1.15 過渡期のセルフローティングピストル

 すぐ次の時代、いくつかの高い技術的レベルのセルフローディングピストルが開発され、製造された。これはSchonbergerピストル(頑住吉注:「o」はウムラウト。前回の内容参照)のようにトリガー前方に位置するマガジンを装備したものだった。我々はこうした銃を「過渡期のピストル」と呼びたい。こうした銃は軍による使用を想定したものだった。だがこのマガジンの配置はこうしたピストルを、マガジンをグリップ内に収めたタイプより長く、より重くした。この欠点によって、こうした銃はいろいろな部隊の装備において比較的小さな役割しか果さなかった。
 
 そうこうするうちにこうした設計原理は完全に放棄された。我々がウルムのワルサーによって製造されたスポーツ銃を度外視するならばである。

 最も有名な「過渡期のピストル」は図1-59のモーゼルによるモデル96(C96)である(頑住吉注:モーゼルミリタリーの外観がイラスト化されていますが省略します)。C96の設計はPaul MauserとFeederle兄弟(モーゼルの開発作業場で働いていた)によって1896年に終えられた。1897年にこの銃はマーケットに現われた。この銃はまず最初にはボーチャード弾薬由来の7.63mmモーゼル弾薬用に作られた。後に(1908年)強力な9mmモーゼル弾薬(初速415m/s、弾丸重量8.3g、初活力715ジュール)および9mmパラベラム弾薬(1916年以後)用にも作られた。

 マガジンはストリップクリップによって満たされた。キャパシティは10発だった。キャパシティ6および20発を持つ型も同様に製造された。この「lange Mauser」(頑住吉注:「長いモーゼル」)がどこの陸軍にも公式に採用されなかったにせよ、この銃はきわめて広く普及し、多くの将校にプライベートな銃として携帯された。7.63mm弾薬の成績は当時において強い印象を与えるものだった。Churchill(頑住吉注:第二次大戦中のイギリス首相チャーチル)は1挺のC96を彼のボーア戦争参加の間に使用し、彼の日記の中で賞賛して言及している。多くのC96は50〜1000mの調節が可能なカーブサイト(頑住吉注:タンジェントサイト)、およびショルダーストックを装備していた。この結果長距離における効果的な射撃の前提条件も与えられていた(我々は150mまでのことを言っている)。

 軽量な弾丸の効果を高めるため、セミジャケット弾も製造された。Kynochは第一次大戦前に銃器取り扱い会社Westley Richards用に7.63mmモーゼル口径弾薬の製造を行った。この場合この弾丸は前部が直径約6.5mmのフラットな鉛体で終わっていた。この弾丸はこの位置まで緩いテーパーがかかっており、弾丸のジャケットはここまで達していた。この弾丸の効果はノーマルなジャケット弾よりも確かに大きかった。モーゼルはこのモデル96を1896年から1939年まで製造した。その設計のグレード、加工のグレード、そして使われたマテリアルはこのセルフローディングピストルの普及に決定的だったが、7.63mmモーゼル弾薬も貢献した。この弾薬は後に7.62mmトカレフの名の下に赤軍によって公用拳銃用にもサブマシンガン用にも使用された。

 図1-60に断面図で示された「過渡期のピストル」は1903年にパテントが取得されたTheodor Bergmannによる設計である。この構造上すでにモーゼルピストルよりもコンパクトな銃は、ベルギーにおいてPieper(Anciens Etablissements Pieper. Herstal)によっていろいろな口径でBayardの名の下に製造された。1905年、この銃は口径9mmBayardロング仕様でデンマーク陸軍に採用された。このピストルの長さ10cmのバレルはボルトケース(1)内にねじ込まれている。ボルト(2)はかんぬき(3)によって発射後、かんぬきが後方の斜めの面に走った後下方に圧され、その際ボルトを開放するまでバレルと結合されている。マガジンは装填用に銃から取り出すことができるが、あるいはストリップクリップによって銃に内蔵された状態で満たされることもできる。1020gと、このベルグマンピストルの重量はモーゼルの1220gより明らかに軽かった。

図1-60 Bergmann Bayardピストル モデル1903(断面図) (1)=ボルトケース (2)=ボルト (3)=かんぬき

 トリガーの前に位置するマガジンは、グリップを扱いにくくすることなく、ジグザグ配置での多数の弾薬(大型でも)の収容(ベルグマンの場合10発)を許した。他方ではこの銃は戦闘用兵器には非常に重要な性質である携帯性を失った。これは、何故この「過渡期のピストル」がマガジンをグリップ内に収納した構造によって急速に取って代わられたのかの理由でもある。


 ワルサーの競技銃を除いてこの構造が完全に放棄されたというのは言い過ぎのような気がしますが、確かに初期に流行したこのスタイルが後に廃れた、少なくとも主力となる軍用拳銃において全く見られなくなったのは間違いのないところです。その理由は、例えばライフルにおいてコンベンショナルスタイルよりブルパップの方がコンパクトであるように、このスタイルよりグリップ内にマガジンを収容したスタイルの方が必然的にコンパクトになるからです。ライフルの場合ブルパップの方がコンパクトなのは明白でも、操作性などの面でコンベンショナルにも明らかなメリットがあるため共存していますが、ハンドガンの場合このスタイルならではのメリットはほとんどなかったわけです。

 図示されているベルグマン・ベヤードはどう見てもモーゼルの亜流ですが、ちょっと行きすぎの感があるほど簡略化されています。板バネのメインスプリングは一部の安物リボルバーなどに見られるもののオートではあまり例のないハンマーと直接コンタクトする形式です。軍用に採用された以上大きな問題はなかったんでしょうが、接触部に大きな摩擦が生じる、あまり望ましくない方法です。また、信じがたいことにこの銃には通常のようなディスコネクターがありません。青のトリガーを引くと黄色のトリガーレバーが黄緑のシアを押して薄茶色のハンマーをレットオフしますが、トリガーをさらに引くとトリガーレバーが下方に滑って逸れ、シアを押すのを止めるという、まるで大昔のMGCモデルガンや頑住吉のM1900のようなトリガーの引ききりによるディスコネクトです。実際には発射の衝撃で確実にディスコネクトされたのかもしれませんが、理論上はゆっくりトリガーを引くとフルオートになる可能性がある不確実なシステムです。また、不完全閉鎖でもハンマーが落ち、まあこの場合不発になる可能性が高いでしょうがもし発火したらかなり強力な9mmベヤードロング弾薬を軽いボルトのストレートブローバックで発射することになり、エジェクションポートから発射ガスが噴出するだけで済めばいいですが最悪の場合ボルト周りのパーツが破壊されて後方に飛ぶかも知れません。

 ロッキングのシステムは形態こそ違いますが原理上モーゼルと同じです。図の閉鎖状態では赤いロッキングブロックがボルトをロックしており、ロッキングブロックはフレームに抑えられて下降できないのでこの状態ではボルトは後退できません。バレルエクステンションがショートリコイルするとロッキングブロックはフレームの斜面に沿って下降し、ボルトが後退できます。

 モーゼルほどの個性はありませんが、なかなか興味深い銃ですね。

2008年8月14日追加

 ご指摘をいただきました。

http://www.mek-schuetzen.de/Blueprints/Bergmann_Bayard_1908_Auto.png

 この画像の11番にあるように、ベルグマン・ベヤードにはディスコネクターは存在しています。ちなみにこの図の位置関係は上下逆だそうです。ボルト後退時にディスコネクターが上の図で黄色いパーツを押し下げてシアとの関連を強制的に断つのだということです。











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