軍の「非党化」がソ連崩壊の原因?

 中国軍にはいまだに「政治委員」というのがいますが、こうした縛りをなくすことで何が起こることを恐れているのか、というお話です。

http://military.china.com/important/11132797/20130401/17755675.html


集団軍参謀長:軍隊の「非党化」がソ連の解体を加速した

(頑住吉注:原ページのここにある画像のキャプションです。「かつてアメリカ軍と全世界の覇を争ったソ連軍だが、自らの手中で雲散霧消した」)

20年余り前、ソ連が一夜にして土崩瓦解したことが世界に衝撃と驚きを与えた。確かに、ソ連の解体は多種の要素の総合的結果である。だが、国家危急存亡のカギとなる重要な時期に、ソ連共産党が自ら創建した軍隊は自らの使命と責任を履行しなかったばかりか、かえって土壇場で裏切りの一太刀を浴びせ、ソ連共産党の崩壊と国家の瓦解を加速させた。ソ連軍の変質ないし党への反乱の、カギとなる重要な原因はソ連軍の「非党化」にあった。その教訓は極めて深いものである。

党の軍隊に対する指揮権放棄がソ連共産党の瓦解を激化させた

レーニンが指導するソ連共産党がソ連赤軍を建設した根本原則は「無産階級政党が赤軍に対する指導権と指揮権を独立して行使することは必須である。」であった。1918年、工農国防委員会が成立し、専門に赤軍および一切の武装力量を指導した(頑住吉注:ちなみに中国では海監など準軍事組織にも「政治委員」がいます)。レーニンは委員会の主席も担当したし、党の領袖、政府首脳も担当し、ソ連共産党の赤軍に対する絶対的で一元化された指導を実現した。政治部はソ連共産党の軍隊の中の組織の核心だった。祖国防衛戦争初期、ソ連赤軍はスターリンの命令を根拠に、連隊以上の部隊において政治委員制を実行し、党組織の戦闘力を充分に発揮し、ドイツ軍を打ち負かした。

1980年代、ソ連共産党中央総書記ゴルバチョフは軍事費削減から経済体制の改革を開始し、さらには軍隊の使命、任務と体制、編成に対し調整を行い、軍隊に対する指導を自発的に放棄した。組織上、ソ連共産党は軍隊において各クラスの政治機関と約8万名の政治将校を削減し、総政治部を廃止し、かつソ連共産党の組織およびその機構は軍事指揮機関の業務に関与してはならないと規定した。特に、「ソ連大統領設立とソ連憲法改正に関する補充法」は法律の上からソ連共産党の軍隊を指導し指揮する最高権力を剥奪した。これにより、ソ連軍内部で「党脱退ブーム」が巻き起こり、1991年の「8.19」事件(頑住吉注:ソ連共産党保守派がゴルバチョフの権力を剥奪したがすぐに失敗、エリツィン台頭のきっかけにもなる)の中で、モスクワに侵入した航空降下部隊、KGB「アルファ」行動グループは上級の命令の執行を拒絶し、銃口をひるがえして「民主」勢力とエリツィンを支持した。ここに至り、ソ連共産党は軍隊に対する掌握、コントロールを完全に失った。1週間にもならず、ソ連共産党は即土崩瓦解し、同年の年末、ソ連は解体したのである。

(頑住吉注:これより2ページ目。画像のキャプションは「アフガン戦争中のソ連軍」です。)

「改革と新思想」が軍の政治思想の基礎を空洞化させた

ソ連の党と国家行政の構造の中で、「総政治部はソ連共産党中央書記の下に設置された部であり、独立した指揮系統を持つ。」とされた。この独特の組織系統と指揮系統に頼って、レーニンの戦争観、党のイデオロギーと愛国主義、英雄主義が貫徹、発揮され、しかもソ連共産党の統一された軍隊の決意性ある意志の政治思想の基礎となった。

ゴルバチョフおよびソ連共産党が「改革と新思想」を推し進めると、軍隊の意思を統一する政治思想の基礎が空洞化した。「政治の新思想」はソ連共産党に軍のイデオロギー領域における主導権を失わせ、軍内に「非政治化」、「国家化」思想の氾濫をもたらした。同時に、ソ連の各種の世論、メディアの国家の政治制度に対する攻撃と歴史に対する自己否定、自らを悪し様に描くことは(頑住吉注:日本で言う「自虐史観」みたいな感じでしょうね)、非常に広範囲な将兵の理想、信念を根本から動揺させ、軍内部に深刻な思想と組織の分裂をもたらし、「改革に賛成VS反対」、また「政治活動に積極的に参加するVS消極的であり嫌悪する」将校に深刻な対立をもたらした。

東欧とモンゴルに駐留していた数百万の軍人は国家の意思を放棄して極めて短時間内に軍を撤退させて帰国した。一方的に軍縮し、また戦略核兵器、中、短距離ミサイルを削減し、軍に多くの思想的準備のない、事前の案のない作業、任務と問題を生み、「名誉感、自信、尊厳がほとんど喪失され尽くし、ソ連軍の1つの統一された、多民族全体の政治力量はもはや存在しなくなった。」 ソ連共産党およびその軍隊の政治思想上の解体は、不可避的に軍の崩壊をもたらした。

(頑住吉注:これより3ページ目。画像のキャプションは2ページ目と同じです)

実際にそぐわない軍事改革が軍紀の弛緩をもたらした

スターリンはかつて、「無産階級の軍隊は鉄の規律と厳格な管理を必要とし、規律と秩序の維持保護は党の軍に対する指導と軍の全人員の主要な職責である。」と特別に強調した。ソ連軍の戦史を縦覧すると、鉄の規律と厳格な管理が勝利を奪取させた戦例が至る所にある。

ゴルバチョフが押し進めた実際にそぐわない軍事改革は、軍の規律と秩序を破壊し、軍をアイデンティティ崩壊寸前の危機に追いやった。この軍事改革はソ連共産党が軍を治めた経験を継承しておらず、逆に軍事改革の特殊性を無視していた。ソ連共産党および軍隊の上層部には終始、新たな「国家軍事学説」および軍事改革方案の一致が達成された意見がなかった。中、高級将校は「公共性、民主化」の政治環境に対し手をつかねて無策であり、部隊を掌握、コントロール、管理する有効な措置がなく、軍隊組織の弛緩、規律の緩みをもたらし、ますます収拾不能となった。

ソ連軍のヨーロッパおよびモンゴルからの撤退過程で、多くの武器装備が盗まれ、着服され、軍隊内部の汚職、腐敗現象は急速に蔓延した。駐極東地域部隊、駐東ドイツ集団軍の脱走兵、兵役忌避の状況は深刻で、内部秩序は混乱した。将兵の間、部隊と部隊の間、各種族の兵士の間の関係は緊張し、軍隊内部の矛盾は激化した。軍隊の中での麻薬使用、自殺、謀殺などの現象は深刻で、犯罪発生率が上昇した。訓練、管理上の事故は絶えず、1989年だけで、海軍の原潜1隻の沈没、ある潜水艦のミサイル発射が重大な破壊をもたらす、また3隻に深刻な事故発生、といったことがあった。「8.19」事件の中で、国防省の命令を根拠にモスクワに進入した3個師団は、指揮官から兵個人まで各人が勝手なことをし、商店をぶらつき、市民からタバコ、酒、食品を受け取り、どんちゃん騒ぎし、装甲車両内で酔っぱらい、戦闘力は全く失われた。

(頑住吉注:これより4ページ目。画像のキャプションは「ソ連軍装甲兵が戦場救助演習を行っている」です。)

政治の多元化が推進され、軍は純潔性を失った

党建設の初期から、ソ連共産党は党の重要な任務の1つとして、「特別な措置を取って、忠誠心が合格な赤軍指揮員と政治工作人員を養成、選抜した。」 1935年、スターリンは赤軍学院の学員卒業式で、「幹部が一切を決定する」を、ソ連共産党が軍隊建設を指導する綱領性の思想とすることを提示した。各階級の将校、特に高級指揮員が党と人民に忠誠であり、かつ現代の戦争の需要に適応することを確保するため、ソ連共産党およびその軍隊は全体的なフルセットの有効な将校政治審査制度、実践試練識別制度、幹部昇進制度を採用した。これらの制度はソ連将校の党と国家に対する忠誠を確保した。

ソ連共産党が実行した「新幹部政策」は将校の隊伍の純潔性を変え、軍隊を退却、裏切りの危機の瀬戸際に追いやった。ゴルバチョフが押し進めた「政治の多元化」はまず将校の昇進の政治審査制度を廃止し、多くの「ニュータイプの軍の指導者」を用意し、将校の隊伍の、党と国家に対する忠誠度、信頼性の急速な低下をもたらした。国家の運命が決定される危急存亡の時に、ソ連軍、国防省、総参謀部の多くの将校は非常事態委員会を断固支持したが、命令を執行する忠実な部下を捜し出すことはできなかった。

ゴルバチョフをリーダーとする改革派の軍に対する自己否定、自発的武装解除、政権防衛の堅固な後ろ盾の喪失は、2,000万の党員と500万の軍隊を持つソ連共産党と国家を共に解体へと向かわせた。ソ連解体後、CIA局長ロバート ゲイツはおごり高ぶった様子でモスクワの赤の広場を散歩し、かつ、「我々は、経済的圧力も軍備競争も、甚だしきに至っては武力もこれを成し得ず、内部の爆発によってのみソ連を破壊し得たのだ、ということを知っている。」と語った。(筆者は陸軍第41集団軍参謀長)

(頑住吉注:5ページ目)ソ連軍がジオラマによる模擬訓練を行っているところ

(頑住吉注:6ページ目)アフガニスタンの戦場のソ連軍装甲兵

(頑住吉注:7ページ目)かつて西側諸国を肝胆寒からしめたソ連軍の「光栄」級巡洋艦

(頑住吉注8ページ目)極めて個性的なソ連のキエフ級空母。今ではその軍隊、国家同様、人々の記憶の中に留まっているのみである。


 無理矢理強烈な縛りをかけないとたちまち崩壊してしまうというのは根本に無理があるからであって、それは縛りをかけていてもいずれは顕在化するはずです。中国に類似の事態が発生することは果たしてあるんでしょうか。

















戻るボタン