ハントロフル

 ドイツ語版「Wikipedia」の「ハントロフル」(「手」+「筒」 片方が閉鎖された金属パイプに柄と点火口をつけただけの最も原始的な火器)に関する説明が面白い内容を含んでいたので紹介します。

http://de.wikipedia.org/wiki/Handrohr


ハントロフル
 ハントロフル(ハントビュクゼ、スタンゲンビュクゼ、ドンナービュクゼとも。クルツバージョンはファウストロフル、ファウストビュクゼ、スペシャルバージョンはフェウエルランゼ、クーゲルランゼ、オルゲルビュクゼ、スタンドロフル 頑住吉注:順に「手銃」、「棒銃」、「雷鳴銃」、「拳筒」、「拳銃」、「火槍」、「球槍」、「パイプオルガン銃」、「立銃」)は1人の人間だけによって運搬、発射できる最初のハントフェウエルヴァッフェン(頑住吉注:「小火器」と近いんですが三脚に据えて撃つ重機関銃等は含まれないので「手で持って撃つ銃」などと訳しています)である。ハントロフルの発達は最初の大砲(「射石砲」、「臼砲」、「小口径長砲」、「カノン」)とほぼ同時代に始まった。

 ハンドロフルは1300年頃に開発されたが、ひょっとするともっと早いかもしれない。ハンドロフルは青銅から鋳造された。より高品質の鉄の開発によって初めてハンドロフルも鉄で作られるようになった。弾としては最初から鉛球が発射された(これは大型の大砲の場合とは異なった。大砲の場合当初は火矢や石の球も使われた)。

 ヨーロッパではハントロフルは火縄銃がその地位につく前、1520年頃まで使用され続けた。ハントロフルは極東(特に中国)では19世紀に入っても使用された。ルーツに関しては議論の余地があり、中国、モンゴル、アラビア、ヨーロッパが発明者として問題になってくる。

銃身長、口径、操作

 銃身長は190mm〜600mmの間で変化し、口径は12mm〜36mmに及ぶ。ハントロフルの重量は1.5kg〜15kg(包囲攻撃モデル)の間だった。

 より簡単な操作のためハントロフルは長さ約600mm〜200mmの木製の棒に固定された。より大きい、そしてより重いハントロフルは支持設備(木製の銃用二股架台、城壁)の助けを得て発射された。銃の照準のためには時々第2の人間がアシストする必要があった。軽量なハントロフルの場合腕の下で構えて(槍のように)、または肩の上で点火された(モダンな個人用対戦車火器のように)。大きなリコイルショックゆえに肩に当てることは好まれなかった。

 後装モデルも試みられていたにせよ、ハントロフルの大多数は前装銃だった。全てのバリエーションにおいて射手は発射薬に(両側が)燃える火縄を使って点火した。火縄は早い時期のモデルではダイレクトに手で、15世紀半ば以後はマッチロックによってオープンな点火口に導かれた。何日もない期間のみの射手訓練は弱点を形成した(頑住吉注:直訳すると変ですが、「こうした発射法は後の銃のそれに比べて短期間の訓練では習熟が困難だった」ということでしょう)。大型の石射銃の使用の際にも見られたように、無知からくる銃身の肉厚には多すぎる発射薬量選択は(時々は金属の劣化と複合されて)頻繁に銃身の爆発を引き起こした。‥‥これはしばしば操作者にとって致命的な結果だった。

射程、戦闘における使用

 約300mという最大射程にもかかわらず、ハントロフルは近距離でのみ効果的であるに留まった。距離20mまでの場合ハントロフルの弾丸は騎士の装備を貫通できた。……あるいは前後に並ぶアーマーのない2人の敵を!

 アーマーのない敵なら50mでもなお致命的な命中が可能だった(これと比較して、長弓は60mまで甲冑を貫通し、甲冑がない敵に180mまで命中した。クロスボウは50〜100mにおいてアーマーを破った。 頑住吉注:違う用語が使われていて分かりにくいですが黄色字は全て同じものを指しているはずです)。面倒な操作、この結果として引き起こされた低い発射速度、そして火薬の風や湿気に対する抵抗力のなさは不利な要素だった。このためオープンなフィールドでの会戦よりむしろ包囲攻撃での使用が多く、また貯蔵されているだけのことが多いということになった。

戦術的欠点、戦略的長所

 ハントロフルが長弓およびクロスボウに対し操作面、狙いの正確さ、発射速度(ハントロフルは毎分1発、クロスボウは毎分2発、長弓は毎分12発)で戦術的に劣ったままだったにもかかわらず、中世の戦争をする男たちの武器庫における長弓やクロスボウの場所を奪い取った。この戦略的理由は低い製造コスト(クロスボウの1/20の安価さ)、簡単な(半日以内で可能)製造、そしてこれにより簡単になった大量生産だった。その上その使用は何日もない射手訓練しか要求しなかった(頑住吉注:前の記述と矛盾するようですが、後の銃器より習得困難にしても「一応実戦で役に立つ」レベルに達するには短時間で済み、弓類ならもっと訓練しないとそのレベルには達しなかった、ということでしょう)。必要な場合多数の射手割り当て数が短時間で徴用可能だった。その上彼らは長年訓練された長弓のスペシャリストたちよりも少ない月給しか受け取らなかった。

スペシャルバージョンと発展開発

 複数バレル(4〜10本)を持つパイプオルガン銃、および1回の射撃で前後に並んだ複数の装薬を発火させる球槍、火槍(例えば建物放火用)がすでに15世紀には試みられていた。

 より小口径への過渡期、黒色火薬の品質改善と鋳鉄の硬度のための鋳造手法の最適化が一緒に起こった。発射薬量は減らすことができ、肉が厚かったハントロフルの重量は低下した。15世紀にはすでに生じていた「フックガン」は手工業による発展開発品だった。またここから火縄銃やマスケット銃も生まれた。

 馬に乗った射手は15世紀半ば以後「クルツハントロフル」を使用した。この長さ約250mmのハンドガンは鞍に固定された折りたたみ可能な二股支持架から発射された。このファウストロフル(ファウストビュクゼ、ファウストリング、16、17世紀にはプファーとも)はその名を、すでにとっくにホイールロックを備えたずっと後でもなお保ち続けた。これによりモダンなピストルへの移行が行われ、ここから19世紀にリボルバーが開発された(頑住吉注:以下略)。

(頑住吉注:画像キャプションは上から

スタンゲンビュクゼ、あるいはスタンドロフル。二股になった木製の支持架から発射された。Konrad KyeserによるBelli Fortisの写本。1400年頃。

タンネンベルグの銃。ドイツ最古の手で持って撃つ銃であり、タンネンベルグ城(1399年に破壊された)の廃墟の井戸の中から発見された。

知られているうち最古のトリガーメカニズム(Codex Vindobana 3069 ウィーンの国営図書館)。


となっています。なお当時の絵に関しては

http://www.geocities.com/wolfram_von_taus/Research/Research_Handgonne.htm


ここにより大きなサイズの画像がありました)


 トリガーメカニズムを持つものもこのハントロフルに含まれていてあれ? と思ったんですが、ハントロフルというのはタッチホール式、マッチロックなど点火方法による分類とは異なる、筒に柄をつけただけ、といった全体形状による分類だったわけです。

 最大射程、アーマーあり、なしの敵に対する有効射程や発射速度の弓やクロスボウとの比較も興味深かったんですが、最も意外だったのはこうした最初の火器が弓類よりコストが低かったから普及したのだ、という指摘でした。

 なお、これを読んでいる人は皆さんお分かりでしょうが、リボルバーが19世紀に開発されたというのは明らかに誤りです。








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