2cmのロケット推進vk.L-トレーサーを発射する。ライフリングによって安定する弾丸は、燃焼チャンバーの最高圧200気圧により最高速度350m/sを発揮する。戦闘距離は300から500mに達する。この兵器に不可欠と考えられる最大で戦闘距離の10%の散布(頑住吉注:要するに例えば500mの距離で直径50m以上に散開しないということでしょう)は、簡単に前述した開発における最終試験で達成されている。(9発)装填されたルフトファウストの総重量は6.5kgである。これに対しルフトファウストAは4発装填して総重量9kgだったので、1発あたりの重量は66%軽減されていることになる。ルフトファウストBはA型より扱いやすい。新方式のサイトは、取り扱い方法同様、歩兵の低空飛行機に対する使いやすい防御兵器というこの兵器の使用目的に照らして大いに適している。そのつど9発を砲身の束に再装填するには、素朴な紙製マガジン(消耗品)を使い、このことが不可欠な発射速度を保証する。ルフトファウストBはAに対して製造技術的に、そして素材的に決定的に単純化されていると見られる。このため大規模な大量生産が保証される。結論:ルフトファウストには、歩兵の低空飛行機に対する効果的な兵器となる見込みがある。開発は1944年12月始めに終了するので、大量生産は1945年1月にスタートできる。

 1944年12月5日、Beisswanger中将とi,G.Knublauch大佐は、近距離防御兵器ルフトファウストの開発のスピードアップ、開発管理、調達に関し再度協議した。開発管理とは独立して、陸軍はWa Pruf11を通じ、空軍にテスト(サイトのテスト、飛行目標に対する射撃等)の実施を割り当てた。管轄権はこの時点でもWa Pruf11を抱える陸軍にあった。1945年1月22日の開発状況に関する協議が記録に残っている。Wa Pruf11はこの兵器の開発が終わったことと、すでに100のゼロシリーズフリーゲルファウストBが完成していることを伝えた。さらにこの兵器の予定された散布はまだ完全に達成できずにいることを報告した。

 0〜500mまでの戦闘距離で、10%の散布が要求されていた。これを達成するためには、必要不可欠な数の弾薬を使ったさらに念入りな研究の実施が必要だった。これが達成されていないのは工具を使って量産されなければならない、平滑に作られた噴射口(磁器製)、弾丸用マガジン、そして塩類を正確に計量した遅延点火装置にまだ問題があるためだった。材料の調達が当時空路と輸送要所において極端に遅延しており、個々の部品が絶えず供給工場の使いの手によって運ばれなければならず、その際時間の消費が負担しがたいものであったことは残念である。要求を出す側である陸軍による支援は不可能だった。材料と部品調達の困難はもっぱら空路の問題だったからである。
 Wa Pruf11はライプチヒのHASAGに対し、そこにゆだねた3人の技術者を開発続行のためさしあたり1945年3月1日までその場に残すことを要請した。さもないと基幹部隊への呼び戻しと新しい任務によって重要な労働力が失われることになるからである。これは特に重要だった。何故なら1945年5月1日までに「全般陸軍庁」(Allgemeinen Heeresamtes=AHA)と「兵器買い入れ庁」(「WaA」)の士官からなるテストコマンドによって、最初の入手可能で前線での使用に耐えるフリーゲルファウストと弾薬の部隊テストが西部戦線で実施される予定だったからである。

 Wa Pruf11は全ての関係する役所に対し、テスト弾薬が完成する見込みの時点を早めに伝達した。Wa Pruf11はその上で前述の役所との共同作業により、取扱説明書と調査用紙を配布した。
 陸軍総司令部の歩兵大将であるJaschke大将は1945年3月2日、Rilling少佐に対しフリーゲルファウストを使った部隊テスト実施に関する以下の命令を下した。

 Rilling少佐はOKHの歩兵大将の指示により、命令されたフリーゲルファウストの前段階実験を実施すること。スピードアップされた部隊テストの実施は装備分野における重大な決定に非常に大きな意味を持つ。このため全ての「コマンド役所」(Kommandobehorden 「o」はウムラウト)と「役所」(Dienststellen)は部隊テストの迅速な実施に必要な措置を可能な限り行い、大幅に援助する。Rilling少佐は部隊テスト実施の戦術および技術的全権を持つ。Rilling少佐はOKHの歩兵大将または陸軍兵器庁から発せられる指示にのみ拘束される。

終戦が採用より早かった
 ここでさらに、フリーゲルファウストによる計画された部隊テストに関する、知られる限り最後の命令である重要な決定書類を示す。  

 フリーゲルファウストを使った最初の部隊テスト実施のための命令

1) 戦闘部隊はフリーゲルファウストを、特にH.K.L.内の歩兵に使用させるのが望ましい。敵の戦車に対しパンツァーファウストを使用するのと似た方法で低空飛行機と接近戦が行えるようにである。

2) この兵器は自前の軽、および中対空兵器が使用できない全ての場所、すなわちそれがすでに戦闘に使用中であったり、あるいはそれをフリーゲルファウストと交換すれば他方面に振り向けることが可能になる場所で使用されるべきである。これはまず最初にH.K.L.における使用と主要戦闘フィールドにあてはまる。

3) 第二にフリーゲルファウストは特に低空飛行機の危険にさらされる要所(例えば直接前線地域にさらされている主要な補給ルート)および対空防御手段を持たない補給車両の万一の際の近接防御力強化に使われる。

4) フリーゲルファウストはパンツァーファウストのような成功の見込みが確認された後のみ適量の採用が可能となる。その第一の任務は敵機を撃墜することではなく、防御することである。敵の低空飛行機がフリーゲルファウストの斉射によって脅威を受け、より高空から攻撃することを強いられ、それによって攻撃の効果が著しく低下するならば、その目的は完全に達せられていることになる。

5) 前段階テストは射撃テクニック領域の最初の暫定的経験を確認することにより、計画される大規模部隊テスト実施のための拡大された基礎を作り、そしてそれにより万一必要なフリーゲルファウストと弾薬の改良を可能にすることを意図する。前段階テストは特に野戦環境におけるフリーゲルファウストと弾薬の兵器技術上および射撃技術上の試験に役立つ。戦術的および実用上の問題点は、テストの制約された可能性の限りにおいてのみクリアになる。

6) 前段階テストは必然的に全ての状況下で妨害を受ける。敵は大規模テスト開始以前においてすでにこの兵器の存在をつかんでいるからだ。だから前段階テストはH.K.L.内でなく、後方の戦闘地域、特に低空飛行機の攻撃を受ける補給路(「ヤーボのレース場」)において、目的にかなった形で、歩兵、対空、砲兵の枠内、または陸軍対空砲旅団で行う。ただし後者の場合対空砲の効果範囲外で実施する。

7) 敵の攻撃が差し迫った場合は、フリーゲルファウストに鍵をかけた梱包を行い、全ての弾薬と共に遅れずに後送する。それがもはや不可能になった場合はフリーゲルファウストと弾薬を破壊する。

8) 部隊テスト実施のため、歩兵部門から編成されたテストコマンド(1歩兵将校、1陸軍兵器庁将校、および30の兵がテスト兵器と弾薬を持つ)を設置し、トラックを使用して移動しやすくする(頑住吉注:もう少し続きがありますが意味不明です)。

 フリーゲルファウストについて書かれたこれ以上の証拠書類および文書は、アメリカの文書保管所にも、旧ソ連のそれにも見つからない。今日でもなおドイツの「秘密兵器」に関する資料を発見するのは困難である。終戦から長期間たってもなお勝者によって「秘密」扱いのままとされるからである。使用できる資料はほとんど、あるいは全く存在しない。


(頑住吉注:「あらすじ」終わり)とある部分までにはあまり大きな間違いはないと思うんですが、私は軍の組織等に関する知識が非常に乏しいので、それ以後、特に略語等が頻出する当時の文書の引用部分はかなりあやふやなんでその点はご了承ください。

 制式採用されず、少なくとも大量には実戦に使用されていないフリーゲルファウストという兵器の認知度はかなり低いはずなので、検索してもろくな情報はないだろうと思いきや、かなり多数のサイトが見つかりました。たとえばこんなところです。

http://www.luftarchiv.de/flugkorper/hasag.htm

http://www.sokotoys.com/page/ST/PROD/aa/armaa0011a

http://www.net.bialystok.pl/~hess/r_ppn_fliegerfaust.htm

http://www.actionfiguredomain.com/armourytoys/Flieger.htm

 ご覧の通りかなりの部分はフィギュアに持たせる模型の関連ですが、当時の不鮮明な写真よりむしろディテール、使用方法等がクリアに分かります。それにしてもこんなマイナーなものまで量産品の商品になり得るフィギュアの世界はちょっとうらやましいですね。

 予想に反して「これぞドイツ人が開発した個人用対空ミサイルのルーツだ!」というような論調ではなく、淡々と歴史的事実を語るだけの内容でしたが(ちなみにこういうことを言いたがるのは主に「Visier」の、特に編集長だったりしますが)、検索の結果によればドイツではいわゆるスティンガーミサイルが「フリーゲルファウスト2」という名称で呼ばれているようで、ドイツ人にはやはりこれがそうした兵器のルーツであるという意識はあるようです。またV1ミサイルなどのようにその後アメリカに渡った兵器がどのような影響を与えたのかといったことは分かっていないようですが、大きなインパクトを与えたことは間違いあるまいと思われます。

 第二次世界大戦では、「戦車の敵は戦車である」という常識が確立しました。ドイツの戦車技術は当時ソ連と世界のトップを争う高いレベルのものでしたし、末期はともかく戦車兵の技量も戦術も世界最高と言っていいものだったようです。しかしドイツの戦車は一貫して数が足りず、結果的に歩兵が戦車と戦わざるを得ない状況が非常に多かったわけです。日本の歩兵には最後まで爆雷を背負って戦車の下に飛び込むたぐいの自殺攻撃以外ほとんど戦車への対抗手段がありませんでしたが、ドイツは簡単に量産でき、1人の歩兵が重戦車を倒すことも充分可能という簡便な携帯対戦車兵器、パンツァーファウストを開発して大きな効果を挙げました。ちなみに誤解されることも多いですがパンツァーファウストはロケット砲ではなく無反動砲です。

 数が優勢な連合軍戦車とも有利に戦えることが珍しくなかった強力なドイツ軍戦車も、「ヤーボ」と呼ばれる戦闘爆撃機による空からの銃、爆撃、ロケット攻撃には有効な対策がとれず、非常に多くが破壊されました。ましてや歩兵ならなおさら無力です。そこでこうした低空から攻撃してくる敵機にパンツァーファウストに似た兵器で対抗できないかと考えられた、というかそれがどうしても必要になったわけです。

 ドイツは当時日本と違ってすでに誘導兵器を実用化し、たぶん連合軍側に転じたイタリアの戦艦ローマ撃沈が最も有名だと思いますが、実際に大きな戦果を挙げています。しかしおそらく当時の技術では携帯型の誘導ミサイル開発は困難だったでしょうし、仮にできてもこの際要求されたのは少ない資源とマンパワーで量産できる簡易型の兵器だったわけですからそれでは要求を満たせません。しかし元々歩兵の火器で航空機に命中弾を与えるということは極めて困難であり、まして単発の、通常の火砲よりどうしても命中精度の劣るロケット弾で航空機を落とすのには無理があり過ぎます。そこで多数のロケット弾を斉射する兵器が考えられました。

 完成した場合、フリーゲルファウストが立ち向かうべき敵機は具体的にはアメリカのP47サンダーボルト、イギリスのタイフーン、テンペスト、ソ連のシュトルモビクといった戦闘爆撃機(仕様の戦闘機)や地上攻撃機が主だったはずです。いずれも非常にタフなターゲットで、特に高性能なドイツの20mm航空機関砲でもピンポイントで弱点を狙わなければなかなか落とせなかったと言われるシュトルモビクのタフさは伝説的です。フリーゲルファウストで敵機のピンポイントを狙うなどということは到底不可能ですし、その弾丸の最高速度は高性能20mm機関砲の初速の半分を大きく下回っています。しかも推進薬にスペースを取られるロケット弾は同口径の通常火砲より威力が劣るのが通例です。そんなわけでこれまでフリーゲルファウストで敵機を撃墜するのは困難ではないのかという疑問がありました。しかしそれはこれを読んで解消しました。フリーゲルファウストの第一義は敵機の撃墜ではなく、敵機に脅威を与えて攻撃の高度を上げさせ、効果を大きく減少させれば充分目標達成だ、と考えられていたわけです。トレーサーが使われたのも敵機パイロットにより強い恐怖感を与えるためでしょう(連射できないフリーゲルファウストにトレーサーの本来の意味はそもそもないわけですから)。おそらく口径20mmのフリーゲルファウストAから30mm、73mmと口径が拡大された時点では撃墜が主眼だったと思われますが、しかしそのうちに撃墜を二の次とした方が総合的に効果的な兵器になると考えが変わったんでしょう。もちろんあたってもまず絶対に落ちないというのでは威嚇効果も短時間で終わってしまうわけで、あたりどころによっては充分撃墜可能性がある、という程度の威力は必要だったはずです。威力、携帯性、ターゲットのカバー能力、生産性などを総合的に勘案して、20mm9連装がベストと判断されたのだと思います。0.2秒間隔を置いて2斉射というのも(ちなみに明記してありませんが、たぶん最初に5発、続いて4発だと思います)それが最も命中可能性が高くなるという計算に基づいているんでしょう。実際の戦果に関しては記述がなく不明ですが、なんとなく想像力をかきたてられるミステリアスで魅力的な兵器ですね。ちなみにここには一切記述がありませんが、ドイツ軍は88mm高射砲などの対空兵器を対地用に転用して大きな効果を挙げており、フリーゲルファウストももし量産、配備されていたら対地用にも使われ、もちろん戦車には歯が立たないにしてもソフトスキンの車両等には大きな威力を発揮したかもしれません。

 ちょっと疑問に思ったんですが、誘導型の対戦車ミサイルが普及しても無誘導の対戦車ロケット砲は健在で、現在でも(主力戦闘戦車相手ではないにしても)アメリカ軍等に大きな損害を与えているようです。それなのにフリーゲルファウストのような無誘導の対空ロケット砲は現在何故ないんでしょうか。まあたぶんそれだけ命中させるのが難しいということなんでしょうし、確かに正規の軍用としては大きな力を持たないと思われます。しかし、もしこうした簡易型対空ロケット砲が比較的設備の整わない工場で安価に大量生産され、テロリストの手に渡って空港周辺から防御力の弱い民間機を攻撃するなどのテロに使われたら意外に大きな脅威になるような気もします。その意味ではなくて幸いなのかもしれません。









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