ハイスタンダード10B

 「Visier」2005年5月号の「スイス銃器マガジン」ページに、昔のポリス用ブルパップショットガン、ハイスタンダード10Bに関する記事が掲載されていました。以前も触れましたが、コンセプト的には優れているように思われるのに何故ダメだったのかずっと不思議に思っていた銃です。


ハイスタンダード10B

銃器の発達において再三、まず始めには非常に前途有望な始まり方をし、そして何年も経たないうちにすでに再び忘却の中に行き着く「サイコロの振り」があったし、今もある。だが、これらは技術的観点からは(そしてコレクターにとって)興味深い。SWM
(頑住吉注:「スイス銃器マガジン」)は今後そのような銃器についてレポートしていく。始めはハイスタンダードHS−10Bであり、これはそもそも最初のブルパップ銃である(頑住吉注:ほ、ほんまかいな)

S−10Bが究極の美人ではないことは認める。というのは、実際のところこのセミオートショットガンは短く、ずんぐりしていて、プラスチック部分が多いため見える金属部分はわずかであり、「Fettpresse」(頑住吉注:「油脂プレス」 http://www.pressol.com/cgi-bin/pressolcom/detail_image.html?nav_id=148&id=TMNgUoAR&mv_arg=18071 こんなのです)あるいは削岩機のようである。しかし、その公用シーンにおける失敗は、(元々そう思われた)外観のせいよりも、一般に知られている信頼性の低さのせいである。

 片手で撃てるコンパクトなセミオートショットガンに向けた警察界からの希望は、1950年代の終わりにある程度満たされた。Alfred Crouchがまず最初に作った、レミントンモデル11−48改造モデルによってである。彼は手製のアルミニウム製の短いストック内にこの銃を包み、その特別な特徴は回転するバットプレートだった。彼は後に、上部に組み込みのランプを持つ、キングセミオートショットガンをパテントが取得されたプラスチックケース内に収めた彼のショットガンのアイデアをハイスタンダードに売った(モデル10A)。この構造は1967年頃公用マーケットに現われ、何年か後にはバージョン10Bが完成された。この銃ではランプは撤去されており、キャリングハンドルが取り付け可能になっていた。新種のブルパップ構造方式により、トリガーはストック内のエジェクションポートおよびボルトの前方に置かれ、コンパクトなサイズが達成された。全長は690mmしかないのに、バレルは実に450mmあった。その下にあるチューブラーマガジンは4発の12/70弾薬を保持した。たっぷり4.5kgの重さによりこの銃は軽量ではなかったが、回転可能なバットプレートとライフルスリングのおかげで快適に、そして不可視状態でマントの下で携帯できた。つまり、スペシャルエージェント用として理想的な銃と考えられたのだが、残念ながらそうはいかなかった。絶えず起こる装填および排莢障害のため、HS−10Bは役人に特別に好まれなかった。この結果この銃はすぐに民間マーケットに出現したが、ここでも大きな成功はなかった。これに反し、我々の銃はただの1回の障害もなく発射し、小粒の散弾、大粒の散弾、スラッグ弾をぶつぶつ文句を言わずに消化した。その希少性からこの銃はコレクターマーケットにおいて高値である‥‥と思える。残念ながらそれも正しくない。ローザンヌの取引所で、我々は2300スイスフランの1挺の銃を見たが、それは売れずに留まっていた。ベルンでも同様に銃器商においてたなざらしになっていた。guteな(頑住吉注:英語のグッドです。たぶんこれは普通の良いという意味ではなく、コレクターがコンディションを分類する場合の用語、つまりエクセレントほどよくないという意味ではないかと思うんですがよく分かりません)銃が600スイスフランでさえ売れないのである‥‥。


 こんな外観の銃です。

http://world.guns.ru/shotgun/SH26-E.HTM

 不細工だと言われてますけど私は無駄のないこの銃の形が結構好きです。この記事では失敗の最大の理由は信頼性の低さだったと書かれてますが、作動に関しては通常のオートマチックショットガンと同じ条件のはずですし、問題があっても是正できるはずです。「スイス銃器マガジン」がテストした銃が完璧な作動をしたことからも、言われるほどひどくはなかったんではないでしょうか。当時はポンプアクションショットガンが絶対の信頼を集めており、オートは信頼できないという先入観があったのではと思います。同じ頃アメリカの警察官がオートマチックピストルを信頼せず、頑なにリボルバーを使っていたような、もっと言えば導入当初プラスチック製ピストルを信頼しなかったり、統計上は高性能ホローポイント弾を使えば.45ACPにほとんど負けないストッピングパワーがあり、しかも装弾数が多くなりリコイルショックが小さい分有利なはずの9mmパラベラムを信用しなかったりといった、いわば食わず嫌いのせいではなかったのかという気がします。上のサイトでは装弾数が少ないという欠点が指摘されていますが、チューブラーマガジンをマズルと同じ長さまで伸ばせば簡単にもう3発くらい増やせたはずで、システム自体の欠点ではないでしょう。ただアメリカでは特に左利き射手には事実上使用不能というのは大きな欠点だったかもしれません。プラスチックの多用、ライトの組み込みというのも先進的なアイデアで、出現が早すぎたんでしょうか。‥‥と言っても現在も何故かこれに匹敵する製品は見当たりませんけどね。

 ちなみに回転するバットプレートというのは、携帯に便利なだけでなく、肩付けした状態で銃が左右に倒せるというもので、パトカーから片手を突き出して撃つ場合などにも都合が良かったようです。

 お恥ずかしい話しですが、私は最初のブルパップデザインの銃は何なのか知りません。1950年代の終わりに出現したこの銃が最初というのは本当なんでしょうか。ご存知の方は教えて下さい。

 「スイス銃器マガジン」が今後、このような「期待を集めて登場したのにすぐこけた」系の銃を取り上げてくれるというのは実に楽しみです。できればもう少し詳しく紹介して欲しいものですが‥‥。


2005年7月22日追加
 ここをご覧の方から教えていただきました。その方によると、

世界初のブルパップがハイスタ10Bだとする意見は聞いた事がありません。一般的な情報では1901年、イギリスの J.B. Thorneycroftがリー・エンフィールドをベースとしたブルパップライフルを作ったのが初とされてます。1904年、イギリスのH. Gramwellがブルパップライフルをデザイン。これが他の銃をベースにしない最初のブルパップとされています。1936年、フランスのH. Delacre.が世界初のブルパップのサブマシンガンをデザインしました。1941年、ドイツ軍が採用したM.SS-41対戦車ライフルが世界で初めて量産されたブルパップライフルとされています。…以上のように、ハイスタンダード10Bを世界初のブルパップデザインと呼ぶのは無理があるでしょう。『世界初のブルパップのショットガン』なら分かりますが。

 ということだそうです。 http://remtek.com/arms/steyr/aug/edit/augsof.htm ブルパップ銃の始まりに関する記述もあるAUG関係のこんなサイトも教えていただきました。

 私はブルパップは戦後のもので、L85A1の原型あたりが最初なのではないかと漠然と考えていたのですが、意外に古い歴史があったんですね。ただ、ボルトアクションの場合ブルパップにすると連射スピードが極端に落ちざるを得ないので本格的に普及し始めたのは自動小銃が主流の時代に入ってしばらく後、ということになったんでしょう。

 ドイツの対戦車ライフルが初の量産ブルパップライフルであるというのには驚きました。この銃はネット上には情報が見つからなかったんですが、手持ちの「MILITARY SMALL ARMS OF THE 20 CENTURY(7th Edition)」という本に紹介がありました。この銃は製作場所も不明のミステリアスなライフルで、非常に少数しか作られなかったとされています。13mm弾薬の薬莢をネックダウンして超高速で7.92mm徹甲弾を発射する、ポーランドのwz35やドイツのPzB38および39と同様のコンセプトでした。実際この銃の弾薬は7.92mmx95 Patrone(弾薬)318となっており、PzB38および39用と共通だったようです。ただしwz35用は7.92mmx107とされ、共用できなかったはずです。
 この銃のボルトフェイスはバットプレートと一体の部品に固定されています。ピストルグリップをボルトアクションライフルのボルトハンドルのように後方から見て反時計回りに回転し、後退ではなく前進させるとそれと一体のチャンバーが前進してエジェクションポートが開口するという変則的なデザインでした。非常に大量の発射薬が充填され、コンセプト上超高圧となるチャンバーがチークピースのすぐ隣にあるというのはちょっと怖い気がします。マガジン(装弾数6発)がピストルグリップより後方にあるのでブルパップデザインであることに問題はないはずです。面白いデザインではありますが、製造が難しい、汚れに弱い、そしてそもそも7.92mm対戦車弾薬がこの銃の登場時にはすでに威力不足であるといった問題もあり、低い評価しか受けていません。
 製作場所は不明とされますが、おそらくチェコのブルーノ工場で作られたと推定され、バイポッドはブレン軽機関銃と共通になっているということです。チェコスロバキアは1939年にドイツに占領され、38t戦車などドイツ軍用の兵器を作らされていたので、この銃もそのひとつである(設計者もドイツ人ではない)可能性が高いようです。
 ちなみにこの銃はスイスで設計され、ドイツ軍に採用されたPzB41と混同されることが多いようで、写真や説明がごっちゃになっている国内の本が複数ありました。






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