アメリカの非正規戦関連2題

 あまり関連がありませんがアメリカのスパイ戦、対テロ戦関連の記事を2つまとめて紹介します。

http://military.china.com/news2/569/20130703/17925285.html


カダフィの身辺の傭兵警護隊の中に19名のNATOのスパイが潜伏していた

(頑住吉注:原ページのここにある画像のキャプションです。「挿絵:方漢」 ちなみに吹き出しの中のセリフは「目標の位置、すでに確定」で、本文に出てくる女性スパイを、莫大なドルを与えられて、と反感をこめて描いているようです。)

今日の世界は、すでに冷戦はとっくに終結しているにもかかわらずスパイ戦は全く停止したことはなく、最近継続的にくすぶっている「プリズム」事件は最も良い例証である。同盟国間でも密かに罠を仕掛け、足をすくうことを免れず、増してやライバルの間では当然遠慮はない。俗に、正面からの槍は避けることが容易だが、後方から飛んでくる矢は防ぎ難い、という。ここ何年か、その命を失ったカダフィ、窮屈な檻に閉じこめられたムバラクなどかつての政治的強者を轟音と共に倒したのは背後からの攻撃であり、常にひとしきりの暗流が渦巻いていた。彼らの物語は再度我々に注意を促す。周囲の平静な表象の下に、念入りに策を練った致命的陰謀が隠れているかもしれず、常に心配する意識を抱いていてこそ、隠された闘争と「四反」工作をしっかりつかみ、未然に災いを防止することができるのである(頑住吉注:「四反」とは「浸透、心理戦、反乱逃亡の扇動、秘密を盗む行為」それぞれに対する「反」、すなわち対抗を指し、要するにスパイに気をつけろということですね。)。

今日から本報は「世界の暗戦見て歩き」コラムを開始し、あなたに容易に察知されない殺意をお教えする。‥‥編者 (頑住吉注:書いてませんけどどこかの記事からの引用なわけですね。)

2012年3月8日、アメリカ国務省はワシントンで年度の「国際女性勇気賞」授賞式を挙行した。約10名の賞の獲得者の中で、リビアから来たアイーヘバイスがことのほか人目を引いた。もし言わなければ恐らく誰も、この微笑みながらアメリカの当時の国務長官ヒラリーの手からトロフィーを受け取った若い女性の本当の身分を想像できないだろう。彼女は決していわゆる政治活動家ではなくスパイ、コードネーム「ナオミディア」なのである。

この孤軍奮闘の女スパイの物語に関してはさらに最初から語り起こす必要がある。2011年3月19日、米、英、仏などの国はリビアに対する軍事的打撃の実施を開始した。たった何十日かで、カダフィ政権は土崩瓦解し、中東の猛者カダフィも全く尊厳のない死に方をした。当時、全ての人々はうらやましげな眼光をNATOの先進的武器に投げかけていた。だが実は、NATO空襲の1年前には早くも、戦争は別の戦場で始まっていたのである‥‥。

2010年の「アラブの春」勃発後、西側、特にアメリカの情報機関は西側に屈服しないリビアのカダフィ政権に注目していた。アメリカの情報人員はあるいは商業活動をかくれみのに、あるいは記者の身分で、あるいは人権に関する非政府組織などの名目でリビア入りし、リビアの部族の長老、反政府派の人物と接触を行い、私的感情を建立し、買収による内部崩壊の進行、秘密裏の選挙への資金援助などの活動を行った。リビア全国暫定委員会の多くのメンバーはアメリカの情報機関との行き来があった。西側の情報人員はリビアで西側の民主主義と文化を宣伝し、カダフィ政権の腐敗を無制限に誇大宣伝し、部族間の矛盾を煽り、カダフィのイメージを悪化させ、「カダフィ打倒」行動のために世論の支持を提供した。

NATOに扇動されて造反したあらゆるリビア人の中で最も典型的なのが「ナオミディア」である。2011年、NATOおよびリビア反政府派はいわゆる民主、人権の旗印を掲げ、多くのドル札を餌にして、成功裏に弱冠24歳のアイーヘバイスを悪事に引き込んだ。アイーヘバイスは技術者であり、背が高く痩せて、普通のリビア人女性同様頭にはベールをかぶっている。この見たところ普通そうな娘はリビア戦争の中で成功裏に「潜伏」し、女性版「余則成」(頑住吉注:抗日戦を舞台にしたスパイものテレビドラマの主人公)として、NATOがカダフィ政権の軍事目標爆撃の位置決定を行うための任務を担ったのである。

「ナオミディア」はしばしば自分の自家用車を運転してリビア国内の至る所を回り、価値ある情報を収集した。彼女はさらにその退役軍人である父親の友達(何人かのカダフィ政権に決して忠実でない軍の高官)を通じて情報を獲得した。この女スパイは衛星や航空機による偵察作業の不足を補い、NATOのミサイルと爆弾の目となり、NATOが正確に多くのカダフィ政権の軍事目標を打撃するのを助けた。これには兵器庫、兵営、情報機関のビルなどが含まれた。

カダフィの手下の追跡をかわすため、「ナオミディア」はしばしば身を隠す地点を変え、かつ多数の携帯電話を使用して外界と連絡した。彼女は相次いで12枚のSIMカードと7台の携帯電話を購入した。反カダフィの地下組織はかつて彼女に1台の衛星電話を与えたが、「ナオミディア」はあえて多用しなかった。自らが暴露することを恐れたのである。「ナオミディア」は非常に機敏で、絶えず活動の地点を変え、1回電話したらすぐ場所を変え、もって追跡されるのを防いだ。このように用心したにもかかわらず、彼女はやはりカダフィの情報人員によってもう少しで捕まりそうになった。ある時、反政府派と連絡を取っている時、「ナオミディア」の1台の携帯電話の番号がカダフィの情報人員によって追跡され捜し当てられた。彼女はすぐにあらゆる携帯電話を切り、家族全員を連れて逃げた。最も近しい家人を除き、誰もアイーヘバイスが一体どんな仕事に従事しているのか知らなかった。リビアというこの相対的に保守的なムスリムの国においては、この正当な職業を持つ若い女性が意外にも西側のスパイであると疑う人はごく少なかった。

(頑住吉注:これより2ページ目)

実は、リビア戦争の中にはさらに非常に多くの「ナオミディア」的人物がいた。彼らはあるいはほしいままにカダフィ政権の高官を利益誘導して丸め込み、外務大臣、議会議長、石油相など多くの高級官僚らを反乱逃亡させ、あるいは金銭を餌に民衆が探り当てた情報を買い取り、重要な軍事目標の情報を獲得した。2011年4月30日夜、カダフィは一般民の居住区に隠れている時に空襲に遭い、彼の4名の肉親の爆死がもたらされたが、この情報は他ならぬリビアの民衆によって提供されたものだった。

提示しておくに値するのは、スパイはカダフィ本人が命を失う直接の原因にもなったことである。カダフィの警護隊の中には50名の傭兵がいて彼の逃亡を助けていたが、このうち19名はイギリスの保安会社に雇われており、この会社は実はNATOのスパイ機構の援護を行う機関であり、密かにNATOに情報提供していた。カダフィは、彼が莫大な金で招聘した警護隊が何と自分の墓堀人だったとは夢にも思わなかったかもしれない。

科学技術が急速に発展する今日、高度で新しい武器装備の威力は誰もが知っている。しかし、「スパイ戦」というこの古い闘争の形式が戦争の中で発揮する威力は依然過小評価を許さない。カダフィ政権、特に彼本人にとって、リビアで活躍したたった1人の「ナオミディア」がもたらした損失は、決してNATOの軍事打撃に劣らなかった。「ナオミディア」に関し、リビア全国暫定委員会の高級軍事官僚ハジヤの評価は非常に適切である。「1つの小さな情報は大行動を導き得る。もしナオミディアがいなかったら、我々にはなすところがなかったかもしれない。」(筆者グループ:軍事科学院戦略部国防政策研究センター)


 こうしたスパイは当然中国を含む他の国にもいると考えられています。

http://military.china.com/history4/62/20130702/17923453.html


驚き恐怖する! アメリカのグローバル航空TWA800旅客機、アメリカのミサイルに撃墜された疑い

(頑住吉注:原ページのここにある画像のキャプションです。「アメリカ戦闘機によって強制着陸させられたエジプトの旅客機」)

アメリカ大統領オバマは6月27日に記者会見で、スノーデンを引き渡させるためには手段を選ばないが、1人の「29歳のハッカー」を捕まえるために戦闘機によるスクランブルという手段を用いることはもっとあり得ない、とした(頑住吉注:例えばロシアから亡命先の中南米に飛ぶ旅客機を戦闘機を使ってアメリカ国内に強制着陸させる手段を取る可能性はあるのか、との質問に答えたものでしょう。関係者しか乗っていないならともかく一般の旅客機に対しこんなことをするのは実際には無理だと思われます)。すでにこのような態度表明が行われているが、歴史上アメリカが戦闘機を用いてアメリカの国家の安全に脅威を与える人物が乗った旅客機にスクランブルをかけた前例はある。アメリカはかつて戦闘機を派遣して民間の旅客機にスクランブルをかけただけでなく、さらにかつてミサイルを使って旅客機を撃墜したこともある。

地中海上空の驚きと恐怖のスクランブル

アメリカの最も古典的な戦闘機によるスクランブルは1985年10月10日の夜に発生した。だが事情はさらに10月5日から語り起こす必要がある。この日、イタリア船籍の客船「ラウロ」号はエジプトのアレキサンダー港を離れてシリアに向け航行したが、7日にムハンマド アッバス(頑住吉注:パレスチナ自治政府大統領を一時務めたPLOのマフムード アッバス議長とは別人。フセイン政権崩壊後バグダッドで拘束され2004年に獄死)をリーダーとするパレスチナ解放機構のメンバーに乗っ取られた。PLOメンバーはイスラエル政府に拘禁されている政治犯の釈放を迫ることを企図し、その中には何人かの有名なテロ分子が含まれていた。エジプト政府はアッバスに対し、もし無辜の乗客を釈放したら、彼らの安全を保証し、彼らがイタリアに引き渡されることはない、と請け合った。客船は最終的にエジプトに向かい、残っていた乗客は釈放された。エジプト政府はテロ分子に1機のボーイング737旅客機を提供し、10日にシリアに飛ぶ計画が立てられた。

だが、当初テロ分子を許した時、エジプト政府はテロ分子が乗っ取りの過程で1名のアメリカ市民を射殺していたことを知らなかった。報復のため、アメリカ人のある計画が同時に展開された。彼らはこのボーイング737を強制着陸させ、逮捕を行うつもりだった。10月10日夜、テロ分子は計画通り1機のエジプト航空の旅客機に乗って出発した。だがアメリカの情報機構はとっくにこの情報を掌握しており、多くの戦闘機がすでに地中海上空で布陣を整えていたのだった。この前に、アメリカの「サラトガ」号空母(頑住吉注:ミッドウェー海戦などに参加した空母とは別です)上からすでに少なくとも7機のF-14A「トムキャット」戦闘機が発進しており、この他さらにアメリカ海軍の1機のE-2C「ホークアイ」早期警戒機、4機のKA-6D給油機、1機のEA-6B「プラウラー」電子戦機(頑住吉注:EA-18G 「グラウラー」と間違えてびっくりしましたが当然この機はまだ当時ありません。しかし「プラウラー」もまだ現役だということです)が含まれ、そしてアメリカ空軍の1機のE-3B「セントリー」早期警戒機、1機のRC-135電子偵察機が行動に参加した。

航路が密集した地中海中部で危険な夜間スクランブルを行うのは非常に困難だった。何故ならこれは非常に込み合った国際航路だったからである。4回の驚きと恐怖で「飛行員の頭髪が全て逆立つ」誤ったスクランブルの後、F-14はついに真の目標を発見した。夜10時30分前後、地中海のクレタ島東南48kmの所で、「トムキャット」機はE-2Cの誘導の下に無線の沈黙を保持し、かつ航空灯を消してゆっくりとボーイング737に接近した。この時彼らはデータリンク装置だけを使用して行動に参加する機の間で連絡を保持した(頑住吉注:初歩的なデータリンクは1950年代末にはすでにあったのだそうです)。4機の「トムキャット」がこの旅客機に接近し、1機は前、1機は後ろ、1機は左、1機は右と旅客機を中間に包囲し、位置についた後、F-14戦闘機は航空灯を点灯し、かつ無線でボーイング737の飛行員に降伏を呼びかけ、彼らが要求通り飛行するよう迫った。他に選択肢がない状況下で、この旅客機はイタリアのある海軍航空基地に護送された。最終的に、「シールズ」突撃隊が旅客機を包囲し、テロ分子を逮捕した。

してやられた武装分子はこの年の11月にまたエジプト航空社の648号便を報復としてハイジャックした。後にこの機はマルタの首都バレッタのルッカ飛行場に着陸し、エジプトの「閃電」突撃隊の談判は実りがなく、ハイジャッカーが人質の射殺を開始した状況下で武装救出が実施された。最終的に97名の乗員乗客のうち60名が死亡(このうち銃撃戦でもたらされた死亡は57名)し、34人が負傷した。

(頑住吉注:これより2ページ目。画像のキャプションは「アメリカの『サラトガ』号空母」です。)

あえてミサイルを用い旅客機を撃墜

相対的に言えば、飛行機を使ってスクランブルをかけ旅客機を強制着陸させるのは比較的温和なやり方である。いくつかの目的を達成するためには、アメリカはあえて国際世論をかえりみず直接的に旅客機を撃墜することさえする。アメリカメディアの報道によれば、最近アメリカのグローバル航空社のTWA800墜落事件に改めての調査が要求された。1996年7月17日、この定期便は212名の乗客と18名の乗員を乗せてフランスのパリに飛んだが、離陸から12分後に大西洋上空で爆発、空中分解し、乗っていた全員が死亡した。アメリカ当局は4年調査し、2000年8月23日に発表された最終報告は、機の墜落の原因が燃料タンクの爆発であると明示していた。

だが当時少なからぬ人が、この旅客機はアメリカのミサイルによって撃墜されたと考えた。事故発生2日目の早朝、アメリカ国家運輸安全局は事故現場に到着した。事件発生後相当多くの目撃者が1本の白色の煙の線が機の爆発した位置に連なっていたのを見たとしており、しかもアメリカ海軍が事故の地点でちょうど演習を行っていたため、重要な「容疑者」に列せられていた。テロ攻撃なのか否か、あるいはミサイル攻撃が機の破壊をもたらしたのかを確認するため、連邦調査局(FBI)も調査に加入した。16ヶ月後FBIは、これがテロ攻撃だと示す証拠はなかった、と言明し調査を停止した。後にアメリカ国家運輸安全局も、「ミサイルによる撃墜説」は誤りだと考えた。旅客機はまず発火し、濃い煙を引いて上昇し、その後爆発して墜落し、これが一種ミサイルに撃墜されたとの見かけをもたらした、と。だが今年6月19日、AP通信社の報道は、当初事故調査に参加した政府当局者が、新証拠を発見し、これがあるいは「ミサイル撃墜説」を支持し得るかもしれず、ホワイトハウスに調査の再始動を請求する、と表明した。そして当時この航空事故を目撃した人もミサイルを見たとの考えを堅持している。

第800便の疑惑に比べると、イランの旅客機撃墜は確固たる事実である。1988年7月3日、イランのエアバスA300B2-203、655便がアッバス港飛行場から離陸し、アラブ首長国連邦のドバイ空港へ飛ぼうとしていた。機には16名の乗員の他、さらに274名の乗客がいた。現地時間午前10時55分、A300がまさに湾岸の南部地域上空を飛行していた時、アメリカ海軍の「ヴィンセンス」号ミサイル巡洋艦が付近をパトロールしていた。イラン機の「ヴィンセンス」号との距離が14kmの時、アメリカ海軍の「ヴィンセンス」ミサイル巡洋艦は2発の「スタンダード」対空ミサイルを発射してこれを撃墜し、乗っていた290人全員が死亡した。アメリカは事後に、「ヴィンセンス」号ミサイル巡洋艦はこのA300民間旅客機を「敵意を抱くイランのF-14戦闘機であると誤認して」再三この民間航空機に対し警告を発したが効果が見られなかった時になってやっとこれに向け発砲したのである、と説明した。だが、専門家は普遍的に、職業軍人がF-14を旅客機と誤認することは非常に考えにくいことだと思っている。もしレーダー上であっても、旅客機のレーダー反射面積はF-14とは桁違いに大きく、アメリカ人の誤認説は人を納得させることはできない。イランのイスラム通信社は、「ヴィンセンス」号戦闘艦の艦長ロジャースは今回のミサイル攻撃発動の前にもうすでに、自分はイラン沿海20海里内でイラン旅客機を撃破する、と言明していた、としている。

(頑住吉注:これより3ページ目。画像のキャプションは「F-14A『トムキャット』戦闘機」です。)

ソ連戦闘機もかつて民間旅客機を撃墜

実は、アメリカの戦闘機だけがかつて民間の旅客機に対して手を出したわけではない。ソ連戦闘機もかつて何度か外国の航空会社の旅客機に対し発砲している。1983年9月1日、大韓航空007便はアメリカのニューヨークから韓国の漢城(今のソウル)(頑住吉注:「漢城」は中国が勝手にそう呼んでただけです)に飛んだ。途中サハリン島西南海域でソ連戦闘機によって撃墜され、乗っていた269人全員が死亡した。事情が疑わしすぎた(007便は航路を逸れており、しかも当時米ソには軍事的対峙が存在した)ため、事後のある分析は、アメリカの情報機関が007便のナビゲーションシステムに干渉し、この機を大幅に航路から逸れさせ、ソ連領空深く進入させ、アメリカはこの機を借りてソ連の防空システムに探りを入れ、ソ連防空軍の配備を窺った可能性がある、と考えた。

これだけではない。もっと以前の1978年4月20日にもソ連のスホーイー15戦闘機が北極上空で韓国民間旅客機を攻撃して損傷を負わせる事件が発生していた。ソ連の防空レーダーが正体不明の目標を発見した後、直ちにスホーイー15戦闘機が緊急発進しスクランブルを行った。目標に接近した後、ソ連飛行員は指揮センターにこれはボーイング機であり、日本の旅客機かもしれない、と報告したが、地上の指揮センターはボーイングの旅客機から改装されたRC-135電子偵察機かもしれない、と考えた。何故なら、アメリカ空軍はしばしば民間航空機に偽装してソ連領空に対し偵察を行っていたからである。

両機の遭遇後、ソ連戦闘機は韓国の旅客機に対し強制着陸の信号を発したが、相手からはいかなる回答もなく、依然ソ連北方艦隊の集結地であるコーラ半島に向かって飛び続けた。そこで戦闘機は韓国の旅客機に向かって1発のミサイルを発射し、旅客機の左翼は重大な損傷を負い、爆発による破片は左側のエンジン1台に突き刺さり、同時に弾片が機体を貫通し2名の乗客の死亡をもたらした。飛行機は最終的にある氷結した湖の上に強制着陸させられた。尋問の中で、韓国の飛行員は機を誤ってソ連領空に入れたことを認め、かつ戦闘機が発した強制着陸の信号を理解しなかったと認めた。事後、ソ連政府は韓国に10万アメリカドルの「お世話費」を強要し、もってソ連サイドでフライトしていた乗客に支払う出費を埋め合わせた。今、この機の残骸はモスクワのモニノ航空博物館内に置かれている。(張亦弛、羅山愛)

(頑住吉注:4ページ目)イラン航空社の655便

(頑住吉注:5ページ目)アメリカ海軍の「ヴィンセンス」号巡洋艦

(頑住吉注:6ページ目)大韓航空007便撃墜事件は現地時間1983年9月1日早朝に発生した(協定世界時では8月31日夕方)。大韓航空007便はソ連領空に進入し、ソ連空軍のスホーイー15迎撃機によってサハリン島西南の公海に撃墜された。

(頑住吉注:7ページ目)ソ連空軍のスホーイー15迎撃機

(頑住吉注:8ページ目)週刊「TIME」が報道した大韓航空007便撃墜事件


 ちなみに私が翻訳のため印刷した段階では記事タイトルが「驚き恐怖する! 米ソのミサイルと戦闘機が旅客機を迎撃撃墜した内幕を明らかに」でした。ソ連による撃墜でもアメリカの陰謀説を紹介しているように、全体にアメリカを悪者にしたいという意図が見られます。しかし書き出しはスノーデンの乗った旅客機に領空外で戦闘機によるスクランブルをかけてアメリカに強制着陸させる可能性はあるのか、という主旨でしたが、例として挙げられたのは現実にアメリカ人を殺したテロリストと関係者だけが乗った機の強制着陸で、あまりに違いすぎますし、その後の撃墜に関する例は何か不都合な人物が乗っていたという不確実な情報すらなくほとんど関係がありません。ソ連による領空侵犯した機の撃墜に関しては全く無関係です。




















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