ライジングサブマシンガン

 ライジングサブマシンガンについては以前ここで触れたことがありますが、あまり詳しい内容ではありませんでした。中国語のページに比較的詳しい記述があったんですが、残念なことにどういうわけか画像が表示されません。どうしようか迷ったんですが、文章だけでも情報価値が大きいと思うのでやはり紹介します。

雷興11.43mm系列沖鋒槍


太平洋の戦場の目撃証人 ライジング11.43mm系列サブマシンガン

この銃と海兵隊の結合はそれ自体が錯誤に他ならなかった。何故なら両者はお互いに相手に適していなかったからである。この銃は第二次大戦の特殊な時期に10万挺が生産され、これは少ない数とは言えない。もしも太平洋戦争を舞台とするハリウッド映画において、海兵隊員が手にするのがこの種のサブマシンガンでなかったら、史実に大きく背くことになるのだ‥‥

慌ただしく出陣して悪評に遭う

第一次世界大戦後の短い平和の時期、全世界が揃って軍備削減をアピールしていた。この時はまさに全世界経済が大不況の時期でもあり、アメリカもこれから免れ得なかった。軍事予算削減が必然的に起こり、兵器の更新も自ずと軍の要求通りには進まなかった。このことは第二次世界大戦前夜においてアメリカ軍の兵器の各領域全てにおける深刻な不足をもたらし、サブマシンガンも同様だった。

アメリカ軍のサブマシンガンと言うと、恐らく人々がまず思いつくのはトンプソンサブマシンガンあるいはM3サブマシンガンだろう。だが第二次大戦開戦前、トンプソンサブマシンガンですらアメリカ軍の需要を満足させられなかったのである。この文章で紹介するライジング(Reising)サブマシンガンは第二次大戦前に、少なくとも10万挺が生産されたが、アメリカ軍制式武器中のトンプソンサブマシンガンおよびM3サブマシンガンと比べると、その名声はずっと小さい。トンプソンサブマシンガンおよびM3サブマシンガンが第二次大戦の戦場に到着した時、ライジングサブマシンガンは前線から撤収させられ、太平洋の戦場で作戦行動する海兵隊と海軍の使用のため埋め合わせとして支給された。だが彼らに「スクラップ!」と罵られたのである。

それでは海兵隊が「スクラップ」と称したライジングサブマシンガンは果たして本当にそんなにひどかったのか? 本文を読めば、読者は自分で論理的に判断できるはずである。

地味な設計者、ユージン ライジング


アメリカ銃器史上、ユージン ライジング(Eugene Reising)の名声は大きいとは言えないが、20世紀前期に登場した大多数の拳銃、小銃の開発作業に彼は関与したことがあり、個人で60余項目の小火器設計および改良に関するパテントを持っていた。多くの功績を持ちながら質素で地味な設計家だったと言える。例えば、彼はかつて助手としてジョン モーゼス ブローニング開発によるM1911拳銃の最後の段階まで補助をした。だがM1911と言うと、ほとんどあらゆる歴史文献にはジョン モーゼス ブローニングの名前だけがあり、ユージン ライジングの名はない。ここからこの人の地味さが伺える。ライジングサブマシンガンはユージン ライジング最後の作品であり、唯一彼の名前をもって命名された銃器でもある。これは彼が設計した銃器中最も複雑な武器だった。

ユージン ライジングはその他の設計者と異なり、単純に銃器を設計するだけでは決してなく、出色のリボルバーおよびライフル射手でもあり、一生のうちに200近い射撃方面の賞を獲得した。

1920年以降、彼はサブマシンガンに興味を感じ始めた。この時アメリカはトンプソンM1921サブマシンガンを量産していた。M1921/1928系列が少数海兵隊に装備され、ニカラグア、ハイチ等中米の戦争で実戦使用が行われていた。ただしトンプソンサブマシンガンはジャングル勤務に関して言うと重すぎ、構造は複雑すぎ、さらにその生産コストは高く、比較的短い時間内に大量生産を行うのには適していなかった。このため、軍は構造が簡単で、かつ急速に大量生産を行うことができるサブマシンガンを必要としており、ライジングサブマシンガンの研究開発はちょうどその時に当たっていたと言える。

(頑住吉注:これより2ページ目)

尋常な設計理念の道を行かず

まさにドイツがポーランドに対する電撃戦を発動した1940年、ユージン ライジングはアメリカ東北部のハーリントン&リチャードソン武器会社(H&R Harrington & Richardson)でライジングサブマシンガンの最初の原型銃を設計、製造した。

ライジングサブマシンガンにはいくつかの独特な点がある。銃本体が比較的軽いことの他に、設計上ではボルト遅延後座機構およびクローズドボルトファイア方式を採用していた。サブマシンガンはきわめて近距離において掃射を行い火力制圧する必要があり、当時の大部分のサブマシンガンはオープンボルトファイア方式を採用していたのだが、射手出身のユージン ライジングは射撃精度が比較的低いオープンボルトファイアが我慢できず、クローズドボルトによる射撃正確性の実現を希望したのである。

トンプソンサブマシンガン同様、ライジングサブマシンガンもボルト遅延開鎖機構を採用している。ただし前者がH字型の遅延ブロックを採用していたのとは異なり、ライジングサブマシンガンは簡略化を進め、そのボルト機構はボルトプルバー(コッキングハンドルとつながっており、ボルトキャリアに相当する)とボルトからなっていた。ボルト後端下側には1本の斜めのミゾがあり、ボルトプルバー後端の斜めの突起と組み合わさっていた。ボルトがいっぱいまで前進すると、ボルトプルバー後端の斜めの突起がボルトの斜めのミゾと作用してボルト後端を持ち上げ、レシーバー内壁の閉鎖ミゾに入れて閉鎖状態を形成させる。AK47、M16等が採用しているボルト回転閉鎖等の剛性閉鎖(頑住吉注:フルロッキング)とは異なり、ライジングサブマシンガンは非剛性閉鎖(ハーフロック)に属する。すなわちチャンバー底部にかかる火薬ガスの圧力の作用下で、ボルトは本来ならば自ら開鎖できるはずであるが、レシーバーの閉鎖用の斜めのミゾの作用下で、ボルトは直ちに開鎖できず、1つの過程を必要とし、したがってボルトの遅延開鎖が実現されるのである。遅延開鎖機構を採用し、ボルトの慣性に頼ってチャンバーを閉鎖しているのではないため、ボルトの重量を軽減でき、したがって銃全体の重量も軽減できた。

この他、一般的な銃器と異なるのは、ライジングサブマシンガンのリコイルスプリングがボルト後方に設置されているのではなく、ボルトプルバーの間(ボルトプルバーは二股の形をしている)に置かれ、後端がマガジンハウジング固定軸にあてがわれている。この銃はハンマー撃発を採用しており、ハンマーは直動式でボルト後方に位置している。ハンマースプリング後端はレシーバー後部カバーにあてがわれ、レシーバー後部カバーをひねって外すと、ハンマースプリングとハンマーが取り出せる。

ユージン ライジングがH&R社でライジングサブマシンガンの量産を準備していた時、イギリスがまさにドイツによって空襲され、アメリカもすでに戦争を避けられなくなり、雰囲気はきわめて緊張していた。スミス&ウェッソン、コルト等の会社はすでにイギリスを援助する武器の量産を開始していた。他方において、H&R社は1941年末にライジングサブマシンガンの生産を日程に入れ、ちょうどアメリカが第二次大戦に参戦する時期と重なった。ライジングサブマシンガンは当初単なる援助兵器、政府による法執行、基地警備用の銃とされ、軍用銃とは考えられていなかった。

1941年夏、陸軍はメリーランド州のアバディーン武器試験場でライジングサブマシンガンに対するテストを行った。全てのテストは理想的な条件下で行われ、優れた成績でテストをパスした。だが、劣悪な条件下ではライジングサブマシンガンに操作不良の問題が起きるかもしれないと指摘する人もいた。当時陸軍が制式装備していたトンプソンM1928A1サブマシンガン、M1サブマシンガンと比べ、ライジングサブマシンガンには優位性が示されなかった。同時にM3A1サブマシンガンがすでに開発中だったため、陸軍はライジングサブマシンガンの購入計画を放棄した。

陸軍がテストを完了した1カ月後、海兵隊もライジングサブマシンガンに対し1回テストを行った。その詳細な結果は資料がないため知り得ないが、仮想戦場条件によって行われた厳格なテストではなかったとされる。海軍はトンプソンサブマシンガンの配備を強く希望したが、すでに参戦しておりトンプソンサブマシンガンの数量が需要を満足させられていなかったため、ライジングサブマシンガンを選択するしかなかった。これはライジングサブマシンガンと海兵隊、いずれにとっても不幸ななれそめと言えた。彼らはお互いに決して相手に適してはいなかったのだから。

この他、戦争上の要求により、海兵隊は海兵隊航空降下部隊を組織したばかりで、彼らは制圧力の高い火力を持つ武器を必要としていた。航空降下の特徴を考えると、彼らの携行する武器は軽便であることが必須で、航空降下の障害になってはならなかった。このためサブマシンガンが作戦中不可欠な武器となった。

ライジングサブマシンガンには固定式ストックを持つM50、航空降下兵専用の折りたたみストック付きM55(銃身長266mm)、もっぱら警備のためのセミオートオンリーのM60カービン銃(銃身長463mm)もあった。

H&R社は海兵隊の要求により生産した標準型M50(固定式ストック)の他に、航空降下兵専用の折りたたみストック付きM55も生産日程に入れ、これによりM55はアメリカ初の航空降下兵専用の銃器モデルとなった。

(頑住吉注:これより3ページ目)

長所短所が併存

ライジングサブマシンガンの各モデル中、生産数が最も多かったのはM50である。以下M50をメインとして、ライジングサブマシンガンの構造、性能を紹介する。

M50の全体重量は3kgしかなく(頑住吉注:M1A1トンプソンは4.8s、M3が3.7s、M1カービンは2.4s)、全長910mmである。トンプソンサブマシンガンはライジングサブマシンガンより短く、全長850mmだが、全体重量は逆に5kgある。M50の重量はより軽く、携行、操作に便利である。

M50にはマズルブレーキが設けられており、マズルブレーキ口部の下端は封鎖され、開口部は上を向いている。現在のサブマシンガンではこの種の設計は全く見かけなくなっている。

フロントサイトはブレード状で、ガードはない。リアサイトはピープ式で、調節式サイトの射程は46〜274m(50〜300ヤード)だが、有効射程は137m(150ヤード)である。

セレクターはレシーバー後端右側面に位置し、他のサブマシンガンにある旋回レバー式とは異なり、この銃が採用しているのはスライド式で、3つの位置がある。最前部位置はセーフティ(SAFE)、中間はセミオート(SA)、最後部はフルオート(FA)である。

この銃の理論的発射速度は450〜600発/分、トリガープルは相当重く、約40ニュートンである。

ライジングサブマシンガンの1つの大きな欠点はコッキングハンドルの位置であり、コッキングハンドルはストック前部下側の窪みに位置している。実戦中しょっちゅう砂山や地面の上に銃をレストさせたので、この部分に泥土が容易に進入し、きわめて操作性に影響しやすかった。ライジングサブマシンガンがコッキングハンドルをストック下部に設置した真意は、物体にひっかかることを避けるためだった。だが実際の使用から見ると、本来の意図は達成されていなかった。陸軍がライジングサブマシンガンに対して興味を感じなかった理由もまさにここにあった。事実、後のガダルカナル戦役において、かなりの兵士がこの問題に遭遇した。

ライジングサブマシンガンの内部に容易に汚物が入り、作動不良を招く原因の1つは、レシーバー内の窪みがカスで埋まり、ボルトが完全閉鎖できなくなる結果を招くことに他ならなかった。マガジンにも問題があり、内部は本来ダブルカアラムだが、送弾口に至ると1列に変わり、弾薬が2列から1列に変わる際にきわめて容易に詰まった。これはこの種のマガジンが故障を起こしやすい主な原因である。

セーフティにも一定の潜在的危険があった。セーフティが作用している時、発射機構中の中間介在部品をロックするだけで、トリガーおよびシアはロックされない。この時もしボルトが打撃を受けると暴発の可能性が大いにある。

ライジングサブマシンガンの長所は生産が簡便なことにあった。特別な生産設備を必要としないので、田舎町の小さな工場でも生産が行え、生産コストは1挺あたり50ドルだったという。一方M1928A1トンプソンサブマシンガンのコストは200ドルを超えていた。

(頑住吉注:これより4ページ目)

海兵隊の制式武器

1942年、海兵隊はライジングM50サブマシンガンを制式に選定し、まず2万挺を発注した。アメリカ海兵隊が採用したのは固定ストックを装備したM50サブマシンガンで、後に金属折りたたみストックのM55サブマシンガンが追加採用された。アメリカ海兵隊では、折りたたみストックのM55サブマシンガンは海兵隊航空降下部隊および通信部隊等の、小型軽量なサブマシンガンを必要とする部隊に供給された。アメリカ海兵隊がH&R社に発注したM50およびM55サブマシンガンの総数量は65,000挺だった。1943年年初の資料によれば、この時期までに、発注されていたライジングサブマシンガンのうち約52,000挺がすでにアメリカ海兵隊に装備されていた。これらのライジングサブマシンガンはアメリカ軍で使用された他、他の同盟国軍の使用のためにも供給された。この他、ライジングサブマシンガンはアメリカ国内の治安維持を担当する警察、刑務所の看守、軍事拠点の警備員の使用のためにも供給された。

第二次大戦中に生産されたライジングM50/M55サブマシンガンには、H&R社の名称が刻印された製品以外に、「DEFENSE SUPPLYCOMPANY」の刻印がある銃もある。実際にはこの刻印があるライジングM55サブマシンガンもH&R社によって生産されたものであり、秘密保持のためにわざわざ刻印されたに過ぎない。

1つの時代の産物

軍用品として、ライジングサブマシンガンは短命であり、その生産数は10万挺だった。戦争での使命を終えた後、その一部はスクラップにされ、他は援助物資としてカナダ、イギリス、エジプトおよびヨーロッパの各レジスタンス組織に送られた。ハリウッド映画の大作にこの銃が登場することは少ない。もしこの銃が登場したとしても、観客の注目を集めることはないだろう。ただし太平洋の戦場のガダルカナル、ブーゲンビル島戦役をテーマにした映画の中で、もし海兵隊員が登場時にライジングサブマシンガンを持っていなかったら、史実に大きく背くことになるのだ。

剛性閉鎖と非剛性閉鎖

チャンバー底部にかかる火薬ガスの圧力の作用により、ボルトヘッド(あるいはボルト)が自らチャンバーを開放できるか否かが、銃器の閉鎖機構を剛性閉鎖機構と非剛性閉鎖機構の2種に区分する。剛性閉鎖機構はボルトヘッド(あるいはボルト)とバレル後端あるいはレシーバーが、何らかの種類の機構によってしっかりかみ合って一緒にチャンバーを閉鎖し、武器の発射時、ボルトヘッド(あるいはボルト)がチャンバー底部にかかる火薬ガスの圧力の作用下で、自らチャンバーを開放することができない(すなわち自ら開鎖できず、その他の部品がボルトあるいはボルトヘッドを連動させて開鎖する)ものを指す。非剛性閉鎖機構はボルトヘッド(あるいはボルト)がバレル後端あるいはレシーバーとかみ合って一体化しておらず、ボルトの重量によってチャンバーを閉鎖し(閉鎖機構は「閉鎖しているがロックされていない」あるいは「ロックされているがしっかりとではない」状態)、チャンバー底部にかかる火薬ガスの圧力の作用下でボルトヘッド(あるいはボルト)が自らチャンバーを開放できる閉鎖機構を指す。いわゆるボルトヘッド(あるいはボルト)回転式、プロップアップ式、ショートリコイル式、ボルト横動式、トグルロック式等の閉鎖機構は剛性閉鎖機構に属する。慣性閉鎖式、機械遅延開鎖式、気体遅延開鎖式等の閉鎖機構は非剛性閉鎖機構に属する。一般に威力が比較的小さい拳銃、サブマシンガン等が非剛性閉鎖機構を多く採用しており、一方小銃、機関銃等は剛性閉鎖機構を多く採用している。

ライジングサブマシンガン主要諸元

銃器モデル M50 M55
口径 0.45ACP
自動方式 半自由ボルト式
全長 910mm 565mm
全体重量 3kg 2.84kg
マガジン容量 12/20発
照準長 470mm
発射速度 450〜600発/分
トリガープル 約40ニュートン

 助監督として多くの名作を手助けして生み出したが、監督に昇格して映画を撮ったら駄作だった、という感じでしょうか。まあそんな人もいますよね。

 当時においてサブマシンガンに命中精度を求めたのはややピント外れだったと思われ、名射手であったことがむしろマイナスに作用した皮肉な結果です。



















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