ランチェスターサブマシンガンの簡略化に向けた努力

 イギリスはドイツのMP28/IIをコピーしたランチェスターサブマシンガンを補助的に使用しましたが、当然ステンに比べて生産に手間とコストがかかるなどの問題がありました。今回はこのランチェスターサブマシンガンの簡略化に関するページの内容を紹介します。これらは結局採用されることはなかったものの、後のスターリングの誕生にも関係していきます。

蘭徹斯特M1及M2試制型


ランチェスターM1およびM2試作型

第二次大戦期、ランチェスターMk.1サブマシンガンは主にイギリス海軍および空軍に装備された。だが当時イギリス軍で装備量が最も多いサブマシンガンはステンだった。よりシンプルで信頼性の高いステン系列サブマシンガンとのバランスが取れるように、この銃を設計した会社であるスターリング武器社はいろいろと知恵を絞っていた。同社はこの銃の設計者であるランチェスターと、別の武器設計者ジョージ ウィリアム パチェットとにそれぞれこの銃に対する改良設計を行わせた。これらのランチェスターサブマシンガンの改良型の性能はどうで、またその運命はどうだったのか? 「歴史探求」コーナーでは、これら過去の出来事について記述した2つの文章を特に作成した。今回お伝えするのはランチェスター本人がこの銃に対して行った改良設計についてである‥‥

(頑住吉注:原ページのここにある画像のキャプションです。「ランチェスターMk.1サブマシンガンの左右側面図。この銃はイギリス海軍および空軍によって制式サブマシンガンに選定された。」)

第二次大戦期のイギリス軍サブマシンガンについて語り起こすには、当時のイギリス軍がこの銃を選択し装備した歴史的背景について触れなければならない。

イギリス軍サブマシンガンとダンケルク撤退の根源

1940年6月、イギリス・フランス連合軍の防衛線はドイツ機械化部隊の攻勢の下で急速に崩壊し、このためフランス東北部のダンケルクにおいて当時史上最大規模の軍事撤退行動が展開され、フランスは直ちに占領された。大部分のイギリス・フランス連合軍兵士は最終的にイギリス本土に撤退することができたが、フランスに派兵され駐留していたイギリスの遠征軍は、ほとんど全ての装備をドイツに占領されたフランスで失ってしまった。

この時、順調にフランスを席巻したドイツ軍は勢いに乗ってイギリス本土上陸作戦を発動した。彼らの作戦思想は、まずイギリス本土に空襲を実施し、その後落下傘降下部隊を派遣して重要地点を占領し、さらに陸軍部隊をもって進攻を行う、というものだった。一方この時のイギリス軍は深刻な武器不足の状態で、大量の自動火器を生産して新たに部隊に装備することがまさに当務の急となった。

ドイツがすぐにも進攻してくる急迫時期において、もし陸海空3軍が各自に異なる武器を各自開発したら、生産効率の低下、資源の浪費をもたらすはずだった。限られた資源と生産設備を最大限に利用できるように、イギリス軍部は3軍に1種類の共通のサブマシンガンを開発することを最終的に決定した。当初、傲慢で思い上がっていたイギリス軍首脳部は、サブマシンガンはアメリカのマフィアなど暴力集団が縄張りを奪い合う時に使う武器であると考えており、このためイギリスの軍隊にサブマシンガンを装備するなど全く考えていなかった。だが、ドイツ軍との交戦中に、イギリス軍はドイツ軍の使用するサブマシンガンの威力を充分に認識するに至った。サブマシンガンはライフルに比べ射程が短く威力が小さいが、急速に進行する車両の中、あるいは市街での接近戦に使用した時は、その連射性能は手動ライフルとは比較にならないことを認識するに至った。このため最終的にサブマシンガンを軽蔑する考え方を改め、3軍にサブマシンガンを装備することを決定したのである。

思想の統一は難しく、3軍各自に出口を探す

1940年8月12日、イギリス軍需委員会はイギリス陸海空3軍の首脳を召集し、3軍共用のサブマシンガン機種確定のための会議を開いた。

実は早くも1939年12月に、イギリス陸軍は多機種のサブマシンガンに対し対比試験を行っていた。得られた結論は、アメリカのトンプソンM1928サブマシンガンの構造および性能が最も優秀だというものだった。1940年1月、イギリス陸軍はさらに、7.63mmx25弾薬を愛用するドイツのベルグマンMP28に対するテストを行った。この銃の設計は精密、良好で精度的にも優秀であるが、構造が複雑すぎ、短時間内での大量生産に不利だった。そこでイギリス陸軍は陸海空3軍の首脳会議においてトンプソンM1928サブマシンガンのコピー生産を推薦した。だがこの銃が使用する0.45インチ弾薬はイギリス軍の制式弾薬ではなかったため、イギリス陸軍は会議においてトンプソンM1928サブマシンガンの口径を0.380口径に改めることを提起した。

しかしイギリス海軍はドイツのMP28サブマシンガンを大いに気に入り、このためMP28サブマシンガンの国内でのコピー生産を要求し、かつその口径を9mmx19に改めた。

イギリス空軍はドイツのMP38サブマシンガンを高く評価し、1万挺のMP38サブマシンガンをコピーすることを希望した。

陸海空3軍の考え方はそれぞれ異なる中、イギリス陸軍はイギリス本土防衛の任務を担当した。このためイギリスが生きるか死ぬかの緊急事態に直面する中、自衛に用いることができ、かつ設計が簡単であり、短時間内に大量生産できる武器を開発し、もってドイツがすぐにも発動するであろう進攻に抵抗すべしとの方向により傾いていった。このような枝分かれが3軍共用のサブマシンガン計画の最終的な決裂をもたらし、イギリス陸軍はこの計画から抜け、独自にサブマシンガンの研究開発作業を進めた。

イギリス陸軍が本来選定したのはトンプソンM1928サブマシンガンのコピーだったが、ダンケルクにおける敗走と同時期、イギリス陸軍はちょうどドイツから鹵獲したMP38サブマシンガンに対するテストを進めているところだった。テスト中、MP38サブマシンガンの構造はより簡単、生産はより容易、しかもコストもより低廉であることが分かった。そこでMP38サブマシンガンを参考に新しいサブマシンガンの設計を行うことに方向転換した。その設計作業はエンフィールド兵器工場で進められたが、開発の進行は速く、1941年初めには全体設計が完成し、同年3月にはステンMk.1サブマシンガンと命名されてイギリス陸軍の制式武器に選定された。最終的に完成したステンMk.1サブマシンガンはMP38と同じオープンボルトを採用し、そのマガジンもMP38を直接コピーしたものだった。

一方、イギリス陸軍が3軍共用のサブマシンガン計画から抜けた後、イギリス海軍と空軍はかえって意見統一に至り、MP28IIサブマシンガンのコピー生産を決定した。その設計作業はスターリング武器会社の設計師ジョージ ハーバート ランチェスターに与えられて進められ、4カ月以内での設計、試作、テストおよび生産ラインの準備という各作業の完成が要求された。1940年末になってランチェスターは2種類のサンプル銃、すなわち1号銃と2号銃を設計した。だが社内で行われたテストにおいて、異なる弾薬の使用がこの2つの銃の機構作動に影響する可能性があることが判明し、改良が必要となった。ランチェスターはテスト結果に基づいて2号銃をベースとして選んで改良を進め、さらに3号銃および4号銃という2種類の改良型をそれぞれ設計した。これら2つの銃の社内テストにおけるパフォーマンスは良好で、続いて軍に交付されてテストが行われた。イギリス海軍および空軍は1940年11月にテストを行った後、4号銃を選定し、かつこれにわずかな改修を行い、1941年6月に制式採用し、ランチェスターMk.1サブマシンガンと命名した。一方イギリス陸軍が採用したステンサブマシンガンも同じ年に装備が開始された。

(頑住吉注:原ページのここにある画像のキャプションです。「ランチェスターMk.1*サブマシンガンの左右側面図。この銃はランチェスターMk.1サブマシンガンに簡略化設計を行ってできたものである」)

(頑住吉注:これより2ページ目)

やむを得ざる改良:ランチェスターMk.1*サブマシンガン

ランチェスターMk.1とステンMk.1両サブマシンガンの設計作業はほとんど同時に進行し、しかもいずれも短い時間内に開発が完了したが、両者を対比していくと大きな差異があることに気付く。まず、ランチェスターMk.1サブマシンガンはドイツの旧式なMP28IIサブマシンガンをコピーしたもので、大部分の設計は元のまま変わっていない。ただ少しの改良を行っただけである。例えば真鍮製マガジンハウジングの採用、バヨネット座の設計変更などである。一方ステンMk.1サブマシンガンは当時のドイツ最新のMP38サブマシンガンを参考にしているが、直接複製するのではなく、参考にするのと同時に大幅な改良を行っていた。

両者の差は非常にはっきりしており、例えばランチェスターMk.1サブマシンガンは固定式木製ストックを装備しており、携行に不便だった。その構造設計は堅固で信頼性が高かったが、重量と体積が比較的大きかった。一方ステンMk.1サブマシンガンは着脱可能なストックを使用しており、携帯性が良好、かつ構造が簡単で簡単に分解や維持修理を行うのに便利で、同時に重量も比較的軽かった。この他まだ1つ注意するに値する点があり、当時の戦争の環境下ではある武器が生産しやすいかどうかが特に重要だった。この点に関してはステンMk.1サブマシンガンがきわめて有利であり、その生産コストはランチェスターMk.1サブマシンガンよりはるかに低かった。しかも構造が簡単で、短時間内に大量生産が行いやすかった。特にステンMk.1サブマシンガンの発展改良型であるステンMk.2サブマシンガンの設計が成功した後では、ステンサブマシンガンの当時におけるメリットはさらにはっきりしたものになった。

ステンMk.2サブマシンガンの出現以後、イギリス空軍はこの銃がランチェスターMk.1サブマシンガンと比べて重量がずっと軽く、分解が容易で、しかも携行性がより良好であると意識するに至った。この銃に対し高い評価を与え、イギリス海軍と協力して進めていた共用サブマシンガン計画から抜けることを決定し、ステンMk.2サブマシンガンをもってそれまで装備していたランチェスターMk.1サブマシンガンに替えることに変更した。

イギリス空軍のこの決定はスターリング武器社とランチェスター本人にきわめて大きな打撃を与えた。スターリング社はランチェスターMk.1サブマシンガンに改良を加えることに力を注ぐことを決め、ステン系列サブマシンガンと張り合えるようにすることを望んだ。これこそが本文章の導入部分で提示した、両面作戦方式である。すなわちランチェスター本人と他の設計者パチェットにチームを組ませ、それぞれ改良を行わせた。

ランチェスターが行った改良設計で、まず行われたのは構造の簡略化であり、同時に全体の製造コストを下げ、この他さらにいくつかの小改良が行われた。簡略化改良後の機種はランチェスターMk.1*サブマシンガンと命名された。だがこのような簡単な処理を行っただけではこの銃の生産コストを大幅に下げることはできず、しかも生産性でも大きな向上は達成されなかった。加えてこの銃は依然として木製ストックを採用しており、簡略化改良後だとしても依然旧式という印象を与えやすく、このため関心を集めることはなかった。

(頑住吉注:原ページのここにある1枚目の画像のキャプションです。「M1試作型右側面図。この銃は原型銃と比べて外形の変化が比較的大きく、木製ストックはなくなり、金属の着脱式ストックが追加されている(画像ではこのストックは失われている)」 続いて2枚目「M1試作型のフロントサイト特写。バレルジャケットがなくなったので、フロントサイトは直接バレルの前端に設置され、その左右両側にはリング状のフロントサイトガードウィングがある。」 続いて3枚目「M1試作型のトリガーガード特写。トリガーガード前方には射撃モードを選択できるセレクターが設けられている。」 続いて4枚目「M1試作型の円筒形ハンドガードの設計は邪魔くさく、これには合成材料による製造が採用された。」 続いて5枚目「M1試作型のグリップ後方には雌ネジがあり、ストックを追加装備できる。」 続いて6枚目「重量軽減のため、マガジンハウジング上下左右にはいずれも開口部がある」 続いて7枚目「リアサイトとしてはランチェスターMk.1*サブマシンガンと似たL字型起倒式リアサイトが採用されている」)

(頑住吉注:これより3ページ目)

M1およびM2試作型

ステン系列サブマシンガンをランチェスターMk.1サブマシンガンと比較すると、重量が軽く、体積が小さく、そのコンパクト性はランチェスターMk.1サブマシンガンでは遠く及ばないものだった。ただしステンサブマシンガンにも致命的欠点があり、すなわちそれはストックを取り外した状態で射撃を行うと相当な危険があり、ストックを装着してこそ安全に射撃できるということだった。これはストックを外して携行し、緊急状況に突発的に遭遇した時相当に不利なことだった。ランチェスターはこの点に注意を向けた。事実としてランチェスターはランチェスターMk.1サブマシンガンに簡略化改良を行うのと同時に、この銃に対しより徹底した新規設計をも行った。その目的はステン系列サブマシンガンの欠点を避けることにあり、ストックを容易に取り外すことができるが、もしストックを取り外し、何ら支えがなくとも安全に射撃できるサブマシンガンを設計したのである。

ランチェスターMk.1サブマシンガンに徹底した近代化改良を行う過程で、ランチェスターが一体全部でどのくらいの試作型銃を設計し、最終的にどのくらいの銃の試作に成功したのかは、現在すでに考証する方法がない。現在残っている試作型銃は全部で3挺であり、本文で紹介するのはその中の2挺、すなわちM1およびM2試作型である。

(頑住吉注:原ページのここにある1枚目の画像のキャプションです。「M2試作型の左右側面図。これはM1試作型の発展型であり、両者は設計上比較的大きな差異がある。」 続いて2枚目「ハンドガードは合成材料で作られ、フィンガーチャンネルがあってよりグリップしやすい」 続いて3枚目「トリガーガード前方のセレクターには3つの位置があり、フルオートとセミオートを選択できる他、セーフティ機能もある」 続いて4枚目「バットプレートのトラップドア式金属蓋を開くと、武器の修理用のアクセサリーやクリーニング工具等が入れられる。」 続いて5枚目「グリップ後方には着脱式の金属製T字型ストックが装備されている」 続いて6枚目「コッキングハンドルの先端部は球形で、滑り止めグルーブが刻まれている。」)

M1試作型はランチェスターMk.1に対し徹底した改良設計を行った最初の試作型銃である。この銃で主に改良されたのはランチェスターMk.1サブマシンガンの木製ストックを放棄したことで、レシーバー後部の下方に合成材料で作った発射機構ベースが加えられ、この発射機構ベースはネジを使ってレシーバーに固定され、その後部にはグリップが装備されている。トリガーガードの前方にはセレクターが設置され、必要に応じてフルオートモードあるいはセミオートモードを選択できる。重量を軽減するため、原型のランチェスターMk.1サブマシンガンにあったバレルジャケットが放棄され、このためバレルジャケットにあったバヨネット座もなくなっており、もはやバヨネットを追加装備する機能は備えていない。この他、ランチェスターMk.1サブマシンガンにあった真鍮製のマガジンハウジングが薄いスチール板で製造するよう改められている。これはレシーバー左側に溶接され、重量軽減のためマガジンハウジング上下左右の面にはいずれも開口部がある。保持しやすいようにマガジンハウジング下方には合成材料で作った円筒形のハンドガードが追加装備されているが、この設計は邪魔くさく見えてしまう。バレルジャケットがなくなったので、フロントサイトは直接バレル前端に取り付けられ、フロントサイトの左右両側にはリング状ガードウィングが設置されている。リアサイトとしてはランチェスターMk.1*と似たL字型の起倒式リアサイトが採用されている。この他、グリップ上部の後面には雌ネジが加工され、着脱式金属ストックが追加装備できる。ストックの着脱は非常に容易で、ストックを外した後でも射撃は安全である。

M2試作型はM1試作型を基礎に発展してできたもので、この銃のレシーバーとボルトの構造は新たに設計されており、外形上もM1試作型と比較的大きな差がある。M1試作型と異なり、M2試作型のセレクターには3つの位置があり、フルオート射撃あるいはセミオート射撃を選択できる他、セーフティ機能もある。発射機構ベースはレシーバー後部下方に溶接するよう改められ、より堅固で耐久性が増した。M2試作型とM1試作型のもう1つの明確な違いは、コッキングハンドルとそのためのスリットがレシーバー右側から左側に改められたことで、この点はドイツのMP38/40サブマシンガンと似ている。この他コッキングハンドルの形状も一部改良されている。M1試作型のコッキングハンドルは後方に湾曲した弧形だったが、M2試作型では円柱形のコッキングハンドルが採用されている。コッキングハンドルの先端部は大型化され、さらに滑り止めセレーションも刻まれている。マガジンハウジング左右両側の重量軽減のための開口部はなくなり、上下両側のみ開口している。ハンドガードにはフィンガーチャンネルが設計されており、より保持しやすい。グリップ後方には着脱式の金属製T字型ストックが追加装備され、ストックの本体は中空で、バットプレートにはトラップドア式金属蓋があり、修理用アクセサリーやクリーニング工具等が入れられる。

M1試作型およびM2試作型はステン系列サブマシンガンと張り合うためにランチェスターMk.1サブマシンガンの構造の簡略化を進め、生産コストを下げる設計をしたものであるが、簡略化設計後の生産性や生産コストはやはりステン系列サブマシンガンに及ばなかった。このため量産に至ることはなく、歴史の大河の中に消えていったのである。


 M1およびM2の「発射機構ベース」、すなわちロアレシーバーに当たる部分の側面にアホみたいにたくさん大きなネジが並んでいるのはどうかと思いますし、本文での指摘通りフォアグリップのデザインはひどいと感じますが、まあステンよりはまだカッコいい感じで、背景を知らなければ第1世代サブマシンガンから発展したものには見えません。たとえばトンプソンは最終型でも第1世代のイメージからはほとんど抜けていませんよね。これほどまでに簡略化に向けた努力をしてもなお真正の第2世代サブマシンガンの生産性やコストには及ばなかったわけです。













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