射撃芸とそのトリック

 ドイツの銃器雑誌に掲載された、面白い題材の記事があるので内容を紹介します。

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射撃の際のマジック

百発百中の射撃への願いは昔からずっと強く存在した。中世における、神秘的なものへの広く伝播した信仰は、魔術的な力に手を借りる多くの試みをもたらした(頑住吉注:そういえばライフリングによる命中精度向上を悪魔の仕業と信じた大司教の話もありましたね)。だが、マジシャンや芸射手が公衆をだます、もしくは楽しませる、神秘的な傾向の低い多くの魔術に向けた、いろいろな動機をももたらしたのである。

百発百中の射手となるためには悪魔と契約さえする人々に関する、数えきれないほどの歴史が存在する。たいていの悪魔との契約の条件は、射手がキリスト像に向けて射撃すること、そしてこれにより彼の霊魂を地獄のボスに売り渡すことだった。このために彼は1日につき3回、または4回の決して的を外すことのないフリー射撃という報酬を得た。他の説によれば彼はこのために銀または金の弾丸を使わねばならなかった。これに関して言えば後者はいずれにせよより大きな命中エネルギーを持っている。これは魔術というよりは、金のより大きな、特有の重量が理由である(頑住吉注:私は金の比重は鉛よりちょっと大きいくらいかなとイメージしていたんですが、前者19.32、後者11.34と大きな開きがありました。ちなみにタングステンは金と同じ、ウランは19.07です)。

(頑住吉注:1文意味不明。実際には魔法なんかない、というような意味だと思います) だが単純な人々の中では、その種のペテンに対する信頼が根絶されることはほとんどなかったのである。

こうしたトリックを真似るべきではない

以下にこうした手品のうちのいくつかに関して記述するが、筆者と編集者はこれに関し指摘しておきたい。以下に記述されるトリック群は最高度に危険なものであり、それらを実際に行うことは厳重に思いとどまるよう忠告されるべきである。「こうした試みを真似る者は自己責任である。これらは読むに留めるべきだ。」 こんな、あるいは似たような記述は「Magia naturalis」(頑住吉注:これはドイツ語ではなくラテン語で、「自然魔術」と和訳されるようです)に関する多くの本の序文にも見られる。魔法トリックが射撃におけるものであるケースでは、特にこの警告が正当なものとなる。これは射撃を行う芸人、あるいはその助手が命を失った、一連の不運なケースが証明している。

最も危険な芸に属するのは、「弾丸受け止め」である。これの場合、芸人が観客に彼を撃つことを要求し、その弾丸を歯で受け止めると称するものである。この芸は今日もなお時として披露されており、いろいろなトリックテクニックが存在する。これらの一部は200年以上の歴史がある。最も古いトリックでは特別な弾丸が作られる。これはマズルを去った直後に、小さな、危険性のない粒子に砕けるものである。この弾丸のためには多くの異なる処方が存在する。前装銃の時代は専門知識ある観客が用意されなければならなかった。というのは、射撃は当時まだ一般に、普通に熟練技に属したからである。トリック弾丸はそれと見分けられるものであってはならなかった。重量に関しても色に関しても、本物の弾丸と差が分からないべきだった。そのような弾丸は鉛の塵とロウの混合物からキャストで作られ、あるいは有毒な鉛・水銀合金でできていた。それでも怖いもの知らずの観客は、弾丸を強く押すことで全てのトリックを暴くことができた。多くのマジシャンはこの弾丸を、手品のトリックの助けを借りて発射の直前になって初めて交換していた。

取り違えの危険

上演のストレスの中では、本物の弾丸がバレルの中に来る危険があった。そう、弾丸が悪意を抱く観客により、故意に取り換えられることさえ起こり得たのである。部外者を共演させることは芸人にとって危険だった。だが多くの芸人は演出効果のアップをあきらめることを望まなかった。彼らはタネを知らされていない人を公衆の列の中から呼び寄せて参加させた。特に悲劇的な事故は1820年11月10日に北ドイツの小都市Armstadtで起こった。ポーランド人のマジシャン、de Linskyと彼の妻はSchwartzburg-Sonderhausen城に、そこで彼らの腕前を披露するために招かれた。多くが貴族である観客の全ての疑いを払拭するため、de Linskyはプリンスの親衛隊員に、「弾丸受け止め」の際に共演することに同意させた。この芸はクライマックスとして演目の締めに演じられるはずだった。的はde Linskyの妻自身が務めた。それがミスであったのか、あるいは悲劇的な悪ふざけだったのかは後になっては決して説明できないが、いずれにせよ親衛隊の1人が本物の弾丸を撃ち、芸人の若い妻は命中弾を受けて重傷を負った。銃創が原因で彼女は2、3日後に死んだ。

他の事故は1869年の寒さ厳しい12月8日にパリで起こった。Dr.Adam Soloman Epstenが「弾丸受け止め」の独自バージョンを見せようとした時のことである。彼は飛んでくる弾丸を剣の先端で受け止めることができると述べた。彼のテクニックは、全くノーマルな弾丸を、特別に用意された装填棒(頑住吉注:バレルの下にある、弾丸を銃口からぐっと押しこむための棒です)にロードするというところにあった。この装填棒は中空の象牙の先端を持ち、これが装填の際に鉛弾を受け入れた。弾は観客には分からず、バレルから引き抜かれた(頑住吉注:分かりにくいので補足します。前装銃ですから火薬に続いて、比較的柔らかい鉛の球である弾丸を銃口から入れ、先端がテーパー状の穴になった装填棒で強く突くと、弾は穴にはまりこみ、装填棒を抜くと火薬だけが残って空砲射撃になるという単純なトリックです)。相応の強力な発射薬とパッキング材を使えば、ホールの中で実弾射撃との差はほとんど分からなかった。その夜、その天才的発想による構造は機能しなかった。装填棒の象牙製の先端は折れ、弾と共にバレル内に残った。このマジシャンはそれに気づいていたが、観客が彼を狙わないことに期待したに違いない。彼はこの芸を敢えて中断しなかった。Dr. Epstenは撃て、ただし自分の横に、と命じた。しかし折れた装填棒の端は彼の胸にくいこみ、彼の命を奪った(頑住吉注:歯で受け止める芸と違い、剣の先で受けるわけですから、少し横に撃たせれば芸は失敗でも死ぬことはあるまいと思ったわけでしょう。ちなみに奇術の失敗は逆に本物の特殊能力ではないかというリアリティを持たせる効果につながることもあります)。



(頑住吉注:これがDr.Adam Soloman Epstenのトリックの仕掛けを示したイラストです。銃、発射薬、弾丸、全てに何のタネもないところが面白いところです。発射薬と弾丸の間にパッキング材が入っているので発射音が大きく、素人の射手がもし銃口を下に向けても発射薬がこぼれ出ることがありません)

第一次大戦最後の年、「弾丸受け止め」の際にまたしても謎めいた死亡事故が起きた。Chung Ling Sooは多くの芸人たちと同じくそれを演じて見せ、そして彼によればそれは彼のショウでキーとしての効果を果たす、有名な芸の1つのバージョンだった。彼は登場時に特別な銃を使用した。そのトリックライフルまたはトリックピストルは、1860年頃には知られていた。そのテクニックは単純で、綿密に加工されていた場合は安全でもあった。銃のバレルはブラインドだった。それはつまりパーカッションキャップをはめるピストンの穴ぐりが火薬チャンバーに達しているのではなく、第2のバレルに達しているという意味である。この第2のバレルは装填棒用の穴ぐりに偽装されていた。観客はこの銃に実際にノーマルな火薬と鉛弾を装填することができた。そう、というのもこの発射薬には点火されないからである。弾丸のないトリック発射薬は、装填棒収容のためと誤認された穴の中にあって、上演の前にすでに準備されていた。正しい使用の際においてもこのシステムは完全に危険がないとはいえず、すでに時々芸人が、偽装されたバレル内の火薬をパッキングする、湿らせた紙製の栓を受けて負傷していた。



(頑住吉注:Chung Ling Sooのトリックの仕掛けを示したイラストです。バレルはダミーであり、真のバレルはその下にあります。銃口から火を吹いているのではないことは一瞬のことですし、黒色火薬の発する煙で分かりにくかったでしょう。ただ、装填を終えた観客がピストルの扱いに慣れた人で、装填棒を下の穴に戻そうとしたらどうするのかという疑問があります。)

トリックピストルのテクニカルな失敗

1918年3月24日、この構造は役に立たなかった。使用された2挺の銃のうち1挺は、2本のバレルの隔壁がさびてボロボロになっており、トリック発射薬と同時に、観客によって装填されていたバレルも発火したのである。Chung Ling Sooは命中弾を受け、翌日に死んだ。銃の調査により、このケースは官憲には一目で分かったらしい。だが、この事故に別の光を当てるいくつかの謎めいた事柄があった。特に、この不運な上演の際に、最前列に座っていた観客の中の1人の男が、警告的な叫び声を上げ、その後で第1弾が発射されたというのである。この謎めいた男は2発目で何が起こるのか、もしかすると知っていたのかもしれないが、それを解明することはできない。それ以来、この死亡事故に関する一定数の仮説が存在している。観客にとってまだ驚くべきことがあった。すなわち、調査は当日のうちに、Chung Ling Sooが実はWilliam E. Robinsonという名のアメリカ人だったことを明るみに出したのである。彼は自分のショウにエキゾチックな見た目を与えるために中国風の芸名を名乗っていたのだった。

「弾丸受け止め」とならんで、まだ一連の異なる射撃芸がある。特に観客が唖然とさせられるのは、振り子状に往復する木製の球を吊った糸を撃ち抜くという芸である。通常そのような的は訓練された射手すらほとんど命中させられないし、命中したとしたら単に偶然によるものである。この芸の射手は、綿密に考え抜かれて組み立てられたメカニックに助けられる。だから決して糸に命中させる必要はないのだ。例えば球がその前で振れている、ほとんど外すことがないような的の中心を狙う、といったものである。的の後方には金属薄板があり、この板はスプリング性の棒に固定されている。この棒は的の下のフレームにのみネジ止めされている。板の上端にはフラットなピンがあり、的のフレームを通って突き出している。振り子の球はこのピンに保持されている。弾丸が板の的に命中すると、ピンは一瞬押し戻され、球は落下する。「撃たれた」糸を見せ得るために、第2のより短い糸がピンに結ばれた。この短い糸は軽く振り子にくっつけられていた。射手はさらに、的の射撃による穴が大体そのつどの振り子の位置と一致するよう注意しなければならなかった。だが、射撃芸人として飯を喰っている者は、当然精密射撃において決して完全な素人ではなかった。こうしたトリックの描写や説明は単純に聞こえるが、決して公衆への効果は外さなかった。



(頑住吉注:「振り子状に往復する木製の球を吊った糸を撃ち抜くという芸」の様子を示したイラストです)



 (頑住吉注:このトリックにはちょっと分からない部分があります。大体こんな感じでしょう。スプリング性の棒の上にプレートがあり、後方から伸びたピンがプレートを貫き、その先に糸で吊るした球が取り付けられています。弾丸がプレートにあたって押し戻されても糸は外れないはずです。スプリング性の棒が復帰する時に左側にスイングして糸を外すということでしょうか。でもそれだと「ピンは一瞬押し戻され」ということにはなりませんよね。あるいはピンと板が結合されていて、弾丸がプレートにあたってピンと共に急速度で右に動くと、慣性、つまりだるま落としの要領で糸が外れるということでしょうか)

人々をあっと言わせるようなすごいショウの演目には、見せかけの高い命中確実性を持つラピッドファイアもあった。当然これも同様に、よく工夫を凝らしたトリックアイデアに下支えされたものであった。大きな、9つのフィールドに分割されたスチールプレート上のフィールドのそれぞれの中心には、尖ったものに貫かれた石膏またはガラスの的があった。個々のフィールドは断面がL字型の金具で分割されていた。この場合のトリックも同様に単純であり、また効果的なものだった。柔らかい鉛の弾丸はスチールプレートに命中した際に砕け散り、鉛の破片が石膏またはガラスの的を高い確率で砕くのである。この芸はウェスタンショウにおいて特別な役割を果たし、今日もなおこうした演目は見られる。おそらくこの種のうちで最も有名なショウはWilliam F. Cody(「バッファロー ビル」)によるもので、彼の芸人グループは約800人の人員、何百頭もの馬、何ダースものバイソンにより、第一次大戦の前に全世界をまわって興行した。



(頑住吉注:「見せかけの高い命中確実性を持つラピッドファイア」の的を示したイラストです。本文中では何故か明記されてませんが、L字型金具は破片が隣のフィールドに飛んで、そこの的まで砕いてしまわないようにガードする役割を果たしているわけですね。また、大きく外れた場所に命中したのでは的が砕ける確率が下がるだけでなく、あたってないのがばれやすくなるので、射手の腕もある程度は要求されるはずです。たぶん本当に命中することもよくあったんでしょう)

バッファロー ビルのワイルドウェストサークル

インディアンやカウボーイらとならんで、ガウチョ、ベドゥイン(頑住吉注:アラビアの放牧民族)、いろいろな制服を着た兵士らも登場した。ショウ全体はセンセーショナルに仕上げられ、報道はコディによってしばしば、個々の「アーティスト」に関するワイルドな、一部は創作されたストーリーを与えられた。百発百中の芸射手、Annie Oakley(頑住吉注:「アニーよ銃をとれ」の題材となった人物)に関する創作された伝説も、詳細な考察に耐えるものではない。だが、このグループの多くのメンバーが良い射手であったことは議論の余地がない。ただ、騒々しいショウの際の公衆の安全が、トリックに手を出すことと空砲の大幅な使用を、当時すでに要求したのである。同様に、空中の的に対する射撃のために散弾が使われたことも分かり切ったことだった。それが通常の銃(リボルバーあるいはレバーアクションライフル)を撃ったものだと誤って思われたにしてもである。このためには特別な弾丸と綿密に考え抜かれて準備された的が要求された。「西部の英雄」のトリックの多くは観客に高度の信じやすさを要求した。当時のウェスタン劇場において最もよく用いられたシーンは、縛り首のロープの撃ち抜きだった。(頑住吉注:「クイック&デッド」でシャロン ストーン演じる主人公が幼女時代にやらされて失敗するシーンがありましたね)短いステージ上の距離であろうとロープに命中させるのは、訓練された射手にとっても不可能であったにもかかわらず、この場合もトリックテクニックはリアリティをもたらした。この場合、2つの部分からなるロープは肉の薄いガラス製のパイプで保持されていた。弾丸はもちろん散弾だった。ガラス製のパイプは強い引く負荷に耐えている時には横向きの負荷に対して非常に敏感であり、1粒の散弾が命中した時にも砕けた。

ボウイナイフの刃への射撃も好まれた。この場合、半分になった弾丸はさらにそれぞれ1本のロウソクの火を消した。1発で。これはテクニックなしでは決して考えられないことだった。ロウソクは小さな台の上に立てられていた。そして射撃の瞬間、ロウソクの斜め後ろに差し込まれた小さなパイプの助けによって吹き消された。パイプは肉の薄いゴムチューブにつながれており、ゴムボールの助けによって操作された(頑住吉注:カメラマンが商品撮影の際にほこりを吹き飛ばすブロワーみたいな感じで、ゴムボールを握りつぶして空気を送った、ということでしょうか)。この場合も弾丸はトリック弾丸か空砲だった。

トリックテクニックと組み合わせれば、空中に投げられた硬貨を撃つことに非常に多くの練習は必要なく、特に必要なのはタイミングを合わせることだった。

硬貨を使ったトリック

芸射手と親しい人が公衆の中に配置され、芸射手に記念として硬貨を撃ち抜くことを要求した。この観客は隣の人(この人もグル)に硬貨を見せ、「インチキをさせないために」硬貨の刻印を確認するよう頼んだ。投げられる硬貨にはもちろん射撃の前に貫通穴があった(頑住吉注:こんなんでよくバレませんね)。射手は硬貨が空中で頂点にある瞬間に撃った。彼が射撃に使ったのは、細かい散弾がロードされた、いわゆる「芸射手弾薬」であり、これに応じた散布を持っていた。硬貨は特徴的な衝撃を受け、観客には本当に命中弾を受けたかのように見えた。続いて「撃ち抜かれた」硬貨は公衆にぐるっと示された。

特に危険なように見える試みは、男または女のアシスタントの口にくわえた葉巻きあるいはシガーへの射撃であり、これは今日もなおスリリングに行われている(ちなみにAnnie Oakleyも「バッファロー ビルショウ」の上演の際に、ドイツの皇太子ウィルヘルムに対し、実際に口にくわえた葉巻を撃ったという)。このトリックは非常に単純である。葉巻きまたはシガーには後端に小さなワイヤーが入っている。このワイヤーは射撃の直前に、的となる人の歯で引っぱり出される。「犠牲者」は射撃の瞬間に舌で針金を弾き、燃えている部分が取れてなくなる。イリュージョンは非常にリアリスティックである。弾丸はもちろん空砲かマズルを出た後に自然に分解する弾丸である。

芸人や奇術師によって使用される銃は大きさや外観が特にステージの必要に合わせてあり、その時代の様式に合うように、がさつな、しばしば銃器らしくない装飾が施された銃だった。それらが銃器工によって作られるのは稀なことに過ぎず、たいていは芸人が自分の信用する人に作らせたものだった。トリックの秘密を守るため、例えばその人も自分の他の「魔法器具」を扱っているところでだった。テクニックやシステムが必ずしも決め手ではないことは自明のことだった。そう、最終的に芸人の命を左右する可能性のある弾薬はたいてい彼が自分で作った。しばしばここには健康上の危険も存在した。例えば弾丸が、ゼラチンのケースに純粋な水銀を満たしたものだった場合には、水銀はステージ上のあちこちに跳ね散り、気化した。

芸射手やウェスタン射手はモダンなレバーアクション、ポンプアクション連発銃を使うことがより頻繁だったが、時折「ウィンチェスターNo.03 セルフローディングライフル」(頑住吉注: http://www.cowanauctions.com/department_view_item.asp?ItemId=64442 )のような初期のセミオートマチックも見られた。ハンドガンに関しては全てアメリカ起源のリボルバーだったが、Asskarte(頑住吉注:何かのカードだと思われますが辞書に載っておらず、検索しても分かりませんでした)のポイントを撃ち抜くような特別な名人芸の射撃のためには、例えばStevens社のターゲットピストル(「No.35 Offhand Model Single Shot Target Pistol」のような)が好んで使われた。芸射手たちにとって好都合だったことは、この銃には.22口径も、.410散弾用も存在したことだった。このため射手は観客に気づかれることなく、必要に応じて通常の銃も散弾を使う銃も撃つことができたのである。Annie Oakleyや「バッファロー ビル」もそのような銃を愛用していた。



(頑住吉注:スティ−ブンス社製のこのピストルに関してはオークションサイトにしか画像が見つからず、この種のページは短期間で消えてしまうので失礼して拝借しました。ごく単純なピストルですが、チャンバー部にバレルがねじ込まれて強固に一体化し、フロント、リアサイトともこの上にあるので、加工に問題がなければ高い命中精度を示したはずです)

芸射手の弾薬

散弾でない実弾射撃用の弾薬としては、ほとんど口径.22ロングライフルが使用された。非常に小さな的に命中したのを見せなければならない時には、できるだけ細かい散弾を持つトリック弾薬が使われた。この場合散弾は肉の薄い、弾丸の形をした鉛のケース内に収納されていた。観客はそれが散弾なのか通常の弾薬であるのかを区別することはできなかった。形状は視覚的に重要だっただけでなく、使用されるの銃チューブラーマガジンが、完璧な作動のために正確に合わせられた弾薬の長さを要求した。これはこうしたマガジンに使用される空砲弾薬にも当てはまった。発射薬はレバーアクションやポンプアクション連発銃の作動に影響しなかった。



(頑住吉注:「トリック弾薬」のイラストです。要するにハンドガン用ショットシェルと同じで、違うのは透明なプラスチック製ケースが薄い鉛になり、形状も通常の鉛弾のようになっていることだけと言っていいでしょう。空砲やショットシェルはオートに使えば作動不良のおそれがありますが、レバー、ポンプ、リボルバーなどの手動連発銃なら当然何の問題もありません。弾薬の長さが重要とされてますが、例えばポンプアクションショットガンで短い通常弾薬と長いマグナム弾薬が問題なく使えるように、さほどデリケートではなかったのではないかとも思われますが)

その他の装備に関してはさして正確ではなかった。古い写真では、「西部の英雄」がしばしば大きなライフル弾薬をフルに詰めた弾薬ベルトを吊っており、一方この射手自身はかわいらしい.22口径のライフルを手にしている。

今日ではサロンにおける魔術でもサーカスでも、射撃芸は稀になった。1つには公衆の好みが変わったからであり、他方では安全に関する規則がかつてよりはるかに厳格になっているからである。


 記事をざっと見た時には何をテーマにしているのか全然わからず、銃に関する珍アイデアを扱ったものかと思いましたが、ぜんぜん違っていました。まあ銃器知識そのものとは言えませんが、非常に面白い内容でした。

 ただこうした芸は、銃器の規制がゆるい国では本当に撃っているように思わせてスリリングなものになり得ますが、日本では本物の銃で実弾を撃つショウなど到底ありえないことが分かり切っているので、ちょっと成立しにくいですね。

 「アニーよ銃をとれ」というミュージカルがあるのは知っていましたが、内容は全く知らず、題名から独立戦争、南北戦争などの際に敵の暴虐に対し銃を持って立ち上がった女性の話かと想像していたので、「芸射手」の話(しかも主題は色恋らしいです)とは意外でした。まあ見てみたいとは思いませんね(笑)。


















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