「台湾人民共産党」成立

 何か非常に特異なことかと思ったんですが読んでみると‥‥。

http://military.china.com/important/11132797/20170204/30230830_all.html#page_2


台湾人民共産党、台南で成立:九二共通認識の堅持を主張

【視察者ネット総合】 台湾連合ニュースネット2月4日の報道によれば、台湾人民共産党が今日台南市新営区で成立大会を行い、今回の「立法委員」選挙に参加して敗れた大陸の台湾商人である林徳旺がトップを担当する。林徳旺は、台湾人民共産党のポリシーは現代式社会主義の経済発展、九二共通認識の堅持、両岸の平和推進を主張することである、とする。

大陸の台湾商人である徳旺にかつてあったもう1つの身分は国民党中央委員であるが、指名を獲得せず党を脱退したため、無所属で今回の台南市第1選挙区の「立法委員」選挙に参加した。彼は、国民党は腑抜け、民進党は均しく貧しくし、このため自分は台湾人民共産党を成立させて経済を発展させる、とした。

言われているところによれば、台湾人民共産党という政党の名称は元々「台湾中国共産党」名義で申請されたが、台湾「内務省」が返信して、台湾地域人民と大陸地域人民の関係に関する条例など関連の法令に依拠し、名称は慎重に斟酌すべきだとした。このため今日正式に成立する時には「台湾人民共産党」と改名され、かつ台南新営区小園レストランで成立大会を行ったのである。

(頑住吉注:原ページのここにある画像のキャプションです。「2月4日、台湾人民共産党が成立し、台湾商人である林徳旺(右)によりトップが担当される。ソース:台湾連合ニュースネット」)

成立大会には、元新営市長の李宗智、元台南県「議員」の黄金庸など100人近くが出席し、さらに林という姓の民進党員が出席し、この人は「民進党の執政成績は劣り、ちょっと見に来ただけだ」とした。さらにある人は、友達に熱心に誘われ、来ないのは悪い、と称した。一方レストランの人員は、「怖すぎる、共産党だぞ、あえて来る人がいるか?」と語った。

台湾「内務省」人員の言によれば、「中国」との言葉は比較的デリケートだが、共産党の支持は言論の自由の範囲である。「内務省」人員はさらに、この党組織の綱領にはまだいささかの規定があるべきだが、まだ規定されていない事項は、成立大会後にさらに関連の資料を補充して揃えることが必須である、とした。

大陸の台湾商人である林徳旺のもう1件の「有名」な事柄と言えば、2014年に林徳旺は自らの大陸のナンバープレートの車を自ら運転して台湾を旅行することを計画し、この車は正規のルートを通じて台湾に到着した。しかし当時ある台湾のネット民がこの写真をネット上にアップし、いくつかのメディア(頑住吉注:辞書にも載っておらず検索してもヒットしない言葉が続き意味不明)台湾島内の「喧騒」を引き起こし、ある人は大したことはないと思い、ある人は政府のでたらめなやり方に驚いて叫び、甚だしきに至ってはこれを「大陸の統一戦」と称した。

最終的に、林徳旺の宝島を自分で運転しての旅はこれにより夭折した。9月23日朝、彼はかの大騒ぎを引き起こした「雲A378TW」メルセデスで台北港を出発して大陸に戻り、彼はメディアに向け、「両岸の交流は停止しないだろう。私は以後機会があればさらに車を運転してまた来る。規定に符合しさえすれば、大陸の人が来るのを招待もするだろう。」とした。

Wikipediaの「中華民国政党リスト」がはっきり示すところによれば、現在台湾地域には310の大小の政党があり、30名の党員さえいればすぐに政党成立を申請できる。その中で、現在4つの「共産」をもって命名した政党が登記されており、すなわち「台湾共産党」、「中華民国共産党」、「中国共産連盟」、「台湾民主共産党」である。

1994年には早くも、台湾の農民で、元民進党のキャリアの長い党員だった王老養が台南県新化鎮「共産山庄」に「台湾共産党」を成立させた。だが台湾当局は「非合法」を理由に、それに対し登記登録を行うことを拒絶した。2008年台湾「裁判官会議」が「憲法解釈」を通過させ、この党はやっと最終的に「合法政党」となった。台湾共産党は2,000人あまりの党員、外周の近親者約20万人がいると称し、自称「最も正統な共産党組織」である。王老養の島内での知名度は相当に高く、しばしば「共産党」の大きな字をプリントし、赤旗を挿した看板のようなトヨタ車を運転して島内で宣伝を行っている。

2009年3月末(注:「中華民国政党リスト」がはっきり示すところによれば、その時期は2008年12月である)、台湾「内務省」は「中華民国共産党」成立に同意し、陳水扁のいとこである陳天福が同党の「総書記」に就任し、党の旗は中華人民共和国の国旗を直接用いた。だが、たった5ヶ月あまり総書記を担当した後、陳天福はもう自分の支持者は共産党の前に「中華民国」の文字を加えることを受け入れられず、加えて自分は島内で実権がなく、このため自分が実質的な指導権を持つ新政党を成立させることを決定した、と宣言した。

(頑住吉注:原ページのここにある画像のキャプションです。「台湾人民共産党成立大会に、100人近くが出席。ソース:台湾連合ニュースネット」)

2009年10月1日、陳天福が一手に主導する「台湾民主共産党」が正式に成立した。陳天福の言い方によれば、10月1日は中華人民共和国成立60周年の日で、彼が当日を選んで「台湾民主共産党」を成立させたのは、大陸の同胞たちに祝日の喜びを祝福し、中華民族が中国共産党の指導の下で輝かしい道を行くことを祈ろうとするものである。この党は党綱領の中で、党の公職人員は「事実に基づいて真実を求め、時流に乗って栄える」の精神をもって人民のために奉仕すると強調し、その党の旗も中国共産党の党の旗と基本的に一致し、党のマークの下にごく小さな緑色の台湾島の図案を加えただけである。陳天福はかつて、2年内に自らの人民代表選挙参加者を登場させると言明したが、今に至るもいかなる党員幹部も台湾政界に参加しておらず、影響力には依然限りがある。

2009年8月に成立した「中国共産連盟」には有名人効果もなければ、民進党・国民党陣営のどちらの側に立つか選択する連帯関係も欠け、成立後すぐに音沙汰がなくなった。現在党員は300人を超えず、成立目的は被災民救済をメインとし、積極的に共産主義思想を宣伝し、万物は平和的に共存できると信じ、台湾のあらゆる政党の中でマルクス主義を宣伝すること最も積極的な政党だが、この党にもいかなる政界を代表する人物もいない。

2008年当時海峡両岸関係協会(頑住吉注:大陸の台湾関係の組織)会長の任にあった陳雲林が初めて台湾を訪問し、「台湾共産党」が動員した支持者は陳雲林が宿泊するホテルに行って歓迎し、かつ「共産党は共産党を歓迎する」の旗を出し、一時は「独立派」の暴言を吐く隊伍の光彩を奪い尽くした。


 これまでも「共産」とつく政党は3つもあったんですね。しかし今後あわよくば大陸の支配下に入った後自治政府のトップに起用されることを期待してこうした活動を始める人が増えていくかも。




















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