M2重機関銃の復活

 「Visier」2004年1月号に、いわゆるキャリバー50、M2重機関銃に関する記事がありました。ジョン・ブローニングの手によって第一次世界大戦後に誕生し、太平洋戦争では陸でも海でも空でも日本軍に痛打を浴びせたM2ですが、21世紀に入ってもう米軍では使われていないという情報もありました。非常に有名でありながらあまり知られていないM2の歴史、そして現在についての記事をお読みください。


ビッグママ

.50ブローニング重機関銃は、部隊では「メデューサ」または「ビッグママ」として知られている。この銃は80年来第一線にあり、全ての戦場において重要な役割を果たしてきた。

 12.7mmx99弾薬は、むしろ.50ブローニングマシンガン(BMG)の名でよく知られている。これほど高い評価を得ている軍用弾薬は他にほとんどない。開発以後80年以上経過しているが、ここ20年はアメリカのバレット、フランス・ベルギーの「Hecate」など特殊目的のスナイパーライフル用弾薬として第二の春を謳歌している。
 この成功には理由がある。単一の兵が発射し得る弾薬のうち、.50BMGほど強力で、しかも多用途に使用できる弾薬は、他に存在しない。1.5km飛行後においてなお、その弾の残存エネルギーは、10m飛行後の.44マグナムのそれより大きい。鉄板、石やレンガの壁などの遮蔽物も、ケブラーとセラミックを重ねた近代的な防弾装備も貫通し得る。潜水艇、高速艇、ヘリコプター、台座に乗せた機関銃やロケットランチャーで武装した第三世界の紛争地帯でよく見かけるトヨタ-ピックアップといった中距離を高速で移動するターゲットに対しては、砲やミサイルでも、通常の小火器でも対応しにくいという重大な落とし穴があるが、.50BMGはこのギャップを埋めることができる。ドイツ軍も、戦後最初の大規模な外国における作戦行動であったソマリア派兵において、そのような敵に対してMG3では威力不足であることを痛感させられ、.50BMGを使用するM2重機関銃を切望した。これにより海兵隊と陸軍にM2がカムバックした。現在、自動車や高速艇に爆弾を搭載した自爆テロ攻撃が深刻なアフガニスタンなどでも、M2の価値は再認識され、必需品となっている。ドイツ軍だけでなく世界の至る所でM2と.50BMGのコンビが現役に復帰する動きがある。ここで、80年以上基本コンセプトが変わらずにいるこの兵器と、発明者であるユタ出身の天才ジョン・モーゼス・ブローニングについて語ろう。

誕生のきっかけはドイツ

 第一次世界大戦において、人間は数多くの残虐な新兵器に直面した。それは致死性の毒ガス兵器であり、何日も持続する集中砲火であり、破壊的な飛行機の軍事利用だった。もはや馬は進軍や戦闘のテンポについていけなくなり、内燃機関を装備した軍用自動車がこれに代わった。水上、水中、塹壕の中、トンネルの中などだけではなく、空もが戦場となり、虐殺の舞台となった。飛行機は武器を搭載し、空から敵の地上陣地を攻撃したし、さらに前線からはるか奥まで侵入して攻撃を加えるようになった。1915年1月15日、ドイツの飛行船が初めてドーバー海峡を越えてロンドンを爆撃した。その飛行船は多数の機関銃で武装され、まるで空中要塞だった。イギリスの迎撃戦闘機はルイス機関銃による軽武装だったので、初期には防御射撃を行いながら目の前をゆっくり通り過ぎて行くツェッペリン飛行船にほとんど対処できなかった。ツェッペリンを墜落に追い込むことができたのは、引火性のガスを満たしたコンテナにフルオートの命中弾を与えたときだけだった。厳重な対空監視が行われ、迎撃戦闘機だけでなく、係留気球や高射砲による防御も試みられた。1915年の半ばに改良された曳光弾が多用されるようになると、機載火器の使用技術は改良され、射撃チャンスは増大した。しかし、まもなく口径8mm程度の通常の歩兵用弾薬では、わずかな威力の増大しか期待できないことが明らかになった。固定目標に対しては貫通力が足りず、内部に焼夷剤やハードなコアを内蔵するには内部の容積が足りなかった。より大きな銃弾を作るというアイデアを初めて実行に移したのはフランス人だった。それは通常の8mmレベル弾薬を、口径11mmに拡大したものだった。これを使用するホチキスMle1914機関銃が開発され、フランス人は観測気球の攻撃により適した兵器を手に入れた。しかし地上陣地の対空防御火器としては威力も射程も不足だった。
 1916年9月、連合軍は初めての戦車をフランス戦線に投入した。キャタピラと装甲板を装備して進撃する戦車はまるで無人の荒野を行く巨人のようであり、ほとんど対応の手段がなかった。
 1917年の始め、プロイセン国防省は戦車や航空機を攻撃するための新しい機関銃(タンク ウント フリーゲルアブベア、略して「TuF」)の開発を、シュパンダウのライフルテスト委員会(G.P.K)に命じた。新しい重機関銃の開発は予算無制限とされ、使用されるハードなコアを持つ新弾薬はマグデブルクのポルテ社で開発された。この弾薬は口径13mm、薬莢の長さ92mm、弾薬の全長は133mmとなった。弾頭重量は用途によって異なるが、800から965グレインの間だった。初速は820m/sを越え、イギリス戦車を完全に貫通して弾が向こうに飛んで行くほどの威力があった。この弾薬を使用する重量18kg弱のライフルが1918年1月、モーゼル社によって作られた。

遅すぎた登場
 連合国側では、誰もこの進歩に注目していなかった。イギリスでは、ビッカース機関銃を拡大した口径半インチの重機関銃の実験を開始しており、米軍も西部戦線の現場からこれに似た兵器が欲しいという陳情を受けていた。米軍はウィンチェスターにこのような弾薬と銃の開発を指示したが、これはドイツの「TuF」コンセプトとは全く無関係だった。
 アメリカ国防省が望んだのは、口径半インチ(.50)で、少なくとも800グレイン(約52g)の弾頭重量があり、初速が約820m/s、そして距離25mにおいて、少なくとも3cmの装甲板を貫通しうる弾薬だった。これを使用する重機関銃は、射手の墓場ともいうべき混沌の西部戦線を迅速に移動できるよう重量50ポンドを越えないこと、フルオート時の発射速度は500から600発/分に達することが希望された。これらの条件を満たすことは不可能とも思われた。
 ウィンチェスター-ウェスタンの弾薬専門家は研究を開始した。しかし彼らは当初、愚かにもフランスの11mmx60リム弾薬を出発点にした。その結果、最初の.50口径弾薬の薬莢は、リムが大きく張り出したレベル弾薬に似たものとなった。そして当然薬莢の容積は足りず、新しい12.7mm弾に充分な初速を与えることはできなかった。
 一方、ハートフォードのコルト社工場では、ユタ州出身のガンスミスでありモルモン教の説教師でもあったジョン・M・ブローニングが、ウインチェスターとは別に強力な弾薬を使用する機関銃の研究を行っていた。ブローニングは1890年、すでにコルト社のために軽量なガス圧作動の機関銃を開発していた。この銃は銃器発達史上「ポテトディガー」のニックネーム、あるいは「M1895」として知られている。第一次世界大戦の勃発により、ブローニングはコルト社のもとで軽量なガス圧作動の自動小銃「BAR」と、全く新しい反動利用原理によって作動する機関銃M1917を設計し、これらは米軍に採用された。アメリカの研究兵団(AEF)に属する機関銃学校(所在地はフランスのGonducourt)の校長オバースト・ジョン・パーカーは1917年、すでにブローニングに対しM1917を試験的にフランス製11mm弾薬用に改造することが可能かどうか質問していた。ブローニングは1918年、その研究の最中にウィンチェスターによる.50口径新弾薬の存在を知った。
 1918年夏、ブローニングはハートフォードで最初の大口径機関銃の試作品を作り、それをウィンチェスターに持ち込んだ。そこでさらに6挺の試作品が手作りされた。しかし、150ポンドの重量を持つ怪物マシンガンの最初の射撃テストは期待外れだった。フルオート時のリコイルは非常に強く、このため正確な命中は期待できなかった。その上、弾薬には必要とされる貫通力がなかった。
 AEFの司令官、「ブラックジャック」パーシングはこの実験に強い関心を持ち、開発に口をはさむようになった。パーシングは250mの距離で戦車の装甲をぶち抜くモーゼル対戦車ライフルの威力を思い知らされていた。彼の部隊はドイツ製の驚異的な銃と弾薬を鹵獲していた。そしてパーシングは部下の兵士たちのために、それに似た、できればさらに優れた兵器を望んでいた。鹵獲兵器と弾薬は、フランスからアメリカへ送られた。アメリカでウィンチェスター-ウェスタンの弾道学者がそれを手にし、詳細な調査を行った。手探りしながら、一歩一歩ドイツの13mmx92弾薬の形と容積が研究され、そして結局新弾薬の薬莢は長さ99mm、リムレスの形状に決定した。
 これと平行してブローニングは最初の大口径機関銃のデザインに変更を加えていた。彼はレシーバーの後端にオイルを満たしたバッファーを組み込んだ。これにより、リコイルを緩和するだけでなく、発射速度を変化させることができるようになった。左に回すと発射速度は毎分550〜600発に上昇する。右に回すと発射速度はクリックごとに下降し、最低は毎分450発になる。そしてリコイルがより吸収され、マイルドなリコイルで発射できる。これはオイルおよび弁の作用による。よりコントロール容易になったこの改良型ブローニング.50口径の試作品には、.30口径M1917の片手で保持するピストルグリップに代わって、ダブルのハンドル型グリップが付属していた。発射は両グリップの間にあるプレートを親指で押すことによって行った。通常トリガーを引く指はセーフティを操作する役目をするだけだった。
 ところが、1918年、11月11日11時を以て西部戦線に停戦が成立し、第一次世界大戦は終わった。ブローニングの新型機関銃はもはやこの戦争に投入されることはなくなった。開発は時間の圧迫から解放された。ブローニングは故郷のユタに帰り、コルト社の技術者たちとともに試作品のさらなる熟成に取り組んだ。バッファーのおかげで、マッシブな銃本体、マウントの重量は軽減可能になった。1921年、アメリカ陸軍は.50口径機関銃を制式採用した。この銃は水冷式で、機載用の空冷式もバリエーションとして存在した。1925年、初めてこの銃が部隊に配備された。しかし、1930年代の半ばまで、1回につき1000挺の引き渡しが行われることはなかった。
 終戦以後、アメリカの兵力は急激に縮小され、この銃に金をつぎ込もうとはしなくなった。唯一海軍だけはこの「ビッグフィフティ」に大きな関心を示し、彼らの予算でさらなる改良を助成した。

M1921からM2HBへ
 陸軍当局は1930年代の始め、M1921の改良を行った。オバースト・S・G・グリーンによって行われたこの改良は根本部分に触れるものではなかった。フィードカバーのヒンジ部を強化したことと、よりわずかな部品の交換によって容易にベルト給弾の方向を左から右へ変更できるようにしたのが主な内容だった。この改良によってBMGはあらゆる乗り物類、砲塔、航空機に適応可能となった。陸軍はこの改良型をM1921A1、航空機型をM1921E2という名称で採用した。
 コルト社はこの時期、空冷化によって格段に重量が軽減され、また操作が単純化したバージョンを発表した。1930年代の始め、アメリカ騎兵隊は偵察および歩兵の援護に使用する軽装甲車両を開発した。新しい.50機関銃はこの戦術コンセプトにぴったりだった。1933年、この銃はM2として採用された。
 第二次大戦中、陸軍のスラングではこの「エムツー」は「メデューサ」と呼ばれた。「Deuce」という言葉には数字の2という意味があり、街のスラングではかつて2ドル札を魔物の意味もあるこの言葉で呼んだりした。もっと後の世代のGIたちはこのBMGを単に「フィフティ」、あるいは「ビッグママ」と呼んだ。
 初期のスリムな35インチバレルは、70〜90発の射撃後、もう過度のオーバーヒートを起こした。このためコルトは45インチのヘビーバレルを加え、このタイプは多目的機関銃として非常に多数が使用された。特に車両に搭載して地上目標を制圧する用途に多用された。このようなマスターモデルが1930年代前半に完成していたため、1941年12月にアメリカが太平洋戦争に突入したとき、M2の大量生産が可能だった。平時の私経済制度から計画された戦時経済制度への転換が行われ、必ずしも円滑ではなかった兵器生産が、驚くべき規模で開始された。戦争の終結までにアメリカの会社および兵器廠が生産した重機関銃は二百万挺以上に及んだ。その需要はあたかも無限の大きさに思われ、機甲部隊など地上部隊だけでなく、アメリカ空軍の前身である陸軍航空隊にも大量に供給された。M2は2連装、3連装で戦闘機の翼に組み込まれただけでなく、B17などの爆撃機の自衛用にも使用された。
 旧型の水冷式M1921もさしあたり現役に留められた。しかし大多数は戦争期間中にM2ヘビーバレルに更新された。理由は水冷システムが比較的扱いにくいものだったからである。オリジナルのM1921対空機銃はアメリカの戦争博物館に屋外展示してあるのをよく見かける。
 当然M2ヘビーバレルの後継となるべき機種を開発する試みはあった。1942年、海軍は50口径BMGの代わりとして、比較的軽量なエリコン20mm対空機関砲を採用した。これにより魚雷艇、高速艇、上陸用舟艇などには使用が続けられたが、遠洋を航海する大型艦には搭載されなくなった。
 M2は同盟国に供給される援助兵器の代表機種でもあった。ロシアにもM4シャーマンやスカウトカーに搭載されるなどして供給され、補助的に使用された。 戦争が終わっても、戦争中に生産されたM2の役目は終わらなかった。それどころか非常に多数のM2が朝鮮戦争に投入された。またアメリカは余剰となったM2を同盟国や第三世界に輸出した。西ドイツ軍、フランス軍も戦後の再建時にM2をアメリカから入手した。世界の戦場ではブローニングの発明品がにぶい音を響かせ続け、それが絶えることはほとんどなかった。

その後のM2
 当然のことながら、BMGにも欠点はあった。部品点数が多すぎるため整備に手間がかかり、良好な作動を保つには経験豊富な人材を必要とした。セッティングが悪いとすぐ作動不良が起きた。また、戦闘機が高速になればなるほど、爆撃機などに搭載される.50の防御用旋回機銃は追随しにくくなり、効果を低下させていった。アメリカのトレーニングドクトリンによれば、.50口径弾の飛行目標に対する有効射程は800m以下であり、これはジェット時代には短すぎる。165cmという長大な全長も問題で、特に狭い装甲車両内部では問題が大きかった。しかし、アメリカが1980年代に行った、M2の後継機を開発する試み、例えばジェネラルエレクトリックのM85やサコーフィフテイなどは結局全て徒労に終わった。一方、1982年のフォークランド紛争において、イギリス軍は長期間使用していなかったBMGを再び兵器庫から持ち出し、少数を投入した。このときすでにあてにされていなかった図体の大きすぎる重機関銃は、部隊における火力支援用、また橋頭堡の確保に成果を上げてイギリス軍を大いに驚かせた。これによりM2ヘビーバレルは歩兵用兵器に再び組み入れられた。イギリス軍は冷戦終結後、より軽装備で空輸できる対応部隊を強化したが、こうした部隊で使用されるランドローバーやデューンバギーの武装用としても.50BMGの必要性はより大きくなっている。
 現在FNが生産しているものの大部分は、アメリカ製とは細部が異なる独自開発のベルギー型である。最も重要な改良点は、バレルのより早い交換システムおよび、ヘッドスペースの微調節システムの採用である。このバリエーションは「クイックチェンジバレル」を略して「QCB」と呼ばれている。
 すでに過去のものと言われていたM2は米軍内でも生き続けていた。第二次湾岸戦争の前、米軍は保有する25000のM2ヘビーバレルを、2005年秋以後より軽量なM312に交換することを考えていた。しかし、アフガニスタンおよびイラクからM2投入による成功例が多数報告されており、80歳以上の「メデューサ」が現役を退くことはありそうもない情勢になっている。そしてアメリカ湾岸警備隊にとっても麻薬業者の制圧のため、また同時多発テロ以後の国土防衛のため、より重要性が増しており、陸海軍からオーバーホール済みのものが供給されている。あるいは今後改良型のより軽い.50機関銃が登場する可能性もあり、25mmマシングレネードランチャーをもって.50マシンガンに替えるという計画はまったくない。また、この12.7mmx99弾薬は多くのスナイパーライフルやスポーツ射撃領域にも多用されている。

弾薬について(頑住吉注:別扱いの囲み記事)
 1941年に採用されたノーマルな弾薬M2ボールは、重さ110g、長さ138mmである。弾頭は尾部が絞られたいわゆるボートテイル弾で、長さは59mmもある。弾頭だけで.223レミントン弾薬全体より長い。M2の弾頭には軟鉄のコアが内蔵されており、先端内部には鉛とアンチモニーの合金が内蔵されている。弾頭の重さは813グレイン(52.6g)であり、ノーマルな7.62mmx51歩兵用弾薬の弾頭(147グレイン)の4倍以上もある。その最大射程は7.5kmである。開発以後.50BMGは30以上の国によって軍用弾薬として制式採用され、100以上のバリエーションが作られた。米軍だけでもこの30年間に25以上の異なる弾薬が試作された。一般的に、航空機に搭載される場合、またハードターゲットを想定している場合には、いくつかの異なる種類の弾薬がベルトリンクに固定される。ノーマルなM2ボールにM1またはM17(1950年以後)トレーサー、そしてM2AP(徹甲弾)またはMK211焼夷徹甲弾が混ぜられる。後者の弾頭は765グレインで、タングステンのコアおよび13グレインという少量の焼夷剤が内蔵されている。初速は887m/sである。
 アメリカ陸軍は1960年代、すでに.50機関銃の効果をより高めるための実験を行っていた。これはサボでくるんだ5発の.30口径弾を.50口径弾薬から発射するものだった。M2ヘビーバレルの発射速度は600発/分なので、1分間に3000発を発射できることになる。1990年代には「SLAP」弾M903が開発された。これは355グレインの単一のタングステン弾頭(ライトアーマーペネトレーター)をサボでくるんで発射するものだ。初速は1200m/sに達し、.50口径弾よりはるかにフラットな弾道を示す。ハードターゲットに対する有効射程は1.5kmに達する。これと似た弾道のM962SLAPトレーサーも追加された。価格は1発7.5ドルもする。これらの新弾薬はM2ヘビーバレルに第二の全盛期をもたらした。


 何と言いますか、「大口径機関銃が作られたのはドイツの強力な兵器に対抗するため」「アメリカ人は最初愚かにもフランス人の作ったものをベースに大口径機銃を作ったが全然ダメで、ドイツの弾薬を研究して真似したからこそ歴史的大傑作が生まれた」とか、ちょっとバイアスかかってませんか。これらはまあまだしも、「ドイツは空中要塞ともいうべき飛行船によってイギリスに対し史上初の戦略爆撃を敢行した!」ってそれ、このお話の流れとほとんど関係ないでしょうが。「飛行船の防御力がきわめて強かったために従来の機銃では対抗できず、大口径機銃で初めて対抗できた」というなら分かりますが、そんな事実はないはずです。可燃性の水素ガスを使った飛行船は攻撃に弱く、犠牲が大きすぎるから中止に追い込まれた、このときには当然まだ本格的な大口径機銃は登場していなかった、というのが事実だと思うんですがね。まあどこの国も自国をよく語りがちな点は同じらしいです。ドイツの場合、小火器の分野で世界の最先端を走り続けてきたのは大筋事実なので、根拠なく威張ってる国よりはずっとましですが。ドイツ人の書く文章を見ていると、自国に対する評価は甘く、アメリカに対する評価は辛い傾向があるようです。ところがアメリカ人でも別格扱いなのがジョン・ブローニングです。まあこの人はだれが見ても自動火器発達史上最大の巨人ですから当然でしょう。

 ドイツのいわゆる8mmモーゼル小銃弾は多用途に使われたという点では.50BMG以上だと思います。また、ソ連の14.5mm弾の威力は.50BMG以上です。しかし、.50BMGほど強力で多用途に使える弾薬はない、と言われればまあその通りでしょう。第二次大戦中米軍はM2重機関銃を歩兵が使用しただけでなく、あらゆる車両に載せ、船に乗せ、飛行機に乗せて地上の、空の、海の敵に対抗しました。これに比べ日本軍は同じ戦闘機用でも陸軍は12.7mm、海軍は13.2mmでまったく互換性がなかったというのはよく旧軍の不合理さの例として挙げられます。

 歴史的大傑作M2重機関銃の復活が意外というより、.30口径クラスのマシンガンとは格段に威力が違い、それを以て代替することが不可能なことは明らかだと思われるのに、何故後継機種もないまま引退させようとしたのかの方が不思議です。ミサイルなどの発達で不要になったと思ったんでしょうか。実際は中距離の移動目標などにはM2重機関銃が最適であり、改めて使ってみるとさまざまな用途に非常に有効なので現役復帰の動きがある、ということです。自衛隊もイラクで自爆テロ対策に無反動砲を持っていくとかいう話ですが、例えば50m先から自爆テロ犯が乗っていると思われるトラックがこちらの車列に突進してくるとします。私は無反動砲の実際の運用についてほとんど知りませんが、小火器より発射準備に時間がかかるのではないかと思いますし、単発である、後方に安全界を確保しなくてはならないなどの問題もあり、車載の.50重機関銃の方が対応しやすい場合は確かにありそうな気がします。

 そしてさらに現在M2の有効性を高めているのが「SLAP」という新弾薬です。この前身の弾薬も興味深いですね。詳しい記述がないのが残念ですが、サボにピストル弾薬並みに短い弾頭を5つダンゴ状にくるんで発射するものでしょう。発射速度は毎秒50発となり、これはごくおおざっぱに言ってバルカン砲の半分です。かなり有効な弾薬になり得たような気がするんですが、実験段階で終わったのは何故なんでしょう。たぶん1発あたりの弾頭重量が軽くなるので威力不足になる、命中精度が悪い、汎用性はなく、緊急に射撃が必要なときベルトごと交換するのは難しい場合も多い、これを積んでいれば当然その分通常弾薬が減少する、といった理由ではないかと思います。採用された「SLAP」弾薬は単一の.30口径タングステン製徹甲弾をサボでくるんで発射するものです。銃口を出ると空気抵抗でサボは開いてはがれ、本体のみが異常な高速で飛びます。高速のため弾道がフラットで、ダイヤモンドに次ぐ堅さの尖った弾頭は主力戦闘戦車は無理としても、比較的軽装甲の車両なら貫通できるというわけです。この弾薬はこんな外観です。

SLAP

 弾頭は355グレインと、.30口径ではあっても、.308の倍以上の重量があるわけです。.30口径クラスで重そうな弾頭を「カートリッジ オブ ザ ワールド」から探してみると、.300ウィンチェスターマグナム、ウェザビーマグナムとも最も重いもので220グレインしかありません。.375H&Hでやっと300グレインです。ポーランドのwz35に使用する、13mm弾薬の薬莢を思い切りネックダウンして7.92mm弾頭をつけた対戦車ライフル弾薬の詳しいデータはないのですが、「ミリタリー スモールアームズ オブ ザ 20th センチュリー」には、これのコンセプトを引き継いだドイツのPzB38および39用弾薬のデータがありました。口径は同じく7.92mm、薬莢の長さは95mmです。弾頭重量は222グレイン、初速は1081m/sとなっています。100mから30度に傾斜した30mmの装甲板を貫通できたということです。データ上「SLAP」は弾頭重量でも初速でも上回っています。いろいろ技術的進歩もありこれをかなり超える威力であるのは間違いないと思います。ポーランドやドイツの小口径対戦車ライフルは銃身の命数が小さいという問題があったようですが、サボに包んで発射する「SLAP」なら問題ないはずです。ただ、命中精度は低いと思われます。アンチマテリアルライフルの弾薬としても、リコイルが小さいため現在より軽量なライフルにでき、フラットな弾道で敵の装甲車、ヘリコプター、陣地などを攻撃できるはずです。ちなみにアンチマテリアルライフルとして例にあげられて入る「Hecate」って何だろうと思って検索してみました。
http://www.snipersparadise.com/equipment/rifles/hecate.htm
 こんな銃です。また、床井雅美氏の「最新軍用ライフル図鑑」P171にも掲載されています。

 また、M2重機関銃のディテール、操作方法、メカについては「別冊GUN」Part2に詳しく掲載されています。








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