オーストリア・ハンガリー帝国の銃器哲学

 「DWJ」2004年3月号に、オーストリア・ハンガリー帝国の銃器に何故ユニークな銃が多いのか、という問題をテーマにした興味深い記事が掲載されていました。


オーストリア陸軍用銃器は100年来他国の開発品と異なっている

オーストリア・ハンガリー帝国の銃器哲学

 全てのオーストリア陸軍用銃器およびたいていの民間用、法執行機関用銃器は100年来、同じ時代に普通であるピストル構造から原理上完全に逸脱したその構造上のいくつかの特殊性によって目立ってきた。この逸脱は、地理的条件およびオーストリア・ハンガリー帝国の歴史に原因が求められる異なる思考方法に基礎を置いたものである。

ぼ同じ時代設計時点で作られた、もしくは採用されたこれぞれのオーストリア・ハンガリー帝国/オーストリアの銃器は「西の」銃器と何が違うのか? 

1.それらは今日に至るまで、同時代の銃器群と比べて少なくとも約2発発射キャパシティが大きい。

2.それらは例えばM7(頑住吉注:ロス・ステアーM1907)やステアー・ハーンの場合ストリップクリップ装填方式を持つ。

3.それらは「回転バレル」および直線的バレル誘導方式を持つ。

4.それらは今日までマニュアルで操作するセーフティを持たない。

5.それらは今日まで他と異なるピストルバッグと携帯方法を持つ。

6.それらは40発(M7)までの予備弾薬をピストルバッグの中に持つ。

モットーは「常に2発多く!」

 オーストリア・ハンガリー帝国と境を接するスラブ・トルコ地域(頑住吉注:ボスニア・ヘルツェゴビナ)の防備は、常にオーストリア・ハンガリー帝国調査機関や軍秘密機関の関心事だった。このため1875年3月にはすでに、調査機関(EVB)によって自前の監視部隊がこの地域のために設立された。必要な場合におけるボスニア・ヘルツェゴビナの占領に備えるためである(頑住吉注:当時ボスニア・ヘルツェゴビナはオスマン・トルコ帝国の支配下でした)。

 1878年7月13日、ベルリンの議会からハプスブルグ家の国であるオーストリア・ハンガリー帝国にボスニア・ヘルツェゴビナの占領が委託され、即座に実施もされた。残念ながらそれは計画されたようには運ばなかった。一般的には謀反者(パルチザン)が、個別的には托鉢僧Hadzi Lojaが、オーストリア・ハンガリー帝国軍に対抗して非常な働きをし、続く時代でも民衆の暴動を引き起こした。銃器密輸やその土地特有の古い封建制度(Kmeten)の維持が彼らの願いだった。このためボスニア・ヘルツェゴビナ独自の国土のための警察隊と、モンテネグロとの国境のためのパトロール隊が設立された。これらパトロール隊はすぐに地元の人々によって畏敬の念に満ちて「Strafunis」、あるいは「グレーファルコン」とも呼ばれた。これらの兵や将校は統一的にカルストグレー色の制服(最初の迷彩服)を身につけ、たいてい階級章をつけず、(謀反者リーダーHadzi Lojaはオーストリア皇帝にあてた書簡の中でそう断言しているが)不可視的に、そして「その国では普通の」方式で戦った(頑住吉注:カルストとは石灰岩が溶食されて出来た地形のことらしいです。要するに灰色一色の大地で目立たないように、同色の制服を着用していたということです。一般に迷彩服を初めて使ったのは第二次大戦時のSSであるとされているそうですが、この方がはるかに早いことになります)。謀反者たちは兵員と変わらない制服のせいで指揮官を射殺することができなかった。

 こうしたStrafunis、そしてオーストリア・ハンガリー帝国陸軍および警察隊のためにも、この時火力の優越が探求された。調査機関は、ある情報が谷間にいる一族から山を越えて次の一族に伝わるのに5年までの時間がかかることを確認した!

 カルスト地形の中では人が人と戦い、この際大部分リボルバーとナイフで、あるいはナイフだけで戦った。切断は耳から耳へ前を走り、この土地で普通のテクニックで当然背後から行われた。

 6連発リボルバーは19世紀末には国際的ノルマだった。当時ピストルの新構造も同様に6連発だった(頑住吉注:世界的にはともかく、ステアー・マンリッヒャーM1894はストリップクリップ装填による6連発でした)。このため謀反者は戦闘において6まで数えることに気を配り、その後再装填し、これにより戦闘準備状態にない兵を後ろからナイフで襲った。いくらかの分析の後、この単純だが効果的な戦術を知り、調査機関は最低8連発のリボルバーを要求した。これが後のM.98(ラスト&ガッサー。口径8mmのフラットノーズ弾を持つ 頑住吉注: http://www.littlegun.be/ma_collection/a%20di%20rast%20und%20gasser%20fr.htm )である。これによりM.98で装備された銃器携帯者は、極度に効果的な弾薬を追加的になお2発銃内に持つこととなった。

 前述の情報伝達の困難さゆえに、この致命的に重要な細目(頑住吉注:敵のリボルバーの装弾数が2発増えているという事実)は、謀反者たちの中でそう急速には広まらなかった。この他に、銃器に関するオーストリア・ハンガリー帝国の良好な訓練に基づき、将兵が比較的稀にしか射撃を行わなかったという要因もあった(頑住吉注:無駄に撃たなかったという意味かよく命中したという意味か分かりませんが、要するに謀反者たちが弾切れを目撃する機会が少なかったということです)。

 他国がまだ増加された、そしてぜいたくな弾薬消費に関して批判的に議論していた時である1890年から、オーストリア・ハンガリー帝国ではセルフローディングピストルの開発も始まった。当初はまだSchulhofのように連発ライフルの既知の構造に基づいたものだったにしてもである(頑住吉注: http://www.horstheld.com/0-Schulhof.htm )。結果的に開発者はその後手動連発メカニズムからリコイル原理に移り、セルフローディングピストルを量産に適するほどの熟成に持って行った。

 OEWG(頑住吉注:ステアー・マンリッヒャーの前身)は1901年以後、非常にモダンな軍用セルフローディングピストルを製造した。その改良型はモデルM1905としてアルゼンチンで採用された(頑住吉注: http://www.littlegun.be/arme%20autrichienne/a%20mannlicher%20gb.htm )。この時点で最もモダンなこのセルフローディングピストルは、すでに再び8発の装弾数、ストリップクリップによる装填方式を持ち、マニュアルセーフティを持たなかった。想起のために。外装ハンマーは1910年以後になって初めて流行し、他の諸国では第一次大戦後だったし、ドイツではPPおよびPPK、P38で初めて導入された。

ゲオルグ ルガーも「常に2発多く」のモットーを引き継いだ

 オーストリア国防軍少尉ゲオルグ ルガーはオーストリア・ハンガリー帝国歩兵学校で学んだ。1883年、ルガーは結婚のため少尉の階級を返上し、(身分にふさわしくない)銃器の開発を行った。1892年以後彼はベルリンの銃器会社Loewe/DWMに身を置いた。彼はすぐにオーストリア銃器における追加的2発の重要性を理解した。首尾一貫して彼は1899年頃、後のP08にオーストリアの新しいノルマに適合する8連マガジンを装備させた。さらにこの開発品はオーストリア人の注意を引き、首尾一貫して(「2発多く」)1907年に同軍に初めて採用されたセルフローディング銃器M.7(頑住吉注:マンリッヒャーのオートピストルは本国では制式採用されていません)に、今度は10発の収容能力を与えた。これに基づき、8連マガジンを持つP08はすでに1907年にドイツ部隊に支給されることになった。

 第一次大戦後は充分な兵器が存在した。設計者はいくらか新しいことを着想できなければならなかった。1921年、「大戦の軍事的教訓」がSchwarteによって発表された。これ、また他の経験にも支持され、ジョン ブローニングは1922年頃以後あるセルフローディングピストルを開発する着想を得た。この銃は大きなマガジンキャパシティを持ち、当初は12発、後には13発の弾薬を収容した。この銃はその後、結果的にFN-HPとなった。FN-HP/M35は、オーストリアの法執行機関と連邦陸軍によって、慣性打撃式ファイアリングピンを理由に「装填してハンマーダウン」状態で携帯することが許される唯一のピストルでもある(頑住吉注:明記されていませんが、第二次大戦後グロック採用までオーストリア軍はハイパワーを使用していたようです)。この銃は1975年まで、大きなマガジンキャパシティを標準装備したセルフローディングピストルの代名詞だった。15発を持つCZ75がこれを変えた。グロックはこれに追随し、P80(グロック17)は17発を装備した。18発を収容するマガジンを持つステアーGB80は50挺連邦陸軍に購入され、このためP18(軍用銃)となった。グロックは直ちにボトムプレートを31連マガジンから17連マガジンに移設し、この結果P80の17連マガジンは再び2発多い数、19発を収容することとなった。周知のように度しがたく、そういうわけで命中不正確なためまだ軍に採用されていない31連マガジンも存在する。

 さらにこの高いマガジンキャパシティに関して、32連マガジンを持つステアーSPPを挙げることができる。ただしこのSPP(スペシャルパーパスピストル)はほとんどすでにTMP(タクティカル マシンピストル)である。

ストリップクリップ装填は兵たちに信頼された

 1890年頃、ライフルのため(そして一部のピストルのためにも)のストリップクリップ装填は設計者にとって周知のものだった。セルフローディングピストルの場合、使用者は撃ち尽くして空になったマガジンを簡単に投げ捨てることはできなかった。カルスト地形の中では回収不可能な状態で失われてしまうはずだった。このため古くから知られた、そして軍事教練されたストリップクリップ装填テクニックが継続使用された。全ての兵はM.95によってこの装填方法を知り尽くしていた。装填の経過はライフルと同じだった。ピストルが撃ち尽くされ、このため閉鎖機構は後ろにある→ストリップクリップを導入する→下に押す→ストリップクリップを取り除く→閉鎖機構が前進する→ハンマーまたはファイアリングピンはコックされ、銃は発射準備状態である。ターゲットから顔をそらすこともないし、注意がそらされる問題もない。どこにも空マガジンはない。この理由から当初コルト1911およびTT30/TT33はマガジン底部鉄板にランヤードリングを持っていた! こうしてかつてのリボルバー携帯者がまだ慣れないマガジン交換の際に紛失しないことが意図されたのである(頑住吉注:オーストリアでガバやトカレフが組織的に使用されたことがあるわけではなく、「それらの国でも当初はそんな苦労をしなくてはならなかった。ストリップクリップにも合理性はあった。」ということのようです)。

 この古くからプルーフされた、また軍事教練されたストリップクリップテクニックは兵に決定的な精神的負担軽減を、また戦闘へのより良い集中をもたらした。ベトナムでは最初のAR15/M16(A1ではない)を使っての問題が知られた。予備マガジンがない、もしくは少なすぎた時、そしてこのため戦闘中に携帯している20発入り紙箱から18発のみ(マガジン詰まりのため)装填することを強いられた時にである。手に残された2発は投げ捨てられた。この時、以後もなお戦闘中大量には存在しない、また携帯されていなかった(!)マガジンの素早い再装填のため、M16マガジンにこの理由から再びストリップクリップ技術が使用された。これはいろいろな種類の戦闘用弾薬が紙箱に梱包されるのではなく、依然として、もしくは再びストリップクリップに10発ずつセットされたという意味である。

 同様に9mmステアー弾薬も「Aufreissfaden」(頑住吉注:「一気に開ける」+「糸」。ものは知ってるんですけど日本語で何と言うのか知りません。糸をピーッと引っ張ると素早くきれいに開封されるようになってる奴です。糸じゃありませんけど、よく魚肉ソーセージに似たようなのが付いてますな)付き紙箱に、2つのストリップクリップ各8発ずつセットされて梱包された。

回転バレルあるいは回転閉鎖機構

 回転バレルにより銃/バレルの軸線は射撃方向に留まる。回転閉鎖機構はライフルの場合今日スタンダードである。高い製造コスト(あやつるカーブ)を理由に、ピストルの場合はむしろ稀である。

 回転閉鎖機構を持つピストルモデルは次のような機種である。8mmステアー・ロス(M.7)、9mmステアー・ハーン、フロンマー リリパット、フロンマー ストップ、Cz M22(軍用銃として9mmパラ仕様も計画された)、CZ M24、コルト オールアメリカン2000(1991年製造!)

セーフティはどこ?

 オーストリア・ハンガリー帝国は地理的に東および南東に拡張した多民族国家だった。この国は様々な歴史と文化を持つ様々な民族からなっていた。

 この地域においては伝統的に、銃には2つの状態のみ存在した。すなわち安全にされ、見て取れる平和な状態でバッグの中にあるか、見て取れる発射準備状態で操作者の手の中にあるかである。誰もが銃の携帯方法で相手のもくろみを認識できる。アフガン人はライフルを手で持つ(発射準備状態)か、平和的にスリングで肩に吊る。全ては共通である。手の中の銃は即時の発射準備状態を意味する。手に銃があるが、セーフティがかけられている(つまり発射準備状態にない)というのはこうした人々にとって意味を持たない。と言うのは、自分は手の中の銃によって相手に致死的なもくろみをシグナル化しているが、実施することはできない(セーフティ状態だから)。しかしこの「セーフティがかけられた」状態は相手には分からず、重大な脅威を与える。ある警官は報告している。「私は銀行の窓口から頭を突き出し、銀行強盗のピストル(ひょっとするとそれはセーフティ状態だったかもしれない)のバレル内を正確に見た。これに基づき、私は窓口の下から私の銃(19連グロック)のマガジンが空になるまで撃った。私はもはや彼がひょっとすると威嚇だけを行おうとしたのかどうか疑うことはなかった。」 この銀行強盗はその場で死んだ。非常によく訓練されたイギリス人たちが20世紀初頭、比較的多く「原住民」とのコンタクトを持ったが、彼らの最初のセルフローディングピストル(例えばウェブリー.455)もグリップセーフティしか持たなかった。

騎兵もセーフティを必要としなかった

 銃器のマニュアルセーフティに伴うジレンマを理解するために、ピストル開発の最初に立ち返らねばならない。リボルバーが装填されている時、射手は重いトリガーを引くことによって(ダブルアクション)、あるいはハンマーをコックすることによって(シングルアクション)、1発の発射を行うことができた。トリガーの重さは望まれたものだった。騎兵は射撃のため、「射撃小休止」を入れねばならなかった。ギャロップする馬上でのあたりへの乱暴な射撃は気休めで無意味だった。望まれた射撃小休止の際、馬は急停止し、騎兵は手を伸ばして直感的に狙って撃ち、その後再び馬を望む走行方法に移行させた。この経過はあらゆる陸軍で軍事教練に含まれ、訓練されていた。すなわち軽度の走行方法で装填されたピストルを持って射撃ラインまで行き、銃をターゲット方向に向け、発射し、銃を下げて馬に乗って去るという経過である。

 軽いトリガーを使うと「停止」時に意図しない発射が起こり、そしてたいていは自分の馬に命中もした(M.7を使った実験はそれを明瞭に示した)。このことはオーストリア銃器の「急な」グリップ角度をも要求した。これは、標準化された軍馬(肩の高さ160cm)上の騎兵が停止状態で手を伸ばして50歩(35m)の距離にある胸の高さのターゲットに直感的に命中させなければならない、ということを目的とし、またそれは可能だった。そういうわけで、射手はオーストリア・ハンガリー帝国のオリジナル銃器を使って25mでフロント、リアサイトを使ってターゲットシューティングを行うことは困難だった(頑住吉注:軍馬の上、つまり高いところから比較的近距離のターゲットを撃つためにグリップ角度が急、つまり普通の保持をするとマズルがやや下を向くように作られたが、この結果普通に立って水平に狙って撃つことがやりにくくなった、ということのようです)。

 ここでもまた望まれた2つの銃器状態が見いだされる。すなわちバッグの中の銃(=セーフティ状態)、あるいは手の中の銃(=発射準備状態)である。手の中にあり、馬上にあり、セーフティ状態、というのは何を意図しただろうか? 銃の取り扱い(銃の持つ意味や効果も)は訓練の構成要素である。良好で首尾一貫した銃に関する訓練はマニュアルセーフティに代わる。戦死者に関する戦場分析もはっきり示すように、セーフティのかけられた銃が携帯者にとって致命的結果をもたらすことは稀ではない。

ドイツ帝国国防軍はセーフティを持ち続けた

 1928年のドイツ帝国国防軍技術規則は、マニュアルセーフティの意味を次のように的確に記述している。「全ての銃は構造上少なくとも、訓練不十分な射手の誤った扱いの際(意図せずトリガーに触れた際)でもなお発射可能性がないようにセーフティ状態とされなければならない。最終的にはまだ1度も銃を手にしたことがない青少年も国防公務に動員される。素人の新兵から訓練された専門家へは長い道のりである。特に戦争中(原注:第一次大戦を意味している)は中断できなかった。」 この文を読む時、訓練不十分な、あるいは銃の訓練を受けていない兵士であってもこうした武器を手にしたのだということが確認される。

 1935年のH.Dv. 255およびL.Dv. 405(ピストーレ08を使っての平時の訓練のためのもの)にはポイント2に次のような記述がある。「ピストルの取り扱いはそのための独自の方法を必要とする。事故や逡巡を避けるための兵の徹底的訓練ゆえにである。」 ポイント46には次のような記述がある「セーフティレバーは意図しないトリガーの引きに対するピストルの真の安全状態をもたらす。

 こうしたポイントにはすでに1つの異論がある。一方では必然的に銃に関する徹底した訓練を評価し、他方では指をトリガーから遠く保持するほどには達しない(頑住吉注:徹底的に訓練された兵士なら意図せずトリガーを引くことはないはずだ、ということです)。

 1935年発行の歩兵ハンドブックの中にはC章ポイント15、「セーフティ状態および解除」に次のような記述がある。「ピストルは発射されないときは常にセーフティ状態にされなければならない。」 ここで次のような疑問が浮かぶ。発射しないときは何故セーフティ状態にするのか? 射手はどっちみち指をトリガーには置かない。ポイント16「装填」によれば、「ピストルは右手に保持し、人差し指はトリガーガードの上、フレームに添わせる。中指は前下方を指す。

訓練スタイルは国による

 興味深いことに(頑住吉注:アメリカのジョージ C. )マーシャルl将軍は1943年2月に、アメリカ議会の前で堂々と次のように発言している。「今、我々は我々の兵たちを海外に送った後で訓練する状態にある。」(「アメリカ軍最高司令部秘密報告」 G-8)  実戦および銃器訓練は投入に向けた途上の輸送船の上で初めてなされたのである。

 オーストリア・ハンガリー帝国陸軍あるいは連邦陸軍の場合、訓練された、銃に関しトレーニングされた兵士のみがこれらの銃を手にした。銃の重要性と目的、そして彼らになされた訓練に基づき、彼らはシチュエーションに適合する取り扱いしかする可能性がなかったし、実戦でも同様だった。彼は使用しない場合、単純に銃をホルスターに完全に突っ込んでおり、指をトリガーに置いたり足を撃ってしまったりすることはなかった。過去も現在も、銃はステータスシンボルではなく戦闘用である。皇帝の一族に至るまでの最高位の将校でさえ、前線で重いM.7を携帯した。そこには当時すでにより小型軽量の(将校用)銃器が存在したにもかかわらず。イタリアの場合、「ピストルが小さいほど階級は高い」が第二次大戦まで普通だった。


 難解な文章である上、ところどころに本筋と関係ない薀蓄が唐突に挿入されているなどして非常に理解しにくかったです。どうしても意味不明な部分、あまりに関係が薄く、余計混乱すると思われる部分などは飛ばしていますし、実はこの後携帯方法に関する記述がもう少し続いているんですが、サーベルを吊っているような時代の装備品に関しては全然知識がなく、辞書に載っていない単語が頻出してお手上げなのであきらめました。

 この記事、「続く」となっているんですが、数号後まで見ても続きはありません。かなり牽強付会と思われる論が多く、批判された結果ではないかという気もします。例えばマンリッヒャーM1905を「この時点で最もモダンなこのセルフローディングピストル」とするのはちょっと無理ではないでしょうか。この銃がコルトM1900よりモダン、つまり現代の銃とより多くの共通点を持つとはとうてい思えません(ただ軍用ピストルで外装ハンマーが主流になったのは意外に遅い時期だったというのはなるほどと思いましたし、M1900は制式採用されていませんから、あるいは世界で初めて外装ハンマーを持つオートピストルを採用したのはアルゼンチンということになるのかも知れません)。またゲオルグ ルガーが「2発多く」のモットーを引き継いだというのもどうでしょうか。マガジン装弾数8発というのは前身のボーチャードと同じ数で、それを引き継いだに過ぎないのではないでしょうか。回転閉鎖機構と回転バレルを同列に論じるのも乱暴過ぎますし、これがオーストリア銃器哲学の中でどういう意味を持つのかについても全く触れられておらず、全体の中での意味が分かりません。セーフティの議論に関しても、セーフティの主要な役割は携帯時の安全性を確保することであると思われるのに、それについては触れられていません。

 しかしなるほどと思われる部分もたくさんありました。これを読んで思い出したのは、「Visier」前編集長氏による「IMI−sp21その2」の記事です。あの記事には「『バラク』の興味深さはよくよく見て、そして本来開発にあたって出された要求の背景として何があったのかを知って、初めて理解できる性質のものである。我々の仲間である「スイス銃器マガジン」は1月号ですでにこのIMI sp-21を扱い、銃器技術上の見地から詳しく吟味した。ただ、これだけでは半分の理解ができたにすぎない。いかなる銃も無の空間から自然発生したものではなく、つねに固有の要求に沿って生まれてくるものだからである。この銃は何故、そして何のために作られたのか。このイスラエル製ピストルを理解するためには特にこの疑問に答えることが重要である。」とありました。私はオーストリアの銃を見て変わった特徴を持つ銃だなあとは思っても、まあ昔の銃だからどういうものがいいのかよく分かっていなかっただけだろうとしか思っていませんでした。しかし、「ラスト&ガッサーの8連発という軍用リボルバーとしては異例な装弾数は、ボスニア・ヘルツェゴビナのパルチザンのゲリラ戦術に対抗するためのものだった。」というのは実に興味深い指摘です。ルガーはともかく、その後の銃を見てもこの多弾数が有効だったことから、「なるべく多弾数の銃を」という声が強くなったのは事実ではないかと思われます。石灰岩が溶食されてできたカルスト地形ではマガジンを落とすと回収困難だからストリップクリップが使われた、というのも歴史、地理的条件が分かっていないと理解できないことです。

 騎兵の使用のためロス・ステアーのトリガーが暴発しにくいセミダブルアクションになったというのはむしろ有名でしょうが、馬上から低い目標を撃つためにグリップ角度が急だというのは微妙なところです。ラスト&ガッサーはリボルバーとしては不自然なほどグリップ角度が急ですが、ロス・ステアーはまあどちらかと言えば急、ぐらいではないでしょうか。角度だけで言えばステアー・ハーンの方が急ですが、これはセミダブルアクションではないので騎兵用というわけではなさそうです。

 全面的に賛成するには程遠いものの、非常に興味深い記事でした。「Waffen Revue」等にいくつかオーストリア製銃器に関する記事があるので、少しずつ読んで行きたいと思います。














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