ウクライナ側から見た「ワリヤーグ」購入の経緯

 最近中国側の当事者の手記が話題になったことは紹介しましたが、それに対するウクライナ側の反応です。

http://military.china.com/important/11132797/20150223/19317743.html


中国、「ワリヤーグ」を買って大損 かつて500万でも買う者はおらず

(頑住吉注:原ページのここにある画像のキャプションです。「徐増平(右)は1997年にウクライナの造船工場で『ワリヤーグ』号を視察した。」)

【グローバル軍事報道】 ロシア戦略・技術分析センターウェブサイト2月21日の報道によれば、1ヶ月前にはインターネット上の至る所で中国の富豪徐増平が自分は当時いかにしてウクライナから解放軍のために「ワリヤーグ」号空母を購入したのかを語った内容の報道ばかりだった。当時ウクライナのニコラエフ市黒海造船工場の中国代表団接待者を代表し中国の客人を率いて空母を視察した作家で記者のワシーリ バビッチは2月19日に「ニコラエフ夕刊」に文章を発表し、中国向け空母販売関連の内容を明らかにし、当時2,000万アメリカドルの価格をもって空母を売ることができたのは人を驚喜させる重大な勝利だった、とした。得られたのは実に容易ならぬもので、酒を飲んで慶祝するに値した。

バビッチは文章の中で、ウクライナメディアにも徐増平の2編の回想の文章の翻訳報道がある、と指摘する。彼が購入に参加した黒海造船工場の大型航空機搭載巡洋艦(空母)「ワリヤーグ」号は現在すでに中国初の空母「遼寧艦」となっている。第1編目の文章は主に「ワリヤーグ」号空母の販売に関することが論じられている。第2編目の文章はいかにして黒海海峡を通過し、しかる後にジブラルタル海峡を経て、アフリカを回り、極東に行き、空母を中国にまで引いていったのかの問題を論じている。ニコラエフ市の新聞もこうした文章の訳文を掲載し、さらに特別に、徐増平は当時自分が身につけて携帯していた何箱かの中国の62度のスーパーウォッカ(二鍋頭)が、自分の「ワリヤーグ」号空母購入を助けたのだと明らかにしている、と指摘した。

バビッチは、中国商人の回想の文章はネット上の至る所にある、と指摘する。ニコラエフ市においてだけでなく、さらに全旧ソ連圏内において、かつて空母を建造した、あるいは空母上で就役した将兵および関係者の間で、非常に大きな反響を引き起こしている。バビッチはこのため、徐増平が明らかにした当時黒海造船工場が中国向けに「ワリヤーグ」号空母を販売した状況に対し、補充説明することを望んだのである。

バビッチは、空母建造停止後、彼はかつて黒海造船工場の対外経済連絡所所長の職務を担当し、1992年3月にやってきて「ワリヤーグ」号空母を理解した中国代表団を接待したことがある、とする。バビッチは、工場長代理ジホニェンコと一所所長の指図により、自分は中国代表団を率いて「ワリヤーグ」号空母を視察し、かつ説明を行った、と明らかにした。当然、ウクライナ政府や安全保障局の許しがあってのみ、やっと彼らは工場を視察することができたのである。これは中国の客人初の黒海造船工場視察だった。また、彼らはさらに「霞光」ガスタービンエンジン工場と「機械設計」科学生産連合体と談判を行い、中国海軍向けに最新型ガスタービンエンジンを提供し、エンジンの生産ライセンスを販売するよう要求した。後にこの契約はスムーズに締結された。

1993年にバビッチは工場から引退したが、彼は継続して自分が長年働いた企業の事情に関心を注いだ。ああした年月の中では、政治的原因ゆえに「ワリヤーグ」号空母を売ることはできなかった。当時中国経済が迅速、猛烈に発展している条件下では、経済の上でアメリカに依存しているため、中国はウクライナに行って空母を買うのに適していないと考えた。1997〜1998年になって、中国はやっと改めて「ワリヤーグ」購入の問題を考慮した。中国向けに空母を販売する件は、黒海造船工場副工場長イワン ウェンニクによって自ら担当された。彼とウェンニクの関係はずっと非常に良く、しかもウェンニクを非常に尊敬し、何故なら彼は人として正直で、いつも工場、国家、社会の利益を個人の利益の上に置いていたからである。空母を販売することは簡単なことではない。当時中国の客人はずっとウェンニクの事務室から出なかった。ウェンニクは何度もキエフに行き、政府のビルの中で奔走し、文書に署名し、証明書を発行した。さらにロシアの認可を獲得し、関連の機密を空母と共に中国に渡すことはないと確認することが必須だった。証明文書を準備している時、サンクトペテルブルグ市のネバ設計局も空母の総設計者として参加した。「ワリヤーグ」空母販売文書の作成は非常に困難だった。巨大なエネルギー、多くの知人を持つウェンニクだったからこそ、これが達成できたのである。

中国人の前において、あらゆる買い手がこの軍艦に付けた値は400〜450万アメリカドルを超えなかった。つまり、1トンあたり100アメリカドルで、すなわち当時の世界の屑鉄の価格だった。建造が完成していない「ワリヤーグ」号空母の重さは約4万トンだった。もし屑鉄として買えば、空母を買った後、当然これを解体場所まで引いてゆき、しかる後にさらに加工することになり、これもまた枠外の支出となるはずだった。

(頑住吉注:これより2ページ目。画像のキャプションは「徐増平が帰国したばかりの時の『ワリヤーグ』空母とのツーショット」です。)

黒海造船工場の指導者はかつてモスクワに向け助けを求め、ロシア海軍造船総局、ロシア国防大臣シャボシニコフ、ロシア大統領エリツィンに向け、空母の後日の運命に関する問題を報告したことがあるが、モスクワは当時自らの問題の処理に忙しくしているところだった。ロシアの新任の政治指導層と最高軍事司令部は、最大の海軍戦闘艦の未来の運命に対し全く心を動かすことはなかった。1992〜1996年、当時ロシア海軍総参謀長の任にあったシェリワノフ海軍上将は回想し、1992年に自分はかつてウクライナ首相クチマとロシア首相チェルノムイルジンとの会談に出席し、当時双方は建造が完成できていない「ワリヤーグ」号および「ウリヤノフスク」号空母の運命という問題を討論した、とする。当時ウクライナはロシアがこの2隻の空母を購入するよう提案した。チェルノムイルジンはシェリワノフに、ロシア軍は「ワリヤーグ」号を必要とするか否か? と問うた。ロシア海軍総参謀長の回答は、当然必要、だった。だがロシア首相は一字一句丁寧に、「そうだ。君に何を問おうとも、君たちは何もかも必要だという。だが金がない。やはり止めよう。」と言った。

このため、中国人が面前に出現し、全部で2,000万アメリカドルの価格でこの空母を買うと提案した時、それは黒海造船工場にとって、全く疑いなく願ってもない幸運だった。その他の商人のつけた価格の4倍も高い金でこの役に立たない空母を売ることができ、その後二度とそのために責任を負う必要がないのである。各方がいずれも自らが勝者だと考えたので、中国商人が回想の文章の中で書いたように、皆が非常に喜び、共に酒を飲んで祝ったのである。

要するに、中国商人は自らが勝者だと考え、ウェンニクと黒海造船工場も自らが勝者だと考えた。十年余り前から、工場はすでに、一体「ワリヤーグ」号空母をどこにやったらいいのやら分からなかった。「ウリヤノフスク」号空母解体の大事件の後、工場はもう空母解体の責任を担いたくなかった。工場にはこの「超大物」を「屠殺」する場所も資金もなかったからなおさらである。

バビッチは彼の書いた「我々の空母」という本の中でかつてこうした状況を次のように語っている。ある日、ウクライナ副首相が「ワリヤーグ」号空母を視察した後、この満身創痍、錆の跡だらけの独活の大木のために驚愕し、考えるところありげに、まさか我々は力量を集中してそれの建造を完成させることはできないのか? と言った。造船の名人であるアレクセイ シェリェジンは非常にはっきり分かっていた。この空母の建造を完成させるためには、黒海造船工場を起死回生させる必要があるだけでなく、しかもさらに全ソ連にあまねく分布した100以上の企業を活性化させる必要がある、と。このため彼は副首相の問題に解答する時、いかなる評論も帯びずに、ウクライナ政府は連続何年かかっても「ワリヤーグ」号空母の利用を回復する金を捻出することはできない、と語った。1隻の船を廃棄する金さえないのであって、ならばさらにこの船を作り上げる金があることを期待できるだろうか? ウクライナ政府に「ワリヤーグ」号空母を解体する金がないことはごくはっきりしていた。このためバビッチは、当時2,000万アメリカドルの価格でこれを中国に売ることができたのは重大な成功であると考える。願ってもないことに喜ぶ人々は当然このために酒を飲んで祝った。

当時「ワリヤーグ」号空母を売ることが必須だったか否か、あるいは良いチャンスを待ってさらに建造し完成させることができたのか否かとの主要な問題に関しては、あるいは「61名の公社社員」造船工場のInhulets川大橋に立って「ウクライナ」号ミサイル巡洋艦を俯瞰することによって答案が得られるかもしれない。かつてある時、それは世界で最も良いミサイル巡洋艦の1つで、当時建造の完成率はすでに95%にも達していた。だが過去長年内ずっと完成することができず、この間に深刻に老朽化し、1つのいいところもないものに変わり、しかも工場はさらにそのために巨額の維持費用を費やさざるを得ない。ウクライナ独立23年来、低価格でソ連が残した一切を投げ売りし、あらゆるものを皆売り、壊し、焼き、かつ何も完成させなかったのである。(編集翻訳:林海)

(頑住吉注:3ページ目)徐増平と黒海造船工場のプロジェクト部関係者の集合写真

(頑住吉注:4ページ目)徐増平(右)が遼寧艦甲板で記念撮影

(頑住吉注:5ページ目)未完成のウクライナの空母「ワリヤーグ」

(頑住吉注:6、7ページ目)建造時期の「ワリヤーグ」号空母

(頑住吉注:8ページ目)ウクライナのニコラエフ市海岸そばにおける「ワリヤーグ」号


 3、4ページ目の画像を見比べると20年にも満たない時間内にずいぶん老けましたな。チェルノムイルジンという名も懐かしい感じがします。それはともかく、交渉しだいによっては半値かそれ以下で買えたかもしれないわけですけど、それも今となってはどうでもいいことですわな。


















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