米中共同開発による「ジャガー」戦車

 戦車関連の「歴史秘話」ものです。なお名称は「アメリカ州の虎」なのでピューマかな、と思いましたがジャガーでした。

http://military.china.com/important/11132797/20130314/17728485.html


中米、かつてジャガー戦車を共同開発 主旨は手を携えてソ連に対抗すること?

(頑住吉注:原ページのここにある画像のキャプションです。「中米が当時協力して研究開発したジャガーメインバトルタンク。外観上は完全にアメリカ式のスタイルである。」)

【グローバルネット総合報道】 ロシア軍事評論ネット3月12日の報道によれば、1970年代中期に中米関係は徐々に安定し、1970年代末になると両国は正真正銘の外交関係を建立し、当時アメリカはもはや競争相手ではなく、米ソの間のある種の「緩衝国」として扱った。アメリカは長期的見通しの中で中国が強国に発展変化することを促し、もってソ連の一部の注意力を分散させることを希望した。この任務の完成のためには外交だけでなく、経済的方法もあり、またその他の方法の中でアメリカは中国に一連の技術を移転する事を計画し、これには中国の武器装備の発展を間接的に促進し得る国防技術が含まれた。

当然、アメリカサイドが譲ったのは当時の最も先進的な技術にはほど遠かったが、ヨーロッパ・アジアの戦力バランスを改変することができた。中米の装甲車両領域で出現した初の、現在まで最後のものでもある協力プロジェクト、「ジャガー」戦車こそアメリカ当局のこの政策の結果である。

ロシアメディアは、共同でソ連に対抗するため中米は協力を開始し、中国の59式中戦車およびそのさらに一歩の改良型に対し大規模な近代化グレードアップを行った、とする。59式戦車はソ連のTー55戦車の中国版であり、中米がこれを基礎に合同で研究開発した将来メインバトルタンクの名は「ジャガー」だった。この戦車は本来第三国向けにのみ供給する計画で、このことはその技術的様相に比較的大きく影響した。このプロジェクトの中国サイドの協力パートナーは中国機械設備輸出入総会社で、アメリカサイドはCadillac Gage社だった。新戦車はおよそ1980年代中期に研究開発が開始され、中米の会社は協議に基づいて分業、協力した。中国サイドの技術者は装甲シャーシを研究開発することになっており、アメリカサイドは砲塔、武器装備システムの研究開発を担当した。当時双方は、この設計方法は未来の戦車がより高い性能を持つことを保証できる、と考えた。また、アメリカはさらにこの種の方式を通じて中国にいくつかの重要技術を譲るのではなく、分かち合うことこともできた(頑住吉注:ソ連系戦車技術を深く知るメリットがあった、というような意味でしょうか)。

(頑住吉注:これより2ページ目。画像のキャプションは「ジャガー戦車の原型である中国の59/69式メインバトルタンク。双方を対比すると、外観はジャガーと全く異なる。」です。)

当時のプロジェクトの任務が相対的に廉価な戦車を製造し、輸出供給に用いることを要求したため、中国の設計者は69式戦車のシャーシをベースとして選択した。実際には69式戦車は59式戦車の改良型だった。シャーシの構造の共通部分は不変に保持されたが、構造自体には一定の変化があった。例えば防御レベルを向上させるため、何ブロックかの新型装甲版を追加装備し、車体の厚みも69式戦車に比べやや厚くなった。車体正面には2ブロックの装甲板が枠外で追加装備され、この戦車の正面投影防御レベルを顕著に向上させた。

プロジェクトの技術任務要求に基づき、新戦車の戦闘重量は41〜41トンとなるはずで、原型の69式戦車に比べてやや重く、このため動力装置の完備が迫られ、「ジャガー」にはアメリカのデトロイトディーゼルエンジン社が研究開発した出力750馬力の8V-92TA型ディーゼルエンジンが装備されることが決定され、中国のBー55ディーゼルエンジンのコピー生産品に取って代わった。アメリカのエンジンに換装した後、戦車の戦闘重量はやや増加したが、重量増加ははっきりしたものではなく、しかも戦車の走行性能は逆に顕著に向上した。

計算によれば、「ジャガー」の路上走行速度は時速55〜60kmに達し得、1回の給油で550km走行できるはずだった。その走行装置は69式戦車とほとんどそっくりで、5対の転輪と2対の託帯輪(頑住吉注:起動輪と誘導輪を合わせてこう呼ぶようです)からなり、このうち起動輪は後ろに置かれ、誘導輪は前に置かれ、電動液圧伝動装置が使用された。全体として、「ジャガー」戦車の走行装置はソ連のT-55戦車を基礎とする中国のあらゆる戦車の典型的特徴を残していた。

ロシアメディアは、Cadillac Gage社が「ジャガー」戦車のために研究開発した砲塔は「スティングレイ」軽戦車(頑住吉注:試作のみ)の既成戦闘モジュールを基礎にしたものだ、とする。主力武器は105mmM68ライフル砲であり、これはイギリスのL7火砲のライセンス生産品で、戦闘室内部に34発の戦車砲弾が配備された。主砲の上にはさらに7.62mm連装機関銃が装備され、砲塔上には12.7mm高射機関銃があった。補助武器の類型の選択権はユーザーにゆだねられ、ユーザーがどんな配置を選択しようとも、弾薬箱内には常に最多で3,500発の連装機関銃弾薬と600発の高射機関銃弾薬が配備できた。火砲と連装機関銃の垂直射界はマイナス4度からプラス17度までで、水平射界は360度だった。火砲の誘導はダブル平面安定装置を装備した電動液圧システムの助けを借りて実現され、DFCS火力コントロールシステムは「スティングレイ」軽戦車を手本とし、ほとんどいかなる変化もなかった。車長と照準手はいくつかの照準具を持ち、これには夜視装置、レーザー距離測定装置、弾道計算機が含まれた。

(頑住吉注:これより3ページ目。画像のキャプションは「短い花を咲かせた中国の90II式メインバトルタンク。中国が新世代先進メインバトルタンクを研究開発する前、かつて非常に長い低迷期を過ごした。」です。)

「ジャガー」が「スティングレイ」戦車の部品と装置を広範に使用したのは、この2種の戦車がいずれも当初第三国向けに販売するために研究開発されたからだった。砲塔の研究開発にはアメリカ製品の成果が使用され、車のクルーの作業位置に興味深い変化の発生をもたらした。当時中国戦車の車長と照準手は主砲の左側に位置し、装填手は右側に位置した。だが「ジャガー」戦車は「スティングレイ」戦車同様車長と照準手は主砲の右側にいて、装填手は左側だった。装甲シャーシは59式および69式戦車を基礎としているため、指揮室に変化はなく、依然縦軸の左側にあった。

潜在的ユーザーの興味を引きつけるため、中国機械設備輸出入総会社とアメリカのCadillac Gage社は同類製品を用いていくつかの電子システムを交換する可能性を予見した。このためこの種の状況下ではいかなるユーザーも自らの需要を根拠に相応の配置の戦車を発注できると規定した。計算によれば、1980年代末までの段階で、「ジャガー」戦車1両はその具体的配置がどうであろうと、最終的な販売価格は約240万アメリカドルだった。

中米は1988年頃に2両の新戦車のサンプル品の製造を開始した。アメリカの会社は中国に向け2セットの完成品の砲塔を発送したが、思いがけずすぐにプロジェクトから抜けた。1989年の天安門事件の後、アメリカの指導者は中国との軍事技術協力領域におけるいかなる関係も禁止することを決定し、Cadillac Gage社は直ちに中国サイドとの協力継続を拒絶した。中国は後に2両の戦車サンプル品を自主的に生産し、しかもテストを行った。その結果予期の性能が完全に確認された。いくつかの欠陥も発見されたのではあるが。中国機械設備輸出入総会社はかつて一定の時間内新戦車が使用する国産戦闘モジュールを自主研究開発する努力を行い、しかも対外的にセールスしたが、最終的にアメリカ戦車の砲塔のコピー生産に成功しなかったため、「ジャガー」メインバトルタンクに適した砲塔がないという結果がもたらされ、さらに一歩の開発はできず、このプロジェクトは最終的に停止が迫られた。中米軍事技術協力、および合同研究開発プロジェクトは今日になっても依然回復されていない。(編集翻訳:林海)

(頑住吉注:以後のページは画像とキャプションだけです。4ページ目は「96式メインバトルタンクから、中国の戦車工業はついに臨界点に至った。」、5ページ目は「中国が現在主に輸出用としているVT1Aメインバトルタンク。国際市場で非常に強い競争力を持つ。」、6ページ目は「中国のVT1Aメインバトルタンクは多くの成熟した、信頼性の高い技術を一身に集めている。発展途上国の使用に非常に適している。」、7ページ目は「バングラディシュ陸軍が装備する中国のMBT-2000メインバトルタンク。」、8ページ目は「ミャンマー陸軍が装備する中国のVT1Aメインバトルタンク。」、です。)


 当時は輸出用の比較的グレードの低いアメリカ製戦車砲塔もコピー生産できなかったわけですが、おそらくその技術は後の戦車に一部生かされているんでしょう。


















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