ヘルマンM1932‥‥?

 「昔のマイナーなサブマシンガンシリーズ」、もう少しで終わりです。今回紹介するのはこれまででたぶん一番マイナーな機種で、検索しても全く情報に行き当たりません。そもそも中国語表記の「赫爾曼」の原語での正確な綴りも不明です。「Herman」かも知れませんが、rやnが2つある綴りの人もいるので。この銃に関してご存知の方はお知らせください。

徳軍棄用的赫爾曼M1932沖鋒槍及其升級版M1935 沖鋒槍


ドイツ軍が放棄したヘルマンM1932サブマシンガンおよびそのアップグレードバージョンM1935サブマシンガン

サブマシンガンは2回の世界大戦中に何度もの改良を経て、大きく発展した。この期間、ドイツはずっと各国の先頭を行き、多くの著名なサブマシンガンを相次いで登場させた。例えばMP18、MP28、MP38、MP40等々である。だが多くのサブマシンガンの中で、設計に欠陥があり、使用者に放棄されたものも少なからず存在した。この文章で論述するヘルマンM1932サブマシンガンおよびそのアップグレードバージョンはまさにその中の1つである。

M1932サブマシンガンの誕生

第二次大戦前に設計された圧倒的多数のサブマシンガンが採用していたのはオープンボルト発射準備方式だった。だがドイツのヘルマンM1932サブマシンガンは例外であり、クローズドボルト発射準備およびトグルジョイント(頑住吉注:原文は「曲肘式」。ドイツ語では「膝関節閉鎖機構」でしたね)フルロック閉鎖機構、ショートリコイル式自動方式を採用していた。作動原理や設計理念上、ルガーP08拳銃に比較的近かった。

当初、この銃はサブマシンガンとして研究開発されたのではなかった。その設計者であるカール ヘルマンは元々トグルジョイント式閉鎖機構を採用した半自動小銃を設計するつもりで、パテントも申請していた。この半自動小銃は7.92mmx36.5ボトルネック型小銃弾薬を使用し、これは標準的な7.92mmx57モーゼル小銃弾薬と比べてずっと短いものだった。この半自動小銃はマガジン給弾を採用し、装弾数5発のマガジンはレシーバー左側に装備された。必ずしもマガジンを外す必要なく、すぐにマガジン内に装弾できるように、ヘルマンはエジェクションポートにストリップクリップのガイドレールを設計した。装弾時、ボルトを後方に引いて停止させ、5発をセットしたストリップクリップをガイドレールに挿入し、弾薬を親指で下に押せば、ただちに弾薬はマガジン内に装填でき、最後にストリップクリップを引き抜いた。

この銃の研究開発が成功した後、多くの関心を引き起こすことはなかったが、この銃が使用した短小弾薬は好評だった。第二次大戦の期間、ドイツ国防軍は類似の7.92mm短小弾薬を採用し、StG44アサルトライフルに使用した。

第一次大戦の最後の年、ドイツ国防軍は重量が軽く、フルオートで発射でき、拳銃弾薬を使用するサブマシンガンがより大きな戦術価値を有することに気づいた。そこで1920年代に秘密のうちに新型サブマシンガンが研究開発された。ヘルマンは鋭敏にこの趨勢をつかみ、彼が以前に設計した半自動小銃に新たに設計を加えて拳銃弾薬を発射するサブマシンガンにした。新しい銃の設計が成功した後、ドイツのある兵器工場で生産され、M1932サブマシンガンと命名された。

この銃はバレルの直径が大きいように見えるが、実際にはバレルジャケットの直径が比較的大きいにすぎない。ショートリコイル式自動方式を採用したので、バレルジャケットは射手がバレルを握って火傷をしないよう保護することができ、安全性を高めている。

この銃のマガジンはヘルマン半自動小銃の設計を流用したもので、やはり左側に水平に装着するが、ダブルフィード構造を採用し、給弾時は左右交代で進行する。このマガジンは信頼性が高く、かつ装填が容易だった。

M1932サブマシンガンは2つのトリガーを持ち、前後に並んでいた。後ろのトリガーを引くとセミオートでの発射のみでき、前のトリガーを引くとフルオートで発射された。この種の構造は素早く射撃方式を転換できた。

ただこの銃のトグルジョイント式閉鎖方式はベルグマンMP18Iの慣性閉鎖方式と比べずっと複雑で、しかも製造コストがより高く、ひとたびバレル内に埃が進入すると容易に故障が起きた。その上その使用弾薬の性能も理想的とは言いきれず、最終的にこの銃は発展を停止し、ドイツ軍に受け入れられることもなかった。

(頑住吉注:原ページのここにある画像のキャプションです。「FN社が生産した初期型M1935サブマシンガンはカーブした形のダブルフィードマガジン、ダブルトリガーを採用し、バレルジャケット前端上方には排気口が加工され、マズルブレーキの作用をした」)

M1932サブマシンガンの改良版、M1935サブマシンガン

ドイツ軍には否定されたものの、ヘルマンはこれを直ちに放棄することなく、FN社にこの銃の生産権を売り込む方向に転じた。FN社はきわめて大きな興味を示し、この銃の生産権を買い取るとともに改良を行った。1935年に生産が開始され、M1935サブマシンガンと称された。M1935サブマシンガンには2種類の口径があり、それぞれ9mmx19ルガー口径と7.63mmx25モーゼル口径で、20発あるいは40発を装填するカーブしたマガジンによる給弾を採用していた。

M1935サブマシンガンのバレルジャケットにはマズルブレーキ(頑住吉注:原文では「槍口防跳器」)が加えられ、バレルの後座時に一部の火薬ガスがマズルブレーキ上の穴から上に排出され、発射時のマズルジャンプを抑制することができた。

(頑住吉注:これより2ページ目)

M1935サブマシンガンの設計成功後、FN社はこれに対し不断の改良を進め、トリガーの前上方にセレクターを設置した。したがって本来のダブルトリガーはシングルトリガー構造に改められた。

劣悪な環境の中での信頼性を高めるため、FN M1935サブマシンガン最終バージョンはマガジン挿入口上方にスプリング性のある防塵カバーを設置し、もってマガジンを挿入していない時に埃が進入するのを防いでいた。リアサイトとして採用されたのは調節式の弧形サイトで、ヘルマンM1932サブマシンガンおよび初期型M1935サブマシンガンが採用していた3リーフ式サイトとは異なっていた。

(頑住吉注:原ページのここにある1枚目の画像のキャプションです。「ヘルマンサブマシンガンのボルト(上)とルガーP08拳銃のボルト(下)の比較。両者はきわめて似ている。」 続いて2枚目「ヘルマン半自動小銃の、ストリップクリップによってマガジン内に装填する設計図。」 続いて3枚目「へルマン半自動小銃のトグルジョイント式閉鎖機構および排莢過程。」 リコイルスプリングが面白いです)

コストがかさみ需要に合わず

ヘルマンM1932サブマシンガンおよびそのアップグレードバージョンはいずれも第1世代サブマシンガンの精巧な技術をはっきり示している。この銃が採用したトグルジョイント式閉鎖機構は、初弾の命中精度を高め得たかもしれないが、多くの高い精度の加工を必要とし、このためコストの高騰をもたらした。また同時代の他のドイツ製サブマシンガンはコストが低廉なだけでなく信頼性も高かった。これこそがへルマンサブマシンガンを最終的に採用されない結果をもたらした原因である。


 この銃を検索で見つけにくい理由はもう1つあり、それはFNバージョンを探そうとしても、あのハイパワーと年式が同じなことです。まさに歴史に埋もれたマイナー銃です。

 ドイツは当初ルガーピストルのフルオートバージョンを使用しようとしましたが、複雑、精巧過ぎてコストが高く、量産に向かず、埃まみれ、泥まみれの劣悪な環境での信頼性が低いなどの理由で広く使用することはありませんでした。ヘルマンはこの構造をサブマシンガンに引き継いでしまったわけで、失敗は当然だったわけです。あの大メーカーFNにもそこを見通す力がなかったというのも興味深いところです。ブローニングには意見を求めなかったのか、またブローニングは晩年に存在を知ったであろうサブマシンガンについてどういう見解を持っていたのか、興味が広がります。










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