「霹靂」空対空ミサイル

 実戦に使われたことがないのでどの程度の性能なのか実際のところは判断し難いですが。

http://military.china.com/history4/62/20150318/19396129.html


中国の霹靂空対空ミサイル発展の過程:1990年代に驚異的な突破が出現

新中国成立後、中国の空対空ミサイルの発展はゼロから出発したと言うことができる。何十年もの発展を経て、中国の空対空ミサイルはすでに世界先進グループに身を置いており、これは我々に誇らしさを感じさせずにはおかない。本文は外国の刊行物の報道を根拠に編集翻訳してできたもので、我々に別の側面から我が国の空対空ミサイルの発展過程を理解させる。編集翻訳者は原文の中の視点、名称、データに対しいかなる評価や処理も加えておらず、読者の研究と参考にのみ供する。(編者)

西側の人は中国の空対空ミサイルの発展史に対し、ほとんど何も知らない。このため中国の空対空ミサイルに対する西側の報道は、往々にして極めて不正確である。西方には中国が輸出する空対空ミサイルの技術データに対する報道しかなく、やっと当たらずと言えども遠からずと言える程度である(頑住吉注:これまでの記述や以後の内容からして、「外国の刊行物の報道を根拠に編集翻訳」したというその元ネタはロシアの報道なのでは)。

現在まで西側は、中国のどの機種の飛行機が初めてミサイルを搭載した飛行機なのかまだはっきり知らない。言われるところによれば、(頑住吉注:初めて)空対空ミサイルを搭載した飛行機はソ連のミグー17PFU機で、それが搭載したのはK-5(RS-1U)空対空ミサイルである。だがロシアが中国に向けこの種のミグー17変形機を輸出した件は全く事実確認されたことがない。肯定できるのは、中ロが1958年に締結した協定の中に、ミグー19PM機をライセンス生産する全部の文書資料を移転するという内容が含まれていたことである。この戦闘機の制式装備の中にはK-5M(RS-2U)空対空ミサイルが含まれた。RS-2U空対空ミサイルは中国での生産時PL-1ミサイルと称された。PLの意味は「霹靂」で、この後中国が生産するあらゆる空対空ミサイルが全て「霹靂」と呼ばれた。

「霹靂」-1空対空ミサイルの実際の射程は極めて限られたもので、その飛行制御誘導段階の持続時間は12秒しかなかった。このミサイルは飛行機の制御誘導レーダーが持続不断に発するビームに沿って飛行することが必須だった。このため、中国のその他の飛行機、例えばJ-7、J-8は「霹靂」-1ミサイルを使用したことは全くない。

初期の赤外線制御誘導ミサイル

1961年、ソ連が中国に向け少数のR-3空対空ミサイルを装備した初期型「ミグ」-21F-13機を引き渡したことがある。このため、中国が生産した第2の空対空赤外線制御誘導ミサイルである「霹靂」-2はソ連製R-3ミサイルのコピー生産品である。中ソ関係の決裂後、中国は継続して「霹靂」-2の改良型ミサイルを生産したが、このミサイルの性能は依然ソ連製R-3Sミサイルの性能に追いついていなかった。

1960年代中期にミサイルを搭載したJ-7機の多くの写真が発表されたことがあるが、実際には10年後にやっと「霹靂」-2ミサイルの全力での大量生産が開始されたのである。1974年、ある改良型J-6戦闘機のサンプル機が登場し、この戦闘機は2発の「霹靂」-2ミサイルを搭載することができた。

「霹靂」-2ミサイルの自動索敵弾頭内には硫化鉛光電探知計測機が装備され、探知計測角度は3.5度に過ぎなかった。ミサイル発射前に目標をロックオンすることが必須で、何故なら探知計測角度が非常に狭く、このことは飛行機が正確に目標に向くことを必要とさせ、25度の円錐状角度の範囲内で目標を追跡した。

「霹靂」-2ミサイルの最小有効射程は1,000mで、最大射程は4,000mだった。ミサイルの固体推進剤ブースターの作動時間は2秒間しかなく、ミサイルを700m/sにまで加速することができた。このミサイルの破片戦闘部は1,000個の破片を生じさせることができ、戦闘力はなかなかと評価できたが、その赤外線近接起爆信管の敏感度は不充分で、普通の妨害措置でもう簡単にそれをだますことができた。中国が最近発表した画像から推断すると、「霹靂」-2ミサイルは依然使用されており、少なくともJJ-7(殲教ー7)戦闘練習機にはまだ使用されているということができる。

1970年代末、中国は「霹靂」-2ミサイルの改良型ミサイル、すなわち「霹靂」-2Aミサイルを研究開発した。「霹靂」-2Aミサイルの特徴は改良された自動索敵弾頭を装備することで、抗妨害能力がある程度増強していた。その外形はアメリカのAIM-9Dミサイルやソ連のR-13Mミサイルと同様だが、このミサイルには円錐型の弾頭部があり、非冷却光電探知計測機のために開設された自動索敵弾頭の窓がずっと小さい。このミサイルの三角形の空力コントロール面と尾翼安定機は依然元のままで、一方ミサイル本体はやや大きくなっている。「霹靂」-2Aミサイルは某種の「臨時の」代用品であった可能性が高いが、それでも中国空軍の武器装備序列に入れられた。

「霹靂」-2ミサイル最後の改良型は「霹靂」-2Bミサイルで、これは前の2種のミサイルに比べ重く、戦闘部がある程度増大し、三角形の空力コントロール面はすでにほとんどミサイル本体の先端部分まで前に移動している。このミサイルのその他の改良にはさらに赤外線近接起爆信管とより信頼性の高い電子装置が含まれるとされる。相当に長い時期、このミサイルは西側の人に「霹靂」-3ミサイルと呼ばれていた。

他山之石可以攻玉 (頑住吉注:いわゆる「他山の石」で、直接的には他の山の質の悪い石でも自分の貴重な玉を磨くことができる、という意味だそうです。ちなみに以後「霹靂」-5の話になっていて、3と4はどうしたの? と思って検索しましたが、量産に至らず中止になったようです。)

「霹靂」-5ミサイルの変化は比較的顕著で、何故ならそれはAIM-9Gミサイルの某いくつかの解決方法を「参考に」したからである。中国の関係者の言によれば、「霹靂」-5ミサイルの最も顕著な特徴は2つある。1つは固体燃料ロケットエンジンの推力がより大きいこと。もう1つは自動索敵弾頭に圧縮空気冷却を採用したことである。「霹靂」-5Bミサイルはより大きな尾翼安定機を増設し、また弾頭部にダブルの三角形のコントロール面を装備している。ミサイルのランチャーはソ連のAPUランチャーに似ていると言うよりも、むしろアメリカのLAU系列ランチャーに似ているといった方がよい。「霹靂」-5ミサイルは最多で30Gの加速度を受け入れることができ、限度はあるが照準線を離れた時に攻撃が実施できる。

およそ「霹靂」-2/2A/2Bミサイルを搭載できる飛行機は全て「霹靂」-5ミサイルが搭載できる。しかし中国の新型ジェット機は何故往々にして2対の性能が大体同じだが機種が異なる赤外線制御誘導空対空ミサイルを装備しているのか、この点は依然はっきりしていない。1つのあり得る解釈は、より新型のミサイルの引き渡し数が不足し、このため中国空軍は止むを得ず前線の飛行機に一対のより古いミサイルを装備し、機動性が比較的劣る目標に対応するのに用い、さらに一対のより先進的なミサイルを装備し、機動性が良い目標に対応するのに用いている、というものである。

「霹靂」-5Eミサイルは第3世代ミサイルに属し、1999年から対外販売が開始された。このミサイルは新型自動索敵弾頭を採用し、このため発射前の最大照準角度は25度、発射後の最大照準角度は40度に達し得る。追跡速度は毎秒20度にも達し、ミサイルは40Gの加速度の負荷を受け入れることができる。この新型自動索敵弾頭は前半球で目標を追跡でき、太陽に向かっている時の死角は15度に満たない。ミサイルの機動性を高めるため、尾翼安定機はやや前に移されているが、尾翼安定機の形状と寸法は元のままである。このミサイルの本体内各部分のレイアウトも変更され、信管は現在では戦闘部の後ろに置かれている可能性が高い。

1980年代末以来、中国空軍は国外の赤外線制御誘導空対空ミサイルの購入を開始した。このため「霹靂」-5Eミサイルの構造に出現した多くの新たな特徴は中国が国外技術を利用した結果であると完全に肯定して言うことができる。中国は1987年に「霹靂」-7赤外線制御誘導ミサイルを展示し(頑住吉注:「霹靂-6」も開発中止のようです)、中国当局はこのミサイルのルーツに対し全く事実確認したことはないが、このミサイルはフランスのマトラ550「マジック」ミサイルとそっくりだと言ってよい。このようにして見ると、「霹靂」-7ミサイルはフランスのミサイルのライセンスによるコピー生産品か、あるいはフランスのミサイルに中国のラベルを貼ったものかもしれない。「霹靂」-7ミサイルは往々にして中国が輸出する飛行機(例えばF-7M、A-5C、FT-7PそしてK-8機など)に搭載されて出現する。「霹靂」-8ミサイルは1997年に展示され、やはりルーツは国外であり、具体的に言うとイスラエルである。最もあり得る仮説は、中国が1990年代初めに何千発と見積もられる「パイソン」3ミサイルを購入していた、というものである。「霹靂」-8ミサイルの採用は、中国空軍の作戦機能の顕著な向上を象徴的に示している。何故ならこの武器は前半球で目標に対応でき、自動索敵弾頭は飛行機のレーダーからのデータを利用してミサイルを目標に導くことができるからである。中国最新型戦闘機J-7MおよびJ-8IIは、公海上空を飛行してパトロールする時、通常一対の「霹靂」-8空対空ミサイルを搭載する(これはこの飛行機が搭載する唯一のミサイル武器である)。アメリカのEP-3電子偵察機と衝突したJ-8II機は1つの例証である。

自ら研究開発を行う

中国によって設計および製造された「霹靂」-9空対空ミサイルの登場は、見たところ「霹靂」-7および「霹靂」-8ミサイルの数が限られていたことを事実確認できる。「霹靂」-9ミサイルの外形と本体の直径はイスラエルの「パイソン」3ミサイルそっくりだが、一見するとそのコントロール面と安定機はすぐ人に「霹靂」-5ミサイルを想起させる。中国の関係者の言によれば、「霹靂」-9ミサイルは全方位ミサイルで、35Gの加速度の負荷を受け入れることができる。ミサイルの自動索敵弾頭はレーダーあるいはヘルメット式照準器によって誘導されることができ、この技術はウクライナが中国に売ったものである。この特徴は、「霹靂」-9ミサイルの追跡距離が増大し、照準線を離れる性能が増強されていることを示す。「霹靂」-9ミサイルのレーザー信管と自動索敵弾頭は見たところ「霹靂」-8ミサイルとそっくりだが、固体燃料ロケットエンジンはまだ「霹靂」-8のように先進的ではないかもしれない。何故なら「霹靂」-9ミサイルの後半球の射程は5,000mしかないからである。

(頑住吉注:これより3ページ目)

「霹靂」-9ミサイルは1999年に出現したが、その画像はそれにもかかわらずなかなか見られない。中国最新のジェット機のサンプル機でも搭載しているのはやはり「霹靂」-5ミサイルである。

「天燕」-90ミサイルは中国が最も新しく研究開発した空対空ミサイルの1つであり、このミサイルは1990年代末に武装ヘリ専用ミサイルとして展示されたことがある。だが中国空軍で就役する武装ヘリの機隊は約30機の武装ヘリであり、ただ単にこの30機の武装ヘリのために専用の空対空ミサイルを研究開発したというこの説は人を信じ難くさせる(頑住吉注:以前はそうだったかもしれませんが現在では中国の武装ヘリはずっと増えているはずで、しかも所属は基本的に陸軍では)。この新型ミサイルの名称は中国のあらゆるその他の空対空ミサイルの名称と異なり、このミサイルは中国が新型「MANPADS」兵個人携帯式対空ミサイルを研究開発した副産物である可能性を説明している。

レーダー制御誘導ミサイル

中国のレーダー制御誘導空対空ミサイルに関する資料は非常に稀にしか見られない。1970年代末、中国はアメリカのAIM-7ミサイルに極めて似た中国のレーダー制御誘導ミサイルの初の画像1枚を発表した。すなわち「紅旗」-61(HQ-61)地対空ミサイルである。このミサイルはアメリカの「スパロー」ミサイルに酷似しているが、アメリカの「スパロー」ミサイルに比べ長く(全長330mm)(頑住吉注:桁が1つ小さいようです)、大きく(直径83mm以上)、ずっと重い(重量90kg)。種々の兆しは、「紅旗」-61ミサイルをJ-8I戦闘機に装備できる可能性を示しているが、この説は全く事実確認されたことはない。空中発射は往々にして難度が非常に高く、何故なら地対空ミサイルのコントロール面と安定機は異なる平面内に装備され(両者の差は45度)、つまりコントロール面の位置が適切な時、安定機の位置は適切でないからである。

1980年代末以来、中国が国際航空安全保障業務展示会で展示した多くの戦闘機の模型やサンプル機には、「霹靂」-11ミサイルが搭載されていた(頑住吉注:「霹靂-10」も中止のようです)。このセミアクティブ空対空ミサイルはイタリアの「ASPIDE」ミサイルかもしれず、何故なら中国は1988〜1989年にイタリアから一定数の「SPADA」地対空ミサイルの部品を購入したからである。「SPADA」ミサイルは「ASPIDE」ミサイルの地上発射型である。1997年、ネット上にJ-8IIサンプル機が右翼下方に1発の「ASPIDE」ミサイルを搭載している多くの画像が出現した。2002年以来、J-10新型戦闘機が2発の「ASPIDE」模型弾を搭載している画像が流れ伝わった。しかし、このことはこれをもって「ASPIDE」ミサイルがすでに配備、使用されていることを説明するには不足である。

1996年、中国がコピー生産した「ASPIDE」ミサイルが登場した。このミサイルの外形はより先進的な「ASPIDE」2ミサイルに似ているが、中国が言明するミサイルの性能は「ASPIDE」ミサイルと同じである。この後、中国が輸出する各機種の戦闘機が通常装備するのはこのミサイルで、対外的には「霹靂」-12と呼ばれる。

自動索敵弾頭を採用した「閃電」-10ミサイルは、すでに研究開発されて10年とされる。2002年の年末、このミサイルの簡易な模型が初めてパキスタンで展示され、数ヶ月後このミサイルの初の画像が中国の軍事刊行物に掲載された。以前の報道とは異なり、「閃電」-10とロシアのミサイルは外形上全く同じところがない。「閃電」-10ミサイルの設計はすこぶる伝統的で、三角形の安定機と大型の方向転換面が後部に置かれている。人々はこの方向転換面の形状にすこぶる好奇心を持ち、この主旨はミサイルの敏捷性の改良にあるのかもしれない。中国の関係者の言によれば、「閃電」-10ミサイルは20回余り試射され、その性能はAIM-120ミサイルを超えたというが、この説は疑わしい。

2大突破

1990年代中期、中国の空対空ミサイル装備に驚異的な突破が出現した。ロシアが中国に向け初のスホーイー27SK戦闘機一定数を引き渡した他、さらにR-27系列の多種の先進的なミサイルを引き渡した。ロシアの6種の量産されるR-27ミサイルの機種の中で、中国向けにどんないくつかの種類が引き渡されたのかは知り得ないが、セミアクティブレーダー自動索敵弾頭を装備したR-27Rと赤外線自動索敵弾頭を装備したR-27T短距離ミサイル、およびセミアクティブレーダー索敵弾頭を装備した長距離R-27ERミサイルがその中にあった可能性が高い。また、スホーイー27戦闘機はR-73近距離赤外線制御誘導ミサイルも搭載し、これはその制式空対空ミサイル装備の1つとしてである。

ロシアの何種かの空対空ミサイルの他、報道によれば中国は最近ウクライナからR-27空対空ミサイルをライセンス生産する技術を獲得した。人々は中国のこの国産ミサイルの名称を知り得ず、しかも人を不可解にさせるのは、この国産ミサイルが初めて使用されたのは垂直発射器を装備する新型艦載地対空ミサイルシステム上でだとされることである。

もう1つの突破は、中国の1機のスホーイー30MKK戦闘機が初めてロシアのR-77アクティブレーダーホーミングミサイルに一連の試射を行ったことである。ロシアが中国向けに何発のR-77アクティブレーダーホーミングミサイルを販売したのかは依然謎である。しかもある噂は、中国はR-77の改良型であるR-77Mミサイル(ロケットエンジンとラムジェットエンジンを動力とするミサイル)の研究開発作業に参加している、とする。もしこの噂が事実確認されたら、このことは中国に世界で最も新しい型の、最も完備された空対空ミサイルを持つチャンスが生じることを意味しているのかもしれない。


 長年の発展を経て、ロシアのミサイルの研究開発に参加しているというのが本当なら技術的進歩の表れかもしれませんね。












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