スホーイ戦闘機導入の詳細

 当然重複する情報も多いですが、これまでで最も詳しい説明です。

http://military.china.com/important/11132797/20130113/17628885.html


ロシアメディア、中国のスホーイー27およびスホーイー30戦闘機国産化過程の詳細を明らかに

(頑住吉注:原ページのここにある画像のキャプションです。「当時スホーイー27が空軍に就役したことは空軍の実戦能力を非常に大きく増強し、解放軍を数少ない西側諸国に正面から対抗できる有効な殺しの武器とした。」)

ロシアの「ペリスコープ2」ウェブサイト1月11日の報道による。1990年代より前の非常に長い一定の期間内、旧式な殲ー7と殲ー8戦闘機が中国人民解放軍空軍が装備する2つの最も主要な機種だった。中国空軍の第3世代戦闘機に対する需要は非常に切迫したものだったが、1990年以前、関係の計画は全く討論されたことがなかった。

1989年(頑住吉注:天安門事件の年)に西側が中国との軍事技術協力の制限を始めた後、ソ連と中国の対抗関係は突然消失し、このことは中国に、ソ連に新型軍事装備を求めるチャンスを生じさせた。1990年9月17日、ある中国の軍事代表団がクビンカ空軍基地を視察し、ソ連政府はここでミグー29戦闘機がデモ飛行を行う手配をした。だが、ミグー29の作戦半径は中国のように広大な国にとっては明らかに不充分と言え、同時にこの機種は台湾の戦闘機に対応する時にも、決して優勢とは言えなかった。このため、中国人はより高価だがより大きな作戦半径を持つスホーイー27に興味を示した。中国サイドの初の請求はソ連指導者の拒絶に遭ったが、何度もの談判を経た後、両国は最終的にスホーイー27戦闘機提供の契約を締結した。ソ連は24機の単座および複座型のスホーイー27の提供に同意した。その後両国はさらに第2陣、24機のスホーイー27提供の契約を締結した。中国サイドが発注したスホーイー27はいずれもロシアの極東地域に位置するアムール共青城ガガーリン飛行機製造工場と、イルクーツク飛行機生産連合社によって生産された。

中国サイドによって「906プロジェクト」と呼ばれたスホーイー27輸入契約は、この系列の戦闘機が勝ち取った初の輸出発注だった。1991年2月、スホーイー27は北京の南苑飛行場で初のデモ飛行を成功させた。

1991年末、最初の12機のスホーイー27(8機は単座型のスホーイー27SK、4機は複座型のスホーイー27UBK)は1日以内にロシアからモンゴルを経て中国に到着し、このことは中国が正式にこの戦闘機を受領したことを意味した。1992年11月8日、その他の12機の引き渡しも完了した。この他、さらに2機のスホーイー27が中国で研究目的に用いられた。

(頑住吉注:これより2ページ目。画像のキャプションは「スホーイー27の機動性能はいずれもF-16より優れ、特に高強度機動を行う時スホーイー27の角速度はより大きく、旋回半径はより小さく、機動中の角度の優勢ははっきりしており、旋回の内側から攻撃位置を占めることができる。」です。)

だが、ロシアと中国に支払い方式上の矛盾が生じたため、第1陣のスホーイー27引き渡し後、両国がすぐに第2陣24機を提供する契約を締結することはなかった。第1陣のスホーイー27購入の費用の中の、70%は物々交換方式の支払いだった(中国サイドは等価の食品と軽工業製品を提供した)。ロシアサイドは、第2陣のスホーイー27購入費用は完全にアメリカドルで支払われるべきだと考え、当時中国中央軍事委員会副主席の任にあった劉華清は1995年5月にロシアを訪問した時、最終的にロシアサイドの要求に同意した。だが条件は中国サイドにスホーイー27の生産ラインを移転する必要がある、ということだった。まさにこのため、ロシア・中国両国は中国でスホーイー27のライセンス生産を行う協議を成立させた。

1996年4月、10機のスホーイー27(4機のスホーイー27SKと6機のスホーイー27UBKを含む)が中国に到着した。その他の14機は7月に引き渡された。

初めて中国に引き渡されたスホーイー27は1990年代初めに台湾海地域でパトロール任務の執行を開始した。中国空軍の飛行員のこの戦闘機の性能に対する評価は、「優秀」だった。

この時期、中国は自らスホーイー27SKの組立を開始した。飛行員に養成、訓練を行い、かつスホーイー27の数を増やすため、中国空軍は複座型のスホーイー27UBKの購入数を増やす試みを開始した。1999年12月3日、ロシア・中国両国は28機のスホーイー27UBKを提供する契約を締結した。イルクーツク飛行機製造社によって生産された最初の戦闘機は2000年12月15日に中国空軍飛行訓練センターに運ばれた。1週間後、また8機が引き渡された。この契約は最終的に2009年9月までに執行が完了した。ここに至り、ソ連(ロシア)は全部で中国向けに76機のスホーイー27(36機のスホーイー27SKと40機のスホーイー27UBK)を輸出していた。

(頑住吉注:これより3ページ目。画像のキャプションは「スホーイー27には制空任務を担当するメインのタイプの他に、さらにその他多種の任務用の派生型がある。」です。)

中国に輸出されたスホーイー27SKの名称中の2つの頭文字はそれぞれ「生産型」と「商業型」を意味する。これとロシア空軍が装備するスホーイー27との主要な差異は離陸重量にある。中国サイドの要求に応じ、スホーイー27SKの離陸重量は33トンにまで高められた。この機が使用する非制御誘導武器は100kg、250kg、500kgクラスの自由落下爆弾、および80mm、122mm、240mmのロケット弾が含まれる。その10カ所にも達する外部吊り下げポイントには全部で8トンの武器が搭載でき、戦闘機の発着架にもこのため補強が行われた。中国空軍がそれぞれのスホーイー27が攻撃任務執行能力を具備することが必須であると要求したため、こうした改変は不可欠だった。この他、ロシアサイドはさらに自らの慣例に従い中国に輸出するためのスホーイー27に性能指標がやや低い機載無線電子設備を装備し、同時にL005型アクティブ妨害装置もL203あるいはL204に交換された。

中国に輸出されたスホーイー27はロットごとに機載電子設備の上でいずれもやや差異があった。第1陣の24機が装備したのはSUV-27型火力コントロールシステム、RLPK-27レーダー照準装置、N001E型レーダー(レーダー反射断面積が3平方mの目標に対する発見距離は70km)で、同時に10の目標を探知計測できるが、このうち1つに対してしか攻撃が実施できない。その後のスホーイー27にはN001P型レーダーが装備され、戦闘機に同時に2つの目標に対し攻撃を発動させ得るようにした。この他、第1陣24機のスホーイー27を除き、その他の機にはいずれもA737型一体化ナビゲーションシステムが装備された。

制空権奪取の任務を執行する時、スホーイー27は6発のR-27型中距離空対空ミサイルあるいは4発のR-73短距離ミサイルを搭載できる。火力コントロールシステムの制約のため、中国に輸出されたスホーイー27SK/UBKはいずれも性能がより先進的なR-77中距離ミサイルは使用できない。

複座型のスホーイー27UBKの飛行性能はスホーイー27SKに比べやや下がっており、両者の最大上昇限度はそれぞれ17.5kmと18.5kmである。だがその他の作戦指標上は決して差異はない。

(頑住吉注:これより4ページ目。画像のキャプションは「殲ー11は『ロシア製品』ではなく、ロシア製スホーイー27を基礎にした国産機種であり、空力外形に基本的に改変が生じていないことを除き、殲ー11の主要システム、航空電子設備はいずれもすでに国産化され、国産設備が搭載されている。」です。)

殲ー11の研究開発過程

中国の航空工業はずっと国外の戦闘機の輸入に反対してきた。しかも空軍のスホーイー27導入、生産に関する決定に対して消極的態度だった。

ロシアは最初から中国向けにスホーイー27生産ライセンスを販売することを望まなかったが、中国サイドがもしライセンスが得られなければ輸入するスホーイー27の数を48機以内に制限すると宣言した後、ロシアサイドは最終的に譲歩した。1993年、ロシアは中国向けにスホーイー27の生産技術を移転する契約を締結し、かつ関連の部品と必要な技術的支持を提供することに同意した。契約の額は1.5億アメリカドルだった。

ロシアは1996年12月6日から中国に向けスホーイー27の生産ライセンスを提供した。契約の約定によれば、ロシアサイドは中国の沈陽飛行機製造工場が生産ラインを建設することを援助し、続く15年以内に200機のスホーイー27が生産されるべきだった。これらの戦闘機の組立に必要なエンジン、レーダー機載設備、武器システムはいずれもロシアサイドによって提供されることになっていた。この他、もし生産過程で遅延が起きたら、ロシアサイドは沈陽飛行機に向けさらに必要なセット部品を提供するべきだった。中国が組み立てたスホーイー27は「11号プロジェクト」と呼ばれ、部隊装備後は殲ー11と命名された。

1997年夏、ロシアは沈陽飛行機にフルセットの生産図面を提供した。1998年前半、沈陽飛行機は最初の2機の殲ー11の生産に着手した。同年9月1日、中国が生産した初のスホーイー27が初飛行に成功した。中国空軍は2000年12月にこの最初の2機の国産スホーイー27に対するテスト作業を完了した。基礎タイプの殲ー11はスホーイー27SKとの間にはっきりした差異はなかった。初期の殲ー11はヘッドアップディスプレイの右側にGPSシステム指示器が装備されていた。やや遅い時期に生産された殲ー11では、この指示器は多機能ディスプレイの中に整合されていた。中国は初期型殲ー11のさらなる一歩の改装を計画してはいなかった。ストックされていたロシア製ミサイルを消耗し終わった後、これらの戦闘機は徐々に退役した。殲ー11の組立成功は、中国人が国産の部品を利用してより完備されたタイプを生産する試みを押し動かした。すなわち殲ー11Bと複座型の殲ー11BSである。殲ー11Bには中国が研究開発した新型パルスドップラーレーダーが装備され、同時に20の目標を探知計測でき、しかもこのうち6つに対し攻撃が実施できる。全情報ヘッドアップディスプレイ設備とカラー多機能モニターの装備により、飛行員のコックピットの装備レベルには顕著な改善があった。

(頑住吉注:これより5ページ目。画像のキャプションは「殲ー11の主要な作戦任務は制空権の取得である。現在のアジア太平洋に関して言えば、主要な相手は日本のF-15Jである。」です。)

殲ー11Bは中国国産のPL-12中距離空対空ミサイルとPL-8近距離格闘ミサイルが搭載でき、同時にPL-8の寸法はより大きく、その後部安定翼が主翼にぶつかることを防止するため、殲ー11Bの搭載架には厚さを加える処理が行われており、この点で容易に殲ー11Bと殲ー11/スホーイー27SKを区別することができる。この他、殲ー11Bの機体尾部に装備されたミサイル来襲警告装置は白色を呈し、その機首の黒色の整流カバーに内の設備にも変化がある。

殲ー11Bとその先輩との最大の差異は、この機が装備する国産のFWS10「太行」エンジンにある。このエンジンはアメリカのゼネラルエレクトリックのF110に似ており、かつロシア製のAL-31の一連の技術が運用されている。「太行」エンジンの標準推力は77.6千ニュートンで、アフターバーナー使用時の推力は132千ニュートンである。これに比べると、AL-31Fの標準推力は72.8千ニュートン、アフターバーナー使用時の推力は125千ニュートンである。「太行」エンジンの推力:重量比は7.5である(AL-31Fは7.1)。

複合材料を使用したため、殲ー11Bの重量は700kg軽減され、重心を保持するため、その機首部分には枠外のバラストが装備されている。この他、殲ー11Bにはレーダー波吸収材料が使われ、そのレーダー反射断面積はスホーイー27に比べ25%減少している。

殲ー11Bは2002年6月に初飛行に成功し、18ヶ月の飛行テストを経て、この機は中国空軍に引き渡された。

(頑住吉注:これより6ページ目。画像のキャプションは「殲ー11は国産の新型空対空兵器を搭載できる。例えば霹靂-12アクティブレーダー制御誘導ミサイル、および霹靂-8格闘ミサイルである。」です。)

殲ー11BJ/殲ー15の誕生

過去10年余りの中で、中国はずっと積極的に殲ー15大型艦載機の研究開発計画を推進してきた。この前に、中国が授権を経ずに無断でスホーイー27戦闘機をコピー生産した事件が発生したため、ロシアが最終的に中国に対しスホーイー33艦載機の輸出を拒絶するという結果がもたらされた。中国サイドは2機のスホーイー33を「評価」に用いるため購入を求め、一方ロシアサイドが提出した最低の購入数は48機だったとされる。一致が達成できないため、中国は最後にはウクライナから1機のスホーイー33の原型機、旧ソ連時代から残されたT-10K-3(スホーイー33の第3機目の原型機)を購入するしかなかった。中国人は疑いなく非常に幸運だった。すなわちT-10K-3は実際上初の量産型スホーイー33で、その後続の量産型と決して変わらなかったのである。さらに重要なのは、スホーイ-33の機体構造はスホーイー27と顕著な差異がないことで、コピー生産により中国人は最終的に殲ー11Bの艦載型、殲ー11BJ(このうちJが艦載を示す)を登場させ、その後さらに殲ー15「フライングシャーク」と改名された。

殲ー15は機体構造上スホーイー33とはっきりした差異はないが、フェイズドアレイレーダーとFWS10H型エンジンを装備している(推力と加速性はいずれもFWS10より優れている)。この機は4発のC-803型対艦ミサイルを搭載できる。

スホーイー30の導入

アメリカ空軍の実戦機が1991年の湾岸戦争の期間に見せつけた正確打撃能力は中国空軍の指導者に深い印象を残した。その後、中国空軍上層部は本来の防御に重点を置く思想を放棄し、より攻撃性を持った策の採用に転じた。このため、彼らは作戦半径と武器搭載能力がスホーイー27に比べさらに強く、しかも高精度の「空対面」ミサイルが使用できる新型戦闘機の購入を決定した(頑住吉注:面に対し高精度というのはよく分かりませんが)。

(頑住吉注:これより7ページ目。画像のキャプションは「スホーイー30戦闘機はロシアがアメリカのF-15戦闘機に焦点を合わせて研究開発した多用途大型戦闘爆撃機で、超低空持続飛行能力、極めて強い防御能力、出色のステルス性能を持つ。」です。非ステルス機の発展型としては、という意味でしょうね。)

1996年末、当時中国の首相の任にあった李鵬はロシア訪問の期間に40機の多用途戦闘機を購入する協議を成立させ、総価格は18億アメリカドルにも達した。その後、契約の条件に関する談判が直ちに展開された。スホーイ社は中国サイドのスホーイー30MKに対する要求を満足させる中に存在する極めて大きなポテンシャルを見た(頑住吉注:直訳しようとすると何だかよく分かりませんが、「スホーイ-27には中国の要求を満足させるに足るポテンシャルがまだあると考えた」というような意味でしょう)。同社はスホーイー27Mの技術を利用し新型戦闘機を研究開発する事を決定した。この機は高く薄いカーボンファイバー製の尾翼を装備した。この新型機は後にスホーイー30MKKと呼ばれた(最後のKは中国を意味する)。2年の談判を経てロシアは最終的に中国にスホーイー30MKKを販売することに同意した。契約の詳細は1998年に行われた珠海航空展の期間に定められた。1999年3月、当時中国首相の任にあった朱鎔基はロシア訪問期間にロシアサイドと38機のスホーイー30MKKを購入する正式契約を締結した。この挙は疑いなくロシア・中国軍事技術協力史上のまた1つの重大事件だった。同月、スホーイー30MKKの初の原型機がジューコフスキー飛行場で初飛行に成功した。

2000年11月、1機のコードナンバー502のスホーイー30MKKが珠海航空展でデビューした。1ヶ月後、最初の10機のスホーイー30MKKが中国サイドに引き渡された。第2陣10機の戦闘機は2001年8月21日に引き渡され、最後の18機は同年12月に中国に到着した。

(頑住吉注:これより8ページ目。画像のキャプションは「スホーイー30MKKは解放軍海軍航空隊に、空軍よりもさらに先進的な対地攻撃手段を持たせた。この機はSUV-VE空対空火力コントロールシステムを装備しているとされ、計算能力はさらに出色で、アクティブレーダー制御誘導対艦ミサイルを使用する能力を持つとされている。」です。)

2001年7月、中ロ両国元首はさらに38機のスホーイー30MKKを提供する契約を締結した。2002年、双方は中国海軍航空隊への装備に用いるスホーイー30MK2を提供する談判を開始した。この新型戦闘機の火力コントロールシステムには改修が行われ、X-31A対艦ミサイルが発射できる。

2003年初め、ロシア・中国両国は24機のスホーイー30MK2多用途戦闘機を提供する契約を締結した。これらの戦闘機はいずれも2004年にはすでに引き渡しが完了している。スホーイー30MKKはスホーイー27SK/スホーイー27UBKに比べより完備され、その主翼付け根部分に近い位置には2つの外部吊り下げポイントが増設され、しかもそれらはいずれも重量2トンにも及ぶ武器が搭載できる。この2つの新たな吊り下げポイントには大型の「空対面」ミサイルが搭載できる。しかもスホーイー30MKKの最大戦闘搭載荷重は8トンに達し、燃料は最大で10,186kg搭載できる。この他、この機にはさらに空中受油管がある。機体の重量がやや増加したため、スホーイー30MKKの機体の一部ユニットと発着架にはいずれも補強が行われた。制空権奪取任務執行時はスホーイー30MKKはR-77およびR-73ミサイルが使用でき、一方対地および対艦攻撃任務執行時はX-59、X-29、X-31ミサイル、および各種類型のレーザー制御誘導航空爆弾が使用できる。

スホーイー30MKKはN001VEレーダー1基を装備する。N001VEはN001Vの簡略化バージョンで、探知計測距離は100km、同時に10の目標を追跡し、かつR-77を誘導してこのうち2つに対し攻撃が実施できる。中国海軍航空隊に装備されるスホーイー30MK2はN001VEP型レーダーを装備し、その探知計測距離は110kmにまで延長され、Xー59およびX-31Aミサイルが誘導できる。


 スホーイ‐27無断コピーの件で関係が悪化したことはいまだに尾を引き、スホーイ‐35導入にも影響しているとされていますが、スホーイ‐30の時にこの問題がどう議論され、解決されたのかがよく分かりません。また、新たな戦闘機導入には双方の国防大臣クラスではなくトップどころの指導者の協議が必要だということが分かりますが、今のところスホーイ‐35の件に関し双方のトップが協議し、その場で合意されたという情報はないようです。もちろんそうした情報は後で明らかになるのかもしれませんが。









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