殲ー6によるF-104撃墜事件

 「歴史秘話」ものの記事で、事件発生は東京オリンピックの約1年後です。

http://military.china.com/history4/62/20130903/18030069.html


中米による南海の「必死の空中バヨネット戦」:殲ー6戦闘機がF-104戦闘機を撃墜

(頑住吉注:原ページのここにある画像のキャプションです。「1965年9月20日11時33分、我が殲ー6戦闘機が空高く舞い米軍のF-104C戦闘機を撃破した時の情景」)

1965年、中国海南の椰林上空で、1機の米軍最新式戦闘機が中国海軍航空隊の高翔によって操縦される殲ー6式戦闘機によって撃墜された。米軍飛行員フィリップ スミスは落下傘降下後捕虜となった。高翔は毛沢東主席と周恩来首相の親しい接見を受けた。

アメリカのF-104C戦闘機を撃墜

1964年8月5日、アメリカは自国の軍艦がベトナム魚雷挺に襲撃されたことを口実に、飛行機を出動させてベトナム北方の定義、鴻基、清化などの地域に対し爆撃を行い、世界を驚愕させた「北部湾事件」を作り出した。米軍機は不断に我が国領海領空を侵犯し、偵察、挑発を行い、南部国境周辺の安全は深刻な脅威を受けた。1965年1月27日、毛沢東主席は命令に署名し、海軍航空隊第4師団を海南島に移動配置し、侵入するアメリカ軍機の挑発に抵抗、反撃させた。2月20日、まず師団の参謀長辛英元によって率いられる第4師団第10連隊の一個小分隊が青島の流亭飛行場から秘密のうちに海口飛行場に入った。6月、今度は師団長周克林自ら率いる海軍航空隊第10連隊第2大隊が海南に進駐した。

1965年9月20日、戦闘警報が鳴り、アメリカの飛行員フィリップ スミスによって操縦される1機の時速2,400km、機には機関砲の他さらに2〜4発の「サイドワインダー」ミサイルを搭載できるF-104C型戦闘機が海南島西岸上空に侵入した。この機は世界初の超音速戦闘機で(頑住吉注:そんなことはない、F-86セイバーも浅いダイブで音速を越えられたそうですし、世界初の実用超音速戦闘機はF-100スーパーセイバーとされてます。F-104は初のマッハ2クラスの戦闘機ですね)、「ギリギリ戦術」を使用してS字型の航行ラインを呈して飛行し、時に中国空域に侵入し、時に離れ、不断に挑発を行った。海軍航空隊第4師団第10連隊第2大隊の大隊長である高翔、副大隊長黄鳳生は素早く殲ー6を操縦して離陸、迎撃した(頑住吉注:殲ー6はミグ-19の中国版で、マッハ2クラスではないもののこれも超音速戦闘機です)。

目標からの距離50kmの時、殲ー6の2機はサブタンクを捨ててアフターバーナーを始動し、最高速度をもってアメリカ機に突進した。すでに生死を度外視した高翔は全速力で敵機に向け突撃し、スミスは高翔の驚くべき挙動が全く予想外で、短時間内茫然自失の状態になった。高翔は正確に時機を見て、率先して敵機からの距離291mのところで発砲し、ずっと発砲を続けて敵機からの距離39mで離脱した! (頑住吉注:殲ー6の最高速度は時速1540km、秒速約428mですから距離291mから距離39mまでは0.6秒未満で、衝突まで0.1秒未満で離脱したことになります) スミスには少しの反応時間さえなく、彼の戦闘機は高翔の航空機関砲の砲火の命中を受けた(頑住吉注:殲ー6の武装は30mm機関砲x3です)。直ちにスミスは落下傘降下し海に落ちたが、瓊崖縦隊(頑住吉注:民兵の一種のようです)隊員、文昌民兵符气合らの人によって捕虜となった。この時の戦闘はまさに「必死の空中バヨネット戦」で、何故なら距離が近すぎ、高翔の座席はF-104C爆発の破片によって13箇所傷つき、1台のエンジンが停止し、もう1台のエンジンも重大な損傷を受けていたからである(頑住吉注:破片を吸い込んだということですかね)。地上勤務人員は彼に、発砲の距離が近すぎたため、爆発が生んだ破片が彼の機に51カ所穴を開け、もうちょっと遅かったらもう戻ってはこられなかった、と教えた。

(頑住吉注:これより2ページ目。画像のキャプションは「1965年9月20日、椰林空戦勝利後高翔が殲ー6戦闘機上で記念撮影」です。)

上京し領袖の閲兵を受ける

1965年9月27日、海軍司令員肖勁光は高翔ら英雄的模範者を北京に招いた。10月1日、天安門の舞台上で、高翔は招かれて建国16周年式典に参加した。10月3日、周恩来首相、副首相兼参謀長羅瑞卿が北京でこの時の作戦で功があった人員に接見した。周恩来首相と高翔、黄鳳生、王朝玉、王立珠らは親しく握手した。握手する時、高翔は首相に当時の戦闘の情景を報告した。総理は聞いた後喜んで、「よく戦った。君たちが今後より多く勝利することを希望する。」と言った。10月10日、高翔とその他の英雄的模範者は一緒に毛沢東主席の接見を受けた。毛沢東主席は質問した。「誰がスミスを撃ち落としたのかね?」 皆が高翔を指さした。高翔は赤面して答えた。「主席、我々の共同撃墜です。」 毛沢東主席は喜んで笑い、高翔の手を握って賞賛した。「よろしい、なかなか謙虚だな!」 続けてさらに、「君たちは新中国一代の王者だ。より大きな勝利を勝ち取るように。」 その後、毛沢東主席はまた喜ん皆と記念撮影した。

空中の闘士が再会

1973年冬、周恩来首相の批准を経て、スミスは釈放されてアメリカに帰った。1989年に退役し、一方高翔も1987年に退役後青島に定住した。

1989年10月、スミスは中国に来て、当時自分を撃墜したかの中国軍人に会ってみたいと言った。10月18日16時20分、上海の錦江ホテル1階のホールで、2人のかつての空中の闘士が再会した。スミスは大股で前に進み出て、かつて機関砲のボタンを握っていた2つの両手が心をこめて握り合わされた。

高翔は言った。「こんにちは! あなたの中国来訪を歓迎します!」 スミスは感嘆して「当時私は落下傘降下前の一瞬、鉄製のシリンダーの中にいてハンマーで叩かれているように感じました。」 スミスはさらに、「高さん、長年来私はずっと中国に来てあなたにお祝いを言うことを考えていました。あなたが20年余り前海南島上空で手にしたあの勝利をお祝いすることをです! あの時我々は刀を合わせる敵でしたが、今では我々は友達です。」 高翔は笑って答えた。「そうです。我々は友達になりました。中国には俗に、喧嘩しなければ知り合いにはなれない、喧嘩しなければ友達にはなれない」という言葉があります。」 高翔は殲ー8II機の模型をプレゼントとしてスミスに贈った(頑住吉注:慣用句は「雨降って地固まる」におおよそ近いようです。ちょっと違和感あるんですが、これ天安門事件直後のことです)。

酒の席で、高翔とスミスという2人の当時の作戦機の飛行員は差しつ差されつ、口々に中国の酒を賛美した。スミスが高翔にどんな趣味があるか訊いた時、高翔は頓智を利かせて言った。「私にとって第1は酒、第2がやっと戦争です。」 スミスは言った。「私は酒をあまり飲まないのでダメです! だからこそあなたに撃ち落とされたんです。」

(頑住吉注:これより3ページ目。画像のキャプションは「捕虜となった米軍飛行員スミス」です。)

かつて林立果と誤認される

退役後の高翔は切手収集を趣味とし、熱心な切手マニアとなり、「青島文化市場」ではしょっちゅう彼の姿が見られた。新しい記念葉書、切手が入荷したと聞きさえすれば、彼はいつもすぐに駆けつけた。しかも金を費やすこと少しも惜しまなかった。ある時は上海に行き、高翔は欲しかった切手が買えるのを見て、思わず知らずのうちに何と旅費さえ使い果たしてしまった。幸いなことに娘が急場を助け、やっと家に帰ることができた。彼は食べるものも惜しんで倹約し、残った金は全部郵便関係に使い、いつも支出が収入に追いつかなかった。

ある意外な一件が高翔を非常に悲しませた。1995年4月初め、息子が沈陽から湖南省のある軍事雑誌を買って帰ってきた。表紙には高翔が飛行服を着た写真が掲載されていたが、写真の説明は、「22歳の空軍作戦参謀長林立果、毛沢東の殺害を欲するが墜落して死亡!」 功臣と罪人がいわれなく逆にされていた(頑住吉注:名前は合っているんだし、単なる写真の取り違えですな)。このことは高翔を非常に怒らせた。いくつかの曲折を経て、法廷での和解が行われ、雑誌社は高翔に謝罪し、彼に2.2万人民元賠償した。言うまでもなく、訴訟費用を除き、残った19,800元は全て高翔が郵便関係の品と家を買う資金に費やされた。

老英雄は「追っかけ」

高翔はさらに「追っかけ」である。スター、首長、彼は皆「追った」。楊瀾、崔永元、敬一丹、白岩松、鞠萍など、彼は皆追ったことがある。彼はこれらの人に彼の記念葉書にサインさせた後、さらに策を講じて消印を押させた(頑住吉注:よく分かりませんが葉書が自分の手元に残るよう配達されてもいない葉書に郵便局で消印を押させた、というようなことでしょうか)。

2009年11月21日、高翔は錦州市に姉を訪ねた。そして初の戦闘機女性飛行員が空軍第3飛行学院で訓練を受けていることを知った時、彼の最大の願望はこの目でこの女性飛行員を見ることだった。

高翔の姉の娘の夫は老人の願いを錦州夕刊の記者に伝えた。記者は高翔にインタビューした後、すぐ錦州夕刊に情報を発表した。「ある空戦の英雄の古稀の年の願いは、わが軍初の女性戦闘機飛行員に会うこと。」 学院の指導者はこれを聞くと、24日に老英雄と女性飛行員の座談交流を手配した。女性戦闘機飛行員のきちんとした敬礼を見て、高翔は高く笑って敬礼し、「私はあなたにとても会いたかった。私はあなたがたに誇りを感じる。」と言った。

(頑住吉注:4ページ目)1965年10月3日、周恩来首相が高翔と親しく握手

(頑住吉注:4ページ目)中国空軍地上勤務人員が殲ー6戦闘機のために弾薬を搭載する

(頑住吉注:4ページ目)殲ー6戦闘機

(頑住吉注:4ページ目)中国空軍の殲ー6戦闘機飛行員が出撃命令を待つ

(頑住吉注:4ページ目)殲ー6の4機編隊が東南沿海上をパトロールする


 この事件全く知りませんでした。1対複数ですし、不意を襲ったわけなので結果は戦闘機や飛行員の実力差とは関係ありませんね。

















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