中国抗日戦の歴史的意義は

 有名な羅援将軍による論です。

http://military.china.com/news/568/20150130/19264878.html


羅援:国共の犠牲となった将官の多寡を挙げてものを言う人がいるが、比較可能性はない

(頑住吉注:原ページのここにある画像のキャプションは本文の一部を切り取ったものなので省略します。)

現在西方の史学界はひとたび第二次世界大戦について語り始めるや、頭に浮かぶのはソ連・ドイツの戦場の惨烈さ、ノルマンディー上陸の激烈さ、太平洋戦争の悲烈さであり、一方中国の戦場の壮烈さが語られることは少ない。もし中国の戦場について語っても、また日本のファッショの息の根を止めたアメリカのかの2発の原子爆弾やソ連極東出兵の意義が強調され、中国軍の14年の抗日戦の決定的意義が語られることは少ない。中国の戦場の世界の反ファッショ戦争の中での地位は一体どうなのか? 中国軍の抗日戦争の中での作用は一体どうだったのか? 抜本的に正すべき時である。中国人たる我々は、中華民族のこの史上前例のない世界大戦の中でなした貢献に誇りを感じる。

一、中国抗日戦争の世界反ファッショ戦争勝利に対する貢献は大きい。

中国の抗日戦は、日本陸軍の主力を中国の戦場に深く陥らせ、「北進」計画を実施できなくさせ、ソ連は両面作戦の致命的危険を回避した。祖国防衛戦争の最も危急な時、ソ連は相次いで極東地域から54万の兵力、5,000門余りの火砲、3,300両余りの戦車を抽出移動させ、非常に大きく西部戦線の対ドイツ作戦力量を強化した。スターリンは、「日本の侵略者の手足が縛られていた時だからこそ、我々はドイツの侵略者がひとたび我が国に進攻した時、両面作戦を避けることができたのだ」と語った。

中国の抗日戦はさらに日本の「南進」の歩みを遅らせた。太平洋戦争勃発後、日本陸軍の主力35個師団は中国の戦場において牽制され、太平洋の戦場に派遣されたのは10個師団だけだった。ルーズベルト大統領はかつて次のように言った。「もし中国がなかったら、もし中国が打ち倒されていたら、何師団の日本兵がその他の方面に移動して作戦行動できたと思うかね? 彼らはすぐにオーストラリアを打ち負かし、インドを打ち負かすことができた‥‥」 チャーチルは言った。「もし日本が西インド洋に進軍していたら、必然的に我が方の中東の全部の陣地の崩壊をもたらしただろう。このような局面の出現を防止できたのは中国だけだ。」

二、中国軍民の日本ファッショへの戦勝に対する貢献は大きい。

まず、中国の対日作戦の時間は最長である。九一八事変(頑住吉注:満州事変)から日本の降伏まで全部で14年であり、このうち局地的抗日戦が6年、全面抗日戦が8年である。アメリカの対日作戦は太平洋戦争勃発から日本の降伏まで、時間的には4年に満たない。ソ連は1945年の対日宣戦から日本の降伏まで、時間は1ヶ月に満たない(頑住吉注:つーか数日ですわな)。

次に、中国は対日作戦の中で主力軍の作用を果たした。太平洋戦争勃発前、中国軍は1938年時点で日本陸軍に抵抗反撃すること94%、1940年時点で日本陸軍に抵抗反撃すること78%だった(頑住吉注:どういう基準か分かんないんですが)。太平洋戦争勃発後、中国軍はそれぞれ1942年および1943年に日本陸軍に抵抗反撃すること64%および54%だった。1945年の日本戦敗の時、中国に向け降伏した日本軍人の数は128.3万(関東軍含まず)に達し、日本の海外の各戦場での降伏人数のうち最多である。

さらに重要なのは、中国が抗日戦の中で取得した輝かしい戦果、支払った巨大な民族的犠牲である。全抗日戦期間、中国軍民は日本軍人を殺し、負傷させ、捕虜にすること全部で155万人余りで、自身の死傷者は3,500万人だった。1937年のレートで計算すると、直接の経済損失は1,000億ドル余り、間接的経済損失は5,000億アメリカドル余りである。一方ソ連軍の極東の戦役の中での死傷者は3.2万人、米軍の太平洋の戦場での死傷者は32万人余りだった。これにより我々は胸を張って、中国人民が日本のファッショに戦勝した主力軍であると言うことができる。中国の持久的抗日戦は日本のファッショに戦勝した決定的要素であり、ソ連参戦とアメリカの原爆投下は日本の降伏を加速しただけである。

(頑住吉注:これより2ページ目)

三、中国共産党の全民族による抗日戦勝利に対する貢献は大きい。

1つ目として、抗日民族統一戦線の建立を唱道し、かつきっぱりと維持保護したことは、長期にわたり中国を困らせていた力量を凝集させる問題を創造的に解決した。阿片戦争以来、中国人民の外敵侵入への抵抗反撃闘争は連戦連敗で、その根本的原因は全民族の力量を凝集して外国の侵略と圧迫に共に抵抗することができなかったことにある。九一八事変後、中国共産党は率先して武装抗日の旗印を高く掲げ、率先して抗日民族統一戦線建立を唱道し、近代以来かつてなかった全民族が共同で敵に抗する斬新な局面を実現した。もし共産党が以前の遺恨を捨て去り、西安事件を平和的に解決することがなかったら、もし共産党の以後8年の長きにわたる抗日戦の中での恥辱を忍んで重責を担い、統一戦線を堅持することがなかったら、抗日戦の勝利はなかっただろう。

2つ目として、全面抗日戦路線と持久戦の戦略総方針を提出し、かつ貫徹し、弱をもって強に勝つ戦争の計画方針問題を創造的に解決し、人民戦争の広大な大海を形成した。

3つ目として、広大な敵後方の戦場を切り開き、最も困難な戦略的任務を担った。全面抗日戦開始後、共産党は創造的にゲリラ戦争を戦略的地位にまで高め、八路軍、新四軍、華南抗日遊撃隊、東北抗日連合軍などの抗日武装勢力を指導して敵の後方に深く入り、広大な敵後方の戦場を形成した。5年の長きにわたる戦略的対峙段階で、大部分の日本軍とほとんど全部の傀儡軍に抵抗反撃し、抗日戦の中核的力量となった。全戦争の期間、共産党が指導する抗日武装作戦は12.5万回、日本軍、傀儡軍を殲滅すること171.4万人で、人民軍は120万人余りにまで発展し、100万平方km、1億近い人口の抗日根拠地を建立した。一部の人は共産党軍を「遊するも撃せず」(頑住吉注:ゲリラ=「遊撃」をもじったものです)とけなすが、もしほんとうにこうなら、どうしてこのように輝かしい戦績が取得できただろうか?

四、国民党の中の愛国的将兵の抗日戦勝利に対する貢献は大きい。

抗日戦の期間、国民党軍は全部で大規模な会戦を行うこと22回、重要な戦闘1,000回余りで、死傷者320万人余り、旅団長以上の将官の犠牲189人だった。こうした抗日戦の英雄的で壮烈な功績は不滅である。国民党は抗日戦初期、「外敵を退けるにはまず国内を安定させることが必須」との政策を堅持し、戦機を誤った。また対峙の段階で、3回反共のブームがわき起こり、(頑住吉注:古語みたいなものが使われ意味不明ですが真の敵日本ではなく共産党を主敵としたみたいな意味だと思われます)を行い、戦略指導方面においても多くの反省に値する部分があったのではあるが。ある人は国民党の組織した会戦が多かったことをもって国民党の貢献の大きさを証明するが、問題は国民党が政権を持つ政党で、あらゆる食料弾薬と外部からの援助を掌握していたことにあるのであって、彼らが抵抗を組織せずして誰に組織させるというのだろうか? もし共産党に組織させたら、おそらく消極的防御という一方に比べ抗日戦をよりうまく、より良くやっただろう。だが全体的に言って、国民党は最終的にはやはり抗日戦を堅持し、肯定に値する。

今一部の人は国共両党の犠牲となった将官の多寡を挙げてものを言うが、実はここには多くの比較不可能性がある。第1に、国民党は当時全国の戦略資源を掌握し、政権担当の優勢を持っていた。第2に、当時国民党の軍隊には180個師団の編成があり、一方「限共」(頑住吉注:共産党を制限するみたいな意味でしょう)の考慮から、共産党に3個師団と新四軍の編成しか与えなかった。第3に、国民党の軍隊の一部の戦死した将官は犠牲となった後に階級を与えられたのである。一方共産党の軍隊の大部分の将校は決して階級を与えられず、特に当時共産党の部隊配置には旅団級の配置がまだ決して与えられてはいなかった。もし共産党の連隊長以上の幹部を、国民党の旅団級将軍に相当するとして計算すると、共産党軍の犠牲となった将官は国民党軍よりも多い。ある統計は、「九一八事変」から日本に対する最後の決戦まで、中華民族の少なくとも414人の将官が犠牲となり、このうち中国共産党武装勢力は206人、国民党軍は189人、民衆武装勢力19人であることを示している。189人の国に殉じた国民党将官の中で、当時国民革命軍軍長、あるいは上将、あるいは死後上将になった者は12人、共産党軍の中の正軍職以上の幹部(東北抗日連合軍含む)の犠牲者は18名である。抗日戦の中で、首位の殉国者は十九路軍少将滕久岳で、最後の1人の殉国者は八路軍冀南軍区第一分区の司令員桂干生である。

今は国共両党が功績を争う時ではない。国のために身を捧げた将兵たちは皆中華民族の英雄であり、全て中国人民の良き子女なのである! 抗日戦争もどの党、どの派閥の勝利ではなく、中華民族の偉大な勝利であり、中華民族の誇りなのである。

中国人民は日本のファッショに戦勝し、世界反ファッショ戦争勝利奪取のために偉大な功績を建立した。これはいかなる人にも抹殺しても抹殺できない歴史の結論なのである。


 まあ中国だけでは勝てなかったのも事実なわけで、そんなに無理に自分たちの歴史を飾り立てなくてもいいのではという気もしますけど、これは国の根源的正当性に関わる問題なので絶対に譲れないんでしょう。

















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