ナチ・ドイツの対戦車吸着爆雷

 先日「Waffen Revue」によるナチ・ドイツの対戦車手榴弾に関するレポート内容をお伝えしましたが、その中にそれ以前に存在した磁石の力で敵戦車に直接貼り付けるタイプの爆雷、「Haft Hohlladung」がちょっとだけ登場しました。今回は4号に掲載されていたこの爆雷のレポート内容を紹介します。


Haft-Hohlladung 3kg

 1942年11月12日のOKH(頑住吉注:「Oberkommando des Heeres」=陸軍総司令部)-指令により、「Haft-Hohlladung 3kg(Haft-Hl 3またはHaft-H3とも)」(頑住吉注:「Haft」は「吸着」、「Hohlladung」は成型炸薬のことです。ちなみに括弧内は略称です)が部隊に導入された。その高い爆発効果および「Schalldruck」効果はこの兵器を、戦車を戦闘外に置くための最も効果的な近接戦闘手段とした(頑住吉注:鉤括弧内は辞書には「音圧」と出ていますが文脈上どうも変です。敵戦車に超高温高圧高速のガスや金属の噴流が突入すれば音圧など問題にならないでしょう。何か別の意味があるのかも知れません)。だが、この「対戦車クルミ割り」(頑住吉注:「Panzerknacker」)には、敵の戦車にこれを取り付けることを可能にするために完全に近くまで接近しなくてはならないという欠点があった。

 この磁石による吸着は都合の良い前提下では走行中の戦車にもこのHaft H3を取り付けることを可能にした。

 たとえこの兵器の導入が非常に有意義なものであったにせよ、適性ある個人戦闘者(頑住吉注:「Einzelkampfer」・「a」はウムラウト・「白兵戦をする人」の意味もあり、ここでは単独で敵戦車に戦いを挑む兵、といった意味のようです)たちのこの兵器への訓練は最も厳格な秘密保持下で行われた。訓練のためのマニュアルも、まず「秘密規則」を扱わねばならなかった。この秘密保持は1943年2月16日のOKH-指令によって初めて解除された。なぜなら敵がその間にHaft H3に関する充分な知識をすでに得ており、またこの時点ではより強化された個人戦闘者たちの訓練が必要とされ、これによりどっちみち秘密保持はもはや不可能だったからである。

A.説明
 Haft-Hohlladung 3kgは取っ手付きの本体(この中には爆薬がある)と吸着装置からなっている。吸着は磁力のある三本足によって引き起こされる。

 点火は「燃焼点火器」(頑住吉注:「Brennzunder」・「u」はウムラウト)と爆発カプセル(頑住吉注:「Sprengkapsel」)Nr.8によって行われ、これらは取っ手内に入れられている。古い方式である本来の「Haft-Hohlladung 3kg用燃焼点火器」(4.5秒遅延セット・青色のキャップ)は、1943年5月29日のOKH-指令によって「Haft-Hohlladung 3kg用燃焼点火器7.5s」に交代した。

 重量26gで、7.5秒の遅延セットであるこの新しい黄色いキャップを持つ点火器は、必要不可欠なものになっていた。本来の4.5秒は個人戦闘者の「遮蔽物内退避」用に充分でなかったからである。これには唯一、最初のタイプと違って完全に無音で燃え、点火経過が開始されたかどうか簡単に分からないという欠点があった。

 しかしこれにはHaft-Hohlladungの設置前にすでに紐を引いて点火できるという大きな長所もあった。走行中の戦車にHaft-Hohlladungを設置し、そしてその後になって初めて紐を引くことができる古い形式の点火器(4.5秒)は、それまでの経過において非常に使用困難であることがすでにはっきり示されていた。つまり新しい点火器の場合、Haft-Hohlladungをまず点火し、そして戦車の水平な面に簡単に投げることができたのである。しかしこれはいくらかの練習を必要とした。3本の磁力のある足を水平な面に命中させ、そしてそこに留めなければならなかったからである。

 ただし、理想的解決はスプーンセーフティを持つファイアリングピンによる点火(例えばイギリスやアメリカのハンドグレネードがそうであったような方法)だったと思われる。つまりこれならHaft-Hohlladungの安全装置を解除し、そしてこの安全解除状態で戦車に取り付けるための適したチャンスが生じるまで、手で持ち続けることができた。こうした装置は無音で燃えるたった7.5秒の遅延セットに比べ、ずっと効果的で、個人戦闘者の神経に非常に強い負荷をかけなかったはずである(頑住吉注:要するに点火したら最後、その後敵戦車がスピードや方向を変えるとか、それまで気付かなかった歩兵の随伴に気付くとかいった状況の変化があっても7.5秒以内に敵戦車に貼り付け、退避を終えなければ自爆するか少なくとも爆発によって自分の存在が敵に知られるしかないこの兵器の設定よりも、アメリカやイギリスの手榴弾のように安全ピンを抜いてチャンスを待ち、敵戦車に貼り付けてから手を放せばレバーがはじけ飛んで点火し、数秒後に爆発する形式なら余計な神経を使わずに済み、ベターだったはずだというドイツ人らしからぬもっともな指摘です)。

B.操作
 たいていの場合以下の指示が有効だった。すなわち、

 Haft-H3は手で、磁力のある3本足を使って戦車上に設置される。取り付けの前、保護リングが取り外される。Haft-H3は戦車の任意の位置に設置できるが、最も有利なのは水平の面に取り付けられる場合である。この際、可動部分(キャタピラや回転砲塔)あるいは接合部から外して捨て去ることのできるところでないことに注意する。

 垂直あるいは急角度に傾いた面への設置は、常に3本中2本の足を上にしなくてはならない(頑住吉注:「」こんな形ではなく、これを上下逆にした形で設置せよというわけです)。

 非常に汚れた、あるいはセメントコーティングした装甲版の場合、磁石の吸着が無効になる可能性がある。そういうケースにおいてHaft-H3を戦車の突出部に固定できるようにするため、追加のフック付き鎖が備えられている。
(頑住吉注:こんな感じだと思います)

 設置後、Haft-H3は紐の引きによって点火される。その後近接防御戦闘者はすぐ遮蔽物を求めなければならない。

 Haft-H3は装甲厚140mmまで貫通する。その爆発および音圧効果は壊滅的である。

C.練習-Haft-Hohlladung 3kg
 Haft-H3の完璧な取り付けは、個人戦闘者が充分に訓練されている場合にのみ可能である。この場合彼は敵戦車に忍び寄ることを学ぶだけでなく、Haft-H3の走行中の車両への設置も練習し、いわゆる死角を知り、そして特に「動く要塞」を前にしての恐怖を克服しなくてはならない。きわめて勇敢な兵士のみが個人戦闘者としての訓練に向いている(頑住吉注:向いてない奴に訓練を施しても役に立たんというわけです)。

 徹底した訓練は、1943年2月8日のOKH-指令により「Ubungs-Haft-Hohlladung 3kg」(頑住吉注:「Ubungs」は「練習」・「U」はウムラウト)が導入された後になって初めて可能になった。

 これは爆薬を充填した実物のHaft-H3と重量が等しい中空の本体、発煙火薬を持つ練習弾薬、遅延-摩擦点火器、3つの磁石を持つ吸着装置からなっている。

 つまり、この練習-Haft-H3を使って(爆薬を含まないため)危険なく練習できるのである。使用後はそのつど、練習-Haft-H3を再び使用できるようにするため、練習弾薬と点火器を新しくしなければならないだけである(頑住吉注:重量が同じで、炸薬の入っていない練習用爆雷を、たぶん鹵獲した敵戦車に貼り付けて点火、または点火して貼り付けると、爆発の起きる時点で煙が上がり、敵戦車兵に見えない角度からコンタクトできたか、振動等で脱落しない充分な設置ができたか、点火が成功したか、その時点で充分な退避ができているかなどが分かったということでしょう)。


 対戦車手榴弾のレプリカを作っているメーカーはこれのレプリカも作っています。

http://pacificcoast.net/~gmax/ordnance/magneticmine.htm

 小さい方が今回取り上げられている「Haft-Hohlladung 3kg」で、やや大型の3.5kgバージョンもあったそうです。点火器の頭は黄色で、後期の7.5秒遅延タイプを再現したものだということが分かります。ちなみにこの紐を引くことによって摩擦で発火する点火器は「ポテトマッシャー」などと呼ばれる棒状手榴弾のそれと近い(同じ?)もののようです。文中にはありませんが、写真とキャプションによれば(木?)箱に9個入りで供給されたようです。

 ちょっと疑問なのは、投げるタイプで明らかに小型のパンツァーウルフミーネ(約1kg)の貫通力が150mmとされていたのに、このタイプが140mmとされている点です。磁石の重量もあるんでしょうが、円錐型の本体も明らかにこちらが大きいのにどうしてこうなるんでしょうか。もちろんこのタイプでは敵戦車の特に装甲の厚い車体や砲塔の前面に貼りつけることはほとんど考えられず、設置が成功しさえすればもっとも効果の大きい直角で作用するわけですから、140mmでも貫通力が不足ということはまずなかったはずですが。

 前回も書いたように、ドイツは敵が同種の兵器を使った場合に備えて戦車にツインメリットコーティングを施して磁石が吸着しにくくしました。今回の内容では連合軍が1943年始め頃にはこの兵器に関する充分な知識を持っていたとされています。しかし連合軍が大規模にこの種の兵器を使ったり、戦車に同様の防御策を講じたことはなかったようです。

 日本は本土決戦用に、長い棒の先に類似した成型炸薬をつけ、敵戦車を突くと同時に爆発する特攻兵器を作りました。これも100%死ぬわけではなかったらしいですし、ドイツ軍の吸着爆雷も特攻に近い危険度だったでしょうが、それでも攻撃側の心理状態にはかなりの差があったでしょう。









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