中国とモーゼルミリタリー以外のオートピストル

 ちょっと困ったことがあります。この文章、そもそものテーマでありタイトルにもなり文中で半端なく頻出する2文字の言葉に日本語にない漢字が使われてしまっています。原ページを見てください。手偏に魚、その下に日です。どうしようもないのでカタカナの近い音で「ルーズ」と表記します。

http://blog.163.com/dandandang2010@126/blog/static/140949716201051145036260/


「ルーズ」伝奇

(頑住吉注:原ページの最初の画像のキャプションです。「映画「小兵張○」の中の、主人公が鹵獲した「槍牌ルーズ」」 ○も日本語にない字です。抗日戦で勇敢に戦った少年の話らしいです。複数回映画化されてるようですが、 http://imgsrc.baidu.com/baike/pic/item/dc15484e32853e45b2de050f.jpg これは十四年式ですよね。 http://a3.att.hudong.com/86/05/01300000280411125585058467227.jpg これは何でしょう。九四式かと思いましたがちょっと違いますよね。)

映画「小兵張○」を見たことのある人なら、劇中に何度も出てきた「ルーズ」の印象が非常に深いに違いない。「ルーズ」という言葉が国内で使用される広範さの程度は「盒子砲」と肩を並べ得る。多くの革命の先輩たちが当時の戦いの生活を回想する時も、往々にして「ルーズ」を使って彼らの使っていた拳銃を呼ぶ。それでは、「ルーズ」とは一体どんな銃なのか? また何故「ルーズ」と称するのか?

「ルーズ」という呼び名の起源

一部の人は「ルーズ」の呼称はドイツのルガーP08拳銃から始まったと考えている。「ルー」はルガー(Luger)の音訳だというのである(頑住吉注:「ルー」に続く「子」は中国語でよく使われるあまり意味のない接尾語です。日本語の古い方言にある「嫁っこ」、「どじょっこだのふなっこだの」の「っこ」と関係があるのかないのか気になってます)。この説は少なくとも一面的な見かたを全体に当てはめ過ぎである。何故ならP08は国内でも一部使用されたが、この銃の特徴は精細複雑、価格が非常に高いということで、原産国ドイツでも普及しなかったし、国内に流入した数量はさらに少なかった。当時国内でより歓迎されたのは、構造が簡単、コピー生産に便利、同時に価格が低廉な自動拳銃であって、このためP08は国内拳銃の主流には終始なり得なかった。同時にP08拳銃には「Luger」の文字は刻印されておらず、音訳と「ルーズ」を関連付けるのは不可能である(頑住吉注:ドイツ語の文章でもこの銃は「ピストーレ08」、「パラベラムピストーレ」と呼ばれることの方が多いです)。

(頑住吉注:原ページのここにある画像のキャプションです。「銃身長それぞれ100mm、120mm、140mmのルガーP08型拳銃。この銃は国内ではあまり見られず、しかも一般にショートバレル型だった。」 モーゼルミリタリーが普及したのはピストルが禁輸対象になっておらず、拳銃の中でメインウェポンに向いていたからだ、ということでしたが、それならストック付きでロングバレルのルガーも普及してよかったのでは。)

実際には「ルーズ」はある1種類の特定の拳銃を指すのではなく、一群の拳銃の総称である。かつて国内で使用された拳銃の種類は多く、その中で「盒子砲」および各種のリボルバーは特徴が鮮明なため区別が容易だったが、その他の各種自動拳銃の外形はいずれも比較的似ていた。だが一生に何度も銃を見ないような庶民でも容易に外形輪郭から「盒子砲」やリボルバーとその他とは区別できた。このためこれらがまとめて「ルーズ」拳銃と呼ばれたのである。語源から言うと、「ルーズ」は明らかに長江以北の地方の言い方で、北方の言葉では「ルー」という字には「素早く抜く」という意味があり、この字が銃を指すことが有り得る。何故なら「盒子砲」やリボルバーはサイズが比較的大きく、有事の際に銃を身に着けている状態から抜き出すスピードが比較的遅かった。一方相対的に短小精悍な「ルーズ」は「ルー」一挙動ですぐに取り出すことができ、「ルー」はこの種の拳銃の抜くのが早い特徴を表現していた。「ルー」の字はさらにチャンバーに装填する動作にも用いることができた。何故ならこの種の拳銃には使用時に1つの共通した特徴があるからだ。それはすなわち手で後ろに向け軽くスライドあるいはボルトを引いて弾薬をチャンバーに入れるのが必須だということで、1回「ルー」するだけで拳銃は発射準備状態になった。これはリボルバーのハンマーをコックする動作とははっきりした区別がある。このため、「ルーズ」は「ルー」というこの動作のために命名されたのであり、「ルー」一文字でこの種の自動拳銃の特徴をおおざっぱに言い尽くしている。この中の妙味はまさに言葉では伝えられない。このため、「ルーズ」はこれらマガジンがグリップ内にあり、スライドあるいはボルトを引くだけで弾薬をチャンバーに入れて発射準備状態にできる自動拳銃の総称と言うべきである。

さまざまな形式の「ルーズ」

種類の多い「ルーズ」拳銃の機種をどうやって識別するか? 口径、外形を除き、最も信頼できるものとしては銃自体にある商標や刻印の表示に勝るものはない。今日ならば、これらの文字、符号、図案の組み合わせの意味を専門家や各種資料に頼って正確に理解できる。しかし過去の人々の教育レベルが普遍的に比較的低かった状況下では識別の難易度はなおさら推して知るべしである。特にこうした形状やサイズがいずれも大差ない「ルーズ」に関して言えば、どうやれば便利に区別できるだろうか? 当時の人々は止むを得ず変則的方法をとった。それは異なる銃の間の差異に基づき、これぞれ「ルーズ」の前に簡単で短い限定詞を加えるというものに他ならず、区別に便利でもあったし、イメージで覚えやすかった。

(頑住吉注:原ページのここにある1枚目の画像のキャプションです。「当時国内で最も常用された3種のブローニング拳銃。上からブローニングM1900(「槍牌ルーズ」)、ブローニングM1903、ブローニングM1906。このうちM1900は軍、民両用拳銃、M1906は民間用、M1903は軍用拳銃である。」 続いて2枚目。「国内で独自にコピー生産された「槍牌ルーズ」。オリジナル品と比べ、明らかに工程的にずっと粗雑である。」)

この中で最もよく見られる命名方法は、銃のある突出した外形上の特徴に重点を置くものだ。この特徴は銃にある何らかの種類の図案(主に商標)でもいいし、その銃の外部にある他の多くのものとは異なる何らかの部品でもいい。以前国内で「ルーズ」のブランドに言及する時によく言われた、「一槍二馬三花口」は、実際には、「槍牌」、「馬牌」、「花口」の3種の拳銃を指していた(頑住吉注:「一富士二鷹三茄子」みたいなもんです)。3つの名称はいずれもこの3種の拳銃それぞれの特徴に基づき、「オーダーメイド」されたものである。「一槍」はブローニングM1900拳銃を指す。この銃はグリップパネルの上部とフレーム左側に小さな拳銃の図案があり、このため「槍牌ルーズ」と称された(頑住吉注:原ページのM1900のグリップは上部にFNマークがあるタイプですが、私がモデルアップしたタイプは銃の図案があるものでした。実物からの型取りです。)。「二馬」はすなわち「馬牌」ルーズであり、アメリカのコルトM1903/08型拳銃を指す。この銃はコルト社がブローニングの生産権を買い取って独占的に生産したものである。コルトの字面上の意味は仔馬で、このためこの会社は一頭の前足を上げて立った馬を商標にしており、その製品のスライド、グリップ等の個所にこのマークがある。「三花口」はブローニングM1910拳銃を指す。この銃のバレルブッシング前端には放射状の滑り止め紋がぐるっと加工され、分解が便利である。このためこの銃は「菊花口」拳銃、略称「花口」と称された(頑住吉注:ん? 何故これは「花口ルーズ」じゃないんでしょう)。だがこの種の方法は科学的ではなく、同一の呼称に対応するのが全く異なる2種類の拳銃であることもあった。例えば「野人牌ルーズ」は、アメリカの「サベージ」拳銃であるかもしれなかったし、フランスのサントエティエンヌ兵器工場が生産した「守護神」拳銃であるかもしれなかった(頑住吉注: http://en.wikipedia.org/wiki/Manufacture_d'armes_de_Saint-%C3%89tienne これ見ても分かりません)。両者はいずれもグリップにインディアンの頭部のマークがあったのである。

(頑住吉注:原ページのここにある1枚目の画像のキャプションです。「抗日戦の期間に広西興安県で墜落大破したアメリカ軍機にあったコルトM1911A1「大眼ルーズ」」 続いて2枚目。「上海公安博物館に展示されている、建国初期に我が党の高級指導者が使用した拳銃。左は中国共産党中央華東局書記劉曉同志が1950年に使用した「花口ルーズ」、右は上海市副市長潘漢年同志が1951年に使用した「馬牌ルーズ」。」)

別の種類の命名方法は銃器の産地およびメーカーの音訳に着眼したものだ。例えば昔の中国に輸入された自動拳銃の大部分はアメリカの銃器の大家ジョン モーゼス ブローニングの設計によるもので、ブローニングは銃のブランドでもあり、品質の保証でもあった。このためこの種の拳銃は直接「ブローニングルーズ」と総称された(頑住吉注:「ボーランニン」に近い感じですが)。産地によって命名された典型例は、「カナダルーズ」である(頑住吉注:「ジアナーダー」)。この銃は第二次大戦の期間にカナダのイングリス社が代わって生産したブローニングM1935ハイパワー拳銃である。この銃の特殊なところは、この銃が純粋なコピー生産品ではなく、中国サイドの要求に応えて新しく設計して生産されたことである。この他、ドイツで生産された多種のポケット自動拳銃もしょっちゅう「徳国ルーズ」(頑住吉注:「デーグォ」)と総称された。

(頑住吉注:原ページのここにある画像のキャプションです。「カナダが中国政府のために代わって生産したブローニングM1935拳銃、すなわち「カナダルーズ」。この銃はスライドに「中華民国国有」の文字が刻印されている。」 これ昔マルシンがモデルガン化してましたね。木の板を切り抜いて作ったストックに革製ホルスターが付属したものもあったはずです。)

銃自体の何らかの性能上のデータ、特にマガジン容量等のために名付けられたもの、例えば「七星ルーズ」、「八音ルーズ」、「十子連」等もある。それらの大多数はブローニング系列拳銃およびそのコピー生産品の別称で、「七、八、十」はいずれもそのマガジン容量から来ている(チャンバー内の1発を含むこともある)。「十子連」は一般に、上海、湖南、鞏県等の兵器工場が生産あるいは試作した拡大版ブローニングM1900で、装弾数はこれに合わせて10発まで増加していた。ブローニングM1922拳銃を指すこともあり、これはこの銃のマガジン容量が9発で、チャンバー内の1発を加えればちょうど10発だったからである。

(頑住吉注:原ページのここにある画像のキャプションです。「国内で使用されたその他の2種のブローニング拳銃。上はブローニングM1910(「花口ルーズ」)、下はブローニングM1922(「十子連」)。」)

「ルーズ」はバレルがスライド内に包まれて収納されている拳銃だけを指すと考えている人もいるが、実はそうではない。いくつかの拳銃は露出式バレルであるにもかかわらず「ルーズ」と呼ばれる。例えば通常呼ばれる「王八盒子」はすなわち日本の南部14年式拳銃だが、いくつかの地方では「鶏腿ルーズ」と呼ばれた。何故ならこの銃はバレルが細長く、木製のグリップが相対的に大きく、さかさまにして見ると外形がやや鶏腿に似ていたからである。独特の肘関節式閉鎖原理を採用したルガーP08拳銃は、開鎖時に前腕部がヒンジ軸によって上に起き上がり、バレルエクステンション上方に突出する。ちょうど銃の上部が「羅鍋」(ラクダの背中)のようになり、このため国内では「羅鍋ルーズ」とも呼ばれた。

(頑住吉注:原ページのここにある画像のキャプションです。「「鶏腿ルーズ」と呼ばれた南部14年式拳銃」 いやまあ確かに想像力の豊かさには感心しますな)

この他に1点指摘する必要があるのは、「ルーズ」は小型拳銃だけを指すのではなく、いくつかの大型軍用自動拳銃も「ルーズ」と呼ばれることだ(頑住吉注:私の持っている辞書でも小型拳銃のこと、となってます)。前述の「カナダルーズ」の他にも、さらに同様の例として第二次大戦末期に国内に導入されたアメリカのM1911/1911A1型コルト拳銃がある。この銃は「大眼ルーズ」と呼ばれた。その名は巨大な11.43mmの口径から来ており、ブローニング拳銃によく見られる6.35mmや7.65mmの倍近い。しかも未装填時の全体重量が1.13kgで、これも「花口ルーズ」の倍近く、サイズが大きくないとは言えない。このためこれを基礎に、さらに「ルーズ」の別の大雑把な分類方法が発展して生じる。すなわち寸法あるいは号数による分類である。ブローニングM1906のようなポケット拳銃は、通常全長が10cm前後で、「四寸ルーズ」あるいは「小号ルーズ」と呼ばれる。ブローニングM1900、M1910のたぐいの中等サイズの自衛拳銃は、「六寸ルーズ」あるいは「二号、三号ルーズ」と呼ばれる。一方フルサイズの軍用戦闘拳銃、例えばコルトM1903、M1911等は、「頭号ルーズ」と呼ばれる(頑住吉注:サイズがトップクラスの、といった意味でしょう)。

「ルーズ」の優劣を比較する

「ルーズ」は大同小異ではあるけれども千差万別でもある。分類の基本となる基準は当然銃そのものの品質と使用性能であり、その次に生産国やメーカーの区別もある。人々はよく「一槍二馬三花口」を「ルーズ」の中で先頭に立つ三者だと思うが、実はそうではない。「一槍二馬三花口」というのはこの三者の設計年代に照らして便利に記憶するための、簡単な語呂合わせに過ぎず、本来は高低優劣の評価ではない。その設計に関して言うと、、その中で最も完璧なものに属するのは「馬牌」、第二位が「花口」であり、「槍牌ルーズ」は設計年代が比較的早く、加工コストや信頼性の上でやや劣っている。もしこの並べ方に従えば、新しい並び順は、「一馬二花口三槍」になるべきである。これではやや言いにくいきらいを免れず、このため通常人々がよく口にしている方がやはりいい(頑住吉注:通常言われる方は「イーチャンアルマーサンファーコウ」といった感じ、本当にいい銃の順に並べた方は「イーマーアルファーコウサンチャン」といった感じで、何となく語呂の良し悪しは分かりますよね)。20世紀前半の中国は各種の内憂外患が続き、戦争が頻繁で、各種の拳銃に対する需要量は大きかった。また本来警察用、民間用がメインのブローニング拳銃は基本的に軍用銃器禁輸制限を受けず、輸入ルートは比較的多かった。加えて隣国日本でもブローニング拳銃の使用が広範で、このためブローニングおよび各国のコピー生産品が大量に中国マーケットに入ってきていた。1927年を例にすると、当時毎月国内にベルギーから購入されたブローニング拳銃は人を驚かせる1500〜2000挺に達し(頑住吉注:微妙。そんなに多くない感じですが)、その数量は「盒子砲」のすぐ次であり、しかもこの中にはその他の国から購入されたものは含んでいない。

(頑住吉注:原ページのここにある1枚目の画像のキャプションです。「ドイツのウェイアルカー社が生産した三種類のサイズのオルトギース牌拳銃。口径には6.35mm、7.65mm等がある。この銃は頻繁に「蛇牌ルーズ」と誤って呼ばれるが、実際にはこの銃の商標の図案は尻尾を持ち上げたヒョウであり、蛇ではない。」 http://www.littlegun.info/arme%20allemande/a%20deutsche%20werke%20gb.htm 「ウェイアルカー社」というメーカー名は何のことやら分かりません。この銃は開発者自身の会社Ortgies&Co.、その後「Deutsche Werke」つまりドイツ工場というメーカーで生産されたはずです。続いて2枚目。「ドイツのウェイカーアル社が生産したモーゼルM1934 6.35mm自動拳銃。この銃は前身のM1914型同様、スライド前部上方が開放されており、このため「張嘴○」と総称された。」 ○は足偏に登です。この名称については後で出てきます。今度はメーカーが「ウェイカーアル社」ってなってますが当然これはモーゼル製品のはずです。なお「ウェイアルカー」と「ウェイカーアル」は3文字の漢字が同じで順番が変わってるだけです。)

ブローニングの有名な名前は国内で普遍的に崇拝されるに至り、このため各種のブローニング拳銃は、「ルーズ」の中で真っ先に選ばれるブランドだった。国内に輸入されるブローニングはFN工場のほとんどあらゆる製品を包括しており、特に軍事行政要員や高官たちが使用する自衛拳銃はさらに供給が追いつかず、このためドイツ、アメリカが生産した同類の拳銃の輸入需要もこれに続いた。国内には清朝末期からドイツの武器弾薬が輸入され始め、しかもドイツ製銃器はずっと加工が精緻で品質に信頼がおけることで名高かった。名声かくかくたるモーゼル「盒子砲」の他、ポケット版の「徳国ルーズ」も輸入の主力で、そのブランドは多かった。このうち有名なものには、「ワルサー」、「オルトギース」、「シュマイザー」(頑住吉注: http://www.littlegun.info/arme%20allemande/a%20haenel%20schmeisser%20gb.htm )、「リリパット」、「ドライゼ」等々が含まれた(頑住吉注:中国語の漢字表記からメーカー名推測するのにえらい時間かかってます)。一般に全て6.35mm口径で、しかもその構造は完全にブローニングの設計に局限されているわけではなく、一部は相当に特色があった。その中で「リグノーゼ」拳銃の片手でチャンバーに装填する機構は60年余り後に国内で設計された77式拳銃の手本にさえなった。この他、ブローニングM1906のコピー生産品の中で品質が比較的よいものにはアメリカのコルトポケット拳銃、およびチェコの「Z」型自動拳銃(頑住吉注: http://www.littlegun.info/arme%20tchecoslovaque/a%20cz%20brunner%20gb.htm )等もあり、国内でも多用された。

(頑住吉注:原ページのここにある1枚目の画像のキャプションです。「上海公安博物館が収蔵している解放前に輸入された「ルーズ」の中の1つの重要な類型。すなわちイタリアのベレッタ系列のポケット自動拳銃。」 続いて2枚目。「国内の「ルーズ」の中でもレアではないものの多くは見られない種類。すなわちハンガリーのFegyvergyar兵器工場が生産したフロンマー「無敵牌」6.35mm自動拳銃。」 これはフロンマー ベビーですが、何故「無敵ブランド」なのか分かりません。こんなのがレアというほどでもないというのも意外です。 続いて3枚目。「上海公安博物館に収蔵されているスペインのアストラ自動拳銃。この種の「盒子砲」と自動拳銃の特徴を併せ持つ武器は「機頭ルーズ」と呼ばれることがあった。原因はこの銃がはっきりした露出式ハンマーだったからである。」 「機頭」は飛行機の機首といった意味もありますが、この場合は機械のヘッド部分ということでハンマーを指しているんでしょう。)

各種のルートを通って国内に流入した雑多なブランドの拳銃の数量はかなりのものだったので、「一槍二馬三花口」のような言い方がさらに一歩発展し、「四蛇五狗張嘴○」(頑住吉注:最後の文字はさっき出てきた足偏に登です。なお中国語の狗は犬のことです。発音は「スーシェーウーゴウジャンズイドン」といった感じで、やはり語呂が良さそうなのが分かりますね)が加えられた。これらもそれぞれ一種類の「ルーズ」を指す。その中の「蛇牌」はドイツのザウエルポケットピストルを指す。その一部のモデルのグリップにある商標は二匹の重なり合った蛇の形の頭文字「S」で構成されており(頑住吉注: http://www.littlegun.info/arme%20allemande/sauer%20and%20sohn%20cal%206.35mm-01.jpg ザウエル&ゾーンの頭文字ですね)、ゆえにこの名を得た。「狗牌」は実際にはスペインが生産した「快速牌」拳銃で、グリップに走る犬の図案があった(頑住吉注: http://www.littlegun.info/arme%20espagnole/a%20a%20images%20armes%20espagnoles%20gb.htm ここ一応全部のページ確認したんですがそれらしいのが見当たりません)。「張嘴○」はドイツのM1914/1934型7.65mm拳銃を指す。この銃の特徴はスライド前端が完全に開放され、バレル上半分が外部に露出していることで、前から見ると口を開いたようであり、「○」はこの銃の排莢がてきぱきしていることの形容である。「一花二馬三花口、四蛇五狗張嘴○」はいずれも当時の「ルーズ」の中で品質が比較的よかった一群で、高級品に属していた。特にその中でもドイツ、アメリカ製品は今日まで残った数量と品種が多く、上海公安博物館はこれだけの展示コーナーを作って展示を行っているほどである。

(頑住吉注:原ページのここにある1枚目の画像のキャプションです。「国内に出現したことのある「ルーズ」の中で外形がかなり特殊なもの。図に示すのはフランスのFrancais社が生産した6.35mmFrancais警察用拳銃。」 続いて2枚目。「スペイン製の「ルビー」7.65mm自動拳銃。この様式の拳銃は構造が簡単なため、かつて一度非常に流行した。」 ルビーというのは特定のメーカーのブランドではなくこの種のものの総称だったようです)

高級な「ルーズ」は当時国内で供給が需要に追いつかず、価格が非常に高かった。輸入された完成品のブローニング「四寸ルーズ」の販売価格は80〜100元に達したことがあり、上海兵器工場でコピー生産されたブローニング拳銃でさえ1挺買うには30〜42元を要した。一方同時期に輸入されたドイツ製モーゼルオリジナル「盒子砲」はフルセットと500発の弾薬込みでさえ70元前後に過ぎなかった(頑住吉注:それは意外。どうしてコストの安いはずのブローニングの方が高かったんでしょうかね)。このためスペイン、ポルトガル等の国から来た各種無名ブランドの拳銃が大量にあふれ、低価格で国内市場を奪い取った。その中で最も安いものは3.75ドルしか要さず、ブローニングオリジナルの1/6にもならなかった。1920〜30年代、スペインの拳銃生産業は非常に発達し、自転車工場でさえ銃器製造に転じ、その製品のタイプとブランドは牛の毛のごとしだった。ブローニングM1906を模倣およびアレンジした製品だけでも数十種あり、国内に出現したことのある6.35mm口径の銃には、(頑住吉注:列挙されてるので原ページを見てください。無名ブランドを中国語表記から特定するのは無理です)自動拳銃等があり、7.65mm口径には(頑住吉注:これも同じ)があった。これらの拳銃の品質にはばらつきがあり、一部は加工が精緻で、あるものは粗製乱造だった。一部の部品には砂型で鋳造されたものさえあり、こうしたものは一般に「ルーズ」の中の低級品で、国内では往々にして「三塊鉄」と称され、その作りの低劣さが形容された(頑住吉注:バレル、フレーム、スライドという3つの屑鉄の塊、といった感じでしょう)。

工業水準の制限を受けて、解放前に国内で自力でコピー生産された自動拳銃も大部分が低級「ルーズ」に属した。これらの拳銃は基本的に部品数が少なく、生産が容易なブローニングをコピー元としていた。大規模な兵器工場で生産されたものもあり、上海、金陵兵器工場がコピー生産した1万挺近いM1900の品質は比較的よかった。一方当時の多数の小規模工場や民間の作業場でも昔ながらの方法で各タイプの「ルーズ」が製造され、様式や刻印は多種多様で、意味不明の外国語の文字が刻印されているものもあったが、加工や品質は一般に比較的劣っていた。同一機種の「ルーズ」でも往々にして産地やメーカーが異なったため、グレードにも差があった。例えば国内でよく見られた7.65mm「ルビー」自動拳銃は、最初はスペインで生産され、フランスの同類製品の品質はさらに少しよく、一方国内でコピー生産されたものは最も粗末で、このため国内の人に地位最低に見られた。

「ルーズ」の使用

「盒子砲」とは異なり、昔の中国の各タイプの「ルーズ」は軍隊の普遍的装備には終始ならなかった。主な原因は下級将校や兵士が1挺で多用できる「盒子砲」をより信頼していたからで、6.35mm、7.65mm口径がメインの「ルーズ」は自衛に使うならまだよかったが、進攻性は威力がより大きい「盒子砲」に明らかに及ばなかった。この種の状況は抗日戦後期、大威力の「カナダルーズ」やコルトM1911が国内に入ってきた後では一部様子が変わったが、これらの「ルーズ」の供給源は限られ、またちょうど連合軍内で淘汰された大量のリボルバーが流入し、このため最終的に趨勢となることはなかった。20世紀前半を通じて、国内で使用された「ルーズ」はやはり中、低威力の拳銃弾薬を使用する自衛拳銃が多数を占めた。当時「ルーズ」の使用者には主に三種類があった。1つは軍隊の中の比較的ランクの高い将校である。2つ目は特殊任務を担当する人員、例えば偵察員、秘密工作員および警察の捜査担当者である。3つ目は各種の政界要員と富裕な商人、地方有力者である。持っているのがどんな「ルーズ」でも、当時の国内では面子を高く保てる事情があり、単に人をうらやましがらせただけでなく、往々にして使用者のステータスシンボルにもなった。この点を理解すれば、「小兵張○」の中で○君が何故力を尽くしてでも自分の「ルーズ」を持ちたがったのかの原因はすぐ分かる。

(頑住吉注:原ページのここにある画像のキャプションです。「抗日戦当時の国産タバコのイラスト。謝晋元と800人の孤立した軍が四行倉庫を堅守した物語が元になっている。絵の中の将校が使用しているのは明らかに何らかの種類の「ルーズ」拳銃である。」 「四行倉庫の戦い」という日本語版「Wikipedia」のページもある有名な戦いで、当時中国人の戦意高揚に寄与したということです。指揮官はドイツ風、兵はイギリス風のヘルメットをかぶっているように見えますが、実際そうだったんでしょうかね。)

何故「ルーズ」は上述の三種類の人々の歓迎を受けるに至ったのか? これは主にこの種の拳銃のサイズが小さく、軽くて精巧であり、平時には手に取って鑑賞でき、重大事態の時は自衛にも使え、将校に関して言えば軍服の装飾の1つの構成部分にもなったからである。中華民国時代、国内社会は不安定で、匪賊が横行し、民間のいくらかの財産や身分のある人は身を守る目的で往々にして「ルーズ」を買った。国父と尊敬される孫中山氏(頑住吉注:孫文)もモーゼルM1914、ブローニングM1906等多くの拳銃を身につけて不測の事態に備えていた。その中のブローニングは今日に至るもなお上海公安博物館に保存されている。当然これの力を借りてその勢力や輝かしい地位を顕示もした。一方特殊な使命を帯びた人員に関して言うと、「ルーズ」のコンシールドキャリーしやすい性質こそが重要なカギだった。沙家浜新四軍博物館には、中身をくりぬいた「京劇考」という本の中に隠された小型ブローニング拳銃が保存されている。これは当時の石楚材という名のある地下工作者が敵の捜査をかわすために本をくりぬいて武器を内部に隠す方法を考え出したものである。この種の「四寸ルーズ」の体積は一箱のタバコよりやや大きいだけで、長さは成年男子の手のひらよりずっと短く、もし手の中に握っていても人の注目は引かなかった。同時にその外形は平滑で、突出したエッジはなく、ひとたび事が起これば迅速に抜き出せ、緊急状況下ではポケットの中でも直ちに直接射撃ができた(頑住吉注:立花隆氏の「日本共産党の研究」の中に、これをやったためにジャムして2発目が撃てなくなった非合法時代の共産党員のエピソードがありました)。抗日戦の期間に泗○県(頑住吉注:サンズイに述のしんにょうを取ったの)の県委員会書記を務めた金同寿同志はある時農村に行って食糧を調達していた時、不幸にも泊まった場所で日本の傀儡勢力の便衣隊に捕まった。敵は彼の両手に体の前で手錠をかけたが、あわただしい中で彼が腰の前に隠していた「ルーズ」に気付かなかった。金は屋内の2人の敵が油断しているのを見て、素早く拳銃を抜き、2発発射して敵を撃ち倒し、残った敵が驚愕している機に乗じ、手錠をかけられたまま塀を乗り越えて危機を脱した。

(頑住吉注:原ページのここにある画像のキャプションです。「1946年、長春国民党防衛軍のある将校と家族の写真。将校はアメリカ式の軍装を身につけ、腰の前にはホルスターに入れた「ルーズ」拳銃を携帯している。これは当時流行の扮装と言える。」)

過去、「盒子砲」を携帯している人でも往々にしてさらに1挺「ルーズ」を携帯していたのは何故なのか? これは「盒子砲」が目標として大きく、万一敵に先手を打たれて局面をコントロールされ、「盒子砲」を奪い去られたら、サイズが小さく動作も目立たない「ルーズ」の助けを借りて反撃のチャンスをうかがうしかないからである。実際上「ルーズ」は「盒子砲」のバックアップに使われた。「烈火金剛」の原作の中の「肖飛買薬」の一節で、売国奴の何志武が隙に乗じて偵察員肖飛の駁殻槍を奪おうとしたが、戦闘経験豊富な肖飛は右手の駁殻槍を守りながら左手であらかじめ体に隠していた「ルーズ」を取り出し、何父子を制圧し、敵の企てを挫折させたようにである。この種の護身用「ルーズ」は一般にホルスターは使わず、直接ポケットの中やベルトの内側にしまわれた。洋式のズボンを履いている時は、往々にしてズボンのポケットに入れられた。将校が「ルーズ」を使用する状況は比較的特殊で、通常の状況下では階級の高い将校になればなるほど使用する拳銃のサイズは小さくなり、しかも長さ六寸以下のポケットピストルは一般にホルスターに入て公然と携帯することはなく、ポケットに入れられた。高級将校は正式な場合を除いて一般に拳銃を携帯せず、後ろにいる「盒子砲」などの武器を携帯する護衛兵によってその身分が高いことを顕示した。ホルスターを使用する時は、正式な場合ならば、一般にベルト前方の右側につけた。一方平常時や作戦時は腰の後ろや横につけ、馬に乗る時や坐った時、腰の前の拳銃が腰を曲げる邪魔にならないようにした。将校が銃を携帯するのは使用者の地位の象徴としての意味の方がより濃厚で、往々にして装飾が比較的華麗で、さらに銃に使用者の身分や武器の来歴を示す刻印がある時もあった。北京軍事博物館の収蔵品の中には1948年に我が華東野戦軍が済南戦役の中で鹵獲した1挺の「馬牌ルーズ」がある。これはアメリカ軍将校が国民党第二綏靖区中将司令官王燿武に贈ったプレゼントで、グリップパネルは銀製で、両面に贈る言葉と中国、アメリカの国旗の図案が刻まれている。この他、将校が使用する「ルーズ」の威力は比較的小さく、一般に作戦には使われず、緊急の状況下で自衛するか、刀折れ矢尽きた時に自決するのに使用するかだった。1935年11月、紅一方面軍が直羅鎮戦役の中で東北軍の1個師団また1個師団と壊滅させ、敵の師団長牛元峰が包囲された中で身につけていたブローニング拳銃で自決した時のようにである。

(頑住吉注:原ページのここにある画像のキャプションです。「抗日戦における中国軍。下級将校や兵士は依然各種の口径および類型の「盒子砲」を主要な携帯武器としている。」)

結びの言葉

「ルーズ」は小さいけれども人民武装勢力の手中にあればそれでも巨大な威力をはっきり示した。1933年6月、吉林樺川金鉱の鉱山労働者祁宝堂は仲間に順繰りに連絡をつけ、あらかじめ購入しておいた1挺の「狗牌ルーズ」と1挺の「七星子」拳銃を使って鉱山警備隊を襲撃し、日本兵7人を射殺し、銃8挺を鹵獲し、これをもって抗日武装「明山隊」が成立し、後に名声が世に知れ渡る東北抗連第11軍に発展した(頑住吉注:中型オート2挺だけで‥‥そりゃすごい)。一方陜北を根拠地とする(頑住吉注:共産党)創設者の1人劉志丹同志が生前に使用していたのも1挺のコピー生産された「槍牌ルーズ」であり、グリップには「抗日、救国」の文字が刻まれて自らを励ますのに使われた。この銃は今に至るもなお北京軍事博物館に保存されている。解放後、(頑住吉注:国民党から)鹵獲された大量の「ルーズ」拳銃は依然我が公安機関に装備され、あるいは党、政府、軍の高級指導者によって使用された。後には国内で6.35mm、7.65mm拳銃弾薬が生産されなかったために続々と装備から外されたが、1980年代初めまでずっと使用され続けたものもあった。時今日に至り、これらの銃の姿は博物館でしか見ることはできない。しかも多くの場合、あいまいに「拳銃」と説明され、その本当の名称や機種はすでに往々にして歴史の大河の中に消え去っている‥‥。


 オルトギース、フロンマー、Francaisなど想像以上に多くの種類のオートピストルが当時の中国に流入していた実態に驚きました。他はともかくロングリコイルのフロンマーは構造が違い過ぎて、仮に鹵獲しても使いこなせなかったんじゃないでしょうか。さすがにブローフォワードのシュワルツローゼはなかったんですかね。

http://bbs.tiexue.net/post_5474155_1.html

 今回のテーマと関係ありませんが、モーゼルミリタリーに関するページで画像1枚だけ紹介したモーゼル風手製単発ピストルのその他の画像があるページを見つけました。ボルトに見える部分を上に持ち上げるとブレイクオープンする、リボルバーによくあったような形式で、意外にもエジェクターも設けられてます。ファイアリングピンはさびついて引っ込んだままになっているようです。












戻るボタン