抗日、内戦期の中国共産党指導者たちが使った銃

 小火器関連の歴史ものです。

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開国の元老たちが自ら使ったことのある世界の名銃

56式7.62mm半自動小銃。中国製。ソ連のCKC(頑住吉注:SKS)式半自動小銃にならったもので、1956年に定型に至り生産に投入された。全体重量は3.75kg、全長1,025mm、戦闘発射速度毎分35〜40発、有効射程400mである。1964年5月15日、全軍が大規模な対抗演習を展開している時、毛沢東、周恩来、朱徳、ケ小平などの中央指導者同志が北京郊外にやってきて、北京軍区、済南軍区の大規模対抗報告デモンストレーションを視察した。済南軍区の某部参謀で神射手の宋世哲が小銃を速射し40秒で40発を全部命中させたのを見た時、毛沢東主席は非常に喜び、直ちに「神射手」が使用した56式半自動小銃を受け取って照準を行った。

(頑住吉注:2ページ目)ドイツ製警察用型モーゼル拳銃。銃器ナンバー592032。朱徳はこのモーゼル拳銃を手に持ち、兵士の先頭に立ち、部隊を率いて敵に立ち向かった。5時間の激戦を経て、敵3,000人余りを殲滅し、南昌城を占領した。この後朱徳はこの拳銃を持って南北を転戦し、かつ拳銃の弾倉側面に「南昌暴動紀念朱徳自用」の文字を刻んだ。ピーター パウル モーゼルとウィルヘルム モーゼルはドイツの著名な銃器設計者で、世界的に有名なモーゼル兵器工場の創始者である。1896年、彼らは世界初の真に実用的な軍用自動拳銃を製造し、これはM1896式モーゼル拳銃と呼ばれる。

(頑住吉注:3ページ目)朱徳が解放戦争時期に使用したコルト警察用リボルバー

(頑住吉注:4ページ目)朱徳が井岡山で使用したM300式アストラ拳銃。この銃器ナンバー366404のスペイン製M300アストラ拳銃こそ朱徳がこの時期に携帯していた武器である。この銃は後に彼の夫人康克清によって保存され、新中国成立後解放軍政治学院陳列館に寄付され、1959年に中国人民革命軍事博物館に受け継がれた。

(頑住吉注:5ページ目)周恩来が革命戦争の年代に使用したFNブローニング1906式拳銃。この銃はアメリカの銃器発明家ジョン ブローニングによって1906年に設計され、ベルギーのFN社が製造した。口径は6.35mm、全長115mm、銃身長54mm、全体重量0.41kg、マガジン容量6発である。劉少奇が革命戦争の年代に使用したこのポケットピストルは解放後中央警衛局に渡されて保存され、1980年に軍事博物館に収蔵された(頑住吉注:使ったのは周恩来なのか劉少奇なのか両方なのかよく分からんです)。

(頑住吉注:6ページ目)周恩来が革命戦争の年代に使用したSFリボルバー。この銃はベルギーによって製造されたもので、アメリカのS&Wリボルバーにならっている。口径は0.32インチ、シリンダーは長く、シリンダー容量は6発である。

(頑住吉注:7ページ目)任弼時が抗日戦争と解放戦争の中で使用したドイツのモーゼルM1932式拳銃。

(頑住吉注:8ページ目)任弼時が土地革命戦争の時期に使用したSFリボルバー。

(頑住吉注:9ページ目)ケ小平が革命戦争の年代に使用したモーゼルM1934式拳銃。この銃はドイツのモーゼル兵器工場によって製造され、モーゼルM1914式拳銃の改良型である。口径は6.35mm、全長153.5mm、銃身長87mm、マガジン容量8発である。ブローニング7.65mm自動拳銃弾薬を発射し(頑住吉注:え?)、中国では「ジャンコウデン」と俗称される。解放後この銃は中央警衛局によって保存され、1980年に中国人民革命軍事博物館に収蔵された。

(頑住吉注:10ページ目)ケ小平が抗日、解放戦争時期に使用したモーゼルポケットピストル。この銃はドイツのモーゼル兵器工場によって第一次大戦後に設計され、1921年に大量生産が開始され、W.T.P.(ベストポケット)拳銃とも呼ばれる。口径6.35mm、全長115mm、銃身長61mm、全体重量0.36kg、マガジン容量5発である。

(頑住吉注:11ページ目)彭徳懐が収蔵し使用したベルギーのブローニングM1935ハイパワー拳銃。彭徳懐は1949年にこの拳銃を獲得し、中央警衛局が1980年に中国人民革命軍事博物館に譲って収蔵された。この銃はブローニングが1925年に設計した最後の拳銃でベルギーのFN社が1935年に大量生産を開始した。口径は9mm、全長197mm、全体重量0.9kg、9mmパラベラム拳銃弾薬を発射し、初速は350m/s、マガジン容量は13発、戦闘発射速度毎分40発、タンジェントサイト上の射程は50〜500mである。

(頑住吉注:12ページ目)賀竜が解放戦争の時期に使用したブローニングM1900式拳銃。この銃はベルギーのFN社によって製造された。口径7.65mm、全長163mm、全幅19mm、全高116mm、銃身長101mm、全体重量0.681kg、7発マガジンで、7.65mmブローニング拳銃弾薬を発射する。初速295m/s、有効射程50mである。

(頑住吉注:13ページ目)賀竜が解放戦争の時期に使用したアメリカのコルトリボルバー。この拳銃は賀竜が部隊を指揮した西北地域でのある戦闘の中で鹵獲されたもので、後に彼はこの銃を徐向前のカービン銃と交換した。1980年、徐向前はこの拳銃を中国人民革命軍事博物館に渡し収蔵された。口径0.32インチで、アメリカのコルト社が1926年に生産した。銃身長152.4mm、警察用の短いシリンダーで、シリンダー容量は6発である。

(頑住吉注:14ページ目)陳毅が革命戦争の年代に収蔵し使用したウィンチェスター1890年式小銃。アメリカのウィンチェスター社が製造し、陳毅が使用し、長年収蔵した。陳毅が死去した後、その子陳昊蘇が1980年に中国人民革命軍事博物館に寄贈し収蔵された。

(頑住吉注:15ページ目)羅栄桓が抗日戦争と解放戦争時期に使用したリボルバー。この銃は国民党貴陽中央機械修理工場によって1940年に製造され、S&W M1917式リボルバーにならっている。口径0.32インチ、全長230mm、銃身長108mmである。

(頑住吉注:16ページ目)徐向前が抗日戦争時期に使用したモーゼル拳銃。このモーゼルM1932式7.63mm拳銃(銃器ナンバー81268)にはセレクターがあり、左側のNは半自動を意味し、Rは全自動を意味する。1発1発半自動射撃もできるし、サブマシンガンのように全自動射撃も行える。この銃はモーゼル兵器工場によって1932年に設計され定型に至った。口径7.63mm、全長296mm、全体重量1.33kg、弾頭初速480m/s、タンジェントサイト上の射程は50〜1,000m、10発着脱マガジンによって給弾する。

(頑住吉注:17ページ目)聶栄臻が中央ソビエト地域で使用したスペインのリボルバー。この銃はスペインによって製造され、機種は標準ブランドで、シリンダーは長く、口径0.38インチ、シリンダー容量6発である。

(頑住吉注:18ページ目)羅炳輝が革命戦争の年代に使用したアストラ拳銃。この銃はスペインのウンセタ社によって1927年に製造され、口径7.65mm、全長165mm、全体重量0.67kg、マガジン容量6発である。

(頑住吉注:19ページ目)許世友が解放戦争の中で使用したコルトリボルバー。このアメリカのコルトリボルバーは、彼が部隊を率いてメンリャングー戦役に参加した時に国民党軍から鹵獲したものである。この銃はアメリカのコルト社によって製造され、口径0.38インチ、銃身長50.8mm、シリンダーは特別に長く、装弾数は6発である。


 昔モデル化した機種が2つ出てきました。アストラピストルは検討しましたが売れそうにないと判断して止めた記憶があります。極端な珍銃はなかったですが、もし時代考証を正確にしてウィンチェスター1890を出したら多くの人が「西部劇かよ」と突っ込むでしょうね。


















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