フォークランド紛争におけるアルゼンチン巡洋艦撃沈

 先日死去したイギリスのサッチャー元首相とも関連する歴史ものの記事を紹介します。なお、日本で言う「フォークランド紛争」は中国語では「馬島戦争」と表記し、これは「馬爾維納斯群島戦争」の略で、「フォークランド」というイギリス側の名称ではなく「マルビナス」というアルゼンチン側の名称を使用していることが分かります。また国際的には「コンフリクト」より「ウォー」と表現される方が多いようです。

http://military.china.com/history4/62/20130409/17768875.html


イギリス・アルゼンチンによるフォークランド紛争の最も惨烈な事件:アルゼンチン巡洋艦撃沈さる

(頑住吉注:原ページのここにある画像のキャプションです。「アルゼンチン海軍の『ベルグラノ将軍』号巡洋艦」)

「ベルグラノ将軍」号はアルゼンチン海軍の巡洋艦で、1982年5月2日にフォークランド紛争の中でイギリスロイヤルネービーの原潜「Conqueror号」に魚雷によって撃沈された。

性能パラメータ:

排水量:9,575トン(空虚)、12,242トン(満載)

全長:185m

全幅:18.9m

喫水:5.9m

航行速度:32.5ノット (頑住吉注:ずいぶん速いですね)

人員:1,138名の将兵

武器:152mm主砲15門、127mm高射砲8門、40mmおよび20mm高射機関砲、2台のイギリス製「Sea Cat」艦対空ミサイルシステム(1968年に増設)、2機のヘリ

沈没の過程:

ベルグラノ将軍号戦闘艦の沈没はフォークランド紛争(頑住吉注:ここでは何故か「福克蘭戦争」すなわちフォークランド戦争になってます)の中で最も惨烈で、最も論争を引き起こす事件の1つである。1982年5月2日午後3時57分、イギリスロイヤルネービーの艦船である「Conqueror」原潜はアルゼンチンの戦闘艦「ベルグラノ将軍号」に向け2発の800ポンド弾頭を持つ「Mk 8 mod 4」魚雷を発射した。

1発の魚雷が艦首付近に命中したが死傷者はなかった。もう1発は艦体の後半部に命中し、大爆発を起こし、艦上の電力設備が損壊し、無線で救難信号を発することを不可能にした。

大量の海水が魚雷が作った穴から艦内に流れ込み、電力の中断により排水できず、艦は沈下を始めた。

「ベルグラノ将軍号」号沈没の瞬間、2隻の航路護衛の駆逐艦はその状況を知らず、また救難信号のロケットあるいは明かりも見ず、西に向かって航行を続けた。後にこの2隻の艦が状況を知った時は、空はすでに暗くなり、劣悪な天候は救難艇を追い散らした。寒冷な天候、荒れ狂う風と巨大な波の打ち付ける中、何人かは救命艇の上で凍死した。

アルゼンチンとチリの船舶は1982年5月3日から5日までに770人を救助したが、およそ300人はこの攻撃の中で命を失った。これはアルゼンチンのこの戦争における死傷者の総数のほとんど半分に相当する。

関連の論争:

ベルグラノ将軍号巡洋艦が撃沈されたことに関する主な論争には次のものがある:

この艦が攻撃された時、この艦はマルビナス島を離れつつあった

当時この艦は決して港に帰っていたのではなく、指定地点に向かって新たな指示を待とうとしていた。

この艦は200海里の航行禁止範囲外にあった

4月23日、イギリスはスイス大使館を通じて間接的にアルゼンチン政府に、いかなる南大西洋のイギリス軍に脅威をもたらす可能性のあるアルゼンチン船舶あるいは航空機も攻撃に遭い得る、と告げた。

この艦の撃沈はアルゼンチンに強硬な立場を維持させ、事件を平和的に解決する希望を水の泡とした

当時の形勢から言って、アルゼンチン人が完全にマルビナス島を撤退しない限り、イギリスが軍事行動を停止する事はなかった。

主要な決策者は指示を発する時、この艦がマルビナス島を離れつつあることを知らなかった

イギリスの歴史学者Lawrence Freedmanはそのある著作の中で、サッチャー夫人および内閣は、攻撃前にこの艦がすでに航行方向を変えていたことを知らず、何故なら「Conqueror号」の最新情報が国防大臣あるいは特別派遣艦隊司令ウッドワード海軍少将のところまで達していなかったからだ、としている。ウッドワードは彼が執筆した「One Hundred Days」という本の中で、自分は「ベルグラノ将軍号」は特別派遣艦隊に向けた挟み撃ち攻撃の一部分で、迅速にこれを撃沈する必要があると考えていた、と指摘している。彼はまた、「ある敵艦の航行速度および方向は重要でないものと見なすことができ、何故ならそれらは素早く変えることができるからで、最も重要なのはその位置、実力、そしてどんな意図を持っているかである」、と書いている。


 論争がある、当事者が著作で弁解している、というところから、この撃沈は必要なかったのではないかという意見も強いらしいことが分かります。客観的に見てあんな場所にイギリス領の島があるのには強い違和感があり、話し合いの上で返還すべきではないのかという気もしますが、いきなり実力行使されたら軍事的手段で対抗するのもやむを得ないところでしょう。













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