アメリカ、かつて朴正熙の核武装計画を阻止

 先日「韓国、核武装を望む」の項目で韓国の核武装の可能性という問題に触れましたが、今回紹介するのは1970年代に現大統領の父朴正熙が強行しようとした核武装計画をアメリカがいかに阻止したか、という現代に対しても示唆に富む記事です。

http://military.china.com/history4/62/20130409/17768854.html


多ルートの圧力が最終的に功を奏す:1975年にアメリカは韓国に核計画の放棄を迫った

朝鮮半島の軍事対抗の雰囲気が日増しに濃厚になると共に、韓国国内に「核を持つことで核に抗する」との声が出現し、北朝鮮のように「自らを核で保護する」ことの実現を煽っている。事実として、韓国が核武装化に踏み出す最大の足かせは国内ではなく、その最大の盟友、アメリカである。朴正熙政権時代には早くも、アメリカは全く容赦なくこの国の「核の陰謀」を取り除いた。

韓国、アメリカに放棄されることを憂慮

1975年2月、アメリカの駐ソウル大使館は、韓国が核兵器開発を実施しているところであるとの兆しを掌握するに至った。アメリカ政府は各種の情報を総合して次のように考えた。「韓国の関連部門はすでに朴正熙大統領の指示の下に、核兵器開発能力の研究を完成させた。韓国政府はフランス、カナダと談判を行い、核燃料処理施設と設備導入を準備しているところである。今後10年で、韓国は完全に核兵器とミサイルを製造する能力を持つことになる。」 3月4日、アメリカ国務長官キッシンジャーは、サイゴンを離れるアメリカの居留民のために忙殺されている時に、体を空けて駐韓国、カナダ、フランス、日本、オーストラリア大使に電文を発し、「必ず、無条件で韓国の核兵器開発計画を阻止する一切の努力を尽くさねばならない」と指示した‥‥。

韓国は何故密かに核兵器を研究開発しようとしたのか? 通常、韓国の核兵器研究開発の決心を引き起こしたのは1969年のアメリカ大統領ニクソンのグアム島での談話だと考えられている。この年7月、ベトナム戦争の泥沼に深く陥ったニクソンはグアム島でアジア太平洋政策に関する談話を発表し、前例のない形でアジアの同盟国に安全保障業務上自身の力量を強化し、自ら責任を負うよう奨励した。この挙は韓国をゆるがせ、韓国の韓米安全保障業務関係に対する信頼を動揺させた。その後アメリカは韓国と軍撤収の協議を行い、1971年、アメリカ大統領ニクソンは一方的に駐韓米軍1個歩兵師団を撤収させた。

後に秘密解除されたCIAの文書は、朴正熙はベトナム戦争終結後アメリカが韓国を放棄し、その時彼が独自に北朝鮮の切迫した脅威に直面することを心配した、としている。北朝鮮は1968年1月、突撃隊を派遣して青瓦台(頑住吉注:大統領官邸、すなわち韓国版ホワイトハウス)を強襲し、3日後にはまたアメリカのスパイ船「プエブロ」号を拿捕した。また、ニクソンは韓国に、キッシンジャーの中国秘密訪問を事前に知らせず、このことも朴正熙に、アメリカが突然同様に北朝鮮と接触するのではないかと心配させた。しかもアメリカ国内では、一部の政治家とメディアの記者による、朴正熙政権の独裁を批判する声も増加中だった。

1971年11月、朴正熙はある安全保障業務と関係のある重化学工業に責任を負う高級官僚に対し次のように言った。「アメリカの朝鮮半島における軍事的存在の不確定性のために、我が国家の安全は非常に脆弱である。安全と独立の状況を変えるために、我々はアメリカの軍事的保護に対する依存から脱する必要がある‥‥我々に核兵器は開発できるか?」 朴正熙は「スーパー兵器」を用いて韓国の防衛能力を最大限に強化することを希望したのである。彼の指示の下に、韓国国防省安全保障業務発展局は核兵器の設計、投射、爆破技術の研究開発を展開した。韓国原子力エネルギー研究所はフランスやベルギーなどの国から核燃料再処理および核燃料製造技術と設備を導入することを企図した。これと同時に、韓国は中距離ミサイル発射システムの研究開発を試みた。

1974年になると、南アジアの大国インドが成功裏に核実験を行ったことがアメリカに衝撃を与え、その後CIAは朝鮮半島に対する厳密なモニタリングを開始し、韓国の核関係の科学者を含む各種のルートから情報を収集した。関連の情報および韓国が西側諸国から購入する施設の性質を根拠にアメリカの当局者は、韓国が間違いなく秘密のうちに核兵器の研究開発を行っているとの結論を出した。

手強く一筋縄ではいかない朴正熙

アメリカ政府の秘密解除された電文によれば、韓国の核計画を阻止するため、キッシンジャーは次のような指示を出した。アメリカは同盟国との協力を保持し、韓国がデリケートな技術と装備を持つことを断固阻止する必要がある。韓国政府にできる限り早く核不拡散条約に加入することに同意するよう懇切に促す。韓国の核施設に対するスパイおよび監視能力を強化し、必ず韓国の関連領域の技術的状態に関する情報を獲得しなければならない。アメリカは韓国の原子力エネルギー関連機構に対する定期的訪問調査を頻繁に展開することを計画する。

米韓の核兵器開発問題をめぐる矛盾が徐々に表面化する過程で、当時アメリカの駐韓大使の任にあったシュナイダーが重要な作用を発揮した。1975年3月12日、シュナイダーはアメリカ国務省に次のように打電した。「我々は韓国が核兵器開発に必要とする時間は10年未満と判断する。我々が掌握している各種の情報から見て、韓国政府上層部は核兵器開発に対し非常に関心を持っており、1980年代始めになれば関連の結果はもうはっきりしてくる。韓国人の強靭な意志の力と彼らがすでに掌握している高いレベルの技術、そして外国の専門家のやり方を取り入れられること、さらには大統領を含む国家指導者の熱烈な激励に頼って、韓国が短期間内に核兵器を製造することは絶対に杞憂ではない。」

4月30日、シュナイダーは青瓦台に行き朴正熙と会見した。朴正熙は勧告を聞かず、しかも、万一アメリカの韓国に向け安全保障を提供する態勢に変化があれば、韓国が第三国から支援を獲得することは必須となる、と強調した。朴正熙は核兵器開発が財政負担を増加させることを認めたが、「我々は転ばぬ先の杖の策を取ることが必須だ。もし本当にアメリカ政府が韓国に向け正式に駐韓米軍を撤収させると通知する日がやって来て、やっと核兵器の研究開発を開始したのでは、一切はもう遅いのだ。」とした。

アメリカサイドは3月に確定した方針に基づき、人員を派遣しカナダおよびフランスと接触を行った。続いてシュナイダーは韓国の核エネルギー技術関連業務担当の当局者、外務大臣と面会し、彼らにアメリカの立場を伝えた。同年8月、アメリカ国防長官シュレシンジャーはソウルで挙行された米韓安保協議会の記者招待会で、「駐韓米軍は非常に強大であり、核兵器使用の機会は全くないのだが、我々は最後の手段としての核兵器を持っている。」と語った。会の後、シュレシンジャーは朴正熙に向け、「韓国がもしアメリカの勧告を聞かねば、米韓同盟関係は瓦解する。」と強烈に暗示した。同年の秋と冬、アメリカの東アジア業務担当の国務副長官も韓国の駐米大使咸秉春に圧力を加え、韓国にフランスからの再処理施設導入を放棄するよう要求した。咸秉春からの報告に接した朴正熙は、「これは国家の信用と名誉に関わる問題だ。」とし、これはアメリカに対するストレートな拒絶に相当した。

(頑住吉注:これより2ページ目)

多ルートの圧力が最終的に功を奏す

1975年10月31日、アメリカの駐韓大使館は国務省に対し電文を発し、韓国政府はすでに相次いで2回明確にフランスからの再処理施設導入放棄の要求を拒絶している、とした。シュナイダーは電文の中で次のように分析している。「〜最終目的を達成するには、韓国政府に適切に圧力を感じさせることが必須である。アメリカ議会は韓国に対する軍事援助の削減を正式に検討する必要があり、同時に韓国向けに古里二号反応炉の資金貸付提供を否決しなければならない。だがこのような圧力に直面して、韓国政府が屈服するか否かは分からない。だが我々は、このような決心を持つべきである〜」

古里二号反応炉の中断、軍事援助中断などの圧力に直面しても韓国政府は屈服せず、かえってフランスとの談判に一段と力を入れた。1975年12月と翌年1月、シュナイダーはまた警告し、「もし韓国が自らの立場を堅持するなら、米韓関係は収拾不可能な局面に完全に陥ることになる。」と言った。彼は韓国人に対し、もし核計画を放棄しなければ、米韓の政治、経済、安全に関する関係は全面的に影響を受けることになり、韓国の未来は損害を受けることになる、と明確に表明した。

韓国の元国務大臣金鐘泌は後に回想し、「朴正熙大統領はまさにこの時から徐々に、自分が核兵器開発を堅持すれば、必ずや米韓関係に対し挽回不能の損失がもたらされると意識し始めるに至り、このため彼は日本のようにしばらく核開発技術を蓄積し、チャンスを待って成熟した時に核兵器開発に再度着手することを提案した。」と語っている。1976年1月、韓国は正式に、フランスのSNG社と締結した再処理施設導入に関する契約の暫時停止を提出し、フランス政府は気持ちよく請求を受け入れ、朴正熙の核兵器開発計画はこれにより流産した。だが、ある研究は、韓国の核兵器開発は決してこれで終わったわけではなく、さらに2年持続した、とする。特に1977年、アメリカの新大統領カーターが韓国から軍を撤退させる必要があると言明すると、韓国国内は反対の声一色となり、核保有派は韓国が核兵器研究を放棄することはないと表明した。1978年、カーターが半島から軍を撤退させないと言明すると、ずっと存在した韓国の懸念はやっと消えた。だが韓国の科学者たちは依然、核兵器の研究を真に放棄してはいない。

(艾嘉 邱遠川の「38年前、アメリカはいかにして韓国に『核計画』放棄を迫ったかを明らかにする」より抜粋)


 キッシンジャーなど子供の頃によくニュースで耳にした人物が多数登場する「歴史秘話」ものの記事、非常に興味深かったです。ただアメリカが何故断固として核武装を認めなかったのかに関する分析が欲しかったです。なお「手強く一筋縄ではいかない朴正熙」という中見出しを見て、老獪な朴正熙が権謀術数を駆使してアメリカ外交を翻弄、みたいな展開を想像したんですけど、これじゃただ強情かつ空気読めてなかっただけですわな。娘はこの件をどの程度知ってたんでしょうか。











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