十一年式軽機関銃は劣っていなかった?

 以前三八式小銃の「擁護論」を紹介したことがありますが、十一年式軽機を擁護するというのはより意外性がありますね。

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小鬼子の「歪把子」を詳細に新解釈する

画像の銃を、小鬼子の「歪把子」、学名大正十一式軽機関銃、日本語名十一年式軽機関銃であると地球人は皆認識している。「歪把子、三八大蓋、王八盒子」はまとめて抗日戦時の鬼子の象徴的な三大物品である。個人的には、最も象徴性を持つものには「歪把子」が属すると思う。何故ならこの銃はちょうどAV芸術フィルムのように、島国文化の怪異な特色を充分に体現しているからで、我々が批判的なまなざしで細かく味わってみるに値する。ネット上の「歪把子」に関する紹介は、個人的に非常に多くが不正確だと思う。このため個人の見解を発表したくて我慢できない。正しくないところがあればお教えいただきたい。

まず「歪把子」とは何が歪んでいるのかを語ろう。某百科がする説明はおよそ次のような意味である。「頬付けしての照準に便利なようにストックが右に湾曲し、ストックが右に偏っているがゆえに照準線が銃本体の右側に設けられている。」 この説明は根本的なことを語っておらず、しかも因果が逆転したミスディレクション性の錯誤がある。実際には、「歪把子」の照準線が銃本体の右側に設けられているのは、銃のグリップが右に向かって歪んでいるからこのように照準せざるを得ず、グリップが右に向かって歪んでいるのは銃本体左側のかの特殊な漏斗式マガジンゆえにである。「歪把子」の漏斗式マガジンの空虚重量は1,100g余りで、装弾数は30発、全ての6.5mm口径小銃弾薬のそれぞれの重量は約21g、弾薬をフル装填した時の総重量は2,400g余りに達する。このような重量の鉄の塊が銃本体の左側に取り付けられていたら、銃の重心は疑いなく顕著に左に偏り、このためストックを右に偏って設計するしかなかった。このようにすれば保持する時の重心もうまく右側に偏り、これによってこの重心が左に偏った機関銃のバランスを保持したのである。

客観的に言って、「歪把子」は最も早い世代の軽機関銃であり、しかも単に設計理念から言えば独創的特徴を備えた古典的作品と呼ぶにふさわしいと認めざるを得ない。

「歪把子」の設計者は南部麒次郎といい、小鬼子によって「日本のブローニング」と尊称されているが(頑住吉注:検索しても全くヒットしません)、客観的に言ってこの老いぼれめは間違いなく銃器設計上の大家クラスの人物と評価できる(頑住吉注:私は個人的に音楽の歴史全体に対する「浪速のモーツァルト」くらいの価値だろうと思いますが)。小鬼子が第二次大戦で使用した銃器はほとんど全て彼が設計したものである。19世紀には早くもすでに誕生していた重機関銃とは異なり、軽機関銃を各国が研究開発し始めたのは第一次大戦終了後のことで、このため1922年に研究ができた「歪把子」は最も早い世代の軽機関銃と言うことができる。また小日本は軽機関銃の誕生の期間、完全に独立して研究開発、設計したのであり、このため「歪把子」は非常に大きな日本式の独創性を具備している。世界各国が最初に軽機関銃を研究開発した時に従った考え方には主に2つがあった。1つは「重機関銃を小型化する」という考え方(頑住吉注:マキシムとかマドセンとかを無理に軽機化したものとかありましたがあまり成功ではなかったようですね)、もう1つは「連発式小銃」という考え方である。南部麒次郎が設計した「歪把子」が従ったのは、「連発式小銃」という考え方であり、現在の目で見るとこの考え方は非常に先進的である。「重機関銃を小型化する」との理念は比較的理解しやすく、はっきり言えば重機関銃を小型軽量化するものに他ならない。だが「連発式小銃」の考え方は相対的にやや複雑で、「歪把子」の誕生に関わり、甚だしきに至っては小鬼子の第二次大戦全体の武器配備に影響するため、皆に簡単に説明する必要がある。

「連発式小銃」としての軽機関銃の設計理念は、サブマシンガンの出現と非常に大きな関係がある。大ざっぱには完全にサブマシンガンに取って代わる理念と考えることができ、小鬼子は第二次大戦中ほとんどサブマシンガンを研究しなかったが、実際これもこの理念と決定的な関係がある。第一次大戦に誕生したサブマシンガンが第二次大戦終了までずっと採用したのはいずれも自由式ボルト(頑住吉注:ストレートブローバック)の原理で、この原理には本質的な限界があり、威力がより大きい小銃弾薬は使用できない。このためサブマシンガンが使用したのはいずれも拳銃弾薬で、もたらされた結果は有効射程が最多で200mというものである(簡潔を求めるためこれに関しては多くを語らない。原因はごく簡単で、分からないお友達は面倒だが自分で探してみようね)。一方同一時期の小銃は、有効射程が最短でも400m以上だった。このためある人は、サブマシンガンと小銃の射程の隔たりを根拠に、またサブマシンガンは連発でき、小銃は単発しかできないという射撃方式の差異を根拠に、「連発式小銃」の概念を提出した。概括的に言えば、射程と精度も保証でき、また連続射撃もできる小銃を開発しようというものである。それぞれの最小作戦単位に1挺のこのような小銃を支給し、もってより多くの兵士が依然使用する手動式小銃と組み合わせ、比較的小さい兵器生産コストをもって、また小銃とコンビネーションすることをもって、より完備された歩兵火力を作り出そうというのである。ご注意ありたいが、このような軽機関銃の使用理念は、重機関銃とでは顕著な差異があり、概括的に形容すると、性能上だけでなく使用上も、小銃と小銃と全方面の融合を実現する必要がある、南部麒次郎が「歪把子」を設計する時、上述のこの理念に基づき、2つの具体的原則を定量化した。1つは当時の日本軍が全面的に装備していた三八式小銃と同じ弾薬を使用する必要があること。2つ目は自動化された射撃を基礎にして三八式小銃と同じ射程と精度に到達する必要があること。

小鬼子が1922年には早くも装備を開始した「歪把子」は、機関銃・小銃の汎用化を達成することができ、この点は当時の世界各国において相当に先進的だった。「連発式小銃」の原則に基づいて作り出された「歪把子」機関銃は、間違いなく三八式小銃の射撃精度と同等のレベルをも達成し、特に200〜400mまでの距離内では連発バースト射撃の精度が相当に高く、連発のサブマシンガンが達成できない射程を実現し、また手動式小銃が実現できない連続射撃を達成した。鬼子兵は「歪把子」機関銃を装備した後、実戦の中でも「連発式小銃」の理念に従い、軽機関銃を援護や支援の固定火力ポイントとして用いるだけでなく、同一作戦単位の小銃手とコンビネーションして随時射撃位置を移動し、終始機関銃と小銃を同一の有効射程内に保持させ、もって完備されかつ有効な火力配置を達成した。「歪把子」機関銃の設計と使用の理念は先進的で、小鬼子の軍隊への装備が開始された後、直接その小火器火力の運用レベルを質的にワンランクアップさせ得たと言える。「歪把子」によって体現された武器運用上の差異は、抗日戦中に最も顕著に体現された。国民党軍も充分な軽機関銃を装備しており、しかも「チェコ製」の性能は甚だしきに至っては「歪把子」に比べて良かったが、国民党軍の将兵はいずれも軽機関銃を重機関銃と同じような方式で使用し、固定された場所に設置して定点射撃した。一方小鬼子の機関銃手は距離的な必要性を根拠に機関銃の射撃位置を変え、できる限り小銃との有効射程の一致を保持し、これにより機関銃・小銃の火力は最も良く発揮された。抗日戦中常に手動小銃をメインに使用するという状況下での、小鬼子の機関銃使用の先進的な理念は、国民党軍将兵を無数の回数ひどい目に遭わせた。

同一の時期に唯一機関銃の上で「連発式小銃」の理念を採用していたものには米軍があるのみである。米軍は1919年にM1918式ブローニングオートマチックライフルの装備を開始した。命名は全自動小銃だが、我々の抗日戦時の観念をもって見れば、単にその外見を見ると実はまさしく軽機関銃である。当時米軍はM1917式小銃を装備しており、やはり1発撃つと1回ボルトを引く手動小銃だった。使用する弾薬もブローニングオートマチックライフルと完全に同じだった。作戦の方式も機関銃手が小銃手と射程の一致を保持しようというもので、しかもよりこの戦術理念に適した単発機能を開発した。第二次大戦後米軍は汎用式軽機関銃の装備を開始し、これと平行してブローニングオートマチックライフルを淘汰したものの、作戦的には終始「連発式小銃」たる機関銃の戦術理念を堅持し、ベテラン工業国の先進性は望んだらその通りにできるという姿を見せた。武器と戦術の先進さで有名なドイツ軍が、当初機関銃の設計と使用の上で行ったのは「重機関銃を小型化する」考え方だった。例えば非常に有名なMG系列機関銃はいずれも軽機関銃・重機関銃汎用の、主に火力支援としての機関銃だった(頑住吉注:MGはマシーネンゲベールの略で、第一次大戦時のマキシム重機関銃も当然MG08といった名称でしたが)。第二次大戦後期になって、ドイツ人はある劣勢を発見するに至った。小銃とサブマシンガンを同時に使用する歩兵は200m以遠に火力の弱い区域が存在するだろうことだ。このためより先進的な「アサルトライフル」の概念を提出した。これは実ははっきり言うとグレードアップ版の「連発式小銃」である。惜しいことにドイツ軍のアサルトライフルの研究開発は軍事盲(頑住吉注:原文ママ)のヒトラーの反対に遭い、最終的にドイツ軍高級将校は止むを得ずサブマシンガンだと嘘を言い、やっとアサルトライフルをドイツ軍に装備させることができた。だが惜しいことにこの時にはナチスドイツの敗局はすでに定まっていた。戦後アサルトライフルの理念はソ連人によって参考にされ、これにより非常に名高いAK47が作り出された。現在各国の軍隊が装備する小銃は全てすでに全自動小銃に変わっている。分かりやすく言えば、第二次大戦時のサブマシンガン、小銃、軽機関銃総合的な特徴を一体に総合したものに他ならず、根本的には全て歪把子の「連発式小銃」原則にまでさかのぼることができるのである。

続いて「歪把子」の話題に戻る。抗日戦時の小鬼子の最も基本的な作戦単位は小隊で、その下に設置されたのが分隊で、我々の言うところの班でもある。小鬼子の作戦部隊内では、全部で4つの班のうち3つの班に1挺の機関銃が支給され、もう1つの班には3門の擲弾筒が支給された。現在しばしば小鬼子の火力の弱さをけなす人がいるが、実は戦車を比較すれば小鬼子は確かにソ連軍、ドイツ軍とは比較できないが、単に歩兵の火力配置を比べれば、小鬼子は特殊と言えるのみであって、絶対に弱かったと言うことはできないのである。すでに説明した機関銃使用上の「連発式小銃」という考え方をもって、それぞれの15人編成の班には1挺の機関銃もあって小銃と組み合わせて完備された射撃火力を形成もしたし、さらにまた兵個人で使用する擲弾筒が弧を描く爆撃式の攻撃を提供できた。しかも早い時期の精鋭の小鬼子は訓練レベルが極めて高く、3種の武器の精度はいずれもほとんど理想的なレベルにまで発揮されることができ、そのコンビネーションされてできた火力は変態式の強力さと称するに堪えた。しばしば小鬼子は第二次大戦時にサブマシンガンを装備しておらず、これはサブマシンガンが弾薬を浪費しすぎると思ったからで、資源不足ゆえに研究開発されなかったのだ、とけなす人がいる。だが実は、仔細に小鬼子の戦術を分析してみれば、すぐに彼らがサブマシンガンの研究をしたくなかったのではなく、サブマシンガンを研究する必要がないと考えたのだ、ということが分かる。第二次大戦時、サブマシンガンは依然自由式ボルトの原理という制限を突破しておらず、射程は最長でも200m以内で、一方小鬼子は機関銃を使用した「連発式小銃」の理念を利用し、独特の装備である擲弾筒をコンビネーションし、これはその最も良い殺傷距離を200〜400mの範囲内に置くことができた。この距離は相手方を殺傷することもでき、またこちらサイドの死傷を減らすこともできる最も良い距離だった。このため抗日戦中、国民党軍は往々にして一個連隊でも小鬼子の一個小隊を叩けず、この最も重要な原則は小鬼子のこの特殊装備から延伸された特殊戦術にあった。実は国民党軍だけでなく、単に歩兵の装備する武器で戦えば、第二次大戦時のソ連軍、ドイツ軍、アメリカ軍も、人数が同じ状況下ではいずれも小鬼子を叩くことは非常に難しかった。重要なカギは小鬼子のこの前例のない機関銃の使用理念にあり、相手方のサブマシンガン火力を完全に発揮できなくさせる可能性があった。

以下の紹介では「歪把子」の漏斗式マガジンを紹介する。現在ネット上では「歪把子」は使いにくく、類挙される原因はほとんどこの漏斗にある。例えば某百科に列挙されている「歪把子」の欠点のうち1項目は「使用したのが抜け穴マガジンで、弾薬をストリップクリップごとに押し込む必要があり、給弾速度が遅すぎ、副射手に対する依存性が強すぎるという結果がもたらされ、このため田舎の八路軍でさえ鹵獲したものを使いたがらなかった」というものである。これもまたミスディレクション性を帯びた間違った判断である。皆は上の画像で見ることができるが、「歪把子」機関銃の弾薬は、実は3つのストリップクリップが1組でこのように置かれているのである。「歪把子」機関銃は装填する時、ストリップクリップごとに押し込むのではなく、3つ1組で内部に押し込む。このため訓練の要素ある小鬼子の機関銃手に関して言えば、給弾の速度は実は少しも遅くない。しかも小鬼子の機関銃副射手が果たす作用も主に給弾というわけではなく、メインの射手が死傷した状況下で射撃を引き継ぎ、もって継続して小銃手のために火力支援を提供しようとするものなのである。何故なら小鬼子は戦闘する時は機関銃を抱いて突撃し、機関銃手が射殺される確率がより高く、このためにこそ専門に副射手1人を配する必要があった。実はもし副射手とのコンビネーションがなくても、経験ある小鬼子の機関銃手に関して言えば、一つのクリップを射撃の間隙に素早く押し込むこともできた。この前提は弾薬を撃ち尽くした後に再装填する必要がないということに他ならない(頑住吉注:例えばM1ガーランドは撃ち尽くさないと再装填できない銃ですね)。

筆者はわざわざある抗日戦の老兵の話を聞いたことがある。「歪把子」機関銃の給弾漏斗には非常に特殊な部分があり、マガジンが空になった時にフル装填にする速度は比較的遅いが、内部にすでに一部弾薬が充填されている時に弾薬を補充する速度は逆に素早くでき、しかもこれは疑いなく実戦の要求に非常に適合している、という。このため、「歪把子」の怪異にして古典的なところは、まさにこの漏斗式マガジンにあると言うことができる。その最大の特徴は射撃過程で、マガジンを撃ち尽くす前に持続的に給弾でき、機関銃内に終始弾薬があるようにすることができることである。この小銃と同じストリップクリップが使用できる漏斗マガジンで射撃し、機関銃手が身に着けた弾薬を撃ち尽くした時は、周りの小銃手から弾薬をもらって直接装填することができる。

「南部麒次郎」が歪把子のために設計したこの漏斗式マガジンは、まさに充分に「連発式小銃」の設計理念を発揮し、このために三八式小銃のストリップクリップさえ共用できることを実現し、このため実戦において歪把子と三八式小銃をコンビネーションさせる特徴が達成された。小鬼子は機関銃を用いて戦闘する時、「連発式小銃」の使用理念に基づいて行い、「歪把子」機関銃に関する使用教程はごく特別なものだった。戦闘中に機関銃を撃ち尽くすことは有り得ず、このため鬼子の機関銃射手の教程の中には、非常に特殊で重要なカギとなる1項目があった。それは射撃の間隙にチャンスに乗じて1、2個のストリップクリップを挿入し、機関銃のマガジン内に終始弾薬があることを保持することが必須だというものだった。

客観的に評価する必要があるのはストリップクリップの優劣で、皆はイメージ的にこのように想像してみることができる。戦闘中に李雲竜と山本一木が(頑住吉注:一木は苗字なら比較的珍しいものの存在しますが、名前はまずないのでは。ちなみにこの筆者はガダルカナル戦記で「一木支隊」とか目にしたのかもしれないですね)、かたや30発入りのチェコ製(単なる例えだから皆真面目に受け取るな)、かたや「歪把子」を構え、相互の間隔300mで互いにタタと撃ち合う。「歪把子」を構えた山本一木は、20発の弾薬をタタと撃った後、弾薬がなくなる前に間に合い、2つのストリップクリップを取り出して押し込み、元々2つのストリップクリップ10発の弾薬が残っていた機関銃に、このように弾薬をまた20発とする。「チェコ製」を構えた李雲竜もこの時タタと10発の弾薬を撃っているが、「チェコ製」が用いるのは外部挿入式マガジンのため、李はチャンスに乗じて交換することはできず、機関銃内には10発の弾薬が残るのみである。この時2人はまたそれぞれタタと10発の弾薬を撃ち、しかもいずれも相手を撃ち殺すまでは射撃を停止したくないと思う。だが我が李のマガジン内の弾薬は撃ち尽くされ、射撃を暫時停止してマガジンを挿入し直すしかない。だが山本一木は射撃の間隙の中で弾薬を補充できるため、今銃の中にはまだ10発の弾薬がある。さらに皆想像してみよう。李雲竜と山本一木はいずれも機関銃の弾薬を撃ち尽くした。我が李はある犠牲となった戦士の体を探ってストリップクリップ1つの小銃弾薬を取り出す。だが「チェコ製」機関銃は直接小銃のストリップクリップを使用することはできず、我が李は弾薬をストリップクリップから外して1発1発「チェコ製」のマガジンに押し込むしかない。一方山本一木は1人の死んだ鬼子兵の体を探ってストリップクリップ1つの小銃弾薬を取り出すと、直接「」の漏斗式マガジン内に押し込むことができるのである。

このようにイメージ的に考えてみることによって、私は皆が認識を変え得るはずだと思う。「歪把子」機関銃の漏斗式マガジンに関し、我々はそれを独特な変態の作と呼んでもよいが、それに間違いなく独特にして優れたところがあることも認めざるを得ない。

ちょっと突っ込みを入れざるを得ないのだが、現在のネット上の軍事に関する非常に多くの評論は、実際には戦争もののテレビドラマの軍事盲が演出したような臆断されたもので、某百科が書いているああした「歪把子」に関する多くの欠点のように、仔細に見ればいずれも銃を触ったことのない人が想像で書いたものかもしれない。この種の非軍事人員でさえ軽く思い至る欠点に対し、作戦に長けた小鬼子が思い至らないことはあり得ない。このように我々の当時の相手を惷猪(頑住吉注:スラングの悪口)式にけなすことは、現在の軍事盲の演出同様、実はこうした強力な相手と血を浴びて奮戦した我々の先輩に対する不敬である。当時淞滬会戦に参加した国民党軍の老兵の回想によれば、当時「歪把子」を持った小鬼子の機関銃手は相当に凶暴で、射撃中に連続して素早く弾薬を補充できるため、小鬼子の「歪把子」は発射すれば止まることがなく、国民党軍は当時例えば鬼子が突撃を発起する時、機関銃がマガジン交換する時の弾を避ける間隙がまったく捜し当てられず、無数の人がこの怪異な機関銃の弾の下に倒れたのである。

精鋭の日本軍の手中では、操作が熟練し弾薬補充が迅速で、また相対的に先進的な戦術理念と結合していたため、「歪把子」は絶対に殺戮の利器と称することができた。だが鹵獲された「歪把子」を抗日戦の老兵が使いにくかったと言うのにも道理がないわけではない。何故なら怪異な漏斗式マガジンのため、「歪把子」は操作技術に対する要求が実際高すぎ、我々の兵士が熟練して有効に使用することは非常に難しかったのである。

上の画像は「歪把子」の漏斗式マガジンで、6つのストリップクリップが列をなして漏斗に挿入されている。上の取っ手が付属した蓋を用いて下向きに強く押すと、漏斗外側内壁にあるスプリングが内側に圧され、漏斗内側の下面が給弾口で、漏斗内側後端に切り欠きがあり、撃ち尽くされたストリップクリップが排出でき、次のストリップクリップがうまくスプリングによって給弾口の上端に押されて到達する。また給弾漏斗には油壷とブラシが付属し、もって弾薬を潤滑して給弾のスムーズさを保証する。画像と説明を結合させ、皆が仔細に見れば、「歪把子」のこの漏斗構造が複雑すぎることが感じ取れるはずである。射撃中に弾薬を装填するには、漏斗の蓋を持ち上げ、漏斗内側のスプリングを外向きに押し、ストリップクリップを押し込んだ後さらに漏斗の蓋を押して戻す必要がある。専門的で厳格な訓練を経た鬼子の機関銃手に関しては、素早く熟練してこの動作が完成できたが、当時の文化レベルが高くなかった我が八路軍、国民党軍の機関銃手にとっては、また専門的訓練も経てもおらず、この種の怪異なマガジンをうまく用いたいというのは実際難しすぎた。また構造上精密、複雑なため、この漏斗は専門性が非常に高いメンテナンス、維持保護を必要とし、またひとたび壊れたら、鬼子に関しては予備部品があるが、我が抗日戦部隊にとってはこの怪異な装置を探しに行ける場所はなく、このため我々が「歪把子」を鹵獲してもうまく用いるのは難しく、実際上方法がなかったという事情なのである。

現在の抗日戦を題材にした映画やテレビドラマの中では、往年の古い抗日戦映画と比べると、もはやすでに小鬼子の「歪把子」を見かけることはごく少なくなり、演出者たちによって直接「チェコ製」に取り替えられ、再装填の必要のない神クラスの「歪把子」もある。だが以上の分析を見終われば、皆も理解したね。結局のところ小鬼子のこの変態武器は、当時の抗日戦の老兵たちにとっては再装填すら困難で、多数の出演者たちに再装填を演じさせるのは実際難しすぎるのである。だがもしいずれかの演出者が本当に鬼子兵に「歪把子」の再装填の場面を真面目に撮影することができたら、私はこの劇はきっと観衆を大いに喝采させることができると思う(頑住吉注:いや中国でも日本でもそんなの理解できて喜ぶのはごく少数のマニアだけでしょ)。

抗米援朝の時、自動火器の数が不充分だったため、一部の軍隊は「歪把子」を朝鮮の戦場に持ち込んだ。この時「歪把子」機関銃は志願軍にとってまだ充分と言え、しかも抗日戦を経た老兵がいて熟練して操作でき、このためある老兵は超越的に「歪把子」を自動小銃として使用し、すなわち暫時身をかわす過程で素早く給弾し、また米軍兵士のトンプソンの射程外に身をかわして射撃でき、さらにM1半自動小銃のように正確な点射ができ、一度アメリカの図体の大きな兵隊に極めて大きな恐怖をもたらした。あるアメリカの老兵が書いた回想録の中では次のように語られている。「中国軍人の中のある兵士は射程が長く火力が猛烈な自動銃器を使用し、トンプソンの射程外に身をかわして我々に対して射撃した。私は十何年か後でも彼らがソ連人のAK47を前倒しで朝鮮の戦場に持ち込んだと思っていたのだが、後に他人が取り出した弾頭を根拠に判断したところ、実は彼らが用いたのは日本人の古い武器に過ぎなかった。」

このため「歪把子」の抜け穴式給弾マガジンの実際の欠点は決して給弾の上にあったのではなく、重要なカギは構造が複雑すぎ、精鋭の小鬼子にしか適合しないというところにあった。まだ致命的な点があり、それは性能上気候、環境の制限を受けることだった。このマガジンには油ブラシの潤滑を使用することが必須で、東北の寒冷な冬の間はごく容易にジャムし、条件がより劣悪な酷暑で湿気の多い太平洋の島嶼では、さらに容易に故障が起きた。このため小日本は1936年にまた九六式機関銃を研究開発した。つまり外形がチェコ製によく似ているため、「拐把子」と俗称される機関銃である。その後またよりチェコ製に似た九九式機関銃が研究開発された。

はっきりさせておくことが必須なのは、九六式と九九式は決してネット上で一部の人が言うような「歪把子」の代替品ではなく、異なる作戦環境に照準を合わせた産物と評価される、ということだ。何故なら劣悪な環境下では「歪把子」は適応し難く、このため小鬼子はチェコ製の形状を盗作して、本来の機関銃を基礎に外部挿入式マガジンを採用した。非常に興味深いのは、我々は九六式はより良いと思っているが、九六式の登場後、鬼子兵の歓迎を受けなかったということだ。原因はまさに漏斗式マガジンがなくなり、もはや連続給弾が適用できず、機関銃内に随時弾薬があることを保持できないことだった。一方九九式機関銃は、小鬼子が後に7.7mm口径の小銃を研究開発したため、この新たな口径の小銃に照準を合わせて研究開発されたこれとセットになる機関銃である。九六式、九九式の出現後、十一年式は生産停止されず、非常に多くの鬼子部隊が配備したのは依然「歪把子」だった。だが抗日戦後期になると鬼子の精鋭はほとんど損失され尽くし、補充されてきた新兵の訓練レベルには限りがあり、「歪把子」を使用するレベルは大幅に低下した。ひとたび緊張すれば直接タタとマガジン内の弾薬を撃ち尽くし、この装置の弾薬を撃ち尽くした後の装弾の速度は、弾薬がある時の早さにはほど遠く、こうした鬼子新兵の手中の「歪把子」は、最終的にはとうとう30発を撃ち尽くしたらすぐ長時間沈黙する廃物となったのである。


 非常に面白かったですが、賛同するかと言われればできないですね。昔の敵が弱かったとけなすのはそれと戦った先輩に対する冒涜だ、というのもなるほどとは思いますが、その先輩の体験談に「俺はこんなにも強大な敵と勇敢に戦って打ち勝ったのだ」という盛られた要素がある疑いがあることも確かです。
















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