ホルデン オープンフレームライフル モデル1862

 「Visier」2005年1月号に、存在すら全く知らなかったユニークな構造を持つアンティークライフルに関する記事が掲載されていました。


オープン状態

「開放されたレシーバーを持つ単発レバーアクションライフル。」 これは.44リムファイア仕様のアメリカ製Holdenライフルを短く、簡潔に描写したものである。(頑住吉注:私も初めて知りましたが、ドイツ語ではレバーアクションライフルを「Unterhebelgewehr」と言います。直訳すれば「下梃子小銃」です)

れはまるで反射である。「レバーアクション」というキーワードが来たら、大多数の銃器コレクターの頭の中ではほとんどすぐに、自動的にもう「リピーター」というイメージが補完される。だがそれは決して正しくない。というのは、英語では「Lever」として知られる梃子は、少なくとも全く同様にしばしば単発後装銃において見かけられるからである。その大多数はアメリカ由来であり、1850〜1900年に開発されたものである。そしてそれは決して少数ではない。シャープス、Gwyn&Campbell、Stevens−Ideal、Burnside、Bullardの諸システムに基くフォーリングブロック後装銃、あるいはGallagherおよびMaynard方式の中折れバージョン…いたるところに遊底を可動式のトリガーガードによって作動させ得る銃がある。アメリカの著述家Jim Taylorはインターネットサイト( http://www.leverguns.com/articles/taylor/singleshot_leverguns.htm )で23のいろいろな製品をリストアップしている。しかし彼は次のように述べている。「このリストは完全ではない。(中略)私がいくつかを無視し、あるいは省略したことは確かである。そのアイデアを実行に移すことを試みた無名の銃器設計者は膨大に存在した。」 

 そうした無名の人々のうちの1人がC.B.Holdenである。彼は一時期、Wesson&Herrington社(ハーリントン&リチャードソンの前身)を設立し、特にそのユニークな「ツートリガーライフル」で知られるFrank Wesson(1828〜1899)の下で働いていた。C.B.HoldenがWesson同様ニューイングランド州出身であるのかどうか、彼がどこで手作業を習得したのかはまったく闇の中である。そう、彼がいつからいつまで生きていたのかすらまだ突き止めることができないのである。いずれにせよ彼は、多くのライバルたちがそうしたように、1862年にある後装銃を公開した。前年に南北戦争が始まっており、当時銃器技術者たちがワシントンの国防省に集まってきていた。専門家たちは、1850年代半ばから1865年の南北戦争終了までに、少なくとも30のいろいろな後装銃が軍のために作られたと見積もっている。この数は、使用された銃器モデルの異なるバリエーションまで算入すれば10倍になるだろう。

 重要でない技術者であるC.B.Holdenがこうした全てのいきさつを正確に知っていたということは、最高度にありそうもないことである。しかし彼はこのときすでに、熱い戦いが行われているマーケットにおいて自分がたった一つのチャンスをつかむのは、当時普通だった諸バージョンと全く異なる作動の設計を行ったときしかないと感じていたに違いない。彼もメカニズムを作動させるために可動式のトリガーガードを使ったし、この銃にもブロック状の遊底があったが、ライバルたちの諸モデルとの共通点はそれだけである。

 コレクターの世界ではHoldenのデザインは「オープンフレームライフル」の概念の下に知られている。というのは、レシーバー右側が開放されたままだからである。これには充分な理由がある。Holdenはブロック状の遊底とハンマーをレシーバー内に設置した。双方を操作するには、射手の手がレシーバー内に介入できなくてはならない。装填とコッキングは子供でも分かるほど簡単に推移する。遊底とハンマーにはレシーバーの開口部に向けて丸い穴がある。ロードのためにはまず人差し指で後方にあるハンマーをそれがロックされるまで後方に引く。次にトリガーガードを下げる。その際これによりトリガーガードと結合された遮断エレメントが下に傾く。この遮断エレメントは遊底をバレル後方で安全に固定している部品である。これで初めて遊底がハンマー同様人差し指によって後方へ動かせる。装填は次のように行われる。弾薬を入れる、遊底を前に押し動かす、トリガーガードを上に回す、そしてこれにより遊底は前のポジションで固定される。これら全てのエレメントの連動のためには遊底後部の尾のような形の延長部が役割を果す。この延長部はa)ハンマーの誘導レール、b)これによりトリガーガードと連動する遮断エレメントが遊底をロックすることができる端部、の役割を果す。

 点火のためには長さ約4cmのファイアリングピンが用意されている。これはハンマー前面上部に組みこまれている。ファイアリングピンは対応する遊底の穴を通って滑り、この結果その先端がチャンバーに差し込まれている弾薬のリムの上部に達する。この銃に使われるのは.44リムファイア弾薬である。これは当時全く新しい弾薬だった。1860年に発明され、Ken Warnerの弾薬に関する基礎的著作「Cartridges of the World」によれば1860年、同年にパテントが取得されたアメリカの天才的設計者イーサン・アレンのカービンとともにマーケットに登場したらしい。後年Ballard、Howard、レミントン、Robinson、そして一時期HoldenのボスだったFrank Wessonブランドのライフルもこの弾薬を射撃した。この弾薬の生産は1920年代に終了した。

 まわりがすっかり丸められたレシーバー(頑住吉注:要するに輪切りにすると断面が楕円に近い形ということです)のデザインは、Wessonファミリーの製品を思い出させ、鋳鉄や鍛鉄ではなくブロンズで作られていたようだ。レシーバーの開口部の後方には四角形の閉鎖プレートが見られる。その表面はレシーバーの丸い形をなぞっている(頑住吉注:この閉鎖プレートというのはリボルバーのサイドプレートのようなもので、これを外すと内部メカが露出します。で、断面が丸いレシーバーの一部をなすような曲面になっていますが、横から見れば四角い形ということです)。この閉鎖プレートは理由があってより早く登場したS&Wリボルバーのそれに似ている。そう、HoldenのボスだったFrank Wessonは、S&Wの共同設立者Daniel Beard Wessonの弟なのである。

 これに対し可動式のトリガーガードはモダンなレバーアクションリピーターを思い出させる。今日のブローニングBLR(頑住吉注: http://www.midwestgunworks.com/page/mgwi/CTGY/C-008 )のように、Holdenのオープンフレーム銃はトリガーがトリガーガード(頑住吉注:つまり通常のように本体側ではなくレバー)に組み込まれている。その直後には厚さ約8mm、長さ約12mmの小さな金属プレートがある。これは下部はトリガーガードと、そして上部は遮断エレメントと結合されている。トリガーガードが下がるとすぐ、この小さなプレートは遮断エレメントを下に引く。トリガーガードが再び上昇すると、後上部はレシーバーにネジ止めされたホルダーにロックされる。

 この銃はそのシンプルな構造によって納得させるものであったにもかかわらず、マーケットに定着することはできなかった。Holdenの構造に非常に特徴的な開放されたレシーバー側面は、同時に最も大きな欠点でもあることが分かったのである。フィールドにおいて、あるいは狩に際して、ここからあまりにも容易に泥が侵入し、この結果銃は動かなくなった。その上当時、遊底の閉鎖エレメントはハードな負荷の持続に抵抗力がなさ過ぎるような印象を与えた。手持ちの銃の閉鎖機構がたっぷり140年後でもまだ難なく機能するにもかかわらず(頑住吉注:それはひょっとしてダメな銃だったせいであまり使われなかったからでは)。

 このためHoldenの.44口径ライフルが大きな成功を呼ぶことはなかった。すなわち1862年以後に作られた銃はおよそ200挺であり、生産は1970年代までだったらしい。Holdenライフルは、アメリカのアンティークガン界の権威、Norm Flaydermanによれば「C.B.HORDEN,WORCESTER,MASS」の刻印を持つとされる。だが手持ちの銃はバレル上部に2行で「HOLDEN’S PATENT/APRIL 1862」と目立つよう刻印されている。Antique Firearms社のHartmut Burgerによれば、かつて多くのコレクターはこの銃の代価2000〜2500ユーロを非難した。…彼らがそもそも1挺の銃を見つけたときに。というのは、今回撮影された見本品は撮影作業終了後、直にある珍システム銃のコレクターのコレクションに移される(頑住吉注:たぶん以前は高価すぎると文句を言われたが、現在ではそれ以前に入手が不可能に近くなっている、ということが言いたいようです)。

 いずれにせよC.B.Holdenはこの失敗にめげなかった。彼はいくつかの銃器開発の途上で、さらに多くのUSパテントを獲得した。そしてそのうちの1つはオープンフレームライフル同様大量生産に適するほどに熟成の域に達した。すなわち、彼は1870年代半ばから1890年代の終わりまで、大部分は.22口径弾薬用の「チップアップライフル」(傾斜バレルライフル)を製造した。しかしこれも2、3百挺の銃がもたらされただけだった。その後Holdenの旅は歴史の暗闇の中に失われた。

モデル:Holdenオープンフレームライフル モデル1862
口径:.44リムファイア
全長:1080mm
銃身長:608mm、ライフリングは5条
重量:2750g
型:「下梃子」とブロック状遊底を持つ後装銃。28インチオクタゴンバレル。レシーバーはブロンズ製。発火機構の部品はケースハードゥン。バレルはブルーイング。ツーピースの
(頑住吉注:ウィンチェスターのレバーアクション銃のようにストックとフォアグリップに分かれている)クルミ材製ストック。ストックには鍛鉄製ハーフムーン型バットプレートを装備。タンジェントサイト。アリミゾノッチにセットされた角材型フロントサイト。ストック「首部」には距離調節サイト受け入れのためのアリミゾ口金の削り加工が見られる。


 久々に死ぬほどマイナーなアンティークガンのお話でした。文章だけでは分からないと思うんでこれも久々に下手な手書きのイラストでご説明いたします。



 これは断面図ではなくサイドプレートを外しただけのそのまんまの図です。後方の窓状の部分は使用時にはサイドプレートでふさがれますが、前の大きな開口部は使用時でも豪快に開いたままなわけです。スキャンしてみたら色分けが良く分かんなくなってしまいましたが、装填から排莢までの手順をこれで説明します。まずグリーンで表現した変な形の直動ハンマーの穴に指を突っ込んで後方に引きます。すると分かりにくいですが茶色で表現したフック状のシアにひっかかってコック状態で停止します。次にトリガーガードを下げます。ただし通常のレバーアクションよりずっと小さな角度でしか動きません。すると赤で表現した「遮断エレメント」、つまりロッキングブロックが下降します。閉鎖時は「遮断エレメント」が青で表現した遊底の後方の尾状延長部を図のように「つっかえ棒」していますが、これが解除されるわけです。すると遊底はフリーになるので遊底の穴に指を突っ込んで後方に引きます。これでチャンバー後方が開放されるので、ここに.44リムファイア弾薬を入れます。遊底を手動で再び前進させ、トリガーガードも戻すと発射準備完了です。トリガーを引くとハンマーが前進してファイアリングピンが弾薬のリムを突き、発射します。文章で説明されていませんが、装填時と同じ手順で遊底を後退させるとオートピストルのような形式のエキストラクターが空薬莢を抜き出すのは間違いなさそうです。ただ、エジェクターの形式は不明です。

 いかがなもんでしょうか。この記事には「この銃はそのシンプルな構造によって納得させるものであった」と書かれていますが、私は納得できないです。確かにシンプルではありますけど単発銃である以上シンプルなのは当たり前です。優れた設計者なら当然トリガーガードを下げただけでロックが解除された後に遊底とハンマーが後退して排莢し、後はチャンバーに弾薬を入れてトリガーガードを戻せば発射準備完了となるようにするでしょう。こんなに手間がかかっていいならもっとずっと単純に設計できるはずです。例えばトリガーガードは固定とし、トリガーを引くとまずロッキングブロックが上昇してからハンマーが前進するようにすればかなり単純化します。トリガーが重くなったりストロークを長くとらなければならないのがどうしても嫌なら、ロッキングブロックの一部を何らかの形で露出させて直接操作できるようにすればいいでしょう。要するにこの銃はわざわざコストも上がり強度的な弱点にもなるレバーアクションにする必然性がないと思われます。

 とまあかなり不合理に見える銃ですが、だからこそ失敗したわけでしょう。長い銃器の歴史にはこんな、どう考えてもダメだろうというアイデアを一生懸命形にして案の定成功できずに無名のまま消えていった設計者もいた(というか数的にはたぶんそういう人の方が圧倒的に多いんでしょうが)というお話でした。





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