Hammerあるいは「パンツァートート」

 「Waffen Revue」30号に、「Hammer」というナチ・ドイツの対戦車兵器に関する記事が掲載されていました。私はこの兵器の名称も外観も全く知りませんでした。


器具「Hammer」(頑住吉注:「ハンマー」の意です。)

前文
 手元にある第二次世界大戦におけるドイツの秘密兵器に関する参考文献の中には、ときどきこの興味深い器具に関する記述が見られる。しかしそれは誤っているか、あるいは不充分なものである。書物「ドイツの砲 1939〜1945」の中にさえ、この兵器の写真が1枚だけ掲載され、「無反動砲あるいはロケットランチャーのプロトタイプ」とあるだけである。この著者はこれが「Hammer」であることを知らなかったのだ。

 事実、器具「Hammer」の開発は秘密裡に進行されたので、これに関する証拠書類や写真をあちこち探して見つけるのは大きな苦労をもってのみ初めて成功する。ともかく以下の記述は兵器開発に関する専門参考文献の多くの隙間を埋めることができる。

器具「Hammer」
 器具「Hammer」の開発は、器具「パンツァーシュレック」の戦闘距離を200mから500mに増大させるという要求が元になっている。その際器具全体の重量が45kgをできるだけ越えないことが意図された。命中成績としては1×1mに50%の散布が期待された。この要求の充足、特に重量に関しては、純粋な発射(頑住吉注:通常の砲)あるいはジェット原理(頑住吉注:通常のロケット)による構造ではもはや達成できなかった。

 純ロケットもこの距離において生じる大きすぎる散布ゆえ問題にならなかった。だからラインメタル社がパテントを取得した新種の内部弾道学(頑住吉注:バレル内の弾道を扱う学問)的原理が初めて使用された。

 器具「Hammer」はチャンバーレスのロケットであり、すなわち弾丸は従来型のロケット構造と違って本来の燃焼チャンバーを持たなかった。発射薬は投射グレネード(頑住吉注:迫撃砲弾)の場合に似て尾翼の周りに取り付けられていた。この尾翼は端部にリング型の「Anstauchung」を持ち、この結果砲身と尾翼端部の間には「リングノズル」が生じた(頑住吉注:「Anstauchung」は辞書に載っていませんが、「弾頭の後方にシャフトがつながり、シャフトの後端に尾翼があり、発射薬はシャフトに巻かれるように位置している。発射ガスは尾翼と砲身の間から後方に抜ける、ということです。)。

 燃焼チャンバーはある意味砲身自体がそれとなった。これは弾丸重量の注目すべき節約を意味した。

 この原理における根本的な困難は、尾翼シャフトに対する高められた要求にあった。それは加速力とならんで、ガス圧による牽引力にも耐えねばならなかった(頑住吉注:通常と違って尾翼が発射薬の後流にさらされ、後方に吹き飛ばそうとするような力にさらされるということです。また、ここには書かれていませんが、シャフトもあまり肉が薄いと圧力で押しつぶされるおそれがあるでしょう)。

 この構造からは特にノーマルなロケットに対しての外部弾道学(頑住吉注:マズルを出て以後命中までの弾道を扱う学問)的散布の改善が期待された。必然的に燃焼の終わりがマズルにおいて正確に定義され、そしてそれにより弾丸が古典的な射撃経過の場合に似て、必然的に誘導された弾丸のルートの間だけ加速されるからである(頑住吉注:無誘導のロケットは通常の砲より命中精度が劣るのが通例ですが、シャフトのまわりに発射薬が巻かれているこのシステムでは砲身から弾丸が出ると発射薬は拡散して加速が終了するので、通常の砲並みの命中精度が期待できるというわけです)。

 この際、ノーマルな火薬式ロケットのような等しいガス圧における調節された火薬の燃焼が保証されたままだった(頑住吉注:いまいち意味が分かりませんが、たぶん「この構造は無反動砲に似ているが、発射薬が一気に燃焼する無反動砲とは異なり、砲身を出るまで均一な燃焼が続く、あくまで砲身内のみ噴射が行われる特殊なロケットである」といったことが言いたいのではないかと思います)。

 この構造は、器具PWK 8 H 63(口径8.1cm、これに関しては我々はさらにレポートする)の弾頭に基いていた(頑住吉注「PWK」はおそらく「対戦車投射カノン」の略で、無反動砲のようです。「Hammer」の弾頭はこの型式の無反動砲のそれをアレンジしたもので、完全新規開発ではなかったということです)。この弾丸はその成型炸薬によって60度以下の角度で160mm厚の装甲板を貫通した。600kg/cuのガス圧では要求された450m/sの初速に達しなかったため、弾丸には「Treibspiegel」(頑住吉注:ドライゼのニードルガン、PSS特殊消音ピストルなどでも出てきた、弾丸を載せて加速するピストン状の部品を指す単語で、ここではサボとしておきます)が備えられ、10.5cm砲身から発射された。この場合同時にオーバーキャリバー(弾頭の径より大きい)の尾翼を取り付けることができ、これは外部弾道学的理由から、比較的重い尾翼シャフトの場合非常に望ましいことだった。

 この弾丸は分離して飛び去るサボつきで重量3.3〜3.5kgだった。尾翼シャフトは能力上の理由からマッシブでなくてはならず、後方に向かって先細りになっていた。6枚の尾翼薄板およびノズル状拡張部の受け入れのため、尾翼シャフトの端部は「anstauchen」(頑住吉注:前出の不明語が動詞になったものです)され、穴が開けられ、スリットがつけられ、そして尾翼薄板が熱製造プロセスでプレス接合されていた。

 発射薬は熱量165カロリーの場合1.1〜1.4kgで60gのNz.火薬の追加積載がなされた。この発射薬に適した幾何学的フォームを見つけるため、外部弾道学的試験がいろいろな「Stellen」で実施された(頑住吉注:地理的な「場所」、学問上の「立場」、「機関」、「ポスト」などの意味があり、この場合どれにあたるのか不明です)。これは短い燃焼時間で一方では要求された成績をもたらし、他方では弾丸の運動に際しての加速力を受け入れる充分な堅固さを持つものだった(頑住吉注:砲身内での急速な加速の際に未燃焼の火薬が形を保ったままでいる必要があった、ということのようです)。

 巻かれた厚さ0.3〜0.4mmの火薬フィルム(鏡面あるいはミゾ付き)、そして適したフィルムを持つ多孔質形式の火薬棒が使用のために登場した。

 砲身長(=ボアの長さ 頑住吉注:チャンバーがないため)は仕上げられたサンプル砲身の場合2000〜2500mmだった。重量上の理由から望ましい砲身長として1000mmが得ようと努められた。それは口径10.5cm用の一連のテスト砲身であり、これには例えば時間-ルートおよびガス圧測定のための10箇所の計測位置が備えられていた。口径81mmのバレル(器具PWK 8H 63の口径)を使用したテストが計画されたが、これはもはや実施されなかった。この試みのための本質的困難は、要求された初速を実現するための発射薬の収容のための最初から狭められたスペースだった。つまりそれゆえこの口径の使用は、もし実際に火薬の均一な燃焼が達成された場合に初めて行われる第2の開発段階と見なされる。さらなる課題は、安定性を保った上での直径8.1cmを持つ縮小された操縦翼の開発にあった(頑住吉注:元々口径81mmで行こうとしたが、必要な初速に達しなかったためサボつきの105mmに変更したわけですが、重量が重過ぎるので何とか81mmでできないか検討されたが終戦までに実現はしなかった、ということのようです。グレーの文字で示した部分は仮定の話で、以後実際に作られた105mm砲の話に戻るので注意してください)

 研究終了段階において尾翼の充分な堅固さが確保された。要求された初速はほとんど達成された。だがガス圧が900kg/cmにあるガス圧グラフの形はまだ不満足だった。

 サボの脱落は試験的に行われたが、これに対し充分な命中成績の確認はまだ欠けていた。砲架の構造は重量および実戦投入上の要求によって決まった。できる限り最も小さい砲身重量30kgの場合、砲架に残されたのは15kgだけだった。

 いろいろなデザインが生じ、そこから1つ1つテスト器具が仕上げられ、こうしたサンプルから生じたさらなるテスト品が製造された。部隊テストはこうしたシリーズの最終的な形で行うことが意図された。

(頑住吉注:これが弾薬の概念図です。部分名称は、1=砲身内壁、2=成型炸薬弾、3=サボ、4=発射薬、5=シャフト、6=点火、7=遮断プレート、8=6枚の尾翼、です。尾翼の直径が弾頭の直径より大きいのが分かります。元の図を見ても6と7が正確にどこを指しているのかはよく分かりませんが、電気的な方法で発射薬の後端に点火されたようです。後方にガス噴射を行う以上「遮断プレート」は完全な遮断能力を持つものではありえませんが、使用前の発射薬を保持しているだけで点火時に壊れ、後方に排出されてしまうのか、燃え尽きてしまうのか、後方へのガスルートがあらかじめ設けられていてサボ同様発射後に脱落するのかは不明です)

 器具の運搬と機動的な実戦投入を考慮して、3人の兵員の背に担われる荷への分解が予定された。そしてこのための砲身の分解性が必要であることが確認された。ネジ結合として、「Uberwurfmutter」(頑住吉注:「U」はウムラウト。「カバー雌ネジ」?)、バヨネットあるいは「Kniehebelverschluss」(頑住吉注:「膝当てレバー結合」?)が考えられた。実地における汚れに対する抵抗力のなさは最終的な構造によって判断されることが意図された。

 砲身の砲架内における軸受けは、バランサーおよび「Richtmascinen」(頑住吉注:「向けるマシン」?)なしで砲身が、未装填状態ではやや前部が重く、装填状態ではやや後方が重いという結果になることが意図された。保管状態では砲身は球状の隆起を持ち、この隆起は上部砲架の内壁にある球状関節穴内に位置した。この上部砲架は2重に直角に曲がった「Flacheisen」(頑住吉注:「フラット鉄」。平べったい棒状の鉄材などを指すようです)である。その脚(上部砲架壁)は、「Knebelmutter」(頑住吉注:「トグル雌ネジ」。手で回せるようにトグル状の突起がついたナットです)つきの1本のネジによって互いに緊張させられていた(頑住吉注:要するに、

「上部砲架」を前または後ろから見た、単純化した図です。板状のスチール材をコの字型に曲げ、上が開放された状態にし、砲身の球状突起が「上部砲架」の球状のくぼみにはまって仰角、俯角が自由に変えられるようにしてあります。この運動の抵抗を調節するため、1本のネジをその下に左右に貫通させ、手で回せる「トグル雌ネジ」で締められるようにした、ということのようです)。この装着状態では、砲身は希望次第で程度の差はあれ簡単に、高さ、サイド(制限付き)、そして縦軸に沿って(「Horizontierung」)動かすことができた(頑住吉注:球状関節結合によって上下、左右はある程度調節できます。最後の「縦軸に沿って」というのは、たぶん「上部砲架」自体がターレット状に回転することを指しているんだと思います。要するに戦車の砲塔みたいな感じですね)。

 上部砲架は下部砲架の上に位置し、垂直な「Napfen」(頑住吉注:辞書には「浅い鉢」とありますが、ここでは鉢状のくぼみのことでしょう)の周りで無制限に回転可能だった(サイド方向 頑住吉注:これがターレット状回転のことでしょう)。

 下部砲架は一種の「Fahrradrohren」(頑住吉注:「走行輪パイプ」? 検索しても全くヒットしません)からなるフレームである。この結果器具は地上を滑ることができた。その前部はケース状の継ぎ足し部内に「Schwenkzapfen」(頑住吉注:「方向転換栓」?)を受け入れた。同じケースにはサイドに走行輪パイプからなる2つのバーが関節結合され、これは「はさむ結合」によってそれぞれ固定できた。この砲架は「Drehpunktauflage」(頑住吉注:「回転ポイント支え」?)を持ち、全ての土地に適合できた。その上約300mmから800mmまでの任意の全ての射撃の高さに調節できた。それぞれにおいて両方のバーには簡単な「Landmaschinenrad」(頑住吉注:「陸マシーン輪」? 検索すると「Landmaschinen」とはトラクターのことらしいです)が取り付けられ、これによりこの器具は組み立て状態で土地において簡単に移動できた。その際砲身は固定された。車輪を使わない器具の固定した接地のために、バーはその端部に小さな突出部を持っていた(頑住吉注:うーん、砲架の説明にはやはり銃の説明には出てこない単語が頻出して理解困難です)。

 後部砲身部分にはさらにグリップフレーム型の電気的発射装置、およびノーマルな対戦車砲スコープまたはフロント、リアサイトによる照準器がが取り付けられていた。

 この器具の実戦投入は「Radfahrkompanien」(頑住吉注:「車輪走行大隊」)において行われることが意図された。このため「陸マシーン輪」の代わりに走行輪も取り付けることができた。その後は走行速度を20km/hに高めることができた。

(頑住吉注:これが最も低い射撃状態です。原則として射撃姿勢は低い方が敵に発見されにくく、生存率が高くなるはずです)

(頑住吉注:これが最も高い射撃状態です。遮蔽物などの条件によってはこのように高い射撃姿勢をとる必要があったんでしょう)

(頑住吉注:上部から見た図です)

(頑住吉注:走行状態です)

(頑住吉注:分解状態です。砲弾のシャフトがまるでワイヤーのように細く見えますが、下部が光って白く飛んでいるだけです)

(頑住吉注:このように、前部砲身、後部砲身、砲架と3つに分けて3人の兵によって人力で運搬できました。パンツァーシュレックよりはるかに大変ですが、2.5倍の射程とはるかに勝る命中精度には大きなメリットがあったはずですし、言うまでもなく160mmの装甲貫徹力を持つ通常の対戦車砲よりはるかに移動が容易です)

(頑住吉注:車輪付き、対戦車砲スコープつきでの実際の射撃状態です)

(頑住吉注:車輪を外し、フロント、リアサイトでの射撃状態です)

テクニカルデータ
暗号名:器具「Hammer」
口径:10.5/8.1cm サボ
初速:430m/s
弾丸重量:3.3〜3.5kg
発射薬重量:1.1〜1.4kg
火薬の持つ熱量:1050cal/kg
最大ガス圧:600kg/cuが得ようと努められた
最大戦闘距離:500m
装甲貫徹力:160mm/60度
50%の散布:1x1m
砲身長:1500mmが得ようと努められた
調節可能な発射高さ:300〜800mm
仰角の範囲:−10度〜+15度
左右方向の範囲:±15度(360度)
ホリゾンタル範囲:無制限
器具の全長:約1650mm
器具の全幅:650mm
器具の重量:45kg
分解可能な担う荷:3
それぞれの担う荷の重量:15kg
走行速度:10km/h

後書き
 ここで人は自問することになる。何故この器具「Hammer」は実戦に登場しなかったのか。この兵器の命中正確性が並外れて良好だったにもかかわらず。テストでは発射された全てのロケットのうち80%が距離500mの場合1.5x1.5m命中像内に着弾した。つまり全ての戦車に命中したはずである。

 その理由は全く簡単に説明される。すなわち、ほとんど2年の長きにわたってこのラインメタルにおけるKleinschmidt工学士の発明は引き出しの中に横たえられていた。陸軍兵器局の担当ポスト、そして特にヒットラー自身がこの新種の兵器に夢中になれなかったからである。前線における情勢が破局的になり、人々が狂ったように効果的な対戦車防御兵器を探し求めたとき、1944年の終わりになって彼らは突然この「Hammer」を思い出した。すぐにこの器具のデモンストレーションのための全ての準備が行われた。その後1945年1月始めにKummersdorf射撃場でこれが行われ、これにはOKWにおける陸軍幕僚のチーフ、Buhle将軍、さらに陸軍兵器局のチーフ、Leeb将軍、およびロケット担当の帝国全権代理人、SS上部グループリーダーのKammler、そして最後に軍需生産省の「Hauptdienststellenleiter」(頑住吉注:「ヘッド官庁リーダー」?)Saurが参加した。

 このデモンストレーションにおけるこの器具の成績は魅力的なものだったので、すぐに大量生産の開始が決定された。そしてBuhle将軍は1ヶ月以内にすでに多数を作るよう要求を出した。しかしこれはこの時点では実行不可能と判明するしかなかった。製造のためにはいろいろな下請け業者を参加させなくてはならなかったからである。

 それでもフル回転の生産を開始するため、考え得る限り全てのことが行われた。SS兵器局のエネルギッシュな熱望の後、器具「Hammer」は1945年3月1日に、「ドイツ国防軍の最も緊急の兵器」と宣言され、これにより通常に従えば労働力およびマテリアルにおける無制限の配当量が保証されたはずである。しかしこの時点では他の多くのケースでもそうだったように、「残念ながら余りにも遅すぎた」という評価がここにも当てはまった。だがそれでも多数のこの新種のロケット兵器が製造された。しかしこの間に前線への補給は完全に崩壊しており、もはや実戦投入は成らなかった。

 もし2年もの間待たなかったなら、どうなっていたか‥‥。


 これは1978年発行の号に書かれた内容なので情報的に古い部分があるかも知れません。私はこの「Hammer」という聞いたことのない兵器について検索して調べていくうちに、ひょっとしてこれは「パンツァートート」と同一のものなのではないかと思いました。「パンツァートート」に関しても、名前以外ほとんど知らなかったんですが、 http://mgdb.main.jp/pukiwiki/index.php?HASAG%20RPzB43 こことか、 http://f1.aaa.livedoor.jp/~hentai/old/contents/dod/class_antitank.htm ここにちょっとだけ言及があります。ただ、口径105mmであるなど共通点もあるものの、特に後者は「パンツァーシュレックを大口径化したものだが、重量が大きくなりすぎて失敗した」といった評価に読め、「Waffen Revue」の記述とは必ずしも一致しません。「Hammer Pnazertod」で検索してみたところ、 http://sus3041.web.infoseek.co.jp/contents/gun_db/ger_index.htm ここでは両者は同一とされていました(ただし無反動砲とされています)。また、こんなページも見つけました。 http://www.lexikon-der-wehrmacht.de/Waffen/panzerabwehrkanonen-R.htm 該当部分のみ訳します。


 このグループにおけるさらなる開発品は「Hammer」だった。これはパンツァーシュレックと「Panzerwurfkanonen」(頑住吉注:「対戦車投射カノン」。無反動砲を指すようです)の間に分類されるものである。この開発は本来パンツァーシュレックの射程距離を200mから500mに引き上げるという要求から生じた。ラインメタルはこのシステムのためにチャンバーレスの砲を選択した。この場合発射薬は投射グレネードのシャフトの周りに配置されている。この長さ2200mmの砲身からは、いくらか変更が加えられた口径81.4mmの投射グレネード5071(すでにPWKに使用されていたのが見られる 頑住吉注:「PWK」は上の「対戦車投射カノン」の略だと思います)が発射された。しかしこの1943年10月に開始された開発は、1944年始めにストップされた。要求された命中精度を持たせようとしたならば、効果距離(頑住吉注:実用有効射程のことでしょう)を300mに短縮しなければならなかったのである。

 だが1944年、このプロジェクトは再び俎上に上がった。今回は105mmに拡大された口径を使い、この場合長さ725mmの投射グレネードはシャフト上のリング状発射薬の他に、さらに追加の発射薬を尾部に搭載していた。しかしこの兵器は重すぎた。そこで今度はサボつきのグレネードが選ばれた。この場合単純に古い投射グレネードに追加的に適合する10.5cmの円盤が備えられた。グレネード重量は4.2kgに増加し、シャフト部の発射薬1.2kgを使って初速540m/sが達成された。この初速は戦闘距離500mを結果として生じさせ、この場合160mmの貫通が得られた。

 この距離において命中精度はびっくりするほど良好だった。すなわち、命中弾の50%が辺の長さ1mの正方形内に位置したのである。兵器重量は小さな2輪砲架込みで45kgだった。砲身長は重量削減の理由から1365mmに短縮されていた。発射の高さ、すなわち砲身軸線の地上からの高さは、350mmと極端に低かった。しかし、さらに「Panzertod」という暗示的な名称を得たこの3つの部分に分解可能な兵器は、終戦時に2つの見本品がテストされていただけだった。


 やはり内容に少しずつズレが見られますが、「Hammer」と「パンツァートート」が同一のものであることは間違いないようです。私にはこれを無反動砲と見るのが正しいのか、ロケット砲と見るのが正しいのかは判断できませんが、いぜれにせよ距離500mにおいて高確率で戦車に命中する、通常のロケット砲のレベルを越えた命中精度を持っていたことは確かなようです。また、はっきりと言及されていませんが、翼によって安定が図られている以上ライフリングはなかったと見られます。

 パンツァーシュレックの後継と目されたが重量過大で失敗した、という評価もありますが、「Waffen Revue」の記述では、この兵器はきわめて優秀と判断され、切望されながら間に合わなかったものとされており、私はたぶんその方が正しいのではないかと思います。これはパンツァーシュレックの後継というよりは1ランクもしくは半ランク上のカテゴリーに入る兵器であり、つまりパンツァーシュレックが携帯型対戦車ロケットランチャーの先祖なら、「Hammer」は歩兵用対戦車ミサイルの先祖にあたるものなのではあるまいかと思います。当時はこういう特殊な構造とかなり過大な重量にしなければ長距離での正確な命中は望めなかったが、その後誘導技術によってそれが可能になったというわけです。












戻るボタン