中国の重機関銃

 というタイトルにつられて読んだんですが‥‥

http://military.china.com/history4/62/20141030/18912636.html


新中国の重機関銃発展史:戦場で千軍を横なぎにする鋼鉄の利器

(頑住吉注:原ページのここにある画像のキャプションです。「国産89式12.7mm重機関銃 89式はヘリを撃墜することができる」)

1980年代中期のある日、某有名な12.7mm口径高射機関銃の設計師の机の上に読者からの手紙が置かれた。その手紙には、某刊行物のソ連が新たに研究開発した12.7mm重機関銃の重量が25kgしかないことに関する報道には誤りがあり、その理由として12.7mm重機関銃がたった25kgにまで軽くなることは絶対に不可能だとしていた。この読者の手紙は科研人員の多くの連想を引き起こした。世界の先進国はいずれもすでに大口径重機関銃を持っており、我々は何故まだ素早く行動を起こすことがないのか? このようにしてすぐ89式12.7mm重機関銃が生産された。

この銃は全長1,920mm、有効射程1,500m、理論上の発射速度毎分600発である。銃全体の重量(銃身、銃架を含む)は26.5kgで、それは米軍のM2大口径重機関銃(38.1kg)に比べ11.6kg軽く、現在国内外の同類口径武器の中で最も軽い、とされる。その水平方向射界は左右45度、バレルの寿命は3,000発を超える。

89式12.7mm重機関銃は普通の12.7mm機関銃弾が発射でき、さらに徹甲爆発焼夷曳光弾、徹甲爆発焼夷弾および84式サボ付き徹甲弾などが発射でき、各種軽装甲目標、および対武装ヘリや対近距離ミサイルに対応できる。昼間スコープとスターライトスコープを装備し、非常に大きく武器の夜間作戦能力が向上した。自動火器は通常ガスオペレーション式、バレル後退式、ボルト自由式という3種の自動方式の中の1種を採用してその自動サイクルを完成させる。例えばロシアのHCB式はガスオペレーション式、M2HB式はバレル後退式を採用している。一方中国の89式機関銃はバレル後退式とガスオペレーション式が混合した自動方式を採用している。この自動方式はその他の銃種にかつて採用されたことがあるが、大口径機関銃では初めてのことに属し、それは2種の自動方式のメリットを総合し、設計人員の独創性を充分に体現している。(賈志軍)

(頑住吉注:これより2ページ目。画像のキャプションは「57式7.62mm重機関銃」です。)

57式7.62mm重機関銃は1957年に生産定型に至り、かつ部隊に大量装備されたが、後に67式軽・重両用機関銃によって取って代わられた。57式重機関銃は53式重機関銃の改良型で、主に53式重機関銃の装輪式銃架をフレーム式銃架に改め、バレルを53式に比べ2mm長くし、かつ外部に縦向きの放熱ミゾを設けるなどし、威力は不変に保持されている。銃全体の重量は44.5kgから38kgにまで軽減された。1962年の中印国境自衛反撃戦の中で、我が軍が使用する53式重機関銃はかさばって重い装輪式銃架を採用し、重量が大きすぎ、山地作戦に非常に不利だった。ある時は山の斜面に銃を据え付けるために止むを得ずその他の戦士が肩で銃架の車輪をかついだ。この教訓の影響を受け、1965年、57式重機関銃はフレーム式車輪付き架台から三脚架に改められ、重量は29kgにまで軽減された。対ベトナム自衛反撃作戦の中で、57式重機関銃は我が軍の重要装備となり、実戦の検証を受けたが、パフォーマンスは非常に突出していた。

57式重機関銃は全長1,500mm、銃身長722mm、照準線670mm、初速865m/s、理論上の発射速度は毎分600発、有効射程1,000m、弾薬箱の容量250発、53式弾薬を使用した。この銃はガスオペレーション式自動原理を採用している。ボルトは偏向移動式閉鎖機構で、2回給弾を行い、連発射撃が実施できる。(陳愛玉 郭慶文)

(頑住吉注:これより3ページ目。画像のキャプションは「67-2式7.62mm重機関銃」です。)

現在我が軍で装備数最多の機関銃は67-2式7.62mm重機関銃であり、このことはそのずば抜けた性能と切り離せない。

1960年、我が国は我が軍の人員の携帯と作戦使用の特徴に適する重機関銃を自ら設計、研究開発することを開始した。7年の努力を経て1967年に設計定型に至り、これこそ67式重機関銃である。

67-2式重機関銃はこれを基礎に改良されて定型に至ったものである。67式重機関銃は定型後、即一部が部隊に装備されて試用された。試用の過程で、この銃には射撃精度不安定、バレル内部のライフリングの焼蝕が深刻、および連続射撃の故障が比較的多いなどの問題が起きた。研究開発人員はこうした問題に照準を合わせて多くの箇所の改良を行い、1978年になって67-1式重機関銃が正式に登場した。

1979年12月、研究開発人員は67-1式に対し改良設計を行い、1982年1月に設計定型に至り、67-2式重機関銃と呼ばれた。この銃の最大有効射程は1,000mで、理論上の発射速度は毎分650発、戦闘発射速度は毎分300発、弾薬箱の容量は250発、間隙射撃、散布射撃、超越射撃が実施でき、かつ低空低速目標を射撃する能力を持つ。

67-2式重機関銃の最大の特徴は、我が軍の東方人の体型の使用に非常に適していることで、一般的に言って兵個人の担う重量の標準は20kgから25kgの間で、中国人の体型では重量負荷と行動の敏捷性を併せ配慮する時、担う重量は15kgを超えられない。一方この銃の全体重量は15.5kgしかなく、銃本体と銃架は組み合わせ式で、携行する弾薬を加えると、2人でもう非常に便利にこの銃を携行できる。67-2式重機関銃にはまだいくつかのその他のメリットがあり、バレルは良好な抗焼蝕性能を持つ材料を採用し、かつ外表面には放熱ミゾが設けられ、バレルの放熱にも有利であるし、バレルの寿命も延長し、武器の重量も軽減している。コッキングハンドルはレシーバー右側に設置されて装填が便利で、弾薬のリンクは分段組み合わせ構造を採用し、使用が便利で勤務性が良い。三脚架型の銃架構造で、銃架の架台下部構造を簡略化もしているし、持続的火力の発揮のためにも安定した依拠をも提供する。

この銃は研究開発開始から最終的な生産定型、大量部隊装備まで20年余りを経、我が国の機関銃発展史上の模範である。(宋紹松)

(頑住吉注:これより4ページ目。画像のキャプションは「QIY88式5.8mm汎用機関銃」です。)

いわゆる汎用機関銃(またの名を両用機関銃)は、重機関銃の射程が長い、威力が大きいという優勢も持ち、また軽機関銃の携帯に便利、使用が敏捷であるというメリットも兼備する機関銃である。ここ何十年か以来、各国が研究開発した新型機関銃は大多数が汎用機関銃である。

国産のQIY88式5.8mm汎用機関銃は我が国が自ら研究開発、生産する新型武器で、この銃は全体重量が16kg、全長1,321mm、銃身長600mmである。弾頭の初速は895m/sで、戦闘発射速度は毎分300発、有効射程は1,000m、弾薬箱の容量は200発である。この機関銃は回転型構造のピープサイトを採用し、かつ昼間スコープとスターライトスコープを配備し、もって遠距離の射撃精度と夜間作戦能力を確保している。この銃は1999年7月に設計定型に至り、すでに大量生産に投入され、続々と部隊装備されている。

国外の汎用機関銃に比べ、QIY88式5.8mm汎用機関銃には顕著なメリットがある。1つ目としてプラスチックとアルミ合金などの新材料や金属表面燐化などの新技術を採用し、重量が軽く、機動性能が良い。2つ目として火力が猛烈で、威力が大きく、射撃使用方法の転換が素早い。3つ目として射撃精度が高く、後座力が小さく、制御性能が良い。4つ目は弾薬箱の容量が大きく、銃本体あるいは銃架と連結し、もって武器が軽機関銃状態でも重機関銃状態でも、いずれも戦士に随伴しての運動中の射撃ができる。

ならば、我が軍最新の汎用機関銃として、QIY88式は何故5.8mm口径を選択使用したのか? これには大いにそのわけがある。

第二次大戦後、アメリカをメインとするNATO部隊が主に採用したのはアメリカのT65式7.62mm弾薬だった。この弾薬は2,000m以遠でまだ生体目標を殺傷する可能性があり、これは小銃弾薬にとって明らかに威力が過大であると言える。しかもこの弾薬を発射する小銃は相応にいずれも比較的かさばって重く、兵士の負担を増加させ、かつ携行する弾薬の量も制限を受ける。加えてこの弾薬の運動量は大きく、バースト射撃の精度が比較的劣るという結果をもたらす。1960年代にベトナム戦争が勃発した後、東南アジアのジャングル地形はこの弾薬の弱点を充分に暴露させ、米軍はどんどんこのように大威力の小銃弾薬とこのようにかさばって重い武器を使用する必要はないと感じるに至った。それまでの戦争の経験に対し多くの研究を行った後、米軍は以下の結論性の意見を提出した。高い発射速度、小口径の軽い弾頭をもって大威力の7.62mm弾薬に取って代わらせることは、殺傷効果を上げることができ、同時に経済性もより良い。ここ何年か、世界各国の専門家はまた小火器の最も良い口径に対し深い検討を行い、基本的に最良の口径は5.7〜6mmの間であるはずだと確認した。国産新型QIY88式5.8mm汎用機関銃の口径は世界の発展の趨勢にも順応しているし、また国産弾薬の高い起点、高い水準および特色が鮮明な研究開発思想をも堅持している。

一般的に言って、軍用制式弾薬の規格はこれまでずっと軍事強国によって制定され、その他の国はさらに軍政や国情、需要によって採用した。我が国の5.8mm弾薬の研究開発は、また中国の武器研究開発が自らの特色ある道を行こうとしていることを表している。(張春)

(頑住吉注:これより5ページ目。画像のキャプションは「53式7.62mm重機関銃」です。)

一部の軍事愛好家は国産の53式7.62mm重機関銃に対し決して良く知らないということはなく、これはこれが「国」の字のつく製品の中で最初の機関銃であるからというだけでなく、より主要な理由はこの銃に誇らしい戦績と非凡な身分があることである。

旧ソ連のSG43機関銃は中国の53式重機関銃の「母体」である。この「母体」は第二次大戦の試練を経ただけでなく、朝鮮戦争の中でも大いに光彩を放った。53式重機関銃はガスオペレーション式自動原理、ボルト偏移式閉鎖機構、2回給弾を採用し、長いバースト射撃と短いバースト射撃が実施できる。この機関銃は海抜5,000m以上で、しかも厳寒、酸素が欠乏した中印国境地帯でも、熱帯雨林のベトナム山地でも、いずれも良好な適応性を示した。

53式の理論上の発射速度は毎分600発で、戦闘発射速度は毎分300発である。良好な武器の機械的性能、さらに加えて強大な発射速度があり、敵に精神的な震撼を生じさせ、肝がちょっと小さい敵は53式の怒れる咆哮を聞いた時、直ちに精神が緊張した。

素晴らしい中での不足として、53式重機関銃はかさばって重い装輪式銃架を採用しており、全体重量は40.4kgで、兵士が重い負担を克服できないだけでなく、山地の作戦の中ではさらに不利な一面を暴露した。ある時には山で銃架に坂を登らせるため、止むを得ず他の兵士が肩で車輪をかついだ。

この銃は一般に歩兵連隊の機関銃中隊や歩兵大隊の機関銃中隊内に編入された。1挺の銃に6〜7名の戦士が編成され、最小作戦単位であり、平時は中隊を単位として管理と訓練を集中し、戦時には歩兵中隊に配属されて戦闘を行った。その主要な任務は歩兵中隊の作戦を有効に火力支援することで、ある時には対空射撃し、歩兵に空中の安全を提供した。

1952年10月前後、我が志願軍の三十八度線付近の部隊はすでに53式と命名される予定のこの重機関銃を使用しており、新たな銃が部隊に支給されひとたび使用を経るやすぐ戦士の歓迎を受けた。この銃は防御作戦の中での優勢が最も顕著で、何故ならこの機関銃には防護板があり、銃手の戦場における生存係数が高かったからである。敵の攻撃を火力阻止している中で、戦士の言葉を借りれば、この機関銃はまるで草刈り機のように前線の敵を一列また一列と倒した。

1962年の対インド自衛反撃戦の中で、ある時潰走するインド軍を阻止するためにこの重機関銃は重大な作用を発揮した。敵の「ラジャパトナム」連隊第2大隊本部と第4中隊、全部で140人余りが後方への退却を企図し、我が国境防衛某部に配属された2挺の53式重機関銃は敵からの距離1,000mの有利な地形で、絶対的な火力の優勢を形成し、敵に身動きできなくさせ、我が方の迫撃砲が陣地を占領するための時間を勝ち取った。最終的な戦場整理の時、死亡した敵の中の30人余りが53式重機関銃による命中弾を受けていたことが分かった。

1960〜70年代の抗米援越戦争の中で、53式重機関銃はさらに素晴らしい威力を見せた。ある資料は、ベトナム人民軍の1972年の春期攻勢の中で、4月9日〜19日だけで、地域を平定した軍民はもう敵3,700名を殲滅し、軽火器による人員の殺傷が80%を占め、53式重機関銃による人員の殺傷は軽火器による人員殺傷の50%を占めたことをはっきり示している。かつて九死に一生を得て後にベトナムを訪問したアメリカ退役軍曹ジョンは、当時相手方の猛烈な銃声を聞き、かつ弾丸が頭の上で鋭く長い音を立てるのを感じとることができ、本当に地面に穴を開けてそこに入りたかった、と語った。

1980年代中期になって、53式はやっと完全に人民の軍隊の現役序列から退出した。(車長生)

(頑住吉注:これより6ページ目。画像のキャプションは「中国の民国24年式7.92mm水冷マキシム重機関銃」です。)

1884年、世界初の真の機関銃であるマキシム機関銃が登場し、現在までこの機関銃はすでにゆっくりと120年の歴史の過程を歩んできた。この120年の中で、この機関銃は弾丸が飛び交う戦場で赫赫たる戦功を立てた。機関銃は英語では「machinegun」と呼び、我が国の初期にも「機関銃」と呼ぶ人がいた(頑住吉注:現在は「机槍」)。世界初の機関銃はファーシャンというベルギーの技術者が1851年に設計したとされ、これは50本のバレルを持つ、硬質の紙で作った薬莢を使用するもので、この銃はかつて1870年、1871年の普仏戦争の中で使用されたことがあるが、ほどなく姿を消した。1861年、アメリカ人のガトリングが4本のバレルを集束した武器を研究開発し、かつ徐々に6本、10本と発展させた。この機関銃はかつて露土戦争の中で使用されたことがあり、マキシム機関銃が登場した後でやっとこの機関銃は徐々に歴史の舞台から退出した。マキシム機関銃の威力は非常に大きく、発射速度は毎分600発にも達した。1893年、ローデシア警察はかつて4挺のマキシム機関銃を使用して5,000名のズール人兵士の猛烈な進攻を撃退したことがあり、その場で3,000人余りが射殺された。マキシムが自ら研究開発した機関銃を持ってドイツ国王のためにデモンストレーションした後、国王は驚いて「これが私の必要とするものだ。他にはない。」と叫んだ。

第一次大戦中、マキシム機関銃は兵士を射殺すること最多の武器となった。第一次大戦後の30年近く、各国はまた相次いで構造が異なり、性能がそれぞれ違う機関銃を研究開発した。比較的著名なものにはソ連製7.62mmDP式軽機関銃やチェコの7.62mmZB-26軽機関銃がある。旧中国の国民党軍はチェコのZB-26を自らの制式武器とした。第二次大戦の期間、ドイツ人はMG34機関銃を基礎に、またMG42機関銃を研究開発した。1942年秋、ドイツ軍は(頑住吉注:マイナーな地名らしく検索しても不明)における米軍に対する苦戦の中で、MG42の銃声がまるで亜麻布を裂くかのようで、数千名のアメリカ兵士を驚き叫ばせた。「この機関銃は凄すぎる!」と。約2,400名のアメリカ兵士がMG42の威力の下に両手を挙げた。

1959年、ソ連はAKMアサルトライフルを基礎にバレルを延長、太くし、RPK軽機関銃に改造し、それをアサルトライフルの軽便敏捷さをも持たせ、また軽機関銃に近いバースト射撃の精度と火力持続性を持たせた。これと同時にアメリカ人の研究開発したM60汎用機関銃も典型的機種である。1960年代以後、小口径分隊用機関銃が時運に乗って生まれた。小口径機関銃は2種に分けることができる。1つは専用に設計された軽機関銃で、例えばベルギーの「ミニミ」、スペインの「アメリ」、シンガポールの「ウルティマックス」などである。もう1つはAK銃器ファミリーのように、小口径アサルトライフルを基礎に、ヘビーバレルに換装し、バイポッドを追加装備して、小銃と同一銃器ファミリーの軽機関銃となったもので、例えばイギリスのL86A1式軽機関銃やオーストリアのAUG軽機関銃である。

大口径機関銃は通常12.7mm以上である。第二次大戦中、大口径機関銃はかつて有効な低空防空武器だった。12.7mm大口径機関銃はすでに本来の高射メインから平射メインに転じているが、14.5mm対空機関銃は依然高射がメインである。現在世界で現役として装備される大口径機関銃は主にこの2種の口径である。

21世紀に入り、機関銃が未来の戦場で当時のような千軍を横なぎにする壮観な場面は出現しないだろうが、機関銃は依然兵士の手中の不可欠な武器である。(牛宝成)


 読んで分かる通りそれぞれの機関銃に関する独立した記事を集めただけのものでした。まあ順番に並べりゃ「発展史」にならんこともないですが。






















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