何故中国はマカロフを広く使用しなかったのか

 これ、ずっと不思議だったんですが、この問題にズバリ答えるページが見つかったんで内容を紹介します。

http://www.jundao360.com/topic_5765941.html


国産59式拳銃、部隊に装備したばかりですぐ生産停止、装備から撤収される

59式拳銃は旧ソ連のマカロフPM拳銃のコピー生産品であり、指揮員や公安警備人員に供給された近距離で使用する自衛武器である。1959年初めにコピー生産が開始され、主に626工場で生産されて連隊の一級指揮員に試験的装備が開始された。だが使用中に何回もの事故が発生したため、結果的に1960年にはもう生産停止となり、部隊の手にあった59式拳銃も撤収された。

59式拳銃が部隊に装備されたばかりですぐ生産停止、撤収となった理由は、主に建国初期の軍事工業能力の不足と関係している。1950年代後期、中ソ関係は決裂し、ソ連が派遣していた技術人員は帰国し、一山の図面とサンプル品だけが残された。だが銃器生産は図面だけに頼ってただちに良好に完成するものでは決してなく、国内で生産するために大変な努力がなされ、無理を押して59式拳銃を生産したのだった。59式拳銃の事故が頻発した原因は主に2つあった。

まず、マカロフ弾薬の弾頭は重さ5.95g、距離10mでの速度は290〜315m/s、最大チャンバー圧力は117MPaだった。ナガンリボルバー弾薬と同じ発射薬を採用し、最低チャンバー圧力は比較的低かった。比較的低いチャンバー圧力は、スライド重量と後座力を受け入れ可能な範囲内に制御するためだった。しかし国産の59式拳銃弾薬は、ソ連のような銅製薬莢ではなく摩擦係数がより大きいスチール製薬莢を採用していた。このためスライドの重量が増大したのに近い結果になった。一方弾薬のコピー生産は実は簡単な仕事ではない。建国初期にはやはり完璧な弾薬計測機構はなく、薬莢の材質、弾頭の直径の微細な差異、発射薬の顆粒の形状や大きさ、燃焼面、化学成分、温度、湿度、分量の改変は、いずれも銃弾の発射クオリティに影響する。これに加え発射薬の品質も安定せず、弾頭がボア内に残留する事故すら起こった。後にはまさにこの教訓に基づき、64式拳銃の研究開発の際、研究人員は各種の方法を採用し、できる限り最大チャンバー圧力を高め、発射薬の点火、燃焼の信頼性を確保した。

次に、銃の構造から見て、マカロフ拳銃はピンのガタを避けるため、できる限りピンを使わず、部品に直接回転軸を加工して作っている。技術的に比較的複雑で、工作に時間がかかり、廃品率が高かった。ハンマースプリング(兼トリガースプリング)とシアスプリング(兼スライドストップスプリング)の設計は比較的特殊であり、一方この方面において我が国は建国初期、金属材料や技術水準がいずれも熟成していなかったため、製品は耐疲労性能が低く、これも59式拳銃が使用時間が長くないのにすぐ容易に問題が起きる結果をもたらした。

この2つの原因の中で、弾薬の問題が最も主要な原因だった。このため、もしソ連製の本来の銅製薬莢の弾薬を撃てば一般に問題が起きることは少なかったが、国産の59式スチール製薬莢の弾薬を撃てば良い結果にはならなかった。もし銃が平時においてよくメンテナンスされていれば、数発撃つだけなら一般に容易には事故は起きなかったが、もし集団で標的射撃をすれば、多くの人が同一の銃を使用することになり、多数発発射後のバレルは汚れがひどくなり、温度が上昇し、スライドの抵抗が増大する等の原因がある状況下では、ただちに故障発生の可能性があった。

59式拳銃は生産開始から1年もせずにすぐ生産停止、装備から撤収されたため、生産量はきわめて少ない。現在国外の民間マーケットで見かけられる国産59式拳銃は、実は大多数が北方工業が1980年代以後に、いくつかの工場に委託して生産させた民間専用の銃である(これらのシリアルナンバーはZZで始まるものがよく見かけられ、中州工場の生産によるものかもしれない)。本物の1960年に生産された59式軍用銃のグリップにはほとんど全て盾の中に五角星があるマークを持ち、この他さらに一部「八一」の文字を持つものもあるが、これは贈答品専用の銃である。一方輸出されている59式の民間品はグリップに、リング内に五角星のマークがある。これは軍用銃と後に生産された民間品の銃を識別する主要な特徴である(ただし少数の例外あり)。


 私は中国がマカロフを広く使用しなかった原因として、「ある77式拳銃の使用例」の中で、「あるいはこの銃の登場頃から中ソ対立が激化したことと関係があるんでしょうか」と書きました。私はこの時、中ソ対立によりソ連のコピー兵器を使用することに感情的な抵抗が生じたからではないか、という意味で書いたのであって、ソ連の技術者の助けがなかったため技術的に満足なコピー生産ができなかったのだとは全く思っていませんでした。59式より約7年早いPPKデッドコピーの52式拳銃は問題はあるものの一応使いものにはなったようですが、モーゼルミリタリーの影響があるとも言われるピンを極力使わない構造など、マカロフの方が技術的難易度がかなり高かったようです。こういう意味ではブローニング系のトカレフは極めて生産しやすい銃だったと言えるんでしょう。しかしトカレフは特に警察用としては貫通力が高すぎるなど問題が明らかに多く、何故64式成功あたりの時点で弾薬を改良するなどして再度マカロフの利用を試みなかったのかは依然として不思議です。












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