ソ連・ロシア新型戦車の装甲技術の発展

 今回は近年におけるソ連・ロシア戦車の装甲の発展に関するページの内容を紹介します。ただ、私この方面に中途半端な関心があるものの知識に乏しく、また一般的な科学知識に関するレベルも低いので分からない部分が多いです。どれだけの情報価値があるかも分からないんですが、あるいは知識ある人には何らかの参考になるかもしれないので理解できない部分も無理矢理訳して示します。特別の関心がない方は黄色の字で示す冒頭の理論研究の状況に関する部分は飛ばしてください。貫通に対する反応が通常の装甲と大きく異なるセラミック装甲の開発にはいろいろ難しい理論研究が必要で、旧ソ連はコンピュータを使ったシミュレーションでは西側に大きく劣っていた分を多くの実験で埋め合わせ、西側より進んだ独自の理論や製品をも開発していた、と大雑把に理解できれば充分だと思います。

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ソ連第三世代戦車防御の発展編 帰って来た赤い貴族

アメリカや西側全体が盛んに戦車の防護に関する「大躍進」を進めているちょうどその時、一貫して装甲突撃戦力を核心としたソ連陸軍も圧力が間近に迫っているのを感じた。特にイギリスがチョバムアーマーの研究開発に成功したことを発表した後は、西側戦車の装甲の防御レベルとソ連のそれとの距離は急速に縮まった。これはソ連に新装甲の研究開発を再び開始させた。

ソ連は複合装甲の研究と使用に対して豊富な経験があり、特にセラミック装甲方面では、超高速貫通能力に対し、貫通速度上の貫通力学実験、貫通力学の分析、高速で衝突、貫通する材料の反応および貫通メカニズムの数値シミュレーション等セラミック方面の破壊モデルの研究を展開していた。ソ連のこの方面における研究には主に以下のいくつかの特徴があった。

1.貫通力学と高速衝突の研究が武器発展の基盤だった。ただし西側およびアメリカと比較すると、旧ソ連はより広範に、より多くの共同研究を展開する傾向があり、しかもより大きくより完璧なデータバンクを形成した。

2.ソ連はセラミックのもろさによる断裂、動態粘滞性および膨張理論の研究ににより重点を置き、同時にすでに「協合メカニズム」の研究も進行させていた。この点で西側にはるかに先んじていたはずである。

3.ソ連は物理模型の研究を行うことに重点を置き、一方アメリカや西側は大規模なコンピュータを利用した定量シミュレーションを行うことにより重点を置いていた。

(頑住吉注:原ページのここにある画像のキャプションです。「ある装甲材料の貫通形態シミュレーション」)

第二次大戦後、西側はコンピュータ設備の開発に重点を置いたので、現在すでに衝撃波の負荷条件下での材料、構造のふるまいに対し大規模な計算が行われ、したがって新しい材料、構造の開発、しかも防護効果にも比較的大幅な向上がもたらされている。一方ソ連は1980年前後になっても依然大規模計算能力が深刻に欠乏し、したがって衝撃波の伝播や断裂方面の研究に障害となっていた。特に3Dモデルに関わる問題の研究ではそうだった。ソ連は貫通力学方面の研究において明らかにアメリカおよび西側の限られた元計算の成果の影響を受けており、この領域においてソ連は西側に遅れをとっていたと見られる。ただし貫通および断裂の研究方面、特に材料破壊の領域内では、旧ソ連の物理模型は理論上も計算方法もアメリカや西側にはるかに先んじていたと見られる。

一方衝撃波や貫通パラメータを計測機器を使って診断する技術の方面では、ソ連はすでに西側の技術水準に到達していた。ソ連はマンガン銅圧電気 電気抵抗応力機器を使用して衝撃波形を計測し、可変コンデンサーセンサーを使用して衝撃を受けた試験弾芯の自由表面運動を計測した。ここ何年かはレーザー干渉機器も用いてデータ計測も行っている。また大型計算能力での開きを埋め合わせるため、ソ連は上述の実験能力を利用して、各種の圧力範囲内の状態方程式バンクを作り、この中には多孔材料の状態、波形状態の方程式も含まれている。これには非常に価値があり、何故なら多くの貫通や超高速衝突の研究は、用いられる状態の方程式、構成モデル、崩落と断裂の強度の適合と密接な関係があるからである。

(頑住吉注:原ページのここにある画像のキャプションです。「レーザー干渉機器」)

ソ連は貫通の基本現象の研究において大変な努力をして、すでにいくつかの人が驚くような理論成果を挙げた。これらの理論は往々にして斬新な分析方法を基礎にしている。このように、旧ソ連はいくつかの新しい学科領域の研究を展開している。例えば可変形媒質の協合メカニズムである。この学科は、高速率流変と耗散構造のかき乱しが本質を断裂させることとの間の相互関係を建立した。

シミュレーションによるセラミック貫通方面で、旧ソ連は「失効波値」という新概念を提出した。この概念によれば、弾丸の速度が失効波値を超えた時、あるいはそれより低い時、2種の異なる貫通モデル(貫通されない、あるいは貫通される)が出現する。筆者は分析し、この研究成果はソ連のセラミック装甲の研究に対し重要な促進作用があったと考える。

ソ連が提出した「失効波値」は西側でよく言われる引き延ばし応力波ではない。それはセラミックの破壊に特徴的な波値である。セラミックは種類ごとに自己に特徴的な失効波値を持つ。例えばある種のセラミックの失効波値は2000m/sである。貫通速度がこれより高い時、セラミックが貫通される深度は明らかに浅くなる。セラミックは比較的高い貫通速度の時、高い強度を示す。特徴的な失効波値を下げることは、セラミックの貫通に対する抵抗力を向上させることができる。ソ連は特徴的な失効波値の概念の研究を非常に重視した。この概念を通じソ連は結論を出した。すなわち彼らはセラミックの破壊は衝撃を受けた後即刻発生するのではなく、その後の一定の時間内に起きるのだと考えた。この時間は「遅延時間」と呼ばれる。明らかにこれは弾芯に対し極めて大きな破壊性を持ち、超高速の衝撃を受けた後セラミックは増強され得るのである。高速貫通に対する抵抗力は金属に関して言えば貫通される物体の慣性から来るが、セラミックではそれ自体の破壊から来る。何故ならセラミックには充分な時間を経て微細な裂け目が展開していく過程のような脆性の破壊は起きないからである。衝撃を受けたセラミックの脆性破壊と、それ自身の非全体的活性膨張とは関係がある。

(頑住吉注:原ページのここにある画像のキャプションです。「セラミック材料が貫通される時の形態の初期における変化。」)

ソ連はアレクセイが提出した理論処理によるセラミック貫通現象を採用した。この理論は西側でも認められ、かつ実際に使用されている。ただしソ連は西側に比べ十年近く早かった。この理論の要点は、貫通を西側のように最初から動的なものではなく、静的なものと考えることだ。ソ連が研究するセラミックには酸化アルミセラミック(al203)、石英砂、二酸化珪素ガラス、B4C、B4C-al203(復相セラミック)、BN、SIC、SiN、Zr02等々がある。研究内容はセラミックの各種温度での強度、断裂靭性、動態および静態弾性係数、摩損抗力、衝撃波圧力下でのフェイズチェンジ、変形、破壊、崩落等に関わっている。旧ソ連は特に自粘結SiC(炭化珪素)セラミック材料の射流貫通に対する抵抗性能の研究に重点を置き、しかも多くの実験を行って最終的に装甲材料に使用できる製品を作り出した。この種の多孔質のセラミック材料は強度を落とさない場合の失速波値が比較的小さく、抗貫通能力が非常に高い。

(頑住吉注:原ページのここにある画像のキャプションです。「顕微鏡で見た焼結炭化珪素セラミックの状態」)


ソ連は装甲の設計において、より多くの火力の脅威から来る分析を行い、ソ連の装甲設計者たちは次のように考えた。1980年代において、伝統的な成型炸薬弾頭はもはや戦車の主要な脅威ではなく、一方大口径戦車砲から発射されるサボ付き徹甲弾が戦車の生存に対する主要な脅威になる。このため、設計者たちは新世代メインバトルタンクに、新たに出現した尾翼で安定するサボ付き徹甲弾に対抗するための束縛性セラミック複合装甲を採用することを提起した。同時にすでに打ち立てられ、重大な進展が取得された力学模型を基礎に「超新世代」装甲の事前研究作業を行った(頑住吉注:セラミックの「束縛」とは金属板で周囲を囲んで固定することらしいです)。ソ連では多くの部門が新型装甲の研究開発に参与したので、1980年代を通じて新装甲は次々と現れて尽きず、新戦車や旧型戦車の改造に広範に応用された。

(頑住吉注:原ページのここにある画像のキャプションです。「左はM735サボ付き徹甲弾の弾芯、右はDM33徹甲弾の弾芯」)」

1970年代には多くの新型の弾薬種類が出現し始め、威力もそれまでの200mmクラスから300、400mmクラスにさえ向上した。理論研究と試験がそれぞれ重大な進展を取得した後、ソ連は即世に問う新世代戦車のため新型複合装甲の研究開発を開始した。名声の高いソ連Kotin第2特別設計局は1968年4月16日、ソ連共産党中央委員会およびソ連部長会議の決定に基づき、「219プロジェクト」の研究開発作業を開始した。ポポフがこのプロジェクトの総設計者を務めた。彼らは短時間ですぐにT64を基礎に発展したガスタービンを装備する64T サンプル車を登場させ、しかもその後のサンプル車には全く新しいトランスミッションシステム、ガスタービン、懸架システム等の新システムが装備された。

(頑住吉注:原ページのここにある画像のキャプションです。「ガスタービンを装備した早期のT64T検証車」)

1974年、ソ連鋼鉄科学研究院はT80に(当時はまだob219サンプル車と呼ばれていた)T64戦車のセラミック装甲を改良した装甲挟層を配備した。これはやはり依然として酸化アルミセラミック球を主要な材料として使用し、セラミック球は基層中でずらりと並べて配列され、間隙はポリウレタンゴムで充填され、構造上はT64とあまり大きな差はなかった。T80の砲塔はより厚く、挟層の配列の層数がより多いだけだった。だが早期のT80は多くの新技術を採用しすぎ、信頼性が極めて劣るという結果がもたらされた。特に燃費の悪いGTD-1000ガスタービンの寿命は500時間しかなかったとされる。1980年代初期に登場したT-80Bではすでに多くの問題が解決され、性能は安定に向かった。

(頑住吉注:原ページのここにある画像のキャプションです。「GTD-1000ガスタービン。寿命は比較的短かった。」)

1978年に登場したT80Bにおいては、車体正面主装甲も西側と似た膨張反応装甲に交換されていた。これは硬度の異なる鋼板と特殊ゴムを混合配置したもので、分析によれば8層前後の多くの硬度の混合鋼板と特殊ゴムで構成されている。

だが変化が最も大きかったのはT80Bの砲塔装甲だった。T80Bに装備されたのは新たに研究開発された束縛性セラミック装甲で、もはやT64のようなセラミック球は使用されず、新工程で生産された六角柱状のセラミックが採用されていた。設計者たちはスチールを使ってセラミック柱を包み込んだ後、整然とした互い違いの形で高強度合金で作ったフレームに配列した。セラミック柱の前面には、T72の複合層に似た種類の高酸化珪素ガラス繊維を敷設して金属射流の破壊に対する力を強化した。しかも「類モジュール化」の概念を導入した。これは30mm鋼板+50mm高酸化珪素ガラス繊維+70mmセラミック柱+20mm鋼板を一緒にパッケージしたもので、その後さらに多層のこの種のモジュールを、砲塔鋳造時に残しておいた窪み内に入れて複合挟層を形成するものだった。

(頑住吉注:原ページのここにある画像のキャプションです。「T-80Bの砲塔装甲の厚さを示す図。図からT80Bの砲塔の正面が非常に厚いことが見て取れる。」 確かにむちゃ厚いですが後部は極端に薄く、また砲の基部も弱点になりそうな感じです)

ドイツのある資料によれば、T80Bの砲塔の厚さは600mm余りに達しているという(筆者はこの厚さは水平に測った厚さにちがいないと思う)。つまり、T80Bの砲塔には3層のこの種のあらかじめパッケージされたモジュールが置かれている公算が高く、このようにしてT80Bの防御能力を新たな高みに到達させた。T80BV(K1反応装甲を追加装備したT80B)の正面防御は550mm前後(徹甲弾)、750〜800mm(成型炸薬弾。K1装甲の効果含む)で、このレベルはすでに凄いものだった。基本的に当時のあらゆる戦車砲から発射される尾翼で安定するサボ付き徹甲弾や大部分の成型炸薬弾(K1反応装甲を使用する状況下で)を防御できた。(反応装甲の状況に関し、筆者は後編、「戦神の装甲 付加装甲編」の中で詳細に紹介する)

(頑住吉注:原ページのここにある画像のキャプションです。「T-80Bの主装甲挟層の説明図」 黒い部分が鋼板、斜線部がセラミック層、マス目部が繊維増強樹脂層です)

T80BV(ソ連は爆発反応装甲を装備した戦車を、機種名の後のVという文字で区別している)の出現は、ソ連陸軍に再び西側の頭上に吊るされたダモクレスの神剣を手にさせた(頑住吉注:「ダモクレスの剣」はゴルゴ13の1エピソードにもありましたね)。だがソ連陸軍はそれでも満足せず、科研部門にT72とT80戦車の新改良型開発を継続し、西側の追走を首尾よくはるかに遠く振り切り、西側に対する装甲の優位性を保持し続けることを要求した。ソ連軍事委員会と部長会議の命令の下、ソ連戦車設計者たちは再び、すでに強大なT80BVに対する改良を開始した。まず改良が行われたのは「足が短い元凶」と呼ばれたGTD-1000TFガスタービンに他ならなかった。彼らは「476プロジェクト」の中の6TDディーゼルエンジンを使って、価格も非常に高く燃費も悪いガスタービンと交代させた。同時に懸架システムと転輪を改良した。だが変化が最も大きかったのは装甲の構造の改変だった。

(頑住吉注:原ページのここにある画像のキャプションです。「K1型爆発反応装甲を装備したT-80BV戦車」)

ソ連共産党中央委員会とソ連部長会議が1985年9月2日に行った第837-249号決議に基づき、「478Bプロジェクト」が量産に入った。量産型の機種名はすなわちT80yだった。T80yは西側から「赤い貴族」と呼ばれた。T80の機種名を流用してはいるが、T80yには全く新しい動力システム、火力コントロールシステム、弾薬、全く新しい設計の砲塔と装甲があり、このためT80yは完全新規設計の戦車である。

(頑住吉注:原ページのここにある画像のキャプションです。「478プロジェクトのサンプル車の1つ。すでにT-80yの雛型がおぼろに見て取れる。」)

実はT80yは、動力システムを交換したT-80Bの車体を使い、装甲を改良し、モロゾフ設計局のOb476の砲塔、すなわち強化型T-64B2の砲塔を装備したものである。同年、この試験車にK-5反応装甲が装備され、実験機種名はOb219ACとなった。T80yの車体装甲は新規設計を経ており、本来のT80Bの多硬度鋼板+特殊ゴムを基礎に、柱状セラミックで組成された挟層を加え、同時に層数を多くした。その構造は、高硬度装甲鋼+柱状セラミック挟層+高酸化珪素ガラス繊維+高硬度鋼板+柱状セラミック挟層+鋼板内張りだった。その中の間隙にはさらに耐火ゴムが添加され、もって緩衝能力が増強された。

(頑住吉注:原ページのここにある画像のキャプションです。「T-80yの車体前上部の構造説明図」)

国外のいくつかの資料が明らかにするところによれば、T80yの車体正面主装甲の水平に測った厚さは650mm前後で、これは相当に凄い数値である。しかも砲塔の装甲はより強力で、T80yの新砲塔にはソ連最新の第2世代蜂の巣セラミック装甲が採用されている。この装甲を研究開発したソ連鋼鉄科学研究院が1990年代後期に発表したある資料の説明によれば、この種の蜂の巣装甲は新しい炭化珪素セラミック材料を使用しており、その製作過程は、球状の炭化珪素セラミックをチタン合金パイプ内に入れて密封し、これらの合金パイプを高強度スチールで作ったベース内に蜂の巣状に配列し、さらに耐火性のあるポリウレタンゴムでスチールパイプの間の間隙を充填するというものである。その後、これらのパッケージを砲塔前部にあらかじめ残しておいた窪みに入れ、パッケージの間を高酸化珪素ガラス繊維で充填して成型炸薬弾に対する防護を強化し、最後に装甲構造全体を溶接して密封し、交換可能な装甲モジュールとして製造する。炭化珪素セラミックは製造コストが非常に高く、加えてT80yには多くの最新技術が使用されているため、T80yの製造コストは高騰し、1980年代のソ連経済が逼迫した状況下では、生産は非常に緩慢だった。

(頑住吉注:原ページのここにある画像のキャプションです。「T-80yの砲塔装甲構造の説明図」)

第2世代蜂の巣セラミック装甲は束縛性セラミック装甲に属し、主に1980年から発展してきた戦車砲から発射される高初速で細長い尾翼で安定するサボ付き徹甲弾に焦点を合わせており、同時に成型炸薬弾頭からの防護にもできる限り合わせ配慮している。さらに新型の爆発反応装甲K5の使用が組み合わされているので、T80yが当時世界で最も正面防御が良好な戦車であると考えられたのには理由がある。主に尾翼で安定するサボ付き徹甲弾に焦点を合わせて設計された束縛性セラミック装甲を採用しているので、T80yの車体(裸車)正面主装甲の防御力は600mm(徹甲弾)、700mm(成型炸薬弾)に到達する記録を作るものになっており、しかも砲塔の防御能力はさらに強大で、650mm(徹甲弾)、800〜850mm(成型炸薬弾)に達している。

(頑住吉注:原ページのここにある画像のキャプションです。「K5爆発反応装甲を吊り下げ装備していないT-80y砲塔正面図」)

T80に対する改良が完成した後、科研人員はさらにソ連陸軍に大量装備されている別のメインバトルタンクであるT72戦車に目を向けた。T72はコストの制限を受けたため、設計時は廉価な高酸化珪素ガラス繊維を複合装甲の挟層として装備しただけで、徹甲弾に対抗する効果は良好でなかった。レバノン戦争において、105mm戦車砲を使用して発射したM111型徹甲弾が風頭正勁(頑住吉注:これ頻繁にあって嫌になるんですが、非常に多用される慣用句らしく検索すると無数のページがヒットしますが、意味を説明しているページは全く見つかりません。日本の慣用句を検索すると必ず意味を説明したページが上位に来るんですが、中国人はこういうことに全く無関心らしいです)のT72戦車の正面装甲を貫通し、これはソ連の装甲研究開発機構を極めて震撼させた。彼らを不安に陥れたのは輸出型T72の性能低下ではなかった。西側戦車の火力の迅速な増強に仰天したのである。

(頑住吉注:原ページのここにある画像のキャプションです。「イスラエルが1980年代に装備したM111尾翼で安定するサボ付き徹甲弾は1982年の衝突でT72輸出型の車体主装甲を貫通し、ソ連の設計者たちを大いに意外に感じさせた。同時にこの砲弾も当時最も有名な105mm徹甲弾となった。」)

ソ連は素早く特殊なルートを通じてL7戦車砲とM111徹甲弾を獲得し(頑住吉注:「中国製戦車砲の発展過程」には、「1980年代初め、中国は国外からイギリス製L-7式105mmライフル砲を導入し、59、69系列の戦車に装備し、試用効果は良好だった。」との記述があり、当時の東側の国でも入手は可能だったようです)、クビンカ試験場で秘密テストを行った。しかもテスト結果に基づいてT72に応急改良を施した。改良方法は簡単だった。あらゆるT72の正面に25mmの高硬度装甲スチール製の付加装甲1枚を増やすことでM111徹甲弾の脅威に対抗するに充分としたのである。この時の事件を通じ、設計者たちは今後の一定の時間内に大口径戦車砲から発射される尾翼で安定するサボ付き徹甲弾が戦車の主要な脅威になると認識するに至った。これにかんがみて、T72により先進的な装甲を装備し、もって新型徹甲弾の脅威に対抗することが必須となった。

(頑住吉注:原ページのここにある画像のキャプションです。「25mm装甲版を溶接して加える前後を対比した画像」)

M111徹甲弾の脅威に対抗するため、T72の車体にまず25mmスチール装甲を溶接して加えたのは応急措置としてだった。実は1978年には早くも、T72の設計者たちはすでに部長会議に向けT72AにT64のようなセラミック装甲を装備することを申請していたのだが、拒絶されていた。1985年、T-72B改良型設計団体が再度T-80yのセラミック装甲材料の使用を申請したが、同様に製造コストが高いことを理由に却下されていた。

コストという越えられない大きな山の前で、T72の設計者たちはもう一度頭を働かせた。ちょうどこの時彼らは情報ルートを通じて、膨張反応装甲に関するいくつかの理論の詳しい状況を理解するに至り、それまでに進めていた膨張反応に関する研究と結合し、ソ連の設計者たちは素早く膨張装甲の奥義を掌握した。しかも迅速にこの技術をT72に対し進めていたグレードアップ改造プロジェクトの中に応用するに至った。

(頑住吉注:原ページのここにある画像のキャプションです。「T-72B改良型戦車を俯瞰で見たところ。砲塔正面の厚さが明らかに増加していることと、交換可能な挟層の窪みが見て取れる。」)

まず行われたのは本来のT72の車体への改造だった。本来の車体は水平方向の厚さが533mmしかなく、装甲鋼+高酸化珪素ガラス繊維から構成されていた。一方T72Bの車体正面主装甲はT80Bに似た8層の異なる硬度の鋼板と特殊ゴムを配列して組成されていた。膨張装甲は装備に比較的大きい厚さと装甲内空間を必要とするので、T72Bの車体正面主装甲の水平方向の厚さは600mm前後に達し、砲塔正面装甲の水平方向の厚さは700mmに増大した(西側はこれを「豊満型」砲塔と呼んでいる)。

(頑住吉注:原ページのここにある画像のキャプションです。「生産中のT-72B(改良型)。その車体の前部上面が多層混合構造からなっていることが見て取れる。」)

T72Bの膨張装甲の構造は複雑なものではない。主体は若干の小さな膨張反応層からなり、それぞれの膨張反応層は厚さ15mmの高硬度鋼板、10mm厚の耐火ゴム、8mm厚のチタンを含有する合金で作った薄い金属片をプレスしたものから構成される。これをさらに金属製支持架上に55度の傾斜角で並べて装着し、砲塔の挟層に入れるのである。

(頑住吉注:原ページのここにある画像のキャプションです。「T-72B型砲塔から挟層材料を取り外した後に現れた窪み。この型の設計は戦時において素早く損傷を受けた装甲を交換するのに便利である。」)

その防御原理は次の通りである。徹甲弾の弾芯が突入した時、弾芯に異なる硬度と密度の金属板の間で反復して衝撃を与え、弾芯の向きを変えて貫通ルートの直径を増大させ、貫通方向における弾芯衝撃力を弱める。一方成型炸薬弾の射流が侵入した時は、高硬度鋼板が一定の幅での湾曲、変形を起こし、この動きがゴム板によって内側のチタン合金製の薄い金属片に伝えられ、これを押し動かして移動させる。膨張反応層の配置は射流の侵入方向と一定の角度があるので、薄い金属片は垂直方向に射流を切り割り始める。膨張反応層は重ねて層として置かれているので、最終的には射流は完全に破壊される。T72Bの膨張装甲は膨張反応層が比較的厚く、しかも配列が緊密なので、徹甲弾に対し比較的良好な防御効果があるが、成型炸薬弾に対してはやや不足で、このためさらにその外部に爆発反応装甲を吊り下げ、もって成型炸薬弾に対する防御を増強した。

(頑住吉注:原ページのここにある画像のキャプションです。「T-72Bの砲塔の膨張構造鋼棒(大部分は特殊ゴム内に包まれている)」)

開始された試験の中で、設計者たちがT72Bの主装甲の中に入れたのは薄いアルミ合金片だった。アルミ合金は粘り強く、侵入した射流に対し横向きの切り割りができるからである。だが最終的に徹甲弾に対する試験で判明したのは、アルミ合金薄片の徹甲弾芯に対する妨害作用は非常に限られたものであり、その効果が理想的でないことだった。そこで後の試験ではアルミ合金片がチタン成分を含んだ高硬度の薄いスチール片に交換された。このようにすると弾芯の侵入過程で、高硬度の薄いスチール片が弾芯に反復して衝撃を与えた。普通材質の弾芯なら切断されるし、現代の高密度合金製弾芯(タングステン合金や劣化ウラン合金も含む)ならば弾芯を切断することはできないが、弾芯侵入ルートの直径を大きくすることはでき、水平方向の衝撃力が部分的に傾斜あるいは垂直方向に伝達され、したがって弾芯の貫通深度が減少する。実験は、同一タイプの徹甲弾の均質装甲と膨張装甲に対する貫通を比較すると、膨張反応装甲の貫通穴の直径は明確に均質装甲より大きく、しかも徹甲弾芯の貫通能力を非常に大きく低下させることを証明している。

(頑住吉注:原ページのここにある画像のキャプションです。「T-72B戦車の砲塔から取り出した挟層材料(ソ連はT-64から、砲塔の挟層をいずれもモジュール化された交換可能な構造としている)。」)

新型装甲使用後、T72Bの防御能力は比較的大きなグレードアップを獲得し、車体正面装甲の防御能力は500mm(徹甲弾)、600mm(成型炸薬弾)に達し、砲塔正面装甲は550mm(徹甲弾)、650mm(成型炸薬弾)に達した。

だがT72に対する改良はこれで終わったわけではなく、チェチェン戦争の教訓を吸収した後、設計者たちはさらに一歩T72Bの装甲の厚さを増やした。21世紀初めにおけるT72Bに対する最新の改良では、新しい高密度合金板が膨張反応層の中の高硬度鋼板に取って代わり、また微量の炸薬を含有したゴムが元々の普通耐火ゴムに取って代わった(この種の改良はレオパルド2A5/6の改良と同工異曲で興味深い)。しかも膨張反応層の間にセラミック挟層を加えた。これは1990年代以後に出現した細長い高密度合金製サボ付き徹甲弾に対抗するためである。

(頑住吉注:原ページのここにある1枚目の画像のキャプションです。「2006年に展示された改良型T-72BM2戦車」 続いて2枚目。「生産中のT-72BM改良型戦車」 続いて3枚目。「生産中のT-72BM改良型戦車。レオパルド2戦車と同じ重スカート板設計を採用している。」 続いて4枚目。「テスト中の187サンプル車の1つ。下の画像とは異なる車両である(車体前部の構造の差に注意」 「重スカート板」というのは泥よけの薄板ではなく装甲を兼ねたスカートのことでしょう。ちなみに、 http://bbs.tiexue.net/post2_2224406_1.html 何故中国戦車のスカートはこんなに薄いの? と疑問を提示するページもありました)

1988年、ウラル自動車車両製造向上はT72戦車の性能向上と輸出量増大のため、T72に対し新たな改良を行うことを提起した。プロジェクトコードは「Ob187」だった。輸出製品ではあるが、総設計者ポチョムキン(頑住吉注:少なくとも中国語では有名な映画になった戦艦と同じ表記です)はそれでもこのプロジェクトに最新の技術を用いることを決定した。このためポチョムキンの主導の下、設計者たちは「Ob187プロジェクト」のために全く新しい、溶接技術を採用した新型砲塔を設計した。これには全く新しい装甲と威力がより大きい火砲が装備され、同時に元々分散して配置されていた火力コントロールシステムを統合した。T72改良過程のもう1つの重要な貢献は、T72とT80の長所を統合することでロシア軍の最新世代メインバトルタンクであるT90が誕生したことである。

(頑住吉注:原ページのここにある1枚目の画像のキャプションです。「すでにダメージの大きい187サンプル車。だがそれでも当時の先端技術の息吹を感じることができる。」 続いて2枚目。「187プロジェクトのサンプル車の1つ。その車体前部の傾斜した部分の装甲は非常に厚く、水平方向の厚さは700mmを超えている。」)

溶接技術を採用したため、この型の砲塔には当時「NATO化」の呼称が与えられ、一貫して軍調達部の眼中になしという結果をもたらした。後のこの砲塔はポポフに高く評価され、T80UMに使用された(ただしその生産数は少なかった)。「187プロジェクト」は冷遇されたが、ポチョムキンは落胆せず、すぐさま新しい「ob188プロジェクト」を始動させた。

(頑住吉注:原ページのここにある画像のキャプションです。「188プロジェクト定型後の最初の生産型のテスト車。まだ側面前部の重スカート板の設計は採用されていない。」)

ob188プロジェクトは新たに鋳造砲塔技術に回帰した。実はob188はT72Bに対するさらに一歩のグレードアップに他ならず、ひとたびプロジェクトが開始されるやサンプル車はT72BUと呼ばれ、別の種類の新型装甲とT80Uの火力コントロールシステムが採用された。サンプル車は1989年1月に国家の実験のため引き渡された。その後の一定期間の中で、湾岸戦争が勃発し、T72の初期輸出型は多国籍軍によって打撃され追い散らされた。これにソ連政局の混乱と経済の崩壊が加わった。新型戦車の試験、検査の上での受領作業に関心を持つ人もほとんどいなかった。1992年10月になってやっと国家試験が完了した。同月ロシア連邦政府は、「ob188プロジェクト」の定型、生産、ロシア軍への装備を決定した。

(頑住吉注:原ページのここにある画像のキャプションです。「渡河試験に参加する初期のT-90戦車。その側面前部位置にすでに重スカート板が装備されているのに注意。」 うーん、違い分かんないす)

この時T72はすでに悪評が知れ渡っていたので、T72と区別するために止むを得ずロシア大統領自らT72BUをT90と改称し生産に入ることを命じた(頑住吉注:それはちょっとどうなんでしょう)。この時定型に至ったT90は初期型に属し、依然鋳造技術で製造した旧式砲塔を採用していた。装甲構造では、最初期のT72BU改良型は依然T72Bの廉価な鋼棒膨張構造の装甲を採用し、ただ単に厚くしただけだった。ただし定型後数年のうちに、特に湾岸戦争勃発後T72がM1A1の発射する新型のM829A1尾翼で安定するサボ付き徹甲弾によって野菜を切るがごとく虐殺されたことがロシアの設計者や軍部に深刻過ぎる印象を残した。こうした状況に押し動かされて、最も早くはソ連時代に制定された、「T72はローエンド装備に属し、セラミックを使用した複合装甲は装備しない」という指示はすぐさま廃止され、定型に至ったばかりのT90にT80yと同じセラミック複合装甲挟層を使用することが認可された。その主要な構造と材料はいずれもT80yの装甲と同じで、単に設置方式と構造工程にやや違いがあるだけだった。

(頑住吉注:原ページのここにある画像のキャプションです。「初期のT-90とT-80yの砲塔の装甲構造の対比図(左がT-90、右がT-80y)。初期のT-90は鋳造砲塔を採用し、かつT-72Bの膨張反応装甲を依然使用していた。」)

1995年頃、ロシア軍は現役のT80yと依然鋳造砲塔を使用していたT90に一連の実弾射撃テストを行い、もってこの2機種の戦車の装甲防御面の不足点を理解し、未来の装甲の研究開発方向を確定した。同時にロシア軍はどんな種類のメインバトルタンクを陸軍の核心的戦力として装備するかも確定した。大規模なテストを経て、最終的にロシア軍部はT90を次世代メインバトルタンクとして軍に装備することを決定した(頑住吉注:「ロシア、中国戦車の自動消火装置は劣る?」の中に、「T80は敵の戦車を狩り破壊する目的から、前面装甲は非常に厚く西側重戦車に近いが、一方側面、後面装甲は14.5mm徹甲焼夷弾でも貫通でき、T72に遠く及ばない」という記述があり、また「対戦車兵器で100回近い命中を受け、20発が貫通し、「曼図」ハロン1301消火爆発抑制システムが全ての噴剤を噴射し終わるに至り、〜やっと自分の陣地に戻ってきた」という高い生存性を示したのもT72でした)。T90は最終的にT80yの改良型に勝利したが、この間に生じた問題はロシア軍に、西側の装甲技術水準がすでに一歩一歩迫ってきていることをも認識させるに至った。このため、伝統的思想の枠内の保守的観念を投げ捨て、T90戦車の改良に新技術を応用することが必須となった。

(頑住吉注:原ページのここにある画像のキャプションです。「T-90A、すなわち188Aプロジェクトに使用された溶接型砲塔の装甲の構造説明図。」)

ポチョムキンと彼のチームは再度出陣し、T90に対し「徹頭徹尾」の改良を開始した。まず行われたのは、1990年代初期に軍の調達部門に「NATO化」として門前払いされた新型の溶接技術による砲塔の改めての使用に他ならなかった。しかもさらに一歩砲塔の装甲を厚くし、同時にロシア鋼鉄科学研究院(旧ソ連鋼鉄研究院)とシベリア流体力学研究所が共同で、全く新しい「ob188A」プロジェクトのために、第3世代蜂の巣セラミック装甲と呼ばれる「砕片」複合装甲を設計し、これが装備された。

「砕片」装甲は全く新しい概念の複合装甲であり、この装甲は旧ソ連の流体力学および貫通力学の研究成果を応用し、応力波の動力が貫通物に対し行う打撃と破壊を利用している。力学の装甲研究開発への応用における頂点たる産物である!

この装甲は多層の配列された合金フレームからなり、高強度合金で作った支持架上に分布する大量の蜂の巣に似た金属ジャケットからなり、金属ジャケット内に個別の「凹」型の椀状金属体がタンデムで置かれ、耐火ゴムで封鎖されている。射流や弾芯が侵入した時、「蜂の巣群」の中に強力な衝撃波が起き、金属壁内に密封された椀状金属は衝撃圧によって変形する。衝撃圧が形成した金属体は速度には射流や弾芯と極めて大きな速度差がある。椀状金属体は貫通物の軸線方向に沿って猛烈に押し出す圧力をかけ、かつ射流や弾芯に向け反貫通を行い、したがって最終的に貫通物を破壊する。さらに一歩の改良中、普通装甲スチールで作った合金フレームと裏板が高密度合金板(タングステン合金あるいは劣化ウラン合金)に交換され、細長いサボ付き徹甲弾に対する防御能力がさらに一歩増強された。

(頑住吉注:原ページのここにある画像のキャプションです。「ロシア建国祭の閲兵に参加したT-90改良型戦車。これが採用しているのが正面の厚さが極めて大きい溶接砲塔であることがはっきり見て取れる。」)

一方国外のいくつかの資料では、T90改良型の装甲に関する記述の中に別の説もある。すなわちT80yの改良型とT90の改良型はいずれも液体金属複合装甲を使用しているというものである。この種の装甲の資料は極めて乏しいので、筆者はこれに対し非常に懐疑的態度である。ここでは皆さんのために簡単に紹介するにとどめ、その真偽は読者自身の判断に任せる。

この種の液体複合装甲の構造は、第3世代蜂の巣セラミック装甲と大体似ている。高強度スチールで作ったフレームと裏板であり、その後各フレーム上にタングステン合金パイプを装着し、配列して蜂の巣状にし、金属パイプ内に一種の液体ポリマーを入れる(筆者はこのポリマーはアメリカが研究開発した増稠剪切液に類似した物質と推測する)(頑住吉注:「(Shear Thickening Fluid、STF」。ボディアーマーにも応用されているそうです)。この種の装甲は射流や弾芯の力を借りて破壊の目的を達成する。射流や弾芯が外層装甲を貫通して蜂の巣構造に侵入すると、金属パイプ内に貯蔵された液体ポリマーが強烈な振動波を発生させ、しかも管壁によって迅速に反射させられ、液体物質を侵入方向に向け押し動かして高速で運動させ、貫通物をブロックする動作を形成する。貫通物の衝撃力が大きくなればなるほど、液体物質のこれに対する反作用も大きくなる(すなわち「エコー」原理)。もってこの貫通物に対し反復して圧迫を行い、最終的に貫通物を完全に破壊する。後に出現したタングステン合金や劣化ウラン合金製の徹甲弾が侵入したら、液体ポリマーはこれを破壊することはできないが、弾芯の侵入経路に対し向きを変えさせる力を加えることはでき、多数の裏板への多数回の衝突は弾芯に極めて大きな金属疲労を生じさせ、後面のセラミック挟層の衝突に耐えられなくし、最終的に解体をもたらす。この種の装甲構造に対し、筆者は液体ポリマーに最大の問題があると考える。一体ソ連人はいかに実現したのか、あるいはさらに実現したのか否か、筆者はいたずらに推測を加えることはしない。ここではただ皆さんに向けソ連の資料を転載するにとどめ、この謎に関して筆者は皆さんと共に探求、討論することを望む。

(頑住吉注:原ページのここにある画像のキャプションです。「実弾射撃テストを行うT-90戦車の溶接砲塔」)

ソ連解体後経済的圧力が切迫したものになったため、各設計局は自分たちの改良方案をもって国際市場に売り込んだ。これは一定期間の機種の混乱をもたらし、糸口をつかみにくくした。実は初期のT90は生産に入ることはなく、本当に生産に入ったのはT90A、すなわち「187プロジェクト」改良型の溶接砲塔に換装した新型の戦車だった。その砲塔の正面主装甲の水平方向の厚さは750mm近くに達し、重量も大幅に増加し50トンクラスのレベルにまで達した。大幅な改良を経て、T90Aの防御能力はそれまでのあらゆる旧ソ連戦車をも超越し、700mm(徹甲弾)、900mm(成型炸薬弾)に達し、しかも外部吊り下げ反応装甲の装備によってさらに一歩防御レベルを向上させることもできる。

(頑住吉注:原ページのここにある画像のキャプションです。「ロシアが今年T-90改良型戦車に対し行った実弾射撃テスト。この戦車は相当に強力な防御能力を備えている。」)

だがロシアの軍事費は一貫して厳しい状態にあり、全く新しく生産されるメインバトルタンクを購入する充分な資金がなく、ウラル車両工場に在庫される比較的新しいT72戦車にグレードアップを行うことを委託し、これをT90の水準に到達あるいは接近させ得るようにした。ここ何年かのロシア経済好転につれ、軍事費も年ごとに増加し、長年停滞していた戦車研究開発と改良作業も大いに進展し、絶えずいくつかの新型戦車を登場させている。

(頑住吉注:原ページのここにある画像のキャプションです。「今年公開展示されたT-90系列最新の改良型T-90AM」 これはこれまでのソ連系戦車の伝統的なイメージとかけ離れてますね)

一方T80系列のいくつかの「親戚」たち、例えばT80UD、T80UM等々は装甲に関する差異は大きくなく、筆者はここでいちいち記述しない。

(頑住吉注:原ページのここにある1枚目の画像のキャプションです。「初期型のT-80UD戦車。T-80yと同じ鋳造砲塔と装甲構造を採用している。」 続いて2枚目。「後期のウクライナ製T-80UD戦車。最終的にT-84戦車と改名された。187プロジェクトの溶接砲塔技術がすでに採用されていることが見て取れる。」)

ここに至り、戦車そのものが使用する主装甲に関する評論、記述は基本的に一段落を告げた。数十年の飛ぶように速い発展を経て、戦車の装甲はすでに陸軍強国のシンボル的技術になっている。また科学技術の発展につれ、より多くの、より先進的な材料や技術が装甲分野に入ってきており、我々に大きな期待を持たせている。


 おっさんである私が子供の頃には、ソ連戦車はまだ西側にとって質的にも量的にも恐るべき存在でしたが、湾岸戦争で化けの皮がはがれた印象で、少なくとも質的には、また半可通にとっては、もはやさほどの脅威ではないというイメージになりました。しかし当時完敗したのは旧式な輸出型であり、またこの教訓から当然さらなる改良が行われ、新技術も導入されているようです。果たしてロシアの最新戦車と西側の最新戦車の現時点における実力差はどの程度なんでしょうか。また最新のロシア製戦車の売り込みにもはや興味を示していない中国の戦車の実力は実際のところどうなんでしょうか。まあ永久に謎のままがいいですけど。

 本筋と関係ないですが、「ここ何年かのロシア経済好転につれ、軍事費も年ごとに増加し、長年停滞していた戦車研究開発と改良作業も大いに進展し、絶えずいくつかの新型戦車を登場させている。」という記述で、あるいは今後AN-94の配備数が増える可能性もあるのでは、と思いました。










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